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NPO法人環境芸術ネットワーク
 

館長 本阿弥 清(ほんなみ きよし) Director Kiyoshi Honnami


2012.7.6  

■ 石子順造と丸石 ■

先日、現代美術系の批評誌『あいだ』193号に、「石子順造的世界」展(府中市美術館)の関連トーク(谷川晃一さんと上野昂志さんの対談)が掲載されていた。

この対談で、石子順造(本名:木村泰典)の「丸石」についてどのように語られていたのか期待していたが、両人の言葉は以下の通りだった。


谷川 「丸石というのは。あれは何だったんでしょうね。石子さんにとって」 上野 「わかんない。笑」

谷川 「当時、「なぜ丸石なんだ」と彼に聞いたことがあるんです。そうしたら「いい形」だ、といっていた。なんか「いい」形というものが客観的に存在するようなことをいっていた。「まん丸なものは、悪いってことはありませ んよ」と。笑」

上野 「そんなときにも、やっぱり好きだとはいわない?ああいう形が好きなんだ、とはいわないんですか。笑」

谷川 「いわない。「いい形」。だからやっぱり、彼自身に好き嫌いはなかったんじゃないでしょうか」


「石子順造的世界」展のパンフレット


私は、対談の内容に不満とともに少し悲しさを感じていた。「そんな単純なものではないだろう」と。

その理由は、石子さんが到達した卵のような丸石の中に、近代美術の命題ともいえる「空間と時間」表現の重要なヒントが潜んでいると私は思っているからだ。

石子さんの興味の変遷が、美術からマンガ、そしてキッチュを経由してたどり着いた先が、「丸石」の世界であり、芸術はもとより21世紀以降の人類のめざす方向が丸石を例に挙げることで見えてくると、私は思っている。

 人類が個から集団へと移行する歴史のなかで、人間を中心とした人間を絶対とする社会が構成され、成長をとげてきたのが西洋文化の現在の姿である。

そして、個の意見や実態が見えてこない集団社会は、いつの間にか歪みやほころびが生まれてきたといえるだろう。
その結果、近代都市の行き着く先に見えてきたものは、東洋的世界観ともいえる自然との共存や、いたわりの欠如であったとはいえないだろうか。

「丸石」は人間が作り出したものではない。気が遠くなるような長い年月と自然の営みの中から丸い「形」が生成されたのである。


李禹煥と石子順造が、1968年から69年にかけての出会いと交流のなかで話し合われたことは、「自然(もの)などの外界を受け入れること。人間の内と外について認識すること」であり、結果的には「もの派」理論の礎となる重要な問題提起となった。

「もの派」の起源には、西洋文化とは一線を画した、東洋的な「自然(もの)を受け入れる」という思想や自然観が根底にあったことを忘れてはならないのである。


富士山は、日本の最高峰にして形がシンメトリーであり、日本人の心をひきつける日本を象徴するシンボルとなった。

それはまぎれもなく「いい形」なのである。人間が創造して作り上げたものでもなく、あるがままにその姿を受け入れてきた日本人がいるのである。

日本には、創造して作り上げるのではなくて、自然を取り込み受け入れるという、享受の美学「借景」の文化がある。
例えば、京都にある円通寺の枯山水から見える比叡山などは、借景の美学といえる。

日本のシンボルとしての富士山は、信仰の対象として霊場や巡礼地として位置づけられ、富士山麓には、新興宗教の本山も数多く作られてきたことは知られているが、45キロメートル離れた三保松原(静岡市)からの駿河湾越しに見える富士山を借景として評価し、絵画、音楽、舞踏として残してきた古い歴史があったことは、現代日本人にはさほど知られていないことである。


西洋文化は、自然との闘いであり自然をコントロールすることで人間が成長してきた歴史がある。日本もまた、西洋の発展と歩調を合わせるかのように近代化の波に飲み込まれてきた20世紀でもあった。


私の手元には、戦前に発行された柳田國男の著書『石神問答』(創元社・昭和16年)がある。「石」を題材にした往復書簡である。

その最初に書いてあるのが、現在の富士市吉原に住んでいた山中笑との対話であり、富士山の山麓の町から投函された石に対する想いが詰まった書簡である。

特に、富士山の西側を縦断する富士川の上流域の河原には丸石が多く見られ、集落境には「丸石神」として祀られていることでも知られている。


富士山と丸石は、偶然にも富士山の懐に抱かれて長い時間をかけて「いい形」をつくり人間の前に現れたのである。


西洋的な自己の叡智の行き着く先は、人間中心主義としての科学万能の「創造」社会であり、昨年の東日本大震災による福島原発の事故に象徴される出来事であったかもしれない。

巷では、太陽光、風力、バイオマス発電などの電力の代替案が浮上しているが、結果的には経済優先の理論が国民の世論に勝り、原子力発電所の再稼動が政府主導でスタートしたことは周知のとおりである。


石子順造は東京に生まれ、縁があって風光明媚な富士山がよく見える静岡に終の棲家を見つけることになった。

石子の晩年は、東京という批評の戦場(仕事場)と、週末などに家族(妻や子ども)や美術仲間らが暮らす静岡を往復することで、李禹煥と語った「人間の外にある、あるがままの外界に目を向ける」という美術批評の方向性を、改めて確かめるいい機会になったと思う。(注:石子は、李禹煥との出会いと交流の時期(1968年前後)には、まだ丸石の存在には気がついていなかったと推測される)

石子は、静岡の「幻触」メンバーらとの語らいと、静岡の自然との触れ合いのなかで、1970年代に入って中沢厚の著書「山梨県の道祖神」との出会いが発端となって、現代美術はもとより人類の歩むべき方向性のヒントが「丸石」に潜んでいることを、確かな手ごたえとして感じ取っていたに違いないのである。

「もの派」を西洋美術の文脈から捉えると、現在「もの派」メンバーといわれている人たちによって、「位相−大地」(関根伸夫)が誕生した1968年の秋から1969年の秋までの実質1年間(長くて3年間)の表現活動であったと思う。

しかしながら、李と石子によって話し合われた「人間の外界にある自然(もの)をあるがままに受け入れる」という「もの派」起源の理論による美術表現は、石子から強い影響を受けた「幻触」メンバー(飯田昭二、前田守一、小池一誠)の第9回現代日本美術展(1969年)に発表された自然の素材を使った3作品と、1970年以降の石子らによる丸石の評価や小池一誠(幻触メンバー)の丸石の作品などによって、21世紀に引き継がれて今日にいたっていると私は思っている。


私は、石子順造と丸石がきっかけとなって美術批評家の椹木野衣さんと出会い、椹木さんの推薦で多摩美術大学芸術人類学研究所の特別研究員になった。

そして、研究所の所長をしていた人類学者の中沢新一さんと椹木さんと3人で、「石子順造と丸石神」の展覧会とシンポジウムをやることができた。


今年に入ってからは、私の富士山に対する想いが通じたのか、やはり中沢新一さんと交流がある特別研究員の石川直樹さん(富士山の写真集を出している登山家、冒険家であり写真家)と、富士山世界文化遺産関連のプロジェクトで出会うことができた。

「富士山」と「丸石」がなければ、中沢新一さんとも石川直樹さんとも出会うことがなかったのである。


そして、石子順造の調査をしているなかで出会ったのが、石子さんの甥にあたる絵本作家の木村太亮さんである。

先日、木村さんとお会いした折に、石子さんが木村さんのご両親にプレゼントした卵型のオブジェ2個を「石子順造の調査・研究をしている本阿弥さんに差し上げたい」との言葉とともに私がもらうことになった。ありがたいことである。


木村太亮さんからいただいた卵型のオブジェ


小池一誠さん(グループ幻触)宅にあった丸石

2012.4.10 

■ 靉嘔(アイオー)と武満徹 ■

325日の夜、『靉嘔』展(東京都現代美術館)の関連企画として、武満徹(作曲家)が生前に靉嘔さんに捧げた「七つの丘の出来事」というパフォーマンス作品の再演が美術館であった。

初演は、「空間から環境へ」展(1966年)の一環として、草月アートセンターで上演されたものである。

当時、靉嘔といっしょに出演した東野芳明(評論家)、山口勝弘(美術家)、一柳(作曲家)、ジャスパー・ジョーンズ(美術家)らはパフォーマンスに参加する機会がめずらしく、ちょうど来日していたジャスパー・ジョーンズは、初めてのパフォーマンス参加に興奮していたと、靉嘔は後に草月アートセンターの回想録に書いている。


今回は、故武満徹に代わってニューヨーク時代に靉嘔さんと親交があった一柳さんによる演出での再演で、過去に西武美術館での上演を合わせると今回で3回目の公演となるらしい。


美術館の地階大ホールを会場にして、丘に見立てた七つの脚立の上で繰り広げられる7人によるパフォーマンスで、ピアニストの高橋アキさんと寒川晶子さんが打つ2台のタイプライターの音は現代音楽を思わせるものだった。

そのタイプライターで作られた手紙を入れた封筒が、一柳さんによって最後に会場の観客に手渡されるもので、200人(?)近い観客の中から数人にしか渡されない手紙であり、私がもらえる確立はほとんどなかった。

しかし幸運にも私がもらうことができたのである。


会場は全て自由席。偶然にも靉嘔さんの奥さま(飯島郁子さん)が私の後ろの席になったので「靉嘔さんのご家族が一番前で見てください」と郁子さんに席をお譲りしたら、遠慮されて私が最前列の角の席でパフォーマンスを見ることができた。


この行いを「善行」というのだろうか。遠い昔、近所に住む中学の同級生が足を骨折したので学校の行き帰りにカバンを持ってあげて通学したことがあった。その行為に学校が善行賞をくれ地方新聞にまで載った。私は褒められることをした意識がなかったので、自分ではピンとこなかったことを今でも覚えている。

今回は、良い行いのお礼に天の神様がプレゼントしてくれたのだろうと思いながら、心地よい気分で美術館をあとにすることができた。


帰路の新幹線の中で、一柳さんからもらった赤い封筒を開くと、パフォーマンスで使われた色とりどりの花びらとともに


      「明日の話をしよう! 太陽と花 光とビューティフル!」


とタイプライターで打たれた手紙が入っていた。

 「靉嘔 ふたたび虹のかなたに」展

 2012.03.07  


■ 富士山と現代美術 ■

富士山について少し書いてみようと思う。


私が現代美術に目覚めた理由が「富士山」だというと、不思議がる人もいるかもしれない。

私は十代まで北陸で育った。本物の富士山に出会ったのは、立山(北アルプス)から剣岳を縦走したときに見た遠くにかすんで見える富士山の姿だった。その後、十代の終わりころに新幹線の車窓から、富士市付近で富士山の全容を見たときに少しジーンとなったことを今でも思い出す。

北アルプスを代表する名山のひとつ剣岳は、鋭くとがったその異様な姿から、人間を拒絶する力強さがあった。それに対して富士山は、3776mの高さからなだらかな稜線が駿河湾まで流れるように続くシンメトリーの安定した姿を見せてくれる。


パンフレットやポスターなどを制作するデザイナーが、仕事で行き詰ると富士山のように「シンメトリー」にデザインを配置すると、中央に視点が集束されバランスのよさとともに品格が漂うことでクライアントに好まれると聞いたことがある。

確かに安定感は人々の心を安心させ居心地もいい。それに対してアンシメントリー(非対称)は、その不安定さから、集束ではなく拡散のベクトルが働く。女性的な富士山と男性的な剣岳は、容姿としては対極にあるのかもしれない。

その後、人の心を包み込むような穏やかな富士山の姿が、私の心を虜にしたことは言うまでもなかった。


そして、学生時代(20代前半)に東京都美術館(上野)で偶然に出合ったのが、靉嘔(あいおう)の「ボルケーノ」というシルクスクリーンの作品だった。

その作品は、虹色で彩られたまさに富士山が噴火したような構図で、体中に電流が走ったようなその時の感動も忘れることができない。しかし、その後、その構図は富士山ではなく単なる火山であり、私の勘違いであったことが分かったが、その勘違いがなければ、私が現代美術の虜になることも、靉嘔さんに会うこともなかっただろう。そして、10年後には靉嘔さんのアトリエを訪ねことになるのである。

「富士山の見える所に現代美術館を造りたい」との想いは、その後の私の生き方に大きな影響を与えたことは言うまでもないことである。


その富士山がユネスコ世界文化遺産に登録されようとしている。来年(平成25年)の夏ころまでには合否が決定すると新聞などで報じている。

今、私が暮らす街(清水)には三保松原があり、車で20分ほどの距離にある。松原の海岸から駿河湾越しに見える富士山の姿は美しい。その三保松原も世界文化遺産の構成資産として指定対象になっている。三保や日本平からの富士山の眺めを世界中の人々に見てもらいたい。そんな想いで世界文化遺産に登録されることを私も心待ちにいている。


ちなみに、私の現代美術との出合いとなった靉嘔のシルクスクリーンの作品「ボルケーノ(Rainbow Landscape olcano)」は、縁があって私の手元を経由して対となる作品「Rainbow Landscape Mt.Fuji」とともに静岡県立美術館にあり、美術館の1階エントランスに時々展示されて来館者の目を楽しませている。

 靉嘔 ボルケーノ(Rainbow Landscape olcano


2012.2.5  

■ 靉嘔(アイオー)と東京都現代美術館(MOT) ■

20世紀の芸術の世界では、ピカソが視覚芸術のトップを走っていた。靉嘔(あいおう)は「芸術家としてピカソを越えるためには、五感の全てで作品表現をするしかない」と、ニューヨークに渡ってから4年後の1962年初秋に「靉嘔理論」ともいえる五感の表現に到達した。

その後は、幸か不幸か視覚部分の「虹」のみが話題となり、国内では「虹の作家・靉嘔」のレッテルをはられることになった。

触覚では「フィンガー・ボックス」、聴覚、味覚、嗅覚ではフルクサスらの仲間でおこなった「レインボー・ミュージック」「レインボー・ディナー」などがある。

そして、最終的に到達した表現世界は、思い出の品(オブジェクト)を等間隔に吊り下げる「サム・ハンギング・ピース」の作品だ。20世紀の現代アートが追い求めた「時間と空間」表現の作品化だった。そのような「虹」以外の靉嘔の表現活動は、国内ではまだその多くは知られていない。

靉嘔さんは、国内にいた時もニューヨークに渡ってからも、ちまたの美術の動向や世間の常識にはとらわれることなくアートの表現者として未知の世界を追い求めた人である。

誰かにいわれたり、頼まれた訳ではなく、自らの意志と行動で、パリ市の担当者を説得して、エッフェル塔に「300mの虹のフラッグ()」を架けるプロジェクトをやってのけた。パリ市での屋外を使った巨大なアートイベントとしては、クリストのポンヌフ橋を梱包した出来事以来のことだったらしい。

エッフェル塔300mレインボープロジェクト

そして、201224日(土)からは、80才になった靉嘔さんの大回顧展「靉嘔 ふたたび虹のかなたに」が東京都現代美術館(その後は広島市美術館と新潟市美術館を巡回)で始まった。

この展覧会のためにつくられた新作「My いっくに Friends」は、オプチミスト(楽天家)として知られている靉嘔さんらしく、以前ニューヨーク時代にオノ・ヨーコ、河原温、荒川修作らとのマージャンで過ごした日々のことを伺ったが、マージャン用語の「いっくうに=192」による上がり方?から取ったタイトルだという。

靉嘔さんの192人の「仲間たち」を表現した色のドット(オタマジャクシのようなデザイン)による絵画作品である。

1個ずつのオタマジャクシの横には、192人の名前もいっしょにアルファベットで書いてある。みんな靉嘔さんと過去に交流があった人たちの名前である。

ヒューマニストの靉嘔さんらしい仲間を想う気持ちが伝わる作品となった。

靉嘔さんのご家族とともに、アーティストではジョン・ケージ、ジョージ・マチューナス、アラン・カプロー、ディック・ヒギンズ、シャーロッテ・モーマン、ジョナス・メカス、ナムジュン・パイク、オノ・ヨーコ、ジョン・レノン、瑛九、猪熊弦一郎、草間弥生、荒川修作、吉村益信、武満徹、秋山邦晴、一柳慧、細江英公、山口勝弘、池田満寿夫ら、評論家・キュレイターやギャラリストとしては久保貞次郎、針生一郎、小川正隆、富山秀男、大岡信、海上雅臣、志水楠男、正木基ら、そして、美術愛好家として永年にわたり支援してきた福井県在住の木水育男さんや堀栄治さん、わたくし美術館運動の尾崎正教さんらの名前も書かれてあった。この3人はもう亡くなられてしまった。20世紀を代表する美術家たちとともに普通の人たちとも垣根なく付き合ってくれた靉嘔さんらしい仲間たちの名前がそこにあった。そして私の名前も書かれてあった。少し気恥ずかしくも、ありがたいことである。

 「My いっくに Friends」2011

私が靉嘔さんの作品に出合ったのは22歳ころで、最初にお会いしたのが32歳ころである。ちょうどニューヨークのロフトから清瀬(東京)のアトリエに帰っていた初秋に靉嘔さんに会いに行った。

その時にニューヨークでのオノ・ヨーコとジョン・レノン、アンディ・ウォーホルらとの交流を愉快に語る靉嘔さんの姿に、私の隣にオノ・ヨーコとジョン・レノンやアンディ・ウォーホルがいるような錯覚がして、時間の経つのも忘れて聞き入っていたことを今でも忘れることができない。

その初めての出会いから20年以上の時間が経過したが、その日が私にとってはかけがえのないアートという魅力に染まる大きな出来事の始まりでもあった。

今でも靉嘔さんとはお付き合いをさせていただいているが、私にとってその後の生き方に大きな影響を与えてくれた人物のひとりであることは確かである。

私が「虹の美術館」をつくったのも、そのような靉嘔さんとの出会いと交流がきっかけである。

2012.1.27 

■ 『石子順造的世界』展(府中市美術館)のこと ■

1月21日には、「石子順造的世界」展(府中市美術館)の関連企画にもなっている、中沢新一さんと椹木野衣さんの対談に、「幻触」メンバーの飯田昭二さんと故鈴木慶則さんの奥さん、静岡県立美術館のK学芸員、虹の美術館メンバーの佐野さんの5人で車で静岡から出かけた。

私は昨年12月のオープニングにも出かけているので2回目の府中行きとなる。オープニングには、石子順造さんの友人たちでもあった池田龍雄さん、赤瀬川原平さんらも来ていた。「ねじ式」の作者でもあるつげ義春さんも来ていたと後でマンガ関係者からうかがった。

中沢さんと椹木さんのトークは、いつもの切れ味のよさで聞き応えがあり、お二人ともお元気そうでなによりだった。中沢さんは、ちょうど一週間前(115日)に「脱原発世界会議2012 YOKOHAMA」(横浜)の席で、新政党「緑の日本」の設立を発表したことと、対談が無料で聞けたことなどから、府中の会場には、入りきれない聴衆で半分ほどの人がイスに座れずに立ち見となった。

3.11を境にして、これまでのバーチャルとイメージが中心の思想としての自分の仕事から、リアルな世界へと変えていきたい」と中沢さんが世界会議で語っていたようだが、府中の会場は美術館だったこともあり、「緑の日本」については具体的に言及することはなかった。

チベット仏教を極めるためにネパールに渡りニンマ派修行を行った実践派でもある中沢さんには、言葉だけに終わらないで日本の救世主になってもらうことを期待したい。

 「石子順造的世界展」池田龍雄さん

 2011.6.01  

■ 山本作兵衛と世界記憶遺産 ■

5月末に筑豊(九州)の炭鉱労働の様子を描いた山本作兵衛の作「筑豊炭鉱画」が、ユネスコ世界記憶遺産に国内初登録されたと新聞やテレビが伝えている。
世界自然遺産や文化遺産のことは知っていたが「世界記憶遺産」というものがあったということは今回初めて知った。

日本を代表する画家の作品や国宝などではなく、地方の一般労働者であり、名もない画家によって記録された原画や日記などの歴史資料だと聞いて驚きとともに、正木基さんのことを思い出した。
正木さんは、日本を代表するキュレーターのひとりとして、戦後現代美術の優れた展覧会を企画し私たちの目を楽しませてくれた人物である。
正木さんと最初にお会いしたのは、1991年の春に開催された『名画座・磯辺行久展』での磯辺作品の展示プラン協力依頼を受けた時である。

それ以来、正木さんのいくつかのキュレーションを見てきたがすばらしいものであった。
一昨年、正木さんの企画で『資源としての<炭鉱>展』(目黒区美術館)が開催された。その時に、「筑豊炭鉱画」を見ることができた。正木さんでなければできない企画だった。
1960年代の「パフォーマンス」の世界を記録にまとめた黒ダライ児さんとともに、正木さんも同様に埋もれた美術家や作品の原石を見つけ出す大切な人である。


山本作兵衛『寝堀り』(64年)

2011.4.29

■ 『肉体のアナーキズム』(黒ダライ児 著)のこと ■
 
虹の美術館を開いていた時から、メールでの情報交換程度のお付き合いだったが、黒ダライ児さんが現代美術研究の大きな成果を本としてまとめあげた。

黒ダライ児著『肉体のアナーキズム 1960年代・日本美術におけるパフォーマンスの地下水脈』

戦後の現代美術の通史が、未だに存在しないといわれている中で、さらに研究が困難だといわれている1960代を中心にした形に残らない「パフォーマンス」に焦点をあてた大変貴重な記録である。
黒ダさんの仕事に対する姿勢は、私自身、「もの派」と「幻触」の関係について調査している者として、非常に励みになったことは確かであった。
黒ダさん、文化庁の芸術選奨新人賞受賞おめでとうございます。


「肉体のアナーキズム」黒ダライ児

2011.1.15 

■ 岩崎永人と中沢新一 ■

美術家の岩崎永人さんから賀状が届いた。岩崎さんとの交流は、私が主宰していた虹の美術館で企画した「岩崎永人展」以来の関係なので8年ほどになる。

岩崎さんの賀状には、「自然素材を用いて20年ほどやって来ましたが、ようやく時代が理解してくれているように思います」と書かれてあった。

昨年、中沢新一さんと東京四谷でお会いしたときに、「山梨県出身の岩崎永人さんをご存知ですか」と尋ねたら、「良い作家ですね」と返事が返ってきた。私は嬉しかった。それは、岩崎さんの仕事を知っていてくれただけでなく、作品の質を理解してくれていることに対する想いからだった。

岩崎さんは、一般的に流木アートといわれる作品をつくるデザイナーではなく、現代美術としての「時間と存在(場所)」や「自然と人工((創造)」を作品の中に表現し昇華させたアーティストとして、私は高く評価している作家のひとりである。

中沢さんは、学生(東大)時代から「丸石神」に興味を持ち、中沢厚さん(民俗学者)や石子順造さん(美術・マンガ評論家)らと甲州の丸石探索に奔走した人である。また、芸術人類学研究所(多摩美大)の所長になってからも、「丸石神」の持つ魅力を研究対象のひとつにしていることは私も知っていた。

岩崎さんは、富士川河口などに流れ着いた流木を使った作品を発表しているアーティストであり、片や、中沢さんは、富士川上流域の甲州地方に伝わる丸石道祖神に魅せられて、その後はネパールのチベット仏教圏やアジア・アフリカのイスラム圏などをフィールドワークとしながら、人類の起源の掘り起こしを、文化人類学の立場で精力的に行っている研究者である。

『緑の資本論』中沢新一
岩崎永人「トルソ」

両者は、幼少の頃から、富士川流域という共通の場所と風景と空気を体感しながら、自分の歩むべき道を見つけ出した人たちである。

素材や形は異なっていても、自然の中に存在する客体としての「流木」と「丸石」には、人間の力を超えた悠久の時間とともにその姿を少しずつ変化させながら、石子順造がいうところの「いいカタチ」となって二人の前に現れた。

そして、この二人は、その形の魅力と存在が意味する価値を知る数少ない人たちとなった。

静岡県との県境に近い富士川支流の福士川の河畔に岩崎さんのアトリエがある。そのアトリエの柱には、「丸石神」の白黒写真がさりげなく飾ってあった。

岩崎さんの話によれば、堀慎吉さん(美術家)との交流で丸石神に出会ったと伺った。今でもあの写真はアトリエに残っているのだろうか。またいつか岩崎さんのアトリエで丸石の写真に出合えることを願っている。

2011.1.3  

■ 石子順造と鈴木慶則さん ■

明けましておめでとうございます。みなさま良いお年をお迎えになりましたか。

昨年は、石子順造を冠にした「石子順造と丸石神」関連の企画を、中沢新一さん、椹木野衣さん、多摩美大芸術人類学研究所のスタッフと実施することができました。
それから、現代美術批評を中心とする定期機関誌『あいだ』に石子順造、李禹煥、幻触について書いたものを、寄稿することができました。

そして、11月21日(日)には、石子順造さんと親交があった「幻触」メンバーの鈴木慶則さんが、逝かれました。
死期を予感していたわけではなかったのですが、14年間、透析治療を続けていた鈴木さんのことが気にかかり、『あいだ』誌への寄稿を呼びかけて福住治夫編集長から了解を得て、倒れる一ヵ月前に長文が掲載されました。これが、公式には最後の鈴木さん本人による石子さんに関する文章となりました。

さらに、倒れる3週間前の9月中旬には、現代美術の美術研究者や美術館関係者らによって近年進められている「日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ」(代表:加治屋健司)のインタヴュー対象者に鈴木さんや「幻触」メンバーが選ばれて、代表の加治屋さん本人が静岡に来てくださって、私とともに鈴木さんにインタヴューすることができました。
鈴木さんからのインタヴューのお礼のお葉書を私が受け取った直後に倒れて、その後は、意識が戻ることはありませんでした。

インタヴューの書き起こしは、3日前の12月31日に、加治屋さんらの尽力でこの会のホームページにUPされました。原稿用紙約100枚弱の内容です。興味のある方は覗いてみてください。鈴木さんからは、石子さんとの数多くの思い出が語られています。
「鈴木さん、ごくろうさまでした。彼の世では、先に逝かれた石子さんと、絵画のこと「幻触」のこと清水のことなど、いっぱい語り合ってくださいね」

 2010.10.23  

■ 「石子順造と丸石神」展 ■

先週末(10/16)から東京新宿の四谷ひろば(旧四谷第四小学校)で、「石子順造と丸石神」のシンポジウムと展覧会がスタートした。中沢新一さん(人類学者)が所長をつとめる芸術人類学研究所(多摩美術大学)による企画です。

中沢さんが、生前の石子順造さんと丸石神の探索に同行したことが縁で、石子さんの死後に「丸石神」の本を石子さんに捧げる形で出版されたことと、中沢さんとともに多摩美大に勤務する椹木野衣さん(美術批評家)も石子さんの丸石神やキッチュに興味を以前から持っていたことから、今回の企画がスタートした。

私も二人の企画に協力する中で展覧会などの支援とシンポジウムで話をいっしょにすることになった。

今回、重量のある石を展示会場で扱うなどの経験が少ない研究所若手スタッフが、試行錯誤の上で企画を完成させたことを知っている私としては、スタッフのみなさんに感謝したいですね。

それから、来年(2011年11月)には、東京の府中市美術館で「石子順造展」が開催されることが決まったそうです。「石子順造の世界」をどのようにまとめるのか、学芸員の成相さんらの仕事に注目したいですね。

また、昨日、李禹煥さんから突然の電話がありました。美術批評誌『あいだ』NO.175に私が寄稿した「李禹煥氏の見解」についての丁重なお礼の電話でした。会話の中でも石子順造さんや「幻触」との当時の思い出話がほとんどでした。
李さんは、来年、グッゲンハイム美術館(ニューヨーク)で個展が開催されるらしいですね。


  
      「丸石」小池一誠             「丸石神」遠山孝之

2010.8.1 

■ 中沢新一さんと椹木野衣さんと小池一誠さん ■

先月、中沢新一さんが所長を務める多摩美術大学芸術人類学研究所のメンバーの椹木野衣さんと事務局のみなさんとで、生前に石子順造さんと丸石神の調査をして丸石の彫刻作品も制作している小池一誠さんのご自宅にお邪魔した。

小池さんは2年前にガンで急逝されたので、ご遺族にお会いして庭に点在する丸石の作品を調査・見学することができた。

丸石は、外界の客体としての存在であるとともに、人間が手を入れることを拒むくらい見る人を魅了する造形美を持っている。
近代美術の命題は、『時間と空間を作品化する』ことと言われています。
丸石は、客体から主体に変わるその境界線にあるアート(アートにしなくてもよいかもしれない)作品といえるものです。
悠久の長い時間の中で形作られていった石は、人間の生活と一体となった記憶の中で丸石『神』になっていきました。それは『時間と空間を作品化する』そのものでもあります。
石子さんが晩年に最後の仕事として丸石の探索に走った理由も、そこにあったのだと思う。

小池さんは、戦後現代美術を代表する展覧会のひとつと言われている東京ビエンナーレ(1970年)に招待された美術家ですが、やはり丸石の魅力にハマってしまったのだと私は思っている。

中沢新一さんや椹木野衣さんも同様の気持ちで丸石に対する想いがあるようだ。
10月後半には、東京の四谷で『石子順造と丸石神』と題する展覧会とシンポジュウムが、現在、中沢さんと椹木さんを中心に企画されています。



2010.5.8 

■ 石子順造の生年月日 ■

生前の石子順造さんとは一度もお会いする機会がなかったが、1977年に他界されたので没後33年になるらしい。

石子さんの出生年は、石子さんの著書のほとんど(「性の思想」を除く)の奥付の経歴では1929年となっていたことから、ウィキペディア(Wikipedia)でも著書奥付からの引用なのか1929年生れとなっていた。
生前の石子さんも分かっていたはずだが、見過ごしていた理由には本人にしか分からない想いがあったのだろう。
石子さんの正確な出生年月日は1928年10月12日である。石子さんのご家族から伺ったことなので間違いはないと思う。

編集者としてご活躍し今は武蔵野美大の教授になられた高島直之さんが執筆されているYahoo!百科事典では、出生年を1928年と記載されており少し救われる思いがした。
時間の経過とともに石子さんが忘れ去られることなく正確に、ひとりの批評家として歴史に刻まれることを願って、先日、石子さんのウィキペディアWikipediaに少し修正・加筆をいれさせていただいた。
(ウィキペディアへの当初の書き込みは、内容から察するところ石子さんを慕うマンガ同人の人たちによって書かれたものと思われます。先に書かれた人に敬意を表して一部分のみの手直しとさせていただきました)

2010.2.14  

■ クリストとジャンヌ・クロード ■

ジャンヌ・クロードさんが亡くなられたことから、クリストさんの友人だったファッションデザイナーの三宅一生さんが中心となって、急きょ国内で「クリストとジャンヌ・クロード展」が、東京ミッドタウン・ガーデン内にある「21-21DESIGN SIGHT」(三宅一生デザイン文化財団)で開催されました。この建物の設計者は、確か安藤忠雄さんです。

クリスト事務所からの紹介だったのか、私も「21-21DESIGN SIGHT」から内覧会の招待状が届いたので行ってきました。クリストさんとも会うことができ、簡単な挨拶と握手もできました。

私が、クリスト&ジャンヌ・クロードさんの作品「囲まれた島々」をコレクションしていたことから、虹の美術館での企画展のポスターへの写真掲載について、ニューヨークのクリスト&ジャンヌ・クロードさんに問い合わせをしたことが縁で、ジャンヌ・クロードさんからは写真の使用許可と虹の美術館のある町を知りたいという「Which one is the Town?」というFAXが届き、それ以来、世界中で開催されている個展などの案内をもらっていた。もう9年前のことになります。

内覧会には、美術関係者・建築関係者(磯崎新氏、安藤忠雄氏ら)・デザイン関係者(山本寛斎氏、浅葉克己氏、フランソワー・モレシャン氏ら)・アメリカ駐日大使(ション・ルース氏)など幅広い人たちが来ていました。
主催者がデザイン系の三宅一生さんだったので、私が知る限り美術関係者は少なかったようです。
クリスト氏の活動がアート領域を超えていることから、「領域」「分野」をまたぐ仕事について考えさせられました。

 2010.1.4  

■ クリストさんからのエアメール ■

新年早々、ニューヨークのクリスト&ジャンヌ・クロード氏からエアメールで封筒が届きました。昨年末にジャンヌ・クロードさんが亡くなられたことは、マスコミ報道で知っていましたが、クリストさんが愛したジャンヌ・クロードさんのオマージュとなる過去のプロジェクトのスナップ写真集が同封されていました。ジャンヌ・クロードさんのご冥福とクリストさんの更なる飛躍を日本からお祈りしております。


年が明けました。みなさまはどのような1年だったでしょうか。私にとっては、大切な1年となったようです。芸術評論の登竜門といわれている第14回芸術評論募集(美術出版社主催)になんとか入選することができました。
私の拙稿については、美術出版社のホームページに掲載予定らしいので、掲載の折には覗いて見てください。定説化の道を歩んでいる「もの派」起源の読み替え作業を石子順造と「幻触」を軸に書いたものです。その第二段となる書き下ろしは、近々、月刊『あいだ』に掲載予定です。

みなさまの今年1年が良い年になりますようにお祈りしております。


 クリスト「ザ・ゲート・セントラルパーク」

2009.9.1 

■ 越後妻有アートトリエンナーレと下山発電所美術館 ■

実は、新潟県十日町市で開催されている妻トリ(越後妻有アートトリエンナーレ)で見忘れていた塩田千春さんの作品がどうしても見たくて、先週に引き続き、上越・北陸路を高速道路を利用して週末に行ってきました。

今回は、発電所美術館(富山県入善町)の塩田千春展と十日町市の妻トリの塩田さんの作品を8月30日にハシゴをしてしまった。週末のみの二週間で、約2000キロを走破したことになります。

特に、発電所美術館の作品「流れる水」は圧巻でした。近年、頭角を現した女流作家としての塩田さんの作品は、横浜トリエンナーレでは見ているものの、さほど興味が無かった。しかし、妻トリでの作品コンセプトに共感を持ったことから、塩田さんの個展が開催されている発電所美術館にも立ち寄ったが、人間の生死を想起させる病院で実際に使用された35台のベットと、黒部川の流れる水を実際に使ったインスタレーションは、「時間と存在」という近代美術の大きなテーマを彷彿させる17メートル近くもある作品として秀逸なものとなった。

私はその足で妻トリの作品「家の記憶」を見てきたが、今は使われていない小さな民家を、塩田さんと数名の人たちが約六日間をかけて毛糸で編んだ作品となったという。
クモの巣のようなインスタレーションと農家の人たちが使用したワラの雪靴や防寒具と窓(塩田さんの記憶をテーマとした窓の作品は有名)などを要所に配置した作品は、発電所美術館のダイナミックさとは異なり、個の人間の記憶と対面できるヒューマンスケールの温かさがあった。


 塩田千春展「流れる水」

2009.8.25  

■ 「水と土の芸術祭」 ■

高速道路の週末ETC1000円の恩恵を受けて、8月末の週末に新潟市で開催の「水と土の芸術祭」と十日町での越後妻有アートトリエンナーレをハシゴしてきました。新潟市美術館での室内展示はさほど期待していなかったのですが、磯辺行久さん・久住有生さんの作品が、室内展示のイメージを超えた巨大な作品で、新しい表現方法として行って良かったと思っている。

私は、越後妻有には2000年から4回全てのビエンナーレに顔を出しています。
作品表現が、地域や人との関係性などに重点を置くことで、視覚的な形や美的な表現から、インスタレーション的要素が強い展示にシフトしたことは確かでしょう。
問題は、観る側が作家のコンセプトやクリエーティブな面をどの程度理解できるかにあり、それを補完するものとして、作家自身による頻繁な説明の機会を取ることと、作品解説のチラシやパンフの必要性を感じました。そのためにも、観る側が作品の表現の本質を理解するため、ひとつ一つの作品と深く接する時間が必要だと痛感しました。
今回の新潟行きの車での移動走行距離は、2日間で1000キロメートルでした。

 2009.5.15  

■ 芸術評論賞(美術出版社)にチャレンジ ■

今日は、第14回芸術評論コンテスト(美術出版社・美術手帖)の締切日でした。

この芸術評論募集は、美術評論のプロとしてスタートする登竜門と位置づけられているもので、過去には、中原佑介・東野芳明・多木浩二・宮川淳・日向あき子・小林康夫各氏などの、その後の現代美術を批評の世界でリードする人たちを数多く輩出しています。

私は、先日、永年温めていた「石子順造・幻触・もの派」について論考をまとめたので出版社に送りました。実は、第11回芸術評論コンテストにも応募しています。もう16年前のことです。当時はまだ文章も思考も未熟で、当然入選すらほど遠いものだったでしょうが、今回は、少し期待しています。

発表は9/17の美術手帖10月号の誌上になります。



2008.10.12 

■ 飯田昭二さんのパンプスの作品 ■

先週、『幻触』メンバーの飯田昭二さんに依頼していた「鳥かご・パンプス」の新作が完成したとの連絡が飯田さんから入りました。早速、拝見に行ってきましたが、とてもすばらしい作品に仕上がりました。みなさんにも、一度お披露目したいですね。知り合いの女性にパンプスを頼んでおいたのですが、届いたパンプスは可愛いというよりも落ち着いた色合いで、飯田さんに渡したらすごく喜ばれました。


 飯田昭二「HALF AND HALF 2008

2008.2.23 

■ 小池一誠さんの仕事 ■

私は、石子順造さんから始まって、その影響を強く受けた現代美術家集団グループ『幻触』を調べる中で、『幻触』の仕事が『もの派』の起源に大きく関わっていたのではないかということが少しずつ分かってきました。すくなくとも私はそう考えています。

その最も重要な作家のひとりでもあった小池一誠さんが、2月10日に鬼籍に入りました。現在、存命なメンバーの中では、最も若い作家でした。特に、亡くなる3週間前に末期ガンに侵されていることを、小池さんから直接電話をいただいて、また小池さんが元気になった時に自宅に新しい制作中の作品を拝見に行くと約束した言葉が、私と小池さんとの生前最後の会話となりました。また、ご遺族からは、作家として新しい作品をつくり続けながら、その作業の途中で小池さんは逝かれたと伺いました。

ご冥福をお祈り申し上げます。

 2007.10.19  

■ 「虹の美術館の軌跡」展 ■

今週、美術批評を書いている宮田徹也氏から「展評てんぴょう」のサイトに今年の5月〜7月まで静岡県立美術館が主催でやってくださった「収蔵品展・虹の美術館の軌跡」展のことを書いてくださっています。特に気になったことは、「歴史は強者によって書かれてはならない」という記述です。

現代美術は、非常に狭い分野で専門家も限られています。このため、一部の批評家や美術館関係者、大学関係者によって現代史が作り出されることもあります。そのことを危惧して書かれたことなのでしょうか?

宮田さんもがんばってくださいね。


 「虹の美術館の軌跡」展

2007.9.2  

■ 石子順造没後30年と前田守一さん ■

7月21日は、故石子順造さんの30回目の命日でした。石子さんから大きな影響を受けたグループ「幻触」のメンバーの方といっしょに、お花と線香を持って墓参りに行ってきました。

幻触メンバーのひとりでもあった前田守一さんは、闘病生活の末8月12日に鬼籍に入りました。今ころは、石子さんと積もる話でもしているのでしょうか。「前田さん、永い間、美術活動と後進の指導ありがとうございました。ゆっくりおやすみくださいね」。

石子さんの没後30年目にあたる今年から来年の初夏までには、石子さんの現代美術における歴史的評価をなんらかの形で発表することを、墓前で石子さんに誓いました。私が挫折したりしないようにみなさんも後押ししてくだされば幸いです。

今までに石子さんとその周辺のことについて聞き取りをした美術家たちは、李禹煥さん、関根伸夫さん、谷川晃一さん、そしてグループ幻触のみなさんです。杉村孝さん、赤瀬川原平さん、マンガ関係の高野慎三さん、つげ義春さんなど、石子さんに関わった重要な人たちもまだ多くいます。また、現代美術家の中村宏さんと池田龍雄さんには、何度もあって石子さんの思い出を聞いていますが、今度は正式にインタビューの形でお会いしたく思っています。

それから、石子さんのご家族やご親族のみなさんからも、石子さんのお若いころのお話や、家庭生活の中での出来事なども機会があればうかがいたいものですね。

2007.7.7 
静岡県立美術館が企画し静岡県美の収蔵品と私のコレクションなどを中心に展示された『虹の美術館の軌跡展』の会期は、残すところ1日となりました。静岡県美の学芸員のみなさんや来館してくださったお客さまに感謝です。私にとっては、30年近くのコレクターと5年間の虹の美術館の活動の集大成というところでしょうか。それから、美術評論家の椹木野衣さんが書いているエッセイが掲載された雑誌が出版社から届きました。3月に私も同行した山梨県山梨市周辺の丸石神の探索や石子順造さんの仕事を書いたものです。椹木さんのご配慮に感謝です。椹木さんは、今頃はイギリスを拠点にヨーロッパを走り回っているのでしょうか。

2007.4.10 
正式にS県立美術館のH学芸員から、『虹の美術館の軌跡』展の開催のスケジュールパンフレットを頂きました。会期は、5月23日(水)〜7月8日(日)までの41日間です。県立美術館が収蔵する作品と虹の美術館に飾った作品が一緒に展示される予定です。


 2007.3.25  
3月21日は、お彼岸の中日でした。椹木野衣さんが、故石子順造さんが晩年に歩いた甲州の「丸石神」の探索追体験をしたいとの要望があり、石子さんといっしょに「丸石」道祖神の調査に同行した「幻触」メンバーの小池一誠さんと椹木さんと3人で、山梨市周辺を探索しました。ところで何でもない「石」を見るのか、石に「神」を見るのか、お彼岸にふさわしいフィールド調査になりました。集落と集落との境界に道祖神としていたるところに祭られていることが分かりました。民衆の声が聞こえて来るようで良い体験となりました。

2007.3.15  
3月11日に、静岡県立美術館で非公開で、「幻触」メンバーと美術評論家の椹木野衣さんによる石子順造没後30年企画の、石子さんについての聞き取り調査を行いました。「もの派」起源にも関わることのなので慎重に話が進められました。また、調査が充実しましたら記録集等にしてまとめるつもりです。

2007.1.16 
新年明けましておめでとうございます。最近、K学芸員からいただいた賀状によると、今年の夏のS県立美術館の収蔵品展で虹の美術館の寄託作品を展示することが決まったようです。どのような企画演出をするのか今から楽しみですね。学芸員のみなさんとおもしろく展示したいものです。

2006.12.31 
虹の美術館での展示が終了してから、1年以上が経ちました。長いようで短い5年間でした。先日、S県立美術館のH学芸員から、虹の美術館の5年間の活動を多くの美術愛好家に知ってもらうための企画展を開催してみてはどうかとの打診がありました。まだ決定ではありませんが、決定すれば、S県立美術館の学芸の企画で、小さなものになると思いますが開催されると思います。当然、虹の美術館の活動記録や虹の美術館で展示した現代美術作品などを選定するのは、私がやることになると思います。また具体的になりましたらお知らせしますね。

 2006.11.6  
虹の美術館で発行した「石子順造」関連の記録集1弾から3弾までが、静岡県立図書館に寄贈されました。1弾は、県立図書館から寄贈依頼があり寄贈しましたが、その後発行した2弾と3弾はこちらから寄贈することにしたものです。石子順造さんが清水にいた1960年代の動向は、日本の現代美術に大きな影響を与えたことは、まだまだ知られていないことが東京芸術大学で行われた発表会で再認識しました。知られていないということは、逆に新鮮な情報でもあるということにもなります。先日、東京芸大の先生や講師の正木基さんが中心となって進めている戦後現代美術の地方史を調査研究しているグループの発表会があり、私も石子順造と幻触の関係で呼ばれて発表会にアドバイザーとして参加してきました。当日は、大阪国立国際美術館館長の建畠さん、美術家で国際的に活躍する川俣正さん、東京芸大の美術史研究者の佐藤さん、毎日新聞文芸部の三田さんなど、多彩な美術関係者が発表を聞き入っていました。私も狭い教官室で8時間ほどご一緒させていただきました。
 
2006.10.10  

私の念願でもあった虹の美術館コレクションの作品寄託の搬出作業を、10月8日(土)の午後に行いました。S県立美術館のH学芸員や虹の美術館のスタッフに応援してもらって7点をS県立美術館の収蔵庫に運び込みました。特に、大きな作品が多かったので、保管場所のマンションから2トントラックを用意しての搬出作業となりました。手伝ってくれたみなさんありがとうございました。H学芸員からの提案ですが「S県立美術館で、虹の美術館の5年間の展覧会や活動の歴史を振り返るコレクション展が将来できるといいね」と美術館への搬入作業の後で話をしたところです。その機会が訪れたらまたみなさんにお知らせますね。

の打診がありました。まだ決定ではありませんが、決定すれば、S県立美術館の学芸の企画で、小さなものになると思いますが開催されると思います。当然、虹の美術館の活動記録や虹の美術館で展示した現代美術作品などを選定するのは、私がやることになると思います。また具体的になりましたらお知らせしますね。

2006.9.13 
今日、S県立美術館のH学芸員から連絡があり、私が保管する7作品の美術館への寄託が決定したそうです。10月には、作品搬入をH学芸員といっしょに行う予定です。S県に存在した虹の美術館のあかしとしての作品寄託となります。幻触メンバーや靉嘔先生にも伝えたいですね。H学芸員とK学芸員に感謝です。

2006.8.29 
虹の美術館で展示した現代美術作品のコレクションの一部を、県内の公立美術館に寄託する方向で学芸員と調整をとっています。来月中旬には正式決定するようです。また、8月22日には、アメリカのコーネル大学で博士課程を修了した日本の現代美術を研究するアメリカ人から、虹の美術館で発行した「石子順造とその仲間たち」記録集が欲しいと突然電話がありました。
国を越えて日本で起きた「もの派」や「60年代〜70年代の現代美術」「石子順造」の活動をアメリカの方が研究することは、非常に嬉しいことですね。

 2006.8.27  
8月23日に新潟県で開催されている越後妻有アートトリエンナーレに行ってきました。今回が開催3回目となる国際野外アートフェスティバルです。3回延べで約350点ほどの作品が十日町市を中心に旧6市町村で見ることができ、国内外から多くのアーティストや建築家などが参加しています。造られた美術作品や建築物からは、功罪含めていろいろ比較ができて勉強になりますね。

 2006.7.20  
今日、靉嘔先生から『靉嘔AY−O回顧1950-2006』の図録が届いた。福井県立美術館と宮崎県立美術館での国内初の大回顧展の図録である。靉嘔先生の奥様から図録の編集が遅れていることを伺っていたが、今回送っていただいて本当に嬉しく思っている。虹の美術館での『靉嘔展』の記録もちゃんと記載されていた。以前、虹の美術館での靉嘔展で靉嘔先生に話したことがある「私は環境をテーマにしたNPOをつくって虹の美術館を運営しているんですよ」その言葉に靉嘔先生は「私は1960年代からエンバイロメントをやっているよ」と話された。私の美術の原点にいる靉嘔先生と共通の「エンバイロメント」を今では私流の形で追い求めている。長く楽しむことの出来る芸術に出会えたことを幸せに思っている。そして、靉嘔先生に出会ったことが幸運であったと思っている。靉嘔先生も奥様もお元気でご自愛くださいね。

2006.7.13 
昨日、大阪市にある国立国際美術館から、国立国際美術館新築移転一周年記念連続シンポジウムの記録集が届きました。「もの派−再考」展の仕掛け人の中井さんらの尽力で完成したものです。この記録集は、昨年の秋に3日連続で行われたものです。針生一郎さん、中原佑介さん、浅田彰さんら19名の国内を代表する論客のみなさんが参加されたもので、私が講演者の椹木野衣さんに質問した文章も掲載されています。いつの時代にも、興味を持った事柄を行動力と実行力で具現化してくひとにぎりの人達が新しい歴史を記録していくのでしょうね。中井さんありがとうございました。近いうちにまた大阪に行きますね。ところで高槻市にお住まいの吉原英雄先生はお元気でしょうか?「虹の美術館、靉嘔さん、デモクラート美術家協会、吉原さん、中井さん」はひとつの線で実はつながっているんですよ。みなさんはわからないでしょうが・・・

 2006.7.10  
福住治夫さんが編集している美術機関誌『あいだ』126号の靉嘔さんの寄稿文で、岡部徳三さんが6月9日、鬼籍に入ったことを知った。岡部さんは、日本を代表するシルクスクリーンのプリンターで、虹の美術館のオープニングにも来ていただきスピーチもしてもらった。靉嘔さんにとっては大切な美術の戦友のひとりだったと思う。岡部さん、葬儀に参列できなくてごめんなさいね。ご冥福をお祈りしていますよ。

2006.5.15 
中国地方の某市での私のコレクション展は、先方の都合で実現しませんでした。
最近、虹の美術館の5年間の足跡を何らかの形に残したいと思い、私のコレクションの一部を近くの公立美術館に寄託することにしました。最終結果がでましたら報告します。私が美術作品をコレクションするきっかけを作ってくださった靉嘔(アイオー)さんの虹の作品を考えています。

 2006.1.22  
先日、中国地方の某市で文化施設の運営に参加している知り合いの美術家から突然メールをいただきました。現在の場所での虹の美術館活動は終了して、私のコレクションは休眠に入ります。しかし、美術品たちが倉庫に眠るよりも、貸し出すことによってどこかで多くの美術愛好家に見てもらいたいとの気持ちもありました。話を伺うと、新しく美術展示ギャラリーをオープンするにつけ、企画展の空いた時に常設で飾りたい美術作品を探しているとのことでした。まだ今後どのように推移するかわかりませんが、アンディウォーホルの「マリリン・モンロー」やクリストさんの「囲まれた島々」や関根伸夫さんの「位相-大地」、そして靉嘔さんの「レインボー北斎」、池田満寿夫の「私の詩人私の猫」などの作品を多くの人にまた見てもらえることになると嬉しいですね。

 2006.1.9  
先日、静岡県立美術館の堀切正人さん(学芸員)から県立美術館発行のニースが届きました。堀切さんが虹の美術館発行の『グループ幻触記録集』のことを書いています。内容は『発行人による執念の研究が結実したもの』『本書自体がその歴史形成のドキュメンテーションでもある』と少し褒めすぎなくらいの記述で恐縮してしまいました。

 2005.8.28 
昨日、東京から戦後の現代美術を長くリードしてきた池田龍雄さんが来館されました。池田さんは、岡本太郎、安部公房や中村宏、瀧口修造、石子順造、武満徹などのその時々の芸術分野の人たちと活動をともにしてきたアーティストのひとりです。鈴木慶則さんも交えて3時間ほど雑談しました。
岡本太郎さんのこと、河原温さんのこと、石子順造さんのことなど、池田さんしか知らないような当時の状況を話してくださいました。池田さんからは、現在もアーティストとして作品制作を続ける1928年生まれのアーティストとは思えないぐらいの輝いた会話がありました。いつまでもお元気でいてくださいね。


2005.7.18 
ホームページでの発表は今回が初めてのことですが、この場所(静岡市清水区有度本町)での虹の美術館の活動は、今年の9月で終了します。このことは、虹の美術館のオープン当初からの約束で、5年間限定の美術館の実験の場として位置づけていました。
多くの革新的な芸術運動(タケミヤ画廊、実験工房、デモクラート、もの派、幻触)が、5年前後の活動として、太く短く走り抜けた事実がありました。
また、私が興味を持った環境芸術の作家達は、「インスタレーション(仮設的展示)」によって、大地や自然環境を「場」として、短い時間の中で表現をして、作品を撤去したことも虹の美術館を5年間限定にさせた理由でもありました。細く長く美術館の活動をすることの意味もありますが、現代美術は、いつでもゼロにリセットして新しく再生する実験的な意識が必要だとの思いも5年間の期限付きの美術館運動とした理由でもありました。
しかし、虹の美術館の管理・運営母体である「NPO法人環境芸術ネットワーク」は、これからも継続してアートと自然環境との融合の可能性を検証する活動は続けていきます。そして、また改めて新しい形での「虹の美術館」開催の可能性もあります。その時には、またみなさまとお会いできることを楽しみにしております。
このホームページは、9月以降も「環境芸術ネットワーク」活動の様子を公開していきますので、いつでもアクセスしてくださいね。
虹の美術館ファイナル企画は、エコロジー・アートの未来を探ると題した「場の芸術」展です。アメリカから2人のエコロジー・アート関係者を招いて、杉山恵一さんの藤枝市民の森のビオトープとアートのコラボレーションなどの話とともに、レクチャーを8月13日に開催します。

 2005.6.11  
鎌倉にある鎌倉画廊で、「幻触」展のオープニングがありました。私も作品の選定に関わったこともあり、オープニングに招待されました。当日は、中原佑介さんを筆頭に峯村敏明さん酒井忠康さん李美那さん光田由里さんなどの美術評論家や美術館関係者も多く参加されていました。
特に、気になったのは、東京ビエンナーレのコミッショナーでもあった中原さんから伺ったことですが、当時招待されたリチャード・セラの杉の木の作品は、上野公園に植栽されたままだそうです。今でも元気で生育していれぱ実際に見たいものです。
今年の9月末からは東京都現代美術館の企画で開館10周年「東京府美術館の時代1926〜1970」展が開催予定です。東京都美術館では1970年に東京ビエンナーレが開催されています。


 2005.5.23 
「幻触」展が、6月4日(土)から「もの派」の展示で知られている鎌倉画廊で企画展として開催されることが決定しました。幻触グループは、1966年から71年までの5年間の活動でしたが、現代美術が大きく変化していく重要な時期と重なっているのです。東京を中心とする現代美術の世界に一石を投じながら、静岡という場所に戻っていった、石子順造に大きな影響を受けた謎の集団でした。その中心メンバーの飯田昭二さん、丹羽勝次さん、前田守一さん、鈴木慶則さん、小池一誠さんの5人による当時の作品展が開催されます。

 2005.4.23 
一昨日、レンヌ大学(フランス)で美学を専攻するH.Jさんから突然にEメールが届きました。川俣正さんからはじまって、「もの派」「具体」「メタポリズム」と調査対象が広がって虹の美術館のホームページにたどり着いたそうです。私は、アイオーさんの虹の衝撃からはじまって「デモクラート美術家協会」「瑛九」「磯辺行久」「池田満寿夫・吉原英雄・関根伸夫」「現代美術」「環境芸術」「エコロジーアート」と興味が広がり今日に至っています。
「もの派」の関根さんや李禹煥さんつながりで、石子順造さんが浮かび上がります。また、私は晩年の浜口隆一さん(建築評論家)との交流があったことから、浜口隆一つながりでメタポリズムの中心で活躍していた川添登さん(建築評論家)が浮かび上がります。李禹煥さんが美術評論でデビューすることになる美術手帖誌の芸術批評コンテストの審査員のひとりが、確か川添登さんだったと記憶しています。それから、今月の虹の美術館ニュースレターのコレクション紹介が、具体の「吉原治良」の円の作品です。何か因縁のようなことを感じますね。
 
2005.4.3
 
4月になりました。今年の桜はまだですね。虹の美術館の5年目がスタートしました。虹の美術館の母体でもある「環境芸術ネットワーク」のテーマである「自然環境」と「芸術」の対話を今年度はシリーズで企画していきます。
私は、特に「場」と「芸術」の関係性に興味があります。「場」とは、作品の題材の場であり、作品自身が場を表現していることなどです。「場」の問題について一貫した問題提起をしていきたいですね。それから、次回の企画展「しずおかの美術家たち」では、最近発見された「石子順造さんと寺山修司さんの講演会テープ」を聴く会を会期中に開きます。みなさんお楽しみに!

 2005.2.27  
今日、ニューヨークのクリスト・クロードさんご夫妻から、セントラルパークに設置された「ザ・ゲート」プロジェクトの作品案内と写真プリント(5枚)が届けられました。クリストさんから、直接きれいな写真を送っていただけるなんて嬉しいことです。朝日新聞の記事によると、ニューヨーク市長が、この芸術作品は8千万ドルの経済効果になるといっているそうです。芸術と経済との関係は非常に難しいといえますが、「場」と「芸術作品」について、一貫して美術活動を続けているクリストさん夫妻には、まだまだ世界中の人々にロマンを与え続けて欲しいものです。


 2005.2.20 
美術出版社が発行している月刊「美術手帖」の楠見清さん(前編集長)から、椹木野衣さんが発行する「戦争と万博」に使用する図版などの借用依頼があってから、あっという間に本が発行されました。年のはじめからさい先がいいですね。
先日は、関根伸夫さんや李禹煥さんが活躍した「もの派」を支援する鎌倉画廊を主宰する中村路子さんから「グループ幻触」の展覧会をしたいので協力してほしいとの連絡がありました。
「戦争と万博」の約25ページほどが、石子順造さんを中心にして「幻触」などの活動が掲載されています。
また、数日前には、ニューメキシコ(アメリカ)から「CHRISTO(クリスト)」に関するDMが届きました。クリストさんが、私が主宰する虹の美術館の住所を教えたんだと思います。
クリストさんと言えば、先月から20年間温めていたニューヨークセントラルパークでの「ゲートブリッジ」プロジェクトが完成して市民に開放されたことが、朝日新聞の記事で拝見しました。
これからも、クリストさんそしてパートナーで奥さんのクロードさんの活躍を期待していますよ。

 2005.1.30 
数日前、美術評論家の椹木野衣さんから1冊の本が届きました。1月25日発行の「戦争と万博」(美術出版社)でした。一昨年に月刊「美術手帖」誌に連載されたものに若干加筆されたもので、著者渾身の力作長編評論集です。
実は、昨年末に美術出版社の編集者からメールをいただき、グループ「幻触」と石子順造さんの交流写真や虹の美術館で開催された展覧会写真があったら「戦争と万博」の図版に使用したいとの打診でした。椹木野衣さんは、評論家としての石子さんを尊敬していることや、近年の村上隆さんなどとともに、「もの派」前後の60年代から70年代の評論にも定評があり、日本の現代美術をリードする評論家のひとりとして、私も大いに期待している人です。
みなさんもよろしかったらご購入くださいね。


 2004.12.26 
昨日は、静岡市に拠点をおいてピアニストをしている三城さんの紹介で、チェリストの植木昭雄さんとヴァイオリニストの相川麻里子さんによる虹の美術館「クリスマスコンサート」が行われました。お二人とも体調が最悪の状態にもかかわらず、現代美術館に合わせた現代音楽の選曲もあり、昼食もとらずに練習を開演寸前までこなしていました。プロとして聴衆に恥ずかしくない演奏を聴かせようとする姿勢に見習うべきものがありました。
当日は、東京芸大楽理科で近代の楽器研究を続けている三城桜子さん、常葉学園大学の松本先生、虹の美術館のボランティアたちもコンサートの内容に満足していたようです。幼稚園や小学生の子ども達も多く来館していたので、将来の植木さんや相川さんのようなプロフェッショナルなアーティストになってほしいものですね。ガンバレッ子ども達!


 2004.12.11  
第3回目の「子ども展」が、昨日終了しました。1回から2回目の展覧会は、虹美のメンバーの立花さんがプロデュースしたものでした。今回は、有度幼稚園の先生が試行錯誤しながら、作り上げたものです。今回は、枠にはめないものでありながらも、ある程度知恵のステップアップにつながる指導も見え隠れする、まさに「ぴみょう」な接し方をしながら、子ども達の思い出をつくったといえます。それから、幼稚園の先生たちと一緒に対話の時間をつくってくれた、大学で児童教育を専門にやっている村上先生や永倉先生にはありがとうといいたいですね。
それから、アイオー先生の奥様の郁子さんから、うらわ美術館で開催中のアイオー作品も展示されている「フルクサス展」の展覧会図録が一昨日届きました。ありがとうございました。


 2004.11.23 

先週、アイオーさんの奥様の郁子さんより、5月29日に富士山で行われたアイオー先生主催の「バス観光旅行ハプニング」と、6月1日のギャラリー360゜で行われたパフォーマンスのDVDが届きました。
フルクサスのドイツのメンバーが日本に来日することに合わせて行われたツアーの一環でした。
アイオー先生がニューヨークでフルクサスのメンバーとしてパフォーマンスをやったことは、本などでしか知らなくて、今年の5月に福井県大野市の「アイオー展」で偶然に見ることができたのが最初の生のパフォーマンスでした。
富士山では、オノ・ヨーコさんなどのフルクサスメンバーのパフォーマンスも再現されていました。
今日は、突然に、オノ・ヨーコさんの関係者から「ピースイベント」のバナー貼り付け依頼がメールであったので、応援することにしました。フルクサスが身近に感じる今日このごろです。


 2004.11.7 
今月から、「子ども展」が始まりました。毎年シリーズになっている近隣の有度幼稚園の子ども達が100人以上参加するものです。額縁に入れる「絵」ではありません。巨大な壁(長さ20メートル以上)に、引率の先生がいろいろ模索しながら子ども達といっしょに、どうやって「子ども美術館」をつくるのかを考えながら進行しています。このため、作品はまだ完成していません。
来週も、授業の一環として子ども達がクラスごとに作品づくりに美術館に来ます。
それから、来月は2つのコンサートが行われます。視覚芸術と聴覚芸術がひとつになる美術館としてうれしいことですね。虹のアーティストのアイオーさんが、アメリカのフルクサスの活動に参加していた時に、五感のすべてを使ってパフォーマンスをやったことを考えると、子ども達にも五感すべてを使って表現してほしいですね。幼稚園の先生たちには、子ども達の「五感をシゲキしてくださいね」といいたいですね!


 2004.9.19 
7月の暑い夏の季節からはじまった『靉嘔(アイオー)』展は、きょうが最終日となり、多くの来館者がありました。常葉学園大学の金原先生の教え子たちを迎えて、学生が展示の勉強を兼ねて楽しみながら展示をやったのは、つい昨日のことのように思われます。
きょうは、大阪と東京からアイオーさんの虹の展覧会のために、情熱を内に秘めた魅力的な人たちが来館されました。ひとりは、大阪でレインボープロジェクトを11月に企画しているプロデューサーの吉田さんで、午前11時から6時間近くも現代美術や環境芸術のことを語り合いました。そして、午後には、東京都現代美術館学芸員の西川さんが今回の展覧会を楽しみに駆けつけてくださいました。ニューヨークのフルクサス運動のこと、東京都現代美術館のこと、横浜市の芸術文化のことなどを、長時間話し込んでしまいました。もう少し時間があれば慶応大学で教鞭をとっていた環境哲学の間瀬先生の話がしたかったですね。
静岡市内からは、靉嘔さんのコレクターやジェームス・タレルが好きな太田さん、杉山さんなど、最終日にふさわしい目的を持った美術ファンや美術関係者が来館してくださいました。みなさんにお会いできて、楽しい一日を過ごすことができました。本当にありがとう。また、遊びに来てくださいね。
それから、きょうは、もうひとつの楽しい出会いがありました。最終日の展覧会告知ポスターなどの片付けを終えて、午後8時30分ごろに自宅への帰路についたのですが、昼食も食べずに一日を過ごしたことに気がついて、ホームページ『清水目玉焼…乱れ撃ち清水ノート』で知ったラーメン店『しなそばや永楽』に偶然に立ち寄ったのです。
その時に、日本語文化教育学と異文化コミュニケーションの研究者としてNHK教育テレビの日本語講座でも活躍されている清ルミ先生と偶然に出会えたのです。きょうの新聞朝刊でカラー刷りの一面を割いて掲載されていたインタビュー記事を偶然に見ていたことから、初対面にもかかわらずに、図々しくも声をかけて、虹の美術館のPRをしてしまいました。清先生ごめんなさいね。清先生は、東京から静岡にスカウトされて来た学者で、アイオー展での対談相手の金原先生とは、常葉学園大学でいっしょに教鞭を取っていることも知りました。
きょうの多くの人との初めての出会いは、私にとっては、感動の一日となりました。

 2004.9.11  

最近、グループ幻触のメンバーだった飯田昭二さんから、1969年に録音された寺山修司さんの講演会テープが届きました。石子順造さんといっしょに静岡市で行われたものです。
今回、録音テープが、飯田さんの自宅から発見されたことで、寺山修司さんとの関係が身近になってよかったと思っております。非常に魅力的な話の内容でした。今度、虹美でこのテープを聴く会を開きたいと思っています。
それから、東京在住の国谷さん(元東京キッドブラザースメンバー)から、寺山さんとも交流があった下田逸郎さん(シンガーソングライター)のコンサートを虹美でやれませんかと打診がありました。
フォーミーの歌い手の巻上公一さんも東京キッドの元メンバーでした。巻上さんとは、布施英利さん主催の会で布施さんの自宅で作家の田口ランディさんなどとお会いしたこともあり、お付き合いはありませんが、興味のある魅力的なミュージシャンです。以前、山梨県の田中眠さん主宰の白州アートキャンプでも、巻上さんのフォーミーを聞いたことがあります。
それから東京キットのメンバーだった柴田恭兵さんは、虹美のある清水市出身で、虹美から徒歩15分のところに実家があります。

 2004.8.3 

一昨日は、虹の美術館の名前の由来にもなっている『虹の作家』のアイオーさんご夫妻をお招きして、ミュージアムトークを開催しました。アイオーさんは、来月から始まるドイツでの個展の準備で忙しい中、駆けつけてくださいました。アイオーさんも奥様もお体を大切にしてくださいね。それから、トークの当日には、対談者の金原さん(常葉学園大学・美術評論家)の教え子たちも5名手伝いに来てくれました。無限の可能性を持っている若い人たちには、いろいろなことにチャレンジして自分の生きる道を見つけながら、魅力的な人生を歩んでもらいたいものです。榛葉さん、守屋さん、稲葉君、増田君そして鈴木さん、ガンバレ!
また、今回のミュージアムトークでは、ミニコンサートも開催しました。フルーティストの佐藤さんには、アイオーさんが尊敬する20世紀を代表する現代音楽家ジョン・ケージの「フォンタナ・ミックス」を虹の美術館用に作曲(編曲?)してもらって、初演となる演奏をしてもらいました。これは大変に良かったですよ!佐藤さんが書いた手書きの譜面は、虹の美術館の大切な思い出として残りそうです。


 2004.7.4 


最近、すばらしい「虹」と出会いました。青空と雲海の間で発生した大きな虹です。6月6日(日)PM5:30のことでした。アイオーさんが、ある本のエッセイで「空から丸い円形の虹を見た」と書かれています。私もその言葉を空の上から思い出していました。
先日、羽田から飛行機で山形県にある東北公益文科大学(酒田市)に行ってきました。アートによるこどもの精神療法を実践しているNPO学会のメンバーでもある半田結先生からの依頼で、虹の美術館の活動内容を発表したのです。実は、この大学には、私があこがれている「エコフィロソフィ」を提唱する哲学者の間瀬啓允先生が学部長をなさっています。また、この公益文科大学は、公設民営の大学で、国内でははじめての「公益」をテーマに研究する大学です。公共と市民とのコラボレーションについて研究する研究者が東京はもとより国内から集まっている新しい大学です。酒田市や鶴岡市で活躍するNPO活動家などとの懇親会もあり、本当に有意義な2日間でした。酒田のみなさんありがとう!

 2004.5.30 

5月上旬に、私は、靉嘔(アイオー)さんの支援者が多く住む福井県大野市にいってきました。靉嘔さんも靉嘔さんの奥様も駆けつけて、靉嘔さんと旧知の50年来の仲間が作り上げた心温まる展覧会「靉嘔展」でした。靉嘔さんのパフォーマンスは、ニューヨークの「フルクサス」に参加したころから本格的に始まりました。靉嘔さんは、オノ・ヨーコ、ナムジュン・パイクなどとともに、パフォーマンスをニューヨークで行っています。私にとっては、実際に靉嘔さんのパフォーマンスをリアルタイムに見た世代ではないので、情報や資料などでしか知ることがありませんでした。今回、福井で偶然にもパフォーマンスを見ることができたのです。”講演”と発表されていたために、大野市長や教育長などの聴衆者を前にして講演が始まると思っておりましたが、一言も言葉を発することなく、汗を流しながら全身を使った靉嘔さんのパフォーマンスが始まったのです。靉嘔さんは、現代美術から「自由」というメッセージを来訪者に伝えたかったようですね。

 2004.5.4  

最近、松岡正剛さんに興味がある知人と話をする機会がありました。ちょうど私も松岡正剛さんがホームページに掲載している「千夜千冊」を読んでいたのです。
今年の3月まで虹美で展覧会を開催した中村宏さんのことを松岡さんが書いていたのです。松岡正剛さんの結婚式の仲人が中村宏さんだったそうです。
中村さんと稲垣足穂さんとの交流については知っていましたが、松岡さんと中村さんとの関係については聞いていませんでした。中村宏さんの交友関係や思考について、もっと聞いておけばよかったと、今更ながら後悔しています。また、中村さんとじっくり話がしたいものです。

 2004.4.29 

先週、静岡アートギャラリーでは、学芸員のT.Mさんからのお誘いで協力することになった、熊谷守一展での「光と出会う」セミナーが開催されました。また、虹の美術館での夏の企画「靉嘔アイオー展」の開催が決定しました。8月1日(日)には、靉嘔さんと金原宏行さん(常葉大学教授)の公開対談が行われます。常葉大学の学生さんと何か仕掛けをしたいと金原先生と相談しています。今回、金原さんに対談相手になってもらったのは、金原さんの前職が、茨城県近代美術館学芸員で、靉嘔さんのアトリエがニューヨークとともにアイオーさんの出身地の茨城県にあることから、靉嘔展が茨城県美で開催された時の関係者でもあったのです。

 2004.3.21 

昨日で池田+中村+鈴木展が終了しました。このため、今日は、作家のみなさんに、車で東京まで作品を返却に行ってきました。。世田谷美術館で池田龍雄さんと中村宏さんと待ち合わせです。3時間ほど美術館の喫茶店で話をしましたが、いつもながら元気印のお二人でした。到着が早かったのでミュージアムショップをのぞいたら、太田三郎さんの「シードプロジェクト」のレターセットがあったので買ってしまいました。

 2004.3.12 

先週、ニューヨークのメトロポリンタ美術館から、AIR MAILが届きました。クリスト&クロード氏がニューヨークのセントラル・パークの園路に鳥居のようなゲートを設置する「ザ・ゲート、セントラル パーク」プロジェクトが今春に実現することになり、それを記念して開催される展覧会の案内でした。
クリスト氏とは、以前、虹の美術館の企画展で、所有する作品の展示と作品をチラシに掲載するための著作権料の支払いの件で連絡をとったことが縁となって、その後、世界中で開催されるクリスト&クロード氏の展覧会のエアーメイルを送っていただけるようになったのです。うれしいかぎりです。

 2004.3.7 

昨日、虹の美術館では、ミュージアムトークが開催されました。講師は、映画監督で映像作家の松本俊夫さんです。東大美学出身の論客で現代美術論の話が中心だったので、少しみなさんには難しかったかもしれませんね。当日は、東京から池田龍雄さんや美術機関誌「あいだ」の編集長の福住さんも来館されました。また、県内を中心に虹美の関係者を含めて40名ほどの人が話を聞きました。特に、裏方をやってくださったボランティアのみなさん、本当にご苦労様でした。

 2004.2.15 

今日は、お釈迦様の亡くなった涅槃会(ねはんえ)の日です。静岡大学の白井先生や柴田彰・恵子さん(センセンチ・ギャラリー)の紹介でお付き合いするようになった日下文さん(日本画家)が、竜華寺(静岡市清水)から依頼されて描いた「涅槃図」の初めてのご開帳が今日ありました。私が、竜華寺のご住職から、日本画家を紹介してほしいとの希望をかなえたことがご縁となって、1年をかけて制作した絵のお披露目となりました。東京や県外のお客様、県内の知人友人、NHKなどの放送や静岡新聞などの情報を聞いた多くの人が見学に見えられました。日下さん、本当によかったですね。今後とも作家としてがんばってくださいね。


 2004.2.14 

 虹の美術館のパソコンのトラブルで書き込みが今日までできなくて失礼しました。
今月初めに、対談集『石子順造は今…アートからのメッセージ』を虹の美術館から発行しました。
石子順造さん関係の対談集は、一昨年の第1弾に引き続き第2弾の出版となります。
 3月6日には、石子さんと交流があった映画監督の松本俊夫さんをお呼びして、虹美ミュージアムトークを開催します。松本俊夫さんは、実験映画の日本を代表する巨匠のひとりです。興味のある人はトークに来てくださいね。

 2004.1.13 
一昨日、中村宏さん(美術家)池田龍雄さん(美術家)と次回展覧会の打合せをする為に東京の練馬区立美術館に行きました。二人は、戦後現代美術を永年にわたりリードしてきた日本を代表する美術家のひとりです。三時間ほど夕食をとりながら雑談しましたが、いつまでも若いおふたりでした。

 2004.1.1 

みなさま、明けましておめでとうございます。
良いお年をお迎えになりましたか。
本年もよろしくお願い申し上げます。

 2003.12.28 

今年のみなさまの一年はいかがでしたか?
先週には、九州からNPOの研究者の安立清史先生(九州大学)が、NPOで運営している虹の美術館に視察を兼ねたフィールド調査で来館されました。多くの若手研究者が、日本の社会構造の変革を読み取ろうと努力している姿に心強く感じました。これからの益々の活躍に期待したいものです。。
虹の美術館は、オープンして3年と3ケ月が経過しました。そして、毎年恒例の夏企画は、生きた種
(タネ)を使ったシード・プロジェクトの大田三郎さんを招いて、「大田三郎展」を開催することができました。
また、10月に行われた石子順造関係のシンポジウムは、貴重な証言となったことから、記録集として出版することが決定し、来年の1月末には第2弾となる本を発行することになりました。あっという間に過ぎた一年でしたが、来年もどうかよろしくお願いします。
みなさまも良いお年でありますように・・・・・

 2003.12.15 

 今年10月に藤枝で開催されたシンポジウム『石子順造は今…アート・今昔物語』が開催されました。虹の美術館では、この時の対談記録集発行を記念して対談参加者のアーティスト池田龍雄さん中村宏さん鈴木慶則さんの3人による展覧会を開催することになりました。3人の中でも池田さんと中村さんは、国立近代美術館に作品が収蔵されている、戦後日本を代表する現代美術家のひとりです。鈴木さんもふたりに劣らない静岡在住のキラリと光るアーティストでもあり、鈴木さんの作品は、静岡県立美術館や千葉市立美術館に作品が収蔵されています。
展覧会の会期中には、石子さんと交流があった映像・映画監督の松本俊夫さんがミュージアムトークに来てくれます。松本俊夫さんは、ピーターや秋吉久美子のデビュー作となった映画の監督でもあります。

  2003.11.23

こどものワークショップを週末に開催していますが、毎日50〜100名近い親子連れが来館して、床・壁・天井にラクガキをしていきます。ワークショップを知らない来館者は、入り口で異様な光景に戸惑っているようです。昨日は、靉嘔(アイオー)のファンの方がわざわざ名古屋から来館されました。今回は、アイオーさんの代表作のひとつ「レインボー北斎」は、展示してありませんでしたので、保管庫から出してお見せしました。このホームページを見て来てくれたそうですが、遠くから作家や作品を目当てに来館していただけることは、とてもうれしいことです。

 2003.10.27  

 虹美では、今週の10月31日(金)から、「こどもたち:RPGロールペーパーゲーム」が開催されます。額縁に入った絵ではありません。壁や天井や床を使って、子どもたちが自由に描くインスタレーション(仮設)です。昨年度に引き続き有度幼稚園のみなさんの協力で、子どもたちの創造が、私たちに感動と驚きを与えてくれると思います。学芸員の立花さんも張り切っています。いっしょに並んだミロの作品が小さく見えると思いますよ。昨日、知り合いのアーチストで、学校の美術教師もしている方が、こんなことを言っていました。「子どもが小中学校に上がり成長すると、絵を外側から描くようになるんですよ。知識や情報の性。しかし、幼稚園児や幼児は、内側から感性やイマジネーションで描くので、はちきれそうなスケールの大きい、大人にはできない絵を描くんですよね」とうかがいました。


2003.10.16

 重要なシンポジウムが、10月13日(祝日)に静岡県内で開催されました。県内では石子順造さんと最も親しかった鈴木慶則さんの個展に合せて、「石子順造は今…」と題するシンポジウムが石子さんを知る東京の美術家や評論家を交えて行われました。石子さんのお墓がある藤枝市での開催です。参加者は、池田龍雄さん(美術家)、中村宏さん(美術家)、峯村敏明さん(美術評論家)、鈴木慶則さん(美術家)と私(本阿弥)の5名による2時間ほどの対話でした。東京勢は、みなさん、日本を代表する戦後現代美術の一線で永く活躍している人達で、この対話は、小冊子としてまとめるつもりです。これも、石子順造さんの人柄が、石子さんを慕って集まってくれました。虹の美術館で開催された対談と今回の対談に来訪されたみなさんには、心からありがとうとお礼を申し上げます。

 2003.9.22 

 『太田三郎展』は、7月11日から9月21日までの夏企画として、清水を題材とした太田さんによる新作展を開催しました。
虹の美術館では、虹美コレクションを中心とする21世紀後半の現代美術の展示や、作品を他から借りて行う企画展を今まで行ってきました。しかし、今回の太田三郎展は、作家に新作制作依頼をした初めての試みなとなりまた。
NPO環境芸術ネットワークが運営の母体となっている虹の美術館としては、初めての「環境芸術」をテーマとした新作展でもあります。太田さんには、これからも日本を代表する現代美術家のひとりとして、「生命」をキーワードとした「シードプロジェクト」の継続を願わずにはいられません。

2003.9.13

今日は、酒田市(山形県)にある東北公益文科大学の美術教育学のH.M先生が来館されました。虹の美術館の活動や太田三郎展の取材に、早朝、酒田を出て昼に虹美に来てくださいました。秋に太田さんに講義をしてもらうための太田作品の取材を兼ねたものでした
先生は、明るくて美しい女性研究者でした。遠いところ本当にありがとうございました。
ホームページで調べたところ、この大学には、「エコフィロソフィ」の提唱者の間瀬啓允先生がいることがわかりました。私達の「環境芸術ネットワーク」の理論的支柱のひとつには「エコフィロソフィ」があります。新しくできた地方の大学ですが、魅力的な先生が何人かいることは、学生にとっても幸せなことですね。

 2003.8.30  

 8月23日(土)の対談(太田三郎さん、杉山惠一さん、本阿弥)は無事終了しました。対談終了後には、ギャラリー「センセンチ」の柴田さんご夫妻の計らいで、「センセンチ」で夕食会を開催していただきました。昨日は、記念写真までカラープリントして送ってくださいました。柴田さんありがとう。。太田さんのファンを自認する二人の女性(太田さんを紹介してくれた画家のk女史と静岡市アートギャラリー学芸員のT女史)も駆けつけてくださって、私や杉山先生よりも、太田さんの鼻の下が長くなっていたのは気のせいでしょうか????

2003.8.10

 虹の美術館では、先週、ミニコンサートと不登校のこども達の自立を支援をする会の代表によるトークサロン「ゆう・らく・じゅく」を開催しました。最近の新聞の情報では、不登校のこども達がまだまだ多いといわれています。また、大人を含めた「引きこもり」も100万人近くいるともいわれています。「集団」と「個」の問題は、人間の脳が発達して精神面が複雑になるほど、直面する問題だと思います。私は大人のひとりですが、冷静さを欠く面やわがままな面など、個としても集団の中でも人に自慢できない面がいっぱいあります。子どもだけの問題ではなくて、全ての人間が欠陥を持ち悩みながら日々の暮らしを生きているのでしょうね。人生を永く生きれば生きるほど、「正しい」とか「普遍性」という言葉のあやうさや疑問を感じることが多くなりました。みなさまはいかがですか?

 2003.8.4 

 太田三郎さんの展覧会に合わせて対談を企画しました。生態学者の杉山惠一先生をお招きします。ところでみなさんは、「シード・バンク」という言葉を知っていますか?人間も生物の一種ですが、植物は、自力では移動しにくい生物です。そこで、受粉などの行為で子孫を繁栄させるわけですが、種子が地上に落ちるとその土には多くの種子が休眠状態に入ります。そして、雨や風などによって流れたりしながら、見知らぬ土地に移動して発芽するのです。『椰子の実』の歌「名も知らぬ遠き島より流れ着いた椰子の実ひとつ〜」もその例です。私達には見えないそのタネがある土は、生物の宝庫でもあるそうです。この状態を「シード・バンク」というようです。太田さんの「シード・プロジェクト」は、太田さん自身のメッセージとともに、美術館やコレクターに保管された「シード・バンク」になっているのです。

2003.7.20

椹木野衣(美術評論家)さんが、今月発行の月刊「美術手帖」8月号に、「戦争と万博」と題する評論を12頁にわたり書いています。その中で、当美術館が発行した「石子順造とその仲間たち」対談記録集の文章が多く引用されています。対談当時の李 禹煥さん、鈴木慶則さん、小池一誠さんなどの言葉が掲載されており、今こそ石子さんの批評の意味が問い直されているのでしょうか。

 2003.7.12  

 昨日から「太田三郎展」が始まりました。昨日は、千葉県から太田さんのファンの人が来館されました。今日は、太田三郎展の情報を聞いて、名古屋からわざわざご夫妻で来てくださいました。芸術批評誌「リア」の編集をやっている「現代芸術論」のF・Mさんです。(この批評誌には、「天地耕作」の批評が尾野正晴さん(静岡文化芸術大学)の執筆で紹介されています。)昨年の「岩崎永人展」の時もそうだったのですが、、ファンの人が遠くから来館されて、本当にありがたいことです。

2003.6.22

 一昨日、石子順造さんについて調べているK.Aさんから、美術館にメールが届きました。虹の美術館で発行した「石子順造とその仲間たち」の記録集に興味があるということでした。石子さんも天国で喜んでいると思います。NPO法人としての虹の美術館の活動は、美術のみにとらわれず音楽などのコンサートも同時に開催しています。そして、昨日のレインボーコンサートは、第10回を無事終えることができました。
多くの関係者やボランティアの協力のおかげと感謝しています。

 2003.6.9 

 1年間で最も力を入れている夏の企画展が7月から開催します。今回は、「太田三郎展」です。
先日、北川フラムさんが、「越後妻有アートトリエンナーレ」の事業説明に静岡県に来ました。太田三郎さんも通称「妻トリ」に参加しているアーチストの一人です。太田さんは岡山県在住ですが、静岡県出身の作家も2名ほど参加しています。妻トリ参加アーチストは、国内外から150名ほど参加しています。全てが招待アーチスト達です。北川フラムさんの説明会では、多くの魅力的な県内の人達にも、お会いすることができました。
静岡大学教授のA氏は、一度、虹の美術館に来ていただいている人ですが、「今度、短編映像を撮りたいので、虹の美術館での風景を撮らしていただきたい」と依頼されました。
また、静岡アートギャラリーのT学芸員は、太田三郎さんのファンだということで、虹美のホームページで7月からの「太田三郎展」のこともご存知でした。以前から虹の美術館のことも気になっていたそうです。そして、太田さんの展覧会で協力できることがあればお手伝いしたいといってくださいました。虹の美術館をやっていて本当に良かったと、うれしくなりました。

2003.6.1

いよいよ次回の企画「太田三郎」展の仕込み作業が本格的に始動開始です。静岡市との合併で「清水市」の名前が静岡市に変わってちょうど2ヶ月が経過しました。「清水」のオマージュとして、太田さんが「清水」を作品として残してくれることになりました。わたしが望んでいた「環境芸術」の企画がまたひとつ実現できることを楽しみにしています。

 2003.5.24  

 先週の5月18日には、いろいろな出来事がありました。ひとつは、虹の美術館を運営する母体となっているNPO法人環境芸術ネットワークの年次総会があったことです。二つ目は、南米パラグアイ人のアルパ奏者のゲレロさんのコンサートが虹の美術館で開催されたこと。そして最後は、虹の美術館の設立の恩人のひとりでもある故尾崎正教さんが支援していた『坂のまち美術館』(富山県八尾町)の宇津館長と山下副館長が、伊豆高原アートフェスティバルの帰りに立ち寄って、清水に一泊していったことです。虹美のボランティアのみなさんは、八尾町の初秋の風物詩でもある『風の盆』の踊りを見学に行くことを楽しみにしていました。ところで、アルパの素朴でありながらも南米のカラッとした風を感じる演奏と、風の盆(八尾町)のしっとりとした哀愁をおびた胡弓の音色は、まったく異なる多様な音の歴史文化を感じさせるのは私だけでしょうか。

2003.4.12

 虹の美術館が、全国の美術館学芸員や美術関係者の多くが購読している隔月誌ドーム(DOME)4月号に掲載されました。ドームの主宰者である山本育夫さんのおかげです。山本さんは、いくつかの雑誌・機関誌の編集者主宰者であるとともに、美術界隈に一石をとおじるためにNPO法人をつくって活動をし、言わずと知れた詩人でもあるマルチな人なのです。
そして、日本の美術界隈の世直しのために日夜走り回っている正義の味方なのです。 


 2003.3.29 

 新創世記:こどもたち展も明日で終了です。美術館は、静かで知的な空間であるとする一般常識が、今回にかぎっては通用しませんでした。幼稚園の子ども達には、まだまだ大人の常識が通用しない世界にいるのですから。大人の常識「美の制度」「美術館の制度」に対する実験的な問題提起になったのでしょうか。きょうも、こども達が虹の美術館の中を鉛筆や筆、マジック、テープなどを使いながら表現(遊び回って)います。 今回は、子どもの絵と大人の絵の表現の変化の移りかわりを、物心がつく年齢世代のこども達が、表現によって語ってくれました。できればいっしょに来てくれた子どもの父兄にも、人間の美に対する感覚の多様性と美の制度についての問題意識を美術館に来て感じてもらいたいと思いました。ちょっと、それは難しい要求でしょうか。

2003.3.1

早春を迎えましたね。「新世紀創造:こどもたち」も、あと1ケ月となりました。開館中は、いっしょに企画をやっている有度幼稚園の先生が毎日交代で来てくれています。来館するこどもと父兄との対話のためです。展示が完成するのではなくて、毎日こども達の作る絵?の表現で虹の美術館内の風景が変化しています。思いもかけない状況に出会えたのも、立花義彰さん(学芸員)のキュレーションのおかげでしょうか。

 2003.2.9  

虹の美術館で昨年の11月に発行した『石子順造とその仲間たち』記録集の反響が、徐々に広がっているようです。特に、東京では、『あいだ』の福住さんが書評を書いてくださったことから、その情報を知った椹木野衣(美術評論家)さんから、本の入手依頼がありました。早速書籍小包で送ったところ、一日で読了されたとのメールが今日の早朝に届きました。また、静岡新聞にも発行の記事が掲載されたことから、静岡県内でも反響が大きなものとなりました。石子さんの再評価が、中央からも始まることを期待しています。

2003.1.25

来週からは、「新世紀創造:こどもたち」が始まります。キュレイターの立花さんががんばっています。こどものこと、美術教育のこと、芸術のことなど、立花さん自身が以前から考えていたことの表現となりました。また、今回は、お隣さんの有度幼稚園の先生とこどもたちが、参加してくれました。今回に限っては、「作品」「絵」「○○展」などの言葉は、禁句となっています。みなさんも興味がありましたらお出かけください。

 2003.1.3 

 新年をいかがお過ごしですか。妥協することのない、意味のある活動を今後とも続けたいものです。今年一年よろしくお願いいたします。

2002.12.29

今年の虹の美術館は、「岩崎永人」展と「石子順造とその仲間たち」の本の発行が大きな出来事でした。来年は、「こどもから教わる芸術」を皮切りに、夏の「太田三郎」展などが待っています。みなさま良いお年をお迎えくださいね。特に、ボランティアのみなさま、ご協力ありがとうございました。

 2002.12.14  

昨年、虹の美術館で開催した「石子順造とその仲間たち」での対談をまとめた対談集を、先日発行することが出来ました。。対談に参加していただいた針生一郎さん中原佑介さんほか9名のみなさまには感謝しています。
また、来年の夏企画「2003太田三郎」展の企画内容が、固まりつつあります。来年の3月31日には、清水市が静岡市との合併で名前が静岡市となります。そのメモリアルと清水市の歴史文化を作品化した約35点の虹の美術館のための新作展です。今から楽しみです。みなさまも期待していてください。

2002.11.9

11月10(日)の午後に、岡山からアーティストの太田三郎さんが虹の美術館にきます。
今年の夏から続いている、「(仮称)清水メモリアルプロジェクト」のための、清水市内のフィールド調査のためです。今度で三回目、一泊2日の行程です。
ちょうど秋も深まり、植物の種の採取にはうってつけの季節です。日本平からの富士山の日本一の眺望も見せてあげたいので晴れることをねがっています。

 2002.10.5 

 第8回企画展の展示替えが完了しました。10月11日(金)から展覧会が開催されます。みなさん、時間が取れましたら秋の週末にお出かけください。。
現在、来年の夏の企画展の仕込みが着々と進んでいます。草や木の種子を切手状に和紙で封印するシードプロジェクトの太田三郎さんが、先日、2度目の清水市調査に来てくれました。7月と10月の2回の種子の採取です。清水市は、来年の4月に静岡市と合併をして、「清水市」の名前がなくなります。清水市最後の年に太田さんの「シードプロジェクト」をメモリアルとして行うことができました。
太田さんには、今年の秋にもう一度、クロマツの種などの採取に、一泊2日で清水市に来ていただけることになっています。

2002.9.22

岩崎永人さんの展覧会は、きょうで終了しました。あっという間の3ヶ月間でした。岩崎さんのこれからの仕事に期待しています。
虹の美術館の次回展覧会は、虹の美術館のコレクション展です。

 2002.8.25 

岩崎永人さんと芸術学者で作家の布施英利さんの対談は、無事終了しました。遠くは九州の鹿児島からもお客様がありました。「布施さんの対談だったら来ます」との言葉には、布施さんの魅力があるのでしょうね。
岩崎さんは、これからが勝負どころです。吉とでるか凶とでるか。御手並み拝見というところでしょうか。岩崎さん、がんばってくださいね。作品は完成の域に達していると思いますので、後は・・・・・・・・ですね。


2002.7.27

7月21(日)は、いろいろなことがありました。一つ目は、民放テレビの取材があり、テレビ番組に虹の美術館が映し出されることになりました。アナウンサーと東京のテレビタレントが取材にきました。二つ目は、岩崎永人さんの知人の鹿児島県在住の陶芸家の戸高さんが遊びに来たこと。そして、三つ目は、来年の夏の企画として予定している「シード・プロジェクト」の太田三郎さんが岡山から来てくれました。鹿児島から岡山そして東京、山梨からと、みんさん本当にありがとう。
それから、太田三郎さんを紹介してくださった日下さんには、三保半島の取材や太田さんの案内まで頼んでしまい申し訳ありませんでした。改めてゆっくりお礼をしたいと思います。


2002.6.24

昨日は、岩崎永人展のための作品搬入がありました。岩崎さんのアトリエから虹の美術館までは、約1時間の距離です。彫刻家の仲亀さんの協力で無事に虹の美術館に作品を運ぶことができました。仲亀さん、岩崎さん、ごくろうさまでした。そして、助っ人にきてくれた佐野さんと須藤さんもごくろうさまでした。
作品のセッティングをやっている時に、ロスから帰国されたA・Iさんが訪ねてくださいました。いつもあたたかく虹美の活動を見守ってくださる大切な協力者です。今回の展示をほめていただき恐縮しております。


 2002.6.10 

次回の展覧会は、『岩崎永人の世界』展です。岩崎さんは、富士川河口に流れ着いた流木を使ってトルソーを制作しています。
今から彫刻の搬入が楽しみです。

2002.5.25

虹の美術館で発行しているニュースレターの第7号は、杉山惠一先生(生態学者)が対談相手です。「環境芸術ネットワーク」を組織する以前の「エコロジカル・スカルプチャー」の概念づくりをいっしょに行った中心メンバーです。そして、小説や詩も書くユニークな方です。今回の美濃さんとの対話は、ちょっと脱線したみたいで、出来上がりが心配です。(笑)


2002.4.28

今日は、作家で美術評論家の布施英利さんの『サイトBの集い』に布施さんの住まい兼アトリエまで行ってきました。
布施さんには、夏の企画展のミュージアムトーク(対談)に来ていただくことにもなっていましたので、挨拶を兼ねて布施さんやサイト会員のみなさんに会うことにしたのです。映像記録の制作者、新聞記者、編集者、美術家、チンドン屋さん、建築家、インテリアデザイナーなど多方面の品がよいみなさんと会うことができました。
ゲストには、湯河原と熱海にお住まいの作家でエッセイストの田口ランディさんとミュージシャンの巻上公一さんがきてくれました。ランディさんと布施さんの対話と、巻上さんの美声『ホーメイ』を聞くことができました。
巻上さんの美声は、山梨県白州の『アートキャンプ』で聞きましたが、会えてよかったです。
私は、湯河原から帰宅するとすぐに巻上さんのホームページで『口琴』を通販で購入することにしました。
今日は、布施さんの人体の話、ランディさんのバリ島の話など有意義な午後のひとときを過ごすことができました。

布施さん、そして参加したみなさんありがとうございました。

 2002.3.31 

今日は、閉館時間の間際に大阪の河内長野からお客様が来館されました。
場所がわからずに苦労されたそうです。本当にご苦労様でした。


 2002.3.10 

 夏の特別企画展の作家は、岩崎永人さんで決定しました。
そして、対談相手には、作家で美術評論家の布施英利さんから内諾を得ました。
布施さんは、40代前半ですが、26冊の小説や美術評論を出版している芸術学の博士でもあります。
 また、以前は、東大医学部助手として養老孟司教授のもとで解剖学を研究したり、海洋生物が好きなスキューバ・ダイビングの達人でもある、複眼思考の魅力的な人です。今から楽しみですね。

2002.2.24

先日、パリにいるリ・ウーハンさんより、『石子順造とその仲間たち』展での対談の記録の校正が届きました。わざわざフランスから送ってくださいました。ほんとうにありがとうございました。
また、今年の夏の目玉の企画展ですが、流木で人体像を造る岩崎永人さんにお願いしようと現在調整中です。実現することを祈っています。

 2002.2.10 

昨日は、石子順造さんと交流があった美術家の鈴木慶則さんが来館されました。『石子順造の思い出』の記録集づくりの打ち合わせのためです。
石子さんが赤瀬川原平さんの千円札裁判に関わったていたことから、赤瀬川原平さんに依頼していた鈴木さんの原稿の校正が届いたためでした。
赤瀬川さんは、20ページ以上の鈴木さんの原稿に丁寧に目を通してくださいました。
本当にありがとうございました。

 2002.1.3 

 みなさま、良いお年をお迎えになりましたか。
今年もよろしくお願い致します。

2001.12.29

『創美運動に参加した美術家たち』展は、12月22日に無事終了しました。

今年は、1月からの『仮設であることの意味展』、5月からの『石子順造とその仲間たち展』と、わたしのやりたかった2つの企画展を実現することができました。
『仮設であることの意味展』は、20世紀美術の最終局面を問題提起するものでした。そして、『石子順造とその仲間たち展』では、1960年代の石子順造とその仲間たち(グループ幻触)の静岡・東京での戦後現代美術の重要な役割を検証することができました。これらは、協力してくれた多くのみなさまのおかげだと思っております。
来年もよくしくお願いします。
来年の1月18日(金)からは、虹の美術館のコレクションによる『瑛九と細江英公の写真展』を開催します。この展覧会では、細江英公さんと瑛九さんとの交流関係を見てもらいたいと思います。
みなさまも良いお年をお迎えくださいね。

 2001.11.11 

先日、ニューヨークでの展覧会からお帰りになった、靉嘔(あいおう)さんの奥様(郁子さん)からニューヨークのお土産として、おいしいコーヒー豆をいただきました。
いつも、心遣いをしてくださり、虹の美術館ボランティア一同感激しています。
靉嘔先生も奥様もお元気でいてくださいね。

 2001.10.5 

 9月30日に私達の主要メンバーであった尾崎正教さんが、急逝されました。
新潟県小国町への美術旅行中のことです。享年79歳でした。
 私がコレクターになったのは、今から20年以上も前のことです。建築雑誌に「現代版画センター」の記事を学生時代に見たことがきっかけで、その後、渋谷にあったセンターから,小さな版画を買ったことが虹の美術館の原点といえます。
 その設立メンバーのひとりが、尾崎先生でした。当時、小学校の教員をしていらっしゃったのでしょうか。
その後,靉嘔さんや磯辺行久さんとの運命的な出会いがあって、コレクションも増えていきました。
いつも、純粋にわたしの話を聞いて協力してくれたのも、尾崎先生でした。
 私は、現在40代ですが、もし尾崎先生が高齢でなかったとしたら、虹の美術館の建設は、まだまだ先になっていたと思います。
 尾崎先生の50年近くの個人美術館(わたくし美術館)具現化の夢を、私がお世話になったお返しとして、先生が元気なうちにとの考えがひとつにありました。
Kさんなどの協力とご縁があって、虹の美術館を造ることを決心したのは、3年ほど前のことになります。
 今回のコレクション展は、虫の知らせだったのか『創美運動に参加した美術家たち』展となりました。戦後すぐに久保貞次郎・瑛九・北川民次・滝口修造などの戦後美術の啓蒙家が参加した創造美育協会の活動がありました。その周辺にいた美術家の作品を展示しようと思ったことがきっかけでした。
 尾崎先生の美術活動の原点は、創美の活動から始まったと聞いています。今回の企画については、尾崎先生に相談したわけではありませんでしたが、尾崎先生を追悼する展覧会になってしまいました。
尾崎先生、安らかにお眠りくださいね。


2001.9.22

『石子順造とその仲間たち展』は、9月16日に無事終了しました。

今回の展覧は、いろいろな面で今後の新しい展開を予感するものになりました。
まだ正式決定ではありませんが、某芸術系大学ギャラリーにおいて、今回の『石子順造とその仲間たち展』に出品した作家の作品を展示する『幻触』展の開催に向けて準備が始まりました。
また、今回の『石子順造とその仲間たち展』の「ミュージアムトーク」の記録について、簡単な出版物にすることも考えています。

 2001.9.8 

虹の美術館へは、遠く徳島県からのお客様のほかに、今日は青森県の八戸から来館されました。テレビか新聞で情報を知ったとのことですが、青森まで情報がいっているとは驚きました。先月のミュージアムトークには、東京大学や筑波大学の学生さんが「石子順造」に興味を持って、埼玉や茨城から来館されています。
みなさん本当に遠いところありがとうございます。。

2001.8.15

石子順造さんの評論を調べていると、石子さんの活動のすごさに圧倒されます。
60年代の芸術活動については、伝説化する前に冷静に検証する必要があるのでしょうね。
中原佑介さん・李 禹煥さんなどの石子さんを慕う人達が、8月5日に来てくれました。
李さんが「石子さんがいたから現在のわたしがある」と発言された時には、今回の「石子順造とその仲間たち展」を開催して本当によかったと思いました。
当日は、中原さんも李さんも、石子さんの思い出を胸に清水に来てくれたことは確かでした。みなさん本当にありがとう。

 2001.7.11 

石子順造さんやグループ「幻触」のメンバーとも交流があった中原佑介さんと李 禹煥さんが、8月5日(日)に来館して対談をしてくれることが決定しました。
多くの協力で20世紀の現代美術の検証ができることに誇りを持ちたいと思います。
6月に開催した第1回ミュージアムトークの丹羽さんと立花さんには、ご苦労様でした。
また、ロスのA・Iさん、忙しい中、来館していただきありがとうございました。また、帰国の際にはゆっくり遊びにきてくださいね。

2001.6.5

石子順造さんが亡くなってから24年が経過しました。石子さんについては、戦後美術史を語る上からも大切な人物のひとりです。このため、美術館学芸員などにも興味を持って調査・研究を進めている人もいます。
今回は、石子さんと交流のあった美術評論家とともに、石子さんに興味を持つ美術関係者に協力していただき、ミュージアムトークを開催することになりました。
針生一郎さん・尾野正晴さん・李 美那さん、そして本展覧会のキュレイターの立花義彰さんなどのエキスパートが参加してくれることになりました。
みなさん、本当にありがとうございます。

 2001.5.25 

「石子順造とその仲間たち」展が、今日から始まりました。
今回は、夭折の美術評論家石子順造さんが清水市に来て大きく変貌をとげた1960年代のドラマチックな出来事を、みなさんと一緒に味わってみたいと思います。飯田さん・鈴木さん・丹羽さん・前田さん、小池さんそして関係者のみなさん、本当にありがとうございます。

2001.5.13

「仮設であることの意味展」が、5月6日(日)で完了しました。
次回の企画展「石子順造とその仲間たち展」は、5月25(金)から始まります。
展示替えのために5月24日(木)までお休みします。
虹の美術館では、NPO法人としての地域との係わりから、清水市に約10年間在住していた石子順造さん(評論家)にスポットをあてて展覧会を企画しました。展示する作家・作品は、石子さんから大きな影響を受けた「グループ幻触」のメンバーの作品を中心に展示します。
ご期待ください。

 2001.4.24 

きょうは、2つ良い事がありました。
ひとつは、アンディ・ウォーホルの「マリリン・モンロー」の作品のベースになっている映画「ナイアガラ」の写真の掲載された書籍を探していたところ、マリリンファンのMさんからメールで情報が届いたことです。
もうひとつは、東名富士川サービスエリアの「富士川楽座」で明日から開催される私達会員のコレクション展(池田満寿夫・靉嘔・オノサトトシノブ・草間弥生など)のための展示作業を会員11名で出かけたことです。
みなさん、本当にいろいろありがとう。

 2001.4.22 

「虹の美術館」の情報をインターネットで見つけていただき、遠くから来てくださったお客様がいました。絶対に出会うことがなかった人との出会いを大切にしたいと思います。これもITの進化のおかげでしょうか・・・・・・
来週からは、日本初の東名高速道路サービスエリアと地方道が結ばれた施設の富士川楽座(東名富士川サービスエリア上り線)で虹の美術館会員によるコレクション展「現代美術のスーパースター展」が開催されます。興味のある人は、無料ですのでお立寄りくださいね。

2001.3.10

きょうは、関根伸夫さんが来館されました。戦後現代美術に衝撃を与え、今では伝説化している彫刻作品『位相大地』について語っていただきました。
関根伸夫さんを中心とする20代の5人の若者が巻き起こしたドラマ『位相大地』については、西宮市大谷記念美術館が『「位相−大地」の考古学』として図録を出版しています。
情熱が伝わってくるすばらしい本です。この記録を読みながら、20代の未知への探究とエネルギッシュな姿に感動しました。『位相大地』ありがとう。そして、関根さんと4人の伝説に参加した人達に感謝します。

2001.2.5

「仮設であることの意味展」で展示している天地耕作のメンバーのひとりである村上誠さんが、来館されました。村上さんには、ニュースレター第2号のためのインタビューとボランティア会員との交流会への参加をお願いしました。
きょうは、新聞の文化欄(静岡新聞2/2夕刊)に「仮設であることの意味展」についての記事を書いてくださったFさんも来館されて、村上さんとともに歓談の席に参加してくださいました。
きょうも多くの支援者に支えられて美術館が少しづつ動いています。

2001.1.20

今日は、第2回企画展「仮設であることの意味展」の2日目です。
1月15日発行の美術雑誌「展評」6号には、李美那さん(静岡県立美術館学芸員)のインタビュー記事として、虹の美術館が掲載されました。「展評」の編集部のみなさんそして李さんありがとう。
また、きょうは、NTTアドの杉山さん、中津川さん、そして美術家の鈴木慶則さんや、写真の寺田篤正さんなどのほかに、、出版社の新しい時代の寵児として話題になっている「幻冬舎」の見城徹さんがNHKテレビ(ようこそ先輩)の収録の合間に美術館に立ち寄ってくれました。
おいしいお茶と現代美術の作品に興味を持ってくださり本当にありがとう。

2001.1. 

みなさま、良いお年をお迎えになりましたか。
私は、新春早々、富山県立近代美術館に行ってきました。
アイオーさんの作品と小中学生が参加して作成したワークショップの作品を観てきました。
アイオーさんの「フィンガーボックス」の作品に指を入れたのですが、やはり触覚をくすぐってくれました。
ところで小学校低学年の作品群には、本当に力強さを感じました。小さな子供はスゴイ!
虹の美術館でも、大人の作品とは別に近隣にある小学校と幼稚園の子供達を巻き込んで、絵を展示する企画を再度考えたいと思いました。

 12.17 

虹の美術館のオープニング記念展は、12月17日(日)終了して、年末年始の休暇と展示替えに入ります。
次回の企画展は、2001年1月19日(金)から開催します。
絵画や彫刻が「もの」として存在しつづけることの重要性とはかなさについて考えてみようと思っています。
環境芸術として、美術館の中では存在できない巨大な作品に焦点を当てて企画してみました。
国内外の美術家自身が制作した、模型・コラージュ・版画・写真などを展示します。
ニューヨーク在住のクリスト氏からは、丁重な文章による承諾の返事をいただきました。
アイオー氏・磯辺行久氏・関根伸夫氏・川俣正氏そして、私の良き理解者である村上誠(天地耕作)氏からも出展の承諾をえることができました。
作家のみなさんの温かなはげましと協力に感謝しています。
これからもよろしくご指導ください。

 2000.12.1 

「虹の美術館」が9月17日にオープンして、2ヶ月半が経過しました。1日平均10名ほどのお客様が来館しています。
美術館の運営には、静岡・清水両市の市民を中心に10人ほどのボランティアスタッフが協力してくださっています。
現在、年齢・性別・家庭環境・職業・性格が異なるボランティアスタッフが、それぞれの思いと希望を持って美術館にかよっています。それぞれのスタッフにとって、「居心地」の良い「場」になることを願っています。
私が考えるNPO法人が運営する「美術館」のあるべき姿は、展示作品の質の高さによって来館者に感動を与えることと共に、ボランティアスタッフが、自身の人生ドラマの中で満足する時間を創り出していけることに期待しています。
今までに来たお客様とボランティアスタッフに感謝しています。これからも末永くお付き合いください。



   役員紹介
E・Kさんは、虹の美術館が入居している多目的ビルのオーナーです。
E・Kさん家族の大きな支援がなかったとしたら、虹の美術館は存在しませんでした。
E・Kさんは、心やさしくこまやかで、いつも前向きに人生を生きている輝く女性です。
E・Kさんと影から支援してくださっている旦那様には、心から感謝しています。
本当にありがとうございます。


 ボランティアスタッフ紹介 
Nさんは、2002年5月から美術館メンバーの中で唯一、毎週3日間を常勤してくれている女性です。Nさんは、昨年まで勤務していた国の機関を退官されて、虹の美術館のボランティアをやってくださっている女性です。前衛的な生け花や美術鑑賞など、多彩な趣味を持つしっかりした方で心強い味方となりました。今後ともよろしくお願いします。


 幻の『お茶』と『虹のようかん』はいかがですか? 

私達NPO法人の会員の中には、毎年全国レベルの煎茶(せんちゃ)品評会で、上位入賞する茶農家がいます。
年間に30kgしか生産できない手摘み茶で、貴重なものです。
静岡県は、お茶の産地。静岡県内でもめったに飲むことのできないこのお茶と、虹の美術館オリジナルの『虹のようかん』でみなさまの来館をお待ちしています。