年代 1830年 高さ 136センチ 幅 84センチ
碑面の読み下し 裏面の文面・読み
今日(きょう)の月 さても惜しまぬ 光かな
美知彦(みちひこ)世の中の 梅の咲きけり 隅田川
七十四翁一桑庵野月 これを建つ(以下省略)
解 説
○文政十三庚寅(こういん)=一八三〇年。この年十二月十日、天保と改元。
○美知彦=鈴木道彦。『新選俳譜年表』文政元年(一八一八)の項に「道彦没、九月六日、享年六十二、浅草善教院に葬る。鈴木氏。金令舎・十時庵・秋香庵と号す。白雄(白鬚神社No4碑解説参照)門。陸奥の人、江戸住、医を業とす。」(善教院は教善院の誤り)
〇一桑庵野月=埼玉の人。同人編の刊本『石碑供養』は、道彦の十三回忌にあたり、野月の主催で、道彦の「今日の月」と芭蕉の「野を横に」の句碑を建立して供養したときの記念集である(小林甲子男『芭蕉句碑を歩く』)。これによると、道彦の十三回忌に、野月が道彦門の有志を語らって建立したものとなる。
○暁河=中島氏、称甚兵衛、櫻下斎と号す。丸海老屋長右衛門と称し、江戸新吉原妓楼の主人たり。
○玉光=田中氏、称伊助、寛丸斎と号す。道彦門、江戸人。(『新選俳諧年表』)「今日の月」の句の前書に「良夜」とある。(自選、文化中葉刊『蔦本集』)
規格外漢字 @ A B C D 姿 読み