あとの祭り[前篇]

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あとの祭り

【前 篇】



西の都一の目抜き通りが歩行者天国に変わり、祭りの日を待ちわびていた地球人達が一斉にあふれ出てくる。
祭りのメインステージへと続く散策路は、様々な食べ物を売る屋台がぎっしりとならび、そのどれもが空腹に訴えかけるような良い匂いを漂わせる。買い求めた菓子をつまみ食いしながらブラブラと歩く者や、すっかり酔っぱらって大声で騒ぐ者、きょろきょろを興味深げに辺りを見回す子供と、子供が迷子にならないようにと手を引く者が、肩がぶつかるほどの近さで通り過ぎ、ちょっと見た事がない程の賑わい様だ。この分だと、通りを跨ぐどぶ川にまでビールと紙吹雪が流れているに違いない。


「チッ、ブラのやつ一体どこをうろついてんだ」
未だ夏の熱気をはらんだ夜風に肌をさらしながら舌打ちをした。熱っぽい風は苛立ちのせいで汗ばんだ肌を冷やし、祭りの提灯をゆらゆらと揺らしている。街頭の間を縫ってつるされた提灯には様々な書体で『西の都 宵祭り』と書かれていて、それが湿っぽく潤んだ宵闇をぼうっと幻想的に照らすのは、なかなか絵になる光景だ。……オレが待ちぼうけさえ食っていなければ、もっとマシなものに見えただろう。
「若い娘が夜にうろうろしやがって、何かあったらどうするんだ!」
「ああ、パンもちっとも戻ってこねえな」
オレがイライラと地面を蹴る場所からちょうど一人分の間を開けて、カカロットが通りの縁石に座っていた。
「わざわざ気まで消してるぞ、オラ達に連れ戻されるとでも思ってるのかもなあ」
オレと同じように連れに待ちぼうけを食わされているカカロットは、しかしオレが娘のブラを心配するようには自分の孫娘の心配をしていないらしい。それどころか、にぎにぎしく沸き返る人波を見るヤツの目は、実に満足げだ。
「あいつ、この祭りに来るのをすげえ楽しみにしてたからなあ」
にこりと笑うカカロットの口元に、僅かに笑いジワが寄る。孫もすでにいる身だというのに、しかしそれ以外でヤツの外見は10年前と少しも変わらない(オレたちサイヤ人の特徴だが、老化速度が均一の地球人からするとこれはきわめて奇異に写るらしい)。


「けどよ、そろそろ戻ってこねえと、これ全部冷めちまうな」
ニコニコしていた顔を少しだけ引き締め、カカロットがちらりと目を動かす。ヤツの視線の先、カカロットの横に山のように積み上げられたもの。「焼きそば」「たこ焼き」「焼きとうもろこし」「イカ焼き」…カカロットが屋台でごっそり買い占めた品々が山と積まれてた。
――ちくしょう、旨そうだ。
「早くしねえと、オラが全部食っちまっても知らねえぞ」
どれも冷めかかってはいるものの、少しばかりコゲたソースの香ばしくも蠱惑な香りは相変わらずオレの鼻孔をくすぐりまくる。ついでにヤツの笑いジワの横には、焼きそばが一すじ、垂れている。
「けっ、良く言うぜ。『パンのため』なんかじゃなく、初めから全部自分で食う気だったんだろうが」
「へへっまあな。祭りの飯は旨えもんな、オラだって食いてえよ」
カカロットが口の端から垂れて下がっていた焼きそばをつるりと吸いこむ。
――やっぱり旨そうだ。


「まあせっかくミスターサタンから小遣いどっさり預かってんだ、パンが戻ってきたらあいつが好きなものを好きなだけ買ってやるさ」
そう言ってヤツはまた残りの焼きそばを大口開けて啜りこんだ。それだけじゃない、ヤツの横に、空のゴミくずも山のように積まれていた。中に入っていたのは「焼き鳥」「かき氷」「牛串」「フランクフルト」に「クレープ」。極めつけは「二つ折のお好み焼き」!!ああくそっ旨そうに食いやがって、くそったれ!!


『ちょっとお客さん、困りますよ!屋台でカードなんか使えませんよ』
『なんだとぉっ?!』
本当はオレだって食いたかったんだ!『夏のごちそう』を、旨そうに次々と平らげるカカロットを横目に見ながら歯ぎしりする。そんな腹ペコのオレが唯一手にしている物と言えば、つつましくも焼きそばが一パックだけ、だ。


地球は下等な星だが唯一の長所は食い物が旨い事だ。中でもこの「屋台」とか言う簡易店舗でふるまわれる飲食物は特に旨い。オレがブラの付き添いで、この雑踏にわざわざ出向いてきたのは、もちろん娘の身を心配しての事だが、屋台の飯が頭を掠めたのも事実だ。ブラがカカロットの孫と遊ぶ間、屋台の飯をたらふく食ってやろうと目論んだ事も、もちろん事実だ。それなのに!
……ブルマから渡されていた、「出せば何でも買える黒いカード」(文字通りブラックカードと言うらしい)は、ここでは全く役に立たなかった。
『きっキサマ、このオレをナメやがって…!!』
このベジータ様の申し付けを断りやがった屋台のオヤジを、オレはもう少しで灰にしてやるところだったんだ!


「パパ、今日は絶対騒ぎを起こさないでよ!つまんない事で暴れたりしたら、パパとはもう口利かないんだからね!」
……ブラの戒めさえなかったら、な。くそっ忌々しい!


結局、どの屋台でも「黒いカード」は全て断られ、オレは一切の食べ物に有りつく事ができなかった。
「ふざけやがって地球人どもめえっ!」
忙しなく地球人が行きかう往来で、オレはすきっ腹を抱えて歯がみをしていた。何が「何でも買えるカード」だ、この星の金融システムはどうなってやがる!地団駄踏んでいたオレの目の前に、そいつは現れた。
「よおベジータ、おめえも来てたのか」
――人ごみの中からよく知った気が近付いてきたかと思うと、オレの目の前に、熱々の湯気をたてるソース焼きそばが一つ、にゅっと差しだされた。
「いいところで会ったな、おめえも腹減ってんだろ、良かったら食うか?」
「なんだと?!」
「オラちょっと買い過ぎちまってさあ」
見上げるとそこには口元の笑いジワを深くするカカロットの顔があった。さらにその右手には一パックのソース焼きそば、左手には…山ほどの焼きそばを満載した袋が握られていた。
げっ!最悪だ!!オレがわびしく何も買えない無様な姿を見られた!よりによってコイツに!!しかもそれだけじゃない、オレが買えなかった焼きソバを、カカロットはこんなにどっさり…!オレはすぐさま返答した。
「ふざけるな!このオレがキサマの施しなんか受けると思っ……」


……ぐううううううううっ!


「ほら、やっぱりおめえ腹減ってんじゃねえか。遠慮なく食えよ」
…すぐさま返答した。くそったれなオレの腹の虫が、オレより先に返事をしやがった…。相変わらず人の良さそうな笑顔を浮かべるヤツの手から、オレは黙って焼きそば1パックを受け取った。