GLN「鹿角の温故知新への旅・鹿角先人列伝一覧」

高橋克三

 内藤湖南研究に生涯を捧げた。昭和45年郷土史で秋田県文化功労賞受章。 同49年鹿角市文化功労者。同53年教育・文化の向上で鹿角市功労者。

参考(出典):「鹿角のあゆみ」
 
△鹿角のあゆみ 序文
     十和田町毛馬内郷賢顕彰会長 高橋克三
 
 善記( 逸年号 )の年における狭名の伝説や、三代実録の「上津野」のことは、しばらくおき、鹿角においてまとまった、 郷土研究ともいうべき、最初の文献は、「鹿角縁記」である。この書は、毛馬内の伊藤宗兵エ(為憲と号した) の著で、今から百四十三年前の文化十年のものである。 この全文が「秋田叢書」の第八巻に収集された。かって大町桂月が、この書を見て「稀れに見る多識の人」と 高く評価した。ついで明治四十年には、内藤調一(十湾)が、労苦を重ねて、「鹿角志」を編した。 この書は、息、内藤湖南が校正したもので、学術的価値の高い善本である。 その序文や後序は、内藤父子の不朽の名文と称されている。
 
 更に注目すべきは、昭和六年刊行の、曲田慶吉著の「鹿角郷土誌」である。 この書は、取材の方法や、記述及び配列等の配慮が、近代科学的な手法を用いたので、前述の二著にくらべて読みやすく、 かつ多面的な特徴がある。余は、当時教職にあったので、教育には、郷土誌が必要なことを痛感したので、 大正二年「毛馬内町誌」を編した。これが新渡戸稲造博士に認められて、序文を書いていただいたことを、思い出した。 ついで昭和五年に「近世鹿角郡学統考」を編述した。この「学統考」は、本郡における、学者を中心に、 江戸時代の新しい学問であった折衷学派の学統を詳述したものである。この書は、内藤湖南の校閲と示教を得たものであるが、 後に「西園寺公と湖南先生」(安藤徳器著)の中に、その全文が収録された。
 
 終戦後の二十数年!!この間、世は物情騒然の中に教育が幾多の試練を経たのであるが、昭和三十七年に、 鹿角郡社会科教育研究会が、率先して「鹿角の社会化歴史資料篇」として「鹿角の歴史」第一巻を刊行した。 ついで三十九年には第二巻を、更に四十年には、「鹿角の歴史」追補篇を続刊したのである。 このたゆみなき努力が更に前進して、この集大成ともいうべき、「鹿角のあゆみ」が、登場することになったことは、 本郡の文化史に、不滅の光彩をそえることであり、多望なる本郡のために、まことに、慶賀にたえない次第である。
 
 今や世相いよいよ険悪となり、大学問題を初め「育」があっても「教」を失いつつある現状に識者は目を むけなければならない。都会は緑と太陽を失い、サクバクたるコンクリート文化に墜している。今や地方の健全なる 文化の維持長養こそ、キツキンの問題であろう。教育における社会科の役割が、今日ほど重要な位置を占めることはないと思う。 佐藤会長を初め、会員の同志的統合によって、更に有終の美を発揮せらるるよう切望して小序とする。
  昭和四十四年六月
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△鹿角のあゆみ  はじめに

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