佐川 亜紀 の 詩 X
アジアの子ども 五月の風を吸い込んだまま 押しつぶされた胸 新しい二つの扉の形をとどめて アジアの子どもは 割れた地の言葉で 溢れた河の母音で 奪われた村の声で 瓦礫から人の文字を刻んで来た 東と西にかかる吊り橋を 時代の荷を背負い 激しく揺れながら渡って来た 谷底の深さを味わい 山頂の高さを目指し 桃になった子ども 鳥になった子ども 土の中の命が ここにいる鼓動と これから生まれる喉とつながって 言葉が続く 亡骸をくるんだ布に似た 花びらが不意の寒さにふるえる 詩の国の 一人一人の死は 詩の中で 人々の胸の中で 五月に再び甦る |
金平 バラバラになった家の木材が折り重なるように DNAが混ぜこぜになったように ドラムスティックの束がぐったりしたように きんぴら ひらひら へんぺん 世界は木の家と 石の家から出来ている 木は一滴の水を常にもとめる飢渇にあえぎ 枯れてはまた芽が出る? 石は宇宙の一点に還ってやり直す苦役がさだめ 星ゴミから再利用する? 弁当工場の 流れ来る幕の内のアルミ箔容器に 寸分も違わない量で きんぴらを深夜入れ続ける日系ブラジル人 牛蒡だって人参だって中国産かも 日本芝居の幕の内に急いで入れ込め 生まれた時はなんでもありそうだったのに 今は何も無さそうに落日を見ている日本の若者と 交代制で 時給も短距離で競わされ 息切れしそう 千切りよりもっと細かい首切り 手の豆よりもっと高い大豆 家無き金がアメーバのように世界にとめどなく流れ アフリカで揺れ騒ぐ金鉱石 タムタム 田無田無 森の精霊が太鼓乱打 鼓動と宇宙のリズムが変調 金平も公平もきんぴらとは まっぴらごめん 「悪逆に驕る者は。栄華を永く子孫に伝へず。」 <古浄瑠璃「公平甲論(きんぴらかぶとろん)> かぶとをかぶせられ 転がる転がる金貨 せめて 死が 死の公平が きっちり同じ量で盛られる器を望みたいが 死も高騰し 値切られ 売り飛ばされ こなごな 片々 胡麻の種くらいにはなりたい 九九・九パーセント外国産の胡麻に ミャンマー(ビルマ)産黒胡麻 グァテマラ産白胡麻 トルコ産金胡麻に入り混じり 細い薪を燃やして護摩きんぴらの祈り 煙に巻かれて護摩修行せえ わたし ヤポネシア洗え 洗え たわし きんぴら ひらひら まっぴら へんぺん きんぴら ひらひら まっぴら へんぺん (詩誌「はだしの街」2008/4田中国男氏発行掲載) 【日韓女性詩における生命と環境問題】 佐川亜紀 日本現代詩は、廃墟と原爆投下後の終末光景から始まった。 戦争の加害者意識は希薄だったが、生よりむしろ死が主題となっていた。 そのなかで、栗原貞子が原爆詩「生ましめんかな」を書いたように 生活と育児の現場にいた女性詩人たちは、新しい生と表現に向かって歩き出した。 高良留美子、茨木のり子、加害者性に深く踏み込んだ石川逸子、 福田美鈴らの活動も重要である。 一九八三年に女性詩誌「ラ・メール」を発刊した新川和江は、 生命のみずみずしさと女性詩の豊かな創造性を示した。 伊藤比呂美ら新世代は、母性神話の否定が注目された。 九二年には、日本現代詩人会と日本詩人クラブが共同で 『地球環境を守ろう』というアンソロジーを出した。 男性詩人の台所詩、育児詩、介護詩も登場した。 二〇〇〇年代に入り、若い世代ほど生き難さを訴え、 既存環境の崩壊に直面している。 社会的にあまり捉えず、言語表現の個性化に向かい、 社会派が衰退する傾向が見られる。 生命格差、環境収奪、生命の産業化が深刻である。 韓国現代詩は、解放後、取り戻した国土を抵抗の史実と重ねて 表現する叙事詩が多々見られた。 農村的価値観が大切にされ、 甲午農民戦争のように農民は闘争の主体でもあった。 初期の女性詩人では、金南祚がキリスト教から生命をとらえ、 宗教性も大きな特徴である。 女性詩人は自然を叙情性や美学の観点から書くことも多い。 経済が高成長すると、政治性から文明批評性にテーマが移行し、 金芝河も東洋的生命思想を唱えるようになった。 最近も高度消費社会や都市化の非人間性を憂慮する作品を女性詩人が たくさん書いている。 以前は、日韓とも母性が生命賛歌の一根拠だったが、近年は人間として、 男性詩人や産まない人の自由も含め、国家や人類中心主義を超えた 地球的な生命観が求められている。 |
グローバリゼーション時代の東アジアにおける日本詩人の役割を述べる前に考えな ければならないのは、近代の歴史です。アメリカの開国要求を受けた日本が他のア ジア諸国より少し先に欧米の文化を移入しました。移入した文化が単に広がっただ けではなく、帝国主義的であり国粋主義的な支配となったことを深く反省します。 こうした過去から、アジアの皆さんがいつも日本に対して一抹の不信を抱くのは 当然です。日本は過去をきちんと記憶する必要があります。 しかし、戦争体験者や戦後の進歩的知識人が死に時間が経過し、 だんだん記憶が薄らいでいます。 私の詩「火の根 水の声」の「火の根」とは、アジアの戦火の記憶、 日本が理不尽な侵略を行い、大きな被害を与えた過去を表し、 さらに現在の世界的紛争を表現しています。 火には二つの意味があります。火は漢字で人間が二つの火を持っている形に 見えます。日本では、漢字の語源や形から詩を発想することも多いです。 一つには、火は文明をもたらし、生命を助けました。食事や保温はありがたく、 知恵の象徴でもあります。 また一面では、巨大化した文明の火は金儲けと結びついてしまったようです。 グローバリゼーションのマイナス面は予測も制限もできない経済活動になることです。 兵器も金儲けのために発明、流通されています。 このような時代に日本は歴史の過ちをよく悟る必要があります。 小さな島国がどうしてアジアを支配しようと妄想したのか戦後世代の私には よく分らないですが「井の中の蛙 大海を知らず」の意識が昔から あったようです。日本はアジアを支配しようとする傲慢を捨て、 アジアの一員として協力しなければなりません。 近代以来、日本は西欧に倣いましたが、内部には葛藤が起きています。 特に、現代詩は伝統的な定型短詩が強いため難しい立場に置かれています。 情報化時代の現在でも一層定型短詩<短歌><俳句>が さかんに活動しています。短詩はPCや携帯電話の画面を使うのに適しており、 若い世代も携帯電話を通しての投稿や交流を楽しんでいます。 伝統は重要で詩の根本です。けれども現代の世界的課題を考える時 それだけでは不足します。内部に批評的観点を持たないと閉鎖的になります。 日本では批評的観点が少なく、西欧の考えに頼りやすいです。 金光林先生が親しくされていた田村隆一も西欧のモダニズムの 大きな影響を受けました。敗戦後、日本文化を改革しようと<短歌的抒情の 否定>まで至った問題意識が消えたのは、 近年の歴史観の右傾化とともに困ったことです。 最近は詩人たちも俳句を作り、合体させた作品を書く詩人もいます。 現代詩は世界化と個別の伝統、普遍性と特殊性を合わせた芸術を 目指しているわけですから、日本も閉鎖的にならずに、アジア、世界に通じる文学を 今後も追及していきたいです。 アジアの知恵、例えば仏教などは見直し、その他のさまざまな素晴らしい文化は 共有していくようにしたいものです。 私は、『高銀詩選集』を早稲田大学の金応教先生と一緒に翻訳しましたが、 高銀先生の詩の中に仏教思想が深く入りこんでいることに驚きました。 日本でも仏教思想を根底の思想とした詩がありますが、美学的で、 韓国ほど思想的・実践的ではありません。 ポストモダンの後、有効な新しい思想が現れず、 フランスさえ経済合理主義に傾き、文学は危機に瀕しています。 読者の個人化と消費者化がインターネットの媒体出現と結合しながら 文化が無視されるようになりました。日本では、大学から文学部が消えるころがあり、 替わりに情報処理科や国際コミュニケーション科などが登場しています。 文学表現という回路を通らずに直に情報交換、記号通信すれば良いと 考える風潮も出てきました。日本の若い人たちの詩ももはや抒情詩ではなく、 記号の羅列のような書き方が流行しています。自然性が失われたという批評家も います。戦後、自然性が権力に対する逃避となると警戒しましたが、 今は情報記号化の影響を受けているようです。 しかし、言葉は単なる記号ではなく、 風土・歴史・身体・固有の思想と結びついた生き物です。 日本語はアジアの言語にルーツがあるわけですから、言葉の響きも大切に したいです。 人間が生まれて最初に発声する音は、乳を吸うときのママのmの音だと 言う説があります。韓国語のオンマ、英語のマザーなどもmの音が入っています。 また、水とムルもmの音が入っていて、生命の起源の音を感じさせます。 失われつつある生命の泉の声、水の声を聞くのもこれからの詩人の役目と思い、 私の詩の「水の声」はこうした願いをこめています。 グローバリゼーションは主に経済の世界化として現出していますが、 環境破壊も急速に世界化しており、自然への畏敬を思い起こさなければ人類は 破滅するでしょう。 けれど、絶望的なことばかりではなく、情報や経済の世界化は 同時代的な共感をも生み出しているのは喜ばしいことです。 2000年以後日本では、"韓流"というブームにより韓国に対する関心がふえました。 映画、ドラマに人気が生じ、しだいに文学・詩に興味が持たれ、 絵本もたくさん出版されました。TVドラマを見た人たちは、韓国の料理、装い、 暮らしなどにも関心をひろげます。韓国で詩が人気だということで、主要日刊紙、 詩雑誌がたくさん韓国詩を紹介するようになりました。私も朝日新聞、東京新聞、 毎日新聞などに寄稿したり、インタビューを受けたりしました。 また、日本の月刊詩誌「詩と思想」「詩学」などが特集を組み、 権宅明先生、韓成禮先生、詩人の先生方にご協力頂いています。 韓成禮詩人は旺盛に多数の作品を翻訳・紹介しています。 日本で"韓流ブーム"が起こった原因には、グローバル化によって 日常生活に共通するところが増し、感情移入しやすくなったことが 考えられます。また、日本が失った世界、温かい感情、正面から語る人生論や 思想、親しい人間関係、幅広い伝達力も魅力になっています。 特に尹東柱は人気が高く、いろいろな人が翻訳を試みています。 21世紀に入って、韓国だけでなく、中国にもベトナムにも他のアジアの国々に 対する関心も著しく増しました。詩文学の共同研究も進むでしょうし、 世界の国々との文化交流も増大するでしょう。 イラク戦争開始のとき、アメリカのインターネット反戦詩運動に呼応して 日本でのホームページ「戦争に反対する詩のページ」を発信したのですが、 アメリカ、オーストラリア、韓国の方も注目してくださいました。 東アジア各国の個性や伝統を尊重しながら閉鎖的にならず、 21世紀の世界をともに生きるための共通の文化を詩を通して作るよう願って やみません。 ※韓国詩人協会主催の「東アジア詩人フォーラム」8月11日(ソウル)で発表 |
蝶を食べるだろう 光さえギザギザに刻んで食べるのだ 閉じられた白い手紙の羽を 読むこともなく食べるだろう 口のまわりのりんぷんがまぶしく 針の手足はもがくだろう 一万五千の個眼に見つめられる 花の美しさを吸い上げた しびれる苦さだけが残るだろう 虫の体は土の記憶 傷ついた地表を這い 土と緑の言葉を咀嚼し 自らの体温を羽に変えようとする 思いがかすれてゆく 世界との接点にぶつかったように 紙幣の羽が散らばるだろう 世界の重すぎる軽さのように 散った羽の積み重なりが喉を詰まらせる沈黙と 口から根が突き出す叫びの間で 舌はだれたまま 私は蝶を食べました 私は蝶を食べました 呆けたようにつぶやきを繰り返すだろう (初出・「詩学」2006年・12月号) |
奇胎 クスノキは何をみごもったのだろう 釈迦の母・摩耶夫人は 六本の牙を持つ白い象が胎内に入る夢を見て 釈迦をみごもったと クスノキは何をみごもったのだろう 人間の無数の牙が胎内に入り 長崎の樹齢六百年のクスノキ 高さ二十メートル 南国の大女神 原爆爆心地南東八百メートル 内部に割れた瓦 石 骨を かかえこんだまま六十年過ぎて 人が入れるほどの空洞を成長させてきた 見えない人は聖者なのか (巨大な罪に聖者を孕まず どうして木さえ生きていけよう 天使の顔も焦げ) 見えない人は消された人なのか (長崎でも朝鮮人被爆者が約二万人いると 消されるほど激しく蘇る痛み) 見えない人は鬼胎なのか (悪い夢がぶどうの粒のように 次々に異常発生し胎児を潰してしまう) 見えない人は数字のかたまりなのか (すべては実験数値に過ぎない 死者も 苦痛も 空洞も データ収集に) 見えない人は夢の子供なのか (人類の最良の夢 最深の涙 苦悩の果ての叡智はまだあるのか) 見えない人はただの空虚に過ぎないのか (戦後日本の空虚そのものなのか 何も残らないただのうつろなのか) 六百年の中の六十年 それは新しく欠けた空と 古く冷たい養う土の間にあり クスノキは何をみごもってきたのだろう (「詩人会議」2007年2月掲載) |
イルミネーションの木 滅びの目のまたたきのように 光の小さな果実をぎっしりかかえ 爛熟と死を同時に見せる 死者の目で見よ 灯がともることのないゼロの豆電球 闇よりももっと濃い 木の命が浮かんでくる 枝先の鋭い一筆 ざらつく木肌にまつわる風 風が重ねた時 街はいつも廃墟だ 赤ん坊の目で見よ 驚きのよだれで世界は輝き 色は無数に混じり合い生まれる 世界は触れてなめてみるまで 分かりはしない かりそめの明かりも すべては希望である この大きなまやかしの前で 人は待ち合わせる 大切なものと このかりそめと永遠の前で 人は立ち尽くす 帰るところを思い出そうとして 自分が豆電球である 大きな木を思い描こうとして |
茨木のり子さんが、先日惜しくもご逝 去され、お目にかかる機会を 失ったが、 お手紙をいただいたことがある。 私が『韓国現代詩小 論集』(土曜美術社 出版販売)をお送りしたとき、韓国詩を たどた どしく訳している後続の者への激励としてお返事をくださった。もう すで に眼病が重く代筆だったが、温かいお気 持ちがこもり、ハン グルがよく読めなく なった無念さもにじんでいた。 茨木のり子ほど 敗戦後の日本に芽生え た市民意識、個の大切さを一途に、希望 をこめて、健やかにうたった詩人はいな い。しかも、その個は閉じ こもるもので はなく、第一詩集『対話』の題名のよう にダイアロー グを求め、平和を考え、後 半生は韓国語との対話によって自分の 世 界を広げていった。 読売文学賞を受賞した茨木のり子訳編 『韓国現代詩選』(花神社) は画期的な 名訳詩選集だった。 誰もいない 誰もいないのに 木々たちは揺れて かぶりを振る 冒頭の作品、姜恩喬「林」の一節であ る。韓国語の意味とリズムを 活かしなが ら、「かぶりを振る」というなつかしい 日本語に訳すこと によって民謡のように 人々にすっと入る作品となっている。 『ハングルへの旅』(朝日文庫)で、十五歳くらいの少女時代から金 素雲訳編の 『朝鮮民謡選』(岩波文庫)を愛読して いたと言っている から、関心はずいぶん 早くからあったようだ。実際に韓国語を 習うの は、五十歳になってからで、恩師・ 金裕鴻の情熱的な授業のおかげで、 夫が他界した喪失感を乗り越え、長期の学習 ができたと対談集『言葉 が通じてこそ、 友だちになれる』(筑摩書房)で語って いる。言葉に鋭 い感覚を持つ詩人らしくハングルに旺盛な好奇心を持って取り組 み、 古代語や日本の方言との対比など深 い理解にまで至り、魅力を広く伝 えた。 方言といえば、茨木のり子の母が東北 人で、さまざまなおもしろ い言葉が存在 していると幼児期から感じていたことが 詩作につながっ たそうだ。ベストセラー となった詩集『倚りかからず』(筑摩書房)収録の 詩「鄙ぶりの唄」など風土の 根元や庶民のエネルギーの源から汲み上 げた詩句は絶妙だった。 この庶民的で、そのうえ高潔な表現は 親しく 交際し訳詩もした韓国詩人・崔華 國の詩風にも通じている。『猫談義』で H氏賞を受賞した崔華國の詩選集の解説を書かれたが、二人とも口語 日本語、古語、漢語など多 彩な表現を適材適所に使って活きのよい 作 品にする名人だった。崔華國夫人の金 善慶創作童話集『うかれがらす』 (筑摩 書房)も楽しく訳された。 現代詩史に残る新しい日本語表現の詩 作品とともに、韓国文学を翻訳、 紹介し た仕事の豊かさも改めて感じる。 |
緑のラインマーカーで どなたかが緑のラインマーカーで 地球に緑の線を引く 風のようなものすごい速さで 何千キロの広い透明な緑の道が走る 砂漠の上に ビルの群れを通って 車から降りた人の背中にも線が映って 夜には 蛍の光の何千キロの太い帯になる 水辺を求めて 無数のささやきの羽音 砕けた星屑の散乱する光 死んだ人の魂がまたたく 失われた緑の道 深い知恵が隠されているのだが 重点ポイント 地球の難問試験に どなたかは 露草の葉の下で考えあぐねている *入学試験の季節ですね。うちにも大学受験生 がいるので落ち着きません。私が勉強した時 ラインマーカー(蛍光ペン)でやたらカラフルに 教科書に線を引いたものですが、これはやった 気になるだけであまりよくないとか。そういえば 線を引いただけで安心してよく読まなかったよ うな。とにかく合格祈願! |
ごまめ縁起 カタクチでイワシてもらいたい からからに いられても 照りだけ てらてらでも 重箱のすみの ごまめの歯ぎしり それでも ぎりぎり言い続け 昔も今も五万米(ごまめ)の願い 歴史の味付け自己流に 自分の田作り 昆布巻きには 喜びと悲しみの記録がびっしり 一口で食べないで 東海の流れ舌に染みらせて 勝栗きんとん 横目でちらちら まめまめしく働いたら 誰だって黒豆のようにつやつやしたい 二親と数の子の夢 いくらなんでも 矢羽根酢れんこんはやだね 御坊まで舶来牛肉に巻かれ巻かれて牛蒡巻き それでも ぎりぎり歯ぎしり続け ほんだわら ほんだわら 諸国とこまめに良きご縁を結びたい *「神奈川新聞」12月19日。「神奈川新聞」さんは 「時の詩」として一年間、横浜詩人会の会員に執筆 させてくださいました。沖縄タイムズとの基地問題 共同企画で受賞もされました。この時世に鋭い批 評を発信しているのでがんばってほしいです。 |
セロリの別称 茎元は小さなお尻の丸み 五人兄弟寄り添いながら ギリシャ円柱のよう まっすぐ陽に差し伸べた腕に 緑の鳥が群れ集まって うるさくさえずり 薄黄色の肉体のなか 細い細い翡翠色の川 匂いたつ生のセオリーが流れ セロリの別称 キヨマサニンジン にんじんでもあった? にんじんではないが 加藤清正が 豊臣秀吉朝鮮出兵の時 原種の一つを持ち帰ったことによる 朝鮮の王子二人を捕え 朝鮮の鬼と恐れられた清正軍を 撃退した朝鮮義勇軍 記念して建てられた碑 「北関大捷碑」 それをまた日本軍の将兵が 日露戦争中の一九〇五年 朝鮮を「保護国」化した年に取って来て 靖国神社の隅に百年間放っておいた 西洋の名でおおわれた 東洋の苦さ 日本の水を 緑のひしゃくに溜め 洗い桶に映った ゆがんだ自分の顔を見る *「詩人会議」2006年1月号に載せて頂いています。 |
600グラムの心 花がしぼむように 指を折って逝った人を数え 指からこぼれて 掬うこともできない人の水が 砂漠にあふれて 引き金を引く指の感覚も なくなってゆく 逝く人は道が突然折られたのか 天に向かって それとも 死者の道も折れ曲がっているのか 死にはなかなか行き着けない 祈りは神の領域で いつも折ると書きまちがう おもわず自転車で 名も知らない小枝を折ってしまい そんなことの繰り返しで 近くしか見てやしない いや近くもよく見ずに斬りすてる斧は 弱さの性質で 600グラムの心 一斤のパン 新しい目盛は考え所 体の重さと心の重さのアンバランスが悩み所 |
灰の指輪 灰で作った指輪 自らの罪の円環をたどるための 黄土にくるまれた屍のための 死んだ恋人のための ただれた影の木にも芽吹いた若葉の やわらかさとつよさを求めて 世界と私のやさしさと 世界と私の残酷さが 婚約したのだ 立会人におびただしい死者が並び ベールは海をわたって 波の白い裳裾をひろげ 水平線は 新書のページのように開かれた もろい宝石 灰の指輪 焼け野原の まずしく 若い二人が 互いの指にはめ合った 素手で 死の果ての生の輝きに歩み出すように 今 それはただの灰に崩れて行くのだろうか ※この詩を書いてから後に、ニュースで人骨からダイヤモンド の指輪を作っている方を知り驚きました。健康状態や年齢など により色が少しずつ違うそうです。60年前の灰の山から平和憲 法という宝石が生まれたのに、簡単に灰にもどしそうな昨今。 |
厠(かわや)神 むかし 日本で一番偉いのはトイレの神様だった 厠(かわや)は川のほとり 水竿を底にさして舟こぐ川男 藻の髪が光を溶かす川女が 交す産みの密語 子は黄金に輝く混沌 子は終わりであり始まりであり 厠は化粧の場 変身の異界 この世の顔を脱皮して あの世の魔物に転生 片目になって遠い海原を見る 抜けた歯を空に投げ上げる 無くした手で戸をあける 産み近く 体近くいた厠神 こんな神が 戦争に狩りだされることがないように しみじみトイレで考えたい *20年位前、詩人の伊藤比呂美さんが赤ん坊はウンコだ と書いて騒がれましたが、民俗学の観点からすればごく 普通のことだと最近知りました。糞便が宝物や赤子に変わ るのは昔話でもよく出てくるそうです。さらに、金芝河にも 最下層のものが一番偉いという発想がありますが、日本の 民俗信仰の中に似た考えかたが見られます。こういう聖性 が失われ、官製の神々が君臨する時代になるのは恐ろし いことです。 |
豆腐往来 からを漉して もう一度生まれるように ふはふは 豆乳の湯気たてて 海のにがさを吸い込み 水に泳ぎ 初めての頬ずりみたいに そっと手にとる 白肌のゆらめき 奴になって 切られて食われてやらあ 中国から伝わった豆腐 麻婆豆腐はちょっと辛い おばあさんおじいさんたちの 歴史の苦労も辛い 日本の淡白な舌は 辛味を味わい難いのか 病気ののどにも通りがいい 病んだ世界に欲しいのは 国と国とを 往来する 豆腐のような やわらかく滋味ある 言葉と行い *「神奈川新聞」5月30日掲載 |
側線 一九三〇年代の 詩を見ていたら、中に ×××××××× 伏字の一行 魚の側線のように続いて 水流と水圧の変化に 敏感な小さな穴 伏字の時代がまた来ているのか 心の中には伏字がある 自分で伏せた字の背中 つぐんだ口の一列は 縮む時代の縫い目 人間は解読の網をすり抜ける 伏字かもしれないが 耳は平衡へのレール 一九四五年秋の教科書には 墨塗りの ■■■■■■■■ 黒いうろこがびっしりと 昨日の白が今日の黒に 横須賀の海に 墨塗りのうろこがはがれ いつのまにか側線から主線に 育った深い穴を持つ 巨大な怪魚がのったりと ※神奈川新聞3月28日掲載。 憲法の改変が論議が広がらないまま進み、 中国や韓国の歴史認識とかなり違う教科書 が採用される昨今には不気味さを感じます。 |
舟 嵐の後 打ち上げられたボートのように 発砲スチロールの皿が 分別箱の上で山積みになっている こんなふうに かつて何かをのせていた皿が 皿だけになって 内部の中で並んでいる ずっと 整然と 一枚ずつ むこうの砂浜まで続いている 日の光が泡だっている 惨劇が無かったかのように 真っ白だが 肉の生臭さと石油の混じった臭いが しつこく取れない 溶ける海を航海して 重さがはがれて 街の中を 漂っている白い舟 |
あいさつ アッ・サラーム アクイクム 「ごきげんよう」 バグダッドの破れた空の下で <あなたがたの上に平和あれ>と祈る声が 交わされているだろうか アンニョンハセヨ 「こんにちは」 ピョンヤンの物乞いをする子が <安寧>を願う言葉を 呼びかけているだろうか 人の生は 折れそうな枝にかろうじて捉まっている 冬の虫のようなものだ ひととき緑のランプがまたたく 飢餓の足も 戦乱の腕も 日照りの舌も 洪水の喉も 身に記し 身が忘れても 言葉に刻み あいさつに結晶し 人から人に交わされ くり返され 今日 生きる奇蹟の日にも 声がする アッ・サラーム アライクム アンニョンハセヨ <あなたがたの上に平和あれ> |
爪のなかの魚 ー佐川亜紀氏より恵投された詩集『返信』の 中から言葉を拾いながらー 森 常治 鮭の生みたての卵の中に 命の鼓動が透けてみえるように 言葉の鼓動が透けてみえるよ まこと言葉は卵生 世界の殻にひびを入れながら孵化する そのあとは うわばみのように みずからをくねらせながら生きてゆく ときにきわめて攻撃的になり 栄養を摂るために 口を精一杯あけて また 憎っくき世界を燃やしてやろうと 薪のように束ねられ 火を放たれる なんしろ 意味が弾ければそれでいいのだ 貴方の言葉のなかにはなにが住む 馬、鷹、イルカ、それとも 鶴? もしかすると 文明の荷物を背負わせるためのラバ? そして 言葉が壊れるとき 花火のように砕け裂け 銀河の支流に向かって散ってゆく 無数の爪の中の魚のように *森 常治さんは、詩人、早稲田大学教授。「同時代」同人。 著書『トーテム』(沖積舎)、『埋葬旅行』(沖積舎)、『日本の 幽霊の解放』(晶文社)とユニークな詩と言語論をお書きです。 よく詩集に呼応した作品を書いて下さることでも有名。どこの 詩句が印象に残ったか分かり、ありがたいことです。 下記は、「爪の中の魚」の原詩。 爪の中の魚 佐川亜紀 爪の中に魚が泳いでいる 薄紅色の池に魚影だけが暗く 一族のよどみから浮かんだ影 美しい叔母も指と爪の形が悪かった 見知らぬけものが指先から現れそうで 錠をかけるように指先を組み合わせた 伯父の姿は浮かんでは消える 母のかいま見たところによれば 爪からかみ始めて 指 手のひら 腕と 端から 自分を食べていくらしい 体を柔らかくしておかないと 足先にも届かない 足先に届こうとして 体をまるめたままごろんと転がり 虚しく歯がみしている姿は むしろユーモラスである 飢餓島で死んだ伯父の 飢餓にとりつかれた姿か もしかしたら 他人を食ってしまい 人を食う快楽が忘れられないのか それとも 自分を消すことが強いられた生の形だったのか また 自己処罰するにしても このように 中途半端で滑稽でぶざまな 自分をさらすのが 人間の常態であろうか しかも 食べてしまった 自分の手 腕がみるみるもどり ぼろぼろの歯をかちかちいわせながら 再び自分を食べ始めるのだ だが 手を食べ終わると 爪から解き放たれた ほんのり赤みをおびた ちぎれた花びらのような しらすよりも小さな 十匹の白い魚がちろちろぬけて 濃い闇の海をあちらの世界の方へ 泳いで行く 爪の中の魚が 爪から放たれる一瞬だけが 安らぎのように 自分を噛むことを繰り返すのである メトロ 東京メトロみたいに 内部に入って かんじんな所で 停車しながら 何度も 何度も言いたいんだ ことばが占いの水晶玉のように磨かれるまで でも 今日のこ■と■ば■は 破片が入っていて ざらざらする 私の頭はアキ缶ほどの寛容も持てず メトロ線のように混乱が拡大し 四谷怪談がふえるばかり 霞濃い世界の関所 神が耕す田 虎が逃げた門 池を袋に入れ 人形が行進する町 メ■ト■ロ■ 昼でも夜の言葉を つっかえながら しゃべるがいい あたたかい体内のように 無数の心音を聞きながら |
アンダーライン 死が薄まっていく 空には 小さな足跡が満ちているのに 名前に喪のアンダーラインが引かれる 数えることも 覚えることも 悔いることも 忘れて 神経の空路が腐敗してゆく 巨大な砂時計の中に入って あわてふためき つかみあい こっちの球体から あっちの球体に ずり込むだけの 砂粒 そうして自らの 時も姿も失ってゆく 雲に燃えた車輪だけが転がって 光の輪がいくつもいくつも チグリス川に落ちてゆく あらゆるものに影が濃くなる秋 日本の名に 憎しみのアンダーラインが濃くなっていないだろうか |
雨上がり 通いなれた道路に あっけにとられたように 水たまりができている 台風が荒々しく吹きまくった あとの さっぱりと洗われた空に 何かが 何か美しいものが あって それを見るためだけに できた目のように ありふれたへこみに 水がみなぎっている 自分が映しても 映しても 映したりないもの 自分を超えていくものを 自分を投げ出して ぼうぜんと見ている わずか半日後に 自分が蒸発するとしても 何か美しいもの いや 何かむごいものかもしれない ちぎれたとんぼの羽のように かなしく美しいものかもしれないが ただ見ている水たまり そうすることによって 水たまりが どんどん深くなって 見えない水がたっぷりひろがる ことが分かる あのすじ雲にも あっけにとられることだ すじ雲の大きさまで あっけにとられることだと 美しさで ありふれた水たまりが あふれている |
雨の口笛(ピ ッピ) ピピッ 雨の櫛 朝 川の髪をとかす すかれた髪がどこまでも真っ直ぐに垂れ 大地の女のぬれた体が輝く ピッピ 雨のほうき 深夜 路上を洗う 人間の汚物もごみも世の果てまで掃きだされ 激しく背を打つ雨脚 ピピ ピピ 雨雨 くねくね よれよれ ピガ ピ 悲歌の血が流れ ピッピ ピッピ 光の雨 光の雨 ピ ッピ 雨の口笛が聞こえる ※ピ・・・韓国語で雨・ほうき・血 ピッ・・・韓国語で櫛 ッピ・・・韓国語で口笛 ピピ・・・よれよれ・くねくね ピガ・・・悲歌 「ピ」の音でも平音・濃音・激音と三種類もあります。 音がとにかく豊かです。ちなみに、ペ・ヨンジュンの 「ペ」はふつうの音で、船・梨・腹と同じ発音。 |
霧雨 霧雨が 突然 ねこの背中をぬらし 工事現場の盛り土をぬらし 手を振った指先をぬらし お寺の軒先をぬらし 空の働き者のおばさん しわだらけの日本に プーッと霧を吹いて スーとアイロンをかけていく 土地のくせっていうのは なかなかとれないよ 焼け野原のすっからかんの ぼろ布の上は まぶしい希望の延びもあったが ビルの凹凸やら増えると 元の生地もわかりゃしない 雨の務めは この優しい雨のしぐさなのか しかし もうすっかり汚れて 生の光を引き出すことも できない霧雨は むれた地球のすえる臭いを 浮き上がらせるだけ |
マイナス5月 5月の光が ピーマンをランプシェードのように 透き通らすほどまぶしいので −5月がある気がしてくる 誰かの心臓を凍らせて 地球は むごいほど 美しく0ゼロなので 5月は 蛇の死体が饐えて溶け始め 口からこぼれた水がただ地表に流れ続け −5月は 針のような精神が伸び始め かじかんだ口の中で希望の歌が殺し合う ぎゅっと握った手のなかの空白 思いきり開いた5本の指の先は 迷うべき5つの方向 原点も見失った道で 私のマイナスの世界から 歩いてくるものがいる |
桜と硝煙 花の中に もっと深い花が咲いている 地図の中に 見えない奥の道が続いている 他の民族の中に 別の宇宙がある それに戦車で踏み込むことは できない 行けない所に 民族の泉がある 自らの素手で 世界の傷を受けとめようと した人々に生を 私の手はすでに硝煙のにおいが こびりついている 桜の花びらが 地に打ち込まれた無数の弾痕に見えてくる 名札 春の大風の後 桜の花びらが たくさんの名札のように降ってくる それぞれの花びらに名前があって 私は今ここに居る ここに居たんだ という声がする 新学期にすべてのものに 名前を書いたように 葉っぱの名前を 水の名前を 砂利の名前を知りたくなる 私は始めました 何かを このひんやりした土の上で このぎざぎざの風の中で 神さまに名前を呼ばれるまでの ほんのわずかな時間 今日の風に吹き飛ばされるまでの間 いっしゅん 私はここに居た 私の生を受け止めてくれたものたち 世界はますます問いの包帯を 分厚く巻くばかりだが そして 名前も知らない死が続く その国の戦争に入り込んだのだが 死者の名前も知らない 空白の名札だけが遺される すべての名前が帰る 真白な名札の空から 吹く風はまだ冷たい |
信号待ち 交差点の信号待ちで テッシュをもらう <今、すぐお話できます> <今、すぐお役に立つお金> そんな親切な人がいるとは思えないけど 小さなビニールカバーの うっすらとした裂け目を開く 派手な絵柄の割れ目から 翼を折りたたんだ 生まれたばかりの 小さな白い鳥が 汚れた大気にふるえながら 柔らかい羽を広げていく 誰だって飛ぶ願いを抱いているよ 人が押し合うほど多くたまっていく 上から見ると難民のよう 広告の大きな液晶画面には 戦闘で重傷を負った少年たち すぐ靴のCM 信号を待っている間 28センチになった息子の靴を思い浮かべる 知らない道を歩いている 永遠に緑の信号に変わらない ように思えてくる わずかな涙や鼻水を吸い取ってくれる 小さな白い鳥をポケットに入れて 何かを待ち続ける |
方位 冷蔵庫の扉に 冬の星座みたいに きりん・うさぎ・ねこ・いぬの マグネットがくっついている 磁石はモノを引き付けあい 反発しあい 北と南の方位も示す 人と出会って 別れて 違う国の言葉を理解しようとして それなのに殺しあったり侮蔑しあったり 抱擁と憎悪を繰り返しながら 方位を探してゆく 方位が揺れながら ずれていく 言葉の中に 一番暖かい所と一番寒い所を 同時に こめられたらいいのに 日本から見られる星座は 北極星を中心に 北半球の星と南半球の星の一部 見ているのは輝きの一部 人の体の中にも方位があって 私のは東北出身の父に似て北 その父の肩は 仙台空襲の時の ガラスの細かい破片が 冬の星座のように入ったままだった その傷の星座が私の方位を照らしている |
冬の公園 くじらの骨の中のような公園を通る 葉を落とした長い枝 天使の腕が無残に絡まりあい空に吸われる 今日は日差しが温かいのに 風がツンツンつららの先 野球をする子もいない ホッカイロのような言葉もない いや むしろ言葉をマイナスまで冷凍するのが 戦後詩の方法だったかも 不穏な熱に浮かれるな 凍った池の面に寒い世界が映る 胸の白い渡り鳥の言葉が 鋭いひびを入れる ダイエット・コカコーラ コップの中でカフェインの海が逆上している ところで 本当はアメリカが好きだ カビくさいカミを横にどけてくれたから 足が長いから 自由の女神があるから 明治憲法よりずっとマシな憲法にしてくれたから ハンバーガーがおいしいから ディズニーランドが好きだから でも 本当はアメリカが嫌いだ 日本人を黄色いサルと思っているから アメリカが一番偉いと思っているから 原爆を落としたから 一番の核保有国だから CO2の排出量が世界一だから ハンバーガーで太ったから 大腸ガンがふえたから 頭韻のコカコーラで世界制覇しようとしたのに 太りすぎて ダイエットコークを生んだアメリカ 政治のパワーにもダイエットが必要では? もちろん うちにもダイエットコークがあります 一匹の猫がいると なんとなく空気があったかい となりの猫がテリトリーを確認しに来る なんとなく魚料理が増える 美しい障子はあきらめる 写真の枚数が増える ソファーが毛だらけになる なんとなく 自分もそういえば動物だったんだ と思ってニャーとか会話してみる つい毛をなでなでする 陽だまりのような思い出ができる *うちに猫が2匹いましたが、ミューの方が腎臓疾患で1月末に亡くなっ てしまいました。毎日、朝起きればミィー、ちょっと座れば膝にとびのる ような甘えんぼのオス猫だったので身振りの一つ一つを思い出して さびしくなります。どういうわけか畳のふちの帯みたいのをくわえてき たり(どこからもってきたのか)、いつもちょっぴり舌を出すのがくせな おとぼけ猫でした。合掌。 |
2002年は前半、サッカーのW杯で盛り上がっていたら、 後半世紀の日朝会談と思いきや拉致問題の現実がズキリ と突きつけられ、戦後を揺るがす事実と議論も噴出してき ました。でも、歴史はさまざまな面から考え、戦争を避ける 努力が大切ですよね。 20世紀的な一元的希望がくずれ、もっと複雑な迷路をく ぐりぬける感じになってきたように思います。 詩って希望かな。詩は絶望かな。いや、そういう二分法が 崩れて、錯綜とした現実にまみれるしかないってことでしょ うか。 留守電 まだ暗い空に オレンジ色の日が昇ってくる 闇の中で 留守電着信しるしが光ってるみたいに あの日を押してみたら どんな言葉が録音されているだろう いのちに意味があるのですか 無人のペンシルビルの片面を照らす 出しっぱなしの洗濯ものを照らす イルミネーションをまとった木を照らす 鳥の死骸を照らす 高速道路の車たちを照らす 言葉はいつも留守に届く 肝心な言葉ほど留守に届く だからいつも闇の中で手探りしながら 言葉のボタンを捜している 一億光年まえの言葉はだれの留守電 消え残っている星星 消え残っている星星のような 胸の乳房のボタンを押してみる まだ 私の中に留守電が残っているだろうか まだ 少し押し返すふくらんだ言葉 まだ 着信音を鳴らしてみたい |
<ちょっと、詩のお話。> 原子朗さんの新詩集『淹歳』(花神社)のあとがきに最近の日本の詩に対する外国 人の評価が載っているので引用させて頂きます。 「いかにも俗受けするエピグラムふうの―たとえばカレンダーによくある毛筆がきの 押しつけがましい処世訓みたいな―警句とか、童謡ふうのわかりやすい詠嘆調や、 あるいは一見ユーモラスな行分けのことば遊びなどを、こどもたちだけでなく、おと なたちにまで、これが詩だ、すぐれたいい詩だと思わせてしまうような風潮を、日本 の詩人たちは、だまって許しているばかりか、まともな批評ももたない不幸をよいこ とに仲間ぼめしたり、詩人自体がそれを実践しているみたいに見えるのです」 「世界中のどの国家や民族も味わったことのない苦難の歴史を、一瞬にして十万 も二十万もの死者を出した許せない原爆テロの被害とは限らない、日本民族はし たたかに経験した。いわゆる『戦後詩』には、たしかに『戦争体験』の衝撃的反映 が詩の認識を変えるほど見られはしたが、そうした世代や局地的な経験のレベル にとどまらないで、もっと世界にむかって人間を根源から問い直しつづける恐ろし い、劣えない言語の衝迫力を、日本の詩人たちは世界にさきがけて、かつての西 欧の詩の影響によって生まれたとはいえ、過去のそうしたレベルをも食いやぶる 詩として、世代をこえて発揮してくれるものと期待していた。そうした期待も、やは り経済現象のレベルでのそれと同じように、私たちの過剰期待、または幻想でし かなかったのか、という失望を含むのです」 確かに、この外国人研究者たちの批評は日本現代詩の低調の核心をついていま す。けれど、こうした方向は80年代の社会的関心の減少とともに、詩の孤立化を もたらしました。まあ、それだけじゃなく、「戦後詩」がマンネリ化して、新しい時代 に対応できなくなったのも要因ですが。さらに、情報化が進んで、読みやすい、受 けやすい詩が求められるようになりました。 この際、現代詩系孤立型と、エンターテイメント系普及型に住み分けしたほうが いいかもしれません。あなたは、この外国人研究者の意見をどうお思いですか。 かえってくるもの 佐川亜紀 雪は降るのではなく かえってくるのだ 天にあるのは渇きだけ 巨大なカラの紅茶茶碗が空にあり 夜空に陶器の音がかすかに響く あのように あのように 正確に結晶するように 地から空に上っていった 願いが地上のどこかにあるにちがいない 初めての発表会の少女の衿レース ありえない国の旗のシンボルマーク 点から広がる世界への道 極小さな青い魚が泳ぐ水路 そのように そのように 地にふれれば またたくまに崩れてしまう 地にはいられないのに 地から昇った小さな小さな願いが かえってきたにちがいない すはう 佐川亜紀 すはう すはう と つぶやいて歩道橋の中間で立ち止まる すはう すはう なんだっけ 先日の高校の同窓会で 久しぶりに古典の先生を見て 「すほうの花足」がなぜか浮かんできた 源氏物語の読解講座で分からなかったところか 悪夢みたいにうかんでくる 花に足がはえ走って逃げたい気分 古典から遠く 日本にいながら日本から遠ざかるように 言葉に近づいたが 言葉の花は世界を歩いたのか インドからわたって来た蘇芳 萌黄とかさね このような中間色とかさねの日本の言葉 光と闇のかさねの袖が 猛スピードの自動車の川の上でふられている *蘇芳 インド・マレー原産のマメ科の低木で、心材をせんじて黒みを帯びた赤色 染料をとり、木製の調度品、衣類などを染めた。赤紫いろ。 *花足(けそく) 花形の飾りを彫り付けた脚。また、その脚をつけた机・台・盤など。 |
空港 青空に 生まれたばかりの 死をおおう 白い布が溢れ 果てしなくひるがえる 南風は 内臓の臭いがする どこかに 飛び立ちたくて どこかの 風景を かすめとりたくて 空港に行った 南米から来たおばあさんが 「もう 会えないかもしれない」 と 親戚のおばあさんと 抱き合っている 若い男が 「首の アフガン巻きは 紫外線にもいいんだ」 と若い女にしゃべっている 美しいすい臓が 郵便物に入っているような翼 エンジンは憎悪を加速する 飛行機がぐにゃりと萎えている 窓から 瀕死の鳥の口のような 小さな島を見た 空き缶 空き缶から 甘いよだれがたれていて からみあうように 無数のカラが抱き合っている どの空き缶だっていい どの飲み物だっていい くらい 自分がカラになっていたい 奇跡のように 水分を 一瞬ためるだけの 存在でいい そして ふしだらに 誰かに飲まれたい 水分が蒸発して べたべたした臭いだけになっている グニャリとよじられて 腰に快い痛みが走る ペタンと潰され 自分の薄っぺらさを確かめる 私の潰れた傷が 誰かの指から血を流させる |
ベトナム・ホーチミン 青空の市場で ドラゴンフルーツは赤い炎 銀竜のような無数のバイク 一台のバイクに一家四人が乗る 学校の制服の白いアオザイの裾が 風にひるがえり 椰子は緑の剣 かつて大国アメリカとの泥沼の戦争に 打ち勝った民の 地の底からのエネルギー うさぎ にわとり かえる ぶた ともに生きて ともに食べる 戦争の跡は深く 片腕の人がココナッツキャンデーをねり 犬は小さく 裸足の少年はやせている 私が15歳の時 「フランシーヌの場合は」という 新谷のり子の歌で ベトナム戦争を知った なぜパリでフランシーヌが 焼身自殺をしたか 英語の問題集の余白に 歌詞を写していた 英作文より難しいアジアの政治 うすぼんやりと そこで自分が世界につながっているような 戦争はとなりにあった クチの地下トンネルに娘と入る ベトナム戦争中 南ベトナム解放戦線によって掘られた 250kmのトンネル 人一人やっと通れる 日本の戦後の地下に何があったのか ありすぎて無い日本 娘が闇の中を歩いていく 自分の解放を得るために オレンジ爆弾パイナップル爆弾 枯葉剤により死産した奇形の双子 人は破滅を発明し 人は希望も発見する 21世紀に生まれる 20世紀が産み落とした死児 地上の市場で今 鳥の首がはねられる |
メコンのノンラー メコン河はスップマンタイクアのように とろりと生と死が濃い 泥の河 澄むことのない 混沌の人間の歴史そのままに 豊かな糧を与え続けた ノンラー(三角菅笠)をつけた少女が 櫂を漕ぐ 果樹園より観光クルーズのほうが 稼ぎがいい 中学を出て漕ぎ始めた 島が少しずつ変わっていく 河はいつもあの世とこの世を 結んでいるから 死んだ曾祖母と漕いでいる 花粉に蜂蜜をまぜて飲む 川えびを獲る少年の背が輝く ゆったり河は流れ ゆったりマンゴーは育ち 恋のスコールの後の 氾濫を飲み込んで ゆったり行き交う *スップマンタイクア・・・かに肉鶏肉ホワイトアスパラガスに 溶き卵を加えたとろみスープ。 |
1活気あるホーチミン市 3月の末に娘とベトナムに行ってきました。ベトナムといえば私なんかは、 ベトナ ム戦争ですが、最近はかわいい雑貨が人気なのです。ホーチミン市 はバイクが洪 水のように走る活気ある商業都市です。一台のバイクに一家 四人が乗るのは当た り前。おばあちゃんもガンガン飛ばしてます。アオザイの 水色の裾をなびかせて若 い女性が乗っているのはかっこいいですよ。韓国の ソウルは自動車の洪水でした が、バイクは顔が見えるところがおもしろいで す。解放前は、南ベトナム政権があ りましたが、今は、百以上部屋がある大統 領官邸は展示や会議場の統一公堂に なっています。漆塗りが特技で飾りに多 く施されています。 2、ハスの茎はベトナムの香り ベトナムは、昔、中国に支配され漢字の仏教経典などあり、民族衣装のアオザイ も上着は中国服に近いです。有名な生春巻(ゴイクオン)や海鮮なべの スーフなど あっさりしていておいしい!!ただ、ハスの茎などの野菜の香りが独特。 野菜は 生のままたっぷり出てきて、ヌック・マムというたれで食べます。 ココナッツ、ドラゴ ンフルーツなど珍しい果物は甘みが強いです。 今のベトナム語はアルファベットを用いて表されており、また、すばらしく おいしい カリカリのフランスパンがいたる所の露天のお店で売られています。 ベトナムにマ グドマルドがないのは、このとびきりうまく、安いフランスパン のせいなのだそうです。 教会も多く、フランス支配の歴史を感じさせます。 3、ベトナム戦争 戦争博物館、クチの地下トンネルなど、やはりベトナム戦争はベトナム の現代史 に大きな意味を持っています。300万人のベトナム人が死亡 し、400万人が負傷し、 5万8千人のアメリカ人が死にました。785万ト ンの爆弾が落とされ、7500万トンの 枯葉剤がばら撒かれた被害は想像 を絶するほどすさまじいものです。その傷跡をか なりあからさまに展示し ています。日本の原爆資料館などの場合、人間の傷は写真 ではあり ますが、ベトナムでは、枯葉剤により死産した胎児をホルマリン漬けで 公開 しています。拷問も人形を使ってリアルです。(韓国でも日本軍の拷 問のひどさを人 形で再現しています。)戦闘機、武器も本物で臨場感が あります。しかし、告発のみ を感じないのは、やはり勝利した自負がある からでしょう。(ベトナム戦争は日本が 直接参戦しなかったので、こちらの 感じ方にもよるが)特にクチの地下トンネルの見 事さ、随所の創意工夫の すばらしさ、三層にわたる地下生活のしたたかさ、踊りなど 禁止しない柔 軟さと考え方のしなやかさなどに感嘆します。日本軍の硬直した精神主 義 とは違います。このトンネルを観光名所にするたくましさにも脱帽。美しい メコンと 椰子と戦争の現代史と器用で安い小物、好きになる所ですよ。 |
ポム 一つの言葉には たくさんの河が流れていて 山々が隠されていて 一つの春には いくつもの春がこめられているから 日本語と違った日々があるから 韓国語のポム(春)を 訳すのは難しい 3・1独立運動や 4・19学生革命の 春は激しい風 鳥は時代を告げ 月は心の剣 花は血の色 まっすぐの意志のハングルと まるい感情のひらがなの 間の深い谷を 飛ぶ 飛ぶごとに 深くなる谷間 かすかに遠くの言葉の海の とどろきを聞く 春のレシート 春には支払いが多い 冒険ほうれん草150円 ドロップアウト・ドロップ250円 おしゃべりにんじん100円 恋めがね1000円 惜しげもなく浪費する若さは レジスターに納まらず 輝かしい自己破産を繰り返す 年を重ねても 意味不明の支払いが増えるばかり さくらの花びらのレシートが 吹雪いて来て 自然が支払ったものを 私たちに請求する |
女の顔 女の顔は一頁 歴史物語の一幕が開く ロマンで飛躍する 詩のように型にこだわりながら掟破りで アフガニスタンで 頭からつま先まですっぽりおおった ブルカを脱いだ女が 顔を日にさらしている たとえ世界が硝煙と血の臭いに満ち続けても 自分の鼻腔でじかにかいでみたい たとえ別の苦しいつぶやきがあっても 自分の耳でくっきりと聞きたい というように ざらついた風の真中に 顔をむき出している ブルカには民族の息遣いがこもっていて 歴史の織り方は複雑 整形した東京の女が最新の化粧している 顔は使い捨てマスクのように 変えればいいと思う 髪は金髪に染めた 自分がなんなのか 深く考えないようにしている 周りを感じないようにしている 頭からつま先までエステに行った 彼女も見えないブルカでおおわれているような 女って 自分って どれが本当の顔なんだろう そのあてどない物語の 一頁のような女の顔 海辺の墓地 海辺の墓地 浜辺で星の爪のような 貝殻を二枚拾う だれかの左手と右手の 人指し指のようだが 重ならない 右胸の痛みと 左胸の痛みが 違うように 海の向こうの 生の向こうの伝わらないものが 巻貝の中で長い手紙となっている 死者の人指し指とずれたものが 黒くうねってくる |
去年は21世紀の不気味さを感じさせる年でしたが,今年はなんとか明るくしたいですね。 水崎野里子さんが『日英対訳 現代詩アンソロジードーナツの穴』(土曜美術社出版販 売)で私の詩「返信」を訳して下さったのでご紹介します。この本には、28人の詩と2人 の俳句、8人の短歌が収められています。 「返信」は湾岸戦争後に書いたのですが、戦争の後遺症は人間にも国際間にもさまざ まな傷をもたらしますね。 返信 五年たってから送られてきた返信 私は書きかけの返信 七月のテーブルクロスにあふれる日差しへの 遠い風がのせてくる鳥のさえずりへの たくさんの生物が送ってくれた命の火への 泥土の中血だらけで死んだ兵士のうめきへの 地中海で発せられた永遠の問いへの 中国の山奥の賢者が描いた夢への 朝のパンをふくらます生の種への 私を抱いたやさしい手への 地球は宇宙の光をあびて 返信し続ける 地軸は生死に敏感 喜怒哀楽をめぐらし 黙祷の姿にかたむき 体中を青くふるわせながら 宇宙の奥へ発信する言葉をさがす 私が送ってしまったお金への 五年目の返信 湾岸戦争帰還兵夫妻に 内臓の変形した赤ん坊 三ヵ月後に死亡 第二子 三時間後に死亡 この世界を 信じて生まれてくる生命の 産声の呼びかけに これが世界の返信 これが私の返信 私は書きかけの返信 書きつがれる返信 Returned mail (Aki Sagawa ;translated by Noriko Mizusaki) The returned mail was sent back five years later. I am returned mail half written To the sun light overflowing on a table cloth in July To the birds'chirps riding on the wind To the fire of life sent by so many living crestures To the groans of soldiers who died covered with blood inthe muddy soil To the eternal question uttered in the Mediterranean Sea To the dream pictured by wise men in the depths of the mountains in China To the yeastof life which raises the morning's bread To the gentle hand which held me. The earth is bathed in the light of the universe and Continues to send out returned mail The axis is sensitive to life and death Turning human emotion Slanting to the figures silently praying and Shaking its body in blue It looks for the words to dispatch to the depths of the universe. The mail was returned in five years To the money I had sent To the couple,the returned soldier from the Gulf War The baby with deformed guts Died in three months The second baby died in three hours. To the first call Of life which comes to be born Believing this world The returned mail of the word is this The returned mail of mine is this. I am returned mail half written Returned mail written to be passed on |
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