練習場レポート


 
2003年5月29日   Jヴィレッジ(日本代表合宿)


 何年かぶりのJヴィレッジ。思い起こせば前回来たのは仏W杯前の合宿だったような気がする。高速のインターができた以外は何も変わりのない町。変わったのは私のココロかもしれない。

 11時半過ぎに着いたとき、午前の練習はもう終わっていた。正確に言うならば、全体練習は無く、川口選手だけがGKコーチと練習していたと、偶然会った知り合いから聞かされた。今日中に都内に移動するとも。これは居残り特訓は望めないなと思いつつ、午後4時からの練習を待つ。若者が多いが、中には子供を連れた人も居る見学者達。誘導されてコートの周りを囲む。運良くベンチのすぐそばの場所を確保できた。

 いつの時も川口選手は一番に登場する。今日は10分前に現れて、まずコーチ・スタッフと話を。軽いアップの後、フィールドの選手が集まって監督の話を聞いているのを後目にGK陣が始めた練習は、シュート。でも3人とも上にはずすことが多く?と思ったら、実はバーに当てるゲームだった。規定の本数を当てて、能活がいち抜け。フィールダーが反対サイドに移動したところで、キャッチの練習。遠目からのハイボールを、必ず声を出しながら取り、返す。楢崎・能活・曽ヶ端の順番にむっとする私。その順序にどんな意味があるかは知らないが。

 キャッチしたボールをキックやフィードで返す場合、ひいき目なしに受け手がどれだけ移動するかを見ても、能活がだんとつに良い。すべて・・・とまでは言わないが、ほとんどのボールが足下にピタッと入る。Jの試合前練習で見せていた、あのキックやフィードだ。それがゲームに活かされてなくて、歯がゆい思いをしたっけ。キャッチするためのボールは3人が交互に蹴るのだが、3本続けて大きくはずした選手も居て、思わす「それじゃ受ける方が練習にならないじゃない」と突っ込んでしまった。

 フィールドの選手が二手に分かれると、能活は柔軟体操のようなものを始めた。「え、まさかもう終わり?」と驚いていると、始まった紅白戦の横で至近距離からのキャッチ練習。合間には、身振り手振りを交えて、熱心にコーチと何か話している。ポルトガル語だろうか?私はそちらばかりを見ていたから、紅白戦の内容はよくわかっていない。ただ、レギュラー組が攻めるべき私の目の前のサイドに、あまりボールが来なかった気がする。人数合わせに借り出された地元の高校生DFが、小柄ながらよく頑張っていた。どちらにも点は入らず、前半は終了。

  能活はビブス組の選手に歩み寄って行った。マリノスで一緒だった石川の頭をぽんとたたき、遠藤に声をかけ。その後ビブス組のゴールマウスへ。紅白戦の後半だ。鈴木に点を決められてしまうが、サントスの足下に飛び込むセーブも。後半の後ろ半分は何人かメンバーが替わって、石川、永井がレギュラー組へ。サッカーサイトを見ると、石川が良かったように書いてあるが、私には肝心のクロスがいまいちに見えた。結局鈴木の1点だけで終了。その間、ジーコ監督はほとんど口を挟むことは無かった。う〜ん、これでいいのだろうか?

 締めは、FKとPK。キッカーは、中田・小笠原・サントス・山田で、山田以外はそれぞれ何本かづつ決めていた。FKでもキーパーは不利なのだなと思う。最後にもう一度、キーパーとコーチ陣で、バー当てゲーム。能活はガッツポーズも見せていた。笑顔、声、キック、どれもが久しぶり。カンタレリGKコーチとの関係も良さそうだ。3週間ボールを触ってなかったという彼にとって、照準は6月かもしれない。とにかく1試合でも多くピッチに立って欲しいと願うばかり。だが。

 能活がゴールマウスに立ったとして、昔のように全面的に日本代表を応援できるのだろうか?という疑問が胸をよぎる。今日会った知人と、仏W杯予選の時の思い出話に花が咲いたが、次の予選にあの時ほどの情熱を持てるのか。私の心の中には、代表に対する4年間の大きな空白ができてしまっていて、それは容易なことでは埋まらない。単に私が、年を取ってしまったということなのかもしれないが。

 引き上げた選手達のうち何人かはインタビューを受けていた。相変わらず能活の周りには多くの記者が集まる。風が強く、見ている私たちは歯の根が合わなくなるくらい寒かった。その中で汗をかいた選手を引き留めるのだから、せめて真摯な記事を書いて欲しいものだ。記者達が後ろから来たジーコ監督のもとへ移動し、ようやく能活は建物の中に入っていった。見学者からの声に軽く手を振りながら。

写真1 写真2 写真3 写真4
スタッフと
キャッチ練習
紅白戦前
遠藤選手と
 

練習場見学:2000年  5月25日  6月22日  6月30日    01年2月28日 

 


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