本仏覚醒 1994年6月:アメリカ人のワーナーさんが開祖のブレイク・スルー・テクノロジーのセミナーを受講した一週間後に西遊記の孫悟空の輪の辺りが2〜3cm幅でぼわっと心地よい張りを覚える。(弾指(だんし)10-17) (眉間の部分は心地よい張りは無く、ワッカは繋がっていない。後日、アミネットをやってから繋がる。) 1994年冬から1995年春:頭のてっぺん、百会からアイスピックが入ってくる感じ、とても痛い。日に日に深く入り中心に届く。(刹那(せつな)10-18) 中心まで届き百会は終わるが、今度はアイスピックが刺さる場所が前方にずれて日に日に深く入り、中心まで届く。 そして、また、刺さる場所が前方にずれ、中心まで届く。 アイスピックは眉毛と眉毛の間の眉間まで5箇所くらい続く。 そして、それが終わると百会ちょっと後方から眉間にかけて鎌の刃を当てられたような縦の線が出る。 これも、とても、痛い。 鎌の刃を当てられた状態が何日か続いていた時、私が店番をしている時にJCの後輩が客として私の店に来ました。後輩と声を交わした途端に後頭部に縦に3本の線が出ました。あれ、と思った瞬間、おでこを含む頭全体に縦横の線が広がり、整ったアミネットをかぶったような状態になり痛みが無くなる。 数十分後、店番の交代に来た母に会った途端にそれぞれの四角が丸くなり、頭が整った阿弥陀仏状態になる。 数十分後、全てが程よく広がりおでこを含む頭の表面がほかほか状態になる。(六徳(りっとく)10-19) 以後、おでこを含む頭の表面が色々な点と線と丸、心地よい張り、ほかほかが組み合わさり、多種多様の変化を繰り返す。(虚空(こくう)10-20) 1997年頃から線が深く入りこみ立体になる。 1997年暮れか1998年初め頃、眉毛まである5、6段重ねの段々畑のような整った立体大仏になっている時に妻の母と声を交わしたとたん、メラメラメラっと上に上がる様な感じで綺麗な大日如来の頭を生涯で一度だけ体験する。 平凡社世界大百科事典より 胎蔵大日如来 2000年ごろ、始めに左おでこにつるつるが出てから頭の表面が海の水面のように動くようになり、波に乗り、つるつるが頭全体に広がるようになる。 以後 綺麗に整った立体つるつる大仏の頭を何度か体験する。(清浄(せいじょう)10-21) おでこを含む頭は全体が大海原の海の水面のように常に揺れて動いています。立体つるつる大仏の頭(豆入り大福餅)になるときも揺れ動きながら線や丸が食いこんだりしながら変化していきます。 綺麗に整った状態でも、常に波のように揺れ動き、そこから、又、多種多様の変化を続けます。 2006年ごろからつるつるがサラサラになる。(阿摩羅(あまら)10-23) I I 補足 孫悟空の輪に心地よい張りが出てから気を感じるようになり気功の本を買って面白がって気功の練習をやりました。呼吸法は暇さえあればやっていました。(瞬息(しゅんそく)10-16) そしたら、とんでもない事になってしまいました。 アイスピックはめちゃくちゃ痛い。死ぬかと思いました。1ヶ月ほど前に脳専門のクリニックで脳のMRI検査を受け、正常だったので我慢してました。なぜ脳の検査を受けたかというと心地よい張りとは別に頭のてっぺん、百会付近の皮膚がもぞもぞ動く感じがしてました。父にそれを言ったら父が勝手に予約を入れてしまったので受診しました。また、セミナーでの「死、血が出るだけ」洗脳も残っていたので「死、血が出るだけ。何があっても安らかな眠り」の心境でした。 アイスピックの時は一日に何度も涙を流し、癒されると頭の痛さも楽になるので我慢してましたが日に日に深く入ってきます。中心に近づくにしたがって激しい涙(感動の涙)となります。 アイスピックが入ってくるまでは頭部への苦痛は一切ありませんでした。 アイスピックから、はっきりと形の判る偏頭痛持ちとなってしまいました。 ほとんどの時間、場所はまちまちだが、どこかで線や丸が強く食い込みグリグリやってます。全体が穏やかな日本晴れの様な時は少ない。 その部分だけ、ちょっと強いマッサージをされているような感じです。気持ちの良い、程よい痛さです(弾指(だんし)10-17)。しかし、程よい痛さを通り越し、激しくグリグリする時もあります。(刹那(せつな)10-18)。こんな時は夜、寝ている時に百会からビビビビビが来りします。ビビビビビが無くても次の日の朝には頭全体が綺麗に整った状態を経験できます。 直径1cmぐらいの丸が突然「がぶ」っと噛み付く時があります。誰かに大仏の山を一つ噛みちぎられた様な痛さです。思わず、悲鳴を上げたくなる痛さです。が。これは一瞬で、長続きしません。(2003年ごろまでの話で5,6回) 「つーーー」と一本の針で刺される、一本の針が入ってくる感じの時があります。これはすぐに終わります。これは数え切れないほどあります。針は前記のほとんど痛くない一本の針の時とは別の感じで直径4cmくらいの円の中に7〜8本の針でちょっと痛いチクチク系があります。針は1,000本以上、打ち込まれています。(阿頼耶(あらや)10-22) つるつるは濡れたビニールを肌につけたような感じです。薄いビニールから分厚いビニール、感覚としては暖かい赤みのある銅から銀、金、白金まで色々。2006年からは良い状態は水に濡れたつるつると言うよりはベビーパウダー粉のようなサラサラ白の感じです。硬さも鋼から軟らかい白いマシュマロの感じまで色々です。 点、線、丸や動きは無しで、つるつるだけの話ならば、ほっぺたまでつるつるが張り出す時もあります。 1997年ごろ、つるつるの存在を知らない時に2週間ぐらい両耳の上の所から後頭部、眉毛を通るカミソリの刃の大きなワッカの一本の線だけになった時は気が狂いそうになるほど苦しかった。涙を流すと楽になるのですが涙も出ない。目を閉じてまぶたの中を見ると真っ赤(混じりっ毛なしで明るい。今、思えばこんな光景は二度と見られないであろう鮮やかな光景でした)。涙も出ない心境に陥っていました。つるつるが無い場合、一本だけの線の状態になると非常に痛いのですが、複数の線でネット状態になるとネット全体で吸収されるような感じで楽です。 この頃は頭の表面が程よいホカホカの状態が楽でそこで固定していてくれれば良いと思ってました。 2000年頃までは釈迦も私と同じ覚醒をやっていたと思っていました。 私の場合は1995年の当初より普段は後頭部に穴があいていました。百会や前頭葉の動きに比べ、後頭部の反応が弱かったり、強い反応があっても縦ての3本の線だけだったり、綺麗に全体のバランスの取れた反応が時々しかありませんでした。 綺麗にバランスの取れている状態になると得体の知れない人と出会って頭の状態はもちろんのこと精神的にもおかしくされました。 修復するのに時間がかかりました。常に全体のバランスの取れた反応が出るようになるまでは自分の考えや、思ったことで大きく、勝負は出来ないと思ってました。 2004年4月頃に法華経を知り、釈迦は本仏覚醒をしていないとの確信を得ました。2004年8月頃から後頭部も他の場所と完全に同じように反応し、全体のバランスが取れるようになりました。 イエス・キリストのワッカは1994年暮れ頃から本物だと思っていました。しかし、その後、阿弥陀の頭になったこともあり、当初はイエスは発展途上で、まだまだ先があるのに途中でアル中の酔っ払いになった。イエスのは酔っ払いの発言でイエスの行動や発言に対して色々と言いたいこともありました。ライコスの掲示板ではイエスに対し言いたい事を書いていました。しかし、2002年9月頃のプラチナヒーリングでイエスの体レベルが分かり、イエスに対する評価が変わりました。 イエスのワッカは本仏覚醒の初期症状です。 しかし、イエスは全体が繋がっているアミネットや阿弥陀状態を知らないと思います。が、 イエスの場合は私とは違い、最初からつるつる・サラサラが有ったのか、と、今になって思います。無茶苦茶の酔っ払いの発言もうなずけます。つるつるサラサラが有れば針や剃刀の刃(阿頼耶(あらや)10-22)は快感でイエスは快楽(阿摩羅(あまら)10-23)を教えようとしていたのかも知れません。 つるつる・サラサラはアルコールに強い、弱いの関係があるのかとも感じています。私は一杯のワインが適量でそれ以上飲むと気持ち悪くなってしまいます。 アミネットをやった後ぐらいから、全然痛くは無いが、頭からみしみしと音がする時が有ります。脳が膨張しているのかも知れません。 母が亡くなった次の日、1999年2月12日の昼間。遺体の安置されている座敷の隣の洋間に家族+αでいる時に(私は母の遺体に一番近くの場所で母に背を向け、遺体から5mくらい離れた場所)百会から額にかけてホッカホッカの三角の大きな面が出ました。何だ、と思っていると、その面が時計の秒針のようなゆっくりとした動きで左回りで動き出し、頭を一周しました。すると、今度は頭の周りにずらっと小さくなった三角のホッカホッカが並び、王冠をかぶったようになりました。 世界各地に伝わる仏像遺跡は間違ってます。私のは最初にアミネット・阿弥陀の頭になった時から、頭の線や丸が額全面、眉毛まであります。2000年からはそれを含めた頭全体が常に波のように動いています。当然のことですが奈良の大仏も鎌倉の大仏も正確ではない。 綺麗に整った時の立体つるつる大仏の頭の山の数が1000個ぐらいの千粒仏も経験しています。普段は色々な線が出ています。線はかみそりの刃(つるつるが無い時は大変だったが今はカミソリの刃とサラサラやつるつるはセットで出るので逆にでるとうれしい。ナタのような重い刃よりも切れ味鋭い薄い剃刀の刃(阿頼耶(あらや)10-22)の方がうれしい。薄ければ薄いほどすぐに柔らかい上体で頭全体が光っている様なサラサラ・テカテカ(阿摩羅(あまら)10-23)まで行きます。深さは2ミリから5ミリ、せいぜい7ミリぐらいです。)、から数珠繋ぎの小さなビーズの粒で出来ています。その小さな粒がちりちりする時が有ります。小さな丸が綺麗に並んで立体大仏になったことはありませんが、小さいのは米粒の8分の一ぐらいです。大仏になったとしたら小さい丸が一万個から2万個ぐらいの大仏です。瞬間的には米粒くらいの大きさで頭全体ではなく頭の4分の3ぐらいで5千個ぐらいまではなった事があります。大きさもころころ変わるのでなんともいえません。立体の山の数は最小が頭全体がつるつるの一個の山。頭が百会、前頭部、右脳、左脳、後頭部の五個の山もあります。 頭の表皮は常に動いています。 ここに書いてある頭とは眉毛までです。 線も丸も海に浮かぶ丸い数珠繋ぎのブイのように動きます。 整った立体つるつる大仏の頭に年がら年中なっているわけではないが、整った立体大仏の頭は海の水面の硬さをビニールとするとビニールと同じ硬さの丸いブイが大海原の海一面に浮いている様な感じです。 2009.6.3 本仏覚醒の始まった人へ。 本仏覚醒は道教の仙術で言われている事です。 「本仏覚醒」と「仙術」と「命の尊厳」と「久遠」と「神霊界」はそれぞれ別の教えです。 味噌くそ一緒の如来信仰のインチキ仏教を広めている人、信じている人、インチキを利用して悪い事をしている人、からの害に対し、イライラしないようにするには本仏覚醒はしていませんが釈迦の言っている久遠を早く手に入れてしまう事です。 私は訳の分からない状況と頭を襲う刹那から横になって思考する事が多くなってしまいました。 日本の数に出会い、実相地図を手に入れるまで大変でした。 仏教僧にとっては本仏覚醒は自分で確認できない事なので、私、本仏覚醒者は僧にとって、たちの悪い存在だと思います。 そして、それは私にも言える事なのです。 仏教を知らず、インチキ仏教を教えまくっている僧は私にとっても危険な存在なのです。 この頭は釈迦の教えとは関係なく、道教(仙人道)で言うところの神に匹敵する存在なのです。(神としての実感はまったく無いが) 仏教が道教の神を利用しているのです。 本仏覚醒の事を理解できる人が一人でも身近に居ればイライラからの事故は起きないと思いますが本仏覚醒については私の常識が正しく、本仏覚醒を神格化させた世間の常識が非常識なので仏教徒で本仏覚醒の常識を知っている人は居ないと思ったほうが良いです。 ガリレオ・ガリレイではないけれど 本仏覚醒については1対1でも1対100でも1対1億でも同じです。本仏覚醒については私が正しい。 本仏覚醒も事実であり、釈迦の発見した久遠の存在も事実である。 釈迦の仏教 1:ダイダバッダから聞いた宗教と出家と修行 2:49日間の禅定 3:49日間の禅定で得られたもの(知識含む) 4:49日間の禅定に匹敵する修行 私の調べた釈迦の悟り 本仏物語 |