GLN「鹿角の温故知新への旅・鹿角先人列伝一覧」

名越(長牛:なごし)氏

 南部・安東の 永禄合戦 (永禄9〜11年(1566〜1568))のときの攻防の舞台となった地。

参考(出典):「鹿角市史」ほか
 
 (天文の頃(1532〜1555)であろうか)毛馬内氏の鹿角入部と相前後して、  郡南地区には、一戸南部氏庶流が拠っていたとされる。
 即ち、
 「参考諸家系図」一本には、
 長牛氏 行朝の二男一戸摂津守義実、初は奥郡の内女鹿小供領す 後鹿角郡長牛村を 領して長牛氏と称す。
 
 また「鹿角由来集」には、
 一、長牛村 本ハ秋本弾正左衛門領秋田牢人館有、後ハ一戸摂津守一戸次男名字 武田長牛弥四郎先祖、鹿角国人旗頭ニ三戸より御一門南部九郎正友遣ワサレ候、 石鳥谷居城此時一戸ニ指越サレ候。

 長牛氏系図(『参考諸家系図』より)
 
行政 一戸弥四郎:実光公建長五年二戸郡一戸ノ郷ヲ賜フ

義実 摂津守

義正 長牛摂津守:此時鹿角郡長牛村ヲ賜フテ之ニ移リ南館ニ居依テ氏トス・ 秋田境ヲ警衛ス・妻武田彦四郎女

政勝 弥三郎

正久 太郎左エ門

正道 縫殿助 弥四郎 太郎左エ門:晴政公永禄九年鹿角郡合戦ノ時、
   長牛城ヲ守テ軍功アリ、一本云此時公軍ニ従テ功アリ
   依テ初テ長牛村ヲ賜リテ氏トス
某 長牛彦六:信直公天正十一年志和郡大萱生陣ノ時討死ス
 
※正道

………………
一本云
 一戸彦太郎行朝君男
義実 一戸摂津守:建長五年一戸ノ郷ヲ賜フテヨリ秋田境警衛迄・行政義正 ノ事実ニ同

某 摂津介:妻武田彦四郎二女

某 摂津介 太郎左エ門:母武田氏

此間 代数不詳

政義 弥次右エ門 太郎右エ門:妻寄木左エ門佐義名女
政武 長牛与九郎:晴政公永禄十一年二月長牛城ノ前ニ戦死
友道 長牛民部
 
※友道

友義 権右エ門 縫殿介:母寄木氏下同・請記省略(鹿角合戦のこと)・妻岩間将監女
某 長牛彦六:事実同
女:浅石清四郎安長妻
 
※友義

正用 弥四郎 権右エ門:母岩間氏・信直公ニ仕フ。此時長牛村二百三十石也(以下略)

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  • 長牛城の攻防戦(長牛)

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