品切れ文庫本の世界

※「品切れ文庫」とは銘打っていますが、品切れでない文庫(◎印)も紹介します


文庫の獅子文六作品

獅子文六はひところ売れっ子作家であった。新聞連載小説などは熱狂的に読まれたという。私はそのような状況を知らない。文学作品に興味を持った時点で、すでに獅子文六は過去の作家であった。

ところが、最近三つのきっかけで獅子文六に俄然興味をいだくようになった。ひとつは代表作『てんやわんや』を古本屋で購入したこと。2000年に新潮文庫から改版されたものである。次に書友ルート。ふじたさんはもともと獅子文六ファンで、ときおりホームページで彼のことに触れられている。さらに書友Iさんのお話。獅子文六の話ができるなんて、感動的だった。最後に小林信彦さんの文章。最新エッセイ集『にっちもさっちも―人生は五十一から3』(文藝春秋)のなかで、「獅子文六を再評価しよう」という文章が二回にわたって書かれている。そこにはこんな扇情的な文章がある。

獅子文六は大変な作家である。
福田和也氏がその存在の大きさを書いていたように記憶するが、いかに出版不況とはいえ、こういう作家の作品が書店に全くないのはモンダイである。〈漱石が教科書から消えた〉どころの騒ぎではない。
教科書から消えても、漱石の作品は文庫で入手できるが、獅子文六作品はそうはいかない。新潮文庫で「てんやわんや」を平成十二年に改版しているが、〈四十六刷改版〉である。そういう作家の他の作品を抹殺してヨロシイのか、と怒りを覚える。

獅子文六は昭和30〜40年代頃までは人気が高かった。作品も続々文庫化された。その余波がだいたい昭和50年頃まで続いた。ところがそれ以降、人気が急激に衰えた。書かれている内容が古びてしまったのかもしれない。あまりに時代に即した風俗小説だったからかもしれない。たくさん売れた作品だけに古本屋にも大量に入ってくる。古本屋でバイトをしていたころを思い出すと、そんな記憶がある。大量に入ってくるいっぽうで、改版のない古い本だから疲れているものが多い。必然的に廃棄処分の憂き目にあう。一時期の大人気作家だったゆえの逆説で、ゆえに現在古本屋で探してもなかなか見つからない、見つかっても店頭本の古いものばかりということなのではなかろうか。

とりあえず獅子文六の文庫本を集めたい。心覚えのために、やはり一覧表を作っておくにしくはない。(2003.5.11、2003.6.9表改訂)

書名 刊行年月 解説
新潮 てんやわんや 1951年 大井広介
自由学校 1953年 河盛好蔵
やつさもつさ 1955年 十返肇
青春怪談 1955年(1966年改版) 荒正人
娘と私(上・下) 1958年 菊池重三郎
娘と私 1961年(合本)
大番(上・下) 1962年 飯沢匡
海軍 1962年 河盛好蔵
箱根山 1966年 飯沢匡
父の乳 1971年 飯沢匡
てんやわんや 2000年8月改版 群よう子
角川 東京温泉 1952年
南の風 1953年
胡椒息子 1953年
おばあさん 1954年
信子 1955年
沙羅乙女 1956年
南国滑稽譚 1958年
大番(上・下) 1960年
海軍 1960年
楽天公子 1961年 水谷準
金色青春譜 1961年
バナナ 1962年
悦ちゃん 1962年
自由学校 1963年 細川忠雄
アンデルさんの記 1965年 中野好夫
てんやわんや 1965年 細川忠雄
青春怪談 1966年
信子・おばあさん 1969年(改版) 杉森久英
コーヒーと恋愛(可否道) 1969年 細川忠雄
胡椒息子 1969年(改版)
飲み・食い・書く 1980年3月 池田彌三郎
文春 食味歳時記 1979年1月 神吉拓郎
中公 食味歳時記 1997年 尾崎秀樹
私の食べ歩き 1999年10月 山本益博
海軍 2001年8月 河盛好蔵
講談社文芸 但馬太郎治伝 2000年12月 佐藤洋二郎
講談社大衆文学館 箱根山 1996年2月 佐高信
三笠 達磨町七番地 1951年 徳川夢声
河出 南国滑稽譚 1955年 河盛好蔵

※参考文献
講談社文芸文庫『但馬太郎治伝』巻末著書目録(藤本寿彦氏作成)/岡崎武志・茂原幸弘編『ニッポン文庫大全』ダイヤモンド社

文庫の深沢七郎作品

書名 刊行年月 解説
新潮 楢山節考 1964年7月 日沼倫太郎
笛吹川 1966年4月 日沼倫太郎
東北の神武たち 1972年11月 佐伯彰一
千秋楽 1974年6月 井上光晴
人間滅亡の唄 1975年11月 秋山駿
庶民列伝 1981年8月 松田修
中公 甲州子守唄 1977年10月 宗谷真爾
妖木犬山椒 1978年4月 寺田博
みちのくの人形たち 1982年11月 尾辻克彦
言わなければよかったのに日記 1987年11月 尾辻克彦
文春 盆栽老人とその周辺 1980年10月 天沢退二郎
余禄の人生 1986年10月
徳間 流浪の手記 1987年11月 秋山駿

文庫の色川武大=阿佐田哲也作品

このところ色川武大さんが気になって仕方がない。気になるから、持っている文庫作品のタイトルを眺めているだけでも飽きない。ちょうどいい機会なので、文庫で出ている色川作品をまとめておきたいと思う(グレーバックは所持)。

書名 刊行年 解説
文春 離婚 1983年5月 尾崎秀樹
恐婚 1987年4月 小田島雄志
花のさかりは地下道で 1985年 村松友視
怪しい来客簿 1989年10月 長部日出雄
あちゃらかぱいッ 1990年11月 井上ひさし
虫けら太平記 1992年9月
新潮 ぼうふら漂流記 1982年4月 高橋昌男
うらおもて人生録 1987年11月 西部邁
1990年1月 川村二郎
引越貧乏 1992年7月 伊集院静
なつかしい芸人たち 1993年6月 矢野誠一
中公 生家へ 1986年11月 津島佑子
私の旧約聖書 1991年9月
講談社 無職無宿虫の息 1984年3月 中山千夏
明日泣く 1995年5月 黒鉄ヒロシ
福武 虫喰仙次 1989年5月 岡田睦
狂人日記 1993年10月 森内俊雄
角川 怪しい来客簿 1979年4月 長部日出雄
小説・阿佐田哲也 1984年
集英社 喰いたい放題 1990年2月 伊集院静
廣済堂 寄席放浪記 1988年2月
ちくま 唄えば天国ジャズソング 1990年 小林信彦
講談社文芸 生家へ 2001年5月 平岡篤頼

角川の『小説・阿佐田哲也』という本が気になる。欲しい。まあ、じっくり構えていればいずれ出会える日がくるだろう。
ついでながら、「附録」として阿佐田哲也作品も現在把握しているかぎりで整理しておく。阿佐田作品、とりわけギャンブル小説はこれまで私の視野に入っていなかったため、遺漏も多いと思われる。

書名 刊行年 解説
角川 麻雀放浪記(一)青春編
麻雀放浪記(二)風雲編
麻雀放浪記(三)激闘編
麻雀放浪記(四)番外編
ギャンブル党狼派
ああ勝負師 1980年7月 黒鉄ヒロシ
雀鬼くずれ
麻雀狂時代
東一局五十二本場
ギャンブル人生論 1983年9月
ぎゃんぶる百華 1984年8月
ドサ健ばくち地獄(上・下)
黄金の腕
雀鬼五十番勝負 2001年8月 和田誠
牌の魔術師 2002年2月
次郎長放浪記 2002年2月 筑紫哲也
集英社 無芸大食大睡眠 1988年3月 伊集院静
阿佐田哲也の怪しい交遊録 1991年9月 立川談志
中公 次郎長放浪記 1986年9月 丸谷才一
文春 新麻雀放浪記 1983年11月 沢木耕太郎
講談社 ばいにんぶるーす 1985年6月 結城信孝
廣済堂 競馬狂想曲 1989年8月 (編著)
双葉 小説・麻雀新撰組
ばくち打ちの子守唄
Aクラス麻雀
外伝・麻雀放浪記 1991年10月 伊集院静

同じ人の別のペンネームに過ぎないのに、色川作品と阿佐田作品に対する私の執着の度合いは、上の表を見たら一目瞭然、正反対である。麻雀は知らないわけではないのだが、ルールを覚えきれずに挫折したこともあって、「麻雀小説」はそもそも眼中になかったのだ。
いま「同じ人のペンネームに過ぎない」と書いたが、一人の人物が二つのペンネームでこれだけ違ったジャンルの小説を書き分けられるというのも、現代では稀なのではあるまいか。やはりこれからは阿佐田哲也にも注目していかねばと思う。【2002.2.23/3.20改訂】


文庫の山口瞳作品

約一年前から集め、読み出した山口瞳さんの文庫著作がかなりの数集まってきた。蒐集経過を中間報告としてまとめたい。

一言でいえば「悲惨」である。現在現役のものを太字、私が所有しているものをグレーバックで表示してみたのだが、その品切の多さは一目瞭然だ。代表作と目される小説(『江分利満氏の優雅な生活』『居酒屋兆治』『血族』)のほかは、ほとんどここ数年で刊行されたものばかり。エッセイにしても、『礼儀作法入門』の再文庫化に見られるように、新社会人に対する処世訓的な読まれ方、受け入れられ方をされているようなのだ。私だって一、二年前までは山口瞳をそういう作家であるとみなしていたから、偉そうにはいえないのだが。
そのなかで例外のように見える新潮文庫の『温泉へ行こう』も、つい最近復刊されたものに過ぎない。つまり極言すれば、あと数年経てば文庫化されたほとんどの作品が読めなくなる可能性すらあるのである。

70年代に角川文庫から多く出された山口瞳の著作は、70年代の後半から80年代の半ばにかけてが文庫化の全盛期といっていいであろう。新潮文庫、集英社文庫、文春文庫の多くがこの期間に刊行されている。その後は「男性自身」シリーズなどを擁している新潮文庫がほとんど。没後はたったの三冊しか文庫化されていない。「男性自身」シリーズにしてみても、いわゆる“日記シリーズ”と称される80年代末から90年代初めにかけての四冊(いずれも好著だと思う)は、まったく文庫に入っていない。還暦を契機に隠居と称して、「男性自身」以外の執筆活動をほとんど断ったことを考慮に入れても、この極端さはひどすぎるのではないか。山口瞳は80年代の作家とおぼしいのだ。

そんな訳知り顔で嘆いて見せている私だが、下の表を一見してわかるように、実は初期の小説などは未購入なのだから大きなことは言えない。これまでは、もっぱらエッセイを中心に集め、読んできた。持っている小説ですらまったく読んでいない。山口瞳の小説がどのような味わいなのか、今年の宿題にしようと思っている。
それはともかく、名著の誉れ高い『世相講談』や紀行エッセイなどは再評価がなされてもいいのではあるまいか。山口瞳も講談社文芸文庫のラインナップに入れるべき作家であると強く主張したい。【2002.1.4/2003.6.9表改訂】

書名 刊行年 解説
新潮 江分利満氏の優雅な生活 1968 秋山駿
江分利満氏の華麗な生活
結婚します 1973 矢口純
結婚しません 1974 常盤新平
けっぱり先生 1975 小野田勇
愛ってなに? 1977 岩橋邦枝
酒呑みの自己弁護 1979 青木雨彦
月曜日の朝・金曜日の夜 1981 常盤新平
男性自身 冬の公園 1982 常盤新平
迷惑旅行 1983 沢木耕太郎
男性自身 暗がりの煙草 1983 村松友視
男性自身 困った人たち 1983 阿刀田高
酔いどれ紀行 1984 丸谷才一
男性自身 おかしな話 1985 諸井薫
居酒屋兆治 1986 安倍徹郎
男性自身 生き残り 1986 横山政男
草競馬流浪記 1987 森田芳光
男性自身 英雄の死 1987 高橋呉郎
男性自身 巨人ファン善人説 1987 嵐山光三郎
男性自身 素朴な画家の一日 1988 塩田丸男
温泉へ行こう 1988 安西水丸
男性自身 卑怯者の弁 1989 矢吹申彦
日本競馬論序説(赤木駿介共著) 1991 岩川隆
私本歳時記 1992 矢野誠一
新東京百景 1993 粕谷一希
男性自身 木槿の花 1994 久世光彦
梔子の花 1995 来生えつ子
江分利満氏の優雅なサヨナラ 1998 舟曳建夫
行きつけの店 2000 重松清
礼儀作法入門 2000 中野朗
続礼儀作法入門 2002 山口正介
山口瞳「男性自身」傑作選 熟年篇 2003 嵐山光三郎(編)
山口瞳「男性自身」傑作選 中年編 2003 重松清(編)
文春 人殺し(上・下) 1975 高橋英夫
小説・吉野秀雄先生 1977 野呂邦暢
血族 1982 野坂昭如など
考える人たち 1982 高橋呉郎
草野球必勝法 1983 阿部牧郎
家族 1986 山本健吉ほか
庭の砂場 1990 岩橋邦枝
集英社 伝法水滸伝 1977 村島健一
礼儀作法入門 1978 沼田陽一
私流頑固主義 1979 岩川隆
江分利満氏大いに怒る 1979 安倍徹郎
谷間の花 1980 沼田陽一
青雲の志について 1981 矢口純・柳原良平
どこ吹く風 1982 高橋呉郎
木彫りの兎 1983 山本容朗
師弟対談 作法・不作法(高橋義孝共著) 1984 常盤新平
講談社 血涙十番勝負 1980 米長邦雄
続血涙十番勝負 1980 大内延介
湖沼学入門 1981 関保寿
単身赴任
同行百歳 1983 竹中浩
婚約 1987 諸井薫
諸君!この人生、大変なんだ 1992 常盤新平(編)
角川 マジメ人間 1969 竹西寛子
世相講談(上・下) 1972 江國滋
新入社員諸君! 1973
善の研究 1973 虫明亜呂無
なんじゃもんじゃ 1974 常盤新平
わが町 1977 沼田陽一
むにゃむにゃ童子 1979 宮野澄
江分利満氏の華麗な生活 1996
中公 旦那の意見 1980
血涙十番勝負 2002 米長邦雄
小学館 勤め人ここが「心得違い」 1999 イッセー尾形

【参考】
※紀田順一郎・谷口雅男『ニッポン文庫大全』(ダイヤモンド社、1997年)
※「文庫の会」・柿添昭徳『文庫一番煎じ』(世界文化社、1995年)
※井狩春男『文庫中毒』(ブロンズ新社、1992年)
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森銑三『明治人物夜話』

講談社文庫版 岩波文庫版 初出 著作集 他著
       
明治天皇の軍服 第一部 『文藝春秋』1957.10 続5
明治天皇と一老婆   『老壮の友』1962.12  
明治天皇御逸事   『師と友』1958.11  
大西郷の一言 第一部 『温古会会報』1953.8 続5
海舟邸の玄関 第一部 『日本歴史』1963.4 続5
巨人西郷従道   『事務器』1953.5  
大隈侯の碁   『文藝春秋』1962.11  
広瀬中佐余聞   『学生と錬成』1943.5  
乃木大将瑣談   『老壮の友』1969.1  
乃木大将のことども   『洗心』1967.7  
政治家達の動物見立   新稿  
成島柳北 第一部 『読書春秋』1956.4 続5
依田学海 第一部 『日本歴史』1969.3 続5
信夫恕軒 第一部 『ももんが』1964.4 続5
豊芥子・黙阿弥・学海   『ももんが』1963.8  
随筆家としての矢野龍渓   『読書春秋』1953.11  
天下の記者山田一郎 第一部 『人物往来』1958.9 続5
饗庭篁村 第一部 『ももんが』1969.2-4 続5
鴎外と学海   『鴎外全集月報』1952.11  
尾崎紅葉雑記 第一部 新稿 続5
露伴翁むだ話 第一部 『露伴全集月報』1950.6 続5
露伴と松魚   『露伴全集月報』1952.3  
緑雨の人物 第一部 『文藝春秋』1954.4 続5
俳人数藤五城   『ももすもも』1958.6  
「杜若」の主人公   『日本古書通信』1957.7  
活東の「五十銭銀貨」   『日本古書通信』1957.11  
不遇詩人活東 第一部 『ももすもも』1965.11 続5
桂月翁の短冊   『古筆と短冊』1960.7  
瓊音先生の書画帖   『古筆と短冊』1956.11  
瓊音先生の歌   『学苑』1967.10  
東草水の書いた広告文   『ももんが』1959.1  
永井さんの思ひ出   『荷風全集附録』1950.8  
偏奇館の或日 第三部 『昭和文学全集月報』1953.1 続6
浅草での永井さん   『荷風研究文明』1962.10  
千葉掬香といふ人   『好日』1961.3  
狩野亨吉先生 第三部 『ももんが』1964.2 続6
西村真次博士と私 第三部 『楡の木』1968.11 続6
S先生と書物 第一部 『銅鑼』1961.2 続5
斎藤精輔氏の自伝 第一部 『ももんが』1963.3 続5
ダダイスト辻潤 第一部 『好日』1960.1 続5
私の見た三田村翁   『江戸読本』1940.6  
三村竹清大人 第三部 『毎日新聞』1953.10 続6
狩野芳崖遺聞   『萠春』1953.3  
国周とその生活 第二部 新稿 続6
梅ヶ谷藤太郎   『東洋文化』1965.4  
鉄舟と円朝   『老壮の友』1968.10  
三遊亭円朝 第二部 『大法輪』1965.3・4 続6
筆匠映玉堂   『帖面』1967.1  
松の家露八のこと   新稿  
しんこ細工の梶鍬太郎   新稿  
高橋清子刀自と一中節   『政界往来』1969.2  
わが読書の記   『読書春秋』1953.1-8  
後記      
  高橋是清の懐旧談(1) 『政界往来』1970.3 続5  
  栗本鋤雲の詩(1) 『潮』1971.7 続5 『随筆集 砧』
  陸羯南遺聞(1) 『歴史と人物』1975.7-9 続5 『明治人物閑話』
  鴎外断片(1) 『文学』1972.11 続5 『明治人物閑話』
  子規居士雑筆(1) 『子規全集月報』1977.1-5 続5  
  夏目漱石と文芸委員会(1) 『歴史と人物』1972.1 続5 『明治人物閑話』
  田岡嶺雲の本領(1) 『歴史と人物』1972.3 続5 『明治人物閑話』
  田村西男氏の作品(1) 『日本古書通信』1958.3 続5  
  談洲楼燕枝の文才(2) 『歴史と人物』1975.5・6 続6 『明治人物閑話』
  文筆家悟道軒円玉(2) 『歴史と人物』1975.11・12 続6 『明治人物閑話』
  名子役中村吉右衛門(2) 『歴史と人物』1976.2 続6 『史伝閑歩』
  奴時代の貞奴(2) 『新文明』1969.11 続6 『随筆集 砧』
  畸人呉山堂玉成(2) 『歴史と人物』1973.12 続6 『明治人物閑話』
  南天荘学園(3) 『日本古書通信』1941.9 続6 『月夜車』
  三田村鳶魚翁の思出(3) 『本と批評』1980.6 続6 『随筆集 砧』
  沼波瓊音・岩本素白の面影(3) 『歴史と人物』1974.4 続6 『史伝閑歩』
  石井鶴三さんの画稿(3) 『歴史と人物』1973.7 続6 『史伝閑歩』
  広重の助力者三成重敬氏(3) 『図書』1978.1 続6  

「星の翁」野尻抱影の文庫作品

野尻抱影文庫本一覧
書名出版社刊行年月解説者
日本の星 星の方言集 中公文庫 1976年7月 石田五郎
星三百六十五夜(上) 中公文庫 1978年1月
星三百六十五夜(下) 中公文庫 1978年2月 石田五郎
星の神話・伝説 講談社学術文庫 1977年7月 宮本正太郎
星の民俗学 講談社学術文庫 1978年8月 広瀬秀雄
星座春秋 講談社学術文庫 1994年3月
星座のはなし ちくま文庫 1988年7月 石田五郎
星空のロマンス ちくま文庫 1993年
星まんだら 徳間文庫 1991年7月 宮下啓三


筑摩書房『野尻抱影の本』
 書名刊行年月編者
星空のロマンス 1989年1月 石田五郎
星の文学誌 1989年4月 原恵
山で見た星 1989年2月 宮下啓三
ロンドン怪盗伝 1989年3月 池内紀
※書名がグレーになっているのは所持※太字は現在入手可能

“読前読後”に書いたような経緯で、野尻抱影の著作が気になってきた。
いずれはここで取り上げたいと思っていた著述家だったのである。

調べてみて愕然とした。星座について比較的平易に解説した本である二書(『星の神話・伝説』『星座のはなし』)以外品切となってしまっているからである。「星の翁」野尻抱影の文業に手軽に接することができなくなっているのは残念このうえない。

私が野尻抱影の本に興味を持ち始めたのはいつだったか。
過去の日記を見てみると、最初に入手したのが上に一覧表にした筑摩書房の『野尻抱影の本』4冊シリーズだった。1990年12月21日のこと。それから、『星の神話・伝説』を仙台の古書店で(91/2/2)、『星三百六十五夜』は“読前読後”に書いたように新刊書店での僅少本復刊フェアにて(91/5/24)、『星まんだら』を新刊で(91/7/4)、『日本の星』に至っては上京時に八重洲ブックセンターで購入している(91/8/24)。懐かしい。
野尻抱影の本を買い集めてから十年の歳月が経ったわけだ。

『野尻抱影の本』もそうだが、抱影の文庫もまた文庫ラックの目につくところに収納して、いつでも手にとって読むことができるようになっている。星を見ると抱影を思い出し、読みたくなるのである。
抱影の本を星が好きな方のための座右の書として薦めたい。【2001.6.13】

文庫の丸谷才一作品

文庫で刊行されている丸谷才一さんのエッセイ集を集めるにあたって、心覚えのために現在(2002年2月)の文庫リストを作成した。共著・編著は除いている。また太字は品切れ。枠内がグレーなのは持っているものである。一見して品切れが多く、悲惨な状況であることが見て取れる。(11/16表改訂)

 書名解説刊行年月
新潮 笹まくら 篠田一士 1974年
川本三郎 2001年7月(改版)
日本語のために大野晋1978年
男のポケット粕谷一希1979年
低空飛行山口瞳1980年
桜もさよならも日本語百目鬼恭三郎1989年
裏声で歌へ君が代   19年
男ごころ 1992年
軽いつづら林望1996年8月
講談社笹まくら川村二郎1973年
横しぐれ杉本秀太郎1978年
たった一人の反乱 上・下 秋山駿 1982年
日本文学史早わかり大岡信1984年
犬だつて散歩する海老沢泰久1989年9月
恋と女の日本文学渡辺保2000年5月
講談社文芸忠臣蔵とは何か野口武彦1988年2月
横しぐれ 1997年
たつた一人の反乱 1990年
文春 年の残り 野呂邦暢 1975年
女性対男性 1976年
大きなお世話百目鬼恭三郎1978年
食通知つたかぶり 1979年
にぎやかな街で三木卓1979年
好きな背広向井敏1986年
夜中の乾杯嵐山光三郎1990年7月
樹影譚三浦雅士1991年7月
猫だつて夢を見る清水義範1992年10月
女ざかり 1996年
青い雨傘鹿島茂1998年3月
半日の客 一夜の友(山崎正和共著) 半藤一利 1998年12月
男もの女もの 川上弘美 2001年4月
思考のレッスン 鹿島茂 2002年10月
中公 エホバの顔を避けて 清水徹 1978年1月
文章読本大野晋1980年
遊び時間1金関寿夫1981年10月
遊び時間2常盤新平1983年
みみづくの夢川本三郎1988年3月
ウナギと山芋瀬戸川猛資1995年5月
山といへば川 1995年
文章読本(改版) 1995年
集英社彼方へ菅野昭正1977年
朝日 雁のたより 清水徹 1986年8月
挨拶はむづかしい 1988年6月
丸谷才一の日本語相談 1996年
ちくまコロンブスの卵三浦雅士1988年
福武鳥の歌五味文彦1990年8月
光文社 女の小説(和田誠共著) 鹿島茂 2001年9月

【参考】
※『恋と女の日本文学』『横しぐれ』所収著作目録
※紀田順一郎・谷口雅男『ニッポン文庫大全』(ダイヤモンド社、1997年)
※「文庫の会」・柿添昭徳『文庫一番煎じ』(世界文化社、1995年)
※井狩春男『文庫中毒』(ブロンズ新社、1992年)
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文春文庫の戸板康二

このほど『松井須磨子 女優の愛と死を手に入れ、これでようやく文春文庫の戸板康二作品12冊がすべて揃った。戸板さんの著作をもっとも多く収めているのがこの文春文庫だから、たいへん嬉しい。ずらりと並ぶ青い背表紙の戸板作品の眺めは壮観である。これら戸板作品群は、わたしの文庫書棚のなかでも重要な一角を占めるようになってきた。

さてこれら文春の戸板作品が手もとに集まりだしたのはいつの頃だろうかと、過去の購入記録を眺めてみた。

一番最初が『見た芝居・読んだ本』。おそらく五月のこと。次いで、雅楽物好きを決定的にした『家元の女弟子』。さらに『ぜいたく列伝』『最後のちょっといい話 人物柱ごよみ』『あどけない女優』と続き、以上が六月までの購入分。

『新ちょっといい話』『新々ちょっといい話』は、友人が見つけてくれた。さらに『あの人この人 昭和人物誌』『ちょっといい話』『泣きどころ人物誌』、以上六冊は七月。署名入りの『久保田万太郎』が八月。ここまでは『松井須磨子』一冊を残してすんなりと集まった感じ。

そしてついに十月に最後の『松井須磨子』が手に入った。現在新刊で手に入るのはこのうちの数冊(『ちょっといい話』や『あの人この人 昭和人物誌』程度?)であることを考えると、集めはじめて半年だから、かなりのハイペースといえまいか。しかし逆に言うと探せば結構見つかるものだ、とも言える。戸板さんの文庫作品は中公文庫・講談社文庫の数冊を残すのみとなった。じっくり探していこう。以下文春文庫のリストを掲げる【2000.11.3】。

 書名解説など刊行年月
ちょっといい話著者後記・文庫後記1982年8月
久保田万太郎著者文庫版あとがき1983年8月
新ちょっといい話著者後記・文庫後記1984年3月
あどけない女優著者あとがき1985年6月
松井須磨子 女優の愛と死著者あとがき1986年1月
新々ちょっといい話著者後記1987年4月
泣きどころ人物誌著者後記1987年11月
見た芝居・読んだ本著者後記・解説(林えり子)1988年5月
家元の女弟子1993年11月
10最後のちょっといい話 人物柱ごよみ著者後記・解説(渡辺保)1994年10月
11ぜいたく列伝著者後記1996年3月
12あの人この人 昭和人物誌あとがきに代えて(戸板当世子)・解説(矢野誠一)1996年11月

ちくま文庫の現況

むかし私は、各社の文庫解説目録を揃えて、新しいものが出るときちんと取りかえるまめなことをしていた。でも今やそうした気力がなくなっているので、ほとんど文庫解説目録をもらうことがなくなっている。

ちくま文庫は、あまたある文庫のなかでも毎月質の高いラインナップを刊行し続けているシリーズとして、私がもっとも気に入っている文庫の一つである。このほど、ふとしたきっかけでそのちくま文庫・同学芸文庫の解説目録(2000年版)を入手したところ、驚いたことがあった。解説目録の末尾にある「品切れ一覧表」に掲載されている書目があまりに多いのである。

冊数を数える気力も、私が所有する「品切れ文庫」をすべてここに掲出する気力もないが、たとえば次のような良書≠ェ品切れになってしまっている。

いまうえに挙げたのは、私が購入したものの一部をあげたにすぎない。偏った読書趣味ゆえにこうした書目しか挙げえないが、品切れ書目はここからさらに種類も冊数も拡大しているわけである。初刷が在庫切れになったら重版せずにそのままというのが実情なのだろうが、せっかくいい本を次々文庫化してくれるにもかかわらず、あとから「この本を」と気づいたときには手遅れということになってしまう。悲しいことだが、このちくま文庫も「すぐに読まなくとも、ちょっと気になるものであれば出たときに買っておく」という措置をとる必要があるようだ。【2000.3.9】


文庫で読む吉田健一 その2(光文社文庫編)

 書名解説刊行年月
1酒肴酒丸谷才一1985年5月
2続酒肴酒篠田一士1985年6月

光文社文庫に吉田健一の著作が入っているとは案外だと思われるだろう。ときおり光文社文庫にはこうした快著が収録されることがあるから侮れない。
上の二冊は1974年に番町書房から刊行された同名書の再録である。残念なことに現在品切れだが、ここに収録された食物・酒に関するエッセイは解体・再編されて現在も読むことができるものも多い。以下その対照表を掲げる。

酒肴酒 続酒肴酒
三楽×食べもの遍歴
茶の間×食べものあれこれ
舌鼓ところどころ
日本酒の味当て外れ
東北の食べもの仕事をする気持
落ち穂拾い駅弁のうまさについて
木の芽田楽飲み食いの思い出
九州の思い出文学に出てくる食べもの
鯨の肉×邯鄲×
酒と議論に明け暮れて食べもの×
×再び食べものについて×
旅と味覚飲むこと×
人間らしい生活×おでん屋×
酒の話×バー×
羽越瓶子行飲み屋×
神戸の味カフェ×
超特急一本の酒×
呉の町英国の茶×
金沢汎水論
金沢、又師走の酒、正月の酒
道草×満腹感
京都×懐しき哉・乞食時代
酒、肴、酒小休止
アメリカの酒場食べる話に飲む話
ロンドンの飲み屋
酒と肴
閑文字
禁酒のおすすめ
二日酔い
酒、旅その他
童心雑記
酒談義
饗宴
飲む話
海坊主
酒宴
胃の話
女房コック論
酒と人生
※注新;『新編 酒に呑まれた頭』(ちくま文庫)舌;『舌鼓ところどころ』(中公文庫)三;『三文紳士』(講談社文芸文庫)乞;『乞食王子』(講談社文芸文庫)落;『定本 落日抄』(小澤書店)…未文庫化

美食文学を語ろう

◎朝日文庫 篠田一士『グルメのための文藝読本』(1986年11月)

書籍検索サイト“Books.or.jp”では引っかからなかったので、ひょっとしたら品切れかもしれないのだが、紀伊国屋の検索では検出された。

著者は本書を「私註つきの口腹詩文のアンソロジー」と称しているが、いわゆる原文を集成したアンソロジー≠ナはない。食べ物を扱った文学作品を取り上げ、それらに関する蘊蓄を披露したエッセイ集といったほうがいいだろう。一つの食べ物について見開き2頁にまとめられて、非常に読みやすい。

古今東西を問わず、広く「口腹詩文」に取材し、登場する食べ物も多岐にわたるので、ここでそれらすべてを紹介することはしない。ただ、文庫本の紹介というここのコンセプトからは外れてしまうのだが、同じ著者による別のアンソロジーの内容を代わりに紹介しておきたい。偶然古書即売展で見つけ、100円で購った。新潮社による10冊のアンソロジー・シリーズ「楽しみと冒険」中の一冊だ。

篠田一士編『美食文学大全』(新潮社、1979年6月)

鼓腹のよすが(篠田一士)/子供のころ(池波正太郎)/豆腐(吉行淳之介)/花びらの味(草野新平)/弁当(坂東三津五郎)/卵料理(森茉莉)/うどん(杉浦明平)/生キャベツ(獅子文六)/実直一筋貧乏な王侯の群れ(東海林さだお)/鮎(辻嘉一)/金沢春雪亭(丸谷才一)/サフランの色と香りとパエリアと(檀一雄)/越前ガニ(開高健)/作る阿呆に食べる阿呆(石井好子)/厨師考試(邱永漢)/砂糖(石毛直道)/作っちゃァ、食い(荻昌弘)/食通(辻静雄)/心太・ラムネ・氷水(高橋義孝)/魯山人の招待宴(小島政二郎)/饗宴(吉田健一)/その他、ブルースト・スタインベック・フローベール・マン・マルケス・ガッダ・ベンヤミン/口腹文学一斑(篠田一士)

食通の作家、エッセイスト、料理人など、名だたる名前が並んでいる。実は、本書を購うきっかけとなったのは、その安さにくわえて、坂東三津五郎の名前を発見したからであった。これらのアンソロジーが上の『グルメのための文藝読本』とどのような対応関係があるのか、まだ調べてはいない。

『グルメのための文藝読本』は装画が中島かほるさんによるもので、非常に繊細できれいなもの。グルメ文学が好きな方は持っていて損はしないだろう。【99.11.6】


文庫で読む吉田健一 その1(中公文庫編)

 書名解説刊行年月
1私の食物誌金井美恵子1975年1月
2東京の昔入江隆則1976年5月
3瓦礫の中清水徹1977年9月
4舌鼓ところどころ池田彌三郎1980年1月
5書架記清水徹1982年1月
6怪奇な話三浦雅士1982年8月

※太字は品切れ

言うまでもなく、吉田健一は吉田茂の子息にして、著名な著述家・翻訳家である。しかしどう贔屓目に見てもメジャーだとは言えないだろう。かくいう私も、吉田健一を読みはじめてから十年も経っていないし、初めて読んだのはちくま文庫の『私の古生物誌』だから、いわばネッシー論者としての彼の側面から入ったことになる。

そのときはすでに上に掲げた中公文庫は全て出揃っていたわけで、くわえて先のちくま文庫版『私の古生物誌』や、講談社文芸文庫から『金沢』が出ていたと記憶している。吉田健一の名前を知ったのは、例に漏れず種村季弘氏の文章だったと思うが、そのときちょうど新刊だった講談社文芸文庫の『絵空ごと/百鬼の会』を購読してすっかりこの作家のファンになってしまった。
またそうした私のような人間が珍しく何人もいたらしく、90年代半ばには新潮社から著作選集『吉田健一集成』が刊行され、静かなブーム≠燗棊した。これで私も完全な吉田健一ファンとなった。

吉田健一の魅力。食物・お酒アンソロジーには彼の文章を収めないものはないほどの食味エッセイスト(上の表でいえば1と4が該当)、該博な知識と長い海外生活の経験にもとづく軽妙なエッセイ、するどい時評、そして何といっても、晩年に到達した独特の文体からつむぎ出される長篇エッセイ、小説(6が該当)。読む者に影響を与えずにはおかないアクの強い文体は、普段私たちが論文を書くときに気をつけなければならない簡潔明快なそれとは対極をなしている。

たとえば6の最初に配されている「山運び」と題された短篇の冒頭はこんな感じだ。

リラダンによれば生きるというようなことは召使に任せておけばいいことになる。その召使というものをこの頃は余り見掛けなくてその観念そのものが薄れつつある時にその召使というのがどこかにいてもそれがそうなのかどうか直ぐには決め難いに違いない。要するに人に使われるのが召使、それを使うのが主人というのがこの消え去った一つの制度の最も簡単な説明でそうすると今日でも主人と召使は幾らでもいることが解り、それも同じ人間が召使になったり主人になったりしている訳であるが身分として召使ということを殆ど聞かなくなったことからそれを聞くと混乱するものもいる。リラダンはただ自分の傍にいて身の廻りの世話をしていた男のことを言っているのである。(句読点ママ)

いかがでしょうか。引用するためにテキストを見ながらキーボードを叩いていても、内容が頭に入ってこない。この小説は何回も読んだのだが、何度目でも一回サッと流しただけでは理解が困難だ。ただ、言わせてもらえばこの文体こそが吉田健一なのであってそしてそれが好きなので内容がどうとか理解が困難だとかいう問題は言っても無駄なことなのである(少し吉田健一調)。

いま吉田健一の小説が斯界でいかなる評価が与えられているか知らないが、もし将来画期的な再評価がなされるとすれば、「吉田健一の文体は難解だといわれることが多く、それゆえ敬遠されたり、不当な評価を与えられているが、実は彼の文体の構造ほど単純明快なものはないのである」なんて風な書き出しで始められるかもしれない。
…でもやっぱりそれはないか。

とりあえず今後、吉田健一の文庫を出版社ごとに取り上げていくつもり。【99.6.28】


スカトロジー・アンソロジー(下)

(承前)以下の二書は、林氏の『古今黄金譚』の参考文献としても掲げられている。

◎山田稔『スカトロジア 糞尿譚』(福武文庫、1991年5月)

◎安岡章太郎編『滑稽糞尿譚 ウィタ・フンニョアリス』(文春文庫、1995年2月)

吉行淳之介「追いかけるUNKO」/北杜夫「神聖な糞虫」/入江相政「小便がつまる」/谷崎潤一郎「厠のいろいろ」/渡辺一夫「糞尿薬の話」/芥川龍之介「好色」/遠藤周作「寝小便に泣く男」/安岡章太郎「わが糞尿譚」/阿川弘之「黒い煎餅」/田辺聖子「おべんじょ」/平野雅章「酒・飯・雪隠」/円地文子「押入れの中」/畑正憲「モースの便所」/李家正文「トイレット天国」/白井浩司「バリュームさわぎ」/星新一「食事と排泄」/中村浩「ゾウの大グソ」/金子光晴「糞尿の話」/駒田信二「中国水火譚」/安岡章太郎「「放屁抄」蛇足」/山田稔「スウィフト考」/チョーサー「粉屋の話」/ラブレー「尻を拭く妙法を考え出したガルガンチュワの…」/ボーテ「オイレンシュピーゲルがマイン河のほとりの…」/バルザック「路易十一世飄逸記」/風来山人「放屁論」

山田氏の本は主に西洋の小説などに取材した糞尿エッセイだったと記憶している。それもあってのことだろうか、林氏は日本の古典にこだわって、そこからさまざまな糞尿譚を見つけだしてわたしたちに開陳してくれる。

安岡氏の編になる本は、糞尿エッセイではなく、糞尿について書かれた小説・エッセイなどのアンソロジーである。だから、林・山田両氏の本を読んでスカトロジー文学に興味をもったら、安岡氏編のアンソロジーにつかれるのがよろしかろう。まさにこれら三冊は黄金のトライアングルである。

やはりスカトロジーをめぐって書かれた文章は、タイトルを見ただけでも楽しそうではないか!このテーマは書く側もある種の開放感、爽快感があるのだろうか。【99.5.24】


知られざる伝奇小説

中公文庫 宗谷真爾『王朝妖狐譚』(1981年4月)

宗谷真爾という著述家を知っている方は少ないのではあるまいか。中公文庫に氏の著作が四冊入っていて、それらが一番身近だと思われるのだが、そのほとんどが品切れだろう。ここに紹介する『王朝妖狐譚』も品切れかもしれない。
最初に告白しておくが、実は私は本書を読んでいない。だから内容はカバーに印刷されているキャプションから。

大和朝廷に滅された出雲族末裔たちとのとぐろまく怨念と壮絶な死闘。日輪のかげにめまぐるしく転変する凄惨で淫靡な闇の絵巻―雄大な構想で日本の影≠フ歴史を描く長篇伝奇大ロマン。

それでもあまり内容は伝わってこない。これだけから想像力を逞しくすると、半村良の『産霊山秘録』を連想する。目次をみると章立てが「子の章」から「亥の章」まで十二支によってなされている。一部を抜粋してみると、「憑神と船霊」「比売神の陰」「訶梨帝母髑髏秘法」「坂東の虎」「杵築明神の決戦」「秘教立川流」など。なんとなく内容をくみ取っていただけただろうか。
王朝物の伝奇小説としては、いま新聞連載中の夢枕漠の『陰陽師』や、ちょっとさかのぼると福永武彦の『風のかたみ』などを思い浮かべる。本書もそうした流れのなかに位置づけることができよう。

ちなみに中公文庫に入っている宗谷氏の他の著作とは、深沢七郎系の小説と思われる(実際解説は深沢七郎)『鼠浄土』(79年3月)、アンコールワットをめぐる歴史紀行で、三島の戯曲『癩王のテラス』の発想源だという『アンコール史跡考』(80年12月)、さらに旅の範囲を拡大した『インド・東南アジア紀行』(91年7月)である。私はこのうち最後のものだけ新刊として購入した覚えがある。あとはすべて古本。
とまれ、王朝物伝奇小説に興味がある方は本書を探してみてください。【99.5.15】


見つけた“ナンセンス小説”

河出文庫『文豪ナンセンス小説選』(1987年7月)

泉鏡花「雨ばけ」/夏目漱石「夢十夜 第二夜」/内田百間「北溟・虎」/芥川龍之介「煙草と悪魔」/稲垣足穂「星を売る店」/森鴎外「寒山拾得」/横光利一「頭ならびに腹」/夢野久作「霊感」/萩原朔太郎「死なない蛸」/宇野浩二「化物」/梶井基次郎「愛撫」/久生十蘭「謝肉祭の支那服」/坂口安吾「風博士」/牧野信一「ゼーロン」/石川淳「知られざる季節」/中島敦「文字禍」/解説:鈴木貞美

ある必要があって段ボール箱の山を探索していたら、必要な本は見つからず、本書が見つかった。以前河出文庫の『文豪ミステリ傑作選』を取り上げたとき、本書の存在にも言及していたが、ようやくここに偶然にも見つかったので内容を紹介できる。

このなかで読んだことがあるのは、漱石・百間・足穂・夢野久作・安吾・牧野信一・中島敦の各篇くらいなので内容全体の紹介はできない。いずれにしても、各作家のメジャーな作品からは想像できないような小説というべきか。このような試みは文庫なればこそだろう。もっともっとこうしたアンソロジーを出してもらいたい。【99.5.4】


SF古典の普遍性

ハヤカワ文庫『日本SF古典集成』1(横田順彌編、1977年)

巌垣月洲「西征快心篇」/押川春浪「南極の怪事」/黒岩涙香「暗黒星」/村山槐多「悪魔の舌」/稲垣足穂「星を売る店」/佐藤春夫「のんしゃらん記録」/宮野周一「建設義勇軍」/海野十三「ヒルミ夫人の冷蔵鞄」/蘭郁二郎「地図にない島」

ハヤカワ文庫 『日本SF古典集成』2(横田順彌編、1977年)

平賀源内「風流志道軒伝」/押川春浪「月世界競争探検」/宮沢賢治「シグナルとシグナレス」/中山忠直「地球を弔う」/同「星座の主」/同「地球別離」/同「未来への遺言」/小酒井不木「人工心臓」/夢野久作「卵」/高橋鐵「怪船人魚号」/木々高太郎「偏行文明」/中谷栄一「夜のロマンツェ」/大下宇陀児「宇宙線の情熱」/海野十三「地軸作戦」

ハヤカワ文庫 『日本SF古典集成』3(横田順彌編、1977年)

坪谷水哉「明治百年東京繁昌記」/谷崎潤一郎「魔術師」/内田百間「件」/高田義一郎「人間の卵」/城昌幸「ジャマイカ氏の実験」/龍膽寺雄「乙女を誘拐した人造人間の話」/南沢十七「氷人」/海野十三「俘囚」/小栗虫太郎「遊魂譚」/蘭郁二郎「植物の人」/木々高太郎「女面獅身」/横溝正史「二千六百万年後」

最近ここではアンソロジーの紹介がつづいている。私のアンソロジー好きが一番の原因であることはまず間違いがないが、それに加えて、文庫というメディアの性質上、こうしたアンソロジーの実験がしやすいことと、だからこそマイナーなものはすぐ品切れになりやすい、以上二点の理由があろう。

さて今から20年以上も前に編まれた上の三冊だが、一見して、狭義のSFというよりは、空想的小説も含めた広義のSF小説の集まりであることがわかるだろう。怪奇小説のアンソロジーに含まれるものもあれば(槐多の「悪魔の舌」等)、探偵小説もある(小酒井不木や夢野久作等)。さらに谷崎や佐藤春夫、宮沢賢治、百間もいる。
これらを裏の日本文学史≠ニ呼んでしまうことは完全に時代遅れ、これこそが真の日本文学史ということさえちょっと古めかしくなるほど、ここに収録された作家、作品はメジャー化しているのではあるまいか。

こうした「SF古典」を発掘、紹介した横田順彌氏の功績は大なるものがあるといわなければならない。上の三冊に各一篇ずつ収録されている日本SFの父♀C野十三は、のちに三一書房から全集が刊行された。海野十三は、第二次大戦中に特異な日記をつけていた人物という側面からも注目すべき人物なのだが…。

最後に、これとほぼ同時期に、文庫ではないけれども、日本SFの古典を集めたアンソロジーの試みがなされているので、紹介しておきたい。同じく早川書房から刊行された『世界SF全集』中の一冊である。【99.4.15】

『世界SF全集第34巻 日本のSF 古典篇』(石川喬司編、1971年)

江戸川乱歩「押絵と旅する男」/同「鏡地獄」/小酒井不木「恋愛曲線」/平林初之輔「人造人間」/木津登良「灰色にぼかされた結婚」/直木三十五「ロボットとベッドの重量」/渡辺温「兵隊の死」/海野十三「振動魔」/同「十八時の音楽浴」/同「特許多腕人間方式」/夢野久作「髪切虫」/同「人間レコード」/同「卵」/小栗虫太郎「「太平洋漏水孔」漂流記」/野村胡堂「音波の殺人」/星田三平「せんとらる地球市建設記録」/牧逸馬「七時〇三分」/久生十蘭「地底獣国」/木々高太郎「網膜脈視症」/大下宇陀児「ニッポン遺跡」(抄)/横溝正史「二千六百万年後」/蘭郁二郎「脳波操縦士」/城昌幸「ジャマイカ氏の実験」/渡辺啓助「みなごろしの歌」/北村小松「月航路第一号」/香山滋「オラン・ペンデクの復讐」/同「オラン・ペンデク後日譚」/宮沢賢治「銀河鉄道の夜」/谷崎潤一郎「覚海上人天狗になる事」/川端康成「抒情歌」/横光利一「微笑」/稲垣足穂「一千一秒物語」(抄)/同「似非而物語」/内田百間「東京日記」/中島敦「山月記」/立原道造「かろやかな翼ある風の歌」(抄)/太宰治「猿ヶ島」/坂口安吾「夜長姫と耳男」/伊藤整「潜在意識の軌道」

※太字は『日本SF古典集成』にも収録


谷崎初期作品アンソロジー

◎ちくま文庫 『美食倶楽部 谷崎潤一郎大正作品集』(種村季弘編、1989年)

病蓐の幻想(7)/ハッサン・カンの妖術(6)/小さな王国(5)/白昼鬼語(7)/美食倶楽部(7)/或る調書の一節―対話(8)/友田と松永の話(10)/青塚氏の話(11)/解説:種村季弘「巨人と侏儒」

◎集英社文庫 『谷崎潤一郎犯罪小説集』(1991年)

柳湯の事件(8)/途上(8)/私(8)/白昼鬼語(7)/解説:渡部直巳「「犯罪」としての話法」

※( )内の数字は中公文庫版『潤一郎ラビリンス』収録巻数

いまでこそ中公文庫から『潤一郎ラビリンス』全16巻が出て、谷崎潤一郎の大正期の小説が容易に読めるようになったが、それまでは上の二冊がカバーするのみだった。その意味でこれらは先駆的アンソロジーと言うことができよう。
とりわけ種村氏が編んだ『美食倶楽部』は刊行時とびつくように購入して、むさぼるように読んだ記憶がある。それ以来すっかり谷崎ファンになり、中央公論社から刊行されていた全集28巻を古本で購入してしまった。

谷崎といえば『細雪』が一番メジャー、そのほか源氏物語の現代語訳、『蓼食う虫』『痴人の愛』『卍』などの長編を知っている程度だった私は、『美食倶楽部』によって谷崎の作品世界の奥深さを知ったのだった。いまでは逆に、長編で読んでいないのは『細雪』くらいになってしまった。

『細雪』を読んでいないから偉そうなことはいえないのだが、思いつくまま好きな谷崎作品をならべると、『鍵』『瘋癲老人日記』の晩年の日記文学二篇、あの『新青年』に連載された『武州公秘話』、究極の伝奇小説にして未完の『乱菊物語』…。『痴人の愛』は面白かったのだがナオミに翻弄される譲治にイライラした。『卍』は関西弁による語法がしっくり頭に入らなかった。
未読で読みたいと思っているのは、河野多恵子氏が評価する(『谷崎文学の愉しみ』)『黒白』、戦後に書かれた未完小説『残虐記』

もちろんいうまでもなく、上の二冊に収録されている初期短篇群は大好きの部類に入る。乱歩が日本探偵小説のさきがけとして絶賛する「途上」は何回読んだかわからない。谷崎といえば『細雪』だろうと思っている方は、是非ともこれら短篇や、上にあげた長篇も読んでみてほしい。【99.4.4】


文豪の書いたミステリー

河出文庫 『文豪ミステリー傑作選』(1985年)

夏目漱石「趣味の遺伝」/森鴎外「魔睡」/志賀直哉「范の犯罪」/芥川龍之介「開化の殺人」/谷崎潤一郎「途上」/泉鏡花「眉かくしの霊」/川端康成「それを見た人達」/太宰治「犯人」/内田百間「サラサーテの盤」/三島由紀夫「復讐」/解説:鈴木貞美

河出文庫 『文豪ミステリー傑作選 第2集』(1985年)

黒岩涙香「無惨」/徳冨蘆花「巣鴨奇談」/久米正雄「嫌疑」/村山槐多「悪魔の舌」/岡本綺堂「兄妹の魂」/大佛次郎「怪談」/吉川英治「ナンキン墓の夢」/山本周五郎「出来ていた青」/火野葦平「紅皿」/海音寺潮五郎「半蔀女」/吉屋信子「茶碗」/柴田錬三郎「赤い鼻緒の下駄」/解説:鈴木貞美

ここでいう「ミステリー」とは、ふつう頭に思い浮かべる推理小説∞探偵小説≠謔閧熏L義のジャンル概念である。解説の鈴木貞美氏の言葉をかりると「謎や神秘のあるもの、奇妙な味の小説」がそれ。小説のほとんどは謎や神秘を構成要素の一つとしているだろうし、だからこそ上に掲げたように漱石・鴎外から三島まで、およそ「文豪」と呼ばれた作家の作品が収められている。
第1集にはいわゆる「文豪」の作品が多く、第2集はどちらかといえば、いわゆる「大衆文学」畑の大作家のミステリー作品が多い。

河出文庫では98年に、「文豪ミステリ傑作選」と冠して、一人一冊のアンソロジーを刊行した。芥川・三島・太宰の三人(三冊)が出ている。これもまた同じコンセプトのものであると言ってよい。第1集に採録された各人の作品もそれぞれこの三冊に収められた。いわばここで紹介したアンソロジーの拡大版といった位置づけだろう。気にかかるのは太宰集が10月に刊行されて以来半年の間、続刊がないこと。いったいこのシリーズはどこまで続いて、誰がラインナップされているのだろう。そこが見えないのでこわい。

この流れで『文豪ナンセンス小説選』も出ている。むしろこちらのほうが早く品切れになって、入手するのも苦労したのだが、いままわりを見回しても見あたらない。見つかったらまた取り上げようと思う。【99.3.20】


長編 中編 短編 ?

大西巨人編『日本掌編小説秀作選』雪・月篇(光文社文庫、1987年12月)

〈雪の篇〉林房雄「林檎」/葛西善蔵「おせい」/川端康成「夏の靴」/森鴎外「電車の窓」/深田久弥「嶽へ吹雪く」/武田泰淳「信念」/長谷川伸「名人巾着切」/正宗白鳥「玉突屋」/井伏鱒二「鯉」/泉鏡花「親子そば三人客」/佐佐木茂索「或冬の日に」/葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」/岡本かの子「雪」
〈月の篇〉小川未明「火を点ず」/木々高太郎「秋夜鬼」/島尾敏雄「笛の音」/室生犀星「幻惑」/芥川龍之介「尾生の信」/伊藤左千夫「大雨の前日」/長田幹彦「野の宮」/広津和郎「崖」/太宰治「満願」/小島政二郎「月二回」/長谷川四郎「アイスピックル」/安岡章太郎「サアカスの馬」/齋藤緑雨「おぼえ帳四題」/牧野信一「好色夢」/樋口一葉「琴の音」/堀辰雄「窓」/大岡昇平「動物」

大西巨人編『日本掌編小説秀作選』花・暦篇(光文社文庫、1987年12月)

〈花の篇〉秋山清「死について」/坪田譲治「善太と三平」/北杜夫「おたまじゃくし」/北尾亀男「或る別れ」/里見ク「椿」/池谷信三郎「忠僕」/島崎藤村「壁」/安部公房「棒」/国木田独歩「帽子」/平林たい子「西向の監房」/野間宏「二つの花」/夏目漱石「夢十夜(第三夜)」/梶井基次郎「蒼穹」/志賀直哉「出来事」/梅崎春生「魚の餌」/徳田秋声「風呂桶」/有島武郎「潮霧」
〈暦の篇〉横光利一「幸福の散布」/村山知義「脱走少年の手紙」/佐藤春夫「魔女二題」/黒島伝治「その手」/菊池寛「世評」/鈴木三重吉「黒髪」/中野重治「おどる男」/藤沢桓夫「子供」/斎藤彰吾「みちのく二題」/星新一「友情の杯」/野上弥生子「片足の問題」

小説をその長さによって区別すると、長編・中編・短編、というのがまず普通に思い浮かべるところだろう。それでは、短編よりも短いものはどのように呼ばれるのか。

星新一風にいえばショートショート≠ゥ。でも○編と続いてきて、いきなり横文字では変だ。そこでパッと思いつくのは、「掌編」の語。「ショウヘン」とキーボードをたたいたらちゃんとATOKで変換されたから、社会的に認知された語だとわかる。川端康成にも『掌の小説』という小説集があった。

そのほか別の表現はあるか。それがあるのだ。以前ここでも紹介した島尾敏雄の小説集。サブタイトルに「葉篇小説集」と名付けられている『硝子障子のシルエット』がそれだ。文庫本で5ページ前後の短いものが収められている。解説などによると、この「葉篇」の語は島尾自身による命名らしい。小説家らしいきれいな造語である。

また、「瞬篇」なんていう語もあったように記憶している。誰の小説だったか、何で目にしたのか覚えていない。これも、いかにも短いという語感があって、うまいものだなあと感心する。

名前が掌編にせよ葉篇にせよ、こうした短編より短いものは、その短さゆえか、アンソロジーも多種多様に編まれている。今回ここで紹介する二冊は、一定のテーマにそくして編まれたものではなく、「日本近代文学を濃縮した総集編=vというだけあって、著名な作家が網羅されている。聞いたことがない作家もいる。聞いたことがある作家でも、「こんな作品が…」と思うようなマイナーな作品もある。元版はカッパノベルス(新書)で刊行されたそうだが、新書・文庫だからこその試みとして評価したい。【99.3.14】


旺文社百間文庫礼賛

早稲田の某書店にて、ながらく探していた旺文社内田百間文庫の一冊、『百鬼園の手紙』(平山三郎編)をついに入手した。価格も\1,000。絶版の旺文社文庫、それも百間のものにしては安いといえるだろう。内容はタイトルのとおり、百間の書簡集。講談社から刊行された旧版全集から再編集したもので、220通を収録している。いますぐ読みたいというわけではないが、漱石の書簡集と同じように、折にふれてひもときたい、と感じる一冊だ。

ところでこの旺文社百間文庫、旺文社文庫自体がすでになくなってしまったので、もちろん新刊書店では入手不可能となっている。それゆえ古書の世界では、旺文社文庫はそれなりの価値が出る。そのなかでも質量ともに白眉といえる百間文庫は、旺文社文庫がまとめて陳列されている場所には、必ずといっていいほど見つけることができる。
ただそういうところにかぎって、若いナンバーの本ばかり、つまり入手済みのものばかりで、後のほうのものはなかなか手に入らない。これは古書集めの常だろう。他の品切れではない文庫の山のなかに、ひっそりと混じっている。これがなかなか見つけられなかったものだったりする。これまた古書集めの常。そこに古書探しの楽しみがある。

もっとも今回入手した『百鬼園の手紙』は、前者に近い。すっかり頭のなかから消えていたものの、旺文社文庫がずらりと並んでいるなかからキラリと光る本書を発見したとき、気分は高揚。そのあとの一日がすごく幸福になる。

現在内田百間の随筆や小説は、福武(ベネッセ)文庫などで読むことができる。なのにあえて旺文社文庫のシリーズを集めるのは、単行本ごとに編集していること、旧かなであること、以上二点の理由による。
福武文庫は、もとの単行本が一つのテーマでまとまっているもの(阿房列車や、長編「贋作吾輩は猫である」絵本「王様の背中」、日記)以外は、随筆集をバラバラに解体して、各随筆をテーマごとに再編集している。読む立場からいえば、このほうが読みやすいのでいいのだが、だからこそ単行本がそのまま文庫になった旺文社文庫を求める意味がある。
また、福武文庫は「戦後の漢字、仮名づかいの変遷」「馴れた青少年の人たちにも、できるだけ多く百間独特の名作に接していただきたい」(編者中村武志氏)と、1989年の百間生誕百周年を機に、遺族の許可を得て新漢字・新かなに変更したものである。百間は82歳で亡くなるまで「旧漢字・旧かなづかいを厳として固守」(同前)した。その意思をついで旺文社文庫版は、旧かなのまま、漢字も一部(人名・地名など)は旧漢字を使用している。別に私は旧かなを称揚する者ではないけれども、百間の文章の雰囲気に旧かながマッチして好き≠ネのだ。だから旺文社文庫版を集める。

ただなかなかうまく集まらないのだなあ、これが。待ち望んでいた『百鬼園の手紙』入手をいい機会に、備忘のために旺文社文庫のリストを作成しておこう。(太字は未入手)

阿房列車21無伴奏・禁客寺
第二阿房列車22いささ村竹・鬼苑漫筆
第三阿房列車23ノラや
百鬼園随筆24東海道刈谷驛
続百鬼園随筆25クルやお前か
無絃琴26つはぶきの花
冥途・旅順入城式27けぶりか浪か
28波のうねうね
凸凹道29馬は丸顔
10有頂天30麗らかや
11随筆新雨31夜明けの稲妻
12北溟32残夢三昧・日没閉門
13丘の橋33実説艸平記
14鬼苑横談34贋作吾輩は猫である
15菊の雨35居候匆々
16船の夢36王様の背中
17沖の稲妻37百鬼園俳句帖
18戻り道・新方丈記38百鬼園日記帖
19随筆億劫帳39東京焼盡
20鬼園の琴
別1実歴阿房列車先生平山三郎編
別2百鬼園の手紙平山三郎編
別3百鬼園先生よもやま話平山三郎編
別4回想の百鬼園先生平山三郎編
別5百鬼園先生と目白三平中村武志著

こうしてまとめて見ると、持っていないものも多く、すべて集まるまでには道遠し…という感じ。おっ、と思ったのは、『百鬼園先生と目白三平』に挿入されていた「旺文社文庫 内田百間全作品集フェア」実施のチラシ。百間の略歴や全作品の簡単な紹介が書いてある。フェアは1986年12月より開催されたとおぼしい。文庫本に挿入されているこうしたたぐいのチラシは、読書の邪魔になるゆえ捨てられがちだから、これは貴重だ。【99.3.7】


絶妙のアンソロジー

◎文春文庫 文藝春秋編『もの食う話』(1990年10月)

前回も登場した“Books.or.jp”で調べると本書はまだ品切れでないから、厳密にいうとここで取り上げるべきものではない。
しかしあまり爆発的に売れて版を重ねるとも思えないし、現在の文庫出版事情からみてそう遠くない将来品切れということにもなりかねないから、こうした種類の本を好まれる方々に入手をお薦めする意味で取り上げたい。

ラインナップは次のとおり。フランス料理のフルコースよろしく、ブロックごとに「食前酒」「前菜」「主菜」といった名前がつけられている。

〈食前酒〉堀口大學「シャンパンの泡」/大岡昇平「食慾について」/内田百間「餓鬼道肴蔬目録」
〈前菜〉大手拓次「洋装した十六の娘」/内田百間「百鬼園日暦」/夢野久作「一ぷく三杯」/永井荷風「妾宅(抄)」/邱永漢「食在廣州」/澁澤龍彦「グリモの午餐会」
〈主菜〉萩原朔太郎「雲雀料理」/武田泰淳「もの食う女」/武田百合子「枇杷」/色川武大「大喰いでなければ」/赤瀬川原平「食い地獄」/吉行淳之介「出口」/森鴎外「牛鍋」/岡本かの子「家霊」/筒井康隆「人喰人種」/吉田健一「饗宴」
〈サラダ〉山村暮鳥「あさがお」/永井龍男「黒い御飯」/小泉八雲「食人鬼」/古川緑波「悲食記(抄)」
〈デザート〉西条八十「お菓子の汽車」/森茉莉「ビスケット」/近藤紘一「夫婦そろって動物好き(抄)」/水木しげる「悪魔くん(抄)」/向田邦子「お八つの時間」
〈食後酒〉吉田一穂「VENDANGE」/中島敦「幸福」/福田恆存「ニュー・ヨークの焼豆腐」

大手拓次・山村暮鳥の詩、緑波の日記、水木しげるの漫画。吉田健一や色川武大の大食記、百間の食べたいものメモからかの子の小説まで。食べものにまつわるバラエティに富んだ編集で、「これぞアンソロジー」といった具合。堀切直人氏による解説、装幀の雰囲気まで含めて、高水準のアンソロジーです。【99.2.20】


文庫で読める島尾敏雄

1997年12月時点で手に入る書籍を検索できる“Books.or.jp”によると、いま文庫で読むことができる島尾敏雄作品は七冊。

  1. 『その夏の今は/夢の中での日常』講談社文芸文庫、1988年
  2. 『硝子障子のシルエット』同上、1989年
  3. 『贋学生』同上、1990年
  4. 『はまべのうた/ロング・ロング・アゴウ』同上、1992年
  5. 『死の棘』新潮文庫、1981年
  6. 『魚雷艇学生』同上、1989年
  7. 『新編・琉球弧の視点から』朝日文庫、1992年

このうち、どういうわけか3.の『贋学生』のみが手許にない。島尾敏雄は夢を記述した短編群がいい、とバイトをしていた古書店のSさんに強く薦められて以来、それを中心に島尾敏雄の文庫を集めていたら、各社の編集に微妙な差異があったり、今は読めなかったりと些末な発見≠した。
参考までに、4.の巻末に収録されている著書目録(青山毅氏作成)から文庫の部分のみ抜き出してみる(上の七冊は除く。太字は所有)。

  1. 『島へ』潮文庫、1972年
  2. 『出発は遂に訪れず』旺文社文庫、1973年
  3. 『日を繋けて』中公文庫、1976年
  4. 『われ深きふちより』集英社文庫、1977年
  5. 『島の果て』同上、1978年
  6. 『夢の中での日常』同上、1979年
  7. 『日の移ろい 正・続』中公文庫、1989年

あれ?少ないな、と思っていたら、どおりで「本書初刷刊行日現在の各社最新版「解説目録」に記載されているものに限」るものだった。でもそれから七年、すでにこの八冊も入手不可能になってしまった。このほか、私が持っているものを以下に掲げたい。

  1. 『夢の中での日常』角川文庫、1973年
  2. 『贋学生』同上、1979年
  3. 『その夏の今は・夢の中での日常』講談社文庫、1972年
  4. 『出発は遂に訪れず』新潮文庫、1973年
  5. 『出孤島記』新潮文庫、1976年
  6. 『夢日記』河出文庫文藝コレクション

上のcが、いま手に入る講談社文芸文庫版(1.)と構成が同じかと思って調べてみたら、1.には「孤島夢」一編が増補された形になっていた。この「孤島夢」は、他社版では、Cとaに収録されていた。「孤島夢」はめでたく文芸文庫版にて「夢の中の日常」グループの仲間入りを果たしたというべきか。そのおかげで、いま「孤島夢」を読みたいとしたら、かろうじてこの文芸文庫版が残っているわけだ。
このように、島尾敏雄の夢系小説を文庫で読みたいと思った場合、「夢の中の日常」を中心として編集されたものに当たれば、ほぼその代表的作品を読むことができるのだが、いま現在読むとしたら、頼るのは1.の文芸文庫版しかなく、多少困った思いをすることがある。私もその経験者だった。1.のラインナップは次のとおり。

出孤島記/出発は遂に訪れず/その夏の今は/孤島夢/夢の中での日常/鬼剥げ/島へ

島尾敏雄は周知のように、第二次大戦中海軍の特攻隊員で、終戦の二日前に出撃命令を受けながら発進命令を受けず、待機のうちに終戦を迎えた(1.の作家案内参照)という、極限的体験をもつ人。その体験に基づく小説も多く、上のうちの「出孤島記」や「出発は遂に訪れず」などはその代表的作品と言ってもいいだろう。
だがそれゆえに、上のラインナップは、夢系と特攻体験系の混成になってしまい、夢系を求める人間にとっては物足りなく映ってしまう。具体的に私は、「摩天楼」という作品を読みたかったのだが、1.には入っておらず、探しつづけた結果、Fの集英社文庫版とaの角川文庫版を得たのだった。二つのラインナップは以下のとおり。

F:孤島夢/摩天楼/夢の中での日常/鎮魂記/宿定め月暈/鬼剥げ/帰魂譚/島へ/頑なな今日/夢にて
a:孤島夢/摩天楼/夢の中での日常/アスファルトと蜘蛛の子ら/鎮魂記//鬼剥げ/むかで/島へ/夢にて

斜体は相互に収録されていない作品、太字はいま文庫では読むことができない作品。「鎮魂記」と「アスファルトと蜘蛛の子ら」は4.に、「夢にて」は2.にそれぞれ収録されている。
ざっと見ると、Fの集英社文庫版のほうが貴重な作品を収めたものといえるだろうか。ここまで登場しなかった新潮文庫版のd・eは、これら夢系と特攻体験系を組み合わせたもので、上記角川・集英社版に収められていない作品もあるが、記述がさらに錯綜するのでこれ以上は触れない。その他、「鋭敏繊細な感性によって描かれた一連の病院記」を集成したDも他社版に見られない特異性を持っている。

最後に装幀について。E『島の果て』とd『出発は遂に訪れず』のカバーはいずれも野中ユリさんの装幀にかかるもので、とても美しい。eは野中ユリさんではなく福井良之助さんによるものだが、化石をあしらった装画がこれまた綺麗だ。

大事なことを忘れていました。「摩天楼」は島尾敏雄の文庫では読むことができませんが、澁澤龍彦編のアンソロジー『暗黒のメルヘン』(河出文庫、1998年)に収録されていますので、いまも読むことができます。【99.2.11】

私の思うのに、島尾敏雄くらい夢のリアリティーを描くことに巧みな作家はめずらしい。それも、ひとえにスタイルのためであって、粘着力のある島尾のスタイルは、どうやら夢の世界の本質的な密度にぴったり対応しているらしいのである。(澁澤龍彦「編集後記」より)

百間と漱石と龍之介と寅彦

河出文庫 内田百間『漱石先生雑記帖』(1986年)

明石の漱石先生/漱石遺毛/虎の尾/掻痒記/貧凍の記/漱石先生臨終記/漱石先生の思ひ出拾遺/十三号室/漱石先生の書き潰し原稿/漱石先生の来訪/漱石蓄音器/漱石山房の元旦/紹介状/漱石断片/紅茶/机/寺田寅彦博士インキ・ペン・原稿用紙/「百鬼園日記帖」より/漱石全集推薦文二篇/漱石雑話/漱石山房の夜の文鳥/正月の稲妻/前掛けと漱石先生/新本/「つはぶきの花」より/九日会/「失敬申候へ共」薤露蒿里の歌漱石遺毛その後

河出文庫 内田百間『芥川龍之介雑記帖』(1986年)

竹杖記/湖南の扇/河童忌/猪の昼寝/官命出張旅行門衛/芥川教官の思ひ出/白濱会/亀鳴くや/黒い緋鯉/四谷左門町/「百鬼園日記帖」より/推薦文二篇/花袋追慕/非常汽笛/鈴木三重吉氏の事/花袋忌の雨/大朝顔/狗に類する 抄/ノコりノコらず/内田百間氏(芥川)/冥途(芥川)/芥川筆ペン画スケッチ三葉

太字は内田百間『私の「漱石」と「龍之介」』(ちくま文庫、1993年)未収録


河出文庫の二冊は、同社のWebページ丸善の検索によればすでに品切れ。巌谷純介氏による装幀が、それぞれ「漱石について書かれた本」「芥川について書かれた本」の雰囲気を出していただけに残念だ。もっともそれ以前に百間の文庫が入手できないことのほうが問題なのだが。

現在入手可能なちくま文庫本と比較すると、上記のように太字の諸篇がちくま文庫では読むことができない。このちくま文庫版は、河出文庫の二冊を一冊に再編集したわけではない。逆に、1969年と早くに刊行されたもので、言ってみれば河出文庫版は筑摩書房刊のものを二冊に分け、さらに漱石・芥川について百間が言及したエッセイを追補したものといえる。しかしながら、このさいどちらが先かどうかはこの場では問題としない。河出文庫版は、とくに芥川の方には、芥川による百間のスケッチが収められているだけに、その品切れがなおさら残念なのだ。

さて、百間のエッセイはどれも好きだが、とりわけ恩師である夏目漱石の事について書かれた諸篇を読んでいると、百間の恩師の前での畏まりようが、まるで自分が恩師の前にいるような感じになって、他人事とは思えなくなる。

話題はかわるが、いま読んでいる奥本大三郎氏のエッセイ集『本を枕に』(集英社文庫)に収録されている「明治の油絵」という文章の中に、百間と寺田寅彦どちらが好きか、という話が書かれてあった。どちらも漱石門下なのだが、随筆の面白さで一二を争うという点では、誰も文句を言わないだろう。

奥本氏は、寺田寅彦の随筆は「面白くて為になる」いっぽうで、百間は「いくら読んでも実益がない」けれども、「抽象的で、無意味で、演奏するたびに味が違う音楽のように、何度でも読むことが出来る」と言う。さらに、これを食通の論争になぞらえて、

百間ファンは「種物が好きなのは本当の蕎麦通ではない」というかも知れないし、寅彦ファンは「もりやかけでは栄養がない」と言うだろう。難しいところである。

とする。寺田寅彦…。うーむ、久しく読んでいない。今のところ私は百間ファンだが、この奥本氏のエッセイを読むと、猛烈に寺田寅彦の随筆を読みたくなったのだった。と、『漱石先生雑記帖』を見ると、その名もまさに「寺田寅彦博士」というタイトルの随筆があるではないか。これをまず読むことにしよう。【99.1.20】