創設期(約200年前)                            


西暦
元号
百花園史
関係史

1762

宝暦十二年

・佐原鞠塢仙台に生まれる

○この頃、江戸での出版物数上方を上回る

1783

天明三年

○この頃鞠塢江戸に出て、中村座の芝居小屋(和泉屋)に奉公

1792

寛政四年

○この頃鞠塢日本橋住吉町に骨董店を開き、北野屋平兵衛(北平)と称す

1804

文化元年

・鞠塢寺島の多賀屋敷跡に梅園を開く

酒井抱一数寄屋を設計(後の御成座敷)

・鞠塢「盛音集」「梅屋花品」刊行

1805

文化二年

・鞠塢「秋芳園展観目録」刊行(一説に享和元年)

・小松曳を催す

○山師来て なにやら植えし 隅田川−白猿

1808

文化五年

・鞠塢「群芳暦」刊行

1809

文化六年

○古典に名高い草木を植え始める

1811

文化八年

・鞠塢「都鳥考」刊行(一説に文化一二年)

・「浮世風呂」第四篇に紹介さる

1812

文化九年

・鞠塢「秋野七草考」刊行

1814

文化十一年

・鞠塢「春野七草考」刊行

千樹庵益賀句碑(鳥の名の・・)抱一書

・亀田鵬斉「墨陀梅荘記碑」

・鷺雪句碑(花を花と・・)<現在不明>

芭蕉句碑(こにやくの・・)

文化年間  鞠塢等、墨堤に桜を植える

1815

文化十二年

・鞠塢「はなふくろ(句集)」刊行

・「遊歴雑記」三篇上巻に紹介

1816

文化十三年

・鞠塢夫妻、抱一の命により光淋の墓碑建立のため上洛

1818

文政元年

○この頃、鞠塢本郷の阿部備後守の作庭を行う

1819

文政二年

・吉向治兵衛(松翁)園内で隅田川焼き東窯 を始める

1821

文政四年

・書家敬義「山上憶良 秋野七草歌碑」

・尾張大納言茂徳御成り

1822

文政五年

・大窪詩仏「画竹碑」

1824

文政七年

・長命寺の桜もちが評判になる

1826

文政九年

・「俳諧隅田川集」刊行

1827

文政十年

・「宮沢雲山先生看梅詩碑」

・「江戸名所花暦」巻三に紹介

1828

文政十一年

・鞠塢「墨水遊覧」刊行

1829

文政十二年

・十一代将軍家斉御成り

・江戸大火

1830

天保元年

・望月(鈴木?)美知彦句碑(けふの月・・)

○この頃、伊勢お陰参り流行

1831

天保二年

・初代佐原鞠塢没(八月二九日)   辞世「隅田川梅のもとにてわれ死なば春吹く風のこやしともなれ」

・坂田三七郎墨堤に桜を植樹

1832

天保三年

・家斉、萩原平作に唐楓を下賜す

1835

天保六年

・「江戸繁盛記」第四篇に紹介

1836

天保七年

芭蕉句碑(春もやや・・)

○この頃、滑稽本、人情本流行

1838

天保九年

・北元居士句碑(水や空・・)

・「東都歳事記」刊行

・天保の改革がはじまる

1841

天保十二年

・「春色梅美婦弥」

1843

天保十四年

・勅使徳大寺、日野両卿御成り

1846

弘化二年

・十二代将軍家慶御成り、東竈を築き隅田川焼きをご覧にいれる

・藤田東湖、古梅の水戸下屋敷に幽閉される

1853

嘉永六年

・アメリカ使節ペリー浦賀に入港

1854

安政元年

・二代目鞠塢等墨堤に「花勧進」を行う

1860

万延元年

三、桜田門外の変のエピソード<祐筆として江戸城に出仕していた三代目鞠塢、事件のため昼の弁当が出ない中、おんじゃく(温石)代わりに持参した砂糖まぶしの焼き餅を同役等に配り喜ばれる。

三、桜田門外の変

1865

慶応元年

・小倉常吉深谷に生まれる

1866

慶応二年

○この頃、三代目鞠塢お庭番となり城内の庭園管理にあたるがその後の消息不明となる

1867

慶応三年

・大政奉還、王政復古の大号令