月は東に。1

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1.


現実のような夢をみた。
それはどこから始まったのか分からないような夢だった。


数時間前まで完璧に整えらえれていたはずのシーツを蹴り落とし、もはや何度目か分からない寝返りを打つ。就寝の直前までトレーニングに熱が入っていたせいか、目がひどく冴えて眠れない。それに加えて夏前の湿って熱っぽい大気が、余計寝苦しく眠りを妨げる。C.C.は常に冷暖房完備で快適温度に保たれているはずなのだが、今日に限って空調の調子も悪いらしい。くしゃくしゃになったシーツが汗ですっかり湿り、何度目の寝返りか数えるのも厭になった頃、とうとうベジータは無理やり眼を閉じていることを諦めた。


のそりと起き上がり、役立たずのエアコンを一睨みしてから窓辺に向かう。さすが下等な星だ、大した科学力だと、明日ブルマにどうやって悪態をついてやろうかセリフを考えながらガラス窓を大きく開け放った。たちまち、すっかり蒸れていた室内に、涼しい夜風が入ってくる。汗ばんだ肌が冷やされて快適だった。どうやら、エアコンの効きの悪い室内よりも、外の方が眠るのに環境が良さそうだ。彼の思考は一瞬だった。


開け放った窓枠に手足を掛けて、夜の外気中へ身を躍らせると、その体はまるで風に浮かぶ綿毛のように軽やかに宙に留まる。体重など無いかのように感じさせた優雅な姿は、しかし次の瞬間には様子を一変させた。ベジータが一瞬の逡巡の後、宙を一蹴りすると、小柄な彼の姿は、風を切り裂く爆音と共に、放たれた矢よりも早く夜空に飛び上る。普通の人間には、夜空を飛び去る影にも見えない程の速さで、たちまち二呼吸ほどの後には、遥か離れた都の丘陵地帯に辿り着いていた。飛び立つ時と同じく一気に下降し、ぐんぐん迫る地表にその体が打ちつけられる直前、急速に下降速度をゆるめて、そのままひらりと着地した。


高台に吹く風は、地表近くよりも強くてよく冷えていた。何より、山際のその場所は、夜の底のような静けさがあった。夜が更けるにつれて少なくなっていく街の明かりを遠くに見ながら、開けた適当な草の上に腰を下ろし、ついでに仰向けに寝そべる。彼はかつて遥か彼方まで旅をして、時には洞窟で眠る事もあった。外で眠る事には何の抵抗も無い。


草の褥に身を横たえると、東の地平線よりいくらか上の夜空に、半欠けの月が昇っているのが見えた。大気に浮かぶ塵のせいで、今夜の星空はよく見えなかったが、代わりに彼の居る小高い丘の上からは、足元から地平線の向こうまで広がる町の明かりがよく見えた。意識を凝らせば、そこに息づいている何千、何万もの都の住人たちの気が、街の明かりと同じく、脆弱なのに力強く、弱弱しくも明るく、無数にきらめいているのを感じる。


妙な気分だ。本当なら、今のんきに暮らしている地球人は皆、ベジータに一瞬で焼き払われて儚くチリと消えていたはずなのだ。それなのに彼らは、今も相変わらず泣いたり笑ったりしながら、平和に日々を過ごしている。


遥か頭上で瞬いているあの星の間を巡り、目に映るもの手に触れるもの、全てを破壊してまわった日々を、ベジータはふと思い出した。幾ばくかの自由と拘束の中、フリーザに対する反骨を腹の底に蓄えながら、縦横無尽に宇宙を飛び回っていたあの頃。殺戮に満ちた派手な人生は、それほど昔ではないはずなのに、もはや前世の事のように遠く思われる。そんな自分が辺境のこの星に土着して、地球人と同じものを食べ、同じ衣服を身にまとい、寝起きを共にしているなどと、誰が想像しただろうか。何故そうなったのか、その元凶の顔を思い出して、ベジータは非常に面白くない気分になった。それもこれも皆ーー。

「あいつのせいだくそったれ!」ベジータは忌々しい口調で呟いた。

ふん、と鼻をならして顔を傾ければ、東の空に次第に高く昇る半欠けの月の下、この地球で一番強い気を感じる。意識して気を探らなくても、それが誰だかすぐに分かってしまうのが一層忌々しい事この上ない。
「貴様のせいだカカロット!」今度は先ほどよりもはっきりした声でその名を口にした。