児童文学作品1


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二つの国の物語』   赤木 由子

 「戦争が終わったら東京の大学へ一緒にいこう」と約束した中国の友人ホウランは,その直後,憲兵に殺された。ヨリ子の目の前で。なぜホウランは殺されなければならなかったのだろう。

 全3巻にわたる長編です。日中戦争から太平洋戦争終結あたりまでを中国大陸で過ごした作者の自伝的物語です。この作品を読んだのは小学校高学年の時。もし,自分がヨリ子の立場だったらどうしただろうかと真剣に考えました。戦争がどういうものであるかよく知らずにいたわたしには,とても衝撃の大きかった作品です。子どもは国籍の違いなど関係なく仲良くなれるのに,どうして大人は戦争をしてしまうのだろう。(98/08/15)

 

車のいろは空のいろ』   あまん きみこ

 タクシーの運転手,松井さんが出会った不思議なお客と不思議なできごと。今日のお客はどんな人だろう?

 あまんきみこさんの作品の中で一つ好きなものを選べと言われたら,すぐさま『車のいろ…』をあげます。一つひとつの話は短いのですが,それぞれ違う色の世界が思い浮かんできます。「すずかけ通り三丁目」と「白いぼうし」が気に入っています。
 余談ですが,谷山浩子さんのアルバム『ねこの森には帰れない』の中の曲に『車のいろ…』をモチーフにしたものがいくつかあります。これでわたしは谷山さんに転びました。(98/08/15)
 久しぶりに続編が出ました。新装版として出版されています。『白いぼうし』『春のお客さん』『星のタクシー』というタイトルがつけられています。(01/02/18)

   

鬼の橋』   伊藤 遊

 平安時代。少年篁は妹と一緒に隠れ鬼をしていたが,妹は井戸に落ちて死んでしまう。自分のせいで死なせたのだと責め続ける篁。ある日,ふたたびその井戸の前にやってきた篁は井戸の底へと吸い込まれてしまった。そこで見たものは…。

 篁が背負っている苦悩は,現代へと通じるものがあります。妹の死によって深く傷ついた篁。元服の日が近づき,大人にならずにすむものならと思うのも,現代社会での現象とよく似ていると思います。さらに,父との関係。追い求めているのに,その声は父に届かない。けれども,篁が真に強くなりたいと願うようになったことで,父との関係も変化していきます。そのきっかけとなったのは,橋に固執する少女,阿子那と鬼である非天丸。この二人が本当の親子であるかのように互いを必要としあい,支え合っていく姿を見ていると,人間にとって大切なものは何なのかを考えさせられます。
 さらに,死後も都を守護する役目を担ったために,あの世への橋を渡れずにいる坂上田村麻呂。旧知の友が次々と橋を渡っていくのに,自分だけが渡れない。その孤独感を思うとたまらなくなります。
 気になったのは,なぜ篁を主人公にしなければならなかったのかということ。歴史上の人物でなくてもよかったように思うのですが。(99/01/02)

 

えんの松原』   伊藤 遊

 東宮憲平のもとにあらわれる怨霊。その正体を突き止めようと,音羽はえんの松原へと向かう…。

 主人公の音羽は男の子ですが,宮中にいる伴内侍のもとに引き取られることになり,女の子のふりをしています。まだ13歳の少年なので,女装をすれば女の子に見えますが,中身は男の子です。東宮の憲平は男の子ですが,女の子だったら東宮にならなくて済んだと思っているところがあります。そのためか,初対面の時には,音羽が憲平を女の子と見間違えています。つまり,女の子の外見をしている男の子と,女の子だったらいいのにと思っている男の子で,どちらもアンバランスな状態です。この2人が壁を乗り越え,少年として成長していく様子が描かれています。
 音羽は自分を心配してくれる人の存在と,そのありがたさに気づいていきます。憲平は,怨霊の正体を知り,事実を受け入れることで成長していきます。ラストでは,2人とも女の子の格好が似合わなくなるほどになっています。
 また,伴内侍がとても魅力的な人として描かれていました。不器用だけれども,本当は優しい人なのです。
 憲平のところにくる怨霊がなぜ生まれてしまったのか,その部分が今一つ不鮮明な感じがしたのが残念です。(03/08/18)

 

写楽暗殺』   今江 祥智

 夕子は狂言を見ているうちに江戸時代へまぎれこんでしまう。しかも,男の子の夕一郎として。そこで出会ったおさむらいの斎藤さんは後に「東州斎写楽」と呼ばれる謎の絵師だった…。 

 今江祥智さんの作品の特徴のひとつに,「 」で表現することの多い会話部分を―で表していることがあります。そのせいか,作品世界がとてもやわらかい雰囲気をかもし出します。おかげで(?)写楽「暗殺」というタイトルを最後になって思い出しました。今江さんの描く写楽がとても魅力的で,実際の写楽もこういう人物だったのに違いないと長い間信じて疑いませんでした。 (98/08/15)

 

ぼんぼん』シリーズ   今江 祥智   

 洋と洋次郎が体験したいくさ。いくさってなんだろう。彼らの見た太平洋戦争は…。

 『二つの国の物語』が中国を舞台にしているのに対し,『ぼんぼん』は日本を舞台にしています。戦争=重いというイメージがわたしの中にあるのですが,『ぼんぼん』は不思議と重い印象がないのです。ほあんとした関西の言葉と,セリフの表現方法が,暖かさを出しているのでしょう。続編に『兄貴』『おれたちのおふくろ』『牧歌』があります。『ぼんぼん』から『牧歌』まで15年にわたって書かれたのですが,洋が教師になったのには驚きました。(98/08/15) 

 

かんがえるカエルくん』シリーズ   いわむら かずお

 カエルくんはかんがえる。ぼくのかお,ネズミくんのかお,セミさんのかお,チョウさんのかお,トンボさんのかお,ハチさんのかお,カタツムリさんのかお,ミミズさんのかお…。
 どれがめ?どれがはな?どれがくち?どれがみみ…あれ?カエルくんのみみってどこ?
 カエルくんはかんがえる。ネズミくんのかおについている糸みたいなのはなに?ひげ?ん?なにそれ?
 カエルくんはかんがえる。ネズミくんのくちのなかにあるものはなに?は?ん?なにそれ?

 児童文学というか,これは絵本です。とっても哲学的(笑)なカエルくんにもう感動しっぱなしです。カエルくん曰く「ぼくはぼくだけど…ネズミくんもぼくなんだ…。ほんとはネズミくんはきみなのに…ぼくなんだ…。」それに対しネズミくんは「カエルくんもきみだよ。ね。」
 こんなふたりがたどりついたのは「ネズミくんはぼくがいるから…きみなんだ。ネズミくんがネズミくんだけなら…きみにはなれない。ぼくはネズミくんがいるから…きみになれる。ぼくがぼくだけなら…きみにはなれない。」すばらしい発見です,これは。
 続編の『まだかんがえるカエルくん』も出ています。(99/08/08)
 第3弾『もっとかんがえるカエルくん』も出版されています。(03/08/18)
 第4弾『よーくかんがえるカエルくん』は命がテーマ。考えさせられる内容です。(04/07/19)

 

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精霊の守り人』   上橋 菜穂子

 バルサは短槍を使う女用心棒。新ヨゴ皇国の第2皇子チャグムの命を偶然助けたことから,チャグムの用心棒を頼まれる。チャグムは不思議な「精霊の守り人」の運命を背負わされ,命を狙われているのだ。

 チャグムを狙っているものは何なのか,「精霊の守り人」にまつわる秘密とは何なのか,その謎を解き明かしていく過程にもとてもわくわくさせられました。それぞれの立場のために歪められて伝えられた真実。それを,追う者と追われる者とそれぞれが解き明かそうとしていくうちに,協力して本当に立ち向かうべき相手を見つけていきます。
 女用心棒バルサの年齢が自分に近いせいか,バルサの気持ちを追いながら読み進めました。何のためにバルサは戦うのか。過去に何があったのか。これまでに様々な物を失ってきたバルサの抱えている物はとても重い。けれど,チャグムや幼なじみのタンダと行動を共にするうちに,大切な人を守りたいという気持ちがあることに気づいていきます。
 周りの者が自分のことを守ってくれるのは当然だと思っていたチャグム。でも,それが当たり前ではないことに気づき,自分とは何の関わり合いもないバルサやタンダに助けられていたことに感謝できるようになります。バルサと旅に出たころのチャグムとはまったく別人のようです。(99/08/01)

 

闇の守り人』   上橋 菜穂子

 チャグムと別れた後,バルサは生まれ故郷のカンバル王国へ戻ることにした。父が国王ログサムの陰謀のために殺され,父の友人であったジグロと共に逃げ続けていたバルサ。そのことはずっと心の底に傷として残っていた。傷を癒すためにはきちんとその傷を見つめるしかない。25年ぶりに訪れた故郷で待っていたものは…。

 『精霊の守り人』ではあまり明らかにされなかったバルサのトラウマ。養父ジグロへの思い。今回の故郷への旅はバルサが本当の自分になるためのものだったと思います。チャグムの用心棒をしたことでジグロがどんな思いでいたか少しわかったような気がしたバルサ。バルサの中には,単に友人の娘に過ぎない自分を国王や仲間を敵にまわしても守ってくれたジグロへの負い目があるように思います。いったいどんな気持ちでジグロは自分を育ててくれたのか。その思いを知り,ジグロの影を振り切ることでバルサは過去から解放されます。そして,帰っていく先はきっと,幼なじみのタンダのもと。これでバルサの旅は終わりでしょうね。
 どちらかというと,子どもよりも大人に読んでほしいなあと思う物語です。 (99/08/01)

 

夢の守り人』   上橋 菜穂子

 夢は現実から逃げ出すためにあるのか。夢見ることは不幸なのか,幸福なのか。

 『精霊の守り人』に出てきたメンバーが再び登場しています。現実と夢について考えさせられる内容で,読み応えがあります。体は生きているのに魂は死にたがるということが話の中に出てくるのですが,こういうところに目を向けるあたり,上橋さんのすごさを感じます。この感覚は,今多くの若者が感じているものなのではないでしょうか。現実の自分の未来に希望を見出せず,夢の中や死へと逃避してしまう人々。居心地の良い夢の中にいつまでもいてはダメ。それを乗り越え,現実で生きていかなくてはならないのだ。そういうテーマだと思うのですが…。(ザッと読んだのでちょっとずれているかな?)でも,何だかすっきりしないんですよ。たぶん,誰が主役なのかよくわからなかったせいかな。今回の主役は,どう考えてもバルサではないと思うのですが…。うーん,一応タンダなのかなぁ。バルサの物語は,前作の『闇の守り人』で終わっていると,今回改めて思いました。個人的にはこのタンダがとってもいいなあと思うのですが,でも…このテーマをバルサたちの世界で取りあげなくてもよかったんじゃないかなという気がします。
 でも,あっという間に読ませてしまう筆力はさすがですね。(01/02/18)

 

虚空の旅人』   上橋 菜穂子

 サンガル王国の新王即位の儀に招かれたチャグム。そこでは,陰謀が張り巡らされていた。

 「守り人シリーズ」の番外編です。したがって,バルサは出てきません。個人的にはタンダが出てこないのが残念です。
 サンガル王国が王家の女性達によって守られているというのはおもしろい設定だなと思いました。
 サンガル王国のタルサンは,実直で武芸に秀でており,王子の身分であっても民の心配をする人です。民の目から見ると,とても頼りになる王子だと思います。それに対し,チャグムは今まで守られてきた王子でしたが,この番外編ではだいぶ成長して頼もしくなりました。2人とも人の命を大切にするという点で共通しています。たったひとりの命を優先させるのは,王として国全体の存続を考えたときには誤りかもしれません。けれど,この2人はたった1つの小さな命でも見過ごすことはできないのです。チャグムは自分が命を狙われ,助けられた経験からそう考えるようになったのでしょう。
 そういえば,タルサン王子にはサルーナ王女という姉がいるのですが,この2人は大津皇子と大伯皇女を思い出させました。弟思いの姉と,潔い弟なのです。(02/08/16)

 

はてしない物語』   ミヒャエル・エンデ

 クラスの仲間にいじめられて逃げていたバスチアンは,古本屋に飛び込んだ。そこで出会ったのは,一冊の本。そのタイトルは,本に心を奪われ,熱中してしまうバスチアンにとって,何よりも望んでいたものだった。決して終わりにならない物語,本の中の本,【はてしない物語】!

 本の読み手が物語の中に入り込んでいく,不思議な感覚を味わうことができます。作中の『はてしない物語』と自分が手にしている『はてしない物語』が重なっていたり,ファンタージェンと現実の世界を印刷の色で分けて表現したりという仕掛けがとても効果的です。(色分けは石井桃子さんの『ノンちゃん雲にのる』でも使われていた気がします。)
 終わりの方のコレアンダー氏の言葉「ほんとうの物語は,みんなそれぞれはてしない物語なんだ。ファンタージェンへの入り口はいくらでもあるんだよ,きみ。そういう魔法の本はもっともっとある。それに気づかない人が多いんだ。つまり,そういう本を手にして読む人しだいなんだ。」にめぐりあえたことを,何よりもうれしく思いました。(98/09/22)

  

ぼくのわがまま電池』   大塚 菜生

 ぼくが今ほしいのは「充電式電池」。でも,かあちゃんは「たかいんでしょ,ダメダメ。」って買ってくれないんだ。それを明日持っていかないとカイダンにばかにされちゃうのに。そんなとき,ぼくは電気屋の広告を見つけたんだ。「新装オープン,アルカリ電池むりょう進呈」もしかしたら,充電式電池も激安で売っているかもしれない!ところが,ぼくはもっとすごい電池を手に入れちゃったんだ。

 主人公の洋大の語り口調でお話が進んでいくので,洋大の気持ちがとてもよく伝わってきます。最初から彼は怒っているのですが,その気持ちがよくわかるのです。(わたしが洋大と同じ「チビ」だからということもあります。)
 充電式電池の代わりに手に入れた電池はとてもおりこうさん。なんと,自分で考え,大きさを変えてぴったり合わせてくれるのです。こういう電池があったらほしい!と最初は思ったのですが…この電池,とってもわがままなのです。もともとの大きさがとても小さくて,それが気に入らないようです。そのうっぷんばらしとして,自分がとりつけられたおもちゃを大きくしてしまうのですが,それを聞いた洋大は「そんな電池すきだな。」「電池に気持ちがあったら,友達みたいに思う。」「スイッチなんか使わなくてもぼくの気持ちと電池の気持ちがピッタシになったときがスーパーマシンのスタートなんだ。」と思います。こういう発想をしている洋大ってとても素敵な子です。わたしだったら「何この電池!」と使わなくなってしまうかもしれないのに。
 もう一人,いい味を出しているのが電気屋のおじさん。といっても,女言葉を使うのであまりおじさんという感じはしません。この方,けっこうまぬけなところがあります。2099年から洋大の時代にやってきて,最後に自分の時代に帰っていったのですが,「なにかあったら,れんらくちょーだい」と置き手紙を残していました。でも…どうやって2099年に連絡をとるの!?洋大もそのことに関心を持っていますが,わたしも知りたい!!(99/09/23)

 

あんことそっぷ』   大塚 菜生

 京太はすもうがとても強い男の子。でも,最近ちょっと様子が変。ダイエットするというのです!

 好きな女の子,ふみかちゃんによく思われたいために,ダイエットしようという京太くん。大人から見ると,そんなの気にしなくていいのにと思うことでも,子どもにとっては真剣なことなのです。
 このお話を読むまで「あんこ」「そっぷ」という言葉を知りませんでした。家族は相撲好きなので聞いてみたところ,「今まで知らなかったの?」と言われてしまいました。
 それにしても,京太くんってやさしいな。前の年に優勝したときの写真が横を向いていたのですが,その理由が「ケガをした子の様子が気になってそっちを見ていたから」なのです。ダイエットなんてしなくたって,京太くんは女の子にもてると思うな!(02/08/21)

 

うちの屋台にきてみんしゃい』   大塚 菜生

 わたしの名前は貴夏。うちは屋台のラーメン屋さんなの。そして,屋台の名前は「きなっちゃん」っていう。何で名前が一緒なの!?

 屋台の仕事は夜の7時から翌日未明の3時まで。貴夏と両親の生活は,当然すれ違ってしまいます。たった一人で過ごす夜。6年生では寂しくないわけがありません。ひょっとしたら,自分は見捨てられているんじゃないかと思っても不思議ではないと思います。
 でも,貴夏は両親が好きだし,特に母親のことを気にかけています。父親が骨折したときには屋台の手伝いもする貴夏。そこには,自分が2人にとって必要な存在なんだと確かめたい気持ちがあるのだと思います。「わたしを見て!わたしの存在を認めて!」そんな心の声が,貴夏の行動から聞こえてくるようです。
 貴夏は良くも悪くも親の影響を受け,自立していくのですね。 貴夏が屋台の子じゃなかったら,もっと自立は遅かったでしょうね。でも,この自立は,親の自分に対する思いを知ってのプラス思考のものだから, 読んでいてとても気分がいいです。 親は自分のことを大切にしてくれない,見ていてくれない,だから自立するしか ないという子どもも現実にいます。たった10年ちょっとしか生きていない小学生がそんな考え方をしなければならない,そして,自分はそれを端から見ているしかないというのはけっこう辛いです。でも,それがその子にとっての現実だから,受け入れるしかありません。大人の世界,論理に身近に触れてしまう子は,子どもでいられる時間が短いのかもしれません。
  とにかく,きなっちゃんは明るく前向きで行動力もあっていい!(02/08/16)

 

プリンプリン物語』(全5巻)   大塚 菜生

 わたしの祖国はどこ?わたしのお母さんはどこにいるの?15歳の少女が,仲間とともに祖国探しの旅に出る!

 NHK人形劇「プリンプリン物語」小説版です。
 プリンプリン物語は,子ども向けではなく大人向けの人形劇だったのではないかと思いたくなるような内容です。20年以上も前に放送され,当時の世の中を風刺したような部分がたくさんあるこの物語。それなのに,ちっとも中身が古くないのです。それだけ,人類は進歩がないということなのか…。戦争をしないですむ方法はいくらでもあるのに,子どもの方がそれをよく知っているのに,大人は戦争を始めてしまう…。
 プリンプリンは果たして祖国にたどり着くことができるのか。そして,本当のお母さんに巡り会えるのか。放送当時,最終回も見たはずだったのですが,そのあたりをきれいに忘れ去っていました(汗)。この本で忘れていた場面をもう一度思い出すことができました。
 残念なのは,アクタ共和国のお話が諸事情で入っていなかったこと。ルチ将軍ってインパクトあったなあ…。(03/11/24)
 NHK教育で再放送された時に,紅白歌合戦も放送してくれたのですが,今まで忘れていた曲のイントロが流れると続きがすらすら〜っとでてきました。それだけ印象深い人形劇だったことを再認識しました。(04/10/10)

 

きっと泳げるよ,カバのモモちゃん』   大塚 菜生

 わたし,モモ。カバなんだけど,人間に育てられて,自分のことを人間だと思っていたの!実はわたし,泳げないの…。

 モモは人間に育てられたカバの赤ちゃんです。
 岩場の上で死にかけていたモモを助け,育てた飼育係の伊藤さんとモモの姿を描いたノンフィクション。小学校中学年で十分読めるような文体になっています。
 語り手は伊藤さんという設定。伊藤さんがどんな気持ちでモモと接してきたか,モモへのあふれんばかりの愛情がよく伝わってきます。
 自分を人間だと思っているモモがなかなか泳げなかったのにはビックリ!でも,伊藤さんたちのおかげで,ちゃんと泳げるようになりました。
 その後,モモはお母さんになります。人間に育てられた子でも,ちゃんと本能で子育てができるものなのですね。わたしはカバのことを全然知らなかったので,これを読んで「へえ〜」と思うことがいっぱいでした。
 また,作者の大塚さんがよく取材しているなと思いました。取材したからこそ書ける,そういう部分がたくさんありました。
 子どもたちにぜひ紹介したい1冊です。(04/11/27)

 

ツシマヤマネコのひみつを追え!まっちゃんのヤマネコノート』   大塚 菜生

 おれ,まっちゃん。学校の勉強でツシマヤマネコのひみつを調べることになったんだ。転校生の金子くんと一緒の班で調べているんだけど…なんかうまくいかないんだよな!

 どんなことでも,新しく発見するのはとても楽しいことだと,まっちゃんの様子を見ていると思います。また,ぶつかりあいながらも,相手のよいところを認めていけるまっちゃんと金子くんの関係もいいなあ。
 ツシマヤマネコについて何も知らずにいたので,まっちゃんや金子くんと一緒に勉強することができました。 ありがとう,まっちゃん!(07/01/03)

 

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雨やどりはすべり台の下で』   岡田 淳 

 夏休みのある日,年の違う10人の子どもが三角ベースをしていたら突然雨が降ってきた。すべり台のトンネルで雨やどりをしているうちに,いつしか話は雨森さんという同じアパートに住むおじさんのことへ…。みんな雨森さんに関係がある不思議な体験をしていたのだ。

 雨やどりをしているうちに出てくる雨森さんに関係する話は,どれも不思議なものばかりです。一郎と恭子のシンクロしている話がわたしのお気に入りでした。それぞれの話を読んでいくうちに,自分もすべり台のトンネルの中にいて,一緒にその話を聞いているようなそんな気がしてきます。
 雨森さんのことを知り,同時に友達のことを知ることができたすべり台の下での雨やどり。大人にも「むかし」があり,「これから」があることを子どもは気づかないことが多いと思います。実際,わたしもそのひとりでした。今,大人とよばれる年になってみて,子どもの頃不思議で納得のいかなかった大人の「むかし」と「これから」が確実にあることを実感しています。(99/08/29)

 

選ばなかった冒険』   岡田 淳 

 保健室に向かう途中で別の世界に入り込んでしまった学とあかり。そこは,学が家でやっていたRPGの世界だった…。

 RPGというと思い出すのは『ドラゴンクエスト』。プレーヤーは剣を持つ勇者となり敵を倒すというパターンを良くも悪くも確立させたと思います。プレーヤーは勇者として,次々に敵を倒していくが,本当にそれは正しいことなのだろうか。画面に出てくる「敵」はいつも同じ画像で,ただ倒されるためだけの存在であり,彼らに個性はないのだろうか。「敵」だから倒さねばならないのか。ゲームの中なら殺したり死んだりしても大丈夫,またリセットでやりなおせばいいと考えていてよいのだろうか。RPGについて,また,RPGをする人について考えさせられる作品です。それこそ『ドラクエ』発売当初からすっかりRPGにはまったわたしには,考えるところが大いにありました。
 『選ばなかった…』は偕成社ワンダーランドに入っていますが,ワンダーはおもしろいファンタジー作品がそろっています。 (98/08/15)

 

学校ウサギをつかまえろ』   岡田 淳

 学校のウサギが工事現場に入り込んでしまった!ぼくたちはウサギをつかまえようとしたのだが…。

 ウサギをつかまえるのなんて簡単だろうと思っていたら大間違い!あれこれ作戦を練るのですが,思惑通りにはいきません。つかまえるのに集まっているメンバーは,恭,山田,達ちゃん,伸次,美佐子,のんこの6人。普段からそんなに親しくしているわけではない6人が,ウサギをつかまえるためにアイディアをひねり出し,協力していく様子に,グイグイと引き込まれていきます。「もうちょっとだ,がんばれ!」と思わず手に力が入ってしまいます。 (99/08/29)

 

こそあどの森の物語』シリーズ(現在7巻まで)   岡田 淳

 スキッパーは男の子。こそあどの森で博物学者のバーバさんと一緒に暮らしています。でも,バーバさんは仕事で家をずっとあけています。そんなある日,スキッパーのもとに小包が届きます。バーバさんからでしたが,手紙がぬれてしまい文字が読めません。他に入っているのは,不思議な木の実。どうやらこれの料理法が書いてあるらしいのですが…。

 読んでいてホッとさせられる,そんなシリーズです。上に書いたのは1冊目の『ふしぎな木の実の料理法』についてです。他に『まよなかの魔女の秘密』『森のなかの海賊船』『ユメミザクラの木の下で』『ミュージカルスパイス』『はじまりの樹の神話』があります。スキッパーの成長ぶりがとてもよくわかります。最初は人付き合いをせず,ほとんど口をきかなかったスキッパーが,こそあどの森に住む人たちと交流することによって話をしたり,お茶を飲んだり,一緒に出かけていったりするようになっていきます。一番好きなのは,4冊目の『ユメミザクラの木の下で』です。子どもがまわりにほとんどいない環境で育ったスキッパーには,友だちと遊ぶ楽しさがわかりません。かくれんぼがどんなにわくわくして楽しいものなのか知りません。そんなスキッパーに,ユメミザクラは素敵な遊び友だちを与え,遊ぶ楽しさを味わわせてくれるのです。こそあどの森の住人たちも素敵な人ばかり。巻が進むにつれ,意外な一面が見られるようになりわくわくしてきます。 (99/01/02,00/01/07)
 こそあどの森は,閉じられた空間という感じだなあと思うことが多くあります。こそあどの森というより,スキッパーの空間が閉ざされていると言ったほうがいいのでしょうか。もともと人と交わらない子だったスキッパーが,森の住人たちと徐々に話したり行動をともにしたりするようになっているけれど,今回の『はじまりの樹の神話』のスキッパーはよくしゃべるようになったなあと思います。過去の世界からハシバミが現れたことで,こそあどの森=スキッパーという閉ざされた世界が開けているのでしょうか。
 なんだかうまくまとまらないのですが,今回のお話は「こそあどの森」というシリーズで読もうとするとなんとなく違和感があるかなというのが正直なところです。ただ,これ以上「こそあどの森」という限られた空間の中で物語をつむぎだそうとしても,何も生まれてこないのかもしれないとも思います。だから,違う世界のハシバミが出てこざるを得なかったのかもしれません。 (01/05/28)
 「こそあどの森」シリーズの7巻目は『だれかののぞむもの』です。ここまでくると,スキッパーが主役というわけではないですね。こそあどの森に住むみんながいるからこそ,このお話は成り立つ,そんな気がします。
 テーマはなかなか考えさせられるものがありました。
 「誰かの望む自分になるのではなく,自分が望む自分になればいいんだよ。」 (05/04/17)
 こそあどの森シリーズ第8弾『ぬまばあさんのうた』です。みんなが知っている「ぬまばあさんのうた」だけど,ふたごは本当にぬまばあさんに出会ってしまった!
今回のスキッパーは,バーバさんからすてきなことを教えてもらいます。「石読み」ということができる人の話です。石の記憶を読みとることができるというのですが,もうその話だけでわたしは嬉しくなってしまいました。もし,ここに化石があったとして,それに触れることで化石が生きていた時代にあったできごとを知ることができたら…そう考えるとわくわくしてきます。
 そして,ポットさんが思い出したおじいさんとの会話。この世で大切なことは「よく聞くこと」というおじいさんの言葉が,この物語のキーワードかなと思いました。 石を読むのも,周りの風景を見ることも,いろいろなものの声に耳を傾けることになる。 「よく聞くこと」ができれば,諍いや誤解も減るのではないのかな…。 9巻目ももうじき発売されるとのことです。 (07/01/03)

 

チョコレートのおみやげ   岡田 淳

 おばさんはお話を作るのがとても上手。今日もわたしが思いついた言葉からお話を作り出した。でも,そのお話は…。

 『兵庫の童話』という本に載っている書き下ろしです。久しぶりに兵庫の言葉で書かれた岡田作品を読みました。
 おばさんが作ったお話は結末が悲しくなってしまいました。いたずらごころでうそをついたにわとりが風見鶏になってしまうのです。でも,少女はチョコレートを使ってとても温かなお話にかえました。時間のとけるチョコレートで,風見鶏の止まった時間をとかし,にわとりの姿に戻したのです。心がとても温まる,ほんわかとした物語です。 (00/05/14)

 

手にえがかれた物語』   岡田 淳

 美術の先生をしているあきらおじさんのおくさんが亡くなった。さいごの言葉は「あきら,あきらと…。」だった。初めの「あきら」ははっきりきこえたけれど,つぎの「あきらと」は口の形しかわからなかったらしい。おばさんは何を言いたかったのか,それ以来,おじさんはその言葉が気になっている。そんなおじさんに,ぼくは手にぼくの絵を描いて欲しいと頼んだんだ。

 手に描かれた絵から,物語は次々と生まれていきます。おじさんを助けるために季夫と理子は鳥に乗って飛んでいき,思いがけない冒険をすることになります。ねがいがかなうりんごを守っているワニと戦うのです。ねがいのかなうりんごは,木に登って取らないと効果がありません。ワニさんにもかなえたい願いがあったのですが,木に登れないためにそれがかなわないのでした。ワニさんの願いは「友達が欲しい」ということ。何年も何年もひとりぼっちだったのです。
 そんなワニさんのねがいと,おじさんが知りたかった言葉の意味。一体どうなったかは読んでみてのお楽しみ。 (99/08/29)

 

扉のむこうの物語』   岡田 淳

 行也の冬休みの宿題には「特別の宿題」というものがある。自分で課題を考えるのだ。行也が考えたのは「物語を作る」だった。倉庫で物語を作っているうちに,行也は喫茶店のママと一緒に閉じこめられてしまった。ふたりは一緒に物語を考え始めたのだが,そのうちに物語の世界に入り込んでしまった!

 岡田さんの作品にはめずらしい長編です。自分たちが作った物語の中に入り込んでしまった行也とママはその世界を冒険していくことになります。かぎを握るのは「ひらがな五十音表」。これをひっくり返して作ったことは本当になるのです。でも,この世界から戻るのに,行也はこの五十音表を使わないことを選択します。「ぼくたちはぼくたちの力でしあわせになれるさ。ならなきゃいけないんだ。」行也の成長していく姿がとても印象的な物語です。 (99/08/29)

 

二分間の冒険』   岡田 淳

 悟は黒ネコのダレカに別の世界に連れてこられてしまった。ダレカは帰りたいと言う悟にゲームをしようと提案する。それは,かくれんぼだった。かくれているダレカを見つけ,抱えて「つかまえた」と叫べば悟の勝ち。もとの世界に戻れるのだ。

 黒ネコを探してつかまえればいいなんて単純に思ってはいけません。この世界ではダレカは黒ネコの姿をしていないのです。ダレカは「この世界で一番確かなものの姿をしている」のです。いったいダレカって何なんだろう。その謎解きと,悟が巻き込まれる竜退治の冒険とにドキドキワクワクさせられます。
 そして,ついにたどり着いたダレカの正体は…。一番確かなものが何なのか,普段意識していなかったことにハッとさせられます。 (99/08/29)

 

ネコとクラリネットふき』   岡田 淳

 このネコはとっても不思議。だって,クラリネットをふくと…すてきなことがおこるんだよ。

 こんなふうに過ごせたらとってもすてきだろうなと思わせる作品です。このネコはクラリネットの演奏を聴いているうちに体が大きくなっていきます。大きなネコと一緒に眠ったり,空を飛んだり。大きなネコの上に乗り,空で演奏会を聴けたら最高ですね! (00/05/14)

 

びりっかすの神さま』   岡田 淳

 転校してきた始はみんなにあいさつをしようとして言葉を失った。くたびれた背広を着て背中に翼のある20pくらいのすきとおった男が,空中をゆっくりと羽ばたいて横切っているのだ。

 この不思議な男はびりっかすという名前です。びりになった子のところへやってくるのです。びりっかすの姿はびりにならないと見えません。そこで,始はわざとびりになるようにするのですが…。
 競争をしていると,びりになるのはいやだなと思うことの方が多いでしょう。でも,始はびりになろうとします。それは,競争よりもびりっかすの姿を見て話をすることの方が始には大切だからです。
 始はびりっかすを見ることのできる仲間を増やしていきます。仲間以外の最低点にあわせて点数をとれば,しだいに仲間が増えていくのです。仲間が増えれば,仲間以外の最低点も上がっていくので,仲間になった子たちも勉強しなければなりません。
 でも,わざとびりになっていていいのでしょうか。始たちもそのことに気づきます。大事なのは本気になること。がんばるのは一番になるためじゃない。本気になってとりくんだのなら,一番でなくてもよいのではないでしょうか。本気でがんばるのって気持ちいいから,それだけでいいとわたしは思うのです。 (99/08/29)

 

ふしぎの時間割』   岡田 淳

 学校ではいろいろなできごとが起こります。1年生のみどりは引っ込み思案で,一人で行ける場所はトイレだけ。ところが,健康観察板を保健室に届けなければいけなくなりました。こまったみどりが廊下にいると,1匹の黒猫が現れます。黒猫は,自分の体と同じ色のピータイルを踏んで歩いていきます。みどりも,同じように自分の体にある色のピータイルを踏んで歩き出しました。

 朝の時間から始まって,1時間目,2時間目と違う話がどんどん出てきます。岡田さんの作品は長編も面白いのですが,短編集のほうが気に入っています。上に紹介したのは,1時間目の「ピータイルねこ」です。ピータイルというのは,廊下によくはってある正方形のタイルのことです。うちの学校にもピータイルがあり,この話を読み聞かせた後すぐに子どもたちはピータイルねこ遊びを始めました。ただ,タイルの色が少ない(子どもたちの調査によると学校中を探しても8種類しかなかった)ので,もうちょっとたくさんあるとおもしろいのですが。
 子どもたちは岡田さんの作品が大好きです。きっと,身近に感じられるからなのでしょうね。(99/01/31)

 

フングリコングリ』   岡田 淳

 お父さんから教わったフングリコングリという指遊び。これをアスカに教えたら,アスカの体が浮き上がっちゃった!

 集団テキストとして出版されたお話。『日本児童文学』の第46巻第4号に所収されているそうです。
 フングリコングリはだんだんと指を上に重ねていく内に,だんだんと手の位置があがっていく遊びです。ふつうだったら,手を伸ばしきったところで終わりますよね。でも,アスカはこれが気に入ってしまい,終わりにできない。机の上に上がってもまだ続けてしまったのです。
 フングリコングリは天井も突き抜けます。他のクラスを突き抜け,屋上も突き抜け…とうとう空まで行っちゃった! でも,どうやったらおりられるの? おりかたを知って大爆笑!なーるほど,確かにそうすればおりられるだろうなあ。
 気に入ったのはラスト。フングリコングリをやっていると授業にならないから,これを禁止するための職員会議が開かれるのだが,どうにもまとまらない。なぜなら,校長先生がフングリコングリで会議を抜け出してしまうから。 うーん,いいなあ,これ。わたしも使いたい(笑)。(07/01/03)
 ただいまお子ちゃまたちがはまっているのが「フングリコングリ」です。「フングリコングリ」という指遊び(これ,話の中では,その場の思いつきでついた名前らしい)にすっかり心を奪われてしまったのです。
 登場人物のアスカのように,休み時間や給食準備中にフングリコングリやコングリフングリをする…。 ちなみに,フングリコングリで体が上に上がり,コングリフングリで体が下に下がるようになっています。
 いつか,フングリコングリが成功して,天井を突き抜け空へ行ける日を夢見て,日々努力をしているらしい…(笑)。(07/01/27)

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ポアンアンのにおい』   岡田 淳

 せっけんを飲み込んだ大ガエルのポアンアンは自分を正義の死者だと思い,悪いことをしていると判断したものをみんなしゃぼん玉にとじこめてしまうのだ。

 このポアンアンには参りました。ポアンアンの発想だと,みんな悪者になってしまうのです。でも,ポアンアンのしゃぼん玉攻撃から逃れる方法があります。それは,さかだち。なぜかさかさまになっていると,ポアンアンから見えなくなるのです。さらに,さかだちをするとコウモリともおしゃべりができてしまうのです。さかだちがとっても魅力的な物語です。 (99/08/29)

 

放課後の時間割』   岡田 淳

 図工教師をしている「ぼく」は一匹のネズミを助けた。彼は,学校ネズミ。なんとしゃべることができるのだ。学校ネズミは「ぼく」にいろいろな話を聞かせてくれるという。毎週月曜日の放課後は,「ぼく」と学校ネズミ,二人だけの時間割。さて,今回のお話は…。

 偕成社の創作シリーズが好きで,新刊が出るとすぐに飛びついていました。そのおかげで,わりと早い時期にこの本とめぐりあうことができました。学校ネズミの語る話一つひとつがおもしろく,また,少し切なく,ぐいぐいと引き込まれました。自分の学校にも学校ネズミが住んでいないのかなと,当時真剣に考えました。岡田さんは絵も自分で描いていて,挿し絵を描くのは絶対に別の人だと思いこんでいたわたしは,とても衝撃を受けました。岡田さんの作品を追いかけて読むきっかけとなった作品です。 (98/08/15)

 

星モグラサンジの伝説』   岡田 淳

 友人の家で仕事をすることにした作家のぼくは,一匹のモグラに出会った。そのモグラはなんと人間の言葉をしゃべるのだ。そしてモグラはこう言った。「あるモグラの伝記を書いていただきたいのです。」

 「あるモグラ」の名はサンジ。「君は本当にモグラなのかい?」と言いたくなるくらい,ぶっとんだモグラです(笑)。砂でも石でも何でも食べ,とんでもないスピードで地中を掘り進み,空だって飛んでしまう。
 この物語は書き表し方もユニークです。あとがきも物語の一部分になっているので,必ず読みましょう! (99/08/29)

 

ムンジャクンジュは毛虫じゃない』   岡田 淳

 良枝がクロヤマで見つけたムンジャクンジュと不思議なオレンジ色の花。ムンジャクンジュはこの花を食べて大きくなる。しかも,前の日の2倍の量を25時間ごとに食べるという法則があるらしい。でも,オレンジ色の花は人々にその存在を知られ,あっという間に引き抜かれてしまっていた。食べる花がなくなってしまったムンジャクンジュは…。

 オレンジの色の花はもともとクロヤマに咲いていたもの。でも,人間はそれを根こそぎ引き抜き,自分のものとしてしまいます。クロヤマからとってきて学校に植えてあるこの花は,本当に学校のものと言えるでしょうか。人間は自分たちの都合や理屈で自然を破壊しているのではないでしょうか。 (99/08/29)

 

もうひとりのぼくも,ぼく』   岡田 淳

 一人はお母さんと一緒にみわけ山に登った。みわけ山には言い伝えがある。とてもつらい思いをしている人は体を分けてもらって,つらい方の体は山に残っていやしてもらい,そうでない方は里におりていくというのだ。

 一人はつらい思いをしているわけではないのに,手違いでかずととカズトに分かれてしまいます。かずとはぼんやりぐずぐずする子,カズトはさっさとする子。さっさとする子は端から見ているとてきぱきしていていいように思いますが,いつでもその調子だと疲れてしまうのではないでしょうか。
 現代はあっという間に時間が流れているように思います。そんな世の中に対して「そんなにあわてなくてもいいんだよ。」というメッセージをこの作品は送っているのではないでしょうか。人間にはいろいろな面があり,それが集まって初めて自分なんだということを考えさせられます。 (99/08/29)

 

ようこそ,おまけの時間に』   岡田 淳

 12時のサイレンが鳴ったとたん,賢は茨に閉じこめられて身動きできない世界に入り込んでしまった!

 もし,こんな風に別の世界に入り込めたら…。そう考えるととてもワクワクしてきます。賢は最初身動きできなかったのですが,何度かこの世界に来るうちに,カッターを持ってくることを思いつきます。まず,自分が動けるようになり,隣の席の子を動けるようにしていきます。そのうちに,学校中の子を茨から解放していきます。
 そんなに仲良しでもなかったクラスの子たちが,別の世界でだんだんと仲間としてまとまっていく。でも,それは現実の世界で実現しなければ意味がない。現実に帰ってきた賢たちの物語はこれからスタートするのです。 (99/08/29)

 

リクエストは星の話』   岡田 淳

 ぼくはあいつに星の出てくる話をしなければならない。しかも,注文がうるさいんだ。最初は「本物でない星が出てくる本当の話」,次が「本物かどうかわからない星が出てくる本当かどうかわからない話」,その次が「本物の星が出てくる本当とは思えない話」なんだ。

 「ぼく」が注文にあわせて作ったお話はどれもすてきな物語。3つのお話を「あいつ」に語った「ぼく」は,逆にお話を注文します。それは「本物の星が出てくる本当の話」です。「あいつ」とは一体誰なのか,それは読んでのお楽しみ。 (99/08/29)

 

竜退治の騎士になる方法』   岡田 淳

 「将来の夢は何?」そう聞かれたら,僕は何て答えるだろうか。

  今までの岡田作品とは少々違う雰囲気。竜退治が出てくるあたりは『2分間の冒険』と似ています。でも,わくわくするというよりは,考えさせられる内容になっています。将来の夢なんて持っていないという子が増えている今,子どもたちにぜひ読んでほしい物語です。小学生より,中学生の方が共感できそう。
 そうそう,久しぶりに関西の言葉の岡田作品になっています。(03/11/24)

 

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空色勾玉』 『白鳥異伝』 『薄紅天女』   荻原 規子

『空色勾玉』

 闇の一族の「水の乙女」狭也が惹かれるのは光。輝の一族の「風の若子」稚羽矢が夢に見るのは闇。鎮めの空色勾玉を持つ狭也と千早ぶる大蛇の剣を持つ稚羽矢,まほろばの宮の奥深く,二人は運命の出会いをする…。

『白鳥異伝』

 三野で双子のように育った闇の血をひく遠子と輝の血をひく小倶那。離れていても互いの心が通じていたのに,小倶那が都に行き,大蛇の剣の主となった時から状況が一変した。剣の力で,小倶那は三野を焼き滅ぼしてしまったのだ。小倶那を自分の手で倒す,そう決意した遠子は剣に対抗する力を持つ勾玉を集める旅に出る。四つの勾玉を集め,小倶那との再会を果たした遠子。ついに小倶那を倒すときがきたのだが…。

『薄紅天女』

 竹芝で兄弟のように育った阿高と藤太。しかし,阿高は蝦夷の巫女姫の子で,勾玉の主だった。その頃,長岡の都では怨霊がとびかい,人々を恐怖に陥れていた。皇太子安殿の周辺では次々に縁の者が死んでいく。これを救えるのは勾玉を持つ伝説の天女であるという。皇太子と弟を守るため,皇女苑上は都を出る。身なりを男の子の物にかえて。輝の末裔の少女と勾玉を持つ闇の末裔の少年の出会いがひきおこすのは…。

 日本の古代を舞台にしたファンタジーに,この本で初めて出会うことができました。古代史とファンタジーが好きなわたしは,両方の要素が含まれたその世界にどっぷりと浸りました。風景や場面がパッと思い浮かべられる緻密な描写はもちろんのこと,登場する人物がとても生き生きとしています。どの作品も女の子がとても魅力的です。わたしにとって非常に思い入れのある作品です。別にレポートがありますが,作品を読んだ後の方がよいと思います。 (98/08/15)

  

風神秘抄』   荻原 規子

 草十郎の笛と糸世の舞が重なるとき,天が開き,風が吹き,光る花びらが舞い落ちる…。それは,未来への道標なのか。

 荻原作品にしては珍しく少年が主役です。でも,基本的なところは勾玉三部作と同じかなという感じがしています。今回大きく違ったのは,ヒロイン糸世の心情にほとんど寄り添えないところでしょう。あまり内面が描写されていなかったように思います。
 荻原作品では女の子が魅力的なのですが,今回は草十郎がどうなっていくのか,ドキドキしながら読んでいました。挫折し,自らの存在価値や居場所を見いだせない草十郎。自ら生きようとしていないというか,生に執着がないというか,そういうところは『空色勾玉』の稚羽矢,『白鳥異伝』の小倶那によく似ています。でも,草十郎の方が,彼らよりは自分で考え行動していく感じはしました。少年である草十郎が母から離れていく場面もありました。けれども,今回はヒロインの糸世が直接対峙したわけではなく,自らそれに気づき乗り越えていきました。えらくあっさりしていたなあという気もします。あちこちに,今を生きる若者にも共通の苦悩をちりばめ,それを乗り越えさせていくのは見事でした。
 勾玉三部作の要素をふんだんに盛り込んだ四作目という印象です。
 鳥彦王の存在も大きいですね。今回は『空色勾玉』の鳥彦ファンにはとても嬉しい物語かもしれません。もちろん,あの鳥彦のわけはないのですが,同じような雰囲気は醸し出しています。
 草十郎は『薄紅天女』の阿高たちの子孫で闇の一族とも考えられ,後白河上皇は天皇家ですから輝の一族と言えそうです。だから,後白河上皇が糸世ではなく草十郎を手元に置きたいと思ったのでしょうか。
 糸世が飛ばされた異界というのは,未来の世界(すなわち,現代)なのでしょう。
 2人の笛と舞が合わさるとき,不思議な力が顕れるのですが,これはいったい何だったのでしょう。無念の死を遂げた義平の魂鎮めをしたり,頼朝と後白河上皇の延命をしたり…。2人の願ったことは個人の延命で,その個人の未来を変えることだったけれど,それによってさまざまな人々の未来が変えられてしまいます。人の命や未来を変えてしまう行いは,大それたことであり,簡単に願ってよいものではないのではないでしょうか。彼らは最後に自分たちのためだけに祈ります。自分たちは2人で生きていきたいのだと願った結果は…。
 特殊な力はなくても,共に生きられる人がいればそれでよいのかもしれません。

 ところで,草十郎の口調がどうにも現代的で,しっくりこなかったのはわたしだけでしょうか?「やばい」なんて,あの時代ではいくらなんでも言わないと思います。『空色勾玉』が児童文学協会新人賞を受賞したときに,審査員が「現代人がみずらを結って歩いている」というコメントをしているのですが,今回改めてなるほどと思ってしまいました。実は,読んでいてどうにも平安後期の衣装を着ている草十郎がイメージできなかったのです。
 『空色勾玉』を最初に読んだ時点で,氷室冴子のコバルト小説とどう違うのかって思ったのです,実は。『ジャパネスク』など,古典を題材にした氷室作品が現代語を使っていたからか,イメージが重なってしまったのです。わたしの中では,氷室作品は児童文学という認識はまったくなく,『空色勾玉』を読んだのが大学生の時だったので,児童文学を専門にしている先生に「『空色勾玉』は児童文学なのか。氷室冴子作品との違いはあるのか。」ということをレポートとして提出し,質問しました。答えはごく簡単。「『空色勾玉』は児童文学ですよ。」氷室冴子の作品との違いについては,はっきりしなかったのですが,児童文学とはとらえていなかったように思います。
 現代語を使うのが悪いというわけではないのですが,「サボる」「やばい」など,書き言葉ではあまり使われないものを目にしてしまうと,物語全体の印象が軽くなるように感じられます。軽くても児童文学であることに変わりはないのですが…。それまで自分なりに平安末期を思い浮かべながら読んでいたのが,急に現代に引き戻されたような感じになってしまうのも事実です。おそらく,それ以外の描写がしっかりとなされているからこそ起きる違和感なのだと思います。
 氷室作品は今なら「ヤングアダルト」に分類されそうですね。あの軽い言葉遣いのおかげで,非常に読みやすくなっているというのは確かにあります。古代を舞台にした『銀の海金の大地』は,内容自体かなり重いのですが,語り口調の軽さで少々救われているところがあります。
 荻原さんの場合は,「自分が読みたい」と思う本を執筆するというのが原点にあるようなので,自分の普段の言語がそのままでてしまうのでしょうか。伊藤遊『鬼の橋』『えんの松原』ではあまり言葉遣いが気になった覚えはないのですが…。
 現代を舞台にした物語であっても,流行で生まれてきた言葉というのはあまり使うべきではないと思うのです。本は何年経っても読み返せます。子どもの頃に読んだ話を今になって読み返す大人がここにいますしね(笑)。そんなとき,作品が色あせないのは,いつ読んでも通じる言葉で書かれた場合だと思うのです。そういう作品は,たとえ30年前に書かれたものであっても古くなりません。
 素敵な作品であるだけに,その点が残念です。(05/06/19)

 

ビート・キッズ(Beat Kids)』   風野 潮

 「花火や!」七生がたたくドラムの音を聴きながら英二は思った。ドラムは,はじけて,光って,響いて,揺れてる,花火。「そやから,俺,花火になりたいねん!」

 本編の前にある英二の「警告」から笑いました。この本は全編大阪弁を使用して書かれているので,ときどき妙な送りがなやフリガナが出てくるのです。そのことが断られているのですが…こういうセンス,好きです。途中から内容が重くなるのですが,それを感じさせないのはこの文体の効果だと思います。
 最初,タイトルを見たときに「バンドの話かな?」と思いました。表紙もドラムセットだったので。でも,英二と七生はブラスバンド部員。しかも,マーチング(というか,ドリル)をやっています。わたしの職場でもマーチングをやっているので,ドリル練習の様子や大会の場面などを読んでいて「そうそう,わかるわかる」と思いました。
 英二と七生という二人の中学生がでてきますが,英二のどこか天然ボケっぽいあたたかさに魅力を感じつつ,共感したのは偏屈でえらそうな七生の方です。七生が中学生の頃の自分とまったく同じことをしているからでしょうね。正直,読んでいてドキッとしました。七生のような子には,英二のような存在が本当に支えになります。
 英二ですが,脳天気な性格からは想像できないくらい置かれている環境はかなりハードです。体の弱い母親,賭事ばかりの父親。さらに妹が病気を持って生まれたことで母親の具合が悪くなってしまいます。父親も母親も妹のことが辛くて,英二より先に現実から逃げ出します。英二だって辛いのに,親に先に逃げられてしまったのです。酒を飲むことに逃げた父親を,英二は殺したいと思うのですが,本当は自分を殺したかったのだと気づきます。みんな妹が死んでしまうことから逃げていて,誰も自分のことを見ていない,みんな自分のことを忘れている,そう思った英二は自分なんていらないのだとまで考えてしまうのです。普段脳天気な英二がこんなことを考えたことがたまらなく,痛いと思いました。この「誰も自分のことを見ていない」という思いは多くの人が感じていることなのかもしれません。でも,英二がいらない人間だなんてことはないはず。少なくとも七生は英二がいるだけで救われているのだから。七生にとって,英二はその存在自体が大切なのだと思います。こんなこと,七生は口に出しては言わないけど。
 続編の『ビート・キッズ2』も出ています。高校生になった英二が活躍します!(99/09/23)

 

いとしのドリー』   風野 潮

 携帯で呼び出されたぼくは,父さんの弟と名乗る龍之介おじさんと,金髪で青い目の美少女ドリーと出会った。まさか,この出会いのせいで,大変なことに巻き込まれるなんて思いもしなかったんだ…。

 とにかくドリーがかわいい!こういう女の子が目の前にいて,命を狙われていると知ったら,男の子は助けたくなってしまうのではないでしょうか。コテコテの大阪弁をしゃべる金髪で青い目のお姫様なのですが,そういうギャップの大きさもいいですね。
 主人公の渉も出会ったばかりのドリーを助けようと,かわりに麻酔銃で撃たれたり,ドリーに協力したりするようになります。
 実は,ドリーはクローン人間なのです。でも,クローンだって心がある。誰かの代わりではなく,ドリーはドリーなのです。でも,ドリーをドリーとして必要だと感じてくれる人はいないと本人は思いこんでいます。その思いに,両親を一度に亡くしたばかりの渉も共感します。
 結局,ドリーは龍之介の存在によって救われますが,渉は…叔父である龍之介よりもドリーの存在によって救われるんじゃないかなと思います。渉のことを必要としてくれる人は,話のラストでは存在していなかったような気がするのです。ドリーがいつか,龍之介よりも渉の方に気持ちが傾けてくれたらいいな。
 ところで,この本をクラス(6年生)で紹介したところ,題名を見てこんな会話をしていました。
「いとしのエリー?」「サザンじゃん。」「ちがう!ドリーだよ。」「ドリーっていうと,クローンか?」「クローンって何?」「同じ人間をもう1人作っちゃうんだよ。」「ドリーが何でクローンになるの?」「ドリーってクローン羊の名前じゃんかよ。」本を読まないうちに,自分たちだけで,どんどん話を広げていってしまいました。(03/08/18)

 

森へようこそ』   風野 潮

 あたしに双子の弟がいる!?しかも,弟には植物の心がわかる不思議な力があった…。

 ぐんぐん引き込まれて読み終えました。風野さんの作品は,出版されているものを全部読んでいますが,文体や設定などがどんどんしっかりとしてきて,うまくなったなあと思います。そういえば,主人公が女の子の作品はこれが初めてかな?(出版されているものではですが。)語りも女の子の一人称で,これも初めてかな…。でも,違和感なく読めました。
 主人公の美森は母とふたり暮らし。でも,父と双子の弟が存在することを,母の転勤をきっかけに知るのです。母の海外転勤を機に,美森は物心ついた頃には別れて暮らしていた父と弟の瑞穂と一緒に生活することになります。
 双子の弟は植物の声を聞くことができます。それ故,周囲からいじめられ,1年以上学校には行っていません。美森は瑞穂が休み続けている学級に転入するのですが,クラスで一番の乱暴者の葉山くんを初日にグーでパンチしてしまいます。その後,すっかりクラスに馴染めた美森ですが,山火事事件が起こり,それ以後葉山くんとともにクラスからはじかれてしまうのでした。
 植物と交感のできる瑞穂は弱々しいイメージですが,植物の危機を救おうとすることで自分の持てる力をどんどん発揮し,たくましくなっていきます。最初は美森のことを「お姉ちゃん」と呼んでいましたが,ラストでは「美森」と呼ぶようになります。そこにも,瑞穂の成長が見て取れるように思います。基本的にはとても芯の強い子という気もするのですが。
 美森の方は,強い女の子という感じですね。でも,自分の弱さも認められる子でもあります。美森の思いに共感しながら読んでいました。
 葉山くんもいいなあ。本当は優しいし,思いやりもあるのに,その行動が誤解されやすい人。
 それにしても,この子たちの担任にはあきれてしまいました。いじめの事実を認めず,ようやく認めたと思ったらたったひとりだけを犯人扱いにする。本当はクラス全体でいじめていたのに。そういう人を一応許してしまえる瑞穂ってすごい!
 そういえば,おもしろかったのは名前のこと。瑞穂の父は芦原豊。豊葦原からきているのかな。で,息子が瑞穂。2人で「豊葦原の瑞穂の国」となります。これって,古事記の記述にある日本のこと。美森の方も何かあるのかなと思ったのですが,母は小川美恵子で娘は美森…。うーん,美森は「小川美森」で自然のイメージですが,母はあまり関係なさそう…。
 自然がテーマだったのに,そのことについてまだ何も触れていませんでした(汗)。瑞穂は植物の声が聞こえるのですが,作中にもあったように,植物の声が全部聞こえてしまうのは逆につらいことだと思います。植物に限らず,自分以外のものの思いが全部筒抜けで聞こえてきてしまったら,たまらないと思うのです。聞こえてくる声がすべていいものとは限りません。マイナスの感情だってあるわけですから。現在,植物から聞こえてくる声は,悲しみや苦しみの方が多いでしょう。それを全部受け止めることは,よほどの精神力を持っていないとできないと思います。
 ところで,人間は植物の声を直接聞かなくても,植物の思いを察することはできるのではないでしょうか。葉山くんのように,声は聞こえなくても注意深く植物の様子を気にかけている子だっています。うちのクラスの子にも,植物の様子を注意深く見ている子がいます。その子が育てる植物は,いつでも元気がよいのです。自然を大切にするというのは,愛情を持って接するということではないかと,この話を読んでいて思いました。(04/03/14)

 

もう一度キックオフ』   風野 潮

 サッカーが大好きな晴は女子中学生。転校先の学校では,女子だというだけでサッカー部に入部できません。どうしてもサッカーがしたい!そう思っていたら…。

 自分の中にもう一人別の人が入っているというのは,いったいどういう気分なのでしょう。あ,二重人格というわけじゃないですよ。このお話では,事故で意識不明状態の元Jリーガーが晴に乗り移っちゃったのです。2人のサッカーが大好きでたまらない,サッカーがやりたいんだという気持ちがこの現象を引き起こしたのでしょうね。
 晴はただサッカーがやりたいだけの女の子ではありません。事故で兄を亡くし,それがきっかけで入院していた父も亡くしてしまいました。そして,ショックで立ち直れない母との生活。辛いことをいっぱい抱えているけれど,サッカーに夢中になり,力強く歩んでいく姿がとても魅力的です。
 そして,元Jリーガー友也との交流。友也との体の共有はどうなってしまうのか。
 ラストまで先が読めない展開でした。(04/10/04)

 

満月を忘れるな!』   風野 潮

 ぼくにはとんでもない秘密がある。それは…ネコに変身しちゃうのだ!

 新聞に連載されていたときとだいぶ内容が変わっています。でも,とてもまとまりがよくなったので,テンポよく読めておもしろさが倍増しました。幼なじみの女の子とマドンナ的存在の女の子の間で揺れるぼくの心…。行方不明の父さんは果たして見つかるのか!?
 1冊で完結するのかと思ったら大間違い!新聞で読んだ時にはいたはずの重要な人物が出てこない!しかも,謎が解決しない!と思ったら,ちゃんと続編が出ました。『続 満月を忘れるな!』とあわせて読んでください。(04/10/10)

 

アクエルタルハ』シリーズ   風野 潮

 あいつは父さんの仇!それなのに,なぜか懐かしさのようなものを感じてしまうんだ…。

 マヤ文明風のファンタジー作品。今までの作風とちょっと違うかなというのが第一印象。でも,もともとは『ビート・キッズ』より先に書かれていたようなので,本来の作風はこちらなのかなあとも思いました。
 『森の少年』では精霊使いの少年キチェー,幼なじみの少女(活発すぎて少女という感じではないが)グラナ,都の近衛隊長カクルハーの旅はまだ始まったばかり。今後の展開が楽しみです。(04/12/31)
 『風の都』はあっという間に読み進めてしまうおもしろさ。冒険しようと思っているわけではないはずなのに,なぜかトラブルに巻き込まれてしまう…。登場する少年少女たちそれぞれに謎がまだまだ隠されているようで,それが明かされるのが楽しみです。(05/04/17)
 『砂漠を飛ぶ船』で第1部完となります。まだまだ謎だらけのお話。何の力もないと思っていた少女グラナが力に目覚めたところで,今回はおしまいとなっています。3巻目にして,ようやくグラナが活躍します。「何の力もない」と落ち込んでいたグラナですが,キチェーにとっては,グラナの存在自体がとても大切なのです。そのことに彼女は気づくのかな…。(05/11/13)

 

ぼくはアイドル?』   風野 潮

 僕は美樹(よしき)。立派な男子中学生なんだけど,もう一つの顔を持っているんだ。それは…美少女アイドル,ミキ!

 『朝日中学生ウィークリー』に連載されていた頃から読んでみたいと思っていた作品です。
 手芸や料理が得意な男の子って身近にいませんか?高校生の頃,1年後輩にそういう人がいました。ケーキ作りが上手で,合宿の時には見事な包丁さばきを披露!でも,バスケをやらせると力強いプレーをするのです。友だちにはよく「女の子になりたかったの?」「女みてー!」なんてからかわれていたけれど,家事万能の男の子がいたっていいじゃない!彼はからかわれても「だって,俺,家事が好きなんだもん!」ときっぱり言い切り,それからもよくおいしいおかしを作ってくれました。そんな彼のことを,当時も今も「かっこいい奴だなあ。」と思います。
 自分を偽らず,自分に正直に生きること。美樹もその大切さに気づきます。そんな美樹がとった行動は…。あとは読んでのお楽しみ。(07/01/02)

 

魔女の宅急便』シリーズ   角野 栄子

 13歳の満月の夜になると,魔女はひとり立ちをするの。魔女のいない町や村で,たった一人で暮らすんだ。わたし,キキも魔女としてひとり立ちするんだけど,せっかく自分で用意したほうきは母さんに「慣れないからダメ!」と言われてしまったわ。洋服だってコスモス色がよかったのに,「黒以外ダメ!」って。もう,古い考え方なんだから!

 1作目はひとり立ちがテーマですね。キキの成長していく姿がとても生き生きとしています。先に宮崎駿さんがアニメ化した『魔女の宅急便』を観てしまっていたのですが,あまり違和感なく読めました。原作の方がおもしろいように感じました。
 3作目では,キキが16歳になっています。お年頃のキキさんです。好きという気持ち,自分の存在意義,キキの心は大きく揺れ動きます。「思い出ってわたしなの。それをすてたら,わたしもすてることになっちゃう。」このキキの言葉に大切なことがすべて集約されているように思います。そして,「何でもできちゃうのは案外おもしろくない。自分が何だかわからなくなっちゃう。」というケケの言葉は,今の「いい子」と呼ばれる子たちの姿を現しているのかもしれません。自分を見つめることはとても難しいことです。実際にそれができている人は少ないのではないでしょうか。自分の良さに気づくことの大切さをこの物語は教えてくれます。(01/02/18)

  

ふたりのロッテ』   エーリヒ・ケストナー

 ビュールゼー湖のほとりにあるゼービュール村にやってきたロッテはバスを降りてみてビックリ!だって目の前に自分にそっくりな女の子がいたのです。

 小さい頃,双子に憧れました。小学校1年生のとき,わたしの学年には3組の双子がいて,どういうわけか片方はみんなうちのクラスにいたのです。それも一卵性の女の子,一卵性の男の子,二卵性の男の子と女の子の組み合わせ。二卵性の子たちはさすがにあまり似ていなかったのですが,一卵性の子たちは本当によく似ていました。入れ替わっても絶対にわからないだろうと思うくらい。でも彼らは入れ替わるということはしませんでした。「自分が双子だったら入れ替わってみんなを驚かせたりからかったりするんだけどなあ。」そんなことを考えていたら,この本にめぐりあったのです。偶然出会ったロッテとルイーゼは実は双子。両親の離婚で離ればなれになっていた二人は,入れ替わってそれぞれもう一方の家に行き,お父さんやお母さんに会うのです。入れ替わった二人のやったことは…後は読んでみてください。(99/07/29)

 

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かいぞくぶろ』   越水 利江子

 「あしたは海へ行くんだ。」でも,あやちゃんはかぜをひいて熱を出してしまいました。「もし,夜になって熱が出えへんかったら,海へ行こう。」そう約束したおじいちゃんが連れて行ってくれた海は,海賊も現れるすてきな海!

 自分が子どもだった頃を思い出しました。
 親の都合が悪くなり,行けなくなったプールの代わりにした夏のお風呂場。昼間の水風呂は,夜の温かいお風呂とは大違い。自分の好きなおもちゃを入れて,長い時間入っていてもしかられない。洗面器だって浴槽に入れ,いす代わりにしちゃう。空気が入るとふわっと浮いて,水の中を漂っていられる。
 あるいは,庭に広げてあるたくさんの傘。集めて寄せれば,そこは秘密の部屋。かたつむりをつかまえて,葉っぱの家に入れ,土のベッドを作って…。
 またあるいは,とりこんだふとんの山。大きな2つの山の上にマットレスを敷けば,その下は隠れ家。懐中電灯を持ち込み,怖い話をするのにはもってこいの場所。普段使っているものも,ちょっと視点を変えると楽しく遊べてしまうものに早変わり。
 『かいぞくぶろ』では,おじいちゃんがあやちゃんのために特別な海を用意してくれました。見た目はただのお風呂だけど,味は海とおんなじ。波だって来る。魚だっている。船だって…いいえ,これは普通の船ではなく,なんと海賊船。しかも,海賊の船長付きです。海賊船は南極の冷たい海にも行きます。海底火山の噴火にも巻き込まれます。
 このかいぞくぶろは,あやちゃんの夢ではなく,あやちゃん一人だけのものでもありません。多くの家庭で実際にできることだと思います。このお話を読んで「うちでもやってみよう!」と思う人も多いのではないでしょうか。(01/08/24)

 

よみせぶとん』   越水 利江子

 楽しみにしていたお祭りの日。でも,やってきたのはなんと台風です。そんなとき,「よみせや,よみせや」というおじいちゃんの声が…。さて,おじいちゃんはどんなことをするのでしょう。

 楽しみにしていたことが,天気が悪くてダメになるということはよくあります。それでも,あやちゃんやおじいちゃんのように,家の中でこんな楽しい遊びができたら,がっかりしていた気持ちもふっとんでしまいますね。
 とにかく,おじいちゃんのアイディアがすばらしい!どんなことでも遊びにしてしまいます。おじいちゃんが登場すると,どんなことをしてくれるのかとワクワクしてきます。(02/08/21)

 

ごっとんクリスマス』   越水 利江子

 今日はクリスマス。あやちゃん,そうへいくん,おじいちゃんはどんなクリスマスをむかえるのでしょうか?

 あやちゃんとおじいちゃんシリーズ第3弾!今度はクリスマスです。子どもたちに大人気のこのシリーズ,おじいちゃんが登場すると「きっと何かやってくれるに違いない」と,子どもたちはワクワクします。
 今回はおじいちゃんと一緒にジュースを買いに行きました。お店の中にはいると,そうへいくんはなぜか外の自動販売機の方へ行きます。ボタンを押して「ごっとん」とジュースが出てくるのが好きなようです。買ったジュースは,雪山の中に入れて冷やします。天然の冷蔵庫です。こういうおじいちゃんのアイディアがいつもおもしろいと思います。
 この冷やしたジュースを今度は取り出しに行くのですが…とんでもないできごとがおこるのです!それは読んでのお楽しみ!!
 ところで,このシリーズを読み聞かせたところ,どの学年の子どもたちもあることに気づきました。「このお話,お父さんがいないよ。お父さんはどこ?」そう,お父さんは出てこないのです。世の中いろいろな家庭があるのです。でも,クリスマスの夜,あちこちの家に「ごっとん」という音が響き渡ります。お父さんのいない家にも,お母さんのいない家にも,ちゃーんと「ごっとん」はあるのです。「ごっとん」って何って?それも読んでのお楽しみ。(03/08/17)

 

風のラヴソング』   越水 利江子

 ひとりぼっちでたたかう幼い戦士達へのメッセージ。ふまれても,たおれても,立ち上がり進んでいこう!

 短編集のようになっていますが,「さよこ」という女性の半生が語られているようにも思います。
 このお話の子どもたちは,辛い現実を生きています。でも,へこたれてはいません。
 一番印象に残ったのは,最後の「バトン・タッチ」です。死んでしまった結子,韓国の少年花郎,そして,結子の弟の太気の名の由来。何故その名になったのか,そこにはきっと誰かの想いがあるはず。生まれたとき,自分のために必死になって考え,つけてくれた名前。それは,生きていく上で大きな力になってくれるのではないでしょうか。
 もうひとつ,みきちゃんも印象的な子でした。彼はいったいその後どうしたのでしょうか。(02/08/16)

 

フレンド 〜空人の森へ〜』   越水 利江子

 こころってなんだろう。こころってどこにあるの。

 3つの短編からなる物語。
<箱>
 何を現実と呼び,何を夢というのか。何が本当で真実なのか。「学校へ行かないこと」は空人にとっての真実。たくさんの人にとっての真実が「学校へ行くこと」であったとしても。
 真実はあらかじめ決められて存在するのではなく,自分でしていることが真実となるのではないでしょうか。
<星を売る人>
 「お前が望めば一緒にいるし,望まなければ一緒にはいない。」というアキトの言葉は,現状を変えるのは自分の心次第だと言っているかのようです。南帆は心を閉ざし,いじめっ子からひたすら逃げようとしています。でも,うさぎ小屋に隠れている南帆は,いじめっ子を恐れて家に帰れなくなってしまいました。そんな南帆が心から会いたいと願ったのは,母親の舞子です。けれど,その姿は子どもでした。南帆の家に帰りたい心と,友だちを欲しいと願う心とが,子どものマイコを呼び寄せたのかもしれません。
<フレンド>
 目には見えないこころをどうやって感じ,知ることができるのか。なぜ相手の心をおしはかることができるのか。それは,「自分のこころを相手にそそぎこんでいるから。」この考え方ならば,どんな物にもこころがあると言えます。山にも木にも水にも空気にも。
 相手の痛みを自分の痛みとして感じられる,だから人は思いやることができるのに,今の世の中は果たしてそうなっているでしょうか。こころの感覚が麻痺している人が増えているのではないでしょうか。

 どの話にも共通して出てくるのは空人です。小学生の頃,いじめを受けて不登校になった空人は,心の痛みをよく知っています。だから,いじめられている南帆の心の痛みをわかり,そばで見守ることができたのではないでしょうか。そして,空人は人を傷つけた痛みも知っています。人を傷つければ,その痛みは自分の心に返ってくるのです。けれど,それは人への思いやりこころがなければ,残念ながら成り立ちません。
 「あらゆるものに自分の心を注ぐこと。」とても大きく深い言葉です。(01/08/24)

 

『あきらめないでまた明日も』   越水 利江子

工事中です。

 

あした,出会った少年』   越水 利江子

 貧しくても,きらきらと輝いて生きている人々。心の中は豊かさに満ちあふれている人々が,確かにいた。

 『風のラヴソング』の続編と言えるかもしれません。1960年代の空気を感じることのできる,そんな1冊です。
 貧しさのなかで,それに負けないみなぎる活力。切なさと優しさ。そして,父母への思い。泣けてきました。
 越水さんの作品の中で,一番心打たれました。(04/06/15)

 

百怪寺・夜店シリーズ 妖怪ラムネ屋』   越水 利江子

 あれ?こんなところに夜店なんてあったっけ?しかも,なんだか不思議なお店ばかりならんでいるんだ…。

 越水さんが大好きな夜店が登場!でも,今回の夜店は非常に怪しいのです…。
 たっぺいはラムネ屋にだまされて,たましいを閉じこめられてしまいます。はたして,たっぺいは無事に元の体に戻ることができるのでしょうか?
 今回は空飛ぶ金魚がとても心に残っています。金魚が夜空を飛ぶ…想像するだけで,なんだかドキドキしてきます。たくさんの金魚が夜空を散歩しているのを地上から眺めるのもいいけれど,一緒に空を泳いで散歩してみたくなります。
 怪しい夜店はまだ他にもありそうです。みなさんの身の回りにも,もしかしたらそんな夜店があるかも…。(05/01/09)

 

百怪寺・夜店シリーズ 魔怪さかさま屋』   越水 利江子

 のぞきからくりを見たら,なかに吸い込まれちゃった!!

 百怪寺・夜店シリーズ第2弾です。またもや怪しい夜店が登場!
 たっぺいくんは,前回のできごとから,どういう条件の日に怪しい夜店が出るのかなんとなく気づいていました。今回は友だちの風太くんも巻き込まれてしまいます。のぞきからくりを見たら,そのからくりのなかに吸い込まれてしまうのです。
 ふたりで何とかからくりを脱出できたのですが,出てきた世界は何だかおかしい。すべてさかさまになっているのです。果たして元の世界にもどすことができるのか…?
 前回のラムネ屋は思いっきり悪役という感じでしたが,今回のさかさま屋のからくりにいたきつねは,子をなくした母の悲しみを背負っていました。たっぺいにもその思いは伝わり,何とかしてあげたいと思うのでした。
 恐さの中に,親子の情が散りばめられ,最後はほっとさせられるお話です。(05/01/10)

  

百怪寺・夜店シリーズ 奇怪変身おめん屋』   越水 利江子

 友だちの風太とあの夜店に行ってみたんだ。そこでおめんをつけたら…。

 百怪寺の怪しい夜店もすっかりおなじみという感じになってきました。今回はおめんをつけたことから不思議なできごとが起こります。
 昔話の世界や古典の世界が入り交じっていて,古典好きのわたしは思わずにやりとしてしまいました。今まではあまり活躍しなかったおばあちゃんも,今回はいい味を出していました。次回も活躍してくれるかも…。
 実は,お札屋のお姉さんがけっこう気に入っていたりします(笑)。(05/04/20)

 

百怪寺・夜店シリーズ 魔女リンゴあめ屋』   越水 利江子

 たっぺいたちにのけものにされてしまう葉子。でも,一人であの夜店に行ってみると…。

 今回の主役は葉子ちゃん!たっぺいくんの友だち風太くんの妹です。いつもはたっぺいたちにのけものにされてしまう葉子ちゃん。でも,今日は一人で百怪寺の夜店へやってきました。
 葉子が寄ったのは「魔女リンゴあめ屋」です。「ひとくちいちねん」のリンゴあめは,一口食べると一年,年をとるのです。知らずに食べた葉子はこの後たっぺいと出会いますが,葉子だと気づいてもらえません。
 そんなとき,妖怪たちがたくさんやってきました。なんと,百鬼夜行の日だったのです…。シリーズの中で一番恐いお話かもしれません。百鬼夜行には…出会いたくないですね。
 魔女が売っていたリンゴあめやイチゴあめはおもしろいので試してみたい!(05/08/21)

 

月夜のねこいち』   越水利江子

 お母さんはハルナのことばっかりかわいがる。ぼくのことなんてどうでもいいんだ!

 絵本です。カンタくんはお母さんが赤ちゃんのハルナのことばかりかわいがっていると思ってしまいます。こういう兄弟姉妹の関係って,けっこうあると思います。
「今までお母さんは自分だけのお母さんだったのに,弟妹たちにとられてしまった…。妹(弟)なんていらない!」
クラスの子どもたちにも,こういう子はたくさんいました。
「カンタの気持ち,すっごくよくわかる!」
そう言った子たちのなんと多いことか!
 でも,最後にカンタは,お母さんが自分のことをちゃんと心配してくれていたことに気づきます。越水さんからのメッセージ,うちのお子さまたちにも伝わっているといいな。「うちのお母さんも,カンタのお母さんみたいに思ってくれているのかなあ。」なんて言っていたのです。
 涙からできるキャンディが子どもたちは気に入ったようで,「食べてみたい〜」としきりに言っていました。この涙,赤ちゃんならミルクの味,毎日パイナップルばかり食べていた女の子はパイナップル味,よっぱらいのおじさんならウィスキー味になるのです。さて,子どもたちの涙は何の味になるんでしょう?
 ところで,このお話には夜店が出てきます。越水さんのお話には夜店が出てくることが多いのです。この夜店がまたおもしろいものを売り出しているのです!イラストを見て,どんな夜店があるのか探す,こんな楽しみ方もできます♪(05/01/09)

 

『忍剣花百姫伝』(シリーズ)   越水 利江子

 天竜剣は八剣城に伝わる秘剣。けれど,10年前に落城した際,花百姫とともに行方知れずとなっていた…。天竜剣,そして花百姫は見つかるのか!?

 男装の武者・火海姫,めっぽう強い忍者・天兵,強面だけど部下思いで火海姫に惚れ込んでいる荒武者・流山など,登場人物が実に魅力的なこの物語。秘剣と姫はどこにいるのか,怪しい忍者の正体は…と謎がいつ解き明かされるのか,ついついページをめくってしまいます。1巻目ではまだ謎は明らかにならず,「何でこんな気になる場面で終わりにするんだ!」と続きを読みたくなってしまいました。あ,肝心の花百姫は…女の子だという自覚はあるのだろうか…(笑)。でも,逆にこれからの活躍がとても楽しみです。(05/06/19)
 『魔王降臨』は花百姫第2弾。謎が謎を呼ぶ…。でも,あらゆることが次第に明らかになってもきました。
 今回は霧矢が大活躍。花百姫にはとてつもない力があることもはっきりしてきました。火海姫と美女郎との関係も気になる…。記憶喪失状態の彼もどうなってしまうのか…。
 やっぱり,続きが早く読みたい!!何でこんないいところで終わっちゃうの!…子どもと同レベルで叫んでいます。
(うちのクラスのお子さまも読み終わったとたん「続きは?今度いつ?いいところだったのに〜。」と言いました…。)
 余談ですが,表紙をみたお子さま曰く,「この後ろにいるのが魔王?だって,魔王降臨って書いてあるじゃん。だから魔王だと思ったんだけど。」
…本編読みなさいって。(05/12/03)

 

もうすぐ飛べる!』   越水 利江子

 いじめの実態を描いた作品。 何もしていないのになぜいじめられるのか…。

 「いじめはいけない」と子どもに注意するより,この本を読んで,子どもたちにいじめられた子の気持ちを考えてもらったほうがいいのではないかと思いました。この本にはそれだけの力があります。
 生徒指導を専門にしている先生にお見せしたところ,
「これ,図書室にはないの?じゃあ,借りていい?」と言われたので,即,貸してきました。 「子どもたちに毎日少しずつでも読み聞かせてみたい。」とのことです。
 確実に輪が広がっています。(06/12/01)

 

ぼく,イルカのラッキー』   越水 利江子

 ぼく,ラッキー。イルカなのに,ジャンプができないんだ。スキップしているのかなんて言われちゃう…。

 他のイルカと比べると,どうしてもジャンプはうまくできません。でも,ラッキーはラッキー。ジャンプができなくたって,みんなに愛されているのです。
 自分らしさを大切に!ラッキーからそんなメッセージをもらったような気がします。(07/01/03)

 

竜神七子の冒険』   越水 利江子

 人生は七転び八起き。どんなことがあっても,前に進む!

 しょうもないお父ちゃんのせいで,これでもかというくらいどん底の生活をしている七子。でも,めげずに懸命に生きています。 また,登場する子どもたちは家庭的に恵まれていませんが,それでもたくましく生きています。心平はとてもかっこいい!
 こんなお父ちゃんですが「人間が好きな人」という良さ信じ,じっと我慢をしていたお母ちゃんにもほれぼれとします。 その懸命さ,たくましさに励まされる人も多いのではないでしょうか。
 七子やお母さんは名前の通り,本当に竜神なのかもしれません。(07/01/08)

 

月下花伝』   越水 利江子

 人は誰でも,心の中にタイムマシンを持っている。ずっと昔の人にだって会える。

 『月下花伝』の帯紙を見たときに,秋飛か総司かどちらかがタイムスリップをするのかと勝手に思いこんでいました(汗)。
 まず,新撰組の面々のやりとりがとても好きです。 お互いを知り尽くしるからこそ出てくる会話という感じがします。新撰組ファンにはたまらない♪ (といいつつ,山南敬助を「さんなん」と呼ぶことを知らなかった!一つ賢くなりました。)
 ラストの秋飛や春妃の「タイムマシン」の会話は絶対に忘れられないと思いました。 映画やドラマ,本や小説は,人生にとってたくさんの過去の人たちと仲良しになれるタイムマシンである…。本当にそうなんですよね。わたしが『萬葉集』を読むのは,そこに古代の人たちの思いがあるからだし,過去の人たちに出会うことができるから。 遺跡に触れるのも,過去の人たちの息吹を感じることができるからなのです。
 この世界のあちこちにたくさんの人生があり,その生き様を知ることができるのは,なんてすばらしいことなのか!
 秋飛のおじいちゃんは死んでしまったけれど,秋飛の剣術の中にも,共に過ごしてきた時間の中にも,そして何よりも秋飛の心の中に生き続けています。 失ったときは本当に喪失感でいっぱいで,何度も泣きますが,いつか楽しかった想い出がたくさんよみがえってくる。 そうやって,いつの時代にも,思い出す人がいたり,心を馳せる人がいるかぎり,その人達は生き続けることができる。 歴史に名を残さない人であっても,共に過ごした人々がいれば永遠に生き続けることができる。心のタイムマシンにのって,いつでも会いに行けるのです。
 こんなふうに改めて考えることができる本に出会えてよかったと思います。 (07/04/15)

 

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ハンサム・ガール』   佐藤 多佳子

 うちの家族っておかしいんだ。パパが専業主夫で,ママがキャリア・ウーマンなの。そして,わたしは野球が大好きなんだ。え?わたし,女の子だよ!

 家事万能のとてもすてきなパパ!そんなパパを持つ二葉ちゃんのことをうらやましいなあと思うのですが,当の二葉ちゃんは「普通の親がいい。」と言うのです。でも,子どもにしてみればみんなと違うことがとてもいやなのでしょうね。パパを一人の人間としてみたときにはそのよさをきちんとわかっている二葉なのに,世間体を気にしてしまうのです。
 野球がうまい女の子がいたっていい。お料理が好きな男の子がいたっていい。男らしくない,女らしくないってどこで判断するの?どういうのが女らしい,男らしいっていうことなんだろう?そんなことを考えさせるお話です。(01/02/18)

 

三びきのコブタのほんとうの話』   ジョン・シェスカ

 おれの名はアレクサンダー・T・ウルフ。『三びきのコブタ』に出てくるオオカミさ。みんな『三びきのコブタ』って話は知っているよな。でも,おれに言わせればあの話は大ウソさ。なぜって?だってあれはコブタどもの言い分だけしか聞いていないじゃないか。オレにだって言い分があるのさ。まあ,ちょっと聞いてくれよ…。

 あまりにも有名な『三びきのコブタ』。この話はオオカミの側から語られています。オオカミがなぜコブタの家に行ったか。その理由は「大好きなおばあちゃんのためにバースデーケーキを作ろうとしたら砂糖がきれてしまい,おとなりのコブタに分けてもらおうと思ったから。」さらに,わらの家を吹き飛ばしてしまった理由は「ひどい鼻風邪をひいていて,ものすごいくしゃみが出てしまったから。」
 その他の行動についても,アレクサンダー・T・ウルフ氏は詳しく語っています。
 『三びきのコブタ』を読んだ後にこちらを読むと思いっきり笑えます。 (99/08/08) 

 

ドーム郡ものがたり』   芝田 勝茂

 ドーム郡は人々の心が穏やかで平和この上もないところ。人里離れた森の中でたった一人暮らす少女クミルは,ドーム郡で先生となるため,森に別れを告げました。子どもたちと楽しく過ごしていたクミルでしたが,ドーム郡には滅びの危機が迫ってきていました。人の心を凍らせる黄色い花が近づいてきているというのです。

 ドーム郡に迫ってきた危機を乗り越えるため,クミルは神のような存在であるヌバヨという人物を探す旅に出ます。クミルはとても明るくやさしい少女です。でも,その心の中には暗い部分もあります。人を悪く思ったり,憎んだりする心。でも,それは誰の心の中にもあるもの。クミルはごく普通の少女なのです。
 長い旅の果てに,クミルは一つの結論に達しました。「ヌバヨに救ってもらうのではなく,ドーム郡に住む人みんなで黄色い花と戦う。」だれか神様のような存在がいて,その人に守ってもらえばいいのだろうか。守ってもらえなかったら,その人が悪いのだと人のせいにすれば済むのか。自分はこの危機を乗り越えるために何をしたのか。ドーム郡の人たちみんなで心を一つにしたとき,その結果は出ます。戦うべき相手は自分の弱い心,甘えた心,誰かのせいにしたい心なのです。
 一番気になったのはかかしという人物です。彼は道案内をする人。けれど,一緒に行くのではなく,ただ指し示すだけです。しかも,道を決定するのは本人です。でも,かかしはとても重要なアドバイスをしてくれます。「『行かねばならない』『行ってみたいな』という気持ちだったらやめた方がいい。『行きたい!』なら行きな。『行きたくない!」ならやめな。」かかしが案内するのは,実際の道ではありません。自分の気持ちに迷いが生じたときの案内。散らばった考えをまとめるときの案内なのです。
 また,かかしは言います。「みんなひとりぼっちさ。やさしい言葉でごまかすよりは,一人で強くなるしかないんだ。しょせん,人の心の支えというのは,甘えの中にはない。」とても重いけれど,真実を告げる言葉だと思います。
 それにしても,このかかしは何者なのでしょう。彼が道案内ではなく自ら歩き出すときは,ドーム郡や黄色い花がどうなどと言っていられなくなるとき,そして,彼はかかしではなくなるというのです。わたしは,かかしもまたヌバヨだったのだと思います。ヌバヨとは,自分の住む世界を守るため立ち上がる人,自分の弱い心を乗り越えようとする人。ヌバヨとは世の中に一人だけ存在するのではなく,誰でもなり得るものなのではないでしょうか。クミルがドーム郡のヌバヨとなろうとしたように,かかしもかかしの住む場所のヌバヨであり,それぞれ自分の世界を創り上げたときに再会できるのかもしれません。(01/08/24)

 

虹へのさすらいの旅』   芝田 勝茂

 その場しのぎのうそを何だって言ってしまうマリオは,森の民になろうと決めます。グルノーの森で出会った森の娘,ナチカとパムリンと一緒に暮らし始めたのですが,アイザリアの大きないくさに巻き込まれてしまいます。このいくさをとめるため,マリオはヌバヨの名を騙り,アイザリアからトープ・アイザリア(ドーム郡)に連れ出された王女,ラクチューナム・レイを連れ帰ることになりました。

 前作『ドーム郡ものがたり』より世界は広がりますが,抱える問題はほぼ一緒です。「心の弱さに立ち向かうこと。自分の世界は自分で守ること。」
 うそつきのマリオは,旅をしていく途中で大切な仲間と出会い,真実を述べることで心からの仲間を得たいと思うようになります。ラクチューナム・レイはトープ・アイザリア(ドーム郡)で暮らしていたただの女の子です。王女だからといって,特別な力を持っているわけでも何でもありません。でも,人々は王女に頼ろうとします。
 マリオは,ドーム郡の人々が自分たちだけの力でいくさを乗り切った様子を見て,アイザリアにいくさが起き,ここまで長引かせたのは自分たちアイザリアの人間のせいだと思い至ります。いくさをやめさせるために,自分は何をしたというのか。王女一人に背負わせてよいのか。アイザリアの王は自分たち一人一人なのだ。「われらこそ,アイザリアの王!」と,マリオは叫びます。
 ラクチューナム・レイは,平和になったアイザリアで即位の日を迎えましたが,女王の座には就きませんでした。「われらこそ,アイザリアの王!」なのに,一人の王を戴くのはおかしいと考えたのです。敵は自分自身。争いをおさめるために,一人の王に頼らず自分自身で解決すること。とても大切なメッセージだと思います。(01/08/24)

 

サラシナ』   芝田 勝茂

 育てていたひょうたんのつるを切ってしまったサキが聴いたのは,はるかな時のかなたから響いてくる恋歌だった。

 スラスラと読めたということは,たぶん読みやすかったのだろうなと思うのですが…。うーん,難解だったというのが正直な感想です。でも,自己再生の物語という点で,非常におもしろい作品だと思いました。『更級日記』にある竹芝伝説をモチーフにした荻原規子の『薄紅天女』を先に読んでしまっているので,どうしてもそのイメージがまとわりついてしまいました。
 前半はやはり荻原規子の作品で『これは王国のかぎ』とよく似た印象を受けました。竹芝伝説の物語の世界に行くサキとアラビアンナイトの世界に入りこんだひろみ。主人公の女の子の語り口調で物語が進んでいく点も似ていました。『サラシナ』のほうが『薄紅天女』よりも竹芝伝説や史実に忠実という感じがして,そこは好感が持てました。『薄紅天女』の薬子の設定はちょっと無理があると思っていますし,物語の流れ上,阿高が苑上を連れ出す必然性は感じられませんでした。
 でも,『サラシナ』では不破麻呂が竹姫を連れ出す(正確には竹姫が連れだしてほしいとお願いする)のに違和感がまったくありませんでした。ラストの展開で,サキが竹姫の中に入りこんでいたのだとすると,サキが21世紀に帰っても,竹姫は奈良時代に残るのではないのかな…なんて思ったりもしました。もちろん,その竹姫は不破麻呂のことを覚えていないかもしれないけれど。ただ,あくまでもこれはサキの物語なので,竹姫が残ろうと残るまいとあまり関係はないのでしょうね。
 この物語は,サキにとって2つのことがらがポイントになっているのだと思います。1つは自分が楽しいと感じることができるようになること。もう1つは罪悪感を背負ってしまった自分を癒し,受け入れることができるようになること。
 何をやっても楽しくない,くさりにつながれたような感じをずっと持って生活してきたサキが,内親王という実際に窮屈な立場にいる竹姫として奈良時代で過ごすうちに駆け落ちという大胆な行動に出ることができるようになるところはとても生き生きとしていてよかったと思います。でも,それはサキとしての自覚がない状態で行っていることなのがちょっとひっかかります。天女として奈良時代に来たときの方が,サキとして不破麻呂への恋心を持っていてよかったように思います。
 難解だったのが安積親王のこと。彼はサキの罪を引き受けてくれる存在として登場します。サキは現実の世界で誤ってひさごのつるを切り落としてしまいますが,そのことを受け入れられず,夢の世界でひさごを育て続けていました。サキが竹姫の中に入りこんだのは,本人にはそんな意識はなかったのだろうけれども,ひさごのつるを切り落としてしまった罪悪感を引き受けてくれる安積親王に出会うため。そして,そんな安積親王に好かれる自分になることで,自分自身を認めて受け入れようとしていたのでしょう。
 この物語が難解になってしまったのは,サキが2つのことがらを乗り越えようとしたからではないでしょうか。自分の好きなことをするだけであれば,サキは竹姫になる必要はなく,天女として不破麻呂と過ごせばよかったのです。けれど,罪悪感を乗り越えるためには安積親王と出会わなければならなかった。その罪悪感を,サキは自分でもあまり認識していないので,天女(=サキの意識がある状態)として安積親王と出会うのは難しく,そのため竹姫(=サキの意識がない状態)とならざるを得なかったのかもしれません。
 結局,竹姫はサキとしての意識を取り戻します。それは,サキが2つの乗り越えるべきことがらを無事に乗り越えた証拠であり,同時に不破麻呂と別れて現代へと戻らなければならないということでもあります。
 現代に戻ったサキがどんなふうに生きていくのか,それはまた別の物語なのでしょう。(02/08/16)

 

『マジカル・ミステリー・シャドー』   芝田 勝茂

工事中です。

  

白いとんねる』   杉 みき子

 幼い加代の見るものは,不思議なものばかり。忘れかけていた子どもの頃を思い出してみませんか? 

 この本の存在を知ったのは大人になってからでした。子どもの頃に知っていれば,もっとさまざまなものをじっくりと見つめることができたかもしれません。この中に出てくる風景はみな生きているかのようです。加代の見つめる世界は小さいけれど,温かな息吹を感じさせます。澄み切った空気,雨のにおい,風の声,春の訪れなど,さまざまな自然がこの世界には詰まっているのです。大人には忘れかけていた子どもの頃の気持ちを思い出させ,子どもだったら共感するところがたくさんある作品です。
 教科書に載っている「加代の四季」はこの本の中に収録されています。(01/02/18)

 

小さな町の風景』   杉 みき子

 小さな町の風景が語りかけてくれるやさしくせつない物語。懐かしい気持ちを起こさせる物語。この町は,誰にでもある心のふるさとなのです。

 『白いとんねる』よりも少し大人びた雰囲気の物語がたくさん収められています。この物語を読んでいると,少年や少女の頃の想いが鮮やかによみがえってくるのではないでしょうか。ホッとさせられる,心の奥底にあるふるさとの風景が呼び起こされる,そんな不思議な力を持った物語です。「木のある風景」「海のある風景」「坂のある風景」がお気に入りです。(01/02/18)

 

くだける』   高橋 久美子

 自分って何なのかな。目の前にいる人が私を私と認めてくれる。それでいいと思っていた。だけど,目の前にいる誰かが私を否定したら…否定しないとしても,このままの私を認めてくれないとしたら,そうしたら私は…。

 「自分はこういう人だ。」とはっきり認識している人はどれくらいいるのでしょうか。そんなことを考えずに生活している人の方が多いのではないでしょうか。主人公の真保は,自分という人間をはっきりととらえていません。最初からどこかぼーっとした輪郭のあやふやな不確かなイメージがあります。常に流動的で,周りの人にあわせて変わっていくのは,自分がそこにないから。だから,真保は相手をすべて受け入れ,映し出す鏡となってしまいます。真保は,相手に自分が目をそらしていたいと思っていることをはっきりと認識させてしまう,ある意味恐ろしい存在ですね。
 アルバイト先の啓子さんは,自分の力だけで自分のことを知ろうとするのは不可能に近いと言います。自分に見えないものほど他人からはよく見えるのだとも言います。確かにその通りだと思います。他者がいなければ,自分を認識することはできない。でも,最初の真保のようにただ際限なく相手を受け入れ,他者の鏡としてしか存在していないのではつらいですね。
 最後の方で真保はやはり変わっていきますが,その変わり方は以前のようにただ流されて変わるのではなく,変わることを主体的に意識しているように思います。自分で気づかずにいた心の傷に向かい合うことで成長し,意識して変わっていけたことが,真保の本当の強さではないでしょうか。(99/10/03)

  

わたしのゆうれい』   武川 みづえ

 ルリコが大事にしていたベビー毛布のミミが消えてしまいました。探しているうちに,ルリコは不思議な女の子に出会います。その子は,おばあちゃんの夢の中に出てくる女の子だというのですが…。

 小学校4年生の時にクラスで流行った本です。「ゆうれい」に惹かれた子が多かったのかもしれません。みんなでジャンケンをして借りる順番を決めた覚えがあります。今読むと,夢の中の少女が誰なのかはっきりわかるのですが,当時はわかりにくかった…。自分の娘を戦争でなくしたおばあちゃんの思いがとても切ないです。中国残留孤児を思い出させる作品なのですが,そのことに気づいたのも最近になってからでした。(98/12/12)

 

月神の統べる森で』シリーズ   たつみや 章

 自然の中で,自然を敬いながら育ったポイシュマと,身分は高くても愛されずに育ったワカヒコ。2人の行く先にあるものは…。

 一応ハッピーエンドかな…と思われます。『月神の統べる森で』『地の掟,月のまなざし』『天地のはざま』『月冠の巫王』の4冊で完結しています。1巻目が一番よかったと思います。間があきすぎて,最初の方の内容を忘れてしまっていたのがちょっと痛かった。
 おもしろかったのですが,登場人物の話し方や,「あれ?何で急にこんな場面になるんだ?」と思ってしまうところもあり,全体としては…うーん,難しいですね。いろいろな神様が出てくるところなど,興味深いところもたくさんありますが。
 一番よくわからなかったのは,恋愛の場面。どうしても登場人物の「好きだ」という気持ちが伝わってこないのです。もちろん,言葉では「好きだ」と言っていますが,話の展開でそこまでに至る場面や心情描写がほとんどないのです。
 日本の古代を舞台にした『空色勾玉』の方が,心情面で共感しやすかったように思います。(02/08/16)

 

これはのみのぴこ』   谷川 俊太郎

 「これはのみのぴこ」から始まり,「これはのみのぴこのすんでいるねこのごえもん」「これはのみのぴこのすんでいるねこのごえもんのしっぽふんずけたあきらくん」というように,次々とつながっていく積み上げ歌。最後はいったいどうなるのでしょう?

 この作品は児童文学でいいのかな?とは思うのですが,子どもたちが気に入っているので紹介します。言葉遊びなのですが,いろいろな人が登場し,次にどんなつながり方をしてくるのかとてもわくわくしてきます。低学年はもちろん,高学年の子も楽しんで読んでいました。 (98/08/15)

 

くつが鳴る』   手嶋 洋美

「コキュン,コキュン」ってわたしのくつは音をたてる。ロボットみたいだ。でも,これはわたしが一歩一歩歩いている音なんだ!

 明るく元気な陽子の姿にとても勇気づけられます。懸命に歩く練習をしている陽子と一緒に,自分も一歩ずつ歩いているような,そんな感じがしてきます。母さんのところにたどり着いたとき,自分も「やったー!」と達成感を味わえるのです。
 陽子が練習しているときに母さんが大きな声で「がんばれ!」と叫びます。陽子は母さんを「恥ずかしい。」と思うのですが,この場面を読んでいて思い出したのが,自分の子どもの頃のこと。バスケットの試合の応援に親が来ていたのですが,夢中になって写真を撮って応援している姿をとても恥ずかしく思いました。試合後,友だちに「おばさん,来てたね。」と言われ,「もう来ないでよ。」と思ったものです。応援してくれるのはうれしくて,はりきっちゃうのですが,そのことで友だちにからかわれるのはいやだったのです。陽子も同じような気持ちでいたのかな。(01/08/24)

 

空へつづく神話』   富安 陽子

 「神様なんてあてにしない。」そう思っている理子の前に白髪頭の神様が現れた。しかも,自分の名前が思い出せないというのだ。何でこの神様は理子の前に現れたのだろう。

 ものの名には由来があります。土地や人の名など,どうしてこういう名が付いたのだろうと思うととてもワクワクします。特に,土地の名にはその歴史が刻まれているのだと思います。自分が生まれる前からずっとある名前。そこにこめられた人々の思い。そして,その名にまつわるさまざまな物語…。由来を知るのは壮大な歴史を追いかけることなのかもしれません。
 白髪頭の神様は地神で,その地が「九十九」と呼ばれていたころの神様です。ところが,町が大きく変わり,「九十九」が「津雲」と名を変えたことによって,神様は自分が誰なのかわからなくなってしまいます。町が姿を変えたり,名前が変わったりするのは全国至る所で起きていることです。発展は人々の生活を豊かにするけれど,同時に昔から伝わる大切なものを見失ってはいないでしょうか。(01/02/18)

 

ほこらの神さま』   富安 陽子

 勇平たちは神様の住むと言われる「ほこら」を拾った。勇平たちはねがいごとをしてみることにしたが…。

 近所の本屋に立ち寄ったら棚に置いてあったのでパラパラッとめくってみたのですが,これがとてもおもしろそう。即買いました。じっくり読んだのですが,これは大当たり!一気に読んでしまいました。
 主人公の勇平と仲良しの数馬と準一がみんな個性的でいいです。特に数馬君。妙なことに興味を持つ不思議な子。学校の勉強はできないけれど,雑学はやたらにあります。絵も上手です。運動はあまりできないはずなのに,いざというときにはとんでもない速さで走っちゃう。こういう子が主人公ではないのは,彼の行動があまりにも突拍子もなく,心情の変化が説明しにくいからなのでしょうか。客観的に見た方が描きやすい子なのかもしれません。なかよしの勇平曰く「よくわからない」という部分が多い数馬君なので。
 準一君はとにかくついていない人。勉強も運動も人一倍できるのに,まじめすぎて要領が悪い。クラスで落書き事件が起きたときに犯人扱いをされてしまうのですが,そのときに周りにいた子たちが「準一がそんなことするわけがない!」とは言ってくれないのです。(もちろん,勇平はそう言ってあげましたが。)別に勉強や運動ができることを自慢げにしているようでもないのに…。これは子どもたちの人間関係の希薄さを描いているのでしょうか?どこかボーっとしているところもああり,ときには激しく怒ったりもする愛すべきキャラだと思うのですが。
 一番特徴がないのは主人公の勇平君です(笑)。でも,準一のために数馬と一緒になって仕返しを計画するところなど,とても友だちを大切にする子だと思います。秘密基地を作っているのを弟に見つかってしまって追い払おうとしたり,かと思うと,自転車の競争をしようとしている弟を危ないからと心配したりと,どこにでもいる少年という感じです。でも,そういうところがいいなあと思いました。特徴がなくたって,立派に主人公になれる!
 勇平たちが友情を大切にしたり,意地悪や嫌がらせに負けずに立ち向かったりと,読後感がとてもさわやかなお話です。彼らは偶然拾ったほこらに神さまがいて,お願い事をしたら叶うと信じるようになります。実際,願い事が叶うのですが,同時に災いも起こります。世の中都合のよいことばかりが起きるわけではないのです。結局,ほこらは大雨の日に川に流されてなくなってしまうのですが,彼らは神さまがいなくなっても,自分たちの力で災いを切り抜けてみせます。神さまがいたのかどうか,本当のところはわからないけれど,信じた彼らには確かに神さまは存在していたのでしょうね。でも,人に頼るばかりでは願い事は叶わない。叶えるためには自分の力で動かなくてはならないし,その力をみんな持っているのだから。
 それにしても,その後も新しいほこらを探して歩いている数馬君にはもう「参りました!」という他はないという感じがします。本当にいい味だしています。
 このお話は,イラストもけっこう気に入ったのです。小松良佳さんのイラストでマンガ風なのですが,それがとてもピッタリあっている感じがしました。(02/08/16)

 

『竜の巣』   富安 陽子

工事中です。

 

『シノダ!チビ竜と魔法の実』   富安 陽子

工事中です。

 

オバケだって,かぜをひく!』   富安 陽子

 鬼灯医院にはかわったお医者さんがいる。世界でたったひとり,「オバケ科」の専門医の鬼灯京十郎先生だ。あの日,ボタンを拾わなかったら,ぼくは鬼灯医院に行くことはなかったはず…。

 オバケ科という発想がまずおもしろい!オバケも病気になるのかあ…。 「ゲゲゲの鬼太郎」では,オバケは病気をしないと言っていた気がするのですが…(笑)。
 鬼灯京十郎先生の病院「鬼灯医院」はこの世界とは別のところにあるようです。オバケが住む世界なのか,その中間点なのか…。 CLAMPの『ホリック』というマンガをちょっと思い出してしまいました。
 それにしても,この鬼灯先生は不思議な人です。鬼の予防注射をするために,偶然やってきた恭平(主人公)をうまく使ってしまうのですが,悪いことを考えているときには目が泳ぐというか…(笑)。
何だか憎めません。 無事に帰ってきた恭平ですが,この後,また鬼灯医院に行くことになるんじゃないかなという気がします…。
 イラストは小松良佳さん。お話にピッタリのイラストです。(06/05/21)

 

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裏庭』   梨木 香歩 

 照美は純と双子の姉弟だった。純が死んでからパパやママは朝から晩まで働いて,照美のことなど視界にも入らないよう。「照美はいらない子なのかもしれない。」孤独な少女は友達のおじいちゃんが話してくれたバーンズ屋敷の裏庭へと迷い込んでいく。

 謎を秘めた裏庭は,照美だけではなくその両親,さらに友達のおじいちゃんと同世代の照美の祖母,バーンズ屋敷の縁の人々にも関わりがあります。まったく無縁に思われた人々が予想外のところでつながっていき,「ああ,そうだったのか。」と思わされます。
 「傷を恐れるな」「傷に支配されるな」「傷を育んでいけ」という裏庭の世界のおばばの言葉は,照美だけでなくすべての人に向けたメッセージですね。(98/08/16)

 

西の魔女が死んだ』   梨木 香歩

 学校に行けなくなったまいは,田舎のおばあちゃんのところで暮らすことになった。「魔女」であるおばあちゃんとの生活の中で,まいは傷ついた心を癒していくが…。

 『裏庭』の照美もこの話のまいも「ホームシック」に悩まされます。自分の家にいるときでもやってくるので「ホームシック」とは言わないのかもしれませんが,胸が締め付けられるような寂しさに突然襲われるのです。この「ホームシック」にわたし自身もよく襲われていたので,主人公たちの気持ちにすんなりと共感できました。「魔女」とよばれるおばあちゃんがとても素敵です。(98/08/16)

   

太陽の子』   灰谷 健次郎

 てだのふあ・おきなわ亭に集まる人たちは,どこかに傷を抱えている。けれど,とてもやさしい。あんなにつらい目にあっているのに,どうしてやさしく生きられるのだろう…。     

 中学1年の時に読んで,泣きました。本を読んで心が痛いという感覚を味わったのは,これが初めてだったのではないかと思います。悲しみを悲しみとして,やさしさをやさしさとして感じる,わかるとはこういうことかと思いました。「やさしさ」について,深く考えさせられました。人間は恐い目にあい,つらい目にあった人ほどやさしく,他人を愛せる。それは,心の痛みを知っているから。人の痛みを自分の痛みとして受け止めるから。
 友達は,この作品から沖縄戦のことを考えさせられたと言っていました。読み手によって,着眼点がかわることは当然なのですが,これは『太陽の子』がいくつものテーマを持っている作品だからこそだと思います。この作品も,レポートがあります。(98/08/15)

  

太陽の牙』シリーズ   浜 たかや

 父なる太陽ユルーを信奉し,他民族の征服を続けるユルン族。大地の女神イラーを信奉する,ユルンに征服された農耕の民ケタイ族。デイーの神を信奉し,人を殺すと狼になるというデイーイン族。ユルンとケタイの血を持つオキュレン,ケタイとして暮らすデイーインの血を持つケイナンは,どちらの民族にもなれない。自分はいったいどう生きればよいのだろう。   

 古代中央アジアを舞台にしています。『太陽の牙』『火の王誕生』『遠い水の伝説』『風,草原を走る』『月の巫女』の5冊シリーズの予定だったのですが,どうも5冊では収まりきらなかったようです。非常にスケールの大きいファンタジーです。上のあらすじは『太陽の牙』についてです。とてもよく似た境遇にあるオキュレンとケイナン。けれど,オキュレンは心の中の狼を目覚めさせ,ケイナンは狼を押さえ込みます。作中に登場する少年,少女はみなどこかに傷を抱えています。それをどうのりこえていくか,それぞれの成長の過程がこの作品の魅力になっています。
 この作品と,A・ボロディンの『中央アジアの草原にて』という曲を聴いて,「中央アジアに行ってみたい」とすぐに思ったミーハーなわたしです…。
 浜たかやさんの作品では他に『龍使いのキアス』もおすすめです。 (98/08/15)

 

カレンダー』   ひこ・田中

 今日,とんでもないものを拾ってしまった。人間,それも大人の男女2人。拾ってもよかったのやろうか?

 主人公の時国翼は中学生の女の子。翼の家に住む人は,全員名字が違います。おばあちゃんの文字暁子は翼の父方の祖母。それなら翼と同じ時国という名字なのではとお思いの方もいることでしょう。ところが,暁子は離婚して旧姓に戻っているのです。翼の両親は翼が赤ん坊の時に他界しており,翼は暁子と2人暮らし。そんな翼は谷口極と山上海というまったく縁もゆかりもない男女を拾ってしまいます。
 これだけ読むと,翼は早くに親を亡くしとても「フコー」(不幸)な子という感じがしますが,実際にはまったくそんなことはありません。翼本人が不幸だなんて思っていないのです。翼にとって両親はずっといないのだから,それが普通のこと。両親がいない=不幸というのは他人の物差しなのです。
 名字の違う人が集まっている翼の家ですが,とても温かい雰囲気があります。血のつながりはなくても,心でつながっている。この人たちは家族なのだと思いました。
 翼は20歳の翼クンに向けてカセットテープに日記を吹き込んでいます。日記なら書けばいいのに,それをテープに吹き込むのはなぜなのでしょう。単に,書くのが面倒だからかもしれません。でも,わたしは母に語ることの代わりに20歳の自分に語りかけていたのだと思うのです。その日あったこと,自分の思っていることを語る身近な相手は母であることが多いと思います。でも,翼には語る相手である母がいない。それならば,聞き手を母と想定してテープに語ればよいと思うかもしれません。けれど,母にはこの先どうやっても会うことはできないし,自分の語りかけに対して返事をもらえることはありません。それに対し,未来の自分ならば必ず会えるし,返事ももらえるでしょう。最後に翼は母の昔の日記を手に入れます。そして,自分の年齢に合わせ同じ年頃の部分を読んでいくことにし,20歳の翼クンに別れを告げます。語り合いたい母を手に入れた翼にとって,翼クンと向き合う必要はなくなったのでしょう。
 この物語を読んで思いだしたのが成田美名子『エイリアン通り』。主人公の「翼」という名の少女,名字の違う人々が同じ家に集まり温かい雰囲気を出しているところが似ているなあと思っていたら,あとがきに翼の名の由来が『エイリアン通り』の川原翼であることが書かれていました。でも,川原翼と時国翼はそんなにイメージがダブりませんでした。
 翼だけでなく,登場人物がとても魅力的な物語です。(99/11/14)

  

さくらんぼクラブにクロがきた』   古田 足日

 校舎の下に住みついている黒い犬。この犬をぼくたち学童に通っている子どもは「クロ」と呼んでいるんだ。ある日,クロのおなかには赤ちゃんがいることがわかったんだ。クロと赤ちゃんを学童で飼いたいなあ…。

 小学校3年生くらいの時に課題図書になった本です。学童の子どもたちはクロを飼おうとして一所懸命にアイディアを出したり,時には対立してケンカしたりとさまざまな行動に出ます。ケンカがおこるのは,それぞれがクロのためを思って行動しているから。どちらもクロのためにがんばっているのだから,そのことに早く気づいたらいいのに…とやきもきしながら読んでいました。 (99/07/29)

 

夢のつづきのそのまたつづき』   パウル=マール

 夜中にこっそり読んでいた本をとりあげられてしまったリッペル。何とかして続きを読めないかなあと思っていたら,夢の中で続きをみられるようになりました。

 夢と現実の世界の区別があいまいになっているのは子どもの特権かもしれません。子どもだからこそ見られる夢,その夢によって現実の世界がより豊かになるのはすてきなことです。リッペルのように夢の中で物語の続きが見られたらどんなにいいでしょう。しかも,その夢は毎日続いているのです。夢の続きを見られるなんて,めったにありません。とてもいい夢を見ていて,続きを見たいと思ってもう一度眠っても,同じ夢はほとんど見られないのですから。
 夢の中はアラビアン・ナイトの世界です。アラビアン・ナイトが好きな方にもおすすめです。(01/02/18)

 

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シェーラひめのぼうけん』シリーズ   村山 早紀

 かわいくてやさしくて,実は怪力のおひめさまシェーラ。彼女の故郷シェーラザード王国は,悪の魔法使いサウードによって何もかも石に変えられてしまいました。王国を救うため,幼なじみの魔法使いファリードと旅に出たシェーラは,無事に王国を元通りにすることができるのでしょうか。

 いつでも前向きなシェーラに勇気づけられます。登場人物はそれぞれ重いものを背負っているのですが,それを乗り越えようとしていきます。シェーラは幼い頃に母を亡くし,さらに父親を失ってしまいます。ファリードは父の存在が大きくのしかかり,自分の力を出すことができないでいます。ハイルは自分が捨てられた子であると思っています。それぞれがこれらをどのように乗り越えていくかも物語の大きな魅力になっています。(01/02/18)
 以下,『魔法の杖』(9巻)を読んでの感想です。
 賢者ハーシブさまが教えてくれたシェーラをよみがえらせる方法には正直びっくりしました。登場人物の誰かがかわりに死ななくてはならないのだから。シェーラを思う心はみんな一緒です。でも,シェーラは自分が生きるために仲間の命を犠牲にすることは望まないのではないでしょうか。仲間たちが「自分がシェーラのために死ぬ。」と言う場面がありましたが,もっと自分の命を大切にしてもいいのではないかと思いました。
 時間が止まったライラの住む魔神の世界は,とても美しく永遠に続きます。そこにいれば永遠に生きられますが,仲間と会って話すこともできず,大人にもなれず成長も止まってしまうのならば,それは生きているといえるのでしょうか?シェーラも「それでは死んだのと同じだわ。」と言います。「死ぬというのは会えなくなることだ。」とライラは言いました。では,生きるというのはどういうことなのでしょうか?その答えをシェーラは見つけます。「大好きな誰かのそばにいられること。誰かのことを思っていること。」永遠の命を得ても,大好きな仲間と共に生きられなければ意味がありません。成長することができなければ,ただ無駄に時間を過ごすだけになってしまいます。
 死ぬことは会えなくなることだとライラは言いましたが,シェーラの心の中にライラは生き続けています。生きて忘れずにいる人がいる限り,その魂は生き続けるのだと思います。だから,「死」は決して会えなくなったり終わりになったりすることではないのです。
 今回のシェーラでは,生と死についてとても考えさせられました。「生きることの意味」を問われたとき,自分だったら何と返すのだろうか?
あまりにも難しい問いだと,わたしは思います。でも,シェーラの言ってくれている言葉はとてもすっきりとしていてわかりやすいのです。存在意義なんて仰々しく考えると答えは見つからなくなるけれど,「あなたがそこにいること。存在自体が大切だ。」と考えられればいいのかもしれません。そこにいてくれるだけで心が優しくなれる存在,慈しむ心を持てる存在。みんなそれぞれが誰かにとっての大切な存在なのだから,「自分なんていらない。」なんて思ってはいけないのだと思います。だからこそ,生きていること,命を大切にしてほしいと切に思います。
 シェーラがファリードに言った,「あなたがあなた自身がきらいなところもひっくるめて,まるごとあなたがすきなのよ。」というセリフがすべてを物語っているように思います。(01/08/24)
 『新シェーラひめのぼうけん 風の恋うた』は重い部分もあり,でも,救われる部分もあり…。読める子ならかなり行間にあるものを読みとれるかもしれません。(05/09/19)
 『新シェーラひめの冒険7 天のオルゴール』は作者の訴えたいことが盛りだくさんで,しかもどれも同じ比重で大切に語られていました。それを全部受け止めるのはけっこう大変かな…。登場人物はそれぞれ前向きなのですけれどね。 (06/03/26)

 

七日間のスノウ』   村山 早紀

工事中です。

 

人魚亭夢物語』   村山 早紀

 「お帰りなさい。」人魚亭は真波さんの喫茶店。いつでもわたしを迎えてくれる。そう,人魚亭には…ううん,真波さんには懐かしい何かがある。どうしてこんなに懐かしいんだろう。

 人には心安らぐ場所,自分の居場所が必要だと思います。人魚亭は風早の人々のための場所。真波さんは風早の人たちをずっと見守ってくれている,神様のような存在なのかもしれません。どんなに遠く離れていても心はふるさとに帰ってくる。風早の人々の心は人魚亭に帰ってくるのでしょう。
 自分にとっての人魚亭や真波さんは何なのか,見つめ直したくなる物語です。(01/02/18)

 

はるかな空の東〜クリスタライアの伝説〜』   村山 早紀

 あの夢を見るくらいなら,絶対に眠りたくない。もう一週間も続いているあの夢。でも,あれは本当に夢なのだろうか…。

 冒頭の伝説や予言を読んだだけで,とてもわくわくしてくる物語です。主人公ナルは異世界の王女。でも,幼い頃に「呪われし者」に襲われ,魔術師ハヤミたちとこちらの世界に逃れてきます。その時のけがのせいか,異世界のことはほとんど覚えていないのですが,断片的に思い出せることがあります。「自分は誰なの?」この物語はナルの自分探しの旅でもあります。
 印象的なのは,「呪われし者」サフィアです。元々は人々を守る心優しい魔術師だったのに,不治の病におかされてしまいます。自らの死を恐れ,愛してきたすべてのものとの別れを悲しみ,ついには憤ったサフィアは神を憎みます。そして,邪神に祈り,生きるための力を得ようとします。愛してきた家族,友人,故郷,仕事,街,そこでの生活と別れたくない,ただそれだけだったのです。そして,サフィアは邪神から不死の体を手に入れました。けれど,その代償として,サフィアが愛した街はあっという間に湖の底に沈んでしまいました。愛するものと別れたくないから生きる力を望んだのに,結局愛するものを自分の手で滅ぼしてしまったサフィア。この孤独を癒し,自らの罪を許してくれるものは死だと思っていたのでしょう。世界を滅ぼそうとするのも,邪神の生きる糧である「精霊」がなくなればいいと願ったからなのかもしれません。
 人は神ではない。だからこそ大切なものを見つけ,守ろうとする。そして,優しくなろうとし,強くなろうとする。そんなメッセージがこの作品には込められているように思いました。(00/05/14)

 

百年めの秘密』   村山 早紀

工事中です。

 

魔法少女マリリン』(シリーズ)   村山 早紀

 わたし,マリリン。商人の娘。でも,夢は魔法使いになることなんだ。悪い奴らや魔物をやっつけてお姫様を救い出したり,謎解きをして財宝を見つけたり,そんな冒険をしてみたいの!

 現在3巻まで出ています。『青い石の伝説』『時計塔の魔女』『地下迷宮の冒険』です。主人公のマリリンはとても前向きで元気な女の子。普段は魔法学校に通って魔法使いになる勉強をしているのですが,彼女はいわゆる劣等生なのです。パワーはあるのに,自分の思い通りに魔法を使いこなすことができません。そこで,夏休みを利用し,実際の冒険を体験することで眠っている力を呼び覚まそうとします。
 すてきな仲間達に出会い,サポートしてもらいながら,マリリンは少しずつ成長していきます。もちろん,魔法も成長(?)していきます。2作目までは大人達に守られつつ力をつけていくマリリンでしたが,3作目では同年代の少女と出会い,彼女を守る側にまわります。そして,力をつけて仲間達を守りたいという気持ちを強く持ちます。大切なものを守りたいと思う気持ちが自分を強くしていくのだと,マリリンを見ていると思います。
 マリリンには本人も知らない秘密があったり,仲間達にもそれぞれのエピソードがあったりとこれからの展開がとても楽しみなシリーズです。(00/07/30)

 

やまんば娘,街へゆく〜由布の海馬亭通信〜』   村山 早紀

 姉さん,由布は父さんを探しに街へ行きます。父さんは私たちを捨てたんじゃない。きっと帰れない理由があるのだと思うの。

 海馬亭に集う温かい人たちにホッとさせられます。海馬亭という場所自体が温かく感じられます。でも,いつまでもみんな一緒にはいられません。やまんばの娘である由布は,人間よりも長生きです。海馬亭のみんなが死んでもなお,生きてゆくのかもしれません。変わらないものなんて何もなく,時間は流れてゆくけれど,みんなで過ごした時間は自分の中に残ります。本当に大切なものは,心の奥深い場所にいつまでも存在し,何年経っても鮮やかによみがえってきます。自分にもそんな「永遠の一瞬」があることを,思い起こさせてくれました。
 このお話にはわたしの好きなゲームがいろいろでてきたので,読んでいて嬉しくなってしまいました。このシーンの音楽はこれだなと思い浮かべながら読みました。
 登場人物にゲームデザイナー志望の玲子さんという人がいるのですが,彼女が目指すのは魔法使い。といっても,本当の魔法使いではありません。自分のゲームで遊ぶ人たちに,未知の世界を旅する気分を味わってほしいと願っているのです。この気持ちは,ゲームデザイナーだけでなく,作家や漫画家も同じように持っているものなのでしょうね。(01/08/24)

 

『ささやかな魔法の物語』   村山 早紀

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『アカネヒメものがたり』シリーズ   村山 早紀

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風の丘のルルー』シリーズ   村山 早紀

 風の丘には小さな魔女がぬいぐるみと一緒に暮らしています。魔女の名はルルー。魂を持ち,話すことのできるぬいぐるみのペルタとともに,人々を幸せにしていきます。

 ルルーの両親は,何も悪いことをしていないのに,魔女狩りで殺されてしまいました。まだ幼かったルルーは,お姉さんと一緒になんとか逃げ延びることができましたが,魔女であることを知られないよう,ひっそりと暮らしていました。でも,そのお姉さんもやがて死んでしまいました。ルルーのような状況に置かれたら,人間を信じなくなっていてもおかしくありません。でも,ルルーは信じるのです。時には悲しい思いもするけれど,ルルーはまた人を信じる。その前向きな生き方がとても好きです。
 また,ペルタは口が悪いのですが,ルルーのことをとても愛していて,心配してくれています。このペルタくん,なかなかいい味を出していていいなあ。ルルーはペルタが余計なことを言うと,洗濯板でこすると言うけれど,わたしだったらグーでぶちます(笑)。(02/08/21)

 

天空のミラクル タロットカードは死の歌をうたう』   村山 早紀

 見えないものが見えてしまうため,ずっと心を閉ざして生きてきたさやか。でも,風早の街で出会った人々は,さやかの心を揺り動かす…。

 「ミラクル」というタイトルから「奇跡」を連想しますが,この物語では特に「奇跡」が起こるわけではありません。不思議な力はあちこちに現れるけれど,大切なのはそれぞれの想いの強さ,そして立ち向かっていく強さなのではないでしょうか。
 最初から悪い結末を考えてあきらめていることってありませんか?でも,ほんの少しの勇気や行動で結果が変わるのでは?(05/05/05)

 

天空のミラクル 月は迷宮の鏡』   村山 早紀

 「吸血鬼が八月の満月の夜によみがえる」そんな噂が風早の街に広がっていた。吸血鬼…本当に存在するの?

 『天空のミラクル』第2弾。 世界には2種類のあやかしがいるとこの物語では語られます。1つは幽霊や妖怪,妖精など自然にこの世界から生まれたもの,もう1つは人の想像力が生み出したもの。
本当に恐ろしいのはどちらなのでしょう? わたしは後者の方が恐ろしいと思います。 身近なところだと,噂話やチェーンメールなども人の想像力によってとんでもない化け物になってしまう可能性があり,あやかしと言えると思うのです。
 主人公のさやかは,他の人には見えないものを見る力を持っています。そのために,心を閉ざしていましたが,風早の街に来て少しずつ変わってきました。大切な友だちができ,守りたいものができました。そして,自分の進むべき道を見出し,真実を見つけます。
 この物語にはリンドグレーンの『はるかな国の兄弟』が登場します。 このお話はわたしも読んだことがあるのですが,当時すてきな兄さんが死んでしまうのがどうにも納得できずにいました。職場の同僚はこの物語が大好きだと言っていました。読む人によって受け取り方はだいぶ違うようです。わたしは,あの兄さんが死んでしまったのがとても悲しくて,そこばかり印象に残っていたのだと思います。 懐かしい『はるかな国の兄弟』をもう一度読んでみたくなりました。(07/01/05)

 

砂漠の歌姫』   村山 早紀

 砂漠に倒れていた女の子リーヤを見つけた歌姫のユン。目が見えず記憶もなくしているリーヤを守るため,ユンは立ち上がる!

 主人公をはじめ,登場する人々がとても生き生きとしています。でも,わたしはリーヤを捕まえようとしている魔術師ファリサの方が印象に残りました。同じ作者の『はるかな空の東』でも,敵対する呪われし者サフィアの方が印象に残ったのです。2人に共通するのは,本当に心のねじ曲がった悪人ではないところです。そして,自分の故郷をとても愛していたということ。
 村山さんの作品に出てくる魔術師は,どこか心に傷を負いながら生きてきて,まっすぐな心を持つ子どもたちによって癒されている…そんな気がしました。(07/01/03)

 

コンビニたそがれ堂〜街かどの魔法の時間』   村山 早紀

 本当に大切なものを探している人だけがたどりつけるお店,それが「たそがれ堂」なのです。

 「コンビニたそがれ堂」にまつわるいくつかのお話が詰まっています。
 人間や生き物が好きで見守ってくれている「何か」がこの世の中にはいてくれる…。
 今回は「桜の声」というお話が一番気に入りました。主人公のさくら子はもうじき三十路のラジオ局に勤めるアナウンサー。今の仕事は好きだけれど,このままずっと一人で働き続けるのかな…それっていい人生なのかなと悩みます。そんなとき,街を見守る桜の木のそばで,さくら子は過去と未来に自分の声が届くという不思議な経験をします。さくら子の声に勇気づけられた人々がいる。過去,現在,未来のさまざまな時代に自分の声が届いている。自分は人々の中でひとりきりで生きているわけではない,さまざまな思いを抱く人たちの中で一緒に生きているんだ…。そんなさくら子に共感しつつ読み終えました。
 余談ですが,早紀さんの作品には猫がよく出てきます。この本にも登場しました。早紀さんの猫にまつわる話を読むときには,必ずといってよいほどハンカチが必要になります!(07/01/07)

 

アンソニー〜はまなす写真館の物語〜』   茂市 久美子

 アンソニーは蛇腹つきの古いカメラ。はまなす写真館で一番の古株です。アンソニーには秘密がありました。なんと,しゃべることができるのです!

 高学年向け課題図書です。両親を亡くしていやいや家業の写真館の後継者となった5代目主人の龍平さんと,初代の頃から写真館にいたカメラ「アンソニー」とが出会う不思議なできごとの数々。カメラマンを目指していた龍平さんでしたが,次第に気持ちが変わっていきます。思ったよりも読みやすく,安房直子さんの作品とよく似たふんわりとした雰囲気を出しているお話でした。読後感がさわやかでとてもよかったです。(02/08/16)

 

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同級生〜はるかな時空をこえて〜』   横山 充男

 小さな頃から繰り返し何度も見る夢。ぼくは誰かを傷つけ,逃げているらしい。でも,なぜそうなったのかわからない。ぼくはなぜ逃げているのか。なぜこんなに涙があふれてくるのか。

 不思議な記憶を共有する透と薫。手がかりはコスモス畑。2人はコスモス畑のある浜崎へと出かけていきます。もともと幼なじみだった2人。薫が父の仕事の都合で引っ越し,しばらくの間離れ離れとなり,小学5年生で再会することになるのですが,透の方は薫にまったく気づかず,さらに1年半もの間同級生なのに話をしない日々が続きます。でも,浜崎へ行った1日で,前世で恋人同士だったことを思い出します。
 この話には「花埋み」(これについては越水利江子さんのHP『風雲童話城』の「新聞などに発表したコラム」を参照。)という遊びが出てきます。思春期の少年少女がよく行う遊びなのですが,ガラスの下で咲く花は永遠に枯れず美しいけれど,時の止まったその空間でしか成り立たない,どこか切なさを感じさせるもののように思います。あたかも,思春期にある異性への一瞬のあこがれを象徴するかのようです。
 印象的だったのは薫の言葉です。
「生まれる前はどこにいたんだろう。どこにもいなかったのかな。どこにもいなかったわたしが,どうして今ここにいるんだろ。生まれる前にどこかにいたんだけど,忘れただけなのかな。」
「たくさんのことをわすれながらおとなになって,でも,いっぱいいろんなことを経験して,そうして年をとって死んでしまったら,わたしはどこへ行くのかな。どこにも行かないのかな。なんにもなくなって,考えたことやうれしかったことや,涙を流したことや,そんなことぜんぶが消えちゃうのかな。きえちゃうものがどうして生きている間,あると思うのかな。」
自分という人間の存在,生きること,死ぬこと。同じ疑問を持つ人は多くいるはず。その答えは,透の「ぼくは,ぼくだけではなかった。そして,ぼくはずっとむかしからぼくだった。」という言葉だと思うのですが…。対象が小学上級以上となっていますが,もっと上の年齢の人が読んだほうが共感できそうな気がします。
 「わすれないかぎり,いつかめぐりあえる。」余韻を残すラストシーンが素敵です。(01/08/24)

 

『水の精霊』   横山 充男

工事中です。

 

『少年たちの夏』   横山 充男

工事中です。

 

『少年の海』   横山 充男

工事中です。

 

『おれたちゃ映画少年団』   横山 充男

工事中です。

 

夏のてっぺん』   横山 充男

 夏休みは山じいちゃんと一緒に過ごすことになったゆうすけ。山は素敵なところだけれど,山じいちゃんと一緒に過ごすのは嫌だ。絶対逃げ出してやる!

 山じいちゃんは多くを語りません。だから,ゆうすけにしてみれば山じいちゃんは恐い存在です。
 しかも,山じいちゃんはゆうすけに山小屋の仕事を手伝わせます。ゆうすけにはこれが不満でなりません。「子どもなのになんでこんなに働かせるんだ!」と思うのです。
 けれど,山の自然に触れ,山じいちゃんの仕事ぶりを間近で見たり,お客さんの書いたノートを見たり,バイトのお兄さんの話を聞いたりしているうちに気持ちが揺れ動いてきます。迎えに来た父親を引き留め,この山を案内するとまで言い出したゆうすけ。いつしか,この山を,そして山にいる人々を素晴らしいと思うようになっていたのです。
 山の自然の描写が見事で,本当に自分もその山道を歩いているようなそんな気がしてきます。(05/01/23)

 

こぎだせ!ぼくらのカワセミ号』   横山 充男

 いつか,かっこよくカヤックをのりこなしてやる!カヤックに夢中になっている少年たちの物語。

 横山さんの作品に共通しているのは,読んでいるとその風景が目の前に浮かんでくるような感じがしてくることです。川の流れ,岸辺の様子が鮮やかに見え,さらに草,土,水の匂いまでしてくるように思えるのです。
 この作品も,キラキラと光る水面に浮かぶ瑠璃色のカワセミ号が颯爽と川を下っていく様子が思い浮かびました。
 誠,勇一,みくの父親たちの友情の証であるカヤック。それを自分たちで修理していく3人の友情。このお話を読んで「カヤックをやってみたい!」と思う子も出てくるのではないでしょうか。カヤックに限らず,アウトドア系のことをやってみたくなりそうです。
 横山作品の少年たちは,自然の中でいつでもキラキラ輝いている,そんな気がします。とても爽やかな読後感です。(05/01/10)

 

美輪神さまの秘密』   横山 充男

 神さまはいつだってぼくたちのまわりにいる。ぼくたちは神さまと共にいる。その存在を忘れちゃいけないんだ。

 美輪,ヤマト,大物主,大穴牟遲,大田田根子,という文字が出てきただけで,日本神話や奈良が好きなわたしは嬉しくなりました。
 種友は父の故郷である郷田に引っ越ししてきます。そこには,巫女ばあさんと呼ばれるおばあちゃんの妹がいました。種友は巫女ばあさんを苦手にしていますが,妹のみるくは「巫女ちゃん」と呼んで懐いています。みるくには小さい頃から人には見えないものが見えたり,聞こえたりしていました。
 横山さんの物語からは,いつでも豊かな自然の息づかいが聞こえてくるように思います。今回も,郷田の豊かな自然が目に浮かんでくるようです。日本には昔から豊かな自然があり,そこには八百万の神々がいたと信じられてきました。それを破壊してしまえば,神の住まう土地ではなくなり,豊かさは失われてしまいます。
 最近ファンタジー作品がたくさん発表されていますが,中身の薄いものが多いと感じていました。でも,この物語は地に足がついています。それは,神さまが別世界の存在ではなく,人間とともにある身近な存在として描かれているからかもしれません。
 ところで,神社にいる謎の美青年の名は葦原色許男といいます。この人の正体は…神話好きだと「もしかして!」と思うかもしれませんね。(07/01/05)

 

竜と舞姫』   吉橋 通夫

 「生まれは泥のなかのどじょうでも,いつか天翔る竜になってみせる。」それが少年の夢。
 「二つの国の友好を深めるための架け橋になりたい。」それが少女の夢。
 2人の夢は叶うのか。

 2人の主人公の物語と言ってよいと思います。1人は身分の低い少年小麻呂,もう1人は貴族である藤原清河の娘喜娘。身分は違っても,それぞれ夢を持ち,それに向かって進んでいきます。けれど,どちらにも障害が待ち受けています。
 小麻呂は遣唐使の一員として唐へ渡り,そこで藤原清河の娘である喜娘と出会います。小麻呂は13歳の少年でしたが,唐で勉強して出世するのだという夢を持っています。好奇心旺盛な少年という感じです。でも,結局日本へ帰り,典薬寮で一番下の身分で働き始めます。もくもくと仕事をするのですが,唐帰りということで先輩からは嫌がらせをされ,さらに謀反の疑いまでかけられむち打たれてしまいます。結局仕事はなくなり,出世の道は閉ざされるのですが,自分は泥に埋もれたどじょう,つまり庶民のために尽くすのだと,新たな道を見いだします。
 喜娘は唐の生まれですが,日本に帰国し,叔父の魚名のもとへ行きます。そこで,唐の人との通訳をしたこともあったのですが,皇太子の妻にされそうになり,小麻呂にかくまってもらって暮らすようになります。そこで,薬草を見つけて生活しているうちに,自分のできる架け橋は,小麻呂の手助けをし,薬草をたくさん作っていくことだと考えるようになります。
 初めに描いた夢とは異なるけれど,最後に2人の夢はぴたりと重なったのです。喜娘の凛とした姿,自分の思い通りに生きようとする姿がとても生き生きしています。小麻呂も,ただ単に出世に目がくらんでいるわけではなく,自分のすべきことを考えるようになっていて,その成長ぶりが見事です。(02/08/16)

 

ナルニア国ものがたり』(全7冊)   C・S・ルイス

 4人兄妹はある日,疎開先の家の衣装ダンスからナルニア国へと迷い込んだ。そこは,白い魔女が支配していて,クリスマスもやってこない,一年中冬が続いている世界だった。しかし,白い魔女は4人兄妹をなぜかおそれている。それは,ナルニアに伝わる言い伝えのためだった…。

 これも,7冊全部にタイトルが付いているのですが,「ナルニア国ものがたり」とまとめてよばれることが多くなっています。『ライオンと魔女』『カスピアン王子のつのぶえ』『朝びらき丸 東の海へ』『銀のいす』『馬と少年』『魔術師のおい』『さいごの戦い』の順に出版されました。このシリーズは,出版された順番と物語の中の年代がずれています。わたしは両方の読み方を試しましたが,出版順,年代順のどちらで読んでも楽しめました。でも,強いて言うなら,出版順に読む方がよいかと思います。読み進めるうちに,「あっ,そういうことだったんだ。」と発見する謎解きのような仕掛けがたくさんあり,より楽しめます。この本を読むにあたり唯一失敗したのは,「もっと小さいうちに読んでおくべきだった。」ということ。小学生のうちに読んだ方が,純粋にその世界を楽しめただろうにと少々後悔しました。 (98/08/15)

 

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ゲド戦記』(全6冊)   アーシュラ・K・ル=グウィン

 高慢な若者ゲドは,傲りから自らの分身である死の国の影を呼び出してしまう。その影との戦いは,場所,立場をかえて続き,ついに世界の果てまでたどり着いてしまう。もう一人の自分である影との戦いに決着はつくのか…。

 『影との戦い』『こわれた腕輪』『さいはての島へ』『帰還』の4冊からなります。上のあらすじは『影との戦い』についてです。
 翻訳者の表現が巧みで,すんなりとその世界に入れます。3冊で完結だと思っていたので,3冊目から18年後に4冊目が出たときには正直驚きました。最初,少年だった主人公ゲドは,成長し,大賢人となっていきます。一貫して登場するのはゲドですが,2冊目ではテナー,3冊目ではアレン,4冊目ではテハヌーが主人公といえる立場になっています。自分を見つめ,自分は何者であるのか考え,それを受け入れていく,その過程が圧巻です。 (98/08/15)
 もう続きはないと思っていたこのシリーズ。完結編である『アースシーの風』が出版されました。全5冊です。(03/08/17)
 外伝を入れて全6冊となりました。ざーっと読み返してみました。
 1巻から3巻まではやはり読み応えがあります。4巻目は,うーん,少々難しいなあと思うところもありました。 5巻目の「アースシーの風」は,もはやゲドの物語ではないのかもしれない。
 先ほど,ジブリの公式サイトを見てきました。 今,テレビの宣伝で流れている挿入歌の作曲は谷山浩子さんだったのですね。谷山さんのアルバム『ゆがんだ王国』に収録されている「王国」という曲は,2巻目の『こわれた腕輪』の迷宮をイメージして作られているのだそうです。さらに,主題歌の作詞作曲には新居昭乃さんが関わっています。「ぼくの地球を守って」でその名前を知っている方もいるかもしれません。遊佐未森さんと比べられることがありますが,あまり似ているとは思わないなあ…。
 映画化されるストーリーは,基本的には第3巻が元になっています。でも,テルー(テハヌー)が出てくるということで,4巻目も一部入っているというか,混ぜてしまったというか…。年齢的にも本来は合わないんだよね。それに,アレンの設定ってゲドの若い頃じゃないのかな…。
 と,いろいろ思うところはありますが,映画は映画,原作は原作と割り切って楽しめればいいかな♪
 公式サイトを見てきて,改めて宮崎作品にはル=グウィンの『ゲド戦記』が大きく影響しているということがよくわかりました。そして,映画の『ゲド戦記』には宮崎作品の『シュナの旅』が影響を与えていることも…。宮崎作品は『ゲド戦記』とどうしても重なる部分が出てくるのですね。(06/05/21)

 

はなはなみんみ物語』シリーズ   わたり むつこ

 「はなはな」と「みんみ」は双子の小人。双子と父さん,母さん,白ひげじいさんの5人で幸せに暮らしていました。でも,心配なできごとが起きてしまいました。くるみをわけてもらいに行った父さんが戻ってこないのです。

 ファンタジー作品なのですが,科学が発達し自然が破壊され,知識が増えたかわりに心がしぼみ,人間同士が用心深くなってしまった現在の社会に対する作者の「希望ある未来に進んでいきたい」という思いがこめられています。今から20年近く前に書かれた作品ですが,そんなに前に書かれたのかと意外に思うくらい今の世の中にあった内容です。第1巻の『はなはなみんみ物語』では,白ひげじいさんの姿が太平洋戦争の特攻隊員にだぶって見えました。あの戦争を生き抜いてきた人が「生きのびてしまった」と言っているのを何度か聞いたことがあります。でも,生きのびた人がいなかったら,わたしたちは存在しないのです。だから「生きのびてしまった」のではなく,次の世代を生かすために「生きぬいているのだ」とわたしは考えています。
 第2巻の『ゆらぎの詩の物語』と第3巻の『よみがえる魔法の物語』を読んでいてすぐに思い浮かんだのが宮崎駿さんの『未来少年コナン』と『風の谷のナウシカ』でした。高度な文明がもたらした繁栄と,大戦争による崩壊。「残された人々」が仲間をさがし,未来をつかむため旅立っていく。「未来に向かって生きなければならない」というメッセージは,わたりさんと宮崎さんに共通していると思います。(98/09/27)

  

わたしのママは大学生』   渡川 浩美

 わたしは塾なんて行きたくないのに,ママは私立に行けってうるさいの。ママはその学校に行きたかったのに,家庭の事情でいけなかったから,親が通わせたいって言ってくれるわたしはありがたいはずだってそう言うの。そんなの,親の勝手じゃない!

 大人と子どもでは全く違う感想を持つ作品ではないでしょうか。実際に乃梨ちゃんと同じような境遇にある子は,「そんなに塾に行かせたいなら,自分が行けばいいんだ。」と親に対して思うでしょう。そして,本当にそれを言ってのけた千奈美ちゃんに共感するでしょう。そして大人は?もしかして子どものためと言いながら,実は自分の夢を押しつけてはいないでしょうか。
 わたしは乃梨ちゃんのママの学歴を気にしすぎているところが気になりました。人間ってどの学校に行ったかでその価値が決まるのでしょうか。たとえ,一般的によく知られている有名校に入ったとしても,そこで学んだことがなければ意味はありません。大学を出ていなくても,素敵な人はたくさんいます。親子で読んで,語り合ってほしい本です。(01/02/18)

 

とまと・ふぁーむ』   渡川 浩美

 仲良しでいつでも一緒のめめと真由。真由はかわいくて勉強もできる子。めめは引っ込み思案で,常に受け身の姿勢でいる子。真由がめめに声をかけ,二人はとても仲良しになったけど,めめにとってこの状態は果たしてよいのだろうか。

 めめのように,なかなか自分から友達を見つけられずにいる子っていますよね。また,誰か特定の子とだけ仲良しになって,他の人とはまったく触れあわない子もいますよね。本人は悪気があるわけではないのでしょうけれど,他の人から見たら,「あの子は親友が1人いればいいんだよ。だから,私達は関わらなくていいんだよ。」と思われるかもしれません。
 また,めめのように,人に頼ってばかりで自分では何も考えず,行動しない子もいますよね。そして,友達と一緒じゃないと何もできない子…。
 この作品では,友達のありかたを考えさせられました。友達って何だろう?いつでも面倒を見てくれる人?困っていたら何でも手伝ってあげる人?わたしは違うと思います。友達というのは,お互いに成長を促しあえる存在だと思うのです。また,自分の良さや存在を認めてくれる相手であると思います。
 このお話では,めめと真由の他に,江島さんと土屋さんという女の子が登場します。江島さんは,めめに冷たく当たり,真由をめめから引き離します。土屋さんは,めめのよいところを次々と発見してくれます。自分の良さにめめはだんだんと気づき,自信を持てるようになります。他の人と接することで,めめの世界は広がり,友達も増えるのです。こんなふうにめめを成長させた土屋さんという存在がとてもいいなあと思いました。
 江島さんの場合は,転校してきて友達がいない不安や寂しさから,真由と仲良しになるため,めめを引き離したようです。彼女には彼女の事情があるのです。それまで,2人でいつもべったりくっついていた真由とめめは,転校してきた彼女の寂しさに気づけなかったのでしょうね。それだけ,2人の視野や世界は狭かったということだと思います。
 2人は離れることでお互いの世界が広がりました。でも,真由の方がまだ狭いかな。結局は江島さんといつも一緒になってしまったから。
 親友って,子どもたちにとっては憧れかもしれません。でも,いつもべったりが親友なのではありません。離れてもめめを見守ってくれている真由と,自分に自信を持てるようになっためめとだったら,本当の親友になれるんじゃないかなとラストシーンを読んでいてい思いました。
 つい先日,うちのクラスでは「友達とは」というテーマで1時間考えました。ぜひ,子どもたちに読ませたい作品です。(02/12/27)


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