06 逸年号とは
 
 「大化(AD645.6.19〜650.2.15)」とは、孝徳天皇朝の年号のことで、公的に採用さ
れた年号としてはわが国最初である。
 この大化の年号制定以前の年号のことを「逸年号」と云い、例えば法興・白鳳などが
それである。
 なお、「私年号(異年号、偽年号とも)」とは、朝廷が正式に定めた年号に対し、民
間で私に用いた年号のことで、逸年号のほか、福徳・弥勒・命禄など中世の古社寺縁起
や金石文などに存するものがある。

 「逸年号」に関して、「襲国偽僭考ソノクニギセンコウ」に次のように述べている。

  継体天皇十六年、武王年を建て善記といふ。是九州年号のはじめなり。
  年号 けだし善記より大長にいたりて、およそ一百七十七年。其間年号連綿たり。
  麗気記私抄、また海東諸国記などにもこれを載せ、今伊予国の温泉銘にも用ひ、
  如是院年代記にも朱書して出せり。しかれども諸書載るところ異同多し。

 「襲国偽僭説」とは、本居宣長の提唱によるもので、「卑弥呼は熊襲の女酋であり、
熊襲が、天皇家を差し置いて日本列島の王を僭称し、中国に使者を送った」と云う。
「僭称」などの言葉は、本居の根本の概念から生まれた「大義名分用語」であって、
その実は「九州王朝説」であると云う。

 また「逸年号」は、「襲国偽僣考」に代表される古文書以外にも、金石文キンセキブンと
云う形で、例えば奈良県斑鳩イカルガの法隆寺金堂に安置されている釈迦三尊像の光背
コウハイ金石文にも残っている。
 ほかの史料として、「ニ中歴」、「如是院年代記」、「麗気記私抄」などがある。
 「金石文」とは、金文と石文、つまり、鼎カナエ・鐘・石碑・仏像等、金属・岩石・木版(つ
まり紙以外の材料)等に刻された文字・文章・銘文の総称のことで、文字が陰刻されたも
のは「款」、陽刻されたものは「識」と呼ばれる。また彫刻によることが多いため、独
特な字体(金石文)を生んだ。
 
 年号「善記」については、次のリンク先を参照のこと。
 八幡平地区の神様を訪ねて
 小豆沢老人クラブ区域内の神様・長牛老人クラブ区域内の神様の「大日霊貴神社」
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