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1999/04/01[木]~04/05[月]

北陸・オフライン局めぐから新潟交通電車線の最後を看取る旅

1999/08/13作成
※1999/04/03分まで
1999/08/14追加
※後半部分を作成して完成
2000/01/04追加
※東関屋駅の画像を追加

1999/04/04[日]は、新潟交通電車線の最後の日となりました。大概ならば年度末を以て営業を終了するところですが、訪問者の便を図って週末までの営業となったとのことです。

私は満を持して、期のスタートにもかかわらず金曜日と月曜日に休暇を取って、まず北陸から廻って貯金オフライン局を巡ったあと、新潟交通電車線の最期を看取り、翌日は電車線近辺の局めぐを行なうことにします。

1999/04/01[木]は会社を定時きっちりに出て東京駅へ向かい、米原乗り換えで小松へ向かいます。
米原で乗り換えたしらさぎ号で、久々に鉄道唱歌のオルゴールの音を聞きました。
小松へ宿泊したのは、翌日の局めぐに備えてのものです。

1999/04/02[金]は、朝からレンタカーを借りて局めぐを行ないましたが、ホテルから小松駅まで向かう途中で、尾小屋鉄道の跡を見つけました。
尾小屋鉄道・新小松駅跡?尾小屋鉄道・新小松駅の跡あたりです。現在は、代替バスを走らせている小松バスの案内所があります。
この先の道は、かつて鉄道があったことを偲ばせるような左カーブを描いています。

この日の局めぐ記は、こちらをご覧ください。

旧北陸鉄道能登線・三明駅跡局めぐの終わりのほうで、北陸鉄道能登線の終着駅だった三明駅跡を通りました。現在は、バスターミナルとして使われているようですが、ここを発着するバスはあまりないようです(ほとんどが国道側の停留所に停まる)。

七尾で局めぐを終わったあと、七尾線で津幡まで、津幡から北陸線下り電車で高岡へ。
すでに日は暮れていましたが、氷見線を往復してから富山へ。
ホテルへチェックイン後、富山港線の最終電車で往復、乗りつぶしを進めました。

1999/04/03[土]は、未だ全く乗っていない富山地鉄の鉄道線の一部に乗ることにします。

まず、立山線で立山へ向かいますが、本線の寺田までは比較的市街地に近いところを走るのに、その先はいきなり人口密度が低下します。結局、立山まで乗ったのは私一人でした。
立山から折り返し、岩峅寺(いわくらでら)から上滝線経由で富山へ戻ります。。
富山地鉄・元京阪3000系テレビカー@岩峅寺岩峅寺駅に停車中の、上滝線経由富山行です。元京阪3000系テレビカーで、この車両はオリジナルの塗装です。

富山駅へ戻ったあと、今度は市内線に乗車することにします。既乗ですが、新型電車にはまだ乗ったことがありません。
富山地鉄市内線・広告電車市内線の広告電車です。
まずは、大学前へ向かうことにしました。
富山地鉄市内線・大学前終点市内線の終点大学前停留所です。
乗った車両は、オリジナル塗装でした。
富山地鉄市内線・新型車両富山地鉄市内線の新型車両です。何とも残念なことに、今回は乗車することができませんでした。
白鳥号@富山駅青森行・白鳥号です。今回は、柏崎まで乗車します。いつかは全線を乗り通してみたいものです。

柏崎から越後線で吉田へ。吉田から東三条→吉田→弥彦と乗車し、弥彦線を乗り潰します。
弥彦線・弥彦駅弥彦線・弥彦駅です。何十年も前から、女性の観光駅長が着任しています。この日も執務中でした。
再び吉田へ戻り、越後線の東半分の大半、関屋まで乗ります。
関屋で降りて、最終日前日の新潟交通電車線・東関屋駅の様子を見に行きました。夜とはいえ、かなりの人出でした。そのあと、新潟駅へ向かい、ホテルに入りました。

次の日、1999/04/04[日]はついに新潟交通電車線の最終日、深夜まで電車線を見守ることにします。この日の行動は、こちらをごらんください。

1999/04/05[月]は、電車線沿線の局めぐをしつつ、電車線本当の最終電車・月潟にて保存される電車の回送列車の出発を見守ります。
新潟交通電車線・ホントの最終電車:月潟行保存電車回送列車東関屋駅発車(1)
新潟交通電車線・ホントの最終電車:月潟行保存電車回送列車東関屋駅発車(2)朝8時半、除雪車+荷物電車の2両編成が月潟へ向けて出発します。
新潟交通電車線・ホントの最終電車:月潟行保存電車回送列車東関屋駅発車(3)
新潟交通電車線・ホントの最終電車:月潟行保存電車回送列車東関屋駅発車(4)駅構内では、前日とはうって変わって見守るファンの姿もまばらでした。
この15分あと、モハ11号が後を追うように出発し、白根で連結して1本になって月潟へ向かいました。

こちらは、局めぐをしつつ月潟駅へ向かいます。
月潟の保存電車(1)
月潟の保存電車(2)月潟駅には、すでに保存電車が到着していました。パンタグラフも下げられ、もう動くことはありません。
このあと、以前に廃線になった六分駅方向へ向かいます(旧駅前に六分簡易局がある)。
旧六分駅近くの踏切跡その途中で、線路が剥がされてから何年も経つのに、未だに踏切の標識が残っているところがありました。

再び新潟市内へ戻り、構内が公開されていた東関屋駅へ向かいます。
東関屋駅構内(1)もう電車が行き交うこともない東関屋駅構内を眺めます。
東関屋駅構内(6)元小田急の2200系電車は、すでに車検が切れており、今回のサヨナラ運転には全く入ることはありませんでした。
東関屋駅構内(2)
東関屋駅構内(3)「さようなら」のヘッドマークを掲げて走った車両も、もうお客を乗せて走ることもないでしょう。
東関屋駅構内(4)
東関屋駅構内(5)検車庫の中を覗いてみました。
大昔の車両が、倉庫代わりに使われていました。これもいつまで残るのでしょうか。
東関屋駅構内(7)なぜか眼帯をしたような車両がいました。正面のガラスが割れてしまったのでしょうか。これも、修復されることはないでしょう。
東関屋駅構内(8)構内には、旧白山前駅の建物の一部が、保存というよりは放置という形で置かれていました。
これで東関屋駅に別れを告げ、局めぐの残りをしたあと新潟駅へ戻り、上越新幹線で東京へ戻りました。


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