07 神仏分離
参考:堀書店発行「神道辞典」ほか
〈神仏分離シンブツブンリ〉
神仏分離とは、明治元年、千余年に亘って行われて来た神仏混淆を禁止し、二者を分
離せしめた行政方策である。即ち明治政府は、王政復古、諸事一新、祭政一致の制度に
復し、神祇官を再興すると云う方途を決定し、従って古来の神仏習合の風潮を一洗しよ
うとして、明治元年三月十七日諸国神社の別当・社僧復飾の令、同月二十八日神仏の区別
に関する布告、四月二十四日神祇の菩薩号廃止に関する達タッシ、石清水放生会を中秋祭と
改める達、法華経三十番神の称を禁止する御沙汰など、全て十二件の「神仏判然の令」
を発したのであり、それらに云う事項の内容を分類すると次のようである。
(一)諸神社に僧形ソウギャウで奉仕した来た、修仏事のための別当とか社僧・供僧グソウなど
は、全て復飾フクショク(還俗ゲンゾク)させて奉仕させる。
(二)古来以来、神祇を某権現・某菩薩・牛頭天王ゴズテンワウなど、仏語を以って称して来
たものは、これを廃止し、法華神道ホッケシンタウと云って日蓮宗で伊勢・熱田などの三十番
神を祭ることを禁止する。鰐口・梵鐘・仏具などを神社内に設けていたものは、これを
除却する。
(三)寺院が神社の祭祀に関与していたものを止め、祭祀名に放生水ハウジャウエなどの仏語
・仏意によるものを用いていたものは廃止し、内容改正の上、別名を称せしめる。
(四)精進神シャウジンシンとして魚肉を供えなかった北野天満宮等で、かかる素饌を中止し
て、改めて魚肉を供えても差し支えない。
(五)神仏判然の措置は、「排仏毀釈」(俗に「廃仏棄釈」とも書く)の趣意ではない
から、その旨を心得べきこと。
要するに、神仏分離は、奈良時代以来の神仏習合的形態を神社施設から払拭しようと
することを目的としたものであるが、仏教そのものを排撃しようとする意図はなかった。
この分離の実施は、数ケ年以上に亘って行われたのであるが、特殊の事情、或いは文化
財保存の意味から、神社に残された仏教的施設・什器等も少なくない。例えば、日光東照
宮の本地堂・輪蔵・五重塔・鐘楼等、出羽三山神社の五重塔、金鑽カナサナ神社・知立チリフ神社の
多宝塔、厳島神社の五重塔など、その他厳島神社の平家納堂など多くの仏教的文化財が
これである。
関連リンク 「法華神道(三十番神)」
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