1997/09/30[火]~10/05[日]
碓氷峠と在来線あさま号の最後を惜しみ、長野新幹線あさま号・しなの鉄道・宿毛線の開業を祝う旅
1999/05/04作成
1997年度に、作者は勤務先で「リフレッシュ休暇」という、5日間連続の休暇を取得する資格を得ました。これは何年か勤続するといただけるもので、とかく仕事などの都合でなかなか休暇を取得できない従業員を連続して休ませるという効果を狙ったものだと思われますが、作者の場合、この休暇を10/01を挟んだ09/29[月]から10/03[金]に取得することに決めました。それは、もちろん碓氷峠の最後を惜しむからにほかならないからです。
休暇を取得する前の週になって、いきなり上司が「なんでこんな時期に取得するのか?!」などと言い出しました。確かに、期末から期首にかけての時期で、またちょうど10/01から会社そのものの組織が変わるというタイミングもあり、上司としてはさらにその上に示しがつかないとでも思ったのでしょうか。しかし、実は実は期首に取得の予定を提出することになっており、しっかりとその上司の印も押して出してあったのです。このことを指摘したところ、さすがに何も言わなくなったものの、そのあと下期じゅう何だかんだと嫌みを受けることとなりました。
09/29[月]までは、いろいろと準備に入り、09/30[火]の朝方出発。まず四ッ谷へ向かいます。というのは、この日に営団地下鉄南北線の四ッ谷~溜池山王間、そして銀座線の溜池山王駅が開業したためで、碓氷峠に向かう前に初乗りしておきます。
そのあと、銀座線で上野駅へ。
このあと、09/30の行動は碓氷峠、そして在来線特急あさま最後の日をご覧ください。
次の10/01[水]の長野から高知・宿毛までの行動は、新幹線あさま、宿毛線開業そしてしなの鉄道発足の日をご覧ください。
10/02[木]は、
宿毛から中村まで、前日は真夜中だった新線区間を普通列車で堪能、中村駅からバスで足摺岬へ。
足摺岬バスターミナルです。足摺岬を巡ったあと、再び宿毛へ戻ります。
この日から宿毛駅に乗り入れることになった宇和島自動車です。このエアロクイーンはなんと中扉つきでした。このバスで宇和島まで。
その先は「宇和海」号で伊予大洲まで乗り、山線経由の普通列車で伊予市へ(半年前に内子経由で乗ったのであえて旧線経由で)。そこから伊予鉄で松山市駅へ。
松山市駅にて、元京王3000系の700系電車です。
このあとホテルにチェックインしたあと、またまた伊予鉄で横河原まで往復しておきました。
10/03[金]は、伊予鉄で高浜まで往復。
京王・元1000系?の800系電車です。
伊予鉄オリジナルの600系電車です。
伊予鉄本社前のSLです。
松山市駅バスターミナルで見かけた、日野RCです。
今度に市内線を乗ります。市内電車の51号と71号電車です。
道後温泉にも行きました。
市内線を乗ったのちに、JRバスなんごく号で高知へ。
なんごく号が途中休憩するうちの1ヶ所、久万高原駅です。
土佐電と併走するなんごく号です。
このあたりでは互角に走るのですが、高知市内に入ると渋滞が始まり、電車のほうがすいすいと走っていきます。
ホテルにチェックインしたあと、JRで後免まで行き、徒歩で後免町へ。土佐電ではりまや橋まで乗って戻りました。あの「はりまや橋」は、このときちょうど工事中で欄干さえもない状態でした。
10/04[土]は、
土佐電で桟橋通終点まで往復、あの7号単車(竜馬号でしたっけ?)も走っていました。
そのあと、伊野まで往復したのですが、復路はちょうど車庫行きで、はりまや橋交差点で運転士が手動でポイントを変えて渡り線を通るという、珍しい場面にも遭遇しました。
その後、南風号で琴平へ。
琴電の最新鋭車・元京王3000系の1100型電車です。塗装も従来の車両とは変わっています。これに乗って瓦町まで行きました。
瓦町駅で見かけた、古豪の510号車です。
お~、懐かしの元京急1000系電車です。残念ながら今回は乗車できませんでした。
ここからまず長尾へ往復します。ここでは、これもまた懐かしの、元京急230系の20型電車と出会います。残念ながら、ずいぶんとガタが来ているようで、窓の開け閉めも満足にできない有様でした。
途中で、これまた古豪の130号電車と出会いました。
次に志度まで往復しましたが、同じ瓦町駅でも志度線ホームは琴平線・長尾線とは切り離されてしまっており、直通することはできなくなってしまっていました。突発で車両不足が生じたときには、いったいどうするんでしょう???
この旅の締めくくりは、寝台特急瀬戸号・東京行です。当時はまだJR四国本社が健在で、高松駅も前の位置でした。
列車は順調に走り、東京まで乗車し、朝に帰宅しました。
いずれは文書と写真を増やそうと思っています。