東京物欲物欲日録

1999年1月〜4月


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1月某日 新橋演舞場にて「天涯の花」。松たか子を見る。すごくかわいい。
1月某日 渋谷の某熊本ラーメン店にて、海砂利水魚のA氏のほうが背後にいた。
1月某日 高崎市美術館にてポール・デルヴォーPaul Delvaux展を観る。
1月某日 今日で店じまいの東急日本橋店に行く。すでに買えるものなし。はじめて築地本願寺に行く。本堂は改修工事のための足場に覆われて、よく見えず。
2月某日 夜、東レ・パンパシフィック・オープンを見に千駄ヶ谷東京体育館に行く。ヒンギス・ダベンポート・セレシュ・クルニコワ・ノボトナ・ズベレワなどのプレイを見る。とくにダベンポートのパワーに感嘆。帰途偶然河出書房新社の前を通る。「これがあの…」と大感激。
2月某日 歌舞伎座にて「雪暮夜入谷畦道」(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)を見る。仁左衛門は初めて、玉三郎は二度目。この二人のおかげか、大入りなり。外に出て晴海通を勝鬨橋まで歩く。右手に築地市場。勝鬨橋から佃大橋まで隅田川沿いを歩く。途中に聖路加病院。とても綺麗なところ。隣の聖路加タワーに入り、47階の展望室に登る。自分が高所恐怖症であることを忘れていた。恐くて窓際まで行けず。しかし眺望は絶好。足下の月島・佃島・石川島はもちろん、遙か向うの房総半島も見える。
帰途立ち寄った某書店にて、『リング』鈴木光司氏のサイン会に際会。鈴木光司氏を見るだけにする。
2月某日 テレビ朝日「驚きももの木20世紀」で寺山修司の特集。寺山がはなつ言葉の喚起力に引き寄せられ、強烈に寺山を読み返したくなる気が起こるも、まだ段ボール箱の中。果たせず。テレビで寺山の特集を見ると、いつもこうなる。
2月某日 「おそれ入谷の…」鬼子母神(眞源寺内)に行く。先日見た「雪暮夜入谷畦道」の影響がないといったら嘘になる。意外に小ぢんまりした空間。入谷から浅草まで歩く。言問橋から隅田川。
2月某日 Mr.ChildrenのNew Album『DISCOVERY』、SpitzのMini Album『99ep』を購入。スピッツはともかく、ミスチルと、あとサザンは体力のあるうちにライブを見ておきたいアーティスト。
地下鉄の某駅にて、テレビ東京「開運なんでも鑑定団」で掛軸等の鑑定をしているI氏を見かける。
2月某日 妻のバレンタインチョコ選びのお供で銀座三越。ここにもようやく慣れてきたと思って安心していたら、チョコ選びの女性たちの迫力に圧倒されて息苦しくなる。
「よし田」でコロッケそばを食す。私にとって「よし田」といえば何よりも吉田健一の文章なのだ。短編「酒宴」にも登場するこの店は、エッセイ「銀座界隈」(『乞食王子』所収)では、「これこそ、何といふことはない蕎麦屋であつて、ただ昔からあり、今から二十年も前にこの店に始めて入つた時から、店の内部も少しも変つてゐない。今度の戦争で銀座のこの部分は焼けなかつたといふこともあるが、幾らでも当世風の構へに改築する機会があつたのに、それをしなかつたのは、この店がそれだけ客の気分を大事にしてくれてゐる証拠に違ひない」とあるが、いまもおそらくこの文章が書かれた当時の風情を残しているのではあるまいか。
歌舞伎座にて「近江源氏先陣館 盛綱陣屋」を見る。吉右衛門の佐々木盛綱。
2月某日 新横浜ラーメン博物館に行く。めったに行く機会がないと思うと欲張って二軒をハシゴ。和歌山の井出商店と札幌の純連。井出商店は五月末までの期間限定出店のうえにいま話題だからか、1時間ちょっと並ぶ。純連は45分ほど。自分がこんなに忍耐強いとは思わなかった。味は、個人的には井出商店のとんこつしょう油が好み。山形弁で「腹くっつい」状態。
帰途、原宿から青山まで歩く。同潤会青山アパートを見る。
2月某日 夕食の買い出しのため、初めてまで足をのばす。柏と言えばレイソルだが、いまはSomething Elseがそこから出発したことを想う。
2月某日 大学時代の同級生と新橋にて飲む。さすがサラリーマン天国=B居心地のよさを感じる。
アルコールまじりの吐息が充満する帰りの電車のなかで、安吾の「紫大納言」を熱心に読む若い女性を見かける。わけもなく感動。
2月某日 歌舞伎座にて「相生獅子」「将軍江戸を去る」を見る。二演目で800円は安い。後者の将軍とは徳川慶喜で團十郎。勘九郎の山岡鉄太郎。勘九郎ははじめて見る。
深川不動尊・富岡八幡宮に行く。浅草や柴又にはおよばぬものの深川不動の参道にも祝祭空間の雰囲気。富岡八幡には横綱力士碑。まだまだしこ名を書き込むスペースがある。富岡八幡の東隣に移設された「弾正橋」を渡る。国産第一号の鉄橋、重要文化財。塗り替えられたペンキが新しすぎ。
永代橋にて隅田川を渡る。高層マンションが林立し、近代的な中央大橋の架かる下流方向の眺めが面白い。
2月某日 銀座。このごろ銀座に行くと決まって木村屋に立ち寄り、そこの「あんバター」を買う。丸いフランスパンに小倉餡とバタークリームが入ったもの。
歌舞伎座に行き、三月大歌舞伎夜の部の前売チケットを買う。実は前売を買うのは初めて。なぜかというと、「本朝廿四孝」で雀右衛門が「一世一代にて相勤候」(今回が見納め演じ納めの意)という八重垣姫を演じ、歌舞伎座で初の玉三郎「天守物語」(鏡花作)がかかるゆえ。
宝町のラーメン店「小法師」にて焼豚ラーメンを食す。ここは喜多方ラーメン坂内食堂の姉妹店。坂内自体の支店は都内に数カ所あるようだが行ったことはない。テレビや雑誌の坂内ラーメンを見るかぎり、小法師のラーメンと同じ。あっさりして飽きないスープと太いちぢれ麺、とろけるチャーシューが滅法美味く(焼豚ラーメンはそれが器を覆うくらいのってくる)、今まで食した東京のラーメンのなかでも一番、というのが妻と一致した見解。
2月某日 仕事の帰り道、職場のある本郷から谷中を突っきり、日暮里まで歩く。本郷台地から根津の谷にいったん下り、上野の山にふたたび登るかたち。谷中墓地のあたりは、東京の町中から隔絶した空間という印象。でも暗くなりかけていてちょっと恐い。
2月某日 今朝はいつもより早めに家を出て、前と逆のコースをとる。つまり日暮里で下車して徒歩で谷中墓地を突っきり、本郷に向かうルート。徒歩で30分足らず。脂肪を燃焼させるにはちょうどいい。明るかっただけに、帰り道でよく確認できなかったものも見ることができた。雲井龍雄や高橋お伝のお墓など。道の両側は桜並木。きっと四月は美しいに違いない。四月の再訪を期す。
2月某日 都電東池袋四丁目にて下車、一路護国寺を目指す。途中右手に雑司ヶ谷墓地があったので寄り道。夏目漱石・鏡子夫妻のお墓に詣づ。先日お亡くなりになった子息純一氏もここに入るのだろうか。あとから荷風・鏡花のお墓もあったと知る。手遅れ。また行こう。
護国寺に裏側から入る。山県有朋・大隈重信・三条実美・池田成彬・盛岡南部家等のお墓。壮観。結果的にしろ、街の真ん真ん中にこうした巨大な寺院が何気なくあるということを目の当たりにして、つくづく東京という都市の懐の深さを感じる。
有楽町線にて池袋に出て、立教大学周辺の江戸川乱歩邸を探す。先日TBS「世界ふしぎ発見」で乱歩を取り上げたのを見て、乱歩邸を訪れようと思い立った。要町駅を出て立教大学のほうに歩いていたら、ランドマークとして目当てにしていた蔵(乱歩の頭脳)があっさりと目に入った。立教大構内に取り込まれている感じ。表札にはまだ「平井太郎」(乱歩の本名)の名が。感動。正門から見る昭和初年に建てられた立教大の建物もいい。
2月某日 浅草から水上バスにて隅田川を下り、日の出桟橋まで。隅田川の各橋を下から見る。今度は逆から行ってみよう。
日の出から“ゆりかもめ”に乗ってお台場へ。まずは何といってもフジテレビ。すごい建物だ。テレビ局が観光スポットとは。もちろん球体展望室にも行く。残念ながら芸能人には会えず。
お台場海浜公園。「ここがラブジェネで松たか子が指輪をなくしたところか」などと思いつつ散策。人工とはいえ、砂浜の向こうに台場、その向こうにレインボーブリッジ。東京に来た…と実感。
3月某日 神宮打撃練習場に行く。日も長くなり、3/1から営業時間が20:30までとなって、仕事帰りでも行くことができるようになったため。2回分(40球)打ち込んだ。右サイドスローとサウスポー1回ずつ。サイドスローのほうが体が開かず、センター中心に打ち返すことができる。
が、我が腕力握力の低下に愕然とす。たった2回でフラフラになるとは。電車賃を\500あまりもかけながら、情けない。
3月某日 ぶぶか@高田馬場で油ラーメン。高田馬場から早稲田の古書店めぐりに出発。はじめて早稲田の古書店街に足を踏み入れた。一店一店は狭いものの、いい本を置いている店が多いという印象。しばし時を忘れて探索。超掘出物(詳細は“品切れ文庫本の世界”参照)を含む文庫本六冊を購入。
早稲田から神田川沿いを江戸川橋まで散策。ここも桜の時期はよさそうだ。左手の向こう岸に山県有朋別荘跡椿山荘の木々。いまはフォーシーズンズホテルがそびえ立っている。
歌舞伎座にて「本朝廿四孝」「大森彦七」「天守物語」を見る。「本朝廿四孝」は雀右衛門の八重垣姫、菊五郎の武田勝頼、羽左衛門の長尾謙信。團十郎・幸四郎もちょい役で出演と豪華顔ぶれ。「大森彦七」で、やはり幸四郎もいいと思う。最近吉右衛門のほうに好みが傾いていたが、あらためてこの兄弟はいいと再認。鏡花「天守物語」の感想は“Pre-review of Books”にて。
3月某日 東武伊勢崎線東向島駅で下車、向島百花園に行く。入園料\150。入り口を入ると「今日咲いている花」の木札がさがっている。まだ百花繚乱とはいかないが、それら花々木々の香りがリラックスさせてくれる。仙台にいるときはもっぱら車で移動していたため、こうした香りを忘れかけていた。
百花園を出て、白髭橋に向かう。途中に白髭神社。白髭橋を渡ったことで、隅田川に架かる主要な橋はほぼ渡るかくぐるかした。
白髭橋から南千住まで歩く。南千住駅の手前、線路端に小塚原刑場跡。また、小塚原回向院。吉田松陰・橋本左内等のお墓、杉田玄白らの解剖の碑。
3月某日 仕事の帰り、渋谷パルコに立ち寄る。「寺山修司◎映像詩展」という寺山映画の上映をやっており(跡上さん情報ありがとうございます)、今回は遺作「さらば箱舟」を観る。老若男女で満席。若・女が割合としては一番多いか。意外に老・男の人も多い。世代を問わず訴えかける何かがあるのだろう。
3月某日 宇多田ヒカルのファースト・アルバム“First LOVE”を購入する。
3月某日 ふたたび渋谷パルコ。三回券を買ったからには、行かないわけにはゆかない。上映開始30分前に行くと、すでに大行列が。フィルムの状態が悪く、今回が最後の上映となるという「草迷宮」(他3本)人気のゆえか。立見で腰が痛い。
続いて次の「実験映画2」(短編6本)も見る。各回完全入替制のため、いったん会場を出ると、すでに階段には大行列。かろうじて座ることができた。先日にまして若い女性の占める割合が高いようだ。永遠の前衛℃寰Rだろうと何だろうと軽々と呑み込んでしまう東京渋谷という街のスケールの大きさを感じる。今日見たなかではやはり「草迷宮」がいい。若い三上博史。
パルコに向かう電車のなかで、久方ぶりに寺山の本(『地平線のパロール』)を読む。警句にあふれた表現のなかでも、心にひっかかったフレーズが。「雨あがりのホテルの庭で、ふいに私は平凡なセカンド・フライを発見した」
3月某日 仕事の帰り、神宮打撃練習場に行く。が、何と機械整備のため休み。せっかく行ったので、千駄ヶ谷まで出て、ホープ軒にてチャーシューメンを食べて帰る。
3月某日 仕事の帰り、四月に新しく加わる予定の家族のための買物で外に出た妻と銀座で待ち合わせ。有楽町マリオンの前の路上で、都知事候補の柿沢弘治氏がにこやかに手を振っていた。小心者なので握手はできず。
煉瓦亭にて食事。
3月某日 歌舞伎座にて「ひらかな盛衰記 逆櫓」を見る。幸四郎がまたもやいい。脇でいつも左團次が支えている。
その後国立代々木第一体育館春高バレー観戦。母校山形南の一回戦の応援。最初は遠くから見守っていようと思って、離れて見ているつもりが、後輩たちの変わらぬ異装応援スタイルを見ていて矢も楯もたまらなくなり、応援団が陣取るブロックの後ろに移動し、立見。しかし、校歌や応援歌「空はコバルト」を耳にして、ふたたび矢も楯もたまらなくなり、応援団のなかに紛れ込んで手をたたく。高校時代が蘇る。
試合はもちろん2−0で勝ち。中学の頃バレーをやっていて、その勢いで入部したものの根性なしゆえ数日で辞めた私。ひさしぶりにバレーボールの試合を生で見た。勝ったし大満足。
春高バレーのゲストで来ていたトニセンの三人を見る。バレーそっちのけの女の子たち。
3月某日 千駄木から団子坂をのぼって駒込へ。南谷寺。というより、目赤不動尊で有名なお寺。目黒・目白という地名の由来はもとより、目赤・目黄・目青も加えて江戸五色不動があるということは、中井英夫の名作ミステリー『虚無への供物』ではじめて知った。時間をかけて五つを廻りたい。
次は本郷通をはさんではす向かいにある吉祥寺。かなり広い空間。プラネタリウムのような形状をしたお墓が目についた。見ると、鴎外の前妻赤松登志子が眠る赤松家のお墓なり。その他二宮尊徳のお墓も。
駒込名主屋敷天祖神社をとおり、富士神社へ。駒込富士≠ニいう小高い築山?を登る。
六義園は一度来たことがあるので横目でとおりすぎ、山手線駒込駅も過ぎて、太田道灌ゆかりの妙義神社に。さらに歩を休めず染井墓地に入る。
彼岸ゆえお墓参りの人が多い。ここが発祥地のソメイヨシノはようやく花が開くか開かないかという状態。めざすは宮武外骨芥川のお墓であったが、入り口にあった著名人のお墓の案内図には二人ともない。いったいどうしたことだ。とりあえず案内図で見つけた三上参次氏のお墓にお参りする。私の職場がまだ「文科大学史料編纂掛」と称していた頃の主任。大先生。
せっかく来たので、持参した地図をたよりに宮武外骨のお墓を探す。かなり苦労したすえ、探し当てた。まわりのお墓にくらべ、こじんまりした小さなお墓。いっぽう芥川のお墓を見つけることができなかった。
染井墓地を出て巣鴨まで歩き、そこから都電に乗って町屋まで。町屋では前野重雄氏のお店“流体力学”を見つける。小心者なので入れず。
町屋から京成電鉄に乗って堀切菖蒲園まで。堀切においしいラーメン屋があるということだったが、行った時間は残念ながら閉店中。がっくり。
ただ、思いがけず、堀切菖蒲園駅の近くに、青木書店という素晴らしく良質の本ばかりを取り揃えている古書店を見つけた。文庫では中公文庫の在庫量がすごい。また、至文堂の“日本歴史新書”シリーズも豊富。古書好きは必見。
今日の踏破コースの大半は、最近愛読している昭文社『どこでもアウトドア 東京山手・下町散歩』に載っている散歩コースをなぞったものである。全115コースものバラエティに富んだ散歩コースが紹介されている楽しい地図帳だ。この地図に目を通していると時間を忘れる。
3月某日 谷中墓地を通り通勤。桜はつぼみがちょっと開きかけたところ。もう少しだ。
仕事帰り、京成上野から堀切菖蒲園に再訪。われながら執念深い。ラーメン二郎堀切店でラーメンを食す。脂が多いが美味い。今度は脂少なめでいこう。食べた分の脂を燃焼するため自宅まで歩いて帰る。そういえば上野で咲いていた桜があった。花見の雰囲気がそろそろ。
3月某日 仕事帰りに神宮打撃練習場。今日は開いている。相変わらずの腕力だが、前回よりは会心の当たりが多かった。徐々に勘を取り戻そう。
3月某日 谷中墓地。一時の寒さを脱して暖かさが戻ったおかげで、つぼみがほころびはじめた。桜色の回廊になりつつある。
Spitzのニュー・アルバム“花鳥風月”を購う。鈴木あみのファースト・アルバムのほうは本の買いすぎにより、泣く泣く見送り。小室プロデュースのアーティストは、ファースト・アルバムまではいいと思うのだが。TRFも華原もglobeも。Tohkoはまだ買っていないが、デビューシングルはかなり好きだ。
3月某日 POYの首都圏オフ会に参加するため神楽坂へ。芋煮と玉コンと、十四代というとびきりおいしいお酒。山形の人達との愉しいひとときであった。
3月某日 浅草。三分〜五分咲きの墨堤。花見で賑わうなか、言問橋・吾妻橋・駒形橋の三橋を歩く。
3月某日 仕事帰り、日没前でまだ明るかったので谷中を通って帰る。霊園のなかにもかかわらず花見で賑わいつつあった。場所の性質に桜の美しさが勝った、ということか。
4月某日 通勤で谷中を通る。このごろ行きか帰りか、必ず谷中を通るようになってしまった。好きなルートは、日暮里⇔谷中墓地⇔三浦坂⇔根津⇔本郷、というルート。三浦坂とは、森まゆみさんによると、大名の三浦氏の屋敷があったことが名称の由来だそうだ。「雰囲気のいい坂」「かなり急な坂で、いまだに薄暗い」と森さんはいうが、まさにそんな感じで、私も好きな道。
4月某日 ラー博井出商店で和歌山ラーメンを食べて以来、和歌山ラーメンが気になって仕方ない。そこで今日は、東京でうまい和歌山ラーメンを出す店として評判の「のりや」@大井町に行く。やはりうまい。
大井町に行く京浜東北線の車中、これが大船まで行くことを考えているうちに無性に鎌倉に行きたくなる。食後それを実行にうつす。東京に住むようになってから初めての鎌倉。
駅を出てふつうは若宮大路を左手に進み鶴岡八幡宮に向かうが、今日は段葛の美しい桜並木に目もくれず、右手すなわち南の由比ヶ浜に向かう。鎌倉の海。強い海風がはこぶ砂ぼこりで口のなかがジャリジャリする。ぼんやり眺めているうちに、体のなか頭のなかの余計なものがクリアされたかのようにスッキリした。来てよかった。
4月某日 門前仲町→深川不動尊を経て、清澄庭園。入園料\150。思った以上に池が広い。
清洲橋から、小名木川に架かる萬年橋を渡り、新大橋、さらに両国橋まで隅田川沿いを歩く。両国橋を中央区側に渡り、神田川に架かる柳橋を渡り浅草橋まで歩く。このあたり、船宿が多く風情がある。
4月8日 長男誕生。がんばった妻に感謝。
4月某日 谷中を通って通勤。いよいよ桜が散りはじめた。
ユーミンはアルバム“REINCARNATION”収録の名曲「経る時」のなかで、桜の花が散る情景、その場所を「四月ごとに同じ席は薄紅の砂時計の底になる」と唄っている。私はこの「薄紅の砂時計」という表現を、いつもこの時期になると思い返す。
4月某日 国立劇場黙阿弥作「小袖曾我薊色縫」(こそでそがあざみのいろぬい)を見に行く。
この狂言は、心中した修行中の僧侶清心と遊女十六夜の男女二人が別々に助かり、のちに再会して悪の道に走り、悲劇的な結末を迎えるという筋。国立劇場でこの作品を取り上げるのは初めて、しかも画期的な通し上演だという。河竹登志夫氏によれば、「作中の俳諧師白蓮じつは大寺正兵衛という大盗が、安政二年に実際にあった江戸城御金蔵破りの主犯の、浪人藤岡藤十郎をモデルにしていたから」「大入りをつづけている最中、三十五日めに上演停止に追いこまれた」(『黙阿弥』)という。こうした経緯もあって見に行く気になった。
今回は八十助の清心に芝雀の十六夜。大寺正兵衛をやる予定だった八十助の父三津五郎の急逝が惜しまれる。入り口付近の「出演者受付」という机の付近に紫の和服を着た近藤サトさんが立っていたような気がしたが、あれは幻だろうか。
帰途は内堀端を沿って日比谷まで歩く。皇居を取り囲むお堀の下辺をなぞったかたち。
4月某日 電車をひとつ手前の千駄木でおり、根津神社を通って通勤する。根津神社では「つつじ祭り」開催中。朝なので、まだ出店は準備中。つつじもまだ花盛りとはいいがたい。
桜の谷中から躑躅の根津神社。時間的には今日のルートのほうが10分程度早く職場に着く。ただ、千駄木から団子坂を登って、鴎外観潮楼の脇を通り、根津神社、さらに百間が間借りをしていたという家があったS坂を登るというアップダウンが激しいコースをとったため、息が切れた。
4月某日 仕事帰り、秋葉原に立ち寄り、体脂肪計付体重計と耳で測る体温計を購入する。子供が生まれなければ、このような器具には縁がなかっただろう。
帰宅後さっそくはかってみる。体重はおいて、体脂肪率が20%に減っていた。仙台にいたころは肥満に一歩足を踏み入れた23〜24%程だったことを思うと、東京であちこち歩いている成果が出たか。体温のほうは、簡単にはかることができるのはいいが、ちょっとまだ信頼がおけない感じがする。
4月某日 根津神社経由で通勤。四、五日見ないあいだに赤、白、ピンクのツツジが三分咲程度まで咲いてきた。
DREAMS COME TRUEのニューアルバム“the Monster”を購入する。
4月某日 気がつくともう四月も下旬。あわてて歌舞伎座へ。
昼の部二番目の「色彩間苅豆 かさね(いろもようちょっとかりまめ)(\800)、および夜の部一番目の「菅原伝授手習鑑 寺子屋」(\1000)を見る。前者は当初見るつもりはなかったのだが、ちょうど読んでいた服部幸雄氏の『歌舞伎ことば帖』でこの狂言が怪談物であることを知って見る気になった。
4月某日 谷中三浦坂ルートで通勤。つい二週間前まで薄紅の回廊だった谷中墓地、いまは新緑の回廊に。
昼休み、弁当持参で根津神社へ。つつじ祭りも会期の半ばにさしかかって、ようやく華やか。
フジ月9の「リップスティック」にハマりつつある。三上博史と広末。野島伸司のドラマはあまり好みではないのだが、三上博史がいいからか。
4月某日 昼休み、本郷菊坂をダラダラ下って西へ西へと歩いていたら、小石川こんにゃくえんま(源覚寺)に出る。眼の神様だというから、視力が回復しますようにとお祈り。門前町の風情もあって面白い場所。通りの向こうを見ると東京ドームの巨大な白い屋根がどしんと構えているというのに。
近くのラーメン屋「一八ラーメン」に入ってみる。いわく「とんこくラーメン」。ボリュームがあって美味い。
夜、神宮打撃練習場
4月某日 昼休み、今日は湯島天神へ。合格祈願の絵馬が大量に。
湯島辺の坂(実盛坂・ガイ坂・三組坂・立爪坂・妻恋坂・清水坂、妻恋神社に御霊神社)を上り下りでいい運動に。ほどほど歩いたあたりでがんこ@本郷三丁目に飛び込みラーメン。今日もラーメンだ。ここは週一必ず来るほどに美味い。
こう書くと昼休み遊んでばかりのようだが、根津も小石川も湯島も出て戻るまで一時間足らず。本郷という場所は散策の起点として最適なり。いいリフレッシュにもなる。