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  エヴァンゲリオンってアニメ 2000-11-24 11:43  けら
      自分自身が望んだ結末・・・ 2000-11-24 20:44  マナコ・アンドウ
      関係ないんですが。 2000-11-24 17:06  20号の首
       失楽園版・・・ 2000-11-24 23:28  天
        エヴァですか… 2000-11-25 01:10  blackmilk
         まごころをオタクに・・・ 2000-11-25 17:56  マナコ・アンドウ
          すいません、ここから熱い議論をしてしまいます 2000-11-26 05:34  blackmilk
           解答としての限界 2000-11-27 21:01  マナコ・アンドウ
            確かに… 2000-11-28 01:26  blackmilk
             ↑間違った… 2000-11-28 01:32  blackmilk
              ↓すいません、改行失敗しました・・・ 2000-11-30 19:11  マナコ・アンドウ
              アイは叫ばれた・・・ 2000-11-30 18:55  マナコ・アンドウ
           単純な受け止め方 2000-11-26 08:08  koh
            あの頃はまだ若かった。 2000-11-26 16:08  マチコ
             劇場版 2000-11-26 16:29  白い扉
              ところで・・・ 2000-11-26 19:42  天
               んー…(ネタバレ?) 2000-11-27 00:19  blackmilk
                なるほど。 2000-11-27 11:26  けら
                 血の匂いはしますが・・・ 2000-11-27 19:59  マナコ・アンドウ
                  なんか凄いなぁ・・・ 2000-11-27 21:47  天
                   独り言のように囁く・・・ 2000-11-30 19:37  マナコ・アンドウ

 


enjeru-n-ke エヴァンゲリオンってアニメ 2000-11-24 11:43  けら  e-mail    

私はちらっと見たことがある程度なんだけど、
オタクいじめの為に作られたって本当ですか?



t_ransurotto 自分自身が望んだ結末・・・ 2000-11-24 20:44  マナコ・アンドウ      

どうも、こんにちは。こちらの方の掲示板に出てくるのは初めてです。よろしくお願いします。
・・・エヴァンゲリオンですか。私の感想ではあれはオタクに向けての作品であったとは思います。
ただ、それがオタクいじめというのは曲解であると思います。そのような解釈がなされてしまうのは、
あの作品では、オタク的な考えかたを鋭く捉えていて、そうすることでオタクが触れて欲しくない、
オタクがオタクである理由、その心理をえぐり出そうとしていますから、(本当は彼らもそれを待っていたはず)
そういう意味では、いつまでもオタクであり続けたいと思う人にとっては心地いいものではないのかもしれません。
また、流行した当時は様々なキャラクターグッズ、特典付きの商品などが色めき立っていましたから、
確かにオタク泣かせではあったと思います。逆に、オタクまる出しなのがある意味正当化されていましたが・・・。
結局、オタクというのはいつも受け身ですから、アメとムチの区別さえもそれっぽいフリでごまかそうとするんです。




forcas 関係ないんですが。 2000-11-24 17:06  20号の首      

失楽園版ってあるの知っていますか。通販らしいですが。



kimudesu 失楽園版・・・ 2000-11-24 23:28  天  e-mail    

気になる(爆)。

話は変わりますが、漫画版ではトウジが死んだっぽいですね。
でもストーリー展開は同じ・・・やる気あるのか?(笑)

劇場版・・・あのラストは監督のやる気のなさの現れだと解釈しております。
そしてアレを見た妹は、
「監督は宇宙人だと思う」
と言ってました(笑)。



moru-ba エヴァですか… 2000-11-25 01:10  blackmilk  e-mail    

 私は当時めちゃくちゃハマってしまったくちですが。
確かにおたくをやめろ、もっとまわりを見れというメッセージはあったと思います…。ただメッセージとしては完成されていませんよね。劇場版ではシンジは破綻しているし。多分それは庵野監督が自分自身に固執し過ぎた所為だと思っています。つまり監督自身がおたくを脱却しきれているかという点で、吹っ切ることが出来なかったのでしょう。私自身はおたくも何も当時中坊だったので、ただただストーリーと演出の凄さに熱中していました。しかし今万人に勧めれるかというとちょっと…、ですね。負のパワーが強すぎるというか(笑)。

私の劇場版解釈

25話は素晴らしかったと思います。エレベーター前でのシンジとミサトのやりとりにエヴァのメッセージの全てが詰まっていると感じました。
26話は…、「25話でてめぇらの望むものを創ったんだ、26話は好き勝手にやらしてもらうよ、おめぇらが何と言おうが知ったこっちゃねえんだ、ラスト? あれが一番かっこいーだろーが!!」という、庵野監督のメッセージがバリバリ聞こえてきました(笑)。



t_ransurotto まごころをオタクに・・・ 2000-11-25 17:56  マナコ・アンドウ      

上の意見では、オタク、オタクとずいぶんと批評家ぶったことを言ってしまいましたが、
私自身を含めて、人は誰しもどこかでオタク的な心理を抱えているものと思います。
だから、別にオタクでもいいんです。完全にオタクを脱却する必要性は必ずしも無いし、
というよりも、それはできないんですよね。そう思っていてもできないというのが、
内面世界でのジレンマとして在って、でもそこから目をそらして逃げ出してしまうのは、
自分一人の世界に閉じこもるだけで、人とのコミュニケーションを投げ出しているのと同義でもあるんです。
人は個としては決して完成されず、だからつねにお互いの身を寄せ合おうとする・・・・・・。
でも、そうして互いの心が近づくほどに、さらけ出せない、でも忘れられない心の傷がまた疼き出す・・・・・・。
・・・それでは自分自身がもっとつらい思いをすることになるということなんですよね。
結局、どっちに逃げても、最後は自分自身に戻ってくるわけだから、逃げてはダメなんですよ。
とは言っても、やっぱり逃げ出したくなるときというのはいくらでもあるわけで、
そういうときにはどうすればいいのかというと・・・もはやなすがままに・・・というか、
あそこまで行ってしまうと、もうどうにもそれ以外の結論はあり得ない、結論なんてあり得ない。
とにかく、「僕はここに在てもいいんだ!!」・・・としか言いようがないという、
救いようのない中に救いを見いだそうとしても、終局的には論理矛盾するという姿を露呈してしまったと・・・、
でも、あれはあれでいいと思います。最後まで人のかたちにこだわったあげく、ああなってしまった・・・と。
その過程を含めて私は評価したいと思います。・・・おめでとう・・・!!・・・ありがとう・・・・・・!!(一人笑)





moru-ba すいません、ここから熱い議論をしてしまいます 2000-11-26 05:34  blackmilk  e-mail    

確かにオタク的心情は否定できません。というかオタクという言い方が悪いというか。人は何かしら好きなものはありますよね。それにのめり込むのは普通だし、逆に素晴らしい場合もあります。庵野監督が攻撃していたのは、それのみに興味を持ち、外界とのコミュニケーションを絶ってしまった人達の事です。

エヴァ作品全般での感想を言わしてもらいますと、生きていくための立ち位置が、人に近付き過ぎて傷付く(或いは傷付かないようにある程度距離を置く)か、全くコミュニケーションを絶つ、の二つしかないんですよね。いわゆる自分の足で立つ(自分自身を信頼する)という選択肢がないんですよ。庵野監督は本当はそれを描きたかったと思うんですが(「男の戰い」で多少見受けられる)、それは出来なかった。もしあのストーリー展開でその方向に自然に行かせる事ができれば(可能かどうかは私には分からない)、庵野監督は世紀の名監督になっていたでしょう。凄まじい失敗作と言うべきでしょうか。ただ庵野監督自身の姿勢は「自分自身を信頼」して、次々と作品を発表していることに頼もしさを感じます。



t_ransurotto 解答としての限界 2000-11-27 21:01  マナコ・アンドウ      

blackmilkさん、いいです、熱いですね。私もとても嬉しいです。
エヴァの作品解釈そのものは、私とblackmilkさんはほとんど、言葉の違いを除けば全くの同じのように思います。
ただ、最終的にそれをどう評価するのかというところで、答えが正反対のものになってしまっているようですね。
ここは個人の価値観、審美観によるところが大きいですから、統一しようとすることの方が無理なんですけど、
“凄まじい失敗作”と言われてしまいましたから、一応、私の方の意見を言っておこうと思います。
エヴァで、自分の足で立つという選択肢はあったかもしれませんし、無かったのかもしれません。
それは、他人とのコミュニケーションを全く絶つというケースに含まれていたとも思いますし、
あるいは、そもそも地に足がついていなければ生きてゆけないというのは、ある意味当たり前で、
それを意識している人間の方がむしろ少ない、多くの人間は気付いてはいない。気付いたら救われるのか?
ということで、それとなく伝えられてはいたけれども、主題にはなり得なかった、のだと思います。
つまり、自分自身だけでは人は補完され得ないということではないでしょうか?
一つ一つの選択肢を曖昧なままで全て受け入れろと、いう結論であったと思います。
・・・いえ、結論にはなっていないんですが、未完成であることが答えだと。そういうことだと思います。
なんか、あれやこれやと詭弁っぽいことになってしまいましたが、
たぶん、なんとなくそういう曖昧さはあえて残ったのだと思うのです。・・・私はそう思います。




moru-ba 確かに… 2000-11-28 01:26  blackmilk  e-mail    

これは私が悪いのですが、「凄まじい失敗作」というのはニュアンス的には、「偉大な失敗作」という意味で書いています。確かにエヴァは綺麗事を描くのだけは絶対に避けたというのは分かります。それは監督の姿勢としても圧倒的に正しいのですが、私は作品にメッセージを入れる場合、何かしらの問題を前進、或いは昇華させるようなメッセージが入っていなければならないと考える人間なので、上のような意見を述べています。マナコ・アンドウさんは「救われる」という事に焦点を置いておられるようですが、私は何かに依存することで精神が本質的に救われるという事は無いと考えます。よく考えると「救われる」という言葉自体意味が不明なのではないでしょうか(救命等の場合を除く)。自分自身が納得する結果を得るには、何回失敗してでも自分自身に手で行うしか無いというのがエヴァのメッセージだったと私は思っています(ストーリーとは乖離していましたが)。

しかし、歳月がたった今でもなお、熱く語ってしまうという点に於いて(私だけ?)、エヴァは価値があるといえますね(笑)。  



moru-ba ↑間違った… 2000-11-28 01:32  blackmilk  e-mail    

「自分自身に手で」じゃなくて「自分自身の手で」です。すいません。



t_ransurotto ↓すいません、改行失敗しました・・・ 2000-11-30 19:11  マナコ・アンドウ      

人が本質的な意味で“救われる”ということはない・・・。blackmilkさん、まったくおっしゃるとおりです。
私も、人の心が何かに依存することによって、根元的な補完がなされる、私の云う“救われる”と言うことはないと思います。
それでも、少しでも“救い”を得たいと思うのならば、そのためには、どこまでも自分の足で歩き続けなければならないということで、
ただ、人はそんなに強くはないし、かといって絶望的なほど弱くもない。(ここで絶望して厭世してしまう人もいるかもしれませんが)
だからこそ、いつだって希望を持とうとする意志を持っていなければ、とても、こんな世界を一人では生きていけない・・・、
救われようが、救われまいがそれを自分自身で納得するしかない。このことはエヴァが提起した、
無限にある結論としての可能性の一つだったと思います。それは物語的な理屈ではなく、
とくに直接的な心境としてこのメッセージは伝えられている気がします。たしかに、上昇的な展開で昇華し切れているとは言えません。
でも私は、自分の足で立ち上がるということと、その視点で世界と向き合うということとは、そもそも両義的な関係にあるのではないかと思うのです。
一方だけに寄り掛かった生き方というのはできないわけで、そのそれぞれを受け入れることによって、
そうしつつ自分という存在を認めることができるような、そういう姿勢をとりながら、
少しづつでも前へと進もうとする意思は表現されていると思います。私とblackmilkさんとでは“前進”の捉え方が違うのでしょうか?
私は、TV版の最終話ですでにその部分でのメッセージは終わっている(無理矢理に終わらせているとも云える)と思うので、
それに依拠して議論していますが、最終的に世界がどうなろうとも、人が前へと進んでいく・・・、
あるいは進んでいく他にはない存在であるというメッセージはたしかに伝えられていると思うし、
そしてそれは、エヴァという作品に触れた、それぞれの人自身が自分で納得するしかないというところまでは到達していると思うのです。
結論は他人から与えられるものではなくて、自分自身で見つけるもの、どこを捜しても見つかるわけはないし、
それで意味は無くともそれが生きるということだと・・・。
私的には、もっとカタルシスとしての“救い”みたいなのを求めてしまうのですが、
(・・・どうして映画版のラストはアスカなのでしょう? 一等親はさすがにマズい・・・?)
大局的な目で見た場合、あのメッセージは、一つの事象だけでは語れない繊細さを持ち合わせたものであったと思うし、
ただそれは“アニメーション”としては完成されていなかった・・・ということでしょうか。

・・・文章ガタついててすいません。余計に読みにくい・・・?




t_ransurotto アイは叫ばれた・・・ 2000-11-30 18:55  マナコ・アンドウ      

人が本質的な意味で“救われる”ということはない・・・。blackmilkさん、まったくおっしゃるとおりです。
私も、人の心が何かに依存することによって、根元的な補完がなされる、私の云う“救われる”と言うことはないと思います。
それでも、少しでも“救い”を得たいと思うのならば、そのためには、どこまでも自分の足で歩き続けなければならないということで、
ただ、人はそんなに強くはないし、かといって絶望的なほど弱くもない。(ここで絶望して厭世してしまう人もいるかもしれませんが)
だからこそ、いつだって希望を持とうとする意志を持っていなければ、とても、こんな世界を一人では生きていけない・・・、
救われようが、救われまいがそれを自分自身で納得するしかない。このことはエヴァが提起した、無限にある結論としての可能性の一つだったと思います。
それは物語的な理屈ではなく、とくに直接的な心境としてこのメッセージは伝えられている気がします。たしかに、上昇的な展開で昇華し切れているとは言えません。
でも私は、自分一人の足で立ち上がるということと、その視点で世界と向き合うということとは、そもそも両義的な関係にあるのではないかと思うのです。
一方だけに寄り掛かった生き方というのはできないわけで、そのそれぞれを受け入れることによって、そうしつつ自分という存在を認めることができるような、
そういう姿勢をとりながら、少しづつでも前へと進もうとする意思は表現されていると思います。私とblackmilkさんとでは“前進”の捉え方が違うのでしょうか?
私は、TV版の最終話ですでにその部分でのメッセージは終わっている(無理矢理に終わらせているとも云える)と思うので、それに依拠して議論していますが、
最終的に世界がどうなろうとも、人が前へと進んでいく、あるいは進んでいく他にはない存在であるというメッセージはたしかに伝えられていると思うし、
そしてそれは、エヴァという作品に触れた、それぞれの人自身が自分で納得するしかないというところまでは到達していると思うのです。
結論は他人から与えられるものではなくて、自分自身で見つけるもの、どこを捜しても見つかるわけはないし、それで意味は無くともそれが生きるということだと・・・。
私的には、もっとカタルシスとしての“救い”みたいなのを求めてしまうのですが、(どうして映画版のラストはアスカなのでしょう? 一等親はさすがにマズい?)
大局的な目で見た場合、あのメッセージは、一つの事象だけでは語れない繊細さを持ち合わせたものであったと思うし、
ただそれは“アニメーション”としては完成されていなかった・・・ということでしょうか。




for2 単純な受け止め方 2000-11-26 08:08  koh  e-mail  URL  

正直あのマンガは思春期の教育に良くないんじゃないかなあ、
なんて思ってたりもしたんだけどblackmilkさんみたいに前向きに
受け止められる「当時中学生」がいて、おじさん安心って感じですかね。
(まだ21ですが)

自分はロボット物としか見ていなかったのでテーマ云々はあんまり
気にした事ないです。大事なのはどれが強いかのみ。(笑)



panpukinheddo あの頃はまだ若かった。 2000-11-26 16:08  マチコ      

当時中坊だったのであのどぎついストーリー展開に耐えられず、わけがわからない状態で劇場版を見終りました。
ので、みなさんのようにごつい意見を持っていません。
もっかい見直してみようかな。
でもロボットモノとしては面白かった。

とにかく単純にロボットモノで描いて最後もハッピーエンド…という幼い結末を予想してたマチコにとってあれは衝撃的ではありました。
でもそれでも結構面白かったかも…



desureo 劇場版 2000-11-26 16:29  白い扉      

↑でエヴァンゲリオンというものを初めて見ました。友人に誘われて(当時高1)。
なのでさっぱり分かりませんでした。まあ、話題にはなっていたんで登場人物ぐらいの知識は持っていましたが。

でも、そこからハマってしまった感があります。漫画版買ってしまいましたし。アニメの方は1回も見てないのに。今でも見れてません。1回見てみたいな…でも今更という感じもするし。




kimudesu ところで・・・ 2000-11-26 19:42  天  e-mail    

劇場版、あれってハッピーエンドだったんでしょうか?
僕はバッドエンドだと思うんですが、妹や周りの人間はハッピーエンドだったと言います。

何故?僕には分からない・・・(死)。



moru-ba んー…(ネタバレ?) 2000-11-27 00:19  blackmilk  e-mail    

なんかね、ここからは自分の想像で話すしかないんですけれども、初号機が巨大な樹になって、ロンギヌスの槍とS2機関が融合することで、神と等価の存在になるわけです。つまり搭乗しているシンジの、人間への愛憎によって、今後人間という種が今まで通り(ATフィールドがあるままで)繁栄し続けれるか、LCLという液状の群体としての形態になるかという審判が決定されるのですね。多分これは地球の元からあった運命ではなく、キール・ロレンツらの人類補完委員会がアダム、リリス、エヴァ、ロンギヌスの槍を利用して計画・遂行している。そして人類補完委員会はシンジが人類を憎んでいると確信していたけれども、しかしシンジは「またみんなに会いたいと思った」と愛の意識を強くして、審判は決定された。つまり以前のままのATフィールドが存在する人間社会の方に決定されたんですね。しかしそれは、シンジとアスカだけが存在する、つまり、また人類をアダムとイヴという最初からやり直す世界だった。…というのが(謎の部分の)私の解釈です。だからラストに関して言えば、シンジが「またみんなと会いたいと思った」事に焦点を当てればハッピーだし、最後にシンジとアスカがお互いを絶望的に拒絶しているところに焦点をあてればバッドとなるでしょう。ただ、エヴァはストーリー構造上どうとでも解釈できるので、やはりこれは私個人の勝手な解釈です。



enjeru-n-ke なるほど。 2000-11-27 11:26  けら  e-mail    

ところで、気持ち悪いとか聞いたんですけど
どんな風に気持ち悪いんですか?



t_ransurotto 血の匂いはしますが・・・ 2000-11-27 19:59  マナコ・アンドウ      

気持ち悪いかどうかはわかりませんが、その様子を表す擬態語としては、
「ぐちゃぐちゃ」とか「ぶちゅるぶちゅる」とか「どぴゅっどぴゅっ」としていると思います。
どのシーンが・・・というよりも、作品全体としてこういう雰囲気があります。
そのまま、思いっきり「ぐちゃぐちゃ」になっているものもありましたけど・・・。
でも、グロテスクな表現そのものは、実際に作品の中で起こっていることに比べて、
かなり抑制されたものだと思います。映像としてそんなに気持ち悪いものはなかったような・・・。
ちょっと、よくわかりません・・・。私以外の方の意見も参考にした方がよいかと思います。




kimudesu なんか凄いなぁ・・・ 2000-11-27 21:47  天  e-mail    

僕にはそこまで考えるほどの頭はないです、ハイ(死)。



t_ransurotto 独り言のように囁く・・・ 2000-11-30 19:37  マナコ・アンドウ      

私は、エヴァンゲリオンを十年後くらいあとで、また見ることができたらいいなぁと思います。
現在とは違う見方ができると思いますし、一度忘れることによって、また思い出せるものがあるかもしれません。
大人になってもそういうことができるのって、なんかいいですよね。え・・・?、あんまりよくないですか・・・?
まぁ、あまり意識しないように、うまく忘れられるように、そのときがやってくるのを楽しみにしています。

・・・そういえば秋もずいぶんと深まってきて、もうそろそろ冬ですねぇ・・・・・・。



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