呆冗記
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。

書き換えの功罪

 処女作にはその作家の総てがある。そうよく言われる。
 そこには一種異様なパワーが存在する。その想像力と妄想とそして、その人間性すらそこには現れる。
 そして、SFの黄金期は14才だとも言われる。私の場合はもう少し早かったが・・・。
 この2つが合わさったとき、人生を変えかねない化学反応が発生することもあるのだ。
 少なくともSはそうだったらしい。私はそうだった。
 私が中学生の時、『本屋に行って何か本を買わないと死んじゃうぞ』病の発作が発生し、高千穂遙氏と出会ったのだ。
 そう、1年半近く間が開いてしまったが、今回も宿題を片づけようと思う。

 『クラッシャージョウ』。
 日本最初のスペースオペラとして名高いこの作品は私の記憶に金色の象眼で刻まれている作品である。
 前回の高千穂遙うんぬんは実はもろ刃の剣だったのである。
 最初、ある秋の土曜日に、紀伊国屋書店で1巻だけ『本屋に行って何か本を買わないと死んじゃうぞ』病の対処療法として購入した『連帯惑星ピザンの危機』であったが、その面白さに感動し、翌日、なけなしの小遣いを握りしめ、当時出ていた全巻を購入した。
 そのまま昼飯も食わずに没頭。全巻を読み終わって気が付いたときには日はとっぷりと暮れていた。そして、さっきまで確かに読書していた部屋は、絶対に文字をみることがかなわぬ闇に満ちていたのだ。
 私は電気をつけることすら忘れ、読みふけっていたのである。
 後にも先にも、こんな経験は3回しかない。あとの一回は高校時代、ギャビン・ライアルの文庫本4冊を一気読みしたとき、そして三回目が大学に入ってから『銀河英雄伝説』を1〜5巻、一気に制覇したときである。
 そして、おそらく、すっかり視力の衰えた現状ではこんな荒技はまず無理だろう。いや、これほど熱中できる感情が私に残っているかも疑問だ。
 ともかくこの作品は面白かった。よくあるアウトローではない。自分たちの規範(これは一般人の規範とは異なる)を持っているクラッシャーという存在。主人公、ヒロイン、コミックメーカー、重鎮(じつはコミックメーカーも兼ねる)という少しずらした設定も単なるアメリカスペオペとの違いを感じる事が出来る。
 主人公達4人の中で、一番ステレオタイプなのは主人公のジョウであろう。偉大な父親を持つ熱血漢の優秀な若者。これは普通の主人公の範疇を出ていない。しかし、その後が無茶苦茶である。酒乱のヒロイン。黙っていれば太陽系国家ピザンのお姫様。白い肌、碧眼金髪の美少女なのだが、酒乱。酒乱である。しかも、ジョウのことになるとまわりが見えていない。
 こんなのありか? そう思ったことを今でもありありと想い出すことが出来る。
 で、コミックメーカーのリッキーだが、これが単なるトラブルメーカーのガキではない。元孤児のカッパライである彼が、実は一番人間の裏も表も知り抜いてしまっているのだ。そして、最年長のタロス。かれが、逆に少年の純情さを隠し持っているとすれば、この二人、趣味で喧嘩するのもわかる気がする。本当ならば、完全な重鎮としてガンビーノには長生きして欲しかったのだが、流石に5人という人数は多すぎたのか、1巻途中で退場されてしまった。

 良い時代だった。本当に良い時代だった。
 しかし、だんだんと予告通りに本は出ず、また色々なメディアで明らかになる高千穂遙氏の言動に同調できず、私は友人Sとは別の道を歩むことになるのだが、それはまた別の話であり、語る必要もない話だ。
 そして、今、目の前に改訂版が置かれている。
 確かに、旧作に比べ、読みやすい。アクションシーンも、演出も派手だ。しかし・・・。何かが失われてはいないだろうか。
 あの、中学校時代の思い出とともにあった、あの、少々読みにくいが作家、高千穂遙の熱気のようなものが、ここにはないような気がする。
 時代が変わった。私も変わった。それだけのことかも知れないのだが・・・。 

 「そうニャ。書き換えは問題ニャ。難しいニャ」
 おお、友人T。
 「ゲーム、『サディスティック・メディシン』が『靡きの果実』として、蘇ったニャ。確かにCGは良くなったニャ。でも、どうもKEN氏のシナリオはわかりやすくなったけれども、あの時の熱気が足りないような気がするニャ。僕が変わってしまったのかニャ。まったく上杉に同感だニャ」
 うーむ、そう言うところで同意されても困るのだが・・・。
(00,12,13)


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