月は東に。5

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5.


本当にカカロットこと孫悟空という男は、どこまでも妙なやつだと思う。思いつくままめちゃくちゃな行動を取っているように見せながら、その行動の結果は誰よりも理に適っていたりする。いつも『何も考えていません』という顔をしながら、時に恐ろしく頭が切れる。奇妙な運命の果てに出会った自分の最後の同胞。誇り高きサイヤ人の結晶とでも言うべき王子と出会ったサイヤ人の異端児。もはや自分の人生は、この男との関わりを抜きにしては進めないのだろう、と本能が訴える。俺はこれからこの男とどう向き合えば良い?


期待と不安と、それから今夜の異常事態に対する疲れが入り混じって、思考をぼんやり霞ませていたため、正常な判断ができなくなっていたのかもしれない。ベジータは、ふいに普段なら絶対に口にしないような言葉を口にしてみたくなった。
「……カカロット……」「ん?何だ」
相変わらずまっすぐな視線で悟空がベジータの瞳を覗き込む。その不躾なほど無垢な黒い瞳をまともに見てしまい、また怯みそうになるが、構わず言葉を続ける事にする。
「…………えー…つまり、だ…………その、つまり、……俺様はまったくこんな事言う気は無いんだがな…………まあ、その、つまり、……た、たまには言ってやっても良いかもしれん…………その、何というか、その…………」
「?何だベジータ?言いたいことあればさっさと言えばいいじゃねえか」
俺は何も考えていない貴様とは違うんだ!憤慨しそうになるのをぐっと飲み込んで耐えた。
「~~~~~~~~っ!!………………その、つまり………………」
ちらりと上目づかいに悟空の顔を盗み見ると、何事かと相変わらずわくわくした表情で真っ直ぐにこちらを見詰めている。また怯みそうになるのを、今度は目を閉じてぐっと耐えた。


「……………………た、助かったぜ、一応、礼を言ってやる………………」
くそっ!王子である俺がまさか下級戦士に礼を言うことになるとはな!!
かあっと顔に血が昇るのを感じながら、きつく閉じていた目を薄く開いて、悟空の顔を盗み見た。悟空は大きく目を見開いて、今度は豆鉄砲をくらったような顔になっていた。
「何だあ?ベジータがオラにお礼を言うなんて、何か気持ち悪ぃぞ!」
「!!!!何だと?!貴様、俺がせっかく……」
やっぱりコイツはムカつく野郎だ!憤慨しかけたベジータを、でも、と続ける悟空の言葉が遮った。
「おめえ、ベジータそっくりの夢だけど本物よりもカワイイな。本物のベジータも、おめえくらい素直にオラと話してくれたら良いのにな」
何だか褒められているのか貶されているのか良く分からない言葉だったが、ベジータは怒りがたちまち小さく縮んでいくのを感じていた。


慣れない言葉を口にして、すっかり疲れ果て俯いたベジータの代わりに、ああそういえば、と悟空が何かを思い出したような顔をして口を開く。
「夢って言えばそういえば、オラさっきも…」
「ああ?」
「さっきも……アレ?」
胡乱げに目線だけで睨みあげてくるベジータを前にして、口を開きかけた悟空だったが、急に押し黙り、次に決まり悪そうに頭を掻いた。
「…んー、なんだっけなあ?オラ、忘れちまった。何かこう…ちらっと思い出したと思ったんだけどな~…」
?何だこいつ、本当にわけの分からねえ野郎だぜ。ベジータは言葉に出さずに呟いた。


「けど、本当にこれって不思議な夢だよな。目が覚めたら隣にベジータが寝てて、力が弱っちいやつになったりカワイイこと言ったりするしな」
「けっ!俺にとっちゃ最悪の夢だ!」
おまけに、と悟空が言葉を続ける。
「こんな風に触れる夢って珍しいよな」
言い終わる前に悟空は、ベジータの体を再び引き寄せて、そのまま二人そろって寝床にごろりと転がった。「ま、いっか。夢と分かれば話は早えや」


いきなり世界が反転してベジータは驚いた。
「おいカカロット、貴様何しやがる離せっ!!」
ま、いっか、じゃねえ!!折角落ち着きかけていたところを何の断りも無く引き倒されたのだ。ベジータは再び暴れだそうとしたが、相変わらず力の入らない手足と密着しすぎた互いの距離に、それは叶わなかった。
「だって、これは夢なんだろ?だったら早くもう一度寝ちまって、目が覚めたら元にもどるんじゃねえの?」
相変わらずけろりとした表情で悟空で答えるその表情には、何の邪気も読み取れない。本当にこの男の行動ときたら、行き当たりばったりなのか、それとも深い考えがあっての事なのか。虫も殺さぬ顔をして、実はとんでもない悪なのか、あるいはまったくその逆か。ベジータはいつまでたっても測りかねた。


「それなら密着して寝る必要は無いだろうが!!何が悲しくて貴様なんかと添い寝せねばならんのだ、いいから離せ!」
「やだよ、おめえ冷たくって気持ちいいもん」「俺は保冷剤か!」
「んじゃ、おやすみ~」「貴様、少しは人の話を聞け!」


いくら騒ごうが喚こうが、その腕は万力のようにびくともしない。精一杯腕をつっぱっても、その大きな体は一向にはがれない。手のひらを顎に悟空の顔が歪むほどに押しやっても、まったく意に介する様子も無い。この世界で最も殺してやりたいはずの相手の腕の中に、抱きしめられて身を横たえている状況の異常さに目まいがする。だが本当に異常なのは……。
「なんかベジータ、おめえホント可愛いな~。ホンモノと違って」
「うるせえ貴様はもう黙れくそったれ!」


その腕に包まれている感触を、心地よいと感じている自分自身だーー。


顔を押し付けさせられた悟空の胸から、規則正しく、少し早い心音が聞こえる。そのリズムに耳を傾けていると、次第に、本当にうとうとと眠気を差してくる。空気の入り込む隙間も無いほど密着した互いの肌が汗ばんで、本来なら不快なはずなのに、まんざらでも無いのは何故だろう、とベジータは頭の隅でちらりと考えた。
静かな悟空の呼吸が耳にくすぐったくかかり、その熱をはらんだ空気がぼうっと思考を霞ませ、悪くない気持ちにさせるのは、これが夢だからなのだろうか、とも考える。それともこいつが同族だからだろうか。それとも……?


手足が重い。額が涼しい。頭がぼんやりとして、何も考えられなくなる。瞼が重たく降りてきて、ぴたりと一度ふさがると、最早もう一度開くことは困難になる。ふん、まあいいさ。どうせこれは夢なんだ。そんな事を考えながら、意識が深く沈んでいく。


『ああそうだ、大事なことすんの忘れてた!』
悟空が何事かを喋っている。なんだ、と答えようとしたが、眠りに落ちる寸前の今は叶わない。
『なあベジータ、寝ちまった?寝ちまったなら返事してくれよ』
寝てるのに返事ができるか、馬鹿め。
『…ベジータ、オラ大事なことすんの忘れてたんだ』
だから何がだ、と急速に落下していく意識の中で答えるまえに、頬に、何か温かいものが触れた。この感触は覚えがあるぞ、さっきも俺に触れてきた、カカロットの手のひらの感触だ。
『なあベジータ、……おめえ、『おやすみのチュウ』って知ってるか?』
なんだその甘ったるい響きは。目が覚めていたなら思い切り非難してやるところだ。
……気のせいだろうか?ベジータの耳に悟空の声は、普段より数段低い音程に聞こえた。


額に何か柔らかい感触が触れる。その感触が何なのか、理解する前に今度は唇に柔らかいものが触れた。一旦それが離れた後、再び柔らかい感触が唇に重なってきた。それは少しずつ角度を変えながら、何度も唇に重なってきた。何度も、何度も、何度も…。


なんだこれは。ベジータはそう言いたかった。
「………………っ………ん………………」
しかし、その唇から洩れたのは、ひどく小さな、甘い短い声だけだった。


『なあベジータ、これって夢なんだよな?』
ああそうだ、どうせこれは夢なんだ。…けれど眠ってしまうまえに、何か大事な事を伝えなければならないような…。重たくて堪らない瞼を叱咤して、懸命に薄眼を開くと、オレンジ色の薄闇の中、目の前に常夜灯で逆光になった悟空の形をした黒い影が見えた。そして、影の中で緑色にぴかりと光る双眸が見えたような気がして、そこで力尽きた。


『これって夢なんだよな』 ああそうだ、これは夢なんだ。
するり、とシャツがたくし上げられる感触。今度は胸に、直に柔らかい感触が触れてきた。耳に注がれる低い声と、大きな手のひらが肌を滑る感触が心地良い。
『夢なんだよな』 そうだ、夢だ。
くすぐってえな。相変わらず柔らかい感触が少しずつ場所を変えながら、胸の上の肌を滑っていく。内股を大きな手のひらが探る感触。この感触も夢なのか。


……夢なんだよな

……ああそうだ。どうせこれは夢なんだ
































『夢だ』
自分の声に、はっとして目が覚めた。

窓からまばゆい朝日が差し込んでいる。カーテンの薄い陰影を通して室内に満ちる朝の光はとても強く、今日も暑くなりそうだということを告げている。窓の外からは活気に満ちた人々の話声や車の喧噪が聞こえてくる。忙しい朝の始まりだ。
「……どこだ、ここは……」
ベジータは呆然とした表情のまま身を起し、周りを見回した。白い壁に白いベッド。一人占めするには贅沢すぎるほどの広い空間。間違いなく、C.C.の彼の自室だった。体の下に敷かれた木綿のシーツは、散々蹴りつけられてくしゃくしゃになっており、身につけているシャツも寝汗ですっかり湿っていた。


「なぜ俺はここで寝ているんだ……?」
たしか自分は、草の上で眠っていたのではなかったか?C.C.のエアコンが壊れていて、この部屋のうだる暑さに耐えかねて窓から外へ飛び出し、街はずれの高台で夜風にあたっているうちにウトウトし、カカロットの気を感じ、それから俺はあいつと確か……。
「…………………!!」…何やらものすごく恥ずかしい事があったような気がする…。

「ちょっとベジータ!」
大きな足音を立てて、勢いよくブルマがドアから入ってきた。
「いつまで寝てるのよ、もう良い時間なんだから、さっさと起きたら!?」
けたたましい勢いでまくしたてる彼女の口調は、いつもと何ら変わりない。夜中にベジータが抜けだして、いつのまにか元いた場所に何ら変わらない状態で眠っていたとは露ほどにも思っていない様子だ。


「…おいブルマ」「何?」
「たしか昨夜は、エアコンが壊れてたんだな……?」
目線を上げないままベジータが問いかけると、ブルマは、ああと声をあげて、その華やかな顔立ちに照れくさそうな表情を浮かべた。
「そうなの、ごめんね~。昨日の夕方ごろから空調設備の調子が悪くって、直そうかとも思ったんだけど、もう時間も遅かったしね。今日の昼までには直る予定だから安心して」
先ほどから、ベッドの上で俯いたまま顔を上げようとしないベジータの様子を、ブルマは昨夜の寝苦しさで不貞腐れているのだと勝手に納得した。
「あんた顔が赤いわ。そんなにこの部屋が暑かった?」
「!!こ、これは別に……!!」
「ほら、そんなしかめっ面してないで、シャツが汗びっしょりじゃない。洗ってあげるからよこしなさいよ」
事実、ベジータが普段好んで身につけている地球人の服…紺色のTシャツは、汗であちこち色が変わるほど湿っていた。


ああ、そうだな、と浮かない表情のまま、シャツを脱ごうとするベジータを見ていたブルマの目が、驚きに見開かれた。
「ちょっと!ベジータ、あんたどうしたのよその尋常じゃない虫刺されは!せっかくの玉のお肌が台無しじゃない!」「……何だと?」
ブルマの指摘に何気なく掴んでいたシャツの、襟ぐりから自分の胸元を覗いてみて、ベジータはぎょっとした。自分の肌一面に、赤黒い点が散らばっていたのだ。
「分かったベジータ、昨夜あまり暑いから窓を開けっ放しにして寝てたでしょう?だからそんなに虫に刺されちゃったのね」
「……ここは10階だ、窓を全開にしてたって虫なんざ入ってこねえだろ」
「じゃああんた、この部屋で寝てたのに何でそんなに虫に刺されてるのよ?」
そこまでの会話でベジータは自分の墓穴を掘りかけている事に気が付き、逆切れを起こして喚き散らした。
「何でも良い!!とにかくブルマ、とっとと虫刺されだか何だかの薬でも持ってきやがれ!誰のせいでこうなったと思ってやがる!!それからエアコンの修理もしろ!今すぐにだ!」
「はいはい、分かりましたよーだ。じゃあベジータ、虫刺されの薬を持って来てあげるから、あんたもいい加減起きなさいよ」
ベジータの癇癪にはすっかり慣れているブルマは軽くそれをいなして、余裕の足取りで再びドアから出ていった。それでもまだ何か言い足りないベジータは、ドアが閉まる瞬間、ブルマの背中に向けて捨て台詞を投げつけた。
「まったく、さすが下等な星だな!大した科学力だぜ!!」


そこまで言って、不意にまた既視感に襲われた。
…これはたしか昨夜、朝になったらブルマに言ってやろうと思ってたセリフだ。この部屋を飛び出す前に。


「……………………」
眉間に皺をよせながら、改めて自分の体を検分した。胸のみならず、体のあちこちに散らばった赤黒い点は、そのいくつかは確かに虫に刺された跡のようだった。赤みを帯びて腫れていて、良く見れば虫の針の跡もある。夏の蒸し暑い夜に、蚊やりも防虫対策もせずに野外で、それも草の上で眠ったりすれば、そうなるのは当然だった。それは元からベジータも承知の上だ。問題なのは、どうしてベッドの上で眠っていたはずなのに、野外で寝そべったかのような虫に刺された跡があるか、だ。


いや、それよりももっと問題なのは。
体に散らばる赤黒い点のいくつかは、かゆくも何ともない事だ。………どうしてこんな跡が付くんだ。それ以上考えようとしたが、頭が結論を出すことを拒否した。



一体あれはどこからが夢だったんだろうか。寝苦しさに窓から飛び出したところからか?それとも半欠けの月を遠くに見ながら、草の上に寝そべったところからか?それとも、あいつの顔を見たところからか?
それならば悟空に聞けば、真相が分かるかもしれないと思いかけて、かぶりを振って否定した。あいつにそんな事聞くものか!!もし本当に唯の夢なら赤っ恥も良いところだ。いや、それ以上に現実だったら。
「ばかばかしい、そんな事あるものか!!」
虫に刺された肌を掻き毟りながら、一人きりになった室内で、ベジータはいらいらと喚き散らしていた。


「畜生畜生畜生畜生畜生、もう何がなんだか訳がわからねえ!!」












現実のような夢を見た。


ーーそれとも、夢のような現実をみたとでも言うべきなんだろうか?




- end -
-2009/07/13-