千樹菴益賀「鳥の名の」の句碑
年代 1814年 高さ 90センチ 幅 44センチ
碑面の読み下し

裏面の文面・読み

鳥の名の 都となりぬ 梅やしき
      千樹菴益賀

文化甲戌新春吉祥日
   抱一暉真書

文化甲戌(こうじゅつ)新春吉祥日
  抱一(ほういつ)暉真 書

解 説

○梅やしき=百花園が開かれた文化元年ころは、亀戸に臥竜梅のある梅屋敷があったので、百花園は、新梅屋敷または単に梅屋敷とも呼ばれた。
○文化甲戌=文化十一年(一八一四年)。
○抱一暉真=酒井抱一(一七六一〜一八二六)徳川末期の画家にして俳人。姫路城主酒井忠仰の第二子。字は暉真、俳譜に屠龍と号す。また狂歌と浮世絵に、尻焼猿人(しりやけのさるんど)と称す。(平凡社 『日本人名大事典』)なお当園を「百花園」と名づけたのは、この抱一だったといわれている(当園No21碑解説参照)。

規格外漢字
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