※お願い:リンク先から戻るときは、ブラウザの「戻る」ボタンをクリックして下さい。 松山の人。内藤天爵から教えを受け、後玉置流書道の蘊奥(うんおう)に達す。 毛馬内生れ。「民間伝承」昭和18年7月号に「秋田毛馬内町に於る盆習俗」 と云う報告を掲載。 天爵(仙蔵・湯瀬家より) − 十湾(調一) − 湖南(虎次郎) ……湖南の母は泉沢修斎(恭助)の娘。 湖南の子女……乾吉(関西大学教授)、耕次郎(立命館大学教授)、百合子、ヒナ子、 戊申(大学教授)、茂彦、夏五(洋画家)、早苗子(夭折)、祥子……五男四女の子福。 立命館大学教授。昭和18年大映映画『火砲の響き』の映画音楽を担当、野淵昶監督、 嵐寛寿郎・市川春代主演。 昭和初期から内藤耕次郎を中心に、中井正一、辻部政太郎ら美学者たちが集り、 京都で前衛映画の研究をしていた。ドイツで映画音楽理論と演劇を学んで帰国した 貴志康一が映画研究所を作り、最初に制作した記念すべき作品がいわゆるシネ・ポエム 『海の詩』(昭和7年)で、彼は色彩と音楽を担当。 東洋史学の世界的権威。毛馬内。昭和九年六月二十六日没。 鹿角志五巻を著す。 内藤一族の総領。 平成11年民生の安定・社会福祉の向上で鹿角市一般表彰。 秋田県教育庁文化課長。 「上津野」記念講演バックナンバーNO.12。 尾去沢の人で、尾去沢鉱山に勤務。書家。 昭和58年鹿角市文化功労者。 歌集「雪橇」。 秋田県教育庁文化課長。 「上津野」記念講演バックナンバーNO.15。 奈良庄六(伝右衛門・佐庄)の祖。 昭和56年地方自治の振興で鹿角市功労者。 花輪城主(預かり)の中野氏は、岩手郡中野村の在名によるもので、 八戸・北の両氏と共に「御三家」と称され、始祖は南部氏初代光行の五男九戸行運 と伝え、家祖中野修理康実は九戸政実の実弟である。 「一戸氏」の項参照。 平成9年スポーツ振興・観光産業の振興で鹿角市一般表彰。尾去沢字瓜畑。 「鹿角の民謡」伝承者。関上。 平成15年河川漁業の振興で鹿角市一般表彰。 大正九年から昭和十二年までの、シベリア出兵や日華事変などに従軍したときの 様子を軍隊手チョウに書き残している。 大湯出身。渓流画家。国際現代美術展入選など。 南部・安東の 永禄合戦 (永禄9〜11年(1566〜1568))のときの攻防の舞台となった地。 |