辰巳用水移設・復元等技術検討会傍聴記

2000年8月2日

兼六園と辰巳用水を守り、ダム建設を阻止する会 事務局長
碇山 洋


 石川県公共事業評価監視委員会が辰巳ダムの継続を認めた際につけた付帯意見にこたえる形で、「辰巳用水移設・復元等技術検討会」が設けられた。その第1回会合が8月1日開催されたので、傍聴してきた。
 辰巳ダムで壊される辰巳用水の水トンネルを崖からサックリと切り出して、どこかほかの場所で保存するための技術を検討しようというのだ。

 7名からなる委員会には3人のゼネコン社員が委員として入り、それぞれ、移設・保存の技術を提案した。発泡モルタルの詰め物をして輪切りにして切り出す案など3案がしめされ、ひっぱり強度は十分かとか、充填剤の強度がむずかしいとか、振動に弱いので対策を考えてあるとか、どうすればうまく切り出せるかについてあれこれ意見が出された。

 聴いていて少し気分が悪くなったのは、室内に充満するタバコの煙のせいだけではない。人体実験の相談を見てしまったような気分だった。
 辰巳用水は江戸時代から兼六園に水を導きつづけ、いまも立派に生きつづけている現役の用水だ。ダム計画がなければこれからもずっと生きつづけるだろう。歴史的文化遺産の破壊を「保存」と表現することは、傷害・殺人を実験と呼ぶのと大差がない。

 委員たちは、建造後140年経った素掘りのトンネルを切り出すという困難な課題を前に、不可能を可能にする技術について熱心に議論していた。委員たちの発言からは、どんな困難も技術の力で解決可能だという、全能感にも似た自信が感じられた。
 ダム以外の方法で治水を成功させ辰巳用水を保存するために最新・最高の技術を駆使することこそが、彼らが真剣に追求するべき課題のはずなのだが。


休憩時間、模型を前に議論する委員たち
右端は川村國夫委員

 討論では、畦地委員(辰巳用水土地改良区参事)から、50年間辰巳用水を管理してきた経験から、岩盤が非常にもろく、無傷で切り出せるとはとうてい思えないという発言があった。吉村座長(元土木学会トンネル工学委員会委員長)は、地質学的調査はかなりやられているが、工学的強度の調査はまったくやられていないことを指摘し、前代未聞の事業であることを強調した。川村國夫委員は、民間からトンネル工事の専門家3人を委員に迎えており、実績のある民間からの提案は実現の可能性が高いと発言した。

 そのほか、切り出しに成功したとして無事に運搬することはできるのか、保存の際に湿度が下がると風化して崩れるのではないかといった疑問が出されたが、県は切り出した水トンネルを一時保管する運び先も、保存・展示する場所もまだ考えていないことを明らかにし、失笑を買った。

 議論も終わりに近づいた頃、畦地委員が、技術的には可能かもしれないが費用が莫大なものになる、ダムの2倍・3倍かかるかもしれない、ほんとうに実現できるのかと、他のどの委員も触れようとしなかったがきわめて常識的で根本的な問題を提起した。
 しばらく気まずい沈黙がつづいたのち、事務局(財団法人先端建設技術センター)から、費用についてはまだまったく計算していないことが明らかにされ、会場の空気はさらに重苦しいものになった。

 吉村座長が「全部税金でやる仕事で、われわれとしてもあまり素っ頓狂な話にならないようにしなければならない。通常のダムの施工と大きくちがうようになることも考え、費用を見積もる必要がある」と述べ、次回会合では費用の問題についても見積もりをしめしたうえで議論することが確認された。

 以下、この委員会の問題点を簡単に指摘しておきたい。

 第一に、江戸時代から生きつづけている辰巳用水の価値がまったく理解されておらず、県も委員会も、切り出してどこかに展示すればよいという考えしかもっていない。
 奈良市で都市再開発の邪魔になるからと東大寺を解体して移設するというようなことになったら、誰でも驚き、あきれ、反対するだろう。これと同じようなことが、石川県では大まじめに(?)議論されている。中島浩・県土木部長は、「切り取った辰巳用水は大切な文化遺産だ」とまで発言した。聞いている方が情けなくなる。このような議論を許していては、石川県民の文化水準が問われる。

 第二に、委員会の構成に問題がある。
 辰巳用水土地改良区参事の畦地委員をのぞけば、すべて土木工学系の専門家ばかりで、歴史学や考古学などの専門家は入っていない。輪切りにして切り出すという工法が、岩石の切り出し・運搬としては適切な方法であったとしても、文化遺産の移設方法として適切なのかどうかといったことをチェックできる人がいない。
 また、3名の現役のゼネコン社員(フジタ、前田建設工業、大成建設)が委員として工法を提案したが、移設工事が実現したとして、これらの企業が受注すれば、県民は、脚本・演出・主演ともゼネコンの公共事業劇を見せられることになる。これまでも舞台裏では同じようなことがやられてきたのだろうけれども、それを表舞台に平気で出してくるとはいささか節度を失っており、品がない。
 次回会合で費用の問題が議論されるが、高い費用をしめして話がご破算になるようなことはせず、低めに見積もりを出しておいて、工事に入ってから「予想外の難工事」を理由に増額するのではないかと疑っても、あながち穿ちすぎではないだろう。公共事業では、当初予算の2倍、3倍の費用がかかることは珍しくもない。(本四架橋は10倍!になった。)


模型をつかって提案を説明する関順一委員(前田建設工業)

 第三に、「第三者機関」であるはずの公共事業評価監視委員会の委員でありながら、県による市民グループに対する“だまし討ち”に関与し、市民グループの公開質問状への回答を拒否した川村國夫氏が委員に入っている。市民グループから抗議を受け、辞任要求までつきつけられている人物を委員に選ぶ石川県の感覚には驚かされる。久世・前金融再生委員長の任命と同じで、県庁内の常識が世間の常識からいかにかけはなれているかをしめしている。
 辰巳用水の問題は、辰巳ダム建設に関わる問題の中でも最重要のものだ。当然、この委員会の議論の内容とその結論に、県民は注目している。県民の「理解」を得るために、県にとってこの委員会の成功は大切な課題だろう。これでは、最初から、この委員会の審議には中立性、客観性を期待できないことを、県みずから明かしているようなものだ。県自身の利害得失、損得勘定からしても人選を誤っているのだが、それに気づかないほど県庁内のモラル・ハザードは進行しているようだ。
 もっとも、県民にどう見られようが、監視委の付帯意見にこたえたという形だけ整えればそれでよいと県は考えているのかもしれないが、それでは、形式的なセレモニーにつきあわされたうえに市民グループからの批判にさらされる川村氏も気の毒なことだ。

 いずれにしても、畦地委員の費用に関する質問で、それまで技術の話で盛り上がっていた会場の空気が途端に重くなってしまった。どうやら相当の難工事で、費用も莫大なものになりそうだ。
 この委員会での議論が具体的なところへ進めば、なぜ莫大な費用をかけて辰巳用水を輪切りに運び出さなければならないのか、そんな時間とお金があればダム以外の治水方法を検討するべきではないかという県民の声が当然高まるだろう。

 ムダな公共事業は国民が許さない時代になってきた。辰巳ダム計画が中止に追い込まれるのは時間の問題だ。いまのところ、流れの変化を読めない者だけが推進の旗を降りつづけている。
 “辰巳用水の輪切り”の技術を競い合った者は、歴史の審判の前で、とんだ道化役だったことに気づくことになるだろう。


おまけ

格好の悪い話

 今回の委員会開催が公表されたのは前日の7月31日。「北國」の夕刊には「明日開催」と載っていたが、他紙にはこの記事はない。県のホームページの「記者発表資料」のページにこの件が7月31日発表分として掲載されたのは、1日当日の朝になってからだった。

 委員会の冒頭、会議の公開・非公開を決める際に、委員から「大切な内容なのでぜひ公開にしていただきたい」と意見が出され、公開に決まった。しかし、「北國」読者で前日夕方、インターネット利用者で当日朝にはじめて開催を知ったのでは、せっかく公開してもらっても傍聴できない。どちらも購読・利用していない人は、8月1日夕方のテレビか2日の朝刊で開催されたことをあとで知るだけだ。

 委員会の終了直前、もっと早く開催告知を出してほしいということをお願いしようと思って、傍聴者席から挙手し、座長に発言の許可をもとめた。なぜか室内の空気が一気に緊迫したものになった。座長は許可するともしないとも何もいわず、ずっと黙っている。

 県河川課ダム建設室の山本光利室長が立ち上がり、「審議の円滑な進行のために傍聴者の発言はご遠慮いただきたい」とかいうようなことを口走ったが、はっきりとは聞こえない。
 「座長に発言の許可をもとめているのです。座長、いかがですか?」といったが、それでも座長は黙って何も言ってくれない。
 埒があかないので、「簡単なことです。きょうの委員会開催が分かったのはきのうの夕刊で、これではせっかく公開にしてもらっても休みをとって傍聴に来られない。もっと早く開催を公表するようにしてください」と言ったら、山本室長が「それは事務局の問題です」とまた割り込んできた。事務局の仕事がいい加減だから座長に直接お願いしようと思ったのだが、「座長は関係ない?」と訊くと、そうだというので、「それならのちほど事務局と相談します」ということにして、このやりとりはいったん終わりにした。

 会議の冒頭に承認された規約には、「座長は、…(中略)…議事の進行及び取りまとめをつかさどる」とある。
 私が発言をもとめたのにたいして座長が何もいわずにいたのも問題があるように思うが、山本室長が私の発言を認めないなどとしたことは、議事進行について規約上なんの権限もない者の越権行為だ。
 「あなたに認める・認めないと言われる筋合いはない」と言ってやろうとも思ったが、主催している県の室長(課長級)が「座長は関係ない」と、吉村座長を飾り物あつかいにしてしまったのだから、言うだけ無駄な気がしてやめた。

 傍聴者が座長に要望を述べようとしたくらいで泡を食う…。いまどき格好の悪い話だ。


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