ウォーター


佐川 亜紀 の 詩




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虹のむくろ  


七色の雪が降ってくる
七千の言語の祈りの結晶
虹のむくろが降ってくる
飛び散った肉片のように

ちりを芯に二つとない形で結晶する雪
みずを源に二つとない身で生きた肉体
虹の腹が切れてうごめいている
切り裂いた人間の金色の爪は
どんな兵器より鋭い
腹の中の言葉をぶちまけて
こころよいと思う浅い空
生臭くなる画面
追い詰められてここしか見えない
上には向かず 下に向く濁流

うねりかえす人の波
うったえるたくさんの言語の息
うみだす海の想いをなくさず
うつろなうつつをうつ
うみづきのような
地球のまるみ
鼓動のような足音

うつくしいものを疑いなさい
もっとうつくしいものを望みなさい
それが 雪を降らせる
言葉の雪を降らせる
虹の色は無限

人間の冷たさが感染していく
むくろが満ちる世界に




はらはら野原


鯨の飛行船が浮び
子供たちが輪になって見上げる
綿毛のクローンが飛び交う

ぽぽん 未知の種をまく
ぴぴん 岬が耳をたてる
ぷぷん 春がおならをして
ぺぺん 草にひっぱたかれ
ぱぱん よろずの花が咲く

ぼあ 爆風があがり
びりびり 心をやぶり
ぶんぶん 首を振り回し
べえー 舌を出す
ばんばん 撃たないで

いつのまにか
ののののののののののののの
野原に鉄条網の壁ができる
こっちの あっちの
あっちのも こっちの
野原が分断され
子供たちも別れさせられる

春の野原 夏の焼け野原
はらはら野原






魔女の舌


つぶした心臓が九一個
枯らした葉っぱが九一枚
偽物ダイヤが九一個
貴族の剣が九一本
ゲームをしかけているのは
だれ?
ルールがひんまがっている
とっくにゲームオーバーしているけれど
ゲームを続けたい
もっとつぶしたハートで
ゴールドがほしい
海を賭けて
アマゾンを賭けて
島を賭けて
どのカードもキングになりたがって
キングはそろって捨てられるのに
プリンセスは国から出て行ったの?
プリンセスはゲームの生け贄なの?
しもじもは顔を持たず数字になるだけ
ゲームの酒に酔い
悪夢に頭を乗っ取られ
ルーレットに投げ入れられる千切れた手足
社会のゲロを吐きたいが
金のトイレに頭を突っ込んで死ぬだけ
魔女の切札 ババのカード
あっちの国 こっちの山に捨てられ
いやがられて移っても
ゲームで残るのは魔女だけ
ゲームに笑われ 毒舌の舌を出すババ
ほうきで空を掃きながら
馬のように 鳥のように
タワーの上を飛んで
桃色の慈雨を降らしたい
もうちょっとで昇天しそうな地球に








まなざし

はるか遠くから
あたたかみをおびて
生き物の全身を照らす
まなざし
どんな姿だろうと
雌雄が入れ替わる魚でも
飛べなくて危険な火食い鳥でも
それが確かな姿だと照らす

すぐ近くで
いつまでも待っている静かな門灯
とがった悲しみを見る複眼
押し込められた怒りをあらわにする光線
サービスに洗脳された人間を笑い
あまりにむごい戦場の実態に目をやり
爆撃された子供の閉じたまぶたの上をさまよう

真ん中を
知りたいということ
歴史の芯をえぐりだす
隠された人間の悪も 死者の魅力も

わたしは虚ろで何者でもない
根は断たれ
生は切り刻まれている
だが
愛にむかうまなざしを
ひとりから ひとりへむかう
死から 生へむかう
虚ろそのものを温めるまなざしを
抱きしめられる腕のように
なつかしいほほえみのように感じたい
ひとつのゆがみをなでるように
かけがえのないものに注ぎたい


(「詩人会議」2016年11月号掲載)









  時代の棘に刺されて
わたしの姿はすっかり変わり
もとより棘を秘かに育てたのは自分だが
自分が棘そのものとなって
陽をあおぐ枝はかたくなになり
腫れた皮膚が刃に変形し
やわらかく
さまざまな流れと交わるもの
うまれようとするもの
明日の細胞分裂のように
ふくざつにひろげられていくものを
ねたむように
にぎりつぶすような
暗い目つきになって
耳は離れてしおれる葉のように
さびしさや
くやしさは
肉なのだ
まだ肉があるあかしなのか
ひときれの肉になって
ひくひく動いている
棘にうまく射止められ
わざわざえらい獲物になりたくて
野原をこわしたのか
ビニールの花冠をのせたくて
根をむしったのか
ざらざらした荒野の風だけが
変らず吹いて
黄金の棘の束が表皮を腐らせ
棘の空洞の中は
焦げた村と町の臭いがする

(「交野が原」81号掲載)








聖なる泥/聖なる火


聖なる火を持って走る
人類支配の始まりの火を
クローン子供が
ロボット選手が
人間をとっくに追い越して
利権ドーピングの競技場を
走る
汚染水のなかを泳ぐ
汚染空気のなかを飛ぶ
聖なる放射性廃棄物を捧げて
走る
ドローンがさぼる人間選手に
毒物を宅配する
受け継がれる高レベル放射性廃棄物を
あがめたまえ

母たちから切り取られた大量の乳房のように
黒いフレコンバックが積まれていく
「もう産めないんですか」
「もう埋めないんですか」
聖なる泥が積まれていく
新しいピラミッド
新しい神殿
除染利権を握る大手ゼネコンが貢物を独り占め
詰まった憤怒が漏れ出し
底辺の怨嗟の声が満ち
農民 漁民 アフリカ系アメリカ人
釜ヶ崎の労働者 元炭鉱労働者
原発下請け労働者の溜まった被曝量が爆発し
異様な生物の黒い卵
いっせいに異物の生き物がうごめく
けれど
それより異様で狂っているのは
私たちのほう
心の中に黒いフレコンバックが積まれていく
表面だけを削り取って戦後を歩んできた
日本近代の闇を地中に温存してきた
何枚も「平和利用」のベールで覆って
子供たちの甲状腺ガンを
何枚もシートで覆って
TV画面から マスコミから隠し
黒い神殿を拝む 
爆発した白い宮殿がテロの標的に
死体の山に自ら入って
死んだら靖国神社に入れます
神社は朝鮮にも
満州にもあった

神は侵略とともに
キリスト教
イスラム教
神道
祈りと侵略が同時で
国家の性器を宗教が刺激する
詩も国家に食われやすい
詩は国家に食われたがっている
人は冷たく広い目を持つことはでき難い
孤独な目は無視されるネットシステム
難民は果てしなく増え続け行き惑う
詩は難民になるべきだ
いつも世界の外側にいるもの
言葉の安住の場所など無いのだから
日本語に養われながら
日本語から飛ぼうとする

死者たちの川があふれる
ヒロシマの元安川の腕たちが流れてきて
釜石の足が流れてきて
南相馬の腹が流れてきて
仙台の胸が流れてきて
水に書く 消えても 何度も泥水に書く
馬の波 
無数の馬が襲ってくる
マル マル*
無数の言葉が襲ってくる
マール マール
まわる まわる言葉
プル プル
ふるふる 言葉の火が降る降る
モレ モレ 砂から漏れる
フク フク フク
苦 苦 苦
泥の中に
骨が 箸が 乳が
泥の中の子宮 生まれる時
  死ぬ時の 泥になる時の官能
そうしたものもすでにクラウド化されていて
吹けば飛ぶ浮雲に 
二葉亭四迷以来の口語も ネット語に
くたばってしまいました語に
四迷 八迷 迷うのも面倒で
権力ファシズムに一元化された言葉に
戦争の市場拡大のための言葉に
消費活動促進にのみ活用する
生殖はヒトクローン胚によって
遺伝子操作でよりマシな人間創造へ
一パーセントの富裕層と
九九パーセントの貧困層
人間は棄民され続ける
格付けされる生命
高機能医療を受ける金持ちガイコツ
病院から追い出される金無し失業者
囲碁もでき 小説も書き 詩ももちろん書く
ロボット
制御不能の原子力
制御不能のロボット
制御不能のインターネット

泥は砂漠になり
泥は壁になる
イスラエルの分離壁
アウシュビッツの灰の壁
帝国主義は言葉が三枚舌になる
イギリス残酷帝国主義のように
ロイヤルファミリーに憧れる
よそ者を突き落とす
よそ者って つまり自分のことだが
金よりも憎悪が強いとは
トランプからババを抜くみたいに
誰かが ロイヤルや天皇や権力者以外の誰かが
憎悪の対象にならなけりゃ
やっていけません こんなろくでなしの世では
ほんとうの対象は誰なのか
安保法制 ねじ曲げられる言葉
敗戦でも懲りない 
日本中を焼け野原にしても懲りない
アジアの死者を隠す
傷口が縫合できない朝鮮半島の分断線
張りつめた悲しみの川は
日本の足跡と胸腺にも巡っているのに
気づかないふりで
氷の言葉を積み上げる
「慰安婦」少女の心身を苛んだ日本国家の軍靴を
認めてこなかった日本人民の弱さ
その体質が福島第一原発事故で露呈した
メルトダウンしているのは何か
日本国憲法のメルトダウン
第一条が天皇である妖怪ぶりは改まらず
でも 前文と第九条には
一文字一文字の裏に
アジアの二千万人の死者が
日本の
沖縄の
ヒロシマ・ナガサキの死者が
死者たちが文字の裏に張り付いている
沖縄の辺野古の海に水神の森がある

言葉こそ禍々しい火だ
天の恵みを祈りながら
地の凶事を呼び込み
戦争をけしかけ 原発を発明する
言葉とは死の泥から生まれた
とめどなく軽やかな言葉がリツイートされて
罪と罰が散乱する

卑なる泥/卑なる火
棄てられた人々
失業者 排除された人々
沈む島の底から
都市の地下から噴出するマグマ
今湧きあがる
異形のエネルギーは
世界秩序の破壊か 地球の破壊か
破壊の末の再生か
卑なる泥/卑なる火が
舞い狂う 自爆して 他爆して 果てる
「カミカゼ」が地球に広がる
自己破壊と国家存立が同時である幻想
自己破壊と世界破壊が同時である幻想
一方の生を日常と思う幻想
帝国的ネットショッピングの日々
資本の切っ先はますます尖りながら
消滅してゆく
聖と卑は逆転し 混ざり 転がる
異形のエネルギーとして
転がる地球の笑いとして
生命の怒りの熱として
聖と卑は弾け 壊れ 潰され
新たな泥は創られるのか


*マル…韓国語で馬のこと。
マール…韓国語で言葉のこと。
プル…朝鮮語で火のこと。
モレ…朝鮮語で砂のこと。
フク…朝鮮語で泥のこと。

「社会文学」44号掲載










さんざめく種


さくっと 法を変える
ざくっと 人を突く
ざっくり 「異なる人々」を排除する
ざらざら 心が荒れ果てる

死の匂いに汚染されている
死の誘惑に被曝している
無機物へなだれこむ
弱い者に嘘の虹を見せ一層力を奪い
未来をむさぼって重荷を残す
生命を使い棄てるシステム
世界の戦争の泥沼にのめりこむ
メルトダウンした原発は
日本社会の内臓をあらわにした
1パーセントの富者を崇め 
強欲に似た顔つきが社会の隅々まで
文化の一滴にまで浸透する
幻の国家 幻のファースト
幻覚剤みたいな言葉の中毒になる

生命は交わる 川と川は深く感じ合う
さまざまな樹々は地球の陰毛のごとく濃い
未知の星々のまたたきが鼓動の伴奏をする
人工知能のなかに生殖のエロスの記憶はあるか

うまれたてのぬるぬるした心のかけらを失わずに
二つの目耳手足で
善と悪 真と偽 自と他を 合わせ持ちながら
引き裂かれながら 考え続ける
生命の無尽の姿 一人一人の違う顔
ともに生きることの途方もない創造を
地球で思えるように
さんざめく 種の宴
さんさんと 色々な果実の大樹の下で
  歴史の影と木洩れ日を受け取るように


(初出「神奈川大学評論」84号2016年7月)






手の器
    
語られなかったこと
一言はなすと
体がメリメリと
二つに裂かれそうで
世界の真中で受けた生々しい傷なのに
ほんとうのことを話せば
世界からはじかれそうで
高速道路からつまみだされそうで
皮膚が燃えだし
炎の中の声が聞こえ

無きことにできるのか
陽を消したこと
アジアに死体を並べたこと
川のからだを引きちぎったこと
若い洲をめちゃくちゃに踏み荒らしたこと
もう死しかないからと
もう言葉が死んでしまうからと
咽喉から絞るように
声を発すると
冷たい金属のような壁
反響もしない
透明に素通りする

受け止めるのは人間の手で作った器
左手と右手を合わせ丸くして
割れた地球の半分の形で
ぎざぎさの葉を重ねる柔らかさで
自分の手にいくつもの手が浮び
水筒の一滴を待ち受ける注意深さで
こぼれてしまうのが定められながら 
肉体に深く染み込むように
歴史の手足がうるおうように

「詩人会議」2016年8月号掲載






少女


少女の足 冷たい石の上に置かれ
少女の手 崖をつかんだまま
少女の目 ずっと見ていた 
少女の口 ふさがれた 息と言葉を

やわらかい雲の谷間を
軍用機が日に何度も
突きっていく 
沖縄の空
ヤマトの空につながっていないのか

銃剣とブルドーザーで基地を造り
辺野古には核貯蔵施設もある
有事には核兵器を運び込む密約

世界に冷たい炎が広がっていく
ばらばらになり
小さくなる心
いっそう軍用機がのしかかる沖縄

人間の姿で記憶されるべき少女
人間の全部で生きるはずの少女





その声

華やかなイルミネーションに隠され
高速度の鉄道に飛ばされ
あふれる食卓からも
追い出された声

その声は世界の芯を揺さぶる
その声は人間の罪を暴く
その声は文明の足をためらわせる

その声は聴かれない
被爆者の声
韓国人被爆者の声
南北に別れた朝鮮半島の人々の声
元「慰安婦」の女性たちの声
中国で焼き殺された農民の声
沖縄で殺された沖縄の民衆の声
ベトナムで虐殺された母子の声
戦争で狂気に陥った米兵の声

互いに受け取れず
溝が深まり続ける

その声を聞き取るには
深い井戸を掘らねば
砂漠の地に
一滴の湧水を求めて
ひたすら深く深く
人間の砂と渇きをかき抱くように



黄金の果実

太陽をナイフで切り裂いて食べる
私たちも一瞬で食べられる
死のすばやい舌に
私たちが歩くと 地はひび割れ
水は枯れる
プラジャーパティ マンゴー
宇宙万物の創造神
黄金の果実
その細やかな花々は
強烈な腐敗臭でハエを引き寄せる
私たちは腐敗臭に群がるハエである
か細くこずるい手をすり合わせて
権力者に からっぽの果実をこいねがう
死者の中に入り込んで うごめき
すべてを吸いつくして
不穏な卵で埋め尽くす
宇宙に満ちる不穏な卵
万物の創造神は不穏な卵と似ている

深く欠けた地に黄金の果実が落ちる
新しい問いのように
生物の汁がしたたる問いのように
生と死は果実の周りを循環する
まるい星の形は循環の意志
埋まった言葉を掘り起こし 有機物にする
言葉に必要な光と緑と水
創造の樹は再び芽吹く 






水琴窟


ささやきはささやかな路地を通る
悲鳴と非情の街の間を
母から切り取られた黒い乳房が
次々に畑に積み上がり
父を消した画面の空が
斜めに切り裂かれる
欠けた貝殻から
押しつぶされるジュゴン草が
地中海のやわらかい死体が
揺れる響きが聞こえるか
指で横流す未来

目は二つの廃れた星
耳は金の竜巻となり
髪は暴風雨で地をおおい
鼻は死の匂いに慣れ過ぎ
口からは点々だけがあふれる

さえずりは
空にうちあげられた鯨の骨から
降って来る
ほおずりと殴打が同時であり
温かいほおもなくなる世界で
外されたささやきが
錆びた排水管からもれだすとき
冷たさは
一音ずつ落ち
体の中の水琴窟を捜す
原始の洞窟のような
月の夢のたまり場のような
水の中に隠された深い音を捜している


(「交野が原」80号掲載)







春の骨


泥の中に白い花びらの万の唇
潮風に立つ水仙の一本一本に
重ねるいくつもの顔
碗と皿 腕と血 欠けてあふれて
  雪は空き地に深くしみ込む
海底で開く学習帳
銀河まで流される車の列
胸に押し寄せ続ける冷たい波
億年の岩盤に打ち据えられつつ
世界から送信された
人間の文字のメール

藻にからまった骨の宝箱を秘めたまま
日ごとの食卓を整える懸命の汗
仮の家で見入る散り散りの家族の写真
かつて 中国 朝鮮 シベリア 戦地に
棄民された人々 また棄てられ
列島中棄てられ 
棄てて 甘い光に誘われる
被爆の水脹れのように
地の皮膚に並ぶ汚染水タンク
傷ついた伝言 かすれる小鳥の歌
死の臭いに慣れた都市で
滅亡のマネーゲームに溺れる
毒の針を放ちやめられず
自ら恐怖の波となる 

泥の目で見る 春の穴の耳で聞く
命の骨組みを支えるために



※3・11について詩を書くのは難しいが、
一人一人が悼み、知り、考え、表すことが
大切だと思う。
被災地の方々、避難されている方々は日々奮闘
されつつ一層の苦しみに直面している場合も
多いと聞く。
自然と文明、原発など日本の経済優先の歩
みに反省と再考を迫った大震災だったが、現
在は政治・社会への問いや批評さえ封じられ、
命はさらに軽視されているように感じる。
(「東京新聞」2月27日夕刊掲載)







チヌーク


無数の骨がばらまかれたような雲をふるわせて
頭にも 尾にも羽がある大型輸送用へリコプターが
頭上を飛んでいる
アメリカ先住民の部族の呼称を持つ航空機
チヌーク(チヌーク族)
アパッチ(アパッチ族)
シャイアン(シャイアン族)
イロコイ(イロコイ族)
どんな歴史をこめた名なのか
血のスープをかき混ぜているような不気味なプロペラ

ベトナム戦争にも
アフガニスタンのアルカイダ潰滅作戦にも使われ
那覇空港にも飛ぶ
沖縄をさらに危険に陥らせ
朝鮮半島に冷たい流れを送る
日本とアメリカの先住民蔑視の思想

何を運んでいるのか
災害救助にも使われ
阪神淡路大震災
東日本大震災でも救助物質を運んだ

空のページに書き込まれる歴史
空から温かいものが降ってくるように
爆弾が今も降り注ぐシリアに
温かい救助物資が届くように
私の頭上をチヌークが飛んでいる





光の弦

     青い竜の舌が雲を分け
アジアの山々から海に張り渡された
光の弦
二胡 伽耶琴 馬頭琴 三線 三味線の調べ
波を曲に 野を詞にし
木々が爪弾き 風の弓が奏でる
水の皮膚が裂かれている所に
高音が降りそそぐ
破裂音の息が集まった風
この一瞬の痛みのなかに
永遠の未知の楽譜が
ぬれた数式が隠れている
たとえ すべて
暗黒の宇宙に溶け散らばるとしても
ある+いる=0=∞
宇宙の黒板に
次々に仮定の数式が書かれる


空っぽになった缶が
打たれて歌を発する
欠けた皿の縁を
ていねいに
幼虫は這い
時をなめるようにたどる
血で満ちた皿を
ふたたびむさぼるように

すべての言語と
すべての音が
私の細胞の中でざわめく
古代魚の肺 アンモナイトの舌歯
三角形の文字 正八面体の空気
侵略された言語は
支配者の口を百一刑の形に動かし
世界の多色の母音がミルクのようにあふれる

スクランブル交差する音が
氾濫し ゆすられ 爆発し
私を通り抜け
地球を通り抜ける
虫の羽音
蝶が長い口を花の奥に差し入れる音
無人機のはばたき
私は捨てられたメールとして
ゴミ箱に移動し
一気に巨大な胃袋に膨張
ワールドトレードセンターに似た胃袋に膨張し
飛行機もフライにして食べる
または 都市の血液中の悪玉となる
善玉でもある仮面を複眼で見る
臓器がメタリックにキラキラ光る
汚染水のたまる細胞が増殖し続ける

言語はすでに移民している
難民化している
かつて 朝鮮へ 満州へ 台湾へ 琉球へ
あふれだした
日本語の豆たちのマ行連隊
今も辺野古の海を死に追いやる日米軍事用語
きゅうりの草書
いちごのひらがなも消えうせ
ブロッコリーの森の中で
縦書きの雨が干上がり
横書きの濁流に押し流される
火星に行けるか やまとなでしこ
いやいや
まず 火の海にならないように
光の箸で 
逃げる柔らかい里芋の日本語を掴みたい

(「洪水」17号掲載









多色の涙


一粒の涙は
失われた二つとない命の上に落ちる
一粒の涙は割れた水晶のように
さまざまな人の顔を映している
涙の色は 白や 青や 赤だけではない
灰色 褐色 黒 黄色 緑 橙 紫 桃
爆撃された 銃撃されたすべての人々
生き物 植物たちも涙を流している
涙は水鏡となって自らを映す
わたしはどこにいるのか
踏み潰される一匹のアリ
踏み潰す高性能の戦車
引き裂かれた土の顔の肉片
引き裂いた狡猾なナイフ
わたしは
どちらにもいる
一粒の涙にひざまずき
一つの涙の中に入っていけない
わたしたちは
多色の涙を流す
すべての命を色づける不純物だから
さまざまな人類の血管の中を通ってきたから
多種類の木の幹を流れてきたから
いろいろな川を渡ってきたから
一粒の涙は気付くべき世界を映している




私の番号

見知らぬ部屋の鍵のような「5」
難破したヨットの帆の「4」
片方は失われている白鳥の「2」
肉が厚い耳の「3」
無限大が起きれば首をしめる「8」
ラッキーなふりは肩が凝る「7」
逃げそうな風船は苦しい「9」
始まりと終りの「1」
ここから ここへ帰る「0」
私は数字で表わされる
私は金額で表示される

私を管理しているのは四角い0で
0を次々に付けて
0で押しつぶされそうになる

死から皮膚が引きはがされて
名前は探されず
祈りは消されて
口からは戦争のよだれが数字で滴っている

大国の欲望が綱を引き合い
小国の内戦の場で
武器の展示ショーが開かれる
そのショーの下で人が死ぬ
飛行距離と破壊力と死亡者がデータ化される
ヒロシマも
ナガサキも
フクシマも
実験としてデータ化される
ぞろぞろデータ化される
ききっとデータ表示する

日本の二進法で
すでに死の商人が
揉み手をしている





最初のバラ


バラにはたくさんの感嘆符が付いている
世界に驚き続けることが
美しい花弁を重ねることであるように

その驚きの一瞬を
体を上ってくる噴水のような
その恐れの一時を
手足が絡み取られるような
その怒りの叫びを
人の声を聞かない大きな耳に

忘れないように
慣れないように
戦争への道に

その中に何万本ものアンテナがある
虫の触覚が
海を渡る蝶の羽が
はえかけの歯が
最初の怒りと問いの中に




鳥の首


鳥の首がねじ曲げられるように
言葉の首がねじ曲げられ
散らばった羽毛の腹から
赤い銀河が流れ出る
いくつもの前の宇宙から
願われた命のくちばしの光
またたくまに股に焚かれた炎
泥にぬれたまなこの上の露の子たち

さかさにされて
羽がはがされた言葉が
ぶら下がるプラザ
これを買う架空コインに
ゼロだけがふえて 
家が崩れ落ちようが
山が発情しようが
ゼロだけがふえて
わたしはゼロも付かない方に振り分けられる

すみれがすわっているところも
たんぽぽの肝が据わっているところも
もう頼ってはいけないような
アイリスは虹の裏側を開く
ジャスミンの安らかな民の芳香に血が混じり
木槿は街の真ん中でむかれて踏みにじられる
ガジュマルは被弾したままずっと基地のなか

生き物の骨は
無数の羽と花弁になって
計り知れないものを運ぶ
無人機の残骸の上を
人間の廃墟の上を
計り知れないほど大きな鳥の首の影が過ぎてゆく

(「交野が原」79号)



夏の水

公園のプールで
笑い声の水しぶきが上がった
イルカのように飛びはねる子供たち
原発事故に汚染されている水だけれど

七〇年前 願った
夏の水を
どれだけ日本で心のなかに貯めただろう
原爆で乾ききった咽喉に
空襲で焼けただれた口に
人間の血が隠された言葉に
金だけが目指される数字に

このときこそ とっておきの水で
相手にお茶を出したい
ゆっくり育てた葉を摘み
うるおいのある風を送り込み
ひとつひとつもみほぐし
静かな落ち着いた心で
ほどよい温度で

そこにも
夏の水をうまそうに飲む幼い口が
あるだろう

大国の利益の犠牲になった人々
平和のために武器も原発も原爆もいらない
あの夏に犠牲になった
アジアの人々
日本の人々
夏の水を涸らしてはいけない





千年の雫

光年の距離を経て星の光がやっと届くように
千年の 万年の雫を  待ち望む
人々が海を渡り 山を越え 
時の権力が阻むのを越えて
やっと伝えたものから 
エッセンスのようにしたたる雫
すべて枯らすような果てしなき日照りに
稲にやっと降り注いだ雫
一粒の米が抱きかかえている熱い一滴
生き物を凍らせるような冷たい金属の壁に
体温の湿った風が吹き込むように

漢字の雫 雨の下にある喜び
パンウル 朝鮮の雫が連なって鈴を鳴らす*
タルランタルラン タルランタルラン
青磁の器が湖になって
流させた涙 広がった血の苦しみ
少女の宮を荒らしたことを胸に刻みながら
往来こそ 混じり合いこそ
雫を生みます
どんな機器で繋がろうと
どんな兵器で断たれようと
千年の雫の鈴の響きが
人の言葉に込められています
タルランタルラン タルランタルラン

※パンウル 韓国語で「雫」と「鈴」の意味がある言葉
タルランタルラン 韓国語で小さな鈴がちりんちりんと鳴る音






光を耕す

大地のページをめくる 遠い手 人間の手
五月の麦畑を隅から隅まで一気に読む目
早くしないと植物の知性を知らずじまいです
土の中に 
貝の舌のきらめき 雪山のさざめき
鳥のはばたき 腕のうめきが きらめいています
切り開かれた土地の痛み
埋まっている他郷の骨
ほっこりしたじゃがいも
しぼりとられた乳も
まざっています
 
文字にも記号にもできない歌に
口伝えの命の源の歌があると
アイヌの歌声が教えてくれます
鮭が源に還るように
光には 生き物の匂いがしてほしい
牛や馬の糞 人間の汗 
地球の血管から見上げたら
ペンギンが空を泳いでいました
カバの小さな耳が不穏な開花を聞きつけます
白クマが北極の汚染をどうしてくれるんだと迫ってきます

土も 水も 畑も失われる今 

北海道・旭川の土地で育まれ
時代の光を耕した詩人
思いを受け継ぐ人々が地に光を撒きます
地球で自分の光を耕すことを風が告げます






水笛

凍えた頬のように
世紀の氷点下を体の芯に残して
傷口が縫合できない分断線
人間の休戦により生い茂った緑の帯
張りつめた悲しみの川は
日本の足跡と胸腺に巡っているのに
気づかないふりで
氷の言葉の壁を積み上げる
骨を探して他国に置いた箸の跡をたどる
匙にすくいあげられた赤い汁の夢と
夕陽をかじった歯が
ほろほろと小さな墓を地下に積み上げる
朝鮮語の詩を書いて日本の監房で獄死した若き詩人
日本語の棘が再び増して
新たな傷を両側にばらまく
壁の上をあやうく歩く歪んだバランス
自らの上に崩れ落ちるビルの瓦礫に
覚醒を促されつつ昏睡する午後
自らもいくつもの試験管に小分けされ
見えない1パーセントの手に揺すぶられ
透明な壁を増殖させる
105年の壁 70年の壁を
柔らかい緑の微笑みに変えることはできていない

青磁の器で差し出された詩の水
渡来し 通信し 飲み合う器を創ってきた
撒かれる詩の噴水 砂漠の地球に
詩の風は願う
壁に小さな笛の穴を開けていくことを
またたく星の交響
宇宙の闇を震わせる音楽になることを
一つの土地の泉から出て
どこにもとどまらない水
水笛は隠れた六〇兆の詩の渡り鳥を呼ぶ
鳥は知らずに種を付けて遠く近く飛ぶ
言語は壁であり沃土であり
鉄条網にも命の網にもなる詩は祈る
壁を越えて
言葉の光を届け合うことを

(「詩と思想」2015年5月号掲載)




ぼんぼり
      
和紙や絹布のような言葉を通して
内側からほんわり灯る
言葉の光を抱きたいものだが
いのちの芯から発光する
二つの乳房の言葉を咲かせたいが
―あなたの顔は破れていますよ
雪洞の中のキャンドル
凍る時代に
北風に揺れ 南風に溶かされ
西風に脅され 東風にうとまれ
風前の灯に 昼行燈の 提灯持ち
家電パンフ バーガーの包装紙 漢和辞典
白磁釉 宇宙服 液晶画面 方丈記
コンビニ袋 聖書 仏典 お札 電子マネー
雑多なものを貼り付けた顔 

―あなたの顔は破れていますよ
柔らかい紙は破れて
歴史のページも文字もざらざら零れ落ち
原発汚染水が世界中に流れ出て
微笑の筋肉が固まって
うすら笑いの筋ばかり発達しています
他の人からは見えるのです
縫合した食い違う顔が映り
縫合したのは溝を歩く見えない細い糸
縫合に失敗した顔なのが
ぼんくらな自分には見えない
自分の顔の中に他者の顔が重なっているのに
無人の家のように 朽ちた骨だけ浮き出て
顔の中に人がいなくなり
雪洞に汚れた大雪だけが溜まっていきます

※「交野が原」78号掲載






ったく

やあ きのう
きのうがいつのまにかやって来て
  きみはきのうから逃げられないのさ と
したり顔で言う

やだ あした
あしたがすでに来ていて
きょうを責める
ったく
どうして こんなに汚したの
どうして そんなに壊したの
どうして あんなに殺したの
あしたはあたしの顔を持つ

てか
平和とさよなら しちゃうのか
きょうを 狂の時代に しちゃうのか
wwwww
零戦に萌え〜!
戦争でメシウマって
リアル戦闘でリア充ムリでしょ
戦争をできる国にって
ったく
  
てか
原発再稼働って
まだ 漏れてるのに
まだ 揺れてるのに
まだ 事故ってるのに
原発輸出って どこに
ったく

てか
沖縄の基地って
誰得?
サンゴの森を枯らしたら
列島すべての海の
魂(まぶい)も枯れ果てる
戦争の臭いを hshs よく嗅ごう

言葉は凶器にも
今日の器にもなる
ネットは凶器も強記も狂気も驚喜も露わにする
言葉が□□□□にならないうちに
今日の器に
たくさんの
昨日と
明日を盛らなきゃ


*ったく=「まったく」の略語。
  *てか=「と言うか」の略語。
*w=笑うの意味のネット語。
*メシウマ=「他人の不幸で飯がうまい」の意味のネット語。
*リア充=「リアル(現実)の生活が充実している」の意味のネット語。
*誰得=「誰が得するんだよ こんなモノ」の意味のネット語。
*hshs=はすはす。匂いを嗅いでいるときの呼吸音を表すネット語。
*□=伏字の記号。


生活語と宇宙方言

生活語とは、人々が暮らしの中で育んできた、また創っている最中の言葉だろう。
明治時代に「国語」ができる前は、それぞれの風土や歴史に培われた言葉があった。
「標準語」に近いと思われる関東でも独特の方言が響くことに改めて気づかされる。
しかし、情報化時代が加速度的に進み、インターネット特有のネット語や絵文字が増殖し
ている。それが若い世代にとって生活語なのだ。言葉は生き物で、「国語」も一時の言語
でしかなく、すべての言語は混成語で、流通と移動の世界化により変化する。
韓国の詩人・高銀(コ ウン)は、詩人は「宇宙の方言で詩を書く人だ」と語った。
母国語が日本語によって奪われた過去について危機意識を持って振り返りながら、
未来はさらに開かれた高い精神で母国語を通した宇宙言語の詩を書こうと呼びかけた。
生命の根を表す言葉に宇宙言語の源が存在するかもしれない。
日本語自体が方言になっていく今日、生活語詩の中に過去と未来を映す鏡があるだろう。


『現代生活語詩集2014 昨日・今日・明日』(竹林館・2500円+税)収録




韓国からのお見舞い状

東日本大震災の直後
韓国詩人の崔泳美さんから
お見舞いの手紙と
昆布や海苔が大箱一杯に届いた
甲状腺癌予防のヨウ素摂取に少しでもと
原発事故の深刻さは海外の方が知っていた
いつも共訳している権宅明さんからも
神に祈る温かいメールを受け取った
韓国の乾燥昆布は厚くてかたい
水のなかでゆっくりゆっくりもどす
地球を撫でる海の柔らかい手になるまで

(「神奈川新聞」2014年11月2日掲載)




春の唇

結んでいた唇から
一気に
生命の息が飛び出して
大気が弾む
ポム ポム
春の風が
温かい腕のように
差し出されて

そこは
馬山神社の
鳥居が残る地
皇国臣民化のための社
徴用でどこで死んだか
徴兵でいつに死んだか
分からない人々が
花の秘所を荒らされて
死んだ少女が
まだ帰れない海辺
七〇年たっても

そこは

高層ビルと
マンションが
立ち並び
大きな橋がかかる
美しい港
工業と海産物の町
柿が照る農業の村
菊祭りが華やかに
かつては
日本企業が
押し寄せて
労働争議が
起った馬山区
韓国の昌原市

そこから世界の詩人に
詩の春風が贈られる
日本にも贈られた
言語が違っても
緑の喜びや
真っ赤な怒りや
青ざめた悲しみ
褐色の痛みや
水色の楽しさは
きっと分かり合えると
きっと通じ合えると
詩による深い出会いを
世界に広め
闇の中に輝く星の言葉
砂漠に咲出す花の言葉
氷原を解かす春の言葉
明日がかおる芽の言葉
日本から
優しい春の唇で
お返ししたい


日韓友好の新たな発展を願って
佐川亜紀

今年は、日本敗戦・韓国解放七〇年、日韓国交
五〇周年の年に当たる。それにふさわしい相互理
解と交流が実現してほしいが、最近の日本の右傾
化で友好を脅かす事態が生じているのはたいへん残念だ。

話しかける言葉が優しければ返って来る言葉も優
しい」という韓国のことわざがあるが昨今の日本
社会に効く薬になってほしい内容だ。逆に、相手
に話す言葉が醜ければ返って来る言葉も醜くなり
エスカレートして互いに傷つく。日本のことわざ
「売り言葉に買い言葉」にはなってほしくない。
ほんの少し前まで、韓流ブームに沸き、韓国ド
ラマや映画、Kポップが大人気だった。今でも韓
国のドラマや映画を見ているという知人が多いの
だから、好ましい関心が消えたのではない。先の
戦争も一部の強硬派が無謀な支配と軍事を拡大し、
国民も同調してしまったことを反省し、現実をよ
く見て、優しい言葉を考えたい。
日本は少子化で海外から人々を受け容れなけれ
ばやっていけなくなるのだから、在日韓国人の歴
史に学び、共生の社会を創るために一緒に考える
のが本道である。私は以前『在日コリアン詩選集』
を共編し、苦難を乗り越え必死に生き創造的に詩
作した軌跡に胸を打たれた。
そのような私の仕事に対して過分の評価である
韓国の昌原KC国際詩文学賞を昨年の十一月に受
賞した。私が第一詩集『死者を再び孕む夢』(小熊
秀雄賞受賞)から一昨年日本詩人クラブ賞を受け
た詩集『押し花』まで一貫してアジア、特に朝鮮
半島の歴史にこだわって詩作してきたこと、韓国
詩を日本で紹介したことが受賞の主な理由だった。
審査委員長の高麗大学名誉教授・金春美さんは「
佐川詩人は初期から一貫して日本帝国主義の徴兵、
徴用、従軍慰安婦の被害者、差別された在日コリ
アンなどを詩で形象化して、貧困と戦争、災害で
呻吟するアジアのさまざまな国の被害者たちの苦
しみを描き出しました」と述べて下さった。さら
に「佐川詩人は長年深い愛情をもって韓国詩を日
本に紹介し(略)、悪化の一途をたどっている韓
日関係の中で政治家たちには期待できにくい役割
を詩が果たすことができるということを見せてく
れる存在で、詩が民間外交官の役割まで成し遂げ
ることができることを証明する存在です」とまで
おっしゃり、身に余る光栄だった。
この賞は、第一回目がノーベル文学賞候補にも
挙がったと言われる中国の亡命詩人・北島さんで、
第二回目がフランスの詩人、第三回目がアフリカ
系アメリカ人の女性詩人、第四回目が中国の詩人、
そして第五回目が私と、世界の錚々たる詩人に混
じり、恐縮するばかりだ。
今回は、日本人に賞を授与しようと決めておられ
たとは驚くべきだ。韓日関係が悪い中で、あえて
日本詩人を選んだ主催する(社)詩サラン文化人
協議会、金達鎮文学館、後援の昌原市に深い敬意
を抱いた。冷えた関係を溶かす韓国から贈られた
春風のような配慮と高い知性に、日本の詩人たち
も感銘を受け、次々にお祝いの言葉が届いた。「
詩が民間外交官の役割まで果たす」との期待に責
任を感じ身が引き締まる思いがする。
現代詩は、各国各地の伝統文学の感情や思想、
リズムを踏まえながら、世界的に普遍性を持つポ
エジーを求めるものである。日本で高名になった
韓国近代詩人・尹東柱も民族性とともに抒情と抵
抗が世界に共感を抱かれている。
韓国では詩が格別に高い地位を与えられてきた
歴史がある。高銀詩人は、ノーベル文学賞の候補と
してよく話題になるが、自国の社会的弱者や世界
の小国に寄り添い、地球規模の慈悲と反権力の詩
を書いてきた。僧侶だった過去から東洋思想に造
詣が深く「禅詩」も書き、欧米現代詩と違う個性を
示して来られた。韓国では、詩人が社会的に発言
し行動することが伝統的におこなわれていた。社
会派の詩人ばかりではなく、今回一緒に金達鎮文
学賞を受けた金南祚詩人は抒情詩の先達だが、人
生の色々な味わいを美しく表現し、皆に慕われている。
金南祚さんは日本詩人の新川和江さんと親しく
日韓現代詩交流にも貢献された。長老詩人の金光
林さんも日本詩人の翻訳を先駆的になされた。受
賞に伴い私の韓国語詩集が出版されたが、翻訳家
で詩人の韓成禮さんが寝る間も削って丁寧に訳し
て下さった。いつも翻訳の指導を仰いでいる詩人
の権宅明さんは深い理解の解説を書いて下さった。
私とほぼ同世代の権宅明さんと韓成禮さんは日韓
現代詩交流に献身的に尽力されている。
韓国の授賞式で若い人たちからサインを求めら
れ、詩人が親しまれ尊敬されていることを実感し
た。授賞式の後に昌原市にある慶南大学の厚意で
日本語教育科の学生に講義する機会を与えられ、
私の韓国詩との出会いを話した。学生たちも金素
月や李陸史などを知っていたが、情報化時代のド
ライな本音も出て、楽しく話し合った。
日本では、詩人が発言し行動するという文化が
弱く、リズムや形式を重視し、作品がすべてだと
する傾向が根強い。それも一理あるが、社会批判
を自らタブーにしてしまっては言論の自由さえ守れない。

韓国詩人との交流は、日本の詩人団体、同人誌
では現在も続いているが、中心に戦争体験世代、併
合下の朝鮮で生まれ、学生生活を送った世代がい
たことの意味は大きい。故郷が支配の地だった痛
みを抱いていた人が交流文化を担っていた。また
在日文学者も創作や翻訳で重要な役割を果たして
頂いた。だんだんそうした体験世代が亡くなる中
で新しい時代を築かなければと今回大いに励まさ
れた。
韓国と日本、朝鮮半島と日本が友好を築くこと
はアジアの平和の基礎である。長い文学的伝統と
伝播の歴史がある日韓文学は欧米文学とは異なる
独自の文化を発信する原動力になりうる。今後も
日韓現代詩交流に微力ながら一層の力を尽くして
行きたい。
(「民団新聞」2015年1月1日)




遠い水


       遅いもの 人間の内側の迷路を
人間の経験の汗を
残酷な 滑稽な出来事をめぐり
そのように養われ
ゆっくり ためらいながら つまずきながら歩いて
突然 訪れる 詩
時の声を 響かせても 光はもっと遅く来る
予言であるより悔恨であることで心とつながるように

背骨の線路が 次々に廃線に
地につかない背骨がくずれていく
樹が飛ぶように 鳥が渡るように 花が舞うように
人は歩いた
後ろ足で立って
前にススム 憂鬱な頭を支え
  横浜から新橋まで 汽笛一声
満州鉄道 新幹線 リニア中央新幹線
柩の列車 汚染水タンクをつなぐ列車が
走る 走る
国語を載せて 英語を載せて
  皿を載せて 武器を載せて 性器を載せて

遠い水に憑かれた都市の乾いた舌は
廃屋にたまる汚れた雨水に行き着く
近い人の火を見よ
繋がっていくようで
細切れにミンチのように切れていく
足は橋
タリ タオまで行く橋 タオに流れる水
迷うべき 立ち止るべき 地に座って考えるべき時
時が渦巻いて
金属の薔薇の棘になる今

*タリ=朝鮮語で足、橋。   タオ=老子が説いた大道、超越真理。


「神奈川大学評論」79号掲載









昌原KC国際詩文学賞受賞の言葉
    佐川亜紀


この度は、名誉ある昌原KC国際詩文学賞を賜ることになり、大変光栄に存じます。
過去の錚々たる受賞者を拝見して驚き、私の小さな仕事を過分に評価して頂き、誠に
ありがとうございます。選考委員の先生方、推薦して下さった方に心より御礼申し上
げます。(社)詩サラン文化人協議会と金達鎮文学館、昌原市に深く感謝申し上げます。
大学生のときから韓国詩人、韓国文化に関心を抱き、特に詩について多く学んで来ました。
韓国では詩が愛され、詩人が尊敬され、詩人も身をもって詩を生きている姿に打たれました。
韓国の駅やバス停留所にも金素月や現代詩人の詩が張り出されていたことにびっくりし、
社会問題、歴史問題をも果敢に詩作品のテーマとして取り挙げる意欲に感服しました。
自分でも詩作をするようになり、社会批評性や歴史性は韓国詩の影響による面もあると
思います。しかし、韓国の近代現代詩人は、歴史を超えた普遍的なポエジーや現代人の
苦悩を表現していました。現代詩が固有の言語と文化から生まれながら国際的な共感を
得るものであることを証明していました。私もそのような国際性に少しでも近づけたの
でしたら、とてもうれしいことです。

現代詩は、まさに「現代」と「詩」に引き裂かれたところに成立しています。詩は、人間
をも超え、他の生物、自然、さらに宇宙にも存在しています。自然への畏怖と畏敬は、
2011年の東日本大震災と原発事故を体験した日本では切実なものです。文明観を変化
させるほどの体験でした。また、現代世界は、解決が見えないほど混沌としています。
科学文明や情報化社会の発達は良い面と悪い面が人間の手に収まらないほど肥大化してい
ます。詩の言葉を脅かすほど経済の言葉と記号が氾濫しています。政治社会も流動的で
激しい動きを見せています。しかし、アジアには自然を尊び、自然から詩を感じ、自然の
リズムを聞き取る伝統が受け継がれてきました。科学文明の高速の発達で、自然から生ま
れた言葉が衰退していますが、文明を宇宙の悠久の視点から相対化し、静かな知性と
豊かな感性を取り戻すためにアジアの詩は重要な役割を果たすと信じます。
この度の授賞理由に「政治家たちには期待できない働きを詩人たちができるという見本と
して評価された」「佐川さんは詩が良いだけでなく、日本でも最近代表的な賞を授与され、
また日韓両国の友好のために活動してこられました。その上、韓国の詩を日本に伝えるた
めに長年にわたって尽力してきた」と大きすぎるご評価を頂き、ますます日韓の詩文学交流
に努力するようにという韓国の皆様のご期待をありがたく受け止め、努めて参りたく存じます。

韓国と日本の詩人と詩の交流については、金南祚先生、金光林先生、権宅明先生、韓成禮先生
はじめ多くの先生方が献身的にご尽力されたことに敬服し、日本での翻訳出版、ご紹介に
ご教示頂いた詩人の先生方に厚く御礼申し上げます。
今後とも韓国と日本、世界の詩の発展と交流のために微力ながら精進したく存じます。
本当にありがとうございました。




審査報告 選考委員長 金春美・高麗大学名誉教授


二〇一〇年国際的詩人の発掘と韓国文学の世界
化のために制定された昌原KC国際詩文学賞は、今年で
五回を迎えました。その間、二〇一〇年の第一回受賞者
である中国の抵抗詩人・北島はじめフランス詩人・クロ
ード・ムシャール、アフリカ系アメリカ詩人・トレイシ
ー・スミス、中国詩人・王家新など国際的に名望のある
詩人がこの賞を受賞しました。
今年の昌原KC国際詩文学賞はこの賞の設立趣旨と意
義にふさわしい受賞者として日本詩人の佐川亜紀さんを
選びました。日本現代詩を代表する優れた候補者の中か
ら一人を選ぶのはたいへんでしたが、審査員たちは長い
論議の末、社会派の詩人である佐川亜紀詩人を最終受賞
者として決定しました。
日本で社会派文人とは、良心的で歴史を直視する文人
を指します。佐川詩人は初期から一貫して日本帝国主義
の徴兵、徴用、従軍慰安婦の被害者、差別された在日コ
リアンなどを詩で形象化して、貧困と戦争、災害で呻吟す
るアジアのさまざまな国の被害者たちの苦しみを描き出し
ました。佐川詩人の詩には日本の歴史と東アジア各国につ
いての深い考察と人間を凝視する洞察が投影されていなが
ら、詩語は知的であり繊細で、叙事的で重みがあります。
思索的でヒューマニズム的な表現が魅力的です。

佐川詩人は長年深い愛情をもって韓国詩を日本に紹介し
ながら最近は韓国語を勉強して直接翻訳していますが、佐
川詩人こそ悪化の一途をたどっている韓日関係の中で政治
家たちには期待できにくい役割を詩が果たすことができる
ということを見せてくれる存在で、詩が民間外交官の役割
まで成し遂げうることを証明する存在です。
二〇一二年に発表した詩集『押し花』が第四六回日本
詩人クラブ賞を受賞したとき、詩人は「日本の詩人たち
の間で原発事故を扱うことをタブー視する自己規制が生
じているのに、ヒロシマ、原発、慰安婦問題などを扱う
この詩集が受賞したことは驚くべきことだ」と述べまし
た。「国と国とを/往来する/豆腐のような/やわらか
く滋味ある/言葉と行い」と詩でアジアとの味わい深い
交流を望む詩人の将来に精進と活躍を期待し、韓日はも
ちろん世界詩文学の発展と交流に貢献して下さることを
願わずにはいられません。








蝶/ナビ


無数の蝶でできた
空のステンドグラス
鱗粉の文字がこぼれる
花粉の記号で受信する
羽の本 ホン ホン ホン
読まれないことで霊魂を深める本
人は蝶に変態して完成する
いくつもいくつも ばらまかれた頁
閉じられた頁の羽
分厚い本より多く書かれた
人間が解けない文字
億兆の複眼に見つめられる
花の美しさを吸い上げた
しびれる苦さが 毒が 飛翔を支える
軽やかに舞い渡る羽から始まる蝶の航跡
行くパトス 帰るノスタルジーの交錯 
胡蝶の夢
ナビがラビか ラビがナビか
世界のラビリンスが極まり
ジハード ジェノサイドが広がっていく
行路のナビゲーションは迷走中
蝶の羽に異様なものが溜まる風の矢
満鉄がいまだに脳髄の中を走る
海峡を渡るナビ
海峡を侵す蝶
クリミアのタタール人
一炊の夢のようだが 確かに白骨はある
炊事の跡 もがれた触角がある
二つの顔を合わせる
軍の航跡は傷跡
世界の痛点にぶつかって
紙幣の羽が散らばる
世界の重すぎる軽さのように
散った羽の積み重なりが喉を詰まらせる
戦死した伯父さんの体にとりついた卵は
南島で幼虫がわいて
全身から無数の青い蝶が飛び立ったのだろうか


※朝鮮語で「ナビ」は蝶、「ホン」は霊魂を意味する。

*「はだしの街」(田中国男発行)50号記念号掲載





言葉の源


言葉の源は古代の河の一滴
ローマの風呂場のひとすくい
都市の排水溝からあふれる感情
さざめく花々への如雨露
サハラ砂漠のオアシス
海峡を渡ってきた舟
珊瑚礁の歌声
家に響く雨漏り

言葉の源を
私たちは
分かっていない

威勢のいい言葉が
みみっちい自分の利益から発せられたり

汚い言葉を他者に投げつけて
自分の顔を汚す

宇宙の他の星から送られる言葉は
宇宙にまで兵器の記号をまき散らす
地球の私たちの卑小さと
生命の貴重さを
思い知らせる





魚をみごもった日


魚をみごもった日
小さな胸びれのかすかな動きが
私の細胞の海面を波立たせ
億年の時が回遊する
名づけられる前の海が目のなかにせり上がる
歩かないで心をじかに地につけて這いめぐる
私自身がだんだん魚に還っていく
手足を失い
夜が一枚一枚うろこになるのだ
街中を泳いで
ひらめの目の信号に止まり
しまいに深海魚のように
目を皮膚の中に沈め
闇を見るために全身で感じたい
自ら発光し 他者の発光に驚きたいが
私の海には深さも欠けてきた

二匹の魚は
海中に漂う骨を食べて生きていく
崖から身をなげた島の女たちの乳房を吸い
洞窟で殺された赤ん坊のやわらかい唇が貝の身になり
サンゴの壊される家に住んでいる魂たち
骨と魂を食べてしか生きていけないので
海底油田のように
悲しみがたまって
それもまたたくまに消えてしまう

魚も人間もみごもれなくなったので
いらだつ気分と古い血が固まっていくと
妙に重い弾のようなものが胎のなかに生じる
ずっしり尖り輝くものにうっとりする
日に日にリトルボーイに似て成長する
高ぶる気持ちでいっぱいになる
もう少しで腹を突き破る秒針の響きがする
(「交野が原」77号掲載)




溶ける八月


川の包帯が幾重に死者を巻き取っても
崩れた背中は生者の明日とくっついたように血は滴り止まない
赤い川に押しつぶされた涙が流れて行く
溶けていく八月
八月の腕 八月の足 八月の唇 
死者の記憶を喰って生き延びる 生き延びられるのか

八月の光を氷にするために 自分をみつめる目を持ちたいと願った
世界の砕けた光を 眼球の水晶体にするために

だが 砲弾の響きはすでに舌の先にある
ひび割れた水差し 
破壊された学校 死んだ赤ん坊
悪夢で満たされるティーカップ
腐肉と偽物のサンドイッチ
真冬であり 炎熱であった あの八月の記憶を 
蒸発させるとき
私達の影も消える 
厚さを持たない皮として むごい文字を地球に刻むだろう




積みわら

クロード・モネは
ありふれた畑の積みわらを
照らす光に従って二五点の絵に描き分けた
時刻や天候や季節により
刻々と異なる美しさに染め上げられていく
黄色にも 赤茶にも 白にも 緑にも
紫にも 青にも 
それぞれ一つの美になり
新しい色彩の世界を創り出す積みわらの風景
モネの繊細な眼はさまざまな光を発見したのだ 

モネの画集と自分の絵を遺して
フィリピンで戦死した画学生だった伯父さん
内面のわらを
どんな色に染めて戦地に発ったのか
若者の心は燃え立ちやすい
骨も帰ってこなかったのに
行けと命じた人たちは寿命をまっとうしたのに
フィリピンの畑を
どんな色に染めてしまったのか

そして 今 息子に 若者たちに
  火が放たれようとする
積みわらにセシウムが染みた日本で

伯父さんは社にはいない
自分の家に遺した絵の中の
光の一粒になったのだ
わらのように弱い人間の持つ知性の光に
後の世代と
時代を照らす光の一粒に

(「詩人会議」8月号掲載)






水無月


水無月の歌を求めて
灰色の涙が 遺骸を焼く煙の無数の筋に記した歌を
ひらがなが降りていく井戸の水面に写し取り
歌を変えるために 歌をうたがう
アジアの死者はまだ掘り起こされていない
自分の言葉を探した
蛹の中で
古い筋肉を溶かしたはずなのに
空虚さが細胞分裂し
テクノロジーの生殖ばかりが高速で進み
羽化できない言葉
地球の傷をめぐって
国を越えて
宇宙の黒板にさまざまな問いを考え
流星のように並べるはずの言葉がかすれて
天空にさえ兵器がばらまかれ
銀河の中心に沿う射手座もかすみ
地球のごくわずかな震えに命がつながり
南半球の波が足に響く生存
不穏な狂金の炎を鎮める地の人々の汗
血が流れる山岳に断食月が続く
水没する抒情の島々
水無月と水張月の二重に引き裂かれる季節に
言葉はあらゆる言語の瓦礫の中を
どのようにたどろうというのか

(「千年紀文学」2014年4月30日 106号掲載)








神の杖


オフィスにいてプログラミングすると
1万キロメートル以上離れた建物に潜んでいた
ゲリラ3人と子供は
無人機からの爆撃を受けて
死んだ
貧民街の路地を自爆テロ兵士を求めて飛ぶ
情報収集用の人造スズメバチ兵器
人造蚊兵器の猛毒が少女の腕に刺さった
歩き始めた赤ん坊が踏んだのは
地雷だらけの野原
温かい春の風はすでに原子に汚染されていた
海を原子力潜水艦が切り裂く

ロボットにはもう人間はいらない
奴隷人間に死体処理をさせる
高額の再生医療で生き続ける極少数の超富裕支配層は
死なずに
軍需産業の株価を見ている
武器輸出に踏み切った島国は
もはや人影もまばらで
核兵器 ロボット兵器の実験場と化した

天を見上げると
宇宙から
神の杖が振り下ろされる
ブラックホールを生み出した杖が
地球上のあらゆる所に
人間にもロボットにも
振り下ろされる
壊れたプログラムのままに


※神の杖 宇宙のプラットホームから金属棒を地球に落下させる仕組みの
アメリカが開発していると言われる宇宙兵器のこと。

◇敗戦後、日本が守ってきた平和原則が今、またたくまに破られています。
武器輸出三原則の武器禁輸も簡単に解禁になりました。死の商人となるのは
死を買う立場にもなることです。産業として死がばらまかれる恐るべき時代が
地球上に広まっています。なんとか日本を武器禁輸に戻さなければなりません。






不在の人


私達は待っていた
彼女/彼は来ることができないと
彼女/彼の土地を支配する言語が告げた
海の言語で輪唱のような叫びがあがった

彼女/彼の目はつぶされ 歯は折られ 口は焼かれた
指から枝が生え 背から灰がこぼれ 足は根となった
私の目の風景が欠け 私の手は火薬と血の匂いがした

彼女/彼を呼べるのは
土地の言語か 私達の言語は鉄格子なのか
私達の言語は身体なのか
それらを超えた言語を待っているのか
ホールのなかで互いをののしる言葉
無数の鳥がお互いを突っついている
無数の夜がはがれた爪で線画を描いている
崩れ落ちた塔の破片はしゃべり続ける
そして 沈黙のねばねばした膜におおわれる

彼女/彼は水を撒く人だった
陽にはじける音の球体を
唇に母音を生んだ いっぱいの母音を
首切られた母音を

私達は
待つという
澄んだ空虚さえ
生命への礼さえ 忘れた

私達は待っていた
打ち砕かれるのを 自らに還るのを
来ることを禁じられた言葉を待っていた
凶事のように 光のように

(「交野が原」76号掲載)




春の籠


春の胸骨は
失われた心臓を鳥籠のようにかかえたまま
おびただしくむしられた羽に似た雪が舞う
大雪を喉に詰め込まれたような息苦しさ

飢えて死んだ 馬や豚の毛
鳥のペンで書くべき言葉
悔いは肩まで濡らしたのに
たちまちしらじらと乾いて
何も発しないもどかしい繰り返し

放置された家々 仮でしかない住居は根雪より深く
日本のどこも汚れた水が染みとおり
幻のひとつの口に雪崩れうち

人間の炎熱に焼き払われた枯野で
ひれふして
さらに弱い足を踏む
ひがめ よわりめ
ほんとうの因は探さない
囮だけが増え続ける街で
収容所で 壕で 
殺された少女の瞳は今も大きい
その瞳に映るのは
どんなしきしまのやまとか





蜜の家


黄金色の六角柱の家に
人間が閉じ込められている
見ない 聞かない 言わない
感じない 考えない 書かない
ねっとり蜜はからみつき
甘い汁を吸いすぎて
吸えなくて 骨が溶け 息もできなくなり
死骸はどんどんたまるが
白い壁に隠されていくばかり

はなびら一枚にも生きる信号が
星図のようにひろがっている
水に 風に 虫に 動物に
結ばれて人は生きる
生き物の不思議が
尽きない話のしたたりのように詰まる蜜
世界を塗り替えるニスが筆にふくまれる
どこまで扉を開けても無限にある命の扉
生き続けるために 散らばり
多様であるよう定められ
虫との対話で花のあでやかな色と形が創られ
さまざまな結びつきを求めて
共生のためにあふれる蜜

詩にも秘密がある
いくつも衣を脱いだ果ての裸身のような
未知の水源からはるかな川音を聞くような
秘密の胎芽から生まれて
  この世の不思議を探りにいく
次々に窓を ページのふたを開ければ
香りが流れ出て 万人に伝わりたいと望む

秘密は命のもの
国家や戦争のためのものではない

(「いのちの籠」26号掲載)





約束


星の長い小指と
約束しました
地球が生きていけるように
地球で生きていけるように
闇の黒い紙に書きました
シジュウカラの羽で
馬のひずめで
牛の乳で
草の汁で
人の言葉で
日本語で
さまざまな言語で

放射性物質の針千本が突き刺さる
人に
山にも 海にも 子供にも
約束を破った大人
生命の約束を
国の約束を
これ以上 破ってはなりません
その言葉は
もっと遠くから来たのです
もっと広く集めたのです
ずっと昔から渡されたのです
ずっと未来から届いたのです
私達の中から生れたのです
私達の祈りを記したのです
平和への願いを
消してはなりません
アジアの地にたくさんの指の骨が
見つからないまま埋まっています


(「詩人会議}2014年1月号掲載)




鳥の木


鳥たちが燃えている
いっせいに
黒く骨になった大木を守ってきたのは
無数の鳥
あの木には ほんとうは
ついに葉が生えなかったのだ
緑の鳥たちが
世界の無数の傷ついた鳥たちが
あの骨の木の言葉と共鳴し さえずり
ひとつひとつの葉は
ひとつひとつの羽でなりたち
あの滅んだ木を守り続けていたのに
いま 鳥たちが燃えている
言葉の羽が燃えている
自由の羽が切られていく
文字をついばむくちばしがねじ曲がり
目が堅くとじられ
風切羽はばらばらに抜け落ちる
風が腐乱し失墜の温みの中で漂う
墜落を上昇と感じる倒錯
飛翔できない空が落ちてきて襲う
渡来したカササギの光跡は消され
海に飛ぶミサゴを脅かすV‐22

鳥たちも幻にすぎなかったのか
死者の虹彩が描いた
黒い卵が生んだ鳥たちは
鳥は廃墟を巣にした


鳥たちが青い炎になって燃え
空に消え
あの木がむごくただれた枝だけに
なるのが 見えるだろう

(「いのちの籠」第25号掲載)

※「いのちの籠」は戦争に反対し、憲法9条を守る詩の雑誌です。
年3回発行、年会費2000円。参加希望の方は、
甲田四郎さん 〒143−0016 大田区大森北1−23−11 
TEL03・3761・8454にご連絡を。










音の駅


ひびわれたまま
ひびき合わない
片身 形見 片隅
おずおずと
音の出会い方を探す
月の糸は排水管を通らず
火の舌は株価の折れ線を舐め
水は封印された手紙を破り
木はばちとなって肋骨を叩き
金の破れ網がきつく絡み
土は痛んで削られる
人が降ってきて落葉にたまる
不通の線路の鉄琴
ゆがんだ電線のハープ
欠片は音をたてる
音が帰る駅に
ひとつひとつ指を当てる
沈黙の全身を求めて
われて
こなごなになる
かなしみ
くずれて
ずれてゆく
くるしみ
ずれを肉に受ける
片身しかない私
ひびわれた私から
出て行くのは
古びたさびしいもののふたちか
もの言う口を閉じられたもののふたちか
それとも 探し続けるもの
片身を 形見を 片隅を
探し続けるものか
出会い方を探し続けるものか


(詩誌「PO」150号掲載)








夢の浮橋


流星のようにもろい橋を渡る
足に何かの腹がふれる
これ以上やさしくなれないほど水を含んだ体の上を
悪い夢のように膨らんだおびただしい言葉の上を
ずるりとすべってたちまち底に落ちて行く
私も踏まれて 背骨の上を歩き疲れた人々の
重さが きれぎれの暗号のように響く
私は橋になったので 疲れた響きを伝えるだけ 
誰かが夢見た螺旋の橋の端に過ぎないが
一匹の浮き袋の重さが心臓に降りて
指がうろこの須磨帆を次々に変え
貝の足先がエレベーターにはさまって
予想外のことは無い
船も車も軍艦もミサゴも詐欺も
きゃりーもふもふ あふれ あふれ
電子書籍で栄えある
光源氏 五十四帖
光原発 五十四基
光原発の方が日本発で有名になるのは
あな かなし 
をかし 可笑し 可怒し 可哀し 
可金 可数がすべてって 何の?
ヘッジファンドの?
帝に召し上げられた女御 
帝国に奪われた御地
やわらかい死者を並べて 
ガジュマルを船底に組んで
キジムナーを溺死させ
金箔のノアの箱舟を浮かべ
もはや乗る者もなく 行き先もなく 漂う
春の夜の夢の浮橋とだえして
始まりも終わりも塵であるような
不義の橋 憂き橋


(「交野が原」75 掲載)













言葉に立ち止まる


名も知らない葉の指先から
大地の首へ 乳の下を流れる水
流れることの歓びを川は頬に受けるが
川の中にうずくまっているもの
形にならない音がある
変わって来た川の名を記す緑の辞書
水草や堆積した土砂
交じり合う魚の無数の窓

風のように吹く夢は心躍るが
その勇ましさは
だれのためか

蜜のように甘い香りに酔うが
その果実は
どこに行くのか

小さな芽か牙のように
大地から 液晶画面から
頭を出したものを
よく見る

言葉の羽根につけられる鎖や牢獄
古い関所がまた設けられ
高速で目をくらますシステム
金粉にまみれたイメージを
発信しないと取り残されるのか
一人でも 自分の場所に立ち止まる
君の足こそ長針なのだ

言葉は光から生まれ 光に還るが
人間の歴史と肉体を通って
顔と影を持つ


「詩人会議」2013年8月号掲載





危うい日本の言論と新しい息吹
佐川亜紀

日本は今、危険な幻想に覆われようとして いる。憲法を改悪しようとする
政治家が多数 を占め、平和主義の破壊、歴史の歪曲、排外主義の増長、
人権軽視が公然と進んでいる。
日本は経済的に存在感が低下しているが、 問題は国境を超えて這いずり
回る金融資本主 義・新帝国主義にある。巨大資本は利益を貪 り、人間を
使い捨てている。資本はとっくに 国家に忠誠など誓っていないのに偏狭な
国家 主義を唱えるのはまやかしでしかない。

人種差別的ヘイトスピーチは世界的に見て 日本の知性を疑わせる。元
「従軍慰安婦」の 方々に対する日本の政治家の発言が世界各国 から
非難を浴びたが、女性差別への鈍感さと 品位の無さに恥かしくなる。
しかも、それが 保守政治家の大半の考え方だというのは情け ない。
数年前まで、多文化多民族共生を謳い、交 流事業も行われていたのに、
朝鮮学校を授業 料無償化から排除し、補助金も出さなくなる
急変ぶりは危機的状態だ。
二一世紀はアジアの世紀であり、過去の歴 史を反省し、友好を築き、
朝鮮半島の平和と 統一に寄与するよう努めるのが私達のき延びる
道だと思う。アジアに戦争が起これば、人々が死ぬ。ゲームやアニメではない。
現に アフガニスタンではアフガニスタンの兵士と 一般市民、
アメリカの兵士が死んでいる。そ の負担を日本に押し付けるより
戦争をやめる べきだ。沖縄の自然と人々は基地で荒らされ 続けている。
世界は流動化し既成観念では捉えられない さまざまな関係も
生じているのに、未来を創 造できずに復古的な論調にとらわれていては
文化的にも陥没するばかりである。
日本の現代詩においては原発事故でさえ書 くのがタブーのような
自己規制が生じている。 日本と朝鮮の歴史、アジア、沖縄での戦争を
書く詩人はだんだん少なくなっている。重要な詩業を続けてきた石川逸子さんや
高良留美 子さん等がいるが、詩人たちが高齢化し、死 去されている。
そのような中で私が昨年出版した詩集『押 し花』(土曜美術社出版販売)が
第四六回日 本詩人クラブ賞を受けたのは稀有のことだっ た。
ヒロシマや原発事故、河津聖恵さんが呼 びかけた『朝鮮学校無償化除外反対
アンソロ ジー』に応じた作品も収めている。韓国の「 従軍慰安婦」の方々が
日本政府抗議の水曜集 会を東日本大震災のとき犠牲者への
祈祷会に 変えて下さったことに感銘した「花は時の手 のひらを開く」は
次のような作品である。

「花の柔らかい体には/時の闇と光が刻まれ ている/首を長くして/
なつかしい方を望 む//花の足を通った泥の流れ/
夜の皮膚 を何枚もはがし/朝の海をかき乱し/青い 乳が流れる/
爪を染めた鳳仙花の花びらは /異国の土地まで連れ去られ/
初雪は軍靴に踏まれた//花は時の手のひらを開こう とする/
手にこびりついた血の臭い/日本 の私たちの罪が/
赤い水時計の中で落ち続 ける/解けない時は/
氷のように固いまま だが/日本の震災犠牲者に捧げた祈りは/
空に高く広がる//光の方を向くもの/光 に包まれるべきもの/
その苦しみの言葉は /魂の新生の羽を運ぶ」

この詩集について、中村純さんが「詩と思 想」六月号で
「埋もれた花の傷口から流れる ことば」と題した書評を執筆して下さった。
中村純さんは一九七〇年生まれで、祖父は朝 鮮を母国とする人だ。
そのため戸籍の祖父の 欄が空欄だったという体験を「戸籍の空欄」 という詩にした。
人間が「ニッポンや戸籍な んかに 定義できない/ただの伸びやかない のち」
となることを望んでいる。原発事故後 は子供さんと京都に避難し、
「原発事故子ど も被災者支援法」の具現化と子どもの検診を 求める活動を
している。朝鮮につながりつつ 新しい命のあり方を考え続ける若く優れた詩 人の
活躍に期待したい。

「朝鮮新報」2013年7月24日掲載





種の文字


凍てついた夜
抱き合って眠る二人の子供が種の中にいる
壕の中で焼かれた心臓の形の種たち
畑に吹雪き続ける農民の骨片
海の異界を広げる軍艦の漂流
裏返しの昼と夜を体に刻んで
アンモナイトの星雲も飲み込んで
一粒ずつにこめようとした思いは
生命と人工の二つの太陽に
引き裂かれ
双葉の芽生え
ただれた皮膚に
まかれた願いは
灰と死に育てられ
夢は地球の言葉のはず
リフレインからずれる
個のリズムを シード ッシ シード ッシ
沈黙がはじける種 シュッシュッシュッ
いびつな循環システムを見抜く芽
誰もいない虚空にたまる養分
争わされる根と根
金色のクラウドに吸い込まれる世界
リフレインからずれる
うたからずれる ずらかるうらへ
うたがう個のリズムを
岩に刻まれた楔形文字のハムラビ法典
竹簡に書かれた歴史と租税と恋慕と兵法と
和紙に書かれたのは確かな祈りか
今 問われている
混ざり合う文字の祝祭
表意と表音と直線と曲線の生殖で
書かれた平和への約束
信じるという日本語が 今 
消されようとしている

※シード=英語で種  ッシ=朝鮮語で種
(いのちの籠 24号掲載)





詩と時代 (東京新聞6月4日夕刊)


日本で時代と関わる詩が 評価されることは少ない。 社会派の先達詩人を顕彰する賞は
いくつかあるが、リ アリズムの叙事詩は戦争体 験者の死去とともに減少している。
さらに、アジアへ の加害を書いた詩はまれで、 作品化し続けている詩人の
石川逸子さんは東南アジア については資料の発掘から して難しいと語っていた。
石川さんは最近、詩集『た った一度の物語 アジア・ 太平洋戦争幻視片』(花神 社)を
出版された。戦後の歴史認識が定まっていない のも客観的な叙事詩より
主観的な抒情詩を好む日本人 の気質が一因とも考えられ る。
東日本大震災と原発事 故についての作品も直後は あふれていたが、
消えてい くのを心配する。記憶と核心的問題を深めずに、経済に引き回されるのは悲しい。

もちろん、社会的な作品 にも考えなければならない 所がある。
事実がなまで個 性的に加工していず、芸術 性がおろそかになる点は自省したい。

そのような中で、昨年出 版した私の詩集『押し花』 (土曜美術社出版販売)が
第四六回日本詩人クラブ賞 を受けたのは、望外の出来 事だった。
過去の日本詩人 クラブ賞には原子修詩集『 未来からの銃声』、河邨文 一郎詩集『シベリア』など
題名からも分かるように叙 事性、社会性に富んだ詩集 が入っているが、抒情詩集 も多い。
今回、同時受賞し た岡野絵里子詩集『陽の仕 事』(思潮社)はキリスト 者として
神の恩寵を感受す る形而上的作品だ。

私の詩集の表題詩「押し 花」は原爆を表現した作家で 詩人の原民喜の詩句
<崩 れ墜つ 天地のまなか/一 輪の花の幻>を踏まえている。
この中に出てくる花が歴史のページに貼り付いていると想像したことから生まれた。
民喜の詩句も忘れられているのではないか、 という危機感が強かった。

詩句<押し花は/重しと押 し返す花の緊張に新しく咲 く>は、忘却の圧力に対し て
押し潰された花が新しい 意味で蘇ってほしいという 思いをこめた。

私は、韓国 詩の紹介にも努めているが、 アジアとの味わい深い交流 を願う
詩「豆腐往来」も共 感を呼んだ。「病気の喉に も通りがいい/病んだ世界 に欲しいのは
/国と国とを /往来する/豆腐のような /やわらかく滋味ある/言 葉と行い」

沖縄が主題の 「サンゴ」も石垣市の詩人 ・ 八重洋一郎さんが注目し て下さった。
韓国の元・従 軍慰安婦の方々について書 いた詩「花は時の手のひら を開く」。
詩人の河津聖恵 さんが呼びかけた「朝鮮学 校無償化除外反対アンソロ ジー」に
参加した作品「こ こで 生きる者たち」など がある。
大震災と原発事故 についての詩も七編収めた。
ほかに、宇宙に視野を広げ た作品等、多様さ、普遍性 を心がけたが、
全体的に時 代と関わり、政治的でもあ る。

ところで、評価以前に、 こうした社会的な詩を書く 上で、脅威を感じる事態が
進行している。自民党の「憲 法改正草案」にある第二十 一条「表現の自由」に
付い た「公益及び公の秩序を害 することを目的とした活動」 は「認められない」とは、
詩人にとって見過ごすこと ができない文言だ。
戦争中 に「公益及び公の秩序」の ために自らの様式を捨てて
おびただしい戦争協力詩を 詩人たちは書いた。
個人の 自由な表現を認めなければ 新しい芸術は生まれない。
批判精神がなければ国際的 に通用しないだろう。
今回、日本詩人クラブ詩 界賞を受賞した中野敏男著
『詩歌と戦争 白秋と民衆、 総力戦への「道」』(NH Kブックス)もまた、
現在 への警鐘であると思う。









額とは代々 地にすりつけるものだ すりつけた地の狭 い
領域 うつむいた顔の下に 足がもげて大きく傾いた 
無人の円卓があるところ 守るべきところももはや荒れ
果てたのに 地にひたすらすりつけて 巨大な米粒のご
とき顔のものをあおぎ見る またその顔のものはさらに
大きな風船のごときものを見る すりつけることを隠匿
する視角の固有さ しかも すりつけている地は 地で
はなく先程埋めた人間の背なのだ

額とは秘めた一枚の絵を収めるところ 共に育った木 
しろつめくさの冠 青い川 雪の舞う浜辺 壊れた家屋
沖に浮かぶ顔 自分の窪んだ黄色い顔 ばら色の傷跡
鼻の欠けた廃墟 目がこぼれた焼け跡 耳を落とした洪
水 その大事な絵を粉々にするまで 地にすりつけるの
が代々の習いだった

額とは空を見上げるものだった まぶしい光に射される
ものだった 日照りと飢饉の 暴風と破壊の兆を見よう
とも 鏡のように他者の悪意を感じようとも 自分の目
で確かめ 自分の耳で聞くため 額を窓のように開くも
のだった

額とは代々 地にすりつけるものだった すりつけると
いう動作がもはや骨格に据えられている すりつけるも
のを指して笑うものが もっと額から血を流してすりつ
けている わずかな甘い匂いに惑う蟻喰い 逃げる蟻の
額ほどしかないみじめな額 宙と同じきまぐれの広さを
持ち 偽りの神話にぬかずくことと顔を上げることの人
形のように笑うべき動作 青ざめる厳しい所作 白い幻
の上にひたすら額をすりつけるのだった 


(「交野が原」74号掲載)





ルージュ


水没した町で黒い泥のなかから 黒い箱
思いがけなく なまなましくきらめくものが
たくさん ローズピンク オレンジアミューズ
レッドセダクション クリスタルベージュ
まだ生きている肉片みたいに
まだ生きているみたいに
埋められたまま 忘れられたように

ぷっくりした唇 薄い唇
薄く空いた口に 死がうずくまる
なだらかな山型の上唇 湖の淵 欠けた月
ギュッと結んだり 曲げたり 尖らせたり
0の形になったり 笑みを浮かべたり
黒い波にどんな唇で出会ったのか
家族の名を繰り返し
助けを求め
避難を呼びかけ続け
別れの万歳を叫んだ 
死んだ女たちにルージュを塗りたい
ラメが元素のようにきらきら

紀元前に口から悪魔が入るのを防ぐため
赤色を顔面に塗ったとか
現代は悪魔も欲望も解放も表現も
混ざり合って くるくる 
空を指す小指が出てくる

死んだ女たちの言葉を聞きたい
ルージュが禁止された時代の女たちの声が
聞きたい
東北の浜辺から紅をさして売られた女たちの声が
聞きたい

死んだ女たちにルージュを塗りたい







福寿草・アドニス


花が絶えた季節に
小さな灯をつける
始まりはいつも寒い この国では
アムール川のという学名の一部に
凍結した大河の果てしない白がある
春を待つ心が世界の地面から立ち昇る
今は和名がいっそう願いの色を濃くする
寒さのなかで地面すれすれに低く
小さな自分を開くことの
厳しさが増す

ふくじゅのやわらかさでいるために
どんな意志がひそんでいるのか

雪崩にも生き延びるには
どんなしたたかさがこめられているのか

学名の一部 アドニスと同じ名の
シリアの詩人は問う
「なぜ人間は
単なる踏み台や道具でしかなかったのか」
日本で偽りの力強さや
華々しさが叫ばれるときに
自分の本来の姿を
太陽に温められて
世界に開いていく地の花を
私たちはたくさんの福寿草を
枯らしてしまったのではないか
それとも福寿草が人間を拒むのか
東北の無人の地に咲く福寿草



※福寿草の学名…Adonis amurensis
Adonis … フクジュソウ属
amurensis …「アムール川(黒竜河)流域の」 の意味
※詩人アドニスの言葉…2011年7月16日
アル・ハヤート紙の訳文からの引用







青い馬


青い夜に祖母がうなる声がする 馬を産むのだ 馬は足
が折れたら死んでしまう 薄い腹膜が帆のように盛り上
がる すぐにでも立つことをしなければ死の手につぶさ
れる 雪原を走る群れの地鳴りが響き 腹の中にはいつ
も幻の国がある そこで死ぬために生まれた馬の黒い目
が濡れている はじめに探すのは生の灯である乳首なの
に 何頭もの馬が雪の下に埋まっている 馬の骨の形に
くぼむ 黒い土の中の白い文字 フリーズした画面 人
ではなく馬を産むようになった時の記憶 どこまでも駆
けて折れた足 幻ゆえに鬣のように光る土地

亡くなった母は私の妹か弟を堕胎した そのときの老医
師は満州で軍医だった 夫への憤りと異国で戦死した兄
への思慕を 痛みしか産まない破水のように 私にぶち
まけるので 私は早く立たなければ 足が折れてしまう
まえに もがく

私は青い炎を孕んでしまった そのまた私も青い炎を孕
んでしまった ひっかき傷だらけの青い空を孕んでしま
った そのまた私も透明な闇の青い海を孕んでしまった
笑っていなければ遠ざけられてしまうから 青い炎にう
なされる夜があっても 海の子に見つめられても 微笑
まなければ 私は人間をうみたい 私は馬をうみたい


「千年紀文学」101号(2013年1月31日号)掲載





コピ


耳に雪の結晶のような音楽が降りかかる
まだ 肉があるか  言葉があるように
体の中にいくつもの釣り針を呑みこみ
内なる海から声を引き上げる
吊り上げられる女
釣り上げられる男
島風が人を洗う
コピ
コーピ
あんたの発音は「鼻血」を注文する
陰の音の方だよ 月だよ 「コーヒー」は
coffee
ボストン茶会事件だろ
葉の帝国から 豆の帝国へ
葉豆帝国のまめまめしい茶番
お湯をつぎ油を注がれる侘茶
ティーパーティーは日本でも拡大中
鼻血は太陽の音だよ
ケチャップ・チャーリーでオムレツに丸を
海原も 聖杯も血で満ちる
複写にならず音がじれてる
神の似姿を追ってモンスターをでっち上げる
愚か者ども
細胞のコピーは輪廻のこと? ゴビ砂漠のこと?
昔のシナリオをコピーするな
珈琲 呵呵大笑 
音じゃなく意味で移しなさいよ 
明治以来 そうじゃない
意味は 是。不是。
宇宙を翻訳しているのよ
月と太陽
音で? 意味で?
数字も意味よ 純粋なのは音よ
音だって意味から逃亡できないよ コーピ
意味は欲望だから
地球の音はイルカの鳴き声みたいだって
ガフー ヌチガフー
呑み込んだ釣り針をずるずる引き出す
音の肉片が星座みたいに連なって出てくる
人や土地の肉片が
まだ動いている いや指は消えた
空白が一番引っかかりやすいね
偽餌が
群がる 泡ばかり吸い込む
激しく腐乱している
魚の内臓 人の足
鼻の中に草がはびこる
耳からセイタカアワダチソウが伸びる
頭を破って音が貫通する


* 釣り針 キム・ギドク監督「 (ソム・島)」(邦題「魚と寝る女」)から
* コピ 朝鮮語で「鼻血」または「コピー」のこと (この「コ」は陽母音)
* コーピ 朝鮮語で「コーヒー」のこと (この「コ」は陰母音)
* ケチャプ・チャーリー 鼻からケチャップが出るアメリカ製顔型キャップの名
* 是。不是。 中国語の「はい。いいえ。」
* ヌチガフー 「命果報」命が長らえる幸運という意味の沖縄の言葉

※詩と批評誌「ミてMi’Te」第121号 2012年冬号掲載
「コピ」と「コーピ」は掲載誌ではハングルも出して頂きました。
この画面では出ないのでカタカナだけにしてあります。  





温かさをください
(福島の「わんニャンを応援する詩」に参加した作品)


さくら色の耳 梅の肉球
わすれないで ずっと
黒ビロードの背 オレンジのお尻
おもいだして いまも
雲のおなか 綿のしっぽ
知ってほしい どうか
ここにいるよ 人がいない町に
おなかぺったんこ
飲むのは放射能汚染の水
毛も草のようにぼうぼう
とっても寒いよ
温かくなでてくれた手が恋しいな
温かさをください
もう別れさせないで
原発で別れさせないで



※「横浜わんニャン会」は福島の放射能危険区域に
取り残された犬・猫達を救援するための会です。
福島の写真と詩の展示をして募金を集め、情報を発信しています。







逆さまの夢


心は子宮のように膨らむはず
生み出すために
子宮は宇宙だから 
どんな土地より広いはず
あらゆるものを住まわせる
卵を担いでバタフライするミジンコ
カピバラの木の葉にこすりつける愛
土星の輪をキリコの少女のように回す
北北東からのスープの香り 
南南西からの媚薬

行ったことのない町も思い描く
聞いたことのない歌も奏で出す
ほんとうに生み出すべきものを
忘れてしまった私たちに
未来が腹を蹴って問う
逆さまの夢
前世代の骨組みを揺るがす
未来の重さ
毒を含む異議申し立て
自らが裏返るほど吐けと言うように

地は子宮
どこに着床すればよいのか
汚染された大地をさすらい続ける卵の群れ

島は子宮
無数の命の言葉が泳ぎ出す
多彩な文化の交差点は甦るか

傷つけられた子宮
辱められた心
鳥と魚と人を蹴散らして
軍用機と軍艦と軍人が押し寄せる
生まれ出るために
逆さまの夢を 見なければならない


「詩人会議」1月号所載





時代のへそ


あなた ずれているって
どこが時代のへそなのか
次の時代につながる臍帯は
電気コードなのか
逆回しに引きずられる紐か

暮らしの真ん中も縮んできて
かざりがはげ落ちて
変わんなきゃならなくて
守るべき中心はどこ
コンセントや
コインや
ロイヤルが中心では
不吉な渦が再び現れ
多色の言葉が飲み込まれる

記憶のへそはどこか
記憶が希望を生む言葉は何か
その深い胎を探して

宇宙のへそはどこ
あなたのへそかも
渦巻き星雲のような

私たちが思っている中心は
仮の場所 
常に白紙に還る点
暮らしの中心は作られ
暮らしの中心は作るもの

生まれ出るところがへそ
何かが切られて 
歩き出す起点がへそ


(「いのちの籠」掲載)






稲妻


空のひらめき
輝く神の屈折した暗喩に打たれ
雹が透明な啓示のように降ってくる
時代の電位差を
内と外の温度差を知らず
廃れた夢を見続けるふがいなさに
氷のつぶてが 突然 
ばらばらと ばかものばかものと
我が身に降りかかり 逃げても 
くまなく降りかかり

ぽんげが
時空をこえて光る傷口を闇にあらわし
ぱぼぱぼぱぼ

羊たちを逃してしまった牧羊神のように
魚たちを死なせてしまった半魚人のように
原子たちを暴走させたサイボーグのように
私たちの半身と半身はねじれて
からみあう欲望と理性の
おろかしい人工と自然の
不出来な組み合わせが身を裂き癒着し
いっきにふがいなさが割れ出て

空のひび 川のひび 卵のひび
不穏な人工原子のひろがりで
作付けできない田の上
稲の精の声はむなしく呼びかける


※ぽんげ…韓国語で「稲妻」の意味 ぱぼ…韓国語で「ばか」の意味

「交野が原」73号所収







魚の瞳に映っている人の姿
人は木に支えられている  
心には鳥が止まる枝がある
六〇兆の細胞の窓は 
六〇兆の人と生きものに開かれている
(閉じられた窓の中で遊ぶ子供がいる)
土には数億ページもの物語が積み重なり
明日もつづられて行く 不吉な記号とともに
人の殻を抜け出して地に近くなるもの
水は新しい人の形になろうとする

(「山梨日日新聞」8月27日掲載)




中心


あなた ずれているって
どこが時代のへそなのか
次の時代につながるべき臍帯は
電気コードなのか
逆回しに引きづられる紐か

くらしの真ん中も縮んできて
かざりが取れて行って
変わんなきゃならなくて
守るべき中心はどこ

宇宙のおへそはどこ
あなたのおへそかも

私たちが思っている中心は
仮の場所 仮のゼロにすぎない
暮らしの中心は作られ
暮らしの中心は作るもの

生まれ出るところがへそ
何かが切られて 歩き出すところ



空の木


私たちは空に木を植えようと思った
赤黒く焼け果てた空に
きのこ雲が湧く白い空に
見えない木を植えようと思った
芽吹かないと言われた空に
明日の木を植えようと思った

私たちは言葉の塔を立てようと思った
それは私たちの欲望と
私たちの祈りによって
両端から支えられる奇妙な塔だった
使ってはいけない元素記号も使い
設計にミスもあったのか
二万四千四百五十五日
積み上げた見えない石

眺めようとしたのは
世界の優しいありふれた景色だった
ごはんから立ち上る湯気
木陰でゆったり伸ばす足 重なる手
清くゆたかに流れる川
子どもたちの 動物たちの遊ぶ姿だった

私たちは水色の月の上に
欠けた寺院を建てようとした
見つかっていないアジアの骨で

今 それは崩れようとしているのか
悲惨な歴史と同じ言葉を 
また同じように一緒になって使うのか
爆発でむき出しになった
金属の根がこげて絡み合ったまま
日本中に 世界中に
異様な葉を撒き散らそうとするのか


「詩人会議」2012年8月号掲載




もう いらない


もう 繰り返してはいけない
突然誰もいなくなった居間
草が伸び放題の庭
ばらばらになった家族
外に出られない子供
おなかがぺったんこになって死んだ牛
皮だけの犬

もっと ほしい 放射能を気にせず
かぶりつけるトマト
はつがつおのぷりぷりした刺身
味噌汁ですする貝
大漁旗をひるがえしたい
田んぼを稲穂で金色にしたい

もう 世界から誰もやって来なくなる
もう 隣国は汚染に耐えられない
地球を巡る放射性物質
日本は原発を動かさないという意志を
世界中に発信すべきなのに
今度は 天災でも 想定外でも 強制でもない
次の事故は 私達の意志

もう いらない原発






わたしはわたしの歌をうたう


わたしはわたしの歌をうたう
わたしのへんてこりんな歌を
へんてこりんに歌うのはむずかしいこと
つい立派な歌を
胸を張ってうたいたくなるが
立派な国の歌は
戦争をそっちゅうしていたり
よその自然の富や命をかすめとるのがうまかったり
それでかぶった幻の冠に酔っ払って
世界がぜんぜん見えなくなる

でも わたしの言葉もリズムも わたしのものではない
はるかな川から流れてきたのだ
わたしはわたしについて考える
戦死した叔父さんについて
殺された日本名が付けられた朝鮮少女について

わたしは「君」について考える
君とは? きみとは? あなたとは?
あたしとは? ぼくとは? 私とは?
わたしの中の弱さである「君」について
わたしを消してしまう「君」について
この国ではわたしになるのがどんなに困難なことか
この国ではきみになるのがどんなに苦難なことか

「君」を歌わないことがこんなにたいへんだとは
「君」に敬礼しないことがこんなに厳しいとは
「君」を奉ってきたわたし
「君」を作りたがるわたし

きみとわたしになることが
こんなに 隅っこに追いやられるなんて
すべて焼けて
底が抜けた青空に見たものは何だったのか
放射性物質が降りそそぎ
十六万人が故郷を離れざるをえない国とは
国とは何か
わたしはわたしときみの歌をうたいたい






蓮の道


蓮の根のように長く伸びた地下道
やせた農民や兵士しか通れない
ベトナム戦争時の地下トンネル
ドラゴンフルーツの 赤いうろこが空を舞う
エレファントフィッシュの
黄金色の唐揚げがメコン川に逃げる
日本の原発が建つかもしれない海辺は
アオウミガメの産卵地
文明の抜け道は掘られているか


(「神奈川新聞」3・11掲載)





底の言葉


私たちの言葉は
一番底の言葉に支えられている
カップ麺の容器の底に張り付いた
切れたつづりのように
奴隷船の底に
ぎゅうぎゅう押し込まれたリズムのように
もはやどこの国籍かも分からない
国からも
国語からも棄てられた
「チッ」とか「ウッ」とかしか
声が出せなくなった場に

私たちの言葉は
一番高い言葉に吊られている
直立できる理由のように
宇宙のみえない点と線で
もう一つの宇宙から
樹上のか細い枝が差し出す手に
奇妙な果実のようにぶら下がって
国も
国語も超えて
ただ言葉の影だけを追う

私たちの言葉は
地上1・5メートルくらいにあったはずだが
もはやそこにはない
下流にふきだまる
溶け出す国語
あわてて固める国語
誤報の中に私たちの生はある
ご奉公の中に私たちの生はある
底と高みは地球とともに回転するのか
底に生きている鼓動が宇宙に響く







花は時の手のひらを開く


花の柔らかい体には
時の闇と光が刻まれている
首を長くして
なつかしい方を望む

花の足を通った泥の流れ
夜の皮膚を何枚もはがし
朝の海をかき乱し
青い乳が流れる
爪を染めた花びらは
異国の土地まで連れ去られ
初雪は軍靴に踏まれた

花は時の手のひらを開こうとする
手にこびりついた血の臭い
日本の私たちの罪が
赤い水時計の中で落ち続ける
解けない時は 氷のように固いままだが
震災犠牲者に捧げた祈りは
空に高く広がる

光の方を向くもの
光に包まれるべきもの
その苦しみの言葉は
魂の新生の羽をもたらす



・1月14日15日の「脱原発世界会議」に参加しました。
緑の党・欧州自由同盟代表は、日本政府が福島県民をほったらかしにしているとあきれ、
怒っていました。日本では人権意識が非常に不足しています。
ヨルダンの国会議員は日本の原発はいらない、と言っていました。
韓国環境財団代表・崔ヨル氏は「韓中日東アジア脱原発 自然エネルギーネットワーク」
を呼びかけ、韓国で高銀詩人はじめ100人が名を連ね、日本でも参加しています。
若い世代の韓国「エネルギー正義行動」の李憲錫氏は、韓国政府の原発増設と輸出に
反対し、日本の若者とのキャンプ活動など連帯行動を提唱しました。

・日本では、再稼動や原発輸出への動きが活発化してきました。
内視鏡で水面も見えないのに「冷温停止状態」?と言ってはばからない厚顔無恥。
国会議員への意見表明運動などが提案されています。






虫食いだらけの落葉を
最初の文字のように貼り付ける
新しいページの第一字として

海の一番濁った青で
不吉な葉脈の迷路で
ひび割れた言葉で
わたしは書かれるだろう

円環でありながら
絶えず軌道を外れる人間
その秋の不毛に打たれ
冬の豊饒を望み

和音の広間を出て
追われた犬がはう
薄暗く冷たい路地に行くだろう
世界の臭いを
病んだ鼻で追え
地の柔らかさと固さを
足裏で感じながら





龍の爪


ドラゴンフルーツは想像力の爪を出す
雲と雨を支配する緑の森である龍が暴れ出す
人間には まだ残っているのか
緑の龍の想像力が

象耳魚はもう聞いているだろう
汚れた海のざわめきが繰り返し押し寄せていることを

ぶどう園の下にも
幾重にも重なった村人の死がある
はちみつ色の手のひらに何を渡そうとするのか

日本の福島で原発が動き出した1971年
ベトナムでは米軍の無制限爆撃が行われていた

その30年前 日本はフランスと
ベトナムの領有権を争っていた

砂漠の中で龍の魂である赤い果実が撒かれる
けれど 果実の種は矢の空気に射抜かれ
大地の伝言を変えてしまうだろう

私たちが日本語で語るべきことは何なのか
偽りの共存でもなく
光あふれる未来でもない
置き去りにされた無人の故郷のこと
干からびて死んだ龍のこと





静かな地図


雲は魂を吸い込み過ぎたように
激しく羽の胸をふるわせ
遠ざかるなつかしい顔が痛みとなって
凍っていく静けさの中
なんども暮らしの跡を温めるごとく
腕を広げる日差し
小さな湖をたたえる牛の目の灯も
一つ一つ消え
鳥の声にも
外れた音階を聞く
鈍痛のようにあらゆるものにひびが入り
カップに走る亀裂が
飲む喉に白い地図を引き
逆児はおびえた尻を未来に向け逆走する
無人の家に生い茂る草は
汚された土から空を巡る
問いのように都市の方向に張り出す
たえず舌を水でぬらすべき
影をかかえてきたはずの年月が
溶け落ち
底までぬけてうずくまる影に
水をかけつづけ
針の塊の水に洗われるべき
私たちの
爆発した欲望の内部の
驚くほどもろい骨組があらわに
幻のような設計図が大きな手で破かれ
あふれ出ながら欠けていた言葉
匙も泥にまみれて藻がからまり
生命の千年の深い臭いが人の脳を突く

(「詩と創造」77号)




まっくら


まっくら くらくら  地の胎かき出し 赤い目つぶし
ずんぶり ぶくぶく 水に村沈め 青い耳切り
ぴっかり ひかひか  風に針散らし 桃の臓痛め

奪うことによってしか 得られない光
イカロスのように落ちるべき高さ
焼け焦げた翼は無人の庭に咲く花びら
巨大なビル街はコピー用紙のように軽い
常に廃墟がダブルイメージとなる世紀の始まり
村の夜にぶあつい霧が降りて
土を掘るとけもののうめき声が聞こえ
林はばらばらになった春の記憶を吸い込んで刻む
人よりもきめ細かく 
何百年の身体の中に 不吉な記号を書き記す

土地を傷めて生まれたライトは
異国の命まで絞り出したライトは
島の心臓を照らさない
夢の手足も照らさない
衝突する高速道路が脳をみだらに走り回る
迂回し続けた区域が喉に突き刺さる
見てこなかった死が足元を揺する

「原子力的な温かさ」にぬくく生きて
いっせいに 底が抜ける
底に押し込められた者たち 命たちが 爆発する 
金輪が溶け  獰猛な怒りが噴霧される

まっくら なのだ 
ほんとうは 巨獣の胃袋の中 精巧な棺の中
自分の空虚さが大波のように押し寄せる
列島に穴が開き 暮らしを失う大勢の人々

失ったことにまだ手が届かない 今 
まっくらな中で自分を確かめるだろう
言葉をやっと思い出したように
恵みであり消え去る黄色い肉体という輪郭のもとに


(「はだしの街」掲載予定)



■9・19脱原発集会・明治公園・主催者発表6万人!
13時から集会だったのですが、千駄ヶ谷駅は人であふれて全然進めないくらい。
(全然進めないのは、警察が規制しているせいもある)
さすが6万人はすごい。明治公園が満杯、外の場所にもはみ出ていました。
集会では、大江健三郎さんはイタリアやドイツの脱原発のこと、1000万人署名を
達成しようと話されたようでした。(声がよく聞こえず残念)落合恵子さんは命の大切さを、
病気をおして参加された沢地久枝さんは被爆国なのに犠牲者を出す原発を廃炉にしようと
山本太郎さんは3・11以後自分は変わった、各地の議員に意見を言おうと呼びかけました。
福島から参加した武藤類子さんは、原発事故以降、避難するかしないか、野菜を食べるか
食べないか、声をあげるか沈黙するか、絶えず問われ、家族でももめ、悩み、ばらばらになり、
故郷に帰れず、苦しくつらい日々を過ごして来た。これ以上悲しみをふやしてはならないと
訴えました。その後はパレード。中高年、子供連れ、外国の人もかなり参加していました。
共産党と社民党が共闘したので組合もたくさん参加していました。


■経産省を2千人の鎖の輪で囲みました。(9・11)
13時に日比谷図書館裏に集まり、福島から来た方の「原発を稼動するのは
欲張りか、バカのどちらか」などの発言、経済産業省正門前でハンガーストライキを
行う若者からのアピールなど短い集会ののち、東京電力、経産省を回るデモを
しました。その後15時半ごろから経産省のある一角をぐるりと門や塀に沿って立ち並び
「原発力?さようなら」の黄色い紙を持ってアピールしました。
沖縄のサウンド、太鼓も演奏。パッチワークの旗は手作り感のある雰囲気。
経産省前で下記のハンストを行うことになっています。



刺青


光の刺青
ひと針ひと針
土地に痛みが刺されていく
失われたものの形を 草の形 馬の形
稲の形 乳房の形 尻の形 
海にも
ひと針ひと針
傷ついたものの影を 透明なひらがなの内臓を
私たちの罪を焼き付けるように
欲望のとめどない広がりのように
快さと破壊が同じ色を埋め込む
子供の内臓に 骨に朱色を彫りこむ
うめき声もあげずに
崩れ行く都市絵巻を描き続けるのか
縄文の土偶の顔が地層から現れ出た
原始の線だけの文字を空に捧げる
十万年も消えない刺青
そのときに無い言語にも青い光が走っている

内部の伝言が傷ついていく
悲しみの伝言が
なぜ 伝わらなかったのか
焼けた地面に書かれた文字を
読んでいなかった
溶けた爪で書かれた一字 一字
まだα線を発している文字
隠された異国の文字もあった
まだ半ページも読んでいない
読みかけのまま 私たちは走り出した
幻の直線の時間に沿って
腫れた単語のなかで無数の脚が倒れる

インドの行者は全身に経文を彫るというが
今 私たちは身体に黙示録を刻んでいるのだろうか

※「交野が原」71号掲載


※2011年8月15日市民文化フォーラム「脱原発宣言 文明の転換点にたって」
を聞きに行きました。
哲学者の高橋哲哉さんは原発は「犠牲のシステム」であるとして話されました。
高橋さんは幼い頃、福島県に住んでいたのに原発をテーマとしてこなかった
のは、慙愧の念にかられ、油断していた。
この市民フォーラムも戦争については詳細に語っていたようですが、
今まで原発については論議してこなかったそうです。
原発は自己犠牲が称賛され靖国のシステムに相当する、
被曝労働者の存在を前提としなければ成り立たない、
利益をあげている人を見えなくさせている、
国体維持のために今は福島が捨石にされているなどが印象的でした。

「文明の転換点」についてフランス文学者の海老原武さんが
サルトルの言葉「人類は存続しようとするなら存続する意志を持たなければならない」
が再び甦ると話されました。
しかし、実際には節電するくらいで、消費しないと景気が減退するという袋小路に
陥っていて、さっぱり文明の転換点になりませんね。
これだけの人が亡くなったのだから、喪に服したい気分ですが、
経済が縮小すると被災地まで困るという何か倒錯したシステムから逃れられません。
あまり生産的とは思えない国債格付け会社が虚妄の格付けで
国際経済を仕切り、人々の不安をあおるアホらしさにうんざりします。
新しいエネルギー社会の提案などをいろいろ学んでいきたいです。

※陸前高田にまた行き、今度は家の庭の泥出しです。道路の一部、アスファルトの塊
まで流れて来ているのには、津波の破壊力のすさまじさに毎回おののきます。
皿などの食器がきれいに割れずに大量に出てくることもあり不思議です。
被災地の人の一番の希望は若者のようです。
盛岡市から来た高校生か大学生とうれしそうに話されていました。

松の問題は、京都の方からご心配のお手紙を頂きました。
私は陸前高田の者ではないので、何とも申し上げられませんが、
お気遣いに深謝いたします。放射性物質を避けたいのはどこでも同じでしょう。
最初に大文字焼きに松原の松を焼くことを提案された方は善意でしょうが、
ちょっと悲しい気持ちにさせられましたね。
岩手県までセシウム汚染されていることが明白になり、
しかし、それは原発事故が原因なのですから、
やはり情報公開と補償はしっかりした方がいいでしょう。








草の啓示


なくなった家の骨がまだ温かい
崩れた戸が大きく開いている
帰り道の子が振り向く

泥の一粒である私
すべてを泥の一粒にまで戻す
凶暴な力によって生かされている
春 海に消えた松林 水没した家々
不機嫌な神がまるめた反古の紙のように
痛めつけられ潰された自動車
悲鳴が固まっている

あらゆる繊細な根で包む
割れた茶碗 破れた保険証 粉々なガラス戸
化粧ポーチ 熊の置物 人形
ひりひりする記憶が むちゃくちゃに混ざる土の
あらゆる可能性の道を探して包み込む
草の啓示

北方は父の土地だ
いつも遠く 不意に近い
昨日発ったような 千年さまよったような

二本足で立っていることが 間違いであるように
四つんばいで草をつかみとる
草に流れてくる人工的な原子が
どこまでも幼芽を傷つける

身体の地盤が下がったので
地に足がつくまで時間がかかる
今度こそ身体をなでるように
言葉をはわせてゆきたいが
底が無いごとく足先が揺れている




※7月下旬に岩手県の陸前高田の支援作業に参加しました。
親戚がいるところは盛岡市で、盛岡駅周辺は地震がなかったかのように
外面は元と同じです。阪神淡路大震災のビルや高速道路の倒壊を予想すると
拍子抜けするくらいです。でも、海岸近くは風景が一変します。
動画サイトでも映されているように津波がすべてを飲み込み引いて行ったのです。
松林の美しい観光地であった高田松原は水没してしまいました。
「海と貝のミュージアム」も建物だけ残し大破しています。
この博物館は貴重な貝の収集をしており再開に奮闘しているそうです。
そのうえ、地盤が下がったので、かなりの部分で海水が残っています。
瓦礫はだいぶまとめられ、撤去整理されていますが、住宅地、商業地の
再建はまだまだたいへんなようです。

支援作業も月日がたつごとに変わり、今も瓦礫撤去や泥出しが
ありますが、草刈も重要な仕事になってきました。
更地になったところに草がどんどん生え、盛んな生命力に驚きます。
もっとも草ぼうぼうになったら困るので、抜いているのですが。
側溝の泥だしをすると流されたものが分かります。
壁の破片やバラバラのガラス窓、化粧品、お茶碗、保険証、お人形に
ほたて貝が混じっていたり。釘が出た柱も転がっているので、
ガテン系の安全靴をはき、作業ズボンを着ました。

気温が高くなると、作業中に熱中症になる人も出るそうで、
しばしば休みを取って水分補給をしました。
当地の方は、7割くらいの力で、やり過ぎないようにと気を遣ってくださいました。
怪我や病気になったらかえって迷惑ですからね。
私は行きは夜行高速バスを使ったのですが、疲れて熱中症になるから
良くないそうです。熱中症にはならず、微々たるものですが仕事を終え、
ほっとして油断したのか、最後に落し物をしてしまいました。
大津波で遺失物は数え切れないほどで、問い合わせもどうかと思い、
それでも問い合わせをしてしまって、私は一個なのに、そこは町と人々が
なくなって、と失ったものの違いが露わになって、へこみます。

こうしたことの注意も必要ですね。
被災地に関心を持ち続け、支援活動もしたいですが、
相手の事情をよく知り、自分の条件や力を踏まえたうえで、
できることをするのがやっぱりいいかなと考えました。


※7月31日に「海を越える原発問題」(主催・早稲田大学アジア研究機構アジア平和研究所)に
行きました。韓国から李憲錫エネルギー正義行動代表が来日し、李明博政権の
原発輸出について語りました。韓国では現在21基の原発があり総電力の
31.4パーセントに至っています。今後、国内でもふやす予定ですが、
より重視しているのは、原発の輸出です。日本が日米原子力協定を改定して
濃縮ウランを保持できるようにしましたが、韓国も韓米原子力協定を改定し、
原発のサイクルを輸出したいそうです。2009年のUAE(アラブ首長国連合)への
原発輸出決定は大きな成果として報道されました。しかし、この決定の裏には
韓国軍隊のUAE派遣など裏取引が発覚し、非難されました。
さらに、福島第一原発の過酷事故は韓国国民にとってショックで、
原発への不安が増大しています。にもかかわらず、李明博大統領は
原発輸出方針を変えていません。これは、日本も同様です。
日本は、ベトナム・リトアニア・トルコへの輸出意向を止めてはいません。
これは、原子力産業を担うのがお金をかけた技術者集団とシステム、企業なので、
やめるにはもったいないという魂胆も潜んでいます。

また、インドネシアにも各国から原発輸出の話がありますが、
農漁民の強い反対運動が起きました。35キロ行進デモも敢行されました。
イスラム教指導者からも原発はハラム(禁忌)と規定され、強く忌避されました。
インドネシアでも福島第一原発事故のことがよく知られています。
しかし、今年5インドネシア経済相はロシアとの原子力協定に調印しました。
インドネシアは日本と同じ地震国、火山国なので原発は作りたくないそうです。




微塵

すでに微塵になり  光に分解され
私は歩いているのか 風景が歩いて行くのか
それでも私という意識があるのか
誰かの肺に入ってぜいぜいと声を切り裂き
または誰かに入られて言葉を遠く散らばす 
幻視痛 すでになくなっているのに
あるかのように痛む私と言う幻視痛
誰かの足であり 指先である私
最後に口にいれたプラムのうす緑に
赤い痣のある皮膜を破る感覚だけが残り
痣のある幼い尻にさらに歯をくいこませ 痣が熟れて
種にころぶ 
自分が見えないという罰をうけたもの
鏡もなく 他人もいない 
血がにじみ ぼろぼろの焼け焦げた肌
炭素になったものがおびただしく折り重なっている 
木か 人間か
光に分解する される
する と される が入り混じる 
109ビルが新たなドームのように
銀色にきらきら光って 
透けた足の骨が組み合わさっている 
聖痕か呪文のように うずくまる言葉
いや あれはモスク 荒野のモスク ひざまづく場所
西の音が生まれた所  東の音を再生する所
祈りは剣とともに塔に
ツインタワーの東西に続き 
折られたページはかりそめだが 金属の直線が印をつける
薔薇色のよだれの痕のように
ドリームの破片が雪のように降り続く 豪雨のように押し流す
季節も間違え
うなり 地鳴り という祈りの始めの声
微塵として歩く
微塵の風景が歩いて来る


※この詩は詩誌「交野が原」70号(金堀則夫さんの個人誌)に発表した作品ですが、
書いたのは、2011年1月末です。どこか3・11と通じ、気が重くなります。
こうした予言的な詩は他の方によっても結構書かれていました。
でも、たとえ予言的であったからと言って、いい気持ちになる人はいないでしょう。
日本が、文明自体が、かなり行き詰まっているという危機感は皆持っていました。
米国映画「2012」も地殻活動が変調し、地球規模で崩壊する物語です。
2012年はマヤ文明の終末論もあり、いろいろなSF映画が作られています。
しかし、実際に人々が被災した悲惨さはSF映画では表現されていません。
それは、SF映画は一瞬の恐怖をジェットコースターに乗っているように
疑似体験させるだけだからです。もちろん優れたSFもあります。
実際の被災は、長く続き、さまざまな喪失の重なりを心理にも与えます。
ジェットコースターから降りることも、スイッチを切ることもできません。
逆に、被災者の方の姿を見て、生きる根源的勇気が湧き、
思いがけない励ましを受けることもあります。

原発事故では、私はほとんど反原発運動をしてこなかったので悔いが大きいのです。
未来まで汚染することは、事故がなくても、廃棄物処分場無しで
明らかだったのに。
安楽な生活を続けたい気持ちや日本の科学技術への過信、
原発は原爆とは違うという誤解があり、
積極的に考えなかったのかもしれません。

しかし、文学がすべて行動に直結すべきものとも思いません。
文学者は優れた文学を書くのが一番の仕事だと考えます。
そして、優れた文学は物事のできるだけすべてを把握しようとするため、
行動に不利なことも表わさなければなりません。
「千年紀文学」5月31日号で綾目広治さんが取り上げられている高村薫の小説『新・リア王』上下
(新潮社・二〇〇五年)は保守派の政治家の側から青森県の原発問題を書いた大著です。
日本の地方政治の実態、保守派の考え方、原発再処理工場誘致をめぐる確執、
さらに哲学論議まで膨大な量の資料をもとに表わされていて、先見性に驚き、脱帽します。
保守派の思考の限界もさらけだしていて、それがかえって今現在の脱原発を阻む
思考や勢力を浮き彫りにしています。
大事故が起こる前にこれだけ問題を深く追及したことに非常に感心しました。






生命の目盛


唇の塩の結晶は いつまでも溶けない読点
あの日の海鳴りを響かせ

海底のピアノは弾きたまえ 魂の旋律を
人間が行きすぎた文明から卒業する曲を

細胞の生の伝言を壊す
死の核分裂連鎖を止めなければ
光の刃の墓もないのに 

目盛が間違っていました
被曝許容量の
原発コストの
GDPとGNH(国民総幸福量)の乖離
「戦後」という目盛
計測器が狂っていました
生命の目盛がありませんでした
人類のゼロは 生命のゼロは 近づいているのに
いろいろな生命を 国が違う生命を
異なりながら等しく計る値がありませんでした
生命の物差しは直線ではありません
クヌギ葉の楕円形の物差し
かたつむりの渦巻きのタイマー
氷山の温度計

新しい生命の目盛を持たなければ
鳥に 魚に 牛に
ヒロシマ・ナガサキの子供に
十万年後の未来の地球にたずね
自分で見続け 考え続ける目盛
汚染され 水時計は涸れそうだけど
鋭い角度と 優しい丸みのある
生きるための目盛を求めなければ

(「詩人会議」8月号掲載)




反復


樹上に一つ残る北寄貝は地鳴り海鳴りを留め
まだ名も記されない墓標に付いた花びら   

列島の身体の隅々に突き刺さる原発
無人の土地にべPこuの群れが走る
人類消滅の光景
電波と放射能が土地の言葉を切れ切れにし
ごUせSやrぐ
あCっsぺ1な3し7
でIれ1す3け1

セシウムが降る幻の首都 
空虚なセンター
日本のほんとうの顔は貧農の顔だ
ふわっとかけた
ギンガムチェックの西と東の格子柄の
テーブルクロスをめくれば
荒れた田の捨てられた詩
蛭のセンテンスが自分の尾を吸っている
金髪に染めても根元から繁茂する黒髪
アジアの畑に頭蓋骨を突っ込んで死んだ祖父と
生き写しの孫請け社員が特攻隊員のように
放射能に蝕まれながら原発事故処理に当たる
退路無き 生命無き 敗戦という反復

ヒロシマ・ナガサキの喉は再び腫れ
日本語の幼い細胞が傷ついてゆく


※ べこ=牛、ごせやぐ=腹が立つ、あっぺなし=でたらめ、 でれすけ=愚か者、福島の方言。
Pu=プルトニウム、U=ウラン、 Sr=ストロンチウム、Cs=セシウム、I=ヨウ素。
(「千年紀文学」掲載)



■原発事故は、今までの日本への警告です。
政府は一部原発を停止するくらいで、すまそうとしていますが、
エネルギー問題だけではなく、農業問題や都市問題なども関わってくるでしょう。
さらに日本固有の困った構造もあります。
世界中で原発をふやしてグローバリゼーション競争に勝とうとしても
最後は地球全体が汚染され、未来の子供たちが苦しみます。
アメリカですら捨て場所が無く、日米ともモンゴルに捨てる計画もある!とは
ぞっとしますね。
日本の原発をベトナムやタイに輸出して、環境汚染するのかと思うと恐ろしい。
ベトナムは枯葉剤の後遺症がまだあり、韓国でもベトナム戦争時に
米軍が捨てた大量の枯葉剤入りドラム缶の存在が発覚し大問題になっています。
これ以上アジアに危険を持ち込んではなりません。

それにしても、フランスにあんなに原発が多かったなんて驚きます。
最先端文化のはずが、電力の8割も依存し、
もはや時代遅れの原発を輸出する国とは!
フランスも石油がないという理由もありますが、
ここのところを変えないと21世紀の文化、思想にならないのでは
ないでしょうか。




アーティストの綿引展子さんが呼びかけ、ドイツで行われる「TEGAMI」プロジェクトに
下記の詩で参加しました。美術家への呼びかけだったようですが、
綿引さんが受け付けてくださいました。5月26日から展示されるそうです。
http://hamburg-projekt.blogspot.com/

祈りの種   ヒロシマ/フクシマ    佐川亜紀

ヒロシマの祈りの種は フクシマで花開かせられなかった

ヒロシマの目に湧く涙は フクシマの海から流れ出た

ヒロシマの祈り フクシマの驕り

日本はヒロシマとフクシマを 背負って歩いていく

魚への 鳥への 馬への 牛への 犬への 木への 草への
子供たちへの 人への 地球への 償いと 新しい生のために

(一部加筆しました)









始原


光によって裸になった言葉
水によって裸になった言葉
いつも そこに戻される 
戻るために
耳のらせん階段をかけ上がった水が
胸をあふれて 
夜の底に響く
水道は止まったままなのに 
止まり続けているのに
蛇口から出てくるのは
さかさまの鐘ばかりで  
轟く海鳴りを閉じ込めた鐘ばかりで
流れ込む音が 
文字を押しのけて
美しい砂の絵も 
なつかしい匂いの木も
消し去るうねりが
家々が ばらばらの藻屑に
私たちに迫る 私たちの影
どうにか 破れた楽譜につかまっているに
すぎない生の
歌われていた合唱のソプラノ でも
なにを忘れていたのか
ヒロシマの喉が その激しい渇きが
違うのだと どこへ行ってしまったと そこではないと
声が出ない声が 
時間を風のように一気に舞い戻らせ
水の中の 重なるふくらはぎが透き通り
永遠に銀に凍りついた魚のように
この世の汚れを浴びることで
崩れる言葉 
立ち現れる言葉
言葉の原始の力に激しく揺さぶられ
遠く放られて
深く落とされて
生まれ出る言葉

(「はだしの街」収録)



※最近、印象に残った言葉は文芸評論家の斎藤美奈子さんの「原子力村と文学村」
という言葉です。(朝日新聞・4・27)「村」の中では、批判がなく、固定した一つの価値観で、
利益共同体が動いている。詩の中も近年は批判がない。
そんなのはもはやダサイと思っている。 ほんとにそうなのか?
そんな驕りが今の事態を招いているかもしれません。
斉藤さんは文学者の原発責任を指摘しています。
地震学も、根本が間違っていたと主要な学者が自省しています。
詩もいつしか根本を見失ってきたのか?
いや、他人事ではなく、私も打ちのめされた感じがします。
戦後詩の課題をもっと深く掘り下げて来なかったということで。
今、戦後と同じだとか、いや戦中だとか言うけど、
日本は戦前の構造が残っているなら、それをなぜもっと追及して来なかったのか。
今は社会制度だけではなく、そもそも日本の風土で近代文明は可能なのか、
という地勢学な問題まで浮かんできました。

戦後・・・社会的関係が主題。侵略。近代化。個人と全体。人間のみ。
曝後・・・社会+生態系問題。人類の消滅も可能性大。地球生物全体に渡る危機。
しかし、 日本固有の責任とテーマはもちろんある。

戦後の「復興」つまり経済成長は地球の危機を拡大させることが認識され始めましたが、
現実には、すぐ復旧、復興しないと、企業が東北から離れる危機が迫っています。
失業がふえて、生活が困難になってしまいます。
心配されるのは、ますます過疎地になってしまうこと。
これを超えるには、次世代の地域社会の政策的デザインが早急に必要ですが・・。

<GDPの順位にとらわれない発想>が望ましいですが、
国債破綻が眼前に迫り、 金融グローバリズムに覆われた世界で
実行可能なのか、いろいろ問題が出てくると思います。
以前のような安楽なライフスタイルではなく、
別の(貧しいかもしれないが)生活様式をプラス志向で考えたいものです。

<安楽>を超える魅力あるものとは何か?
代替エネルギーだけではなく、代替文化が必要ですが。
欲望の形を変えうるか?
「詩誌・詩集」のコーナーでご紹介している再生文化も参考になります。

最新の「神奈川大学評論68号 自然学とサステナビリティ」は
非常に興味深いです。
サステナビリティとは「持続可能な発展」、より詳しく言うと
「将来世代のニーズを損なうことなく、現代の世代のニーズを満たす開発」です。
これが実際は無理なことが分かったのは、72年にローマクラブが指摘した
「成長の限界」です。このころから人類は発展ではなく破滅に向かっていることが
気づかれ出したのですが、日本は高度成長真っ盛りで全く考慮しませんでした。
近年は、中国、インドをはじめ新興国が急成長に入っていますから、
地球が5、6個でも足りない事態になっています。
新興国は先進国が享受した贅沢を我々が受けて何が悪いのかと言います。
もっともなことです。今でも南北格差を縮め豊かさを平準化するなら
計画停電どころではなく、もっと先進国が貧しくなる必要があります。
生態学者のデイリーは次の3条件が持続可能の条件だと述べています。

1、再生不可能型の資源への依存からの脱却
※原発や軍事目的での金属の使用禁止

2、廃棄物累積の回避
※高濃度放射能廃棄物など出してはいけません。

3、いかなる生物種も絶滅させない。生物多様性を確保する。

今回の、東北大震災と原発事故は、日本の問題(原子力村など)を考えるとともに
地球的な危機問題の顕在化として、立ち止まって思考することが大切ですね。



映画「100,000年後の安全」を見ました。
10万年というのは原発から出た放射性廃棄物が生物にとって安全になるのに
必要な時間です。あまりの長さにクラクラしてきます。
フィンランドでは高レベル放射性廃棄物の永久地層処分場を地下に建設しています。
この映画では、廃棄物が危険なうちに未来の人間が施設を開けてしまうのでは
という問題が1つの焦点になっています。危険を説明する現在の言語が通じるのか?
マヤ文明などの遺跡のように後世の人間が分からずに開けてしまうのでは。
一瞬の近代文明のために10万年後まで生物が脅かされるとは!
しかも、フィンランドは地層が固いから長期安定が保てるでしょうが、
日本のように湿気が多く地下が腐食しやすいところでは無理でしょう。
日本は廃炉にしても高レベル放射能廃棄物を捨てる所もありません。
欧州の科学者の真実の意見を集め、放射能廃棄物を考える、今見たい映画です。




薄明かりの中で


父の設計事務所は蒲田のラーメン屋の二階だった
仙台工業高校を卒業し 
敗戦後数年で京浜工業地帯に出て来てから
設計したものは時代のニーズに合わせ
パン焼き器 大型プレス機 
ついには 原子力発電所のごく一部を ロボット化する仕事になった
父はこの仕事が大企業・東芝の下請け(孫請け?) であったから
大得意だった が 
私はさっぱり関心がなかった
この仕事によって 特にうちの家計が好転しなかったから
しかも 核兵器は恐ろしかったが
原子力の「平和利用」だし 電気は使っているし
ま いっか と深く考えなかった

父はせっせと静岡に通い
この仕事を終え五七歳で癌で死んだ(喫煙が原因)
今考えると 東海地震で危い浜岡原発の仕事だった
今考えると 設計さえ下請けを使うほど
コストを抑えるのが原発の経営理念だった
東日本大震災 大津波による
福島第一原発の大事故収拾作業に
被災しながら
被曝しながら
命を削って過酷な労働をしているのは
「協力会社」という下請け作業員だろう
原発ピラミッドの底辺を担う原発ジプシー
もともとは高コストなので 低安全で
高利潤 高リスクを生む
資本主義産業形態の先端の姿だった

戦時中から日本で研究された原子力
原爆の初期開発さえしていた 
ヒロシマ・ナガサキ被爆 
敗戦直後の 一九四七年から
すでに国会では 原子力エネルギーへの期待が熱く語られた
被爆国なのに ではなく だからこそ
科学技術でアメリカに敗れた と思ったからこそ
最先端の科学技術である原子力産業は
日本の未来だった
アトムくんとウランちゃんは
子どものアイドルだった
朝鮮戦争 米国とソ連の対立 
冷戦構造は 日本に原子力産業発展の機会をもたらした
一九五五年 敗戦から十年で
日米原子力研究協定成立

過疎地に建つ原子力発電所
利潤環流の仕組みを作ったのは
新潟出身の田中角栄だった
一九七三年電源三法でシステムが作られた
東京など大都会に電力を送る見返りに 交付金と雇用を受け取る
生活が原発に依存し絡め取られて行く
社会運動が衰退し高度経済成長にひた走る時期
大都会は電気の渦の中で
バブル景気に浮き立った
利権共同体の「原子力村」もできた
政府機関 開発企業 電力会社 大学の一体化
より危険なプルサーマル計画 
核兵器製造の可能性も持っている
三十年が寿命と言われる原発に
老朽化の波が押し寄せていた
さらに 廃炉にしても捨て場所も無い日本
「想定外」ではなく
原発の危機は「想定内」で着実に近づいていたのだ

深夜までイルミネーションがきらめき
闇は追いやられた 
闇を描く文学も追われた
原発事故による薄明かりの中で見えてくる
今 日本は<曝後> 
世界に放射能を撒き散らした
<戦後>の「輝かしい」復興の中に
今の破滅の芽があるとしたら・・・
人類が破滅するSOSのように電飾はまたたくが
他の内部の光を見つけることができるだろうか
明るさだけでは 闇を隠しているに過ぎない
胎児の明度 末期の明度
薄明かりの中で見えてくるものがある

(「いのちの籠」収録予定)


【参考】田中慎吾「日米原子力研究協定の成立」







4月の詩


悲しみは水底深く


悲しみは水底深く積み重なる
たくさんの命を連れていってしまった
天に漕ぎ出す透明な船

冷たい風がむしりとってゆく
木屑の山と化した家々
地に刺さる車
恵みである地は割れ
生の芯が激しく揺さぶられ
海が立ち上がり
黒い波の巨大な壁が走ってくる
あの一瞬にすべてがさらわれてしまった
一つの村が 町が みんな消えてしまった
マフラーにかかる白い息
卒業式を印した三月のカレンダー
漁網をたぐる日焼けした腕 魚を煮る甘い鍋
 この世の枝に掴まろうとした異国の人も混ざる手たち
無くなった手に 手を重ねて

自然はいつも人間を超える
津波は原子力発電所の根元をもぎ取った
きらびやかなイルミネーションが闇を隠して来た
ヒロシマの魂が 吹き上がる水蒸気の中から みつめる 
日本が歩いて来た道筋を
無人の荒野を留めた瞳で

だが 忘れないここに生きた人々 犬 猫 牛 鳥たち
生きた証は記録される  
文字が体をなぞる
死者のぬくもりが音に残る

握り締める手を 握り返し
近くから 遠くからの 温かい声に
隣国から 世界からの 励ましてくれる気持ちに
生きる力が湧いてくる 

ここは果て
ここは始まり
はだかの命の方に歩いていく始まり
再び 美しい村を 新しい町を 作り直す始まり



※東日本大地震の津波による被害は言葉にならないほどです。
この作品は韓成禮さんの訳で韓国・中央日報4月1日号に掲載して頂きました。
李珍明さんのコメント・・・「この詩は地震、津波、原発爆発により、日本と日本国民の
言葉にできない苦しみが続いている中、その悲しい心境を書いた最近の詩だ。
詩人と日本国民に深い慰めを捧げ、希望を祈る。」
(掲載詩は少し略あり)
被災された方の心情に近づこうと書きました。
東北には親戚がいて、被災した海辺には子供たちと夏に泳ぎに行ったこともあります。
静かな漁村で活きのよい魚介類が豊富にある素朴な所でした。
TVやネットで見ると、喪失感が押し寄せてひたすら悲しくなります。


韓国の方々の暖かい支援にはほんとうに心打たれます。
官民一緒にさまざまな救援活動をして下さっています。
北朝鮮政府も赤十字を通してお見舞金と在日同胞への支援金を送って下さいました。
東北・関東の在日の方々も被害を受けていますが、まだ正確な情報がつかめません。

埼玉県が朝鮮学校への補助金を保留すると3月30日に通告して来たそうです。
東北・関東の朝鮮学校も被災し、校舎損壊のところもあるで補助金はぜひ必要です。
海外から助け合いの美徳を褒められたのですから、在日にも対しても発揮してほしい。
(4月2日に保留は先延ばしになりました)

確かに、原発事故がますます被害を拡大させ、農家補償費なども膨大になっていて、
赤字国債もふえ一体どうなることかと思いますが、在日の学校への保障は続けてほしいです。

仙台には中国人研修生として働きに来た人も多かったようですが、
中国人を助けて犠牲になった日本人社長など、こういう方の行為を無にしてはなりません。
亡くなられた方には哀悼の意を捧げます。
中国・台湾・ベトナム・フィリピン・タイ・インドネシア・スリランカなどアジア各国のご支援にも感激しています。

先月の詩で書いた横須賀基地のジョージ・ワソントンが放射能によりご出港。
でも、仙台空港の回復作業や福島原発の真水注入、事故回復援助など米軍の多数のご協力、
アメリカ国民のお気持ち、義援金など感謝いたします。

しかし、もともと福島の原発はアメリカ産です。
フランスも原発輸出国だし。
(フランスの原発事故収拾ご援助には感謝します。)
ほんとうに安全な原発はあるのでしょうか?

もちろん、唯一の被爆国なのに、いっぱい原子力発電所を作った日本は恥ずかしい。
ヒロシマの苦しみがまったく生かされていない。
原発は安全という言葉をなんとなく安易に信じてきたのが悔やまれる。
40年も福島原発のお世話になってきたし、じゃぶじゃぶ電気を使ったし。
早くから警鐘を鳴らしてきた人々、専門家、政治家もいらっしゃいますが、
ほとんどの日本の人々は反原発運動をしてこなかったのです。
東電と自民党及び民主党政府は厳しく批判されるべきですが、
それらにゆるさをもたらしたことも自省されます。
福島第一原発は日本の高度経済成長と軌を一にしています。
経済優先から、生命優先に転換する必要をこの大惨事によって痛感しました。


◎「高円寺・原発やめろデモ!!!!!!」 が行われました。私も行きました。
統一地方選挙にも行きましたよ。反原発が反映されない結果でがっかりですが。
動物の着ぐるみや奇抜な格好の人もいて、ファッショナブルで若者らしい
創意あふれる活気に満ちた集会とデモでした。
参加人数もどんどんふえてかなり多かった。東京のもう一つの反原発集会は2千人。
集会場で、東電との関係からこれは公共放送で出ないかも、と言われていました。
多かった標語<ありがとう原発 さようなら原発>
呼びかけ:素人の乱 http://www.shirouto.org/
< 福島第一原発事故を受け、各地で10日、反対デモが行われた。  
東京・杉並区では10日午後、リサイクルショップの店主らの呼びかけで、
「高円寺・原発やめろデモ」と題して行われた。簡易投稿サイト「ツイッター」などで
参加が広がり、若者を中心に多くの人が集まった。  デモを主催したリサイクル
ショップ「素人の乱」の店長・松本哉さんは、「こっちもびっくり。こんなに人が集まって…。
原発が危ないとわかったので、一刻も(早く)全部止めていただきたい」と話した。>
(日テレニュースより)
詳しくは右のHPを!http://410nonuke.tumblr.com/ 
●このデモは世界各地で行われます。
韓国・水原駅 4月10日4時10分集合。「ただちに原発政策を中止せよ」


●朝鮮学校の補助金支給が危うくなっている所があります。
宮城県は死者や被害が甚大で財政も成り立たない事態でしょうが、
支給を続けるようにしてほしいです。
埼玉県知事が埼玉朝鮮学校に対する補助金支給の保留を通達して来ましたが、
4月2日に保留は先延ばしに なりました。

●朝鮮学校支援のため物資を運んだ際の記録。
東北の朝鮮学校が在日朝鮮人同胞たちの情報・支援の拠点になっているようです。
兵庫や東京から支援が来ましたが、ガソリン・燃料等物資が不足しています。
校舎もかなり被害を受けました。
※セセデとは新世代の意味 セセデ支援隊〓福島ハッキョ編〓
http://ameblo.jp/djyongi/entry-10833740325.html#main
セセデ支援隊〓東北ハッキョ編〓 http://ameblo.jp/djyongi/entry-10834250929.html
セセデ支援隊.avi〓動画編〓
http://www.youtube.com/watch?v=DZxHGZ25F5k&feature=player_embedded#at=85
● 北朝鮮の朝鮮赤十字会は3月24日、東日本大震災の被災者への見舞金10万ドル(約810万円)を
日本赤十字社に、金正日総書記も在日同胞に50万ドルをそれぞれ送ったと朝鮮中央通信が伝えました。
テーダニ カムサハムニダ。







3月の詩

PORT OF YOKOSUKA

ジョージ
君のベースボール・スタジアムのような広い胸板
あたしんちの近くの横須賀港が母港
銀色のヒールの高いミュールを売ってる
英語の多い商店街 ジャズもブルースもあのバーから流れてきた
CNNが毎年放送する
リメンバー・パール・ハーバーの日は
ジョン・レノンが殺された日
二〇一〇年アップル社のジョブズは
ビートルズ曲のアイチューンズ配信を始めた
初代大統領ジョージ・ワシントンは
奴隷によるプランテーションを経営した
奴隷になったほうがマシだと思った
敗戦時のテイタラク
君が残してくれたエンペラー
奴隷として享受した日々も泡と消える
下り坂をどう降りていくか 分かっていない
ほんとうに君無しで生きていく覚悟も構想も
まだ泡の中
鳩が豆鉄砲食ったみたいに右往左往
何をやらかすか分からない「神国」よりは
アジアでは 君と一緒のほうがまだしもだ
と言うくらい疑心暗鬼
ジョージ・ワシントンは正直者なのに
甘い密約の核兵器搭載の夜
近くのヒロシマには触れたくない
横須賀からイラク 沖縄 黄海
北朝鮮が韓国の島を突然砲撃したあと
空母ジョージ主演の米・日・韓軍事演習
人民を飢えさせて兵器や核を作る国も
どうかと思うが 
半島の人々が戦火に巻き込まれるのは
二度とあってはならないこと
ジョージ
君は友だち? パパ? ご主人様?
あたしは冥土行きメイド?
横須賀港から黄海まで航路の切れ込みに
ぱっくり開いた日本の内臓が見えてくる


※「いのちの籠」17号所載
「いのちの籠」は戦争に反対し、憲法9条を守る詩の雑誌です。
読みたい、参加したい方はご連絡ください。現在会員は107名。
一部350円。年間1000円。(送料共)
会員は年会費2000円。作品参加ごとに4000円。






2月の詩




上唇と下唇を合わせた時
体の中に生まれる沈黙の宇宙
言語の子宮が静かに膨張する

上唇の山頂で三つの名を持つ鳥が
三万の日をめくる
下唇の湖岸で名を持たない魚が
地の果てまで広がる水紋を描く

言葉にはひびが入り
離れることで 伝え
結ぶことで 沈黙を深める

上弦と下弦の世界
影は入れ替わる 何度も
月のたどる道も一つではないが
えぐられた所に粘る水がたまる

上唇と下唇が開かれるとき
喉のつららがとがって
新しい言葉がしたたる





1月の詩


風を汲む


風を汲む
今年はじめて 夜明け前に 風を汲む
闇のなかで走っていくもの
体のあらゆる道に広がり
足先の湾岸まで吹き抜ける
顔が風の真ん中で洗われる
木々が群青の明日をはらむ
自分の言葉に気づいた朝の
冷たくて新しい風
1℃の水を飲み全身が目覚めるように

風を組む
私は十の気が集まる五線譜
獣の毛をなでていくもの
油に覆われた海の熱波
氷山が崩れ 時の骨が透明になる
パパイアの葉をゆらす小さな手
アフガニスタンの硝煙
山陰に翻る黒衣
北の子音が舌を打つ
島の空を轟音が切る
それらの風が気流を作る

手を器にして
見えない動きを
一瞬つかまえる
一瞬捧げ持つ
芽の息の方に渡っていくものを
動き出す原初の力を感じる


初出『詩人会議』2011年1月号




言葉の足裏


足のサイズがゴビ砂漠大の言葉を
アメンボが水の上に清書する

歩く言葉はどこから?
左の穂と 右の帆を交互に
舌の羽と 空の石をもとに
止める喉のふるえ
少なくなる唇のふくらみ

日本語のあなうらをみつめれば
うらうら照る陽ばかりではなく
恨み残す幾筋の赤い川
青ざめる等高線
二重母音をとがった一つ葉に
花の言葉に時代の釘
月の暦に死者の歯
もっと遡れば
知足の東風がこちこちの欲を笑い合う


枯葉の軽み
規格外の果実
さまざまな光が詰まる
この言語で さらに百年
世界の言葉の森に たどり着けるだろうか


「朝日新聞」11月16日
「あるきだす言葉たち」掲載


THE SOLES OF WORDS

Translated by Naoshi Koriyama

The water strider cleanly writes the words on water.
The words' feet are as big as the Gobi Desert.

From where do the words come walking?
By moving ears on the left and sails on the right alternately.
based on the tongue's wings and the stones of the sky.
stopping the throat's quivering.
The swollen lips dwindle.

If we peer at the soles of the Japanese language.
we see not only the sun brightly shining.
but also several red rivers with lingering grudges,
contours paling,
vowels on a pointed tongue fern leaf,
the times' nails in the words of flowers,
teeth of dead people in the moon's calendar.
Going back farther,
we see intelligent east winds laughing at stiff desires together.

With this language packed with weightless dead leaves.
nonstandard fruits and various shades of light.
could we ever manage to reach
the forest of world languages
in another hundred years?



※言葉はどれも歩いている途中ですね。他の土地の言葉も
入って来るし。今世紀は言語はますます経済活動と密接に
なって使用されなくなる言語もふえるでしょう。
20世紀に他のアジア諸国の言語、特に朝鮮語を抑圧した日本語は
21世紀に創造的言語になれるでしょうか?
それともほとんど使われなくなるでしょうか?
または、かなりの変貌を遂げるでしょうか?
言語自体が文明や経済と結びつき、生態系の破壊にも
つながっているわけで、そこは詩の課題でもあると思います。

郡山直さんに英訳して頂きました。






傷と言葉


私は傷で できている
光ファイバーのように走る傷の束で
泡立つ風がオーロラの裾をひるがえす
大地がいくつもの1の字で切り裂かれ
0の形に腫れ上がる
内部にかさぶたのアスファルトが広がる
水の神経はしびれ
地の筋肉はなえる
風は喉を詰まらせて咳き込み
稲は痛さに身をよじる
底に傷がたまってゆく
百年たつ傷もまだ裂け目を縫合できない

十年を一日にする高速の技術
一秒で万年が吹き飛ぶ

傷は書く
石の傷 紙の傷
文字は傷だから
傷ついたものは書きだす
そのものの言葉で
草の言葉で 魚の言葉で
黒い大地に 白い画面に
種であり 刃である言葉で
空(くう)なる暗号から始まり
空なる暗号に還る途中

美しいという言葉が降って来る
銀河に忘れられた星の雨のように
人間が発し 人間を超えてゆく言葉
傷が新しい言葉を孕んで
羊水の中で揺れている

※『日韓環境詩選集』参加作品です。




在日朝鮮人文学・文献紹介(「図書新聞」10月1日)


朝鮮民族の復権と抵抗を描 いた一世世代から、多様化す る「在日」の現在まで、
豊か な達成をなしている在日朝鮮 人文学をこの記事だけで
紹介するのは無理なので一つの入 口と考えて頂きたい。

まず、磯貝治良、黒古一夫 編『〈在日〉文学全集』全 十八巻
(勉誠出版・本体九〇 〇〇〇円・分売不可・〇六年 刊)は必読の文献である。
「在日朝鮮人作家を読む会」 を約三〇年続けている磯貝治良の
幅広い目配りと丁寧な研 究に基づいた充実の編集であ る。
〈在日〉とかっこ付きな のは、継承と変化の流れがこ められている。
〈在日〉文学 は日本による「韓国併合」に 起因した「日本語」文学である。
第11巻の金史良や張赫宙の 作品は植民地支配下で書かれ た秀作である。
しかし、本格 的な〈在日〉文学は、一九四 五年の解放後も様々な事情で
日本に在住することになった 一世、
さらには日本で生まれ た二世以降の作家・詩人によ って書かれた。
第1巻の金達 寿、第2巻の許南麒、第3巻 の金石範、第5巻の金時鐘は
一世を代表する作家・詩人で ある。金時鐘はやや異なるが、
一世の特徴は祖国の解放前後 の歴史を主題とし、
日本の支 配の非道さとその残滓を告発 したことである。
二世以後になると在日の存在自体の意義づけが主題にな ってくる。
第4巻の李恢成は 樺太(サハリン)で生まれた 二世で、
祖国の統一を願い民 族に所属しながら民族を超え る世界を展望する。
 第6巻の 金鶴泳は民族と個、自己の根 拠をひたむきに問い、鮮烈な 光を放った。
第7巻の梁石日 は人間の底にある欲望や暴力 を含め歴史を骨太に書く。
 第8巻の李良枝は既成理念では なく自己の感性で起源を求め、 繊細な声を織り上げた。
第10 巻の若い玄月は様々な民族が 混じる時代を背景に、歴史を 継承しつつ
新鮮な角度で創造 し期待される逸材だ。
二世世代から女性たちが堰 を切ったように語り出した。
詩人・宗秋月はクレオール語 のような生活語をいきいきと 表し生命力があふれる。
歌人 の李正子は情感豊かに引き裂 かれる心を詠んだ。
自己、女 性、民族、世界に対して独自 の感性を持つ金蒼生、深沢夏 衣、
金真須美、鷺沢萠などが 水流を広げた。
全集には、他にも貴重な作 家・詩歌人たち、金泰生、鄭 承博、高史明、朴重鎬、
元秀 一、 金重明、姜舜、崔華国、 香山末子、呉林俊ら五十四名 の作品を収めている。

『金石範作品集T、U』 (平凡社・各本体七六〇〇円、 〇五年刊)は
濃密で思索性が 深い珠玉の作品集である。
済 州島四・三事件を物語る金石 範著『火山島』全七巻(文藝 春秋)は記念碑的大作だ。

金時鐘は『境界の詩』(藤 原書店・本体四六〇〇円・〇 五年刊)所収の「猪飼野詩集」 のように
在日の実存と社会を 優れた詩に結晶させた業績が 特記される。
評論集『「在日」 のはざまで』(平凡社ライブ ラリー)に表した思想にまで 高めたことも画期的だ。

柳美里著『8月の果て』( 新潮社・本体二六〇〇円・〇 四年刊)はマラソンランナー
だった祖父の足跡を辿り、走 るリズムで「慰安婦」問題など植民地支配 を書いた意欲作だ。

主要な作家では、柳美里と 金城一紀が本人の意向で『〈在 日〉文学全集』に入っていな い。
柳美里は家族問題や生き づらさなど同時代のテーマを 卓抜な才能で書き多くの共感 を集める。
金城一紀著『GO』 (講談社)はライトな感覚と ポップな語り口が新しい。

『在日コリアン詩選集一九 一六年〜二〇〇四年』森田進 ・ 佐川亜紀編・土曜美術社 出版販売・
本体三六二〇円・ 〇五年刊)はリアリズム、モ ダニズムも含め、通史的に在日の詩を編み、
歴史と独自の 詩想を明らかにしたものであ る。
日本で詩はマイナーだが、 言語表現と社会性において重 要な成果が分かる。

近年は世界的に研究が活発 化し、混合文化論、ディアス ポラ文学論などが
新たな観点 をもたらしている。
在日朝鮮人文学は、「韓国併合」以後 百年の歴史を日本に鋭く問いかけるとともに、
二十一世紀文学の本質に関わる意義を持 っているのである。


※全集も一点に数え、五点を主に挙げて紹介しました。
初めに書きましたように入り口の紹介です。


●映画「冬の小鳥」のご紹介
10月9日から岩波ホールで、フランス映画として韓国系フランス人監督ウニー・ルコントの
実体験から生れた映画が上映されます。実父に捨てられ養護施設で反抗的な態度をとる
9歳の女の子ジニ。人間不信になり、一度は死んだ小鳥のように死のうとします。
しかし、そこから再生し、自らの運命を受け入れ、たった一人でしっかり歩きだす姿は
感動的です。欧米人が韓国の子の里親になる姿はいろいろ考えさせられます。
今年6月に韓国文化院で上映した映画に日本人女性が韓国孤児院の院長になった
「愛の黙示録」というのがありました。これは日本の植民地支配、朝鮮戦争など社会背景
が描かれ、日本人院長の苦悩が中心でした。「冬の小鳥」の特徴は終始、子供の視点
から見ていることです。孤独を人間の基本とする欧米的考えとも思えました。
また、ディアスポラとして世界に離散した韓国人というとらえ方が近年ふえています。






9月の詩


造影


ケシ粒の夢が舌を叩きながら発泡する
ラムネガムの甘い昔が息を封じ込める
白い時代が胃をどろりと通過する
膨れ上がった風船が縮んだような
さびれてゆく街すじ
さびしい銀行
私とは胃腸の蠕動だけなのか
というように闇の中にリズム
脳の襞の顛末
胃の襞の根本
ホルンのような生の吹奏も弱まり
影の楽譜
むしろ言葉に影を与えること
言葉にあちこちの角度から影を造ること

右向いてください
若い女性レントゲン技師の声がガラス越しに

ガラス越しに入って来る世界の炎症
天池の塩
さまようミツバチの針
大洋をおおう油
散らばるウランの余韻
集中する戦艦
炎症する青い海

胃の中の吐きたいガスが
壁が破れそうなほど膨らみ続ける
が吐けない
冷たい金属板の上で
磔のかっこうだけれど
金髪の産毛が組み合わさる指の
イエスの言葉からも追い出され
百八十度回転し
頭から床に落ちるだけ

(「交野が原」69号掲載)




8月の詩

ここで 生きる者たち


岸辺は月の縁のように磨かれ
潮が引いて
物語が書かれた貝の破片が重なる

この島々の国に生きている
若い芽に 伸びる木に
ひとしく水が注がれるように
ひとすくいの水の中に
たくさんの川が混じり合い
海がしぶき合い
大洋のごとく心が広がるように

ひとつぶの水玉のまるい肩に
白い羽が止まり 
オッコルム*が風を示して
民族の伝統とあたらしい道を結ぶ
身を危うくする目印ではなく
朝にふくらむ翼になるように

再び奪わないように
君の舌が欲する言葉を躍動させるように
私の喉がなぎ倒す風を吐かないように
色とりどりの単語の細胞で満ちていくように
言葉から自由な馬が走り出すように

私たちは 踏み付けた星の骨を探し出し
散らばった音階 影の泉を
照らし出さなければ
焦げて割れた木を
新緑のやわらかさでうるおさなければ
川をその豊かで穏やかな体のままに ここ 
東アジアの地で生きるために

*オッコルム チョゴリのリボン状の結び紐。



民族教育の保障を

グローバル化の時代に日本はどう対応していくのか。情報や経済が瞬時に
世界を駆け巡るようになり閉鎖的思考ではやっていけなくなっている。
変動も加速し、揺れ動く政治状況から自律した普遍的な人権観念が必要である。
外交問題が教育の場に持ち込まれ、生徒・児童が危害に遭う事態は止めなければならない。

日本人もいろいろな国や地域に出て行くことがふえるだろう。
そこで差別されても、自国で差別していれば反論も難しい。
二〇一〇年サッカーW杯で日本が対戦したパラグアイに
日本語学校があるという。一九三六年のパラグアイ日本人移住直後から、
また一九五六年戦後移住開始直後から移住地で日本語教育が始まったそうだ。
異国で苦しい生活をした祖父母の出身地の言語や文化、風俗を
受け継ぎたいという気持ちはどこでも同じだ。
まして、「韓国併合」により朝鮮語教育を弾圧した日本は
朝鮮の民族教育を保障すべきだろう。多文化共生教育が唱えられ出したのは
つい最近で、とても十分とは言い難い。文化の単極化、一言語の公用語化が
進む世界で、複数の民族文化や言語の存在を保障するのは、
日本にとって他人事ではないのである。日本語も少数民族言語であり
日本文化もマイナー文化である。

日本の若い人は今、あまり海外に出ず内向きとなっているが、
アジアに出て行ったとき歴史問題にぶつかるのもネックになっているのではないか。
双方の若い人たちに負荷をおわせないためにも広く長い展望で考えることが
大切ではないだろうか。 
(『朝鮮高校無償化除外に反対するアンソロジー』)






7月の詩

サンゴ

           
夕陽の切れ端が
 サンゴの首筋から流れ
 石膏になった人魚の手が折れる
 月光と呼びかう銀の枝枝

 私たちは腔腸動物で
 糧を口から入れて口から出す
 入り口しか持たない
 消化という長い祈りも
  死の昇華の古い歌も省かれて
  単細胞生物のように反応する
積もっていく生々しい死骸
 プランクトンより儚い魂がさまよう
  ヒートアップした混線道路のノウサンゴ

 ヤマトに沖縄のサンゴより退化した
  腔腸動物の群落がある
  口から入れて 口から出すだけの言葉
 唇の周りに毒を含んだ触手がうごめく
 出口を閉じているのは内壁だ
 澱んだ流れが通路を死なせる
  私たちは
  自らの廃棄物にまみれて
 うっとりと笑っている
しらじらと色が抜け
  ぼろぼろに砕けこぼれる

  苦しむ緑の文字が満ちることによって
  生かされ 無数の枝でつながる海の森
  退化した触手で
  錘のように降りてゆく言葉をつかめるか
   内なる光の放散へ
  海の破片でつづられた物語へ
   ふるえる万の唇が逆巻く波を送る

(「詩人会議」8月号掲載)


6月の詩


果実たち


空室だらけの雑居ビルのような6月のオレンジが
閉められた部屋のなかで腐っていく
通底音の苦い香り
熟す前に腐敗に転落した
株価チャートの線状にはびこる菌類
分厚い本のような皮を
むしろページをやぶるように
死者が略図を消し
埋められた空を遠くする
わたしたちの二重の天気
快晴のうつろな笑いに
割れるばかりの雨粒

思想の四つ角から
50年前の影が飛びだすが
再び轢かれる 三色すみれを踏む無数のタイヤに
私の減ったかかとに

甘い果汁を吸いつくされた沖縄パイン
銃を差し込まれて噴水した血の形に葉は広がり
おびただしい自決用手りゅう弾のまま
首都のエレベーターで口を開け
固いフォルムで叫ぶ

空室だらけの果実たち
負債だらけの果実たち
お濠は残った果実たち

通底音のすえた匂いが
午後の脳から出て来る




書評『失くした季節 金時鐘四時詩集』

日本本的抒情を問い続ける 佐川亜紀

副題に「四時詩集」と記さ れていることに先ず注目した。
日本の詩歌の源である「四季」 ではなく「四時」。
予定調和 的に巡る季節に一体化せず、 時代の刻印を帯びた記憶が、
また危機の現在が表されてい るのだ。
「あとがき」で金時 鐘は〈植民地少年の私を熱烈 な皇国少年に作り上げた
かつ ての日本語と、その日本語が 醸していた韻律の抒情とは
生 あるかぎり向き合わねばなら ない〉と述べている。
批判や 知性を、和合や情緒の中に封 じ込め、
同一性を強いる日本 の感情の構造を超え、
自己の 感性さえ疑い客観化する〈抒 情の科学〉を方法として
生涯 追求した詩精神は八十歳を過 ぎてもなお新鮮な刃先で時代 をえぐってやまない。
韓流ドラマやKポップスが もてはやされ、差別の代名詞 だったキムチも
健康食品とし てコンビニに常備されている。
しかし、朝鮮半島と日本の歴 史が理解されているとは到底 言えない。
〈夏のあのどよめ いた回天の記憶は/露ほども 誰かに伝わった痕跡がない。〉 (「失くした季節」)
日本の 植民地支配から解放された「回 天」は、一瞬の後に朝鮮戦争 と分断で失われた。
春もまた 残酷な記憶を甦らせる。
〈ぼ くの春はいつも赤く/花はそ の中で染まって咲く。〉(「四 月よ、遠い日よ。」)
金時鐘 が独り日本に渡ることになっ た米軍政に抵抗した
済州島四 ・ 三事件はおびただしい犠牲 者を出し、
しかも韓国では長 くタブーとなり死者を弔うこ ともできなかった。
ドラマの ロケや観光地として有名な美 しい風景からは
想像もつかな い歴史が息づいているのだ。
詩篇の中に環境危機や非正 規雇用の派遣問題も登場する ように、
過去の歴史と繋がる 現在の亀裂を浮き彫りにして いる。
「日韓併合」から百年 に当たる今年、
改めて日本の 歴史認識と感性を省みるため に読みたい詩集である。

(「しんぶん赤旗」5月23日)






5月の詩

君が


君が自分の言葉を言うとき
ひんやり朝の風のような冷たさがやってくる
初めて見つけた路地がどこまでも遠い
いいかけた言葉のかけらが
スライムのように
いつまでもねばねばと形にならないで
見慣れた風景を揺らしている
犬はペンチになって日々の針金を噛んでいる
自転車は花になって雲間に消える
光の彫像が芸人のように舌を出す
君も風景も何一つ
確かな線を描かない
君はキーボードで打たれる前の一字だ
いつも一本の指である君
深く交信したいなら
遠く離れていることが必要だ
自分がよく見えるから

君が自分の言葉を言うとき
体の階段を降りて行く音がする
地の暗がりの匂いに近づく
おののくほどの世界の硬さと柔らかさに触れる
朝の冷気は身にまとう唯一の衣
君が自分の言葉を言うとき




4月の詩


ヒヤシンス


ヒヤシンスの根が
これから書かれる
白い詩の行のように何本も伸びてくる
自分を支え 自分をからにし
やわらかく みずみずしく
何かを求める細い指たち
寒さを通らないと開花せず
水さえ分け入って影の水を吸おうとし
交信と欲望をはりめぐらし
透明な鉢壁に突き当たり
思考は幾重にも水底に渦巻く
  青い星形がむせるように束になって

膨張する宇宙
 無数の小さなひもの根に満ち
よじれ かさなり わになり
まきつき ゆがみ もつれ
  震えるひもの源があると言う

ギリシャ神話では
愛する者の大量の血から
生まれたヒヤシンス
今日の白い花を咲かせる
  光に焼かれた花 貪られる花
  血から生まれても青く咲く
 光から生まれても紫に咲く
  蕾のままの死

収縮することで
濃度を増すもの
六方の光に裂かれながら
自分の芯へ 芯へと
咲いてゆくもの


(初出「しんぶん 赤旗」3月19日)




図書新聞書評 『地に舟をこげ』4号
在日女性の新しい批評性と創造 佐川亜紀

在日女性文学誌『地に舟をこげ』は二〇〇九年一一月発行で四号に達し、在日文学史に
画期的な位置を占める存在となった。 「発刊の辞」で高英梨が明確に在日女性の多様性や
複雑さを認め、未来へ積極的に生かそうと提言したことの意味は大きい。では、「多様性」
ではない以前の「一元的モデル」とはどのようなものだったのか。それは深沢夏衣が
小説『夜の子供』で表した「一等朝鮮人」(=民族的主体性をしっかり持っていて「国籍」は
共和国か韓国、朝鮮氏名で朝鮮語ができる)に、さらに、良妻賢母で夫が飲んだくれだろうが
食事を必ず調え、文句は言わず、祖国に有用な子(特に男児)を産み慈愛深く育てる
「偉大な母性」が加わったものだったろう。一世の女性たちは、戦中戦後の困難な日本で
こうしたモデルを生きざるをえない社会政治状況があった。書き言葉は残さなくとも貴重な
生活文化と語りを伝えた。しかし、現実は一筋縄ではいかず、急速に世界も変化する。
「一等朝鮮人で偉大な母」ばかりでは生きていられない時代になったのだ。

本号の目玉である「秋月ひとり語り―修羅シュッシュッ」の宗秋月は最初の「分派(宗派)」
として七〇年代に鮮烈に登場した詩人である。宇宙を抱合し歴史の大河を越える詩を目指し、
日本にも在日男性作家にも歯に衣着せずに批判する勢いの良さは今も健在である。
在日女性の「自分の言葉」が印象づけられたのは宗秋月からだろう。母性の神格化にも異議を唱える。
男性作家が「お母さんをきれいに書こうとすることによって、いかに女を差別しているか」と指摘する。

世代が進むと、もっと個を大切にし、多様化の一因になる。朴和美「女と家族と仕事(上)」は、
個としての自立を強く意志し、見事に実践した自分史である。
驚くのは、英語の能力を経済的自立のツールとしイギリスなどに留学する発想である。
民族が第一であったかつての在日にとって、語学といえば母国語の朝鮮語をマスターすることであり、
留学といえば韓国だったろう。
若い世代の呉華順の随筆「ハラボジの宿題」も韓国留学から韓国生活に至っている。
だが、朝鮮語で経済収入につながるのはなかなか難しい。
実際は英語の方が世界的に可能性が広がる。最近の韓国の英語熱はすごい。
また英語圏の文化は、「個」を重んじる。けれども「白人の女性たちが社会参加を果たし、
どんどん力をつけていった背景には、白人女性たちの家事労働を担わされた非白人女性たちの
姿があったのだ」という認識に突き当り、再び人種的被抑圧の問題を考える。

妙恵の小説「あとから、怒りがやってきて」も日本に見切りをつけて
フランスに渡り三〇年後に帰ってきた女性の話だが、むしろ家族の葛藤が中心になっている。
金由汀の小説「夢の淵」(前編)は、放浪巫女の母から生まれた父親の違う三人の娘、
ウォルミ、ウォルゲ、ウォリの物語だ。美貌で次々に男を代えるウォルミ、
海女や商人として労働するウォルゲ、巫女の素質を受け継いだウォリが
三・一独立運動の時代を背景に数奇な人生を辿り面白い。
女性の感覚で性や出産を表現したのも特筆される。
この三人を女性の内部の三つの面として考えると興味深い。

詩では、李美子「身世打令」、金水善「悲しみの漢拏山」、
夏山なおみ「よもぎ便り」、中村純「女と仕事をめぐる詩篇」と各々の特徴が多彩だ。

高英梨の短歌は「ひと世をば二つの国にくびかれて挙げ句は三つで御座候」
と批評性に富んでいる。俳句では、金利恵「タムジェンイ」、李光江「色いろいろ」と、
表現のさまざまな形式にも注目したい。

榎本初子の随筆「自分探しの旅」は、母である詩人の香山末子と
五〇年ぶりに会い、ハンセン病国家賠償訴訟に関連した遺族裁判の過程で
自分の戸籍を作成した記録である。母娘の悲しみは深いが、末子の童心の詩に救いを感じる。

辛澄恵の歴史エッセイ「只召太后と花郎」は歴史から抹殺された
新羅宮廷の真実を丁寧に追う労作だ。

ロ・ケスンの紀行エッセイ「サハリンへの旅」は在ロシア朝鮮人三世だった青年を
養子にし彼の生地に行った報告だ。韓国にいる家族との離散を防ぐため
日韓ロ(露)の厖大な法的手続きに苦心し、韓国籍の在日家族になって
やっと韓国に住めるという事態は日本の戦後処理を問うものである。

本号は「仕事」が一つのテーマだが、チャン・ホゴン「至る処青山あり」、
ペ・ピョンスン「母娘二代の保育士」、康玲子「仕事と私」など、
就職が困難な日本社会で前向きに自己の能力を発揮している姿に感銘した。
高秀美「仕事、そして今を生きること」は組合員と非組合員を
分断する会社の不当行為を書いている。

「編集後記」の呉文子のファン・ソギョン著『パリデギ』への問いも鋭い。
理想的な在日女性であった呉文子が体験した
北への帰国事業に関する組織と家族の確執。
苦しみの体験を経て新しい批判性が生まれたのだ。
経験の重みと個性あふれる作品が満載で
ミーヨンの写真や李夏子の表紙絵も新鮮だ。
(このHPで出ない人名漢字などかたかなにしました)
(「図書新聞」3月27日号)




スパム


塩漬けされた舌が缶詰の中で動いている
ジャズのリズム
カンカラ・サンシン
二つに切られたアリラン
SPAMサンドイッチに
挟まれる地球の胴体
spamメールが映し出す
時代の食道

日本で沖縄に集中しているスパム
戦争時の非常食品
米軍基地のまわりに
あきあきする戦争の味
そこから迷惑メールの名前に 

私も出すだろう
スパムメールを
誰だか分からない人に
迷惑このうえなさそうな人に
ついに名が分からない人に
ついスパム缶詰を送ってしまうだろう
あきあきした軍用食品の
終わりのない問いのようなメールを




春の港


   ポム 
   スプリング 
  チュンティエン
   タグシボル
  ムシム スミ
  ムア スアン
  プリマベーラ*
  さまざまな響きの春が波の鱗を光らせ
 海面が数億の言葉の花びらで埋まる
   こなごなになった鏡のような
  内部に船出するにはいい季節
  海峡をわたる蝶の複眼の眺望
  回教がわたる腸の副官の弔砲
   バルーンスカートの女神が
    水色の空で 
   新しいステップを踏んでいる
   魚卵の祝祭と
  球根の葬列
   タービンにからまる
    ケロイドのように ひきつった世界地図
   出港する風はまだ冷たい


  *それぞれの「春」の意味。「ポム」朝鮮語。
  「チュンティエン」中国語。
  「タグシボル」フィリピン(カタログ)語。
   「ムシム スミ」インドネシア語。
  「ムア スアン」ベトナム語。
   「プリマベーラ」イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ブラジル語。
  旅行用の本などを参照しました。
   1月17日に神奈川新聞に掲載の作品を改作。




舌の家


舌は家に育てられる
 木の家 石の家 紙の家
下の習性
地と空に引っ張られて
舌は丸まる
R, L, リウル
どれとも一致しない
かんまんな「る」が
 えんどう豆のつるのように
 すだれのように巻き上がって
  細く切られた外を覗いている
     舌を下に入れる
  植えられた家から
   横どられた通りから
  斜めに茂る音の粒
  ひざをかかえた子供
   舌は切られる  
    しゃべりすぎて だまりすぎて
   世界の熱さに引っ込んだ舌
   トピックスに青く染まった舌
    獰猛な舌に壊される家
     ともづなの家に壊される舌
  舌を出す舌








ぶどうの染みのような
謎の言葉 ススケッキ
スキップする謎
言葉の果肉が半透明にふるえる
この一粒の中のたくさんの原種
種はいつも謎  ススケッキ
出会いたいのは謎の言葉
心臓に還ってくる静脈の
知らないうちに世界の血管を 回る生の
深い汚れから浮かぶ言葉
海の内臓の問いをしのばせて
動脈に返す 遥かな水車  回るススケッキ

うっそうとした森の水源
飢えて捨てられた子供は
かすむ星ほど見分けがたい
米粒だけを 頼りに遠い家を探す
家は遠く 遠く 
米一粒 一粒は 人の森の暗さと枯れ具合を
照らし出す水晶のように光る
アジアの米の道に迷う メコンデルタ 
湧き出る蜜の川
舟が呼び声のように通う
世界は赤い謎がぎっしり詰まり
謎は未知の世界をひらめかす スコップの快楽
迷路をたどるのは言葉
豊穣な実は次の季節の爪をまき散らす
何ぞ 何ぞ 言葉は歩く
ススケッキ すすきの荒野をスキップ ススケッキ 
人の知は猫のヒゲよりまだ短い


※初出「詩と創造」69号を改作。
ススケッキは韓国語でなぞなぞや謎を意味する言葉。



9月の詩

容器
     
湛えられて深まる
水の静けさ
水のなかの神経が耳そばだて
隅々まで行き渡っていく感覚
静かさを唇のように重ね合わせ
温度を伝える

私たちは夜にしか水を飲めない
掟やぶりのように水を飲む未来の記憶
喉が渇くのはささやかな狂気である

闇の中で空から落ちるものを
ためる両手
あのぬるいなつかしいにおい
閉じた瞼にふれるもの
雨ではなく血を飲んでいる
世界の体液の苦さ
昨日は鳥の水を飲んでいたものが
今日は草の水を枯らす
今日の祈りに組んだ指が
明日は美しく残酷な氷山になる

いつも刃を隠す輝く結晶と
崩れ行く流れのあいだの
産毛の静かさ
水・氷・永
惑い続ける一点の存在 解かれ 形となり
うがいのようなうたがい

肉体という容器のなかに湛えられ
巡ることで容器を深くさせる水・氷・永遠


(「交野が原」67号掲載)



8月の詩

レアメタル


銀の声を通る さまざまな言語たち
半減期四四一兆年に記された
傷である言語の 地の秘所から採掘される
レアメタルの夜
地球の奥深さの中から
官能の部屋の扉をすべて開ける

響く 赤の放逸で 鳥の舌をこがし
囁く 青の誘惑で 水の手をはなし
閃く 黄の懐疑で 土の足をのばし

カドミウムが黄河の喉を嗄らし
欠けたダイヤモンドが
憂鬱な誕生石の タムタムの音階を割る

跳ねまわって捕えられない
未知の動物のような希少言語
結晶と気化の憧れが
自らを破壊する希少金属 藍の光 

インジウム 伝導する透明
液晶の中の欲望の伝道

都市鉱山で再生される
捨てられた思想
あらゆる人の微少な金の願いを集める

ただそこに存在し
意味はなく 意味はあり
光をはらみ 闇に還り
異臭と芳香の 通話と毒の
心のレアメタルを採掘する
掘り進んで現れる多色の地球

光年からの着信は
銀の翼のはばたきと折れた音声を同時に伝える





6月の詩


そこにも


くしゃみをする
そこにも くしゃみをする人がいる
もっと激しいくしゃみかもしれないけれど
もっとひどい寒さだろうけど

つまらないことが人間は似ていて
自分たちが大切だと信じていることが
まったく違うこともある
違うことだけで
あっけなく武器の目標にしてしまうことも

くしゃみをする
世界の寒さを感じて
文明のほこりに違和を反応して
つまらない反応が結構だいじだったり


そこにも
くしゃみをする人がいる
少々赤い鼻と
ちょっと刺激的な風
ハックション 
いろいろなくしゃみを
する人がいる
たとえ花粉や その他の照準があてられても
そこに 人がいる





5月の詩


灰の泡


こまかく むせるように こみあげる泡たち
宇宙の泡立つ星々
海の藻からの最初の気泡

インドでは火葬でしたたった人脂から
石鹸をつくり洗濯を生業にする人がいるとか

灰と脂のなかから
洗浄の夢が生まれ
欲望と浄化が一つに溶けて
バブルは海面もおおい
新宿のソープには世界の香りがして
色とりどりの長い足の傷を
にせ真珠のベールで隠し

魂もこのように壊れやすく
一瞬だけ虹彩を
ゆがみながら映し
体の表面だけ
明るい風景が流れ行き
ゆるやかに舞う
空洞の内部のまま
ひとはじきの水滴とさえ
なれれば

ますます灰まみれの体
いよいよ脂まみれの地
灰のなかから
つぶやくようにあふれる泡





4月の詩

テーブルの上の卵

飛行船のように
内から発光する卵
テーブルの上の偶然の停止
存在の可能性の一点が
ありふれた力関係の集まりとは
テーブルの傷や窪みが
かろうじて留める
卵を存在させるもっと遠い力を忘れさせるほど

卵の窓がいっせいに開いて
卵の夜があふれ出す
太陽が割れたように

今 テーブルはこの一個の卵のためにある
食用を逃れてきた聖性のために
または聖性を脱いだ透明な食欲のために

卵の中の街
見知らぬ花 鐘が鳴る白い教会 丸い寺院
  追われた人々 
追われた動物が押し込まれ
はじまりであり 終わりである所
飛翔であり 地中であるところ

カラゴロ カラゴロ
転がり始めた
私たちの街
カラゴロ カラゴロ
もう銃弾の姿のように
内部から腐る臭い
カラゴロ カラゴロ
  テーブルの端 
 端に立った卵




3月の詩

水時計

エベレストの氷壁から
ボルドーのぶどう畑の房先から
バグダッドの水煙草から

一滴したたって
さまざまな長さの一秒

加賀千代女のつるべから
沈清の竜宮の髪から
ウルフの波から

一滴いまも吸い取る
やわらかい紙

時を生むことに水はまどう
それで やさしく揺れている
走って逃げる

不安のようにゆっくりふくらんで
こらえきれず落下する
蛇口の一秒

とりかえせない時に
目じりにずっとたまったままの
砂と爆薬の混じった涙

私の体の中の水時計
逆立ちしてみる
時が逆さにあふれ出るように

地球 巨大な水時計
残り少ない時が
不意にこぼれてゆく

地球 宇宙の一秒
だれかがこぼした水玉
永遠の一秒






2009年1月の詩

海女


突然の集中豪雨でびしょぬれの輪郭
ビル街を海女になって歩く
ここが海だったころ
時間の水深を降り
地球との命綱をたどり
よろこびの芯を見つけに
体中のの息をこめ
深みに下ることで自分に出会う

大洋が入り乱れ
波の花々 緑の炎が揺れ 
らせんに巻く貝の夢を昇り
始原の記憶が千色の魚の形で泳ぎ
海のなめらかさに背がしなり
透明な絹をどこまでもなびかせ
磯ノミで言葉を岩からはぎ取る

生の糧を 自由の糧を海から
いただいてきた
済州島のヘニョ 伊勢志摩の海女
労働を讃え 女神に祈り
乳房から光の雫がしたたる

人魚のように 指の間に泳ぎ出すヒレを生えさせ
ローレライのように ふらちな歌をハミングして
洪水と砂漠の街を歩く

※韓国・済州島(チェジュド)のヘニョ(海女)は有名。



冬の蛍


イルミネーションに彩られた
ネーションの輝きは終わった
閉鎖された百貨店の前 街の電飾が
癌部追跡の蛍光薬のように
この世界の病根を早く切除して
でないと私が倒れると言う声々のように
ビルの体を走り回るが

イリオモテボタルは冬に光る 雌だけ 
幼虫の姿のまま 尾部が 一本のろうそく
幼女のまま死んだ子の足指から 発光しているみたいに
街灯が増えて 交尾もできずに 絶滅危惧種

アメリカの蛍 ファイア・フライ 陸地にもいて
蛍のクリスマス・ツリー 蛍の夜汽車


お尻に火がついている 光は尾部から発する

猥雑と聖性がクロスし 化学反応した奇跡から
心の中に一匹の蛍を飛ばしたい
自分の中に一匹の蛍を飼って
冬の時代をなんとか生き延びる
裸木の冬芽たちは銀のうろこをきらめかし
泳ぎ出す魚を点描する
イミテーションの灯りが消えた後
すべての源である闇が降りてくる






2008年12月の詩

木の貨幣


公園の木から ふと葉が落ちて
「とっておいてくれたまえ
木の国の貨幣」

「どうも ありがとう
今日のレートはいくら?」

「それはきみしだい 
小さい頃の思い出や ウイーンの夕焼け
ルオーの絵 古い映画のワンシーン
詩歌の一節と取り替えられるかも

木の葉だってばかにしちゃあいけないよ
パン一個をトランク一杯の紙幣で買っている国も
今あるんだから」

公園には
水鳥の羽だの
丸い石だの
銅版の説明書きなど
もと貨幣だったものが
いっぱい

人間なるものを表す貨幣
信頼と悪意
欲望と発展

そして 本質的には
木の葉とさほど替わらないもの

大木は気前良く黄金色の葉を振り落とす




2008年10月の詩


  
雨の指 

  嵐の中 
 廃れた村で ピアノの鍵盤のように
 墓石が次々倒れ流れてきて
 激しい雨の指が ラプソディーを弾きやめない
深く穿たれた土地の耳だけが聞いている
スターバックスコーヒー一杯の
 生を脅かすものが 地の底から響いてくるが
 小さい墓石のようなケータイに吸い込まれる
  前々代から村を捨てた家の女
 墓石に刻まれている家名
 家とは墓のことなのか
 その重さを嫌い
 杉の根よりからみつく家の根を切り
 ふっくらした稲の身を削ったのだが
  今 ごうごうと流れ去るもの
 流してしまった田
 黄金の星がぎっしり揺れ
 悪い虫に隅々までとりつかれ
 幻と悪夢の乳白色の海を さまよっていた祖母の意識

 雨の指が弾くジャズ
 証券会社のビルに 公園のすべり台に
 マンションの屋上に ガソリンスタンドに
 ベーカリーの軒先に コンビニのガラスに
 深く深く空いたマンホールの耳たちが聞いている

「交野が原」65号掲載


2008年9月の詩


 爪


爪に流れる星たち
盛り上がる花々
遊園地のドア
小さな10のキャンバス

昔は鳳仙花で爪を染めた
爪紅は朝鮮でも日本でも

爪が舌を出している
猫の爪のように鞘に隠れて飛び出す言葉

ガラスをひっかいている爪
どの人にもガラスがあって
世界がよくひっかけない
爪の10の窓のなかで
不安な顔が並ぶ

孤独の中に成る瓜
どんどん伸びる爪
種を一つ付けて
爪を隠す

メタル色に塗ると
世界の冷たさがしみてくる
指まで金属の匂いがする

うろこみたいに鉄の爪で覆われ
傷つけあう至るところで

乱れ飛ぶ光線を
爪弾く桜貝のような爪
悲しみをかき鳴らす朱の爪






【世界の文学・韓国】 DVをテーマとする詩    佐川亜紀
東京新聞 7月10日夕刊

日本でDV(ドメスティックバイオレンス) が問題となっているが、
韓国でも一九八三年 に「女性の電話」が設立され、庭内暴力が 表面化した。
伝統的な家族の形が揺れ動き、 離婚率はピークの二〇〇三年には
ロシア、米 国についで世界三位。
七〇歳の妻が九〇歳代 の夫の家父長的態度に耐え切れず、
離婚を申 し立て、女性団体が支援する事例が一九九六 年に起こっている。
(『現代韓国と女性』春木 育美著・新幹社)
今、韓国では愛の詩が人気だが、関係の傷 を見つめる作品もある。
二〇〇八年度の素月ソ・ウォル 詩文学賞の候補作品集に
男性詩人・李昇夏(イ・スン・ハ 六〇年〜)の詩「あざ」が収められている。
「赤黒い夕焼けが垂れこめる漢江を/ぼんや り見ていたあなたの目に/
ゆっくり水が浮ぶ のを見た/そっとよく見たらあざの色は/
ど んよりして薄黒い いや 濁った青だ/殴ら れた妻たちのあざが/
あの空を濁った青のあ ざだらけにして/空があんなに顔をしかめて いるのか」
男性詩人がDV被害者の妻たちを 主題とするのは珍しい。
人権意識の社会への 浸透を感じる。
李昇夏には詩集『暴力と狂気 の日々』があり、
社会に潜む暴力性を鋭く露 呈させる。
「あざ」は権宅明氏と共訳で、韓 国詩を多言語で翻訳している詩誌「詩で開く 世」に発表した。
詩の海外発信に熱心で、バ ス停や飲食店の壁にも作品を掲示している。
インターネット調査で昨年最も読まれた詩 に選ばれた
一九七六年生まれの金経株キム・ギョン・ジュ の「膝の模様」は、
自由な想像力で表現はポストモ ダン的だが、従来的な母子愛も入れ込み、
他 の作品では猫いらずを飲んだ一家を書くなど 混沌とした家族像を映し出している。
素月詩文学賞の受賞作品は、羅喜徳(ナ・ヒ・ドク 六六年〜)の「ソプ島が見える部屋」で、
朝鮮近代画家を代表する李仲燮(イ・ジュンソプ)を偲ぶ。
日本人女性と結婚し、朝鮮戦争時に避難した済州 島で
蟹と遊ぶ睦まじい家族は彼の絵のように 美しい。
後に家族は離別し、画家は精神を病 み四〇歳で早世する。
李仲燮は牛の絵が有名 で、煙草の箱の銀紙に描いた絵も独創的だ。

ところで、世界詩人大会などで韓国詩人と 親交を深めてきた詩誌「地球」
(代表・秋谷 豊)が中心となり、五月十六日、十七日に交 流三十五周年記念の詩の集いを
ソウルで韓国 詩人協会と開催した。
二〇〇一年に新大久保 駅で人命救助のために轢死した李秀賢氏に捧げる詩を
石巻専修大学准教授・小山修一氏が 朗読し、李氏のご両親も出席された。





アジアの子ども


五月の風を吸い込んだまま
押しつぶされた胸
新しい二つの扉の形をとどめて

アジアの子どもは
割れた地の言葉で
溢れた河の母音で
奪われた村の声で
瓦礫から人の文字を刻んで来た

東と西にかかる吊り橋を
時代の荷を背負い
激しく揺れながら渡って来た
谷底の深さを味わい
山頂の高さを目指し

桃になった子ども
鳥になった子ども
土の中の命が
ここにいる鼓動と
これから生まれる喉とつながって
言葉が続く

亡骸をくるんだ布に似た
花びらが不意の寒さにふるえる
詩の国の
一人一人の死は
詩の中で 人々の胸の中で
五月に再び甦る






金平       
 

バラバラになった家の木材が折り重なるように
DNAが混ぜこぜになったように
ドラムスティックの束がぐったりしたように
きんぴら ひらひら へんぺん

世界は木の家と 石の家から出来ている
木は一滴の水を常にもとめる飢渇にあえぎ
枯れてはまた芽が出る?
石は宇宙の一点に還ってやり直す苦役がさだめ
星ゴミから再利用する?

弁当工場の
流れ来る幕の内のアルミ箔容器に
寸分も違わない量で
きんぴらを深夜入れ続ける日系ブラジル人
牛蒡だって人参だって中国産かも
日本芝居の幕の内に急いで入れ込め
生まれた時はなんでもありそうだったのに
今は何も無さそうに落日を見ている日本の若者と
交代制で 時給も短距離で競わされ 息切れしそう
千切りよりもっと細かい首切り
手の豆よりもっと高い大豆
家無き金がアメーバのように世界にとめどなく流れ
アフリカで揺れ騒ぐ金鉱石
タムタム 田無田無 森の精霊が太鼓乱打
鼓動と宇宙のリズムが変調
金平も公平もきんぴらとは まっぴらごめん
「悪逆に驕る者は。栄華を永く子孫に伝へず。」
<古浄瑠璃「公平甲論(きんぴらかぶとろん)>
かぶとをかぶせられ 転がる転がる金貨

せめて 死が 死の公平が
きっちり同じ量で盛られる器を望みたいが 
死も高騰し 値切られ 売り飛ばされ
こなごな 片々 胡麻の種くらいにはなりたい
九九・九パーセント外国産の胡麻に
ミャンマー(ビルマ)産黒胡麻
グァテマラ産白胡麻
トルコ産金胡麻に入り混じり
細い薪を燃やして護摩きんぴらの祈り
煙に巻かれて護摩修行せえ わたし
ヤポネシア洗え 洗え たわし
きんぴら ひらひら まっぴら へんぺん
きんぴら ひらひら まっぴら へんぺん

(詩誌「はだしの街」2008/4田中国男氏発行掲載)


【日韓女性詩における生命と環境問題】    
佐川亜紀


日本現代詩は、廃墟と原爆投下後の終末光景から始まった。
戦争の加害者意識は希薄だったが、生よりむしろ死が主題となっていた。
そのなかで、栗原貞子が原爆詩「生ましめんかな」を書いたように
生活と育児の現場にいた女性詩人たちは、新しい生と表現に向かって歩き出した。
高良留美子、茨木のり子、加害者性に深く踏み込んだ石川逸子、
福田美鈴らの活動も重要である。
一九八三年に女性詩誌「ラ・メール」を発刊した新川和江は、
生命のみずみずしさと女性詩の豊かな創造性を示した。
伊藤比呂美ら新世代は、母性神話の否定が注目された。
九二年には、日本現代詩人会と日本詩人クラブが共同で
『地球環境を守ろう』というアンソロジーを出した。
男性詩人の台所詩、育児詩、介護詩も登場した。
二〇〇〇年代に入り、若い世代ほど生き難さを訴え、
既存環境の崩壊に直面している。
社会的にあまり捉えず、言語表現の個性化に向かい、
社会派が衰退する傾向が見られる。
生命格差、環境収奪、生命の産業化が深刻である。

韓国現代詩は、解放後、取り戻した国土を抵抗の史実と重ねて
表現する叙事詩が多々見られた。
農村的価値観が大切にされ、
甲午農民戦争のように農民は闘争の主体でもあった。
初期の女性詩人では、金南祚がキリスト教から生命をとらえ、
宗教性も大きな特徴である。
女性詩人は自然を叙情性や美学の観点から書くことも多い。
経済が高成長すると、政治性から文明批評性にテーマが移行し、
金芝河も東洋的生命思想を唱えるようになった。
最近も高度消費社会や都市化の非人間性を憂慮する作品を女性詩人が
たくさん書いている。

以前は、日韓とも母性が生命賛歌の一根拠だったが、近年は人間として、
男性詩人や産まない人の自由も含め、国家や人類中心主義を超えた
地球的な生命観が求められている。





貝塚


  図書館のパソコンコーナーの ソファーに
縄のように絡み合った長い髪の人が 寝ている
体臭の強さが生身を際立たせる
近くの縄文の貝塚を思い出す
縄文時代も地球が温かく
海がここまであふれていた
本棚も列石遺跡のよう
活字たちが食い尽くされ
文化の養分まですすられ
殻だけになって捨てられた
積み重なった生きた跡
一時代の区切りのように 並んでいる
一万年を百年で使い果たす
文字が文字から生まれるときの
内臓も透けた ぴくぴくした鼓動も
輝き続けている
海から上がった渇きが文字を支えている
言葉の住処を背負って舌で歩く
暗い潮を潜ってきた
いびつな貝殻の腕輪が魔よけ
わざと欠けた土偶が光満ちる足を願う
太陽をみごもる肉体への賛歌
魔と神を髪に飾って
古代のなまなましさと 今の滅びが
壊れた二枚貝のようにずれながら合わさって
私たちの臭気を浮かび上がらせる

「交野が原」64号初出



時間


鳥であった時の
高い時間
地をついばむ嘴と
永遠に届かない空のあいだにいて

木であった時の
深い時間
身体の中に丸めていく円形の時間
一滴の時から地球は回り続ける

蛙であった時の
二つの時間
ゆっくりした水と猛スピードの陸
二つの単位がぬれて乾く

石であった時の
とほうもない時間
始まりと終わりが一粒にあり
彼方とここを足元に記す

火であった時の
むごい時間
火傷のひきつれのような世界地図
死は火を残す

すべての時が人の中に書き残されている
時間はキロメートルで計られる
他者の時間とともに
時間はリットルで計られる
たった一人の自分をめぐる血

24色以上も彩られる時
常に隠された色彩が
影の厚み




名づける


ゴイシシジミは
しじみたちが碁会所で
頭をひねっているような名だが
かわいらしいチョウの名

イワチドリは
海辺の岩場をすいすい飛ぶ千鳥のようだが
蘭科の草

アバチャンは
昔の友達のニックネームのようだが
クサウオ科の海水魚

シマウシノシタは
おいしそうな牛タンのようだが
これも海水魚

断崖の女王は
映画の題名みたいだが
ブラジリアン・エーデルワイスの別名


ニートとか
後期高齢者とか
勝手に名づけられても
そこに納まらないのは人間も
生きものもおなじ
自分で
名づけ返したいもの
ちょっとはずれたところに
いつも活き活きしたものがある
ちょっとはみ出した自分を
とくと味わおう

そろそろ
ミカドガガンボという
ロボットの名のような蚊トンボが
細い手足を青葉にゆったり伸ばす季節が
やってくる




半月


夕陽を真二つに折って
畑を切り刻んで
海辺にヒダを重ねる
近代アジアの心臓のような穴蔵住居の
うすい枕で
老成した子が寝ている

長らく冷凍し
解けて出てくるものは
なにか
東の地下でうなりうごめいているもの
西の地上でたけりくるっているもの

パッケージは多色刷りでも
冷厳な二分法が
疲れた手を休ませない

食は大陸頼みで
マネーはツインタワー頼み
油は砂漠にすがっていることが
次々に身にしみいり
私とは一体だれか
麺棒でのばされた面貌より薄い
うおうさおうってちっさく吠えてみる
いっきいちゆうと揺れきしんでみる
すでに言葉も名も数字の菜箸で代用できる

半月を食べましょう
いつだって危険です
人間に見られたものは
人間に愛でられたものは




生地


生家のあった東京下町の一角は
四階建ての立体駐車場になって
車たちが住んでいる
バス付きで洗車してもらっている
平屋ばかり四軒だった跡は 空の高さまで違うが 
遠い雲間の鳥からは
異常発生した虫のように 車群が見えるかもしれない

家族のいりくんだ思いが コンクリートに隠された
太古の生物、ステゴザウルスの家族なども
確執を抱えていたから
石油はあぶない燃え方をするのだろうか
祖父が戦中たどり着いた借地
どこの土地も仮の土地
人は流浪する
鞄の満州鉄道の株券も他者の土地への悪い幻
門前町の面影は薄れてもお寺だけは立派
日本人の代わりに米国人悪役レスラーと闘った
力道山・金信洛が墓地に眠る
ヒゲ豊かな中東の人とすれ違い
駅前ではケンタッキーフライドチキンの
カーネルおじさんがほほえむ
駅近くのマンションは 鉄筋不足の耐震擬装で
テレビに度々登場した
生の柱が一つずつ消えていって
人も容易に揺れやすくなる
揺れて現れる柔らかい地層もあるが
幻の柱で内を支えたくなる

物の死 人の死をみつめずに
言葉が耐えられるか
言葉もイチョウの葉のように流浪する




■書評『心にしみる四字熟語』円満字二郎著(光文社新書・700円)
評者・佐川亜紀

この頃、四字熟語に関心が高まり、 テレビのクイズ番組でも「一期一会」 の
ように「一」が二回入る言葉を五 つ挙げよ、などという問題がよく出 てくる。
著者は、 出版社で国語教科書や漢和辞典の編 集を手がけてこられた
そうで、豊富 な知識をもとに四字熟語の奥深さを 親しみやすく語っている。
たんなる 辞書的な説明ではなく、樋口一葉、 夏目漱石、谷崎潤一郎、
芥川龍之介 等々、十六人の文豪の名作から用例 を選び、さまざまな角度
から漢字四 文字と小説の解釈を広げ、意味を掘 り下げている。
四字熟語で、作者の 思いの多面性や、物語の二重性まで 分かって、
味わいが倍加する。

例えば、川端康成の有名な『雪国』 では、主人公に無能のイメージを与 える
「無為徒食」が取り上げられて いる。「無為」は、中国の老荘思想 で
世俗の価値観を否定する中心的な 概念だが、それに日本的な役に立た
ないがゆえの美の意を含む「徒食」 を融合させた四字に、時代の風潮に
左右されない独自の美を極めようと する作家の芸術的態度を発見する。

本書では小説から引用しているが、 現代詩にも四字熟語のおもしろい使 い方がある。
太宰治『お伽草紙』の ユーモアとペーソスに通ずる例が浮 かんでくる。
茨木のり子の詩は、き りっとした姿勢が人気で、意味内容 もさることながら、
漢語的表現と日 常話し言葉の組み合わせが絶妙だ。
「生きてゆくぎりぎりの線を侵され たら/言葉を発射させるのだ/ラッ セル姐御の
二挺拳銃のように/百発 百中の小気味よさで」(「おんなの ことば」)。
詩の場合、字の視覚的要 素も大事で、茨木の詩「癈屋」では伸び放題、
草ぼうぼうの家を「魑 魅魍魎」の字形からも想像させる。

著者は、日本で作られた四字熟語 が意外と多いと指摘しているが、
韓 国語にも四字熟語が存在する。二枚 舌のことを日本語で「一口両舌」と 表すが、
韓国語では「一口二言」と 言う。各国で少しずつ違う語が見ら れることも興味深い。

一方、四字熟語は魔力を秘めてい て、戦争時や変動期に威力を発揮す る。
司馬遼太郎『坂の上の雲』の 「連戦連勝」など、「心にしみる」 ばかりではなく、
強調表現として心 を高ぶらせることもできる。
時代を 映し、時代を風刺し、時代に影響を 及ぼすこともある。
そうした魔力も ふくめて本書は四字熟語と近代日本 文学の宝庫に新たな光を当てている。
一汁一菜もままならず、一進一退、 一喜一憂の世の中、一問一答しつつ、 一字一句まで
味読したい。
(産経新聞12月3日掲載)







十二月の水


水の中に針葉樹林がはえてくる
鋭く刺してくるものが
雪の結晶のように
明晰で美しい思考をうながす

雪の結晶の芯は
微細なちり
ちりがなければ
寺院の屋根をおおう白いベールもできない

人もまたちりや猥雑なもののかけらから
いつか美しい思考の結晶が生まれるのだろうか
車道の水溜り
砂漠に広がる血
サンゴが白くなった海

汚れた羽から
相反する力から
世界に六方の眼差しを持った
針から花へと変わる
しんと静かな冷たさのある
結晶が生まれるだろうか
生まれるだろうか

  


  
10月の詩


記憶の根


記憶が水を吸うのは
最もやわらかく繊細な根毛から
産毛のように洗われて

痛みの神経が
土の中に夕焼けをしまう

根は土と抗うよそもの
手だけになった子供たちが
岩を崩す
先端の冠は
つぎつぎに剥がれ落ち
真新しい問いの筆が生まれる

年月をつらぬくものは
棒のような幹ではなく
ひわひわした根毛である
人間の恥ずかしい毛のようなもので
獣の無垢のなごりと
立った不思議な二本足の間にあり
ほんとうはそんな恥の感受性も薄れ
暗洞を隠しているにすぎないが

土の幾層の物語の細部に
耳を傾ける根の
地下の深さが
地上の梢の高さになる
高みへの渇望が
深さへたどりつくのだが
地表あたりで
うろうろもつれを繰り返す


「交野が原」63号初出。「交野が原」は大阪府交野市在住の金堀則夫さ
んが発行されている詩誌で、毎号40人くらいの詩作品が載り、書評、評
論も充実した内容です。交野市の地名に想像力をふくらませている金堀
さんはじめ活きのよい詩人たちが集まっていて私が好きな詩誌で、参加
させてもらっています。《子どもの詩広場》があり、小・中・高校生の作品
のうち交野が原賞作品が発表されています。もう30回にもなり、詩誌と
してはめずらしいことです。子どもの詩には、詩の原点の発見と意外な
想像が見られます。特に小学生の詩は、おもしろいです。
《金堀ホームページ》http://www5d.biglobe.ne.jp/~kanahori/へどうぞ。





9月の詩

ヒロシマの眼

〈背中の眼で見る〉
父の背中の眼は
一九四五年七月の仙台空襲で
背中に食い込んだガラスの小破片
取れずに四十年を過ごした
仙台は陸軍施設のあったところ
焼け野原の東京に行き空腹をこらえ
家庭用パン焼き器などの電気器具を作り始め
そのうち大型プレス機械の設計図を描いて
〈背中の眼で見なくなったのはいつから?〉
最後は原子力発電所の作業用ロボット開発
大企業の下請けで
命をすり減らしてガンは末期だった
火葬場で背中の眼も煙に消えた
ガラス片は涙のように溶け
〈背中の眼で見続けることは人間には難しい
廃墟こそほんとうの姿だと心底知るのは〉

〈ヒロシマの眼で世界を見て〉
中東から声がする
劣化ウランが体の中で黒く輝く少女

イラクの人々が戦火の中で ヒロシマと言う
唯一の日本語で 苦しみの世界語のように

韓国の被爆者が ヒロシマと言う
体中の傷のような日本語で 国家語として

こなごなになった光を集める
ばらばらになった眼をつなぎ合わせる
底知れぬほど深い湖のような
ヒロシマの眼をいくども甦らせるために

『原爆181人集』(コールサック社)収録




8月の詩

火の根 水の声

人は二つの火を手に入れたとき
闇の深さを知った
億の花房の芯が灯り
夕餉のいいにおいがする
荒れ狂う金の竜は
すべて灰になっても燃え尽きない
地球を何回破壊しても
新しい刃の火の発明に夢中だ
アジアの心に
火傷の跡が残る
小さな日をどうして
幻の太陽と妄想したのか
東から上り西に沈む日
西から上り東に沈む日
二つの日が 二重の記憶が
アジアの魂を引き裂く
地表をなめ尽くした火は
地中深く入って
何の根になるのか
アジアの地を千本の手で抱く根
千手の仏様のようになれるのか

火の根に水の声を
命の水源の声を
  ママの響きを
哺乳類が乳を吸う時の声
  木が地下水を吸い上げる音
鳥が殻を破る力
魚が波と遊ぶ笑い
無と生命の間にあるm
沈黙と叫びの間にあるm
水 ムルの声
火の根に 億年の水の声を
緑の葉の言葉が還ってくるように





グローバリゼーション時代における東アジア詩人の役割
佐川亜紀

グローバリゼーション時代の東アジアにおける日本詩人の役割を述べる前に考えな
ければならないのは、近代の歴史です。アメリカの開国要求を受けた日本が他のア
ジア諸国より少し先に欧米の文化を移入しました。移入した文化が単に広がっただ
けではなく、帝国主義的であり国粋主義的な支配となったことを深く反省します。
こうした過去から、アジアの皆さんがいつも日本に対して一抹の不信を抱くのは
当然です。日本は過去をきちんと記憶する必要があります。
しかし、戦争体験者や戦後の進歩的知識人が死に時間が経過し、
だんだん記憶が薄らいでいます。
私の詩「火の根 水の声」の「火の根」とは、アジアの戦火の記憶、
日本が理不尽な侵略を行い、大きな被害を与えた過去を表し、
さらに現在の世界的紛争を表現しています。
火には二つの意味があります。火は漢字で人間が二つの火を持っている形に
見えます。日本では、漢字の語源や形から詩を発想することも多いです。
一つには、火は文明をもたらし、生命を助けました。食事や保温はありがたく、
知恵の象徴でもあります。
また一面では、巨大化した文明の火は金儲けと結びついてしまったようです。
グローバリゼーションのマイナス面は予測も制限もできない経済活動になることです。
兵器も金儲けのために発明、流通されています。
このような時代に日本は歴史の過ちをよく悟る必要があります。
小さな島国がどうしてアジアを支配しようと妄想したのか戦後世代の私には
よく分らないですが「井の中の蛙 大海を知らず」の意識が昔から
あったようです。日本はアジアを支配しようとする傲慢を捨て、
アジアの一員として協力しなければなりません。

近代以来、日本は西欧に倣いましたが、内部には葛藤が起きています。
特に、現代詩は伝統的な定型短詩が強いため難しい立場に置かれています。
情報化時代の現在でも一層定型短詩<短歌><俳句>が
さかんに活動しています。短詩はPCや携帯電話の画面を使うのに適しており、
若い世代も携帯電話を通しての投稿や交流を楽しんでいます。
伝統は重要で詩の根本です。けれども現代の世界的課題を考える時
それだけでは不足します。内部に批評的観点を持たないと閉鎖的になります。
日本では批評的観点が少なく、西欧の考えに頼りやすいです。
金光林先生が親しくされていた田村隆一も西欧のモダニズムの
大きな影響を受けました。敗戦後、日本文化を改革しようと<短歌的抒情の
否定>まで至った問題意識が消えたのは、
近年の歴史観の右傾化とともに困ったことです。
最近は詩人たちも俳句を作り、合体させた作品を書く詩人もいます。
現代詩は世界化と個別の伝統、普遍性と特殊性を合わせた芸術を
目指しているわけですから、日本も閉鎖的にならずに、アジア、世界に通じる文学を
今後も追及していきたいです。

アジアの知恵、例えば仏教などは見直し、その他のさまざまな素晴らしい文化は
共有していくようにしたいものです。
私は、『高銀詩選集』を早稲田大学の金応教先生と一緒に翻訳しましたが、
高銀先生の詩の中に仏教思想が深く入りこんでいることに驚きました。
日本でも仏教思想を根底の思想とした詩がありますが、美学的で、
韓国ほど思想的・実践的ではありません。

ポストモダンの後、有効な新しい思想が現れず、
フランスさえ経済合理主義に傾き、文学は危機に瀕しています。
読者の個人化と消費者化がインターネットの媒体出現と結合しながら
文化が無視されるようになりました。日本では、大学から文学部が消えるころがあり、
替わりに情報処理科や国際コミュニケーション科などが登場しています。
文学表現という回路を通らずに直に情報交換、記号通信すれば良いと
考える風潮も出てきました。日本の若い人たちの詩ももはや抒情詩ではなく、
記号の羅列のような書き方が流行しています。自然性が失われたという批評家も
います。戦後、自然性が権力に対する逃避となると警戒しましたが、
今は情報記号化の影響を受けているようです。 しかし、言葉は単なる記号ではなく、
風土・歴史・身体・固有の思想と結びついた生き物です。
日本語はアジアの言語にルーツがあるわけですから、言葉の響きも大切に
したいです。

人間が生まれて最初に発声する音は、乳を吸うときのママのmの音だと
言う説があります。韓国語のオンマ、英語のマザーなどもmの音が入っています。
また、水とムルもmの音が入っていて、生命の起源の音を感じさせます。
失われつつある生命の泉の声、水の声を聞くのもこれからの詩人の役目と思い、
私の詩の「水の声」はこうした願いをこめています。
グローバリゼーションは主に経済の世界化として現出していますが、
環境破壊も急速に世界化しており、自然への畏敬を思い起こさなければ人類は
破滅するでしょう。

けれど、絶望的なことばかりではなく、情報や経済の世界化は
同時代的な共感をも生み出しているのは喜ばしいことです。
2000年以後日本では、"韓流"というブームにより韓国に対する関心がふえました。
映画、ドラマに人気が生じ、しだいに文学・詩に興味が持たれ、
絵本もたくさん出版されました。TVドラマを見た人たちは、韓国の料理、装い、
暮らしなどにも関心をひろげます。韓国で詩が人気だということで、主要日刊紙、
詩雑誌がたくさん韓国詩を紹介するようになりました。私も朝日新聞、東京新聞、
毎日新聞などに寄稿したり、インタビューを受けたりしました。
また、日本の月刊詩誌「詩と思想」「詩学」などが特集を組み、
権宅明先生、韓成禮先生、詩人の先生方にご協力頂いています。
韓成禮詩人は旺盛に多数の作品を翻訳・紹介しています。
日本で"韓流ブーム"が起こった原因には、グローバル化によって
日常生活に共通するところが増し、感情移入しやすくなったことが
考えられます。また、日本が失った世界、温かい感情、正面から語る人生論や
思想、親しい人間関係、幅広い伝達力も魅力になっています。
特に尹東柱は人気が高く、いろいろな人が翻訳を試みています。

21世紀に入って、韓国だけでなく、中国にもベトナムにも他のアジアの国々に
対する関心も著しく増しました。詩文学の共同研究も進むでしょうし、
世界の国々との文化交流も増大するでしょう。
イラク戦争開始のとき、アメリカのインターネット反戦詩運動に呼応して
日本でのホームページ「戦争に反対する詩のページ」を発信したのですが、
アメリカ、オーストラリア、韓国の方も注目してくださいました。
東アジア各国の個性や伝統を尊重しながら閉鎖的にならず、
21世紀の世界をともに生きるための共通の文化を詩を通して作るよう願って
やみません。

※韓国詩人協会主催の「東アジア詩人フォーラム」8月11日(ソウル)で発表




7月の詩


あるメール

降る雨はすっぱい
かすむレモンみたいな輪切りの太陽
しぼられた心が流れ出す

迷惑メールがたくさん来て
一通のメールを探すのがたいへん
インターネットはレントゲン写真
時代の内臓
欲望のありかと病巣が
はっきり浮かび上がる
私も知らないうちに誰かに迷惑を送っている

一杯の水のようなメールを探しているのだが
生の水源につながり
この地上の湧き水で
ささやかな灯火のような
そして
静かな考えの時間に導く
レモンのように美しい謎の言葉




戦後の理想を体現した詩人・茨木のり子
―韓国詩にも通じるさわやかな述志
  佐川亜紀

2006年に79歳 で亡くなった詩人・茨 木のり子さんの遺稿詩集『歳月』(花神社)が
今年2月に出版され、 5月にはもう3刷にな っています。これは日本の詩集としては異例
のことです。以前に も、1999年刊行の 詩集『倚りかからず』 が14万5千部の
ベス トセラーに達し、話題 を呼びました。
なぜ茨木さんの詩は、 こんなに人気があるの でしょう。一つには、 「倚りかからず」
の題 名どおりできあいの権 威によらず自ら考える戦後民主主義、特に 女性の
自立する姿を誰 にでも分かるあざやか な言葉で表したことが 大きな魅力だと思いま す。
『自分の感受性く らい』という詩集では、 〈駄目なことの一切を /時代のせいにはする な/
わずかに光る尊厳 の放棄//自分の感受性くらい自分で守れ/ ばかものよ〉
と時代の せいにして流される愚 かさに活を入れてくれ ます。戦争体験者であ り、
〈わたしが一番き れいだったとき〉の青春期を恐怖と飢えのなか で過ごし、
無知だった ことの悔いは詩作のエ ネルギー源で、個の尊 厳を守り抜く強い意志 に
結晶しました。しか も、ユーモアがあり、 〈ぎらりと光るダイヤ〉 のように常に
新鮮に輝 く比喩は卓抜でした。

茨木さんの遺稿詩集 は亡き夫への愛情があふれていて意外な感じ もします。
前の詩集に も夫婦の温かい関係を 描いた作品がありまし たが、
「怒るときと許 すとき」のように〈こ のあたりでひとつ/男 の鼻っぱしらを
ボイー ンと殴り〉と女の怒り を表明する勇ましさに 真骨頂があったからで す。
でも、亡き人への 恋文詩集も茨木さんだ から成り立ったのでし ょう。
『歳月』の詩「な れる」には夫の〈おた がいに/なれるのは厭 だな/親しさは/
どん なに深くなってもいいけれど〉という言葉が 出てきます。
世間的な しがらみではなく、自 由な表現活動ができた対等な二人だからこそ
次のような詩「恋唄」 を後々まで書くことが できたのでしょう。
<肉体をうしなって/あなたは一層 あな たになった/純粋の原酒になって/ 一層
わたしを酔わし める// 恋に肉体は不要なの かもしれない/ けれど今 恋いわた
るこのなつかしさは/ 肉体を通してしか/ ついに得られなかっ たもの// どれほど
多くのひと びとが/ 潜って行ったことで しょう/ かかる矛盾の門を/ 惑乱し涙し>

喪失の悲しみは痛々 しく初めて弱々しい顔 も見せています。しか し、茨木さんは不屈
の 精神により、夫が死去 した翌年、50歳から 韓国語を習い始めます。 そして1990
年には『韓国現代詩選』 (花神社)を出版する までに至り、翌年には 同翻訳詩集で読
売文学 賞を受けました。その 努力は見事というほか ありません。幅広い視 野で韓国
詩を選び、か つてなかったほど生き 生きした日本語で斬新 な翻訳をしました。修道女
詩人・李海仁の詩 「洗濯」も日常の美と 求道が結合しています。
<緑いろの水槽いっぱい に/おどりたつ石鹸の あぶくのなかに/
生き ているわたしの どう しようもない汚れが/ 咽びながら消えてゆく >

韓国語学習の恩師・ 金裕鴻さんとの出会い にも恵まれ、
対談集『言 葉が通じてこそ、友だ ちになれる』(筑摩書房) は言語と文化理解の
尽きない楽しさが語られ ています。 また、在日詩人で詩 集『猫談義』によりH 氏賞を
受けた崔華國 (チェ・ファグク)さ んとの交際も実り多い ものでした。崔華國さ んの詩
にある五つの味 〈苦・辛・塩・酸・甘〉 の多彩なうまみを称え ました。夫人・金善慶
(キム・ソンギョン) さんの共生の願いをこ めた創作童話集『うか れがらす』(筑摩書房)
も翻訳しました。
韓国詩人の紹介で、 もう一つ大切なのは、 戦争中、日本で死んだ
尹東柱(ユン・ドンジュ)についての茨木 さんの随筆が高校の教 科書に載ったことで
す。編集者だった野上龍彦 さんの話では検定時に 苦労があったそうです。 尹東柱は
日本の朝鮮支 配により朝鮮語が禁じ られた時代にも朝鮮語 で詩作を続け、思想犯
として逮捕され福岡刑 務所で生体実験の疑い もある死を強いられま した。〈死ぬ日
まで空を 仰ぎ/一点の恥辱(はじ)なき ことを〉(伊吹郷訳) で始まる「序詩」は有名
です。おもしろいの は、随筆集『ハングル への旅』(朝日文庫) の「尹東柱」の中で、
茨木さんが興味を持ち 始めたのは、彼のりり しい写真だったと告白 していることです。
(茨 木さんは、俳優のペ・ ヨンジュンさんも好き だったそうです。)
茨 木さんの詩の特色であ る揺るぎない高潔さと 同質のものを
尹東柱に 感じたのでしょう。
韓 国詩の志をストレート に述べる気風にも共感 したようです。
随筆集 『言の葉さやげ』(花 神社)の
「『戒語』と 『愛語』」で日本の寡 黙の美学に物足りなさ を指摘しています。
茨木さんの仕事は戦 後日本の理想を体現し ていました。昨今のア ジアとの共存を
おろそ かにし、個人の尊厳を おびやかす動きに対し、
茨木さんのきりりとし た姿勢の詩を読み返し たいものです。
(新婦人しんぶん2007・5・26掲載)





2007年5月

蝶を食べる


蝶を食べるだろう
光さえギザギザに刻んで食べるのだ
閉じられた白い手紙の羽を
読むこともなく食べるだろう
口のまわりのりんぷんがまぶしく
針の手足はもがくだろう
一万五千の個眼に見つめられる
花の美しさを吸い上げた
しびれる苦さだけが残るだろう

虫の体は土の記憶
傷ついた地表を這い
土と緑の言葉を咀嚼し
自らの体温を羽に変えようとする
思いがかすれてゆく
世界との接点にぶつかったように
紙幣の羽が散らばるだろう
世界の重すぎる軽さのように
散った羽の積み重なりが喉を詰まらせる沈黙と
口から根が突き出す叫びの間で
舌はだれたまま
私は蝶を食べました
私は蝶を食べました
呆けたようにつぶやきを繰り返すだろう

(初出・「詩学」2006年・12月号)





2007年3月

奇胎 

     
クスノキは何をみごもったのだろう
釈迦の母・摩耶夫人は
六本の牙を持つ白い象が胎内に入る夢を見て
釈迦をみごもったと
クスノキは何をみごもったのだろう
人間の無数の牙が胎内に入り

長崎の樹齢六百年のクスノキ 高さ二十メートル
南国の大女神 原爆爆心地南東八百メートル
内部に割れた瓦 石 骨を
かかえこんだまま六十年過ぎて
人が入れるほどの空洞を成長させてきた

見えない人は聖者なのか
(巨大な罪に聖者を孕まず
どうして木さえ生きていけよう 天使の顔も焦げ)
見えない人は消された人なのか
(長崎でも朝鮮人被爆者が約二万人いると
消されるほど激しく蘇る痛み)
見えない人は鬼胎なのか
(悪い夢がぶどうの粒のように
次々に異常発生し胎児を潰してしまう)
見えない人は数字のかたまりなのか
(すべては実験数値に過ぎない
死者も 苦痛も 空洞も データ収集に)
見えない人は夢の子供なのか
(人類の最良の夢 最深の涙
苦悩の果ての叡智はまだあるのか)
見えない人はただの空虚に過ぎないのか
(戦後日本の空虚そのものなのか
何も残らないただのうつろなのか)

六百年の中の六十年
それは新しく欠けた空と
古く冷たい養う土の間にあり
クスノキは何をみごもってきたのだろう

(「詩人会議」2007年2月掲載)




2007年1月の詩

イルミネーションの木

滅びの目のまたたきのように
光の小さな果実をぎっしりかかえ
爛熟と死を同時に見せる

死者の目で見よ
灯がともることのないゼロの豆電球
闇よりももっと濃い
木の命が浮かんでくる
枝先の鋭い一筆
ざらつく木肌にまつわる風
風が重ねた時
街はいつも廃墟だ

赤ん坊の目で見よ
驚きのよだれで世界は輝き
色は無数に混じり合い生まれる
世界は触れてなめてみるまで
分かりはしない
かりそめの明かりも
すべては希望である

この大きなまやかしの前で
人は待ち合わせる
大切なものと
このかりそめと永遠の前で
人は立ち尽くす
帰るところを思い出そうとして
自分が豆電球である
大きな木を思い描こうとして


■2006年12月22日に早稲田大学で金應教先生の「現代韓国文化」の
講義時間に「私と韓国文学」と題して少しお話させて頂きました。学生のみ
なさんは、NPOの活動をされたり、韓国に留学されたりと、かなり知識をお
持ちで、私が言うまでもありませんでした。が、どうして韓国で詩がこんなに
親しまれ、売れるのかは不思議なようでした。ほんとうに立派な詩の雑誌も
たくさんあり、いつも驚かされます。
ベストセラー詩人崔泳美さんについての取材の時お答えしたのですが、
@科挙で詩が重視された歴史があり、詩に文化的権威があるA尹東柱ら
抵抗詩人の伝統があり、詩人がオピニオンリーダーの役割を果たすBそ
れを受容する強い歴史意識が若い世代にあるC短歌に相当する「時調」
など定型詩が衰退し、詩歌の主流は自由詩D詩集が売れるから価格も
日本の3分の1程度と安いE国語教育でも詩を重視する(日本より掲載が
ずっと多い)など考えられます。
ほかに学生の方から、訳でリズムをどう生かすか、反日と嫌韓流の不調和
音のある現在に文学の果たす役割、金芝河の特色、互いの歴史観など、
根本的質問があって刺激になりました。


■同日午後4時から「東京 平和文学祝典」が開かれました。
韓国から、洪一善氏(韓国文学平和フォーラム事務総長)、梁性佑氏、李
明翰氏、在日朝鮮文学芸術家同盟の金学烈氏、鄭華水氏、呉香淑氏、
神奈川大学の尹健次氏、早稲田大学の大村益夫氏、小沼純一氏、
應教氏、武蔵大学の渡辺直己氏ほか文化人、学生、私も参加してメッセ
ージや詩の朗読、舞踊、弾き語り、演奏など行われました。
日本の右傾化にとても危機感を抱いておられ、在日の生活も圧迫されてい
る現状を訴え、東アジアの平和を熱く語られました。
日本の詩人たちとの温度差には考えさせられます。
しかし、韓国国内でも、ノムヒョン大統領の支持率が急落し、左右対立が
激化しているのが実情です。右派は日本の右翼と同じような史観を提示
し、左派は親日をより批判しています。朝鮮半島全体の動きを冷静に理解
するよう努めながら、自分なりにできるだけ東アジアの平和につながる道を
探るようにしたいと思います。


■書評『日本人の朝鮮観 その光と影』琴秉洞著・明石書店
偏見を省み公平な理解への指針   佐川亜紀
朝鮮新報2006年11月10日


「韓流」ブームで俳優に熱狂したり、朝鮮料理が美と健康に良いとスーパ
ーやコンビニに食品が常備されるようになったり、と少し日本人の朝鮮観
が変化したか、と思われたが、政治社会面ではかえって戦中の言説とほ
とんど同じ論調が堂々とまかり通る事態にまで陥っている。約百年前、侵
略戦争にひた走っていったとき朝鮮支配の錯誤が根本的問題だったこと
を考えれば極めて危うい状況である。
本書は代表的な日本人の朝鮮観を歴史的にさかのぼり幅広く集め、 今
まさに読んで考えるべき多くの教示と示唆に富んでいる。
副題に 「その光と影」とあるが、影の方が厖大で濃く、光は闇夜の星くら
いなのは歴史的事実だろう。よくここまで調べ読まれたと感嘆する 全五
十九人の資料と著作を網羅された博識の著者に対し、私は浅学 で、知ら
ない儒者や明治の人などが登場するので、書評というより 今後の思考と
自省の入口での感想として述べたい。
第一に取り上げ られているのが、「神功皇后伝説」で、これが日本人の古
代からの 朝鮮蔑視、侵略思想の原型で、近代、戦前戦中も教科書に入っ
てい たそうだ。私は一九五四年生まれで、さすがにこの伝説は教えられ ず、
朝鮮軽視は近代化による欧米優位の反作用と考えていたので、 近代前か
ら続いてきた根深さには唖然とした。また、井上馨、伊藤 博文など権力中
枢の者が公然と侵略思想を言い実行したのはもちろ ん問題だが、板垣退
助や大井憲太郎など自由民権運動家の征韓論と のかかわり、連帯論から
侵略論への変質は一層深く考えなければな らないだろう。
知識人もどうにか朝鮮独立を支持したのは木下尚江 や吉野作造など少数
で、福沢諭吉は言うまでもなく、大隈重信、新渡戸稲造などは植民地支配に
肯定的で、改めてその思想の限界を感 じる。現在も東アジア共同体論があ
るが、絶えず実態と中味を吟味 することが求められるだろう。 五十九人
いずれも重要な人物と考え方が批評対象になり、特にその朝鮮観が端的に
表れているところが収められているが、さらに各人物の総体的な思想のなか
で朝鮮観がどのように作用しているのか、 当時の歴史や社会とのかかわり
もふくめ日本人による詳細な調査分 析が社会思想の今後の展開にとって
必須の課題である。
わずかに光を放つ人物には蔑視を乗り越える手がかりが得られる。
浅川巧が朝鮮民芸の美を発見したことには、文化には優劣はなく、 それぞ
れ固有の輝きを持っていること。また、石橋湛山には関東大 震災時の流言
蜚語と虐殺にたいして「此の経験を科学化せよ」と提 起した冷静な洞察力を。
永井荷風や芥川龍之介には同じ対等な人間 として民族的迫害を批判する
自律した知性を。江渡狄嶺や布施辰治 には反権力と親愛的実践を。
しかし、光に至るのは容易なことでは ない。現在の朝鮮を見る日本人の目
にも抜きがたい偏見があり、自 らの視線を省みることの重要性を本書は教
えてくれるのである。



■紹介『和解のために』朴裕河(パク ユハ)著・佐藤久訳 平凡社

この本は、一方的に日本を批判するのではなく、日本の戦後民主化、遅々と
ではありましたが朝鮮問題に少しだけ取り組んできた事実を踏まえたうえで、
日本に自省を、韓国に寛容を求めた本当に勇気のある著作です。
それもいずれも大やけどを負いそうな教科書問題、慰安婦問題、靖国、独島
に真正面から向き合っています。最近の日韓両国のナショナリズムの高まり
を憂い、タブーであった韓国の被害者意識にまで懐疑のメスを入れています。
和解があるとすれば、それは被害者の側の赦しからしか始まるしかないと述
べています。
当然、韓国で批判も強いらしく、また日本でも善意を悪用する向きがないとは
いえません。解説の上野千鶴子がいうように「わたしたち日本の読者はそれ
につけこんではならない。」「日本の読者の責任は重いだろう」という指摘を
よくかみ締めなければなりません。







2006年11月の詩


目が

目が二つあるのは
美しいものの中に醜さを
醜いものの中に美しさを
見るため

耳が二つあるのは
夜の水音に朝の川を
たくさんの声と消されたつぶやきを
聞くため

鼻穴が二つあるのは
生の盛りに死の香を
枯葉に幼虫の臭いを
かぐため

乳房が二つあるのは
満ちて引く海と
新しい人と古い人に
つながるため

相反するものの
ただなかに
生きる人
絶望と
希望を
一つの口で
言おうとして
いつもふるえる唇




2006年10月


「詩とナショナリズムをめぐって」


最近、どうも気になる言説があります。それは、詩とナショナリズムに関係した
いくつかの本です。一冊目は、ベストセラーになった『国家の品格』です。「第四
章 「情緒」と「形」の国、日本」では、いかに日本人の感性が繊細で鋭く、富士
山が「世界一」美しいように、情緒も細やかで優れたものか説いています。
安部首相の本も「美しい日本」で、「美しい」ばやりです。感性的な言葉が
政治とくっついています。
しかし、美というのは、多様であり、日本の美も鳥獣戯画の風刺と躍動感、
グロテスクな浮世絵などもあります。俳句ももともとは俳諧<こっけい>から
来ていて、王朝美的な短歌を庶民の遊びによって切ってひねって軽みを出
した所が<粋>なのです。しばしば新しい美は、それまでの美に対して異様
なものとして登場し、以前目に見えなかったものが表出されます。
と、まあ、こんなことは中学生でも知っているので
老婆心(まさに)ですが、どうも『国家の品格』でいう美が表面的な美にしか聞
こえず、しかも日本は世界一美しいとは、他の国は美しくないのか、とツッコミ
たくなります。
また「論理」はもういい、とありますが、そもそも日本に世界に通用する
独自の論理的思想が無い、というのが西田幾多郎いらいの課題なのに、
早々にあきらめられても・・・・。


次に、これも話題で芸術選奨文部科学大臣賞受賞の『昭和短歌の精神史』。
著者は、優れた歌人の三枝昂之氏。「4、第二芸術論-占領期文化B」に
ひっかかりました。この<占領期文化>という言い方に著者の思想が
現れています。本全体は資料や発言を丁寧にたどり、
自由律が花開いた昭和初年から戦争加担、占領期と
日本歌人たちがどう歌を作り、どう思ったか細部に渡って浮き彫りにし、
生きた短歌史で充実し上質な本です。しかし、はしばしで戦後文学派の
評者へ雪辱を果たすような感情的反発が気になります。たしかに、短歌や俳句へ
の第二芸術論はあまりに伝統を軽くみた皮相な見解だったでしょう。
当時の歌人は絶望的な気分を味わったのでしょう。小野十三郎の「奴隷の韻
律」という評はまさに屈辱だったでしょうし、「恐ろしいタイトル」だったでしょう。
しかし、これに反論するのに、小野の中にも奴隷の抒情があるじゃないか、と
いうくらいしか論が深まらないのはいかがなものでしょう。むしろ、小野の中に
も根深く奴隷の韻律が潜んでいる、日本人の感性の基底に「一億総懺悔」的
心性が根を張巡らせているほうが恐ろしいのではないでしょうか。タイトルが
恐ろしいのではなく、「奴隷の韻律」の実在そのものの方が恐ろしいと思い
ます。もちろん短歌だけの問題ではなく、短歌を否定するわけではなく、そう
した自己認識をどこかで反位相として持つことが必要だと思うのです。


三番目は、詩人で、詩論でもモダニズム詩界をリードしてきた瀬尾育生の
『戦争詩論』。これはズバリ、戦争と詩をめぐる思索で、今まで歯牙にも
かけなかったプロレタリア詩人についても新しい観点から考察しています。
しかも、モダニズムと対立してきたプロレタリア詩もやはりモダンであった
と見抜き、さらには日本がウルトラナショナリズムになるにはマルクス主義
とモダニズムのインターナショナリズムが関与していたとは瞠目させられる
発想です。(しかし、これも以前から指摘されていたことではあります)
詩的抒情にとらえられると、不可避的にナショナルな感情の共同体に引き
こまれるという不安と恐怖から、抒情を窒息させ、ひたすら世界性と技術性
にのめりこんだ。モダニズムは、作者と作中の「私」の分離を方法意識とし、
戦争詩の場合でもこの「私」の分離を推し進め「超越的な作者」を呼び入れ
たのは、まさにモダニズムの挫折ではなく、方法の貫徹としてあったという
のは卓見です。モダニズムの場合は「自由な創造」を可能にする前提として
多重人格的な世界が方法自体のなかにあり、戦争詩を書く時なんら障害に
なるどころか、むしろ可能にしたと考えています。

モダニズムが<主体の空白または多重人格化>であるとすると、
プロレタリア詩の場合は<主体の移動>が起こってくるそうです
プロレタリア詩では、もともと下部構造や階級性という<私を超えた
超越的な作者>を自ら呼び入れている構造自体が、すでにウルトラ
ナショナリズムに対応しているというわけです。

だから、個々の戦争協力詩をあげつらっても根本的批判にはならない
し、倫理的自己批判を繰り返しても詩のシステムを変えないかぎり
同じことが起こる。では、どうシステムを変えるか。<むしろ非詩と
逆立する詩のなかで、「私」とならんで「私でない私」が同時に発言し
ているような場を作らなければならない>つまり、モダニズムが仮面
を個々の作品で変えたようにではなく、戦争に熱狂した私とそれを
否定する私、<決して相容れないはずの二つの発話者が、
戦争を語る「私」の中で出会っているような>場が求められる
と言います。この提言はたいへん示唆深いものです。
ただ、もう一つ<私にさせられたあなた>というアジアの
視点も必要ではないでしょうか。
この本には、アメリカについては<開国という外傷>として
重い比重で出てきますが、アジアは<主体になろうとしてなれない
「半主体」(日本-引用者注)にまといつく「おぞましい他者」>としか
出てきません。ナショナリズムがインターナショナリズムに屈服した
という考え方が幻想なら、日本語のアジア特に朝鮮への強制は
何を意味するのか。瀬尾育生のこの本はたいへん刺激的ですが
よく検証したいところも多いです。
しかも、瀬尾の論理展開が、瀬尾自身が言っているハード面での
機能についてで、ソフトつまり意味と内容についてほとんど深く
追求しないことによって成り立っているのが気になります。
戦争は学徒出陣という階層の解体をもたらしたといっていますが
保阪正康『あの戦争は何だったのか』でも書かれているように
超エリートは兵役を免除されています。最高指令官ほど生き延びた
のは、今話題の映画『蟻の兵隊』でも立証されていることです。
軍隊は最後の最後まで差別社会であったことは歴史の事実です。
それから、転向後に同じインターナショナル性を持っていたわけで
はありません。明らかに帝国主義として機能しています。
こうした歴史の事実検証への軽視は、ポストモダン的な意味と
表記の分離から来ているのではないでしょうか。


これら三冊の本に共通するのは、近代的主知や論理性への疑い
で、前二著には、抒情の復権が濃厚です。

確かに、情緒がないがしろにされた面もあるでしょう。
しかし、私は、むしろ<意味の不問>をもっと考えるべきだと
思います。戦後詩においても意味を考えたのは初期だけでした。
初期戦後詩は、モダニズムの技術だけでなく思想の問いを追求
したのです。けれど、経済の復興とともに詩でも技術の高度成長が
始まりました。やみくもの技術の発展で取り残されたのは意味です。
もちろん世界の複雑化により、単純な意味では対応しきれない現実
があります。しかし、しだいに言葉の<意味の空白化>がエスカレー
トすることに危機感を持ちます。ファシズム期は最も意味が空
白になった<美しい>詩が書かれたのです。でも、本当に怖いのは
時代の底流にある意味の空虚感かもしれません。

(上記の本については私から見た部分的要約にすぎないことをお断りします。)



2006年8月

 光の魚   

光の魚は逃げる
光は水に入るとき折れ曲がる
光の礼儀とためらいのように
悪意と限界のように

言語は骨折するだろう
この地から あの地に入るとき
希望はゆがむだろう
あの時代から この時代に生きるとき
何者かのうすら笑いと くるしみのうめき声が続き
光は迷路のように果てしなく折れ曲がる

それでも 私たちは
光無しに見ることはできない
死者の魂からの発光なしに
今を見ることができない
異国の死者とこの国の死者の光を 合わせてしか
未来を照らすことができない

ケータイに点滅する言葉
薄いスープに落ちる息
粉々になった聖なる呪文

つかめない光の魚は砂の上ではねる
細い細い水脈を求め
人の内部の光源にたどり着くまで




2006年5月

押し花
   
そこで捨てられたのは押し花である
四枚の皮膚が理不尽にはりついたような花弁
花弁の重なりに罠の蜜がねっとり絡んでいる
重なりの間に針の穴ほどの道がのぞかれる

おしべは愛にまみれた失語を捧げ
めしべは死児を孕んでほっそり腐り

夏の黒い押し花が世界の光を吸い込んだまま
死の口づけ
暗い嘲笑を続ける
火の原罪に幻視された白い花

時を染み込ますことが
時が乾くことと同時であり
めしべの伝言が孤独な花粉のふるえとなる

押し花は
重しと押し返す花の緊張に新しく咲く
押しつぶす文字を飲み込み続け
すべての文字を無効にし
水を与え続けて
すべての文字を生かす

その時 
私は重ねられた五〇音字の一字であり
隠された主語であり
古びた一冊の本である 

はがされた花弁は再び悲鳴をあげ
しょう液の跡が思惟の扉のように残る

「交野が原」60号掲載
*この詩は原民喜の「崩れ墜つ 天地のまなか
一輪の花の幻」もふまえています。



2006年3月


韓国詩訳でも豊かな仕事 ―茨木のり子さんを悼む

茨木のり子さんが、先日惜しくもご逝 去され、お目にかかる機会を
失ったが、 お手紙をいただいたことがある。 私が『韓国現代詩小
論集』(土曜美術社 出版販売)をお送りしたとき、韓国詩を たどた
どしく訳している後続の者への激励としてお返事をくださった。もう
すで に眼病が重く代筆だったが、温かいお気 持ちがこもり、ハン
グルがよく読めなく なった無念さもにじんでいた。 茨木のり子ほど
敗戦後の日本に芽生え た市民意識、個の大切さを一途に、希望
をこめて、健やかにうたった詩人はいな い。しかも、その個は閉じ
こもるもので はなく、第一詩集『対話』の題名のよう にダイアロー
グを求め、平和を考え、後 半生は韓国語との対話によって自分の
世 界を広げていった。
読売文学賞を受賞した茨木のり子訳編 『韓国現代詩選』(花神社)
は画期的な 名訳詩選集だった。

誰もいない
誰もいないのに
木々たちは揺れて
かぶりを振る

冒頭の作品、姜恩喬「林」の一節であ る。韓国語の意味とリズムを
活かしなが ら、「かぶりを振る」というなつかしい 日本語に訳すこと
によって民謡のように 人々にすっと入る作品となっている。
『ハングルへの旅』(朝日文庫)で、十五歳くらいの少女時代から金
素雲訳編の 『朝鮮民謡選』(岩波文庫)を愛読して いたと言っている
から、関心はずいぶん 早くからあったようだ。実際に韓国語を 習うの
は、五十歳になってからで、恩師・ 金裕鴻の情熱的な授業のおかげで、
夫が他界した喪失感を乗り越え、長期の学習 ができたと対談集『言葉
が通じてこそ、 友だちになれる』(筑摩書房)で語って いる。言葉に鋭
い感覚を持つ詩人らしくハングルに旺盛な好奇心を持って取り組 み、
古代語や日本の方言との対比など深 い理解にまで至り、魅力を広く伝
えた。 方言といえば、茨木のり子の母が東北 人で、さまざまなおもしろ
い言葉が存在 していると幼児期から感じていたことが 詩作につながっ
たそうだ。ベストセラー となった詩集『倚りかからず』(筑摩書房)収録の
詩「鄙ぶりの唄」など風土の 根元や庶民のエネルギーの源から汲み上
げた詩句は絶妙だった。 この庶民的で、そのうえ高潔な表現は 親しく
交際し訳詩もした韓国詩人・崔華 國の詩風にも通じている。『猫談義』で
H氏賞を受賞した崔華國の詩選集の解説を書かれたが、二人とも口語
日本語、古語、漢語など多 彩な表現を適材適所に使って活きのよい 作
品にする名人だった。崔華國夫人の金 善慶創作童話集『うかれがらす』
(筑摩 書房)も楽しく訳された。
現代詩史に残る新しい日本語表現の詩 作品とともに、韓国文学を翻訳、
紹介し た仕事の豊かさも改めて感じる。



2006年2月の詩

緑のラインマーカーで

どなたかが緑のラインマーカーで
地球に緑の線を引く
風のようなものすごい速さで
何千キロの広い透明な緑の道が走る
砂漠の上に
ビルの群れを通って
車から降りた人の背中にも線が映って

夜には
蛍の光の何千キロの太い帯になる
水辺を求めて
無数のささやきの羽音
砕けた星屑の散乱する光
死んだ人の魂がまたたく

失われた緑の道
深い知恵が隠されているのだが
重点ポイント

地球の難問試験に
どなたかは
露草の葉の下で考えあぐねている


*入学試験の季節ですね。うちにも大学受験生
がいるので落ち着きません。私が勉強した時
ラインマーカー(蛍光ペン)でやたらカラフルに
教科書に線を引いたものですが、これはやった
気になるだけであまりよくないとか。そういえば
線を引いただけで安心してよく読まなかったよ
うな。とにかく合格祈願!


2006年1月の詩

  
ごまめ縁起     

カタクチでイワシてもらいたい
からからに いられても
照りだけ てらてらでも
重箱のすみの ごまめの歯ぎしり
それでも ぎりぎり言い続け
昔も今も五万米(ごまめ)の願い
歴史の味付け自己流に
自分の田作り
昆布巻きには
喜びと悲しみの記録がびっしり
一口で食べないで
東海の流れ舌に染みらせて
勝栗きんとん 横目でちらちら
まめまめしく働いたら
誰だって黒豆のようにつやつやしたい
二親と数の子の夢
いくらなんでも 矢羽根酢れんこんはやだね
御坊まで舶来牛肉に巻かれ巻かれて牛蒡巻き
それでも ぎりぎり歯ぎしり続け
ほんだわら ほんだわら
諸国とこまめに良きご縁を結びたい


*「神奈川新聞」12月19日。「神奈川新聞」さんは
「時の詩」として一年間、横浜詩人会の会員に執筆
させてくださいました。沖縄タイムズとの基地問題
共同企画で受賞もされました。この時世に鋭い批
評を発信しているのでがんばってほしいです。


2005年12月の詩


セロリの別称   

茎元は小さなお尻の丸み
五人兄弟寄り添いながら
ギリシャ円柱のよう
まっすぐ陽に差し伸べた腕に
緑の鳥が群れ集まって
うるさくさえずり
薄黄色の肉体のなか
細い細い翡翠色の川
匂いたつ生のセオリーが流れ

セロリの別称
キヨマサニンジン
にんじんでもあった?
にんじんではないが
加藤清正が 豊臣秀吉朝鮮出兵の時
原種の一つを持ち帰ったことによる
朝鮮の王子二人を捕え
朝鮮の鬼と恐れられた清正軍を
撃退した朝鮮義勇軍
記念して建てられた碑
「北関大捷碑」


それをまた日本軍の将兵が
日露戦争中の一九〇五年
朝鮮を「保護国」化した年に取って来て
靖国神社の隅に百年間放っておいた

西洋の名でおおわれた
東洋の苦さ
日本の水を
緑のひしゃくに溜め
洗い桶に映った
ゆがんだ自分の顔を見る

*「詩人会議」2006年1月号に載せて頂いています。


2005年10月の詩


600グラムの心

花がしぼむように
指を折って逝った人を数え
指からこぼれて
掬うこともできない人の水が
砂漠にあふれて
引き金を引く指の感覚も
なくなってゆく

逝く人は道が突然折られたのか
天に向かって
それとも
死者の道も折れ曲がっているのか
死にはなかなか行き着けない

祈りは神の領域で
いつも折ると書きまちがう
おもわず自転車で
名も知らない小枝を折ってしまい
そんなことの繰り返しで
近くしか見てやしない
いや近くもよく見ずに斬りすてる斧は
弱さの性質で
600グラムの心
一斤のパン
新しい目盛は考え所
体の重さと心の重さのアンバランスが悩み所




2005年8月の詩

灰の指輪
      
灰で作った指輪
自らの罪の円環をたどるための
黄土にくるまれた屍のための
死んだ恋人のための
ただれた影の木にも芽吹いた若葉の
やわらかさとつよさを求めて
世界と私のやさしさと
世界と私の残酷さが
婚約したのだ

立会人におびただしい死者が並び
ベールは海をわたって
波の白い裳裾をひろげ
水平線は 新書のページのように開かれた

もろい宝石
灰の指輪
焼け野原の まずしく 若い二人が
互いの指にはめ合った
素手で 死の果ての生の輝きに歩み出すように
今 それはただの灰に崩れて行くのだろうか


※この詩を書いてから後に、ニュースで人骨からダイヤモンド
の指輪を作っている方を知り驚きました。健康状態や年齢など
により色が少しずつ違うそうです。60年前の灰の山から平和憲
法という宝石が生まれたのに、簡単に灰にもどしそうな昨今。



2005年7月の詩


厠(かわや)神

むかし
日本で一番偉いのはトイレの神様だった
厠(かわや)は川のほとり
水竿を底にさして舟こぐ川男
藻の髪が光を溶かす川女が
交す産みの密語
子は黄金に輝く混沌
子は終わりであり始まりであり

厠は化粧の場
変身の異界
この世の顔を脱皮して
あの世の魔物に転生
片目になって遠い海原を見る
抜けた歯を空に投げ上げる
無くした手で戸をあける

産み近く
体近くいた厠神
こんな神が
戦争に狩りだされることがないように
しみじみトイレで考えたい


*20年位前、詩人の伊藤比呂美さんが赤ん坊はウンコだ
と書いて騒がれましたが、民俗学の観点からすればごく
普通のことだと最近知りました。糞便が宝物や赤子に変わ
るのは昔話でもよく出てくるそうです。さらに、金芝河にも
最下層のものが一番偉いという発想がありますが、日本の
民俗信仰の中に似た考えかたが見られます。こういう聖性
が失われ、官製の神々が君臨する時代になるのは恐ろし
いことです。



2005年6月の詩


豆腐往来

からを漉して
もう一度生まれるように
ふはふは
豆乳の湯気たてて
海のにがさを吸い込み
水に泳ぎ
初めての頬ずりみたいに
そっと手にとる
白肌のゆらめき
奴になって
切られて食われてやらあ

中国から伝わった豆腐
麻婆豆腐はちょっと辛い
おばあさんおじいさんたちの 歴史の苦労も辛い
日本の淡白な舌は
辛味を味わい難いのか

病気ののどにも通りがいい
病んだ世界に欲しいのは
国と国とを
往来する
豆腐のような
やわらかく滋味ある
言葉と行い

*「神奈川新聞」5月30日掲載



2005年5月の詩
  

側線   

一九三〇年代の
詩を見ていたら、中に
××××××××
伏字の一行

魚の側線のように続いて
水流と水圧の変化に
敏感な小さな穴
伏字の時代がまた来ているのか

心の中には伏字がある
自分で伏せた字の背中
つぐんだ口の一列は
縮む時代の縫い目
人間は解読の網をすり抜ける
伏字かもしれないが
耳は平衡へのレール

一九四五年秋の教科書には
墨塗りの
■■■■■■■■
黒いうろこがびっしりと
昨日の白が今日の黒に

横須賀の海に
墨塗りのうろこがはがれ
いつのまにか側線から主線に
育った深い穴を持つ
巨大な怪魚がのったりと


※神奈川新聞3月28日掲載。
憲法の改変が論議が広がらないまま進み、
中国や韓国の歴史認識とかなり違う教科書
が採用される昨今には不気味さを感じます。



2005年2月の詩



嵐の後
打ち上げられたボートのように
発砲スチロールの皿が
分別箱の上で山積みになっている

こんなふうに
かつて何かをのせていた皿が
皿だけになって
内部の中で並んでいる
ずっと 整然と 一枚ずつ
むこうの砂浜まで続いている
日の光が泡だっている

惨劇が無かったかのように
真っ白だが
肉の生臭さと石油の混じった臭いが
しつこく取れない

溶ける海を航海して
重さがはがれて
街の中を
漂っている白い舟


2005年1月の詩


あいさつ

アッ・サラーム アクイクム
「ごきげんよう」
バグダッドの破れた空の下で
<あなたがたの上に平和あれ>と祈る声が
交わされているだろうか

アンニョンハセヨ
「こんにちは」
ピョンヤンの物乞いをする子が
<安寧>を願う言葉を
呼びかけているだろうか

人の生は
折れそうな枝にかろうじて捉まっている
冬の虫のようなものだ
ひととき緑のランプがまたたく

飢餓の足も
戦乱の腕も
日照りの舌も
洪水の喉も
身に記し

身が忘れても
言葉に刻み
あいさつに結晶し
人から人に交わされ
くり返され
今日 生きる奇蹟の日にも
声がする
アッ・サラーム アライクム
アンニョンハセヨ
<あなたがたの上に平和あれ>


爪のなかの魚
ー佐川亜紀氏より恵投された詩集『返信』の 中から言葉を拾いながらー
森 常治

鮭の生みたての卵の中に
命の鼓動が透けてみえるように
言葉の鼓動が透けてみえるよ

まこと言葉は卵生
世界の殻にひびを入れながら孵化する
そのあとは
うわばみのように
みずからをくねらせながら生きてゆく

ときにきわめて攻撃的になり
栄養を摂るために
口を精一杯あけて
また
憎っくき世界を燃やしてやろうと
薪のように束ねられ
火を放たれる
なんしろ
意味が弾ければそれでいいのだ

貴方の言葉のなかにはなにが住む
馬、鷹、イルカ、それとも 鶴?
もしかすると
文明の荷物を背負わせるためのラバ?
そして
言葉が壊れるとき
花火のように砕け裂け
銀河の支流に向かって散ってゆく
無数の爪の中の魚のように

*森 常治さんは、詩人、早稲田大学教授。「同時代」同人。
著書『トーテム』(沖積舎)、『埋葬旅行』(沖積舎)、『日本の
幽霊の解放』(晶文社)とユニークな詩と言語論をお書きです。
よく詩集に呼応した作品を書いて下さることでも有名。どこの
詩句が印象に残ったか分かり、ありがたいことです。
下記は、「爪の中の魚」の原詩。



爪の中の魚
佐川亜紀

爪の中に魚が泳いでいる
薄紅色の池に魚影だけが暗く
一族のよどみから浮かんだ影

美しい叔母も指と爪の形が悪かった
見知らぬけものが指先から現れそうで
錠をかけるように指先を組み合わせた

伯父の姿は浮かんでは消える 
母のかいま見たところによれば
爪からかみ始めて
指 手のひら 腕と 端から
自分を食べていくらしい
体を柔らかくしておかないと
足先にも届かない 足先に届こうとして
体をまるめたままごろんと転がり
虚しく歯がみしている姿は
むしろユーモラスである
飢餓島で死んだ伯父の
飢餓にとりつかれた姿か
もしかしたら
他人を食ってしまい
人を食う快楽が忘れられないのか
それとも
自分を消すことが強いられた生の形だったのか
また
自己処罰するにしても
このように
中途半端で滑稽でぶざまな
自分をさらすのが
人間の常態であろうか

しかも
食べてしまった
自分の手 腕がみるみるもどり
ぼろぼろの歯をかちかちいわせながら
再び自分を食べ始めるのだ

だが
手を食べ終わると
爪から解き放たれた
ほんのり赤みをおびた
ちぎれた花びらのような
しらすよりも小さな
十匹の白い魚がちろちろぬけて
濃い闇の海をあちらの世界の方へ
泳いで行く
爪の中の魚が
爪から放たれる一瞬だけが
安らぎのように
自分を噛むことを繰り返すのである



メトロ

東京メトロみたいに
内部に入って
かんじんな所で
停車しながら
何度も 何度も言いたいんだ
ことばが占いの水晶玉のように磨かれるまで

でも
今日のこ■と■ば■は
破片が入っていて
ざらざらする
私の頭はアキ缶ほどの寛容も持てず
メトロ線のように混乱が拡大し
四谷怪談がふえるばかり
霞濃い世界の関所

神が耕す田
虎が逃げた門
池を袋に入れ
人形が行進する町

メ■ト■ロ■
昼でも夜の言葉を
つっかえながら しゃべるがいい
あたたかい体内のように
無数の心音を聞きながら






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