日本の「とうりゃんせ」と同じようにして遊ぶ遊び唄で、17世紀ごろから文献に顔を出しており、18世紀中ごろに、ほぼ今の形の唄となった。
オーピー夫妻の『オックスフォード童謡辞典』のように、London Bridge is broken down となっているものもあるが、falling down の方が一般的である。
唄は、「木と粘土」のあと「煉瓦とモルタル」「鉄と鋼」「金と銀」で作ってもうまくいかず、最後に「夜通し見張る番人にパイプをくわえさせる」ということに落ち着いている。
13世紀ごろに、橋の通行税を取り立てる番人が置かれたが、唄の「見張り番」とは、この番人のことを歌っているのかもしれない。
それでは、ロンドン橋の不思議な世界へ・・・Let's go!
ロンドン橋の歴史 ブレイブ・ハートにも・・・ ポピンズはマザーグースがお好き 王子と乞食にも・・・ロンドン橋の歴史 さて、ロンドン橋の歴史を振り返ってみよう。初めは木造の橋であった。そのため、流失や焼失が繰り返され、何回か架けなおされたという。この架け替え工事のときに、きれいな乙女(My fair lady)が人柱にされたのではないかと言われている。
1136年の火事で、木造であった橋は焼失し、その後27年間も、テムズ川に架かる橋は1つもなかった。橋の流失や焼失は、1209年に石造りの橋ができるまで、続いた。ピーター司祭によって造られた石造りのロンドン橋には、礼拝堂やはね橋などがあり、没後、司祭は礼拝堂の地下チャペルに埋葬されたという。
1357年には、300メートルあまりのロンドン橋の上に、130もの店や家が立ち並んでいた。1760年ごろに撤去されるまで、なんと400年間も、橋の上に家がぎっしりと並んでいたのだ。
3階建てや4階建ての最上階が向かいの家とつながっていたりしたので、通路はまるでトンネルのようで、昼間でも薄暗かったという。橋の北側に住んでいたシェイクスピアも、南側のグローブ座に通うのに、この橋を何度も行き来したに違いない。
現在、テムズ川には、ロンドンだけでも10以上の橋が架かっているが、1750年にウエストミンスター橋ができるまでは、ロンドン橋が唯一の橋であった。たった一つの橋が「落ちて」しまえば、ロンドンの人々は大いに困ったことだろう。
ロンドン橋について詳しく知りたい人に、次のホームページをご紹介します。ロンドン橋の歴史などについて詳しく載っています。
「London Bridge Museum」 昔のロンドン橋のように、橋の上に家が建っているめずらしい橋の写真です。 世界のユニークな橋 ロンドン橋について詳しいです。いろんな角度から解説されています。 ロンドン橋のなぞ 1926年当時のロンドンのカラー動画(約10分)で、2分半のあたりに1832年から1967年まで使用されたロンドン橋が出てきます。この橋は現在はアメリカのレイクハバスに移築されています。 1926年のロンドンの美しいカラー映像
London Bridge is falling down, ロンドン橋 おちた
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My fair lady. きれいなおじょうさま
Build it up with wood and clay, 木と粘土で つくろうよ
Wood and clay, wood and clay, 木と粘土 木と 粘土
Build it up with wood and clay, 木と粘土で つくろうよ
My fair lady. きれいなおじょうさま
Wood and clay will wash away, 木と粘土は ながされる
Wash away, wash away, ながされる ながされる
Wood and clay will wash away, 木と粘土は ながされる
My fair lady. きれいなおじょうさま