雑記06:ヘッドスライディング後記(1998.09.15)


あの後、”なぜヘッドスライディングをするのか?”について考えてみた。

思い付いたのは、
1.ヘッドスライディングをした方が早いと思っている
2.0.1秒でも早く1塁に”タッチ”したいという気持ちからつい”手”が出る
3.視覚的に”全力でやってますっ!”と訴えないと監督に怒られる
4.純粋な心で”生きよう”と一生懸命プレーすると自然にそうなる
5.ユニフォームが奇麗だとカッコ悪いからすべる
などだ。まぁ、おそらくだろう。野球に対して純粋な高校球児たちの原動力の半分は、やっぱり”気持ち”だから。

おしまい。



では怒られてしまう(誰に?)ので、”ユニフォームを汚すため”について考えてみる。
ちょっと話しの持ってき方が強引だが勘弁してもらおう。


ユニフォームが汚れるとどうなるか
「おかあちゃんにしかられる」
という方向はちょっと置いておくことにする。

さて、気を取り直して、ユニフォームが汚れるとどうなるか?
答えは”土が付く”である。「おかあちゃんに...」と同じ方向だ〜っ!と思った方、まだまだ甘い。この先の話しは国際的な”検疫”の話しにまで発展するのだ!?

高校野球、と聞くと何を思い出すだろうか?
大方の人は”甲子園の土”と答えるだろう。ここで、「野球なんて知らないし、高校野球だって見たこと無いもん」という人のためにちょっと説明しておこう。”甲子園の土”が分かる人は飛ばしてもらって結構だ。しばし待って欲しい。

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”野球”とは....これは辞書でひいてもらうことにしよう。

で、”高校野球”とは、学校対抗大運動会の種目が1つしかなく、その種目が野球である場合を想像してもらえばだいたいイメージできると思う。
つまり、高校生が選手としてプレーする野球で、普通は各学校ごとに1チームを編成し、各校のチーム同士で戦い合うスポーツだ。

次に”甲子園”とは、3丁目の角にある焼き肉屋(オヤジギャグだ〜)ではなく、兵庫県西宮市にある地名であるが、野球を語る時に出てくる場合に限ってその西宮市にある”甲子園球場”のことを指す。
また、さらに限定した使い方になるが、”高校野球”を語る時に出てくる場合に限って”全国高校野球選手権大会”のことを指す。
(いわゆる”夏の大会”というやつ。もちろん”春の選抜”だって”甲子園”だが、この話しは”夏の大会の話”から派生しているので省略している。高校野球を知っている人なら百も承知のことだし、今は高校野球を知らない人向けの説明なので、混乱を避けるために省略した。よって、お怒りのメールは遠慮していただきたい。>毎○系の方)
簡単に言うと、”高校野球の全国大会”のことだ。

夏の暑い盛りに「昨日、甲子園見てたらすごいことが起こってたよ。」という会話を耳にしたら、
”夏のくそ暑い中、西宮市をどっかの高台からじっと見据えていたら、町の真ん中に突然ゴジラが現れて大暴れしてたよ”
などという意味ではなく、
”夏の高校野球選手権大会を見てたら、○×高校のエースが完全試合をしたよ”
などという意味である。”エース”とか”完全試合”については、近くに居る人にでも聞いて欲しい。

さあ、残るは”土”である。

甲子園(高校野球の全国大会の意味、以下同じ)というのはトーナメント方式で行われる。
トーナメント方式とは、”戦いに勝てば次の戦いができる”という競技方式だ。
どこかのチームに勝ったチームと、それとは別のチームに勝ったチームとが試合をして、勝った方が、これまたどこかに勝ったチームと試合をする.....ということを繰り返して、試合相手無くなったチームが優勝ということになる。
裏を返せば、負ければそれ以上試合ができないから”はいっ、さようなら”となるということだ。

で、負けたチームは戦場(甲子園球場)を去らなければならないのだが、その時に甲子園の想い出として自分達がプレーしたグラウンドの”土”を持って帰るのだ。

大枚叩いて泊まったホテルで、いざチェックアウトしようという段になって何か思い出の品を持ち帰ろうと物色したが、あいにく持って帰れるものがスリッパぐらいなのでそのスリッパを想い出に持ち帰る

ということを想像してもらえばだいたい分かるだろう。
彼ら(高校球児たち)も甲子園に来るまでに血のにじむような練習を重ね、地方大会を勝ち抜き、やっとの思いで晴れの舞台に立ち、でも負けてしまい、いざ甲子園を後にしようという時に甲子園球場から(物理的に)持ち帰ることのできるものといったら”土”ぐらいしかないのだ。

ふ〜っ、”甲子園の土”の説明がこんなにシンドイとは思わなかった。
-----------------<ここまで>---------------------

お待たせした。

高校球児は必ずと言って良いほど”甲子園の土”を持ち帰る。当然だ。私が甲子園に出場していたら間違いなく持ち帰っていただろう。
出場していなくてもなんとなく欲しい気がするぐらいだが、あの”甲子園の土”を持って帰ることができるのは”出場した選手”だけだ。

「オレ、甲子園でバイトしてるから持ってこれるよ」というのは止めてもらおう。たとえ同じ所から採った土でも全然別物だ。

で、その”甲子園の土”だが、選手なら誰でも球場から”持ち出す”ことはできるが”家まで持って帰る”ことができるのだろうか?

今なら「できるよ」と、さらっと言われてしまいそうだが、その昔持ち帰ることができなかった選手達がいたのだ。


首里高校。この名前を聞いてピンときた人は相当の”高校野球通である。(って、これを書いてる私が”高校野球通”というわけじゃないからね。たまたま調べたら分かっただけだから。)ピンとこない方のために説明しよう。

首里高校(”しゅり”と読む)とは、昭和33年の第40回記念大会に沖縄県代表として初めて甲子園の土を踏んだ学校だ。残念ながら大会2日目に0−3で敦賀高校に負けてしまい、甲子園での1勝の夢は果たせなかったが。

で、この沖縄”代表というところがミソなのである。
当時沖縄には琉球政府があった。よって、沖縄を出るのも、沖縄に入るのも”検疫”があったのだ。
私たちがLAXなどで”ナニカ、クダモノ、モッテマスカ?”とたどたどしい日本語で聞かれる、アレである。

ここで”甲子園の土”が問題となったのだ。

先ほど書いたのとは逆に、選手にとって想い出の”甲子園の土”検疫官にとってはただの”どんな微生物や細菌類がいるかわからんきっちゃない土なのだ。
そんなものを沖縄に入れるわけにはいかない。即刻”廃棄処分”である。
首里高校の選手達は泣く泣く想い出の土を手放したのだった。


と、”甲子園の土”についてはこんな悲しいエピソードがあったのだ。こんな話しをネタにふざけた話しを書くのは心が痛むが、どうせ誰も見てないだろうし、乗り掛かった舟だから書いてしまおう。

なぜヘッドスライディング”して”ユニフォームを汚すのか。

それは↑このようなことがあったという、一種のトラウマによるものではないだろうか。”生の土”は持ち込めなくても”汚れとして付いている土”ならバレないだろう、ということである。

な〜んて、本気にしないように



追記)
首里高校の悲しいエピソードにはほほえましい後日談がある。興味のある人は「高校野球」「首里」でネット検索してみると何かヒットするので、たまには自分で調べよう
ちなみに私の情報源は「べんり」「甲子園」がキーワードとなるだ。これも自分で調べよう