千と千尋の神隠し

説教 2002_07_22

 

全くの偶然なのだが、通販で注文しておいた『千と千尋の神隠し』(DVD)が届いた。
そんな話ばっかりもちょっとどうなの?と思いながらも、私はまた書こうとしているのである。


「なんだお前、俺に説教しようというのか?」とまず思った。
『千と千尋の神隠し』が子供に説教する話だと思ったら大間違いで、私たち大人が説教されているわけである。
お金を払った上に説教されるのではタマラナイ。

しかも、「うわっ、イヤラシイもの描くなあ」とも思った。
劇中に出てくる「カオナシ」という奴は、私たちの分身である。
自分を確かなものにしたくて、「オレを必要としてくれよー」と叫んでいるのだ。
必要とされるということが自分の外延をつくる。
そんなことは言われなくてもわかっているので、わざわざ描くのは止めて頂きたい!と私は思う次第である。
『千と千尋の神隠し』というやつは大変困った映画だった。

ところが、19日に『千と千尋の神隠し』が届けられてから、私は既に3回も見たのである。
つまり、内容はすごくイヤラシイんだけど、見るのはすごく気持ちいい。
その辺が宮崎駿という人物のすごいところなのだろう。
説教をたれながらも、ちゃんと人が見たいと思うような作品に仕上げてくるわけだ。

宮崎駿氏が作品の中で言っていることは、別に彼だけが言ってきたことではない。
今まで多くの作家や漫画家が表現してきたことである。
しかし、その道の「大家」といわれるような方が晩年に送り出す、いわゆる問題作というやつは、大抵、大ヒットはしない。
たとえ高い評価を受けることはあっても。
どうしてかというと、面白くはないからだろう。
問題意識を持っている人は見る(読む)けど、問題意識を持っていない人は見ない(読まない)。
本当の事を言えば、問題意識を持っている人は見るまでもないわけで、問題意識を持っていない人にどうやって見せるかが重要であるとも言えるわけだ。

そこを宮崎駿という人は沢山の人に見せちゃうところが凄い。
作品が見ていて気持ちいいからだろう。
その気持ちよさの源は登場人物の描き方にあるんじゃないか、と私は思っている。
イヤな人があんまり出てこないんだね、彼の作品には。

これは表現媒体の違いから来るモノかもしれないんだけど。
アニメはちゃんと作ると物凄いお金がかかるから。
商売になるように創らないと話にならない。
一方、小説家なんかは、売れなくても自分が困るだけなので、覚悟を決めれば面白くない作品を創っても良いのである。
漫画『風の谷のナウシカ』をああいう風に表現できたのも、そういうことなんじゃないの?という気がする。

結局、宮崎駿氏にはアニメ制作者としての優れた適正があるということなんだろう。
表現欲と商売を両立させられる。
もちろん、意識せずとも気持ちのいい作品になってしまうのかもしれないわけだが。

で、宮崎駿氏の作品は気持ちいいだろう、と経験的に知っている私達は、説教されるとわかっているのに彼の作品を観てしまうのだ。
私ぐらいヒネくれていてもね。
きっと、次も説教されるんだよ。



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