「Love aらSsss〜^^」





私が1994年の秋頃から7年間やっていた一つの事は「死、何があっても安らかな眠り」です。

これには単純な訳があります。1994年の6月にブレイク・スルー・テクノロジーという4日間の通いで15万円のセミナーに参加しました。1週間後に頭の側面の孫悟空の輪のあたりに心地よい張りが出ました。その会の主催するセミナーにはそれっきりで更なる講習会には参加しませんでした。しかし、セミナーの中での講師のはっきりとした口調での一言、「死、血が出るだけ」が気になりました。それでもって自分の欲望を追及しようと言うことです。極端な話、言う事を聞いてくれなければ死にます、というわがままです。気の弱い人がそれをまともに食らったらたまったものではありません。また、セミナーの中で「責任をとる」というワンフレーズもありました。しかし、事前に何も聞かされていませんでしたが、前払いで受講料を支払った後の当日のセミナー会場で始めに、精神異常が出ても損害請求しませんと言う誓約書にサインをする事を求められました。無視すれば良いのかもしれません。しかし、その汚い手口、と命を持て遊ぶ様な言動。なんか、こんな連中に負けるのも、言いなりになるのもしゃくなので「死、血が出るだけ」も含め「死、何があっても安らかな眠り」を作りやってきました。

しかし、「死、何があっても安らかな眠り」の欠点はこれといった欲望が無くなり、全てがどうでも良くなり、怠け者になってしまう事です。

そんな事はやってから言ってくれる。下らないから帰る。と言って。その場で途中で帰って来てしまえば良かった。

開祖のワーナーさんが元カー・レーサーでレース中に周りがスローモーションに見える覚醒が起こった人だという事を、後日、私がアミネット、阿弥陀、ホカホカまでの覚醒をやった後にブレイク・スルー・テクノロジーを私に紹介した人から教えられました。その覚醒も頭から離れなくなり、その覚醒の探求もしました。


後日談
映画などのフィルムの中にコカ・コーラなどの1コマ宣伝を入れると映画を見た後でコーラーを飲みたくなると言うサブリミナル効果が有ります。「死、血が出るだけ」は延べ40時間以上のセミナー中で1分ほどの出来事でした。それについての説明もありませんでした。
知らないうちに「死、血が出るだけ」を洗脳されていたのです。普通は2,3ヶ月で洗脳は解けます。
個人が「私はこのように死にたい」、とかを思ったり、しゃべったりすることを誰も止めることは出来ません。
この手のやからが増えると思いました。死、血が出るだけ洗脳は良くないと思い、気がつき、「死、何があっても安らかな眠り」を作り、意識してやってました。


更に後日談
こう言うのを蛇のたわごとといいます。私が言う蛇のたわごととは本当の事で一つの真実です。
死、血が出るだけ精神、死の恐怖の無い精神状態は確かにあります。
蛇のたわごとはある意味、一つの事実、真実なのでしつこい。
頭にこびりついて離れない。
一瞬の内に洗脳されてしまったものを気にしなくても良くなるのに7年かかりました。

蛇のたわごとを蛇のたわごとと見抜き、対処しましょう。
どうしても対処できない蛇のたわごとには、違う蛇のたわごとをぶつけます。

「死、何があっても安らかな眠り」も蛇のたわごとです。

更に「a ら Ssss〜^^で生きる。」も一つの真実であり、そして、これも蛇のたわごとです。

今は1=「a ら Ssss〜^^で生きる。」です。(正、載、極、恒河沙)

※ 「aらSsss〜〜^^」にたどり着く前の、完全ではないが、とりあえず、洗脳が解ける約7年間の間で神風特攻隊や戦争で死んだ人、戦国時代の人、武士などで一つの良心を持って生き、そして死んでいった人達の影響を私はかなり受けています。
切腹のイメージトレーニングを毎日のようにしていました。



アホやってました。以前、このページに私がどんなに切磋琢磨しても父に会うと元の木阿弥、体に変調が出てしまうと書いていました。そして、「死、血が出るだけ」洗脳から中々抜け出せなかったのは父が神風特攻隊の生き残りでその影響が関係していると書いていましたが、なぜ、体に変調が出たのか、なぜ、抜け出せなかったのか、それが完全に理解できました。
「父は神風特攻隊の生き残り」が大きな間違いでした。子供の頃、父の軍隊での写真を見せてもらいました。それらしい服でパイロットが身に付けるような帽子をかぶり、戦闘機の前で父が写っている写真です。「お父さんは飛行機に乗っていて九州で終戦を迎えた。後、一週間戦争が伸びていたら死んでいたかもしれない」と言われました。
実はこれがイカサマでした。父は長年、県の環境衛生組合の理事長をやっていたので、それを評価され、2003年秋に国から旭日双光章の叙勲を受けました。その時に新聞社が取材に来ました。その時、父は記者に対し、戦争中は航空機整備兵だったと言っていました。そして、その通りに新聞に載りました。

子供の時に父から直に聞いた話はイカサマだった。
父が山梨、甲府の飛行機学校で勉強したのは本当。九州で終戦を迎えたのも本当。後、一週間戦争が伸びていたら死んでいたかも知れないは東京に住む一般人も条件は大して変わらず嘘ではない。
航空機の整備兵も戦闘機に乗ることはあるかも知れないが飛行機に乗っていた、が、パイロットとだと思わせる父のイカサマだった。
本当はお国のために命を捧げる神風特攻隊を送り出す、後方支援する方の係りだった。

そんな事とは知らずに
父の先輩たちが神風特攻で突っ込んでいるので精神世界でそうした英霊たちと父は繋がりがある、などど、勝手な妄想をしていました。現実は父の精神世界は悪魔との繋がりでした。(私の覚醒を解明する上ではここが一つの重要なポイントになると思います。)
そうとは知らず、真冬の水行から。特攻。切腹。美しい死。などのイメージトレーニングをマジでしていました。
神風特攻隊の英霊は靖国神社の中でも神様みたいな存在の英霊です。
父はどの面を下げて靖国神社に参拝するのでしょうか。

子供にまで嘘をつき、神仏、やくざをまったく恐れていない父の言動。
アホとしかいいようのない出来事です。

私が「死、血が出るだけ」の土つぼにはまり、中々、抜け出せず、悪霊に囲まれた感じで、虚を見ていたのは父の嘘を信じていたため私の中に虚空が存在していたが為のようです。(父そのものが低級霊に取り付かれた悪霊でした。)

しかし、神風特攻で死んでいった英霊に対し、まったく失礼な父でした。
又、43歳を過ぎるまですっかり忘れていて、それまでは他人に言った事もなく。ペテン師のインチキに引っかかっていたとはまったく気がつかなかった事とは言え、父が叙勲を受ける前の2,3年間、成りすましペテン師の父の片棒を担いでしまいました。
合わせて心より、深く、お詫び申し上げる次第でございます。
申し訳ございませんでした。m(__)m




父は昔はゼロ戦の前で刀を持っている写真を見せびらかしていましたがその写真は(近眼の)メガネをかけて写っている写真なので、知っている人には、パイロットではない事がばればれになってしまうので現在は使っていません。
現在はメガネをはずして格納庫の前で撮った軍隊時代の写真を、引き伸ばして、額に入れ、店に飾っています。

父は昔から本が好きで推理小説とか、たくさんの本を読んでいますが、まともな本は一冊も読んだ事が無いようです。





後日談
見る人が見ればパイロットではない事が解るのでホッとしました。

ほとんどの人が写真を見て、父が戦争中はパイロットだった、と勝手に思い込んで話をしてきますが一人だけパイロットではない事を見破った人が居ます。
「あの写真の人、パイロットではないよね。何をしていたの?」と店番をしている妻に聞いた人が現れました。

見る人が見れば「パイロットではない。」事は解るようです。




2009.12.25
太平洋戦争中ものうのうと東大の文学部で勉学に励んでいた三島由紀夫よりも崇高な精神を持っていた私の本当の父は、終戦と供に亡くなりました。 
アーメン。






aらSsss〜〜^^
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