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1999/04/04[日]

新潟交通電車線最後の日

1999/06/25作成
1999/07/15完成
1999/08/14修正
※1999/04/01~04/05全体の旅行記と
局めぐ記へのリンクを設定


1999/04/04[日]は、新潟交通電車線の最後の日となりました。大概ならば年度末を以て営業を終了するところですが、訪問者の便を図って週末までの営業となったとのことです。

私は満を持して、期のスタートにもかかわらず金曜日と月曜日に休暇を取って、北陸から廻って土曜日の夜に新潟に入りました。
旅行記の全体はこちらを、1999/04/02の局めぐ記はこちらをごらんください。

1999/04/04[日]は朝から東関屋へ行き、新潟交通電車線三昧の一日がスタートします。

新潟交通 東関屋駅東関屋駅は、すでに混雑しています。電車はすべて2両編成になっているようです。
新潟交通 月潟駅そのまま月潟駅まで向かいます。かつては、この先燕まで伸びていましたが廃止されてしまい、この駅の交換設備も撤去されてしまいました。
このあと、お別れの式が行われるとのことで、1本電車を見送ることにしました。
新潟交通 月潟駅 お別れ式直前11時過ぎに次の列車が月潟駅に到着しました。ホームには小学生たちが上がってきています。廻りには式を見守る人たちが集まります。
いよいよ、お別れ式が始まります
月潟駅 お別れ式(1)感謝の作文の朗読が始まりました。
月潟駅 お別れ式(2)続いて、運転士さんへ花束の贈呈が行われました。
月潟駅 お別れ式(3)月潟駅 お別れ式(4)月潟駅 お別れ式(5)余談ですが、このシーンを逆方向から撮影していた某鉄道雑誌に、私が映っていたようです(^_^;)。
月潟駅月潟駅の外ではテントが張られ、多くの人でごった返していました。
このあとは、有人駅での下車を繰り返していきます。
白根駅白根駅ホームの駅名標と凧白根駅です。
ホームには、凧が飾られていました。

味方駅駅舎内味方駅味方駅です。駅前に郵便局があります。
駅から近いところに、笹川邸/曽我・平澤記念館というのがあり、電車線に関する展示があったようなのですが、入場料が必要だったのが癪で入りませんでした。

焼鮒駅駅舎内焼鮒駅焼鮒駅です。黒埼町の北部にあります
それにしても、鮒を焼くとは妙な地名(字名?)、駅名ですよね。焼いて食べちゃうんでしょうか(^_^;)。

木場駅駅舎内木場駅木場駅です。黒埼町の南部にあります
駅前には、すでに翌日から運転開始となる代替バスの停留所が設置されていました(従来バス路線は設定されていなかった)。
木場~新大野駅間ちょうど列車の間隔が開いたので、新大野駅へ向かって歩くことにしました。
この付近は、中ノ口川に沿って走ります。
ちょうど、月潟行きの電車が来たので撮りました(後追い撮影です)。

新大野駅新大野駅です。黒埼町のほぼ中心部にあり、町役場は隣の黒崎中学前駅との中間にあります。
駅の前で子供たちが縄跳びをして遊んでいました。

東関屋駅東関屋駅です。
ここで一旦ホテルへ戻り、購入した記念の品物などを置いて、再度出直しました。

黄昏迫る東関屋駅再び東関屋駅です。
黄昏が迫ってきています。再び日が昇ったとき、もう電車に乗ることはできないのです。
改めて月潟駅まで乗り、白根駅へ戻りました。
白根駅近くで見かけた「電車くんありがとう」の垂れ幕白根駅近くで見かけた、電車くんありがとうという垂れ幕です。
ここで、中ノ口川を渡って、本当の白根市へ行きましたが、ほとんど開いている店もありませんでした。
白根駅での月潟行き最終電車白根駅へ戻り、月潟行き最終電車を迎えます。
幸い、乗車できそうだったので、白根~月潟間の最終乗車をすることにします。発車予定時刻は21:33でしたが、10分以上遅れていました。
月潟駅最終電車東関屋行き発車直前月潟駅では、ホームに沢山の人たちが出迎えていました。やむなく、電車を出るのをあきらめてそのまま東関屋行き最終電車であとにすることにしました。ここも、発車予定時刻の21:50を8分遅れての発車となりました。
発車間際、万歳三唱のような歓声が上がりました。白根までの途中駅でも、何駅か上がったような記憶があります。
白根駅行きの最終電車が到着再び白根駅へ戻り、今度は白根発東関屋行きの臨時電車、すなわち電車線最後の営業列車に乗ろうと決めて降りました。
すると、反対側のホームに21号車がたった1両で停車しています。最終列車は1両か?! と思ったら、東関屋から来た電車に増結するための車両であることがわかりました。すなわち、最終列車は3両編成になりました。
東関屋行き臨時列車の発車予定時刻は22:30でしたが、その時刻になってようやく東関屋からの最終列車が到着したところでした。
白根駅での東関屋行き最終電車を取り囲む人たち乗客を降ろすと入れ換えに入り、月潟側に連結され、46+18+21 の3両編成となりました。この東関屋行き最終電車にたくさんの人が群がります。
この騒ぎの中で、なんと信号柱によじ登る馬鹿者変な幟を振り回す馬鹿者がいて、全くもって雰囲気ぶちこわしでした。
結局、12分遅れの22:42に白根を発車しました。
東関屋駅へ到着した最終営業電車この列車は途中で更に遅れを増し、東関屋へ到着したのは19分遅れの23時22分でした。
余談ですが、先頭車両にTeNY(テレビ新潟)の堀アナが乗って取材していたようですが、この遅れのためかどうかその日のニュースには間に合わなかったようです。この堀アナ、新潟に戻ってくる前は東京で司会業をしていたをご存じの方も多いと思います。
そういえば、この列車に乗ってからMLながらに乗ろうと考えていた人もいたようですが、はたして間に合ったのでしょうか?
最後を惜しむ人たちであふれる東関屋駅ホームホームでは、最後を惜しむ人たちが名残惜しそうにとどまっています。
もう動くことのない発車案内板改札口の上にある発車案内板も、もう次の発車案内を出すこともありません
改札の外にも、たくさんの人が残っています。
バスターミナルには、これもまた最後となる6A・新潟駅行きのバスが数両待っていましたが、乗客がなかなか乗ってこないので発車できず、最初の1両がようやく発車したのは23:40のことでした。

こうして、新潟交通電車線は66年の歴史に幕を下ろしました。

ありがとう! 電車くん!!

次の日の東関屋駅や月潟駅の様子はこちら、その局めぐ記はこちらをご覧ください。


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