消えない傷 2

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「やっぱり痛そうだな…」
もう一度ベジータはこわごわとそう言って体を伸ばした。腕を差し上げ傷に触れようとして届かない事に気がつき、戸惑った顔をしながら慌てて手を引っ込める。それまでの不遜な態度から一変して、眉をひそめるその表情は年相応で、ひどく幼げで頼りなげだ。男がどうするのかと黙って見守っていると、ベジータは暫く逡巡するようなしぐさを見せた後、今度は男の腿に手をかけて膝の上によじ登ってきた。予想外の行動に興味を引かれて、男はベジータのやりたいようにやらせようとそのまま静観していると、子供は男の股座にすぽりと収まり、改めて体を伸ばして男の傷を覗きこんでくる。
「……何でキサマの傷は治らないんだ、キサマら下級戦士だってメディカルマシンを使うだろう」
「さあな、オレも知らねえよ」
男がわざと投げやりに答えると、ベジータはまたむっとした表情になった。こんな口調で話しかけられた事など滅多に無いに違いない。


「まあ、オレたちにあてがわれる機材は旧式のオンボロばかりだからな、この程度が精一杯なんだろうよ」
「フン、どうせキサマが下級戦士のクズだから、傷の治りも遅いんだ」
ぷいと顔を背けた後、ちらりと横目で男を見上げて、でも、と言葉を続ける。
「……オレはキサマに借りがあるからな、キサマのようなクズの傷でも治るような新型のメディカルマシンを後で届けさせてやる」
「へっ、好きにしろ」
ぶっきらぼうな口調に反し、男が口元で微かに笑って見せると、ベジータはまた頬を赤らめてそっぽを向いた。小さな体が膝の上でもぞもぞと動く感触に、男はまた傷の無い側の口を持ち上げて笑った。
「だから心配すんな、この程度は傷のうちにも入らねえかすり傷だ」
安心させるように荒っぽい手つきで髪をくしゃくしゃと撫でると、ベジータはガキ扱いするなと苛立った声を上げたが、その顔はまんざらでもなさそうだ。
「……ふん、まあクズの下級戦士がどこで死のうがオレの知った事ではないがな」
鼻を鳴らしながら、髪の間を指が滑る感触が気持ち良いのかベジータはうっとりと目を閉じてされるままになっている。反応の変化が面白くて、今度は先程よりも丁寧な手つきで髪を耳にかけてやると、今度は男の胸にもたれかかってころりと丸くなった。子供の淡い吐息が胸に触れ、男も我知らずのうちに目を細める。
――面白いガキだ。
目の前の子供が見せる行動の落差に男は大いに興味を引かれた。先程までの大人を大人と思わぬようなふてぶてしい態度から察するに、多分この子供の周りにはロクなやつがいないのだろう。我儘で不遜がその本質かと思ったが、どうやらそうでは無いらしい。先ほど見かけた尊大な態度と、今自分の胸にもたれて大人しく丸まっている姿には、呆れるほどの落差があった。もしかすると一連の行動は、子供なりに考えての事なのかもしれないと、ふと思う。
生まれながらに特殊な立場に置かれた子供が、大人を馬鹿にして見下すのは、傲慢からではなく常に計算づくで接する大人への怒りを表す為。そして類稀なる者として生まれたばかりに味わわされる羽目になった孤独を抱えて、誰かの気を引きたくてたまらないという愛情に飢えた子供らしい寂しさを隠す為の、彼なりの巧みな鎧なのかもしれない。



――変なヤロウだ。
一方で男の胸に頭を持たせかけながら、ベジータも不思議に思っていた。目の前の男は、これまでベジータが出会ってきた中のどんな大人とも違っていた。ぺこぺこしないし、ひざまづきもしない。そうかと言って必要以上に偉ぶったりもしない。下らないおべんちゃらも言わなければ、値踏みするような冷たい目でこちらを見る事も無い。引き結んだ口元と黒い目がいかにも近寄りがたいような冷徹な印象を与えるが、今自分の髪を梳き撫でる手は大きく温かい。
――本当に変なヤロウだ……
そんな事を思いながら男に髪を撫でられているうちに、ベジータはうとうとと眠気を射してきた。他人に肉薄するなどという事は普段の彼なら滅多にしない。増してや誰かの膝上に身を預けるなどどいうことは、まだ幼いながらベジータの人生ではこれまで一度も無かった事だ。けれどすっぽりと大人の腕に包まれるというのは悪くない気持ちだった。


「おいお前、また俺の膝の上で寝小便垂れるなよ?」
とろんと目を閉じかけていたベジータが、男のからかうような声にハッとして目を開き、すぐに身を起こした。
「きっキサマ!汚ねえ手で気安くオレに触るな!」
きつい目で男を睨みつけながら、自分の髪を梳いていた手を忌々しげに払いのける。たちまちいつもの不遜な態度に戻ったベジータを見て、男は苦笑した。
「まったく、プライドの高えガキだな。そんな態度じゃ、またいつ『痛い目』を見るか分からねえな」


「………―――っ!!」
――『痛い目』という男の言葉を聞いた途端、ベジータが息を飲むのが分かった。男がはっと目を見開く前で、その表情は強張り、赤みを差していた頬が青ざめて膝の上で揃えられた握りこぶしがかたかたと震え始める。目は落ちつきを無くし、呼吸は動揺を表すように浅く早くなり始めた。
「おいガキ、大丈夫か…」
男がベジータの頬に手を添えると、冷たい汗が手に触れた。少しためらった後、男は細かく震えるベジータの小さな肩を抱き寄せて自分の胸にすぽりと収め、ぎこちない手つきでその背を軽く叩いてやる。
「――大丈夫だ、お前は誰よりも強くなるんだろ?」
怯えたように、ぎゅっと胸に顔を押し付けてくる子供の背を、あやす様に撫でてやる。
「もう、どんな相手にも絶対負けねえくらいにな」



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