「・・・はじめて・・・」

 

        Divine    Arf                        
 神聖闘機 seed 

 

 

 

第二十五話    「雪の日に」

 

 

辺りは純白に包まれて、目が眩むほどに優しい光りが部屋に満ちている。

その光りに起こされて一人が起きあがる。

 

瞳がゆっくりと慣れてくると、
その美しい光景に息を呑む。

一面の銀世界

冬も半ばになって、枝がしなるほどでもなく、
かと言って冬も初めの昼には消えるような儚いモノでもない。

初めて根雪になった朝

うっすらと枝の一本一本に降った白いひとひらひとひら

樹が白い花を咲かす・・・・淡い白い花を。

全ての色が白に染まり、全ての景色が雪の反射で薄く見える

 

純白に包まれて、世界に二人っきり

眠る恋人たちを凍えさせないためか?

真綿みたいな小さな雪が静かに微かに舞い落ちる・・・・

 

…うん…

吐息の主に、雪に照らされた誰かが、

頬にゆっくりとキスをする。

 

・・・・・・・・降り積もっていく雪のような想いを込めて・・・・・・・・

 






マナブはぼうっと空を見ていた。

たくさんのモノがあるが、肝心なモノが何もない部屋の中、窓から外を見ていた。

曇った空はまるでマナブの心を映し出す鏡。

起きた後整えられていないベッドに座って、マナブは意味もなく空を見ていた。
まるで、空が直ぐ近くにあると錯覚するほどにじっと見つめている。

 

心乱れる十日間だった。
テレビ、パソコン、読書・・・・何も手に着かなかった七日間と、
散歩、買い物、大学・・・・・・何処に行くこともしなかった三日間。

 

マナブはこの数日間を思い出し、考える。
雪雲の空はマナブを見下ろして、その役目を果たす時を待っていた。



D−equalの搭乗実験前日・・・・・・・Justice基地 二番格納庫

一番格納庫にはL−seed用。
三番格納庫は廃棄格納庫だが、今はL−seedが修理の為に置かれている。

では、二番格納庫には何用なのだろうか?

二番格納庫の中で話す二人の言葉にその答えはある。

 

「……これがD−equalか……不吉な名前じゃないか?」
マナブがダークピンクの女性型の機体を見上げながら言った。

上半身は額から上と左腕、そして瞳以外は全て包帯状の金属板に覆われているが、
下半身はすらりと長い脚でその爪までも美しく整えられているように思える。

あまりのギャップに、マナブは不吉な印象を強くする。
それはマナブは知らないことだが、
あの紫のArfに出会ったときの人間達の感情にも似ていた。

異形の美

「ふん、文句言うんじゃないわい。
敵全てに『死に等しい』存在と言う意味じゃ。」
後ろでカチャカチャとコンピュータをいじりながらヨハネが鼻を鳴らして言う。

「大天災(才)」の文字がよれよれの白衣に揺れる。

「敵‥俺にとって『死に等し』かったら笑えないぞ…」
冗談半分、真面目半分でマナブはD−equalを見ながら呟く。

 

「まあ、危険な機体であることは確かじゃな……」
マナブの呟きが聞こえたのか、ヨハネは声のトーンを落として呟いた。

 

マナブの方を振り返り、その背中に向けてヨハネが声を掛ける。

「明日にも乗って貰うんじゃが…大丈夫か?」
口調は相変わらず、ただその瞳はいつになく真剣な面もち。

 

「はは‥大丈夫かって。
乗んなきゃ・・・L−seedが直るまで、運動不足になったら困るよ。」
冗談を交えながら、マナブはD−equalを見つめたまま言った。

「そうじゃな。」
ヨハネがマナブの明るい言葉に頷いた。
マナブの反応は薄かったが、ヨハネは言葉を続ける。

ヨハネの目の前のモニターに脇腹に風穴が空いたL−seedが映し出される。
外傷は修理したのか?ほとんど見られない為に、
そこだけが妙にクローズアップされてしまう。

「L−seedはもうちょいかかりそうじゃ‥全く派手に穴開けおって!」

さすがのヨハネも背中からだけでは分からなかったのだろう・・・・
マナブの瞳が厳しく、苦しげに歪んでいる事を。

D−equalを見たときから、感じる悪寒がマナブの中で渦巻いていた。
それは全くの原因不明。

二番格納庫にこんな機体が在ることはマナブは知らなかった・・・そう、知らなかったはずである。

だが、見た瞬間その身体に例えようのない悪寒が走ったのだ。

肉体をすり抜けて、心臓だけを握りつぶされるような、
例えようのない恐怖と幻痛がマナブを貫いていた。

 

「なあ、ヨハネ。俺、この機体を見るの初めてだよな?」
マナブは言葉に苦痛を隠して、ヨハネに尋ねる。

例えフィーアであれば、
その言葉に秘められた苦痛の影を感じ取ることが出来たであろうが、
不幸なことにここにフィーアはいない。

マナブの言葉にヨハネは少しだけ躊躇して、口を開く。

「……マナ‥」
「そうです。マナブ様。」
ヨハネの言葉は、美しい声音に邪魔されて消える。

「…」
マナブは振り返らずにその声を聞いた。
サライであることは声だけで十分分かる。

マナブからの返事を待たずに、サライは言葉を続ける。

「それはL−seedの模擬機体、L−seedが稼働し始めたとき廃棄された機体なのです。」
銀の前髪がサラリと落ちて、それを掻き上げる。

それは薄暗い格納庫の中、美しい蛇が踊るように見えた。

 

サライの言葉にマナブはもう一度良くD−equalを見る。

ダークピンクのカラー、

そして頭部に掲げられる月桂樹の冠、

包帯の上からも分かる胸の膨らみ、

今は光りのない黒い瞳。

確かに自分の記憶の中には無いように思えた。

 

「まあ…良いかな。」
マナブはそう呟くと振り返る。
実は先ほどから体を包む理由不明の悪寒が、気になってしょうがなかった。

「明日。」
マナブは短くそう二人に言うと、扉から出ていった。

 

マナブが去った後の格納庫で、
サライとヨハネは静かに佇んでいた。

まるで全てを何か別な物に委ねているような表情で、
二人は言葉無くD−equalの前に立つ。

 

「サライよ、これで良いのか?」
ヨハネが諭すようにしてサライに話しかける。
誰もこんな声をヨハネが出せるとは思っていないだろう・・・そんな静かな言葉だった。

「どちらにせよ…あの子は幸せでしょうから。」
サライはダークピンクの女神を見上げてヨハネに返す。

その顔には美しい微笑みが浮かんでいたが、
瞳だけはまるで零れ落ちる涙を堪えているかのように哀しげだった。

「あの子」が誰なのか?ヨハネは知っていたのだろうか?
メガネが反射して、その瞳の色は見えない。

 

**********

「…マナブ…」

格納庫を出たマナブの背に静かな声が掛かる。

ビクッと肩を震わせるマナブ。
声だけでも充分に誰なのかは分かっている。
だから過剰に体が反応したのだ。

呼吸を落ち着け、先ほどとは違った恐怖を感じながら、
マナブは振り返り、相手の名を呼ぶ。

 

「……フィーア…」

その瞳は泣きはらした為に充血し、まるで血の涙を流しているよう。

 

「・・乗ら・・・ないでよぉ・・」
情けない声…涙声…鼻に掛かった声…
どんな説得の言葉よりもマナブには響く声。

だが、その声に安心したりしてはいけない。
安心は信頼を生み・・・そして、それが思慕に変わるかも知れない・・・

マナブはそう思う。

その声を強く拒絶しなければならない。

マナブはそう思いこむ。

 

自分の中の「想い」を自分が気付かないようにするためにも、
無意識にマナブはフィーア、そのものを拒絶した。

 

「馬鹿を言うな、乗らなきゃ。な〜んも前に進まない。」
顔を見ないように背を逸らすと、強くマナブはフィーアに言う。
まるでフィーアが泣いていることを気にも留めていない振りで。

「で、でも……アレは…」
奥歯にモノが挟まったような言い方でフィーアはマナブに言い募る。

「明日、D−equalに乗る。俺が決めたことだ、おまえには関係ない。」
フィーアの言葉尻に違和感を覚えながらも、
始めた演技は舞台の終わりまでしなければならない。

マナブは声を出来るだけ抑えて言い放つ。

 

「…関係…ない?」
フィーアはマナブの言葉を口の中で、咀嚼するようにして呟く。

フィーアには感じ取れていた。

マナブの声に、微かな恐怖が宿っていることを
・・・・・それはD−equalに対する理解不能な悪寒のせいだ・・・・・・
他の誰でもないフィーアだから気付いたマナブの心。

「関係なくないよ!だって、マナブは、マナブは!フィーアの!」
フィーアは歩き去ろうとするマナブの背中に縋り付こうとする。

その声はマナブを慕い、想い、愛する者のモノ。

けれども、それはマナブのたった一言で止められた。

「うるさい!!!!!」
「!」

ビクッと体を震えさせて、フィーアはその場に直立する。
マナブがいつも薬を飲ませた後に上げる声の同じ大きさ、

でも、その敵意にも似た拒絶は、数万倍。

 

「フィーア‥おまえは俺の妹なんだ……それ以上には、どうやったって…」

マナブの声に恐怖ではない震えが宿る。
最後の言葉はまるで、自分に言うように吐き出され、語尾は掻き消える。

「マナブ…顔を見せて。」
フィーアは目の中で膨らむ涙を堪えて、そう懇願する。

いつもなら声だけでもマナブの本当の心は分かる。
でも、今だけは・・・その表情からも読み取って・・・・フィーアは安心したかった。

マナブは自分を「妹」で在ると同時に、「女」として見てくれていると。

「お願い…」
フィーアは掠れた声でもう一度懇願する。

 

「フィーア…」
背中を向けたままマナブの声が廊下だけではなく、フィーアの頭にも響く。

「な…」

『何?』そう聞こうとしたフィーア。
涙をためながらも、唇で笑顔を造って・・・・・
振り返るマナブにとびっきりの笑顔を見せて上げるために。

 

「薬は飲んでる…心配するな。」

言葉はそれだけ・・・・そして、マナブがフィーアに振り返ることは無い。
カツカツと靴音だけが響いて、マナブが去っていく音がする。

それを夢の中の音楽のように聞こえるフィーアの耳。

音は遠ざかっていくのに、遠くになればなるほどそれは、
フィーアの中で夢から現実の音となって大きく聞こえてくる。

足音が完全に聞こえなくなったとき、フィーアの中で完全に現実の音として聞こえるそれ。

 

もうそこに、マナブはいないという・・・・・・現実の音。
もう音がしないと言う現実の「静寂」

それを理解したとき。

とびっきりの笑顔は崩れ落ちて、とびっきりの哀しみがフィーアを襲う。

 

膨れ上がった瞳の水は、遂に堪えきれずに涙へ変わる。

 

「マナブぅ!!」
廊下にフィーアの答えのない呼び声が響いた。

 

その後の嗚咽は誰もが耳を塞ぎたくなるほどに哀しい音。


実験日

「マナブ様、どうですか?」
サライがモニターの中からマナブに問いかける。

「L−seedと変わんないな。」
コクピットの中を見回してマナブは端的に感想を述べる。

事実、L−seedの操作機器とほとんど同じなのだ。
「模擬機体」、そう呼ばれていたのも充分に理解できる。

ただ、L−seedの中では感じない。
背中が凍えるような悪寒は相変わらず続いていたが・・。

「D−equalを起動させます、宜しいですね?」
サライはマナブの顔色の変化には気付いていないのか?
淡々と実験を進める。

「ああ…」
マナブは少しばかり気の抜けた返事を返すと、
モニターを切り、コントロールパネルを操作し始める。

何故だろう?初めて触るはずのボタンなのに、手がそうではないと告げている。

(L−seedと似ているからか?)
マナブはそう思い、操作し続ける。

さすがはヨハネ、整備は完全のようだ。
コクピットの中に光りが溢れる。

 

外部カメラでいつもの場所を見てしまったのはマナブ。
いるわけが無いと思う心のどこかで、
それを裏切る事実を求める部分が、彼に視線を彷徨わせた。

そこにはいつものように不安げな顔で佇むフィーアの姿が。

「!…フィーア…」
驚きの表情と声でフィーアの顔を見つめるマナブ。

フィーアは、そこにいる。

いつもマナブの姿を見守っている。

**********

 

(マナブ……無事で……いて…)

フィーアの脳裏に浮かぶ哀しい記憶が、心の中の不安を膨れ上がらせていた。

マナブに言えなかった事実を悔やんで、
フィーアはただD−equalの中にいるマナブを見るしか出来ない。

女性の姿を色濃く出しているD−equalは、
まるでフィーアからマナブを奪う恋敵のよう。

 

(無事で…ね…)
フィーアは祈るようにして手を胸の前で合わせた。

 

**********

「D−equalはL−seedと違い、変化はありません。
その代わり、最初からG−H(グランド・ハザード)並の負荷が掛かるように設計されています。」

「D−equalは、L−Virusが発症している状態でようやく稼働可能な機体・・・
マナブ様には一瞬でも早くそうなって貰うしかありません。」

司令室の一段上、ヴァスの立つ所にサライはいた。

「前回の実験で分かっていたことを、改善しないまま行うのか?」
ヴァスは後ろに立つサライに言った。

「前回はL−Virusが発症しておりませんでした。
しかし、今回は既に発症を遂げています。」
サライは事も無げに「前回」と言う言葉を使い、ヴァスの質問に答える。

「敢えて肉体を危機に晒すというのか?」
ヴァスは再び問いを発した。

眼下ではD−equalの起動が進んでいる。

「意識の力でL−Virusを発症させる術を手に入れる事が出来れば、
『アル・イン・ハント』は飛躍的に進むこととなります。」
サライは迷いのない瞳でヴァスの長身の背中を見つめる。

「サライ…おまえが望んでいることは、D−equalの起動ではないのだろう?」
ヴァスは振り返って言った。

右目の横の銃創が明らかになって、
その表情は変えずにサライの瞳が一瞬だけ拡大する。

 

「全ては『アル・イン・ハント』の成就のために必要な事です。」
サライは静かにヴァスに告げる。

ヴァスはサライの瞳の色に些細な迷いすら見つけられないことに、哀しい笑みを浮かべる。

 

「強いな君は。」
珍しくヴァスはサライの名前を呼ばなかった。

 

「あなたほどでは……ありません。」

サライは穏やかにヴァスの瞳を見つめて言った・・・

 

**********

 

「LINK−S作動させます。」
「CHANCE・LINK%無事に突破しました。」
メルとヨウの何事もなく実験が進んでいることを知らせる声が、
マイクを通じてJustice全体に伝えられる。

Justiceには彼らメインオペレーターの他に、
三人のサブオペレーターが存在する。
その一人がリオ=コレーである。
彼女はメルの代わりに基地内放送を担当することもある、
もっともメインに近い位置にいるサブオペレーターである。

「D−equal正常起動しています。」
彼女は静かにD−equalの様子を見守る。

「α−LINK−Sに移行しました。LINK%上昇中です。」
マナブのLINK%を示すグラフがゆっくりと右上がりの直線を描く。

 

今回の目的は、「D−equal」の起動達成と戦闘可能領域までの稼働。

「この分だと、案外楽に終わるかもな。」
ヨウの軽口が出るほど順調だった、そう順調すぎるほどに。

「ヨウ、あまり無駄口叩くとDrに怒られるよ。」
D−equalの中のマナブをモニターしながらメルは言う。

クスクス・・・
一段下にいるサブオペレーター達の失笑が微かに聞こえる。

「かー!そう言うこと言うかぁ?おまえは。」
そう言いながらも辺りを見回して、サライがいないことを確認するとヨウは作業を続ける。

至極、順調な作業を。

「β−LINK−Sに移行します……移行しました。」

「LINK%依然上昇。」

**********

外部カメラのスィッチを切るとマナブは、深くイスに座り直す。

このコクピット全体がLINK−Sとなっているのだ、
マナブが敢えて手を下さなくとも、今回は回りがやってくれている。

危険な実験ではなかったはず、だった。

 

「三現魔方陣を発動させてみましょうか?」
ヨウがマイクを通して、ヨハネとサライの指示を仰ぐ。
通常、実験や戦闘はDr.サライが当主ヴァスから委任されて行われる物であるが、
今回はD−equalと言う未知数の機体であるためにヨハネも直接参加している。

 

「左甲部の調整は出来て居るぞ。」
司令室の扉を開けてヨハネが現れる。

「発動させます。」
その後から続くサライが一言指示を出した。

オペレーター達がにわかに動きだす。

**********

D−equalの左手はL−seedとは全く違っていた。

まるで生きた女性の手のように細く長い指。
美しい手の甲の部分に確かに魔方陣が描かれていた。

サークルの中に五芒星とその周辺に文字とも記号ともつかない何かが描かれている。
しかも、堅いシオン鋼にどうやって描いたのか?
それは繊細なタッチで彫り込まれていたのである。

おそらくは左手の中にシステムが隠されているのであろうが、
それでもD−equalの持つ神秘的な雰囲気を上長させる効果は充分にあった。。

五芒星から白い光りが溢れて、ダークピンクの表面を覆う。
L−seedが蒼い光りであったことを考えると、
この光りの種類はおそらくヨハネの趣味なのだろう。

 

「左甲部、『三現魔方陣』発動を確認!」
メルがD−equalの姿がモニターから消えていく様子を見ながら報告する。
その後ろでヨハネが大きく頷いた。

マナブはその様子を静かに見ながら、
このD−equalから発せられる言いようのない雰囲気に圧倒され始めていた。

LINKが始まった瞬間、このD−equalから、
まるで死の世界から甦ったばかりで「飢え」を満たすモノを求めている「渇き」が感じられる。

 

「マナブ様、外に出て稼働状態を確かめて貰えませんか?」
サライはモニターから言うと、メル達に発進口を開かせた。

それはマナブのモニターからも知ることが出来る。

「ああ。」
マナブは体の中とコクピットの外から来る嫌悪感を誤魔化しながら、
ゆっくりと機体を操作し始める。

 

その瞬間だった。

 

**********

D−equalが微かに動いて、発進口から外に射出されようとしたとき。
(この時、D−equalには飛行装置が外されていた。)

D−equalにとって、それは微かな動きだったに違いない。

だが、圧倒的な負荷がLINK−Sに掛かったのである。

 

「ぐああああ!!!」
喉の奥から絞り出されるような苦痛の呻きがコクピットに木霊する。
そして、それはマイクを通じて司令室にも届く。

思わず耳を塞ぐリオ達サブオペレーター。

 

「!!!LINK%上昇中!!安定しません!!」
メルの悲鳴にも似た声がマナブの呻きと絶妙なハーモニーを産み出す。

リオのモニターのグラフは先ほどとは違い、
放物線を描き、急上昇を示す。

その先には終わりはない、X二乗のグラフ。

「稼働し始めた瞬間からD−equalが高いLINK%を望んでいる?」
ヨウが状況を的確に分析して呟く。

これこそがメルとヨウがメインオペレーターで在る由縁である。
如何なる状況でも作業を放棄しない。
それこそがJusticeには必要なのだ。

この不可思議な機体達を持つJusticeには!

 

「その通りよ。」
ヨウの呟きにサライは静かに答える。
バックミュージックにマナブの呻きを奏でて。

「そんな、あり得ません!!Arfがパイロットに負荷を強いるなんて!!」
ヨウが振り返りサライを見る。

そこには変わらない装いの美女が変わらない表情で立っている。
そして、事も無げにこう言った。

 

「Arfでは無いわ。」

**********

 

頭を重くする強制的なLINKにマナブは呻きながら、
ふと視線をずらし、右手を見たとき。

正確には右手が千切れて無いと言うことを自覚したとき。

 

突然、それはマナブに牙を剥いた。

胃の中から来る、猛烈な嘔吐感。

頭蓋骨と脳の間を何かが這いずり回るような激痛。

そして、細胞一つ一つに染み込んで行く震え。

 

マナブの意識の中で、右手に凄まじい熱を感じ出す。

そして、それは思いも寄らぬ形で現れた。

 

メルの見ていたD−equalの状況を伝えるモニターに、
そこには無いはずの右手部分が高熱を持っていると伝えてきたのだ。

カメラで見ても、そこには右手など存在しない。

なのにも関わらず、JusticeのD−equalの姿を映し出すモニターには右手を感知して、
それがもの凄い高熱で燃えているとしているのだ。

 

ArfのダメージはLINK−Sを通してパイロットに伝えられる。

これは、まさにその逆だった。

マナブの意識がLINK−Sを通してD−equalに伝わった為に、
D−equal自身が自らの無いはずの右手を燃えていると感じているのである。

そして、それは再びLINK−Sを通して、マナブに伝えられる。

 

これも通常あり得ない事。

余程の高シオン…いや、それでも無理な事。
パイロットの精神が、Arf自身に変化をもたらすなど……

これがまかり通れば、
極論パイロットの意識しだいでArfから仕様にないはずの武器を引き出すことが可能になる。

そんなこと有り得ない。

だから、サライの言葉は真実と言える。

「Arfでは無いわ。」

 

マナブの右手に凄まじい高熱が襲いかかった。

それは「あの時」と同じだけの高熱。

マナブが感じた高熱。

 

実際の痛みにマナブはますます「熱」と言う意識を高め、LINK−Sを通す。

そして、D−equalはそれをマナブに伝える。

幻痛が、実際の痛みとなって現れ、
それが終わりの無い反復運動を繰り返し始めたのである。

 

「わあああああああ!!」
あまりの痛みにマナブは叫び声を上げる。
何も考えられないほどに、熱い右手はマナブの脳すら焼こうとしているようだ。

 

そして脳の中で何かが弾ける。
何かが拡散していく感覚、そしてそれが全身にくまなく皮膚の表面がチリチリと焦げるような

スーッと痛みが消えていく…いや、全ての触覚が消えていく。

左手で右手をしっかりと抑えているのに、その感覚が薄い。
凄まじい力で握っているはずなのに、その感覚は非常に希薄だった。

まるで麻酔を打たれたかのように・・・・・・・・

 

パイロットからではない、機体からの強制は精神に多大な負荷を与える。

この時、マナブはようやく自分がこの機体から感じていた悪寒の原因を理解する。

 

(確かに俺はこのArfを見たことが無い……でも、乗ったことはあるんだ!)
マナブはD−equalに乗せられたのを思い出す。
いや、その時にはD−equalなどと言う名前では無かった。

 

胴体と右腕だけの模擬体。
頭部も脚部も左腕も無い。

ただの模擬体だったはず。



そう、その時も安全な実験だった。

それに乗せられた自分。
まだ12才の俺。

 

模擬体の右手が鈍く光り、
その光りが模擬体全てに伝染していく。

「うわあああああぁあああああああぁあ!!!!!!」

 

「『禍印』が安定していません!!」
「模擬体と『禍印』が完全に反発し合っています!!!!」
メルでもヨウでもないオペレーターが絶望の叫びを上げる。

 

「抑えるんじゃ!『禍印』を模擬体が完全に拒絶したとき爆発するぞ!!」
「ダメです!『禍印』を抑えるシオン鋼が剥離していきます!!」

「LINKを切りなさい!!右手がこのままでは失われてしまうわ!!!」
「右手が凄まじい高熱を持っています。シオン鋼融解!!」

 

恐ろしいほどの閃光。

模擬体から千切れ飛ぶ右手。

 

そして、
俺の右手はLINKの反動を喰らい、コクピットの中で燃える。

 

俺の記憶はここまで。
そして、この記憶すら痛みの恐怖と共に消えてしまった。


その時の事故で、マナブは一年間入院する。

ヨハネとサライは、
マナブの記憶が無いことを知ると、
模擬体をD−equalとして一応の完成させるが、
決して人目に触れないように封印した。

マナブの記憶が甦ることの無いように。

そして、L−seedの開発を始める。

何故、D−equalを使わないのか?

禍印と呼ばれる右手を外してL−seedに付けたのか?

それは誰も知ることが無い。

 

**********

D−equalの中、マナブはその時の記憶を取り戻す。

体に苦痛は全くない、
先ほどまであった頭の重さもだ。

だから、マナブはゆっくりと思い出すことが出来た。

 

(ああ…あの時もフィーアが…)

マナブの脳裏に浮かぶ。

まだ幼い妹の姿。

大きな目に涙をいっぱい貯めて、マナブの名前を呼び続ける姿。

「マナブは死んじゃダメ!!ダメだからぁあ!」

まだ短くほとんど羽になっていない髪が頭と一緒に微かに揺れている。

 

(変わってないんだな…フィーア。)

 

変わっていない。

フィーアは変わってなんかいない。

ずっと、そうずっとマナブを見つめてきた。

 

(…フィーア…)

フィーアの姿がマナブの心に満たされた時、

突然訪れた激痛にマナブの意識は途絶える。

 




あのD−equalの実験日から五日後・・・・フィーアは死の淵から脱し、生の中で眠りについていた。

その間、マナブはただひたすらにフィーアの側に居続けた。

フィーアの事、血のこと、L−Virusの事、
知りたいこと、尋ねたいことはたくさんあったが、
マナブはそれら全てを後回しにして、フィーアの側に在った。

 

常に投与されている造血剤、
そして何処からか運ばれてくる血液。

血液が入る度にフィーアの身体の色は目に見えて良くなっていく。

 

その血液の在処はサライしか知らないようで、
造血剤を与えに来たヨウに聞いても首を振るばかりだった。

ただ、誰の血液なのかはマナブには充分に予想が付いていたのだが・・・・
その事をサライに尋ねることは怖かった。

あの一種錯乱状態の時にマナブが発した問いこそが、その答えであるのだろうが・・・・

 

**********

 

「フィーア・・・どんな夢を見ている?」
マナブはフィーアの手を暖めるようにして握りながら囁く。

面会が許されて直ぐに触ったフィーアの手は、
驚くほどに冷たく、マナブの心を凍らせたが、

今はその手にもあのフィーアの心と同じような暖かみが戻っていた。

 

いつもマナブは、フィーアの手を握るときが怖い。

またあの氷のような冷たい手に変わっているのでは無いかと・・・・

恐る恐る握った手に暖かみを感じたとき、マナブは心底安心する。

 

触れたままで居なければ冷たくなってしまうと言う・・・
マナブにしては馬鹿げた妄想が頭の中に浮かんでいる。

自分でも馬鹿だな・・と思うのだが、
何故だか?それを拭いきれずにマナブはフィーアの手をずっと握り続けている。

同様にして手を離すときにも、
マナブは自分でも分かっているのだが・・・妄想が掠め、なかなかそれを出来ないでいた。

 

面会を許されて四日目、そして実験から六日目の朝。

フィーアの手を握りながら眠ってしまったマナブを、造血剤を運んできたメルが見つける。

マナブを起こしながら、
「フィーアちゃんと同じですね。」
そう言ってほんのり微笑を浮かべたメル。

微笑ましいメルの笑みを見て、
そこでマナブは、初めてフィーアの気持ちを理解した。

肉親としての愛情と異性としての愛情に、

それに反発していたマナブと違い、

フィーアの中で、それは折り重なり増幅された崇高な愛情となっていた。

 

「フィーア・・・俺は同じ夢を見て良いか?」
メルが出ていった後、静かになった部屋でマナブは静かにフィーアに尋ねた。

答えを望んでいたわけではない。

ただ、言ってみたかっただけだ。

 

それが分かっているのか?眠り姫は、そのまま変わらずに落ち着いた寝息。

マナブはそれに安心すると、
ゆっくりと手を握ったままベッドに頭を置く。

「夢など良いんだ・・・現実をおまえと歩きたい・・・」
マナブは顔を布団に押しつけてくぐもった声で言った。

嗚咽の前兆とも言える、
肩を震わせる行為を数度したマナブに唐突にある感触が来る。

 

きゅ・・

手を握り返してくる感触。

現実に戻る前兆の行為。

「フィーア?!!」
マナブがガバッと顔を上げる。
その瞳からはまだ涙はこぼれ落ちていない。

だが、マナブの呼びかけに眠り姫は寝息を返すだけだった。
まるでマナブが泣くことを止めたように、一瞬だけ覗かせたフィーアの心。

それを感じたマナブは、もう顔を布団に押しつけることはしなかった。

桜色の唇から寝息が漏れ、ただマナブはその音を聞いていた。

「心の車輪」はもう動いていたのだろうか?

いや、動いていた・・・・・・マナブの中で無意識に、
何物にも止められないほどに重く、全ての障害を踏み潰して。

 

哀しいことに、それが為されたのは、
初めてフィーアを失うかも知れないと言う喪失感に襲われたときの事。

 

社会が作った「禁忌」が、

未だそれをマナブに認めさせようとしなかったが・・・

 

死ぬ間際、誰しもが真実を述べる時にその蒼い唇から告げられた言葉は、
マナブの心の中の邪魔なモノを全て排除する程の力を秘めていた。

フィーアは全てを賭けて、マナブを愛していると言う事実が、
マナブの心の鎧の留め金を完全に緩めていた。

後は、些細なショックだけで十分・・・・

 

社会などが造った禁忌など、

二人には何ら意味を為さないことなのだと、

マナブが認めるまで、

あと少し。

 

なのに・・・・

フィーアはいない。


六日目の夜、マナブはヴァスを前にしていた。
ヴァスがマナブを呼んだのである。

マナブはフィーアの側から離れることを恐れたが、
目の前に降りてきたチャンスを掴むことにする。

知らないことが多すぎる、フィーアのことも、そして自分のことでさえも。

**********

「来たか・・マナブ。」
ヴァスはマナブの姿を見もせずに本を読みながら言う。

「父さん。」
マナブは静かに父を呼んだ。

フィーアの事に関する怒りはあった・・・だが、それ以上にマナブは真実を知りたかった。
フィーアと自分に関する全ての事を、
そして、何故こんな風になってしまったのかを・・・・

ヴァスの横にはサライが静かに佇んでいた。
まるでチェスのキングとクィーンように・・・冷然と。

 

「知りたいことがあるのではないか?」
ヴァスは本から目を離さずにマナブに促す。

前髪に瞳が隠れて、
ヴァスが怒っているのか?からかっているのか?口調からは何も読みとれない。
もっとも瞳が見えたとしても、マナブにそれを理解できるかどうかは疑問があるが。

 

「フィーアの事を教えて欲しい。」
「そうか。」

「L−Virusの事も。」
「そうか。」

「俺の事も。」
「そうか。」

「ミドリの事も。」

 

「・・・・そうか。」

マナブの問いをヴァスは最後以外、何の動揺も見せずに了解の意を表する。
最後にしても、ただページをめくる時だったのかも知れない。
それほど、ヴァスは落ち着いていた。

「マナブ・・・時間はない。今日はそのうち1つだけを答える。」
ヴァスは本をパタンと閉じると、
マナブを髪の間から見つめて告げる。

それはマナブにとっても、いや誰にとっても理不尽なことのように思えるが、
ヴァスがこう言ったら、それは変えられることはない。

但し、その事に関しては完璧な回答を用意するのが彼のやり方だ。

「・・・・」
マナブは少しだけ考えると、口を開いた。
1つの答えしか得られないなら、
自分にとって一番大切なモノの事を聞かなければならない。

 

「フィーアの事を教えてくれ。」

微かにヴァスは頷いた。
そして、サライの方を一瞥すると、サライはそれに答えるように頷く。

「L−Virusはカスガ一族の物だけが持つVirusのことです。」
マナブにとっては予想もしないことだった。

フィーアの事を聞いているのにも関わらず、
L−Virusの事をサライが話し始めたからだ。

「ちょっと…」
「何ですか?」
マナブが口を思わず開くとサライが静かに聞き返してくる。
マナブの動揺を知っているだろうに、そんなことをおくびにも出さず。

その様子にマナブは、
フィーアを語る上で「L−Virus」が重要なモノとなっていることに気付かされる。

「いや…続けてくれ。」

「L−Virusは保持者にとっては両刃の剣。
強力な身体能力と引き替えにその寿命を確実に削ります。
当主様が皆、短命なのはその為です。」
そこまで言って、サライはチラリとヴァスを見るが、
ヴァスはそれに気付かずに再び本を読み始める。

「そこまでは知っている。だから、俺は薬を飲んでいるんだろう?」

「その通りです。
薬は発症を抑えるため、
発症してからは意に反した突発的な発症を抑えるためにです。」

サライはそう言うと、マナブの前に蒼い薬を取り出した。

「それは?」
マナブが不思議そうに尋ねる。
自分が飲んでいる薬は緑と黒の筈だ。
ポケットを探ると指に触れる。

「フィーアがカプセルの色を変えて欲しいと言っていましたから…」
サライは静かに蒼い薬を摘みながら言った。

その言葉にハッとなるマナブ。



「じゃあ、マナブの好きな蒼に変えて貰う?」

「あ、蒼い薬か?それも、何かなぁ・・・・」

「大丈夫!!サライに言っておくから!!任せて!!」



「残念ながら、発症してからの抑制効果はあまり期待できません。」
サライはマナブの動揺を気にすること無く話を続ける。

「この薬は、

いえL−Virusの発症を抑える為には、
劣化したL−Virus保持者の血液が必要なのです。

発症状態が激しければ激しいほど濃度の高い。」

マナブの瞳が見開かれる。
予想していたことだが、それを現実のモノとして受け入れるには辛すぎる。

「だから、あの時直接俺にフィーアの血液を入れたのか…。」
病室で気付いたときの様子を思い返してマナブは独り言のようにして言う。

サライはそれに微かに頷くと話を続ける。

「フィーアは産まれながらにして劣化L−Virusを持つ人間なのです。
彼女は決してL−Virusを発症することはありません。
ですが、フィーアはマナブ様を救う血液を持った人間なのです。」

サライの言葉、全てがマナブの脳と胸に突き刺さる。

フィーアの腕にいつも付いていた内出血の痕。

検査だと言っていたフィーアの笑顔。

薬を与えるときに浮かべる嬉しそうな顔。

それら全てがマナブの心を占めていく。

「ど、どうして…フィーアが…。」
目をうつろにしてヴァスとサライを交互に見る。

ヴァスは相変わらず本を読んだまま。

答えはサライから出る。

 

「フィーアはカスガの血を、遺伝子を持ちながら、
正常ではない劣化したL−Virusを持っていたのです。

劣化L−Virusは通常自然界には存在しません。」

「どういうことだ?」
マナブは困惑を隠せない。

L−Virusが、両刃の剣であることは自分も知っていた。
だが、

「普通の人間にL−Virus保持者の血液は猛毒です。
但し、数億倍に希釈して投与すれば、
その人間は劣化L−Virus保持者になることが可能です。
あくまでも劣化していますが…」

「じゃ、じゃあ、そうすれば…」
マナブはまるで助けを乞うようにして、サライに尋ねる。

「劣化L−Virus保持者は12時間以内に必ず死亡します。
それほどL−Virusは危険なVirusなのです。

そして、ワクチンは存在しません。」

「そんなの!俺が今していることに比べれば!」
マナブがL−seedを駆って出た死者は既に百数十人。
マナブの思うことは当然と言える。

何故!!フィーアでなければならないのか??

サライはその言葉に頷きながら答えを言った。
マナブが一番望んでいない答えを。

「今までのカスガ一族は劣化L−Virusをそのように手に入れてきました。
その人間が死ぬ前にその血を全て抜き取って。

けれども、フィーアはカスガ一族の中に産まれた奇跡のような子なのです。

そして、フィーアはそれを知りました。
それと同時にマナブ…あなたの事も知ったとき。

フィーアが自ら望んだのです、その役目は誰にもさせたくないと。」

それは決して劣化L−Virusの犠牲になる人間の為などではない。
それはマナブにも分かっている。

だから、逆にその理由を認めたくないのだ。

(…なんで…)
マナブは心の中で自問自答する。

「フィーアが言ったのです。」
(……フィーア…)

「フィーアがマナブの命になる!!」

(フィーア、なぜだ?)

 

マナブの耳に、サライではないフィーアの声で、言葉が聞こえた。

フィーアの心がマナブの心の中ではじけた。


その夜。

「ずるい奴だな…

フィーア…

あんな嘘をついてて…

これじゃあ、

仕返しも出来ないぞ。」

 

マナブは泣き出しそうな笑みで、フィーアの病室にいた。

ヴァスの所から帰ってきたマナブを、
フィーアは変わらずに待っていてくれた。

暖かい手のぬくもりが、マナブの手を通して心すら暖めるよう。

 

そして、いつしかマナブは眠りに落ちて行った。


・・

・・・

・・・

・・・

・・ブ

・ナブ

マナブ

まるで子供の頃、
母親の鼓動を聞きながら眠っているような安らぎの中にマナブはいた。

誰かに髪を撫でられている気持ち良い感覚。

手から愛情が伝わってくる、何の見返りも欲していない無償の愛情。

暖かく穏やかにじんわりと・・・・・心と身体へ。

朧気な頭は太陽の光によって、
しだいしだいに眠りの淵から引き上げられていく。

それは天界に戻る天使のようにゆったりと、緩やかに意識を覚醒させていく。

「う…」
意味のない言葉を上げて、マナブはゆっくりと顔を上げた。

 

太陽の光が白い壁、白い天井、白いシーツに反射して、
部屋は真っ白に包まれていた。

まるで雪の中にいるみたいに・・・・・

その中で「奇跡」は微笑んでいる。

「元気になって良かったね、マナブ!!」

透き通るような白い肌・柔らかい笑顔・優しい言葉

 

「…それは俺のセリフだぞ…フィーア。」

辛うじて絞り出した言葉はそれだけ、
ロマンチックにはほど遠い。

けれども、そんなことは今、何の意味も持たない。

マナブはフィーアをしっかりと抱きしめる。
ただきつく抱きしめる。

フィーアはちょっと驚きながらも、
突然現れた幸福と暖かさに身を委ねる。

震えるほどの幸せに

とれけるような美しい笑顔で・・・

 

 

「男の人は泣いちゃだめだよぉ。」

しばらく経って、部屋からこんな言葉が聞こえた。



マナブの部屋

相変わらずマナブは空を見つめている。
既に夕暮れの時は過ぎ、早い夜が来ていた。

「コンコン!」

一人の女の子が扉を開けて覗いている。

白いセーターの袖から指をちょこんと出して、
まるで悪戯を考えている子供のような顔で、中の様子を伺っている。

 

フーッとマナブは深いため息を付くと、空から視線をずらして言う。

「フィーア…ノックは手でしろ。」

そこには回復したフィーアが立っていた。
マナブの言葉ににっこりと微笑んで、部屋に入って来る。

寒いせいかフィーアにしては珍しい服装。
今、フィーアは血液が若干足りないために、体温が幾分低い。

ぶかぶかのセーターは、黒いスカートを隠してしまって、
セーターの下に何も履いていないように見えてしまう。

セーターから長い脚が黒のストッキングに包まれて伸びている。

化粧こそしていないが、今日のフィーアは可愛さだけではない、
血の美しさとでも言うのだろうか?神秘的で綺麗だった。

マナブはその姿に「肉親」を感じられない。

(もう…抑えられない…)
心で誰かが囁いた気がする。

それが自身だと、マナブは気付いたのだろうか?

 

「マナブ…話があるの、とっても大事な話。」

笑顔を顔の奥にしまい込み、フィーアはマナブを見つめてそう切り出す。
二つの黒い瞳が真っ直ぐマナブを捕らえ、その隠された想いを明らかにしてしまう。

マナブはそっと目を逸らすと、一言だけ言った。

「フィーア、おまえは俺の妹だ…」

マナブはまだ認められないでいた…いや、正確には認めたくなかった。

もうその心が動いていることは、自分でも感じられるほどなのに。

 

その言葉にフィーアは、少しだけ首を傾げる。

(どうして、そういうこと言うの?)

フィーアがそう言っている気がした。

マナブの中に貯まっていくフラストレーション。

好きなのに、好きと言ってはいけない存在。

そして、その存在は自分が禁忌としていることに何の感心も無い。

逆恨みにも似た憤りがマナブの中に渦巻き始めていた。

そして・・・・・・・・・

「どうして?」

フィーアの笑顔と共に発せられた無邪気な一言。

 

それに、マナブは・・・・

ついに・・・・・・・・

抑えられない想いをはじけさせる。

 

「どうして!!妹なんだよ!!!フィーア!!!!!」

マナブはフィーアの肩を掴む。

黒い瞳が間近でぶつかり合う。

フィーアの表情は、必死の形相のマナブと違い、
きょとんとしているように見えた。

それを見て、マナブはますます感情を高ぶらせる。
頭の中で言葉がまとまらずに、そのまま口だけを開くマナブ。

だがその瞬間、
フィーアの瞳孔がキュッとしぼまり涙がツーっと流れた。

そして、フィーアは・・・・
抑えられない想いをはじけさせる。

 

「フィーア、マナブの妹なんだもん!

妹じゃ、マナブの恋人になれないんだもの・・・」

「そうだよ!だから俺達はダメなんだ!」

マナブの言葉にフィーアは、いきなりセーターを脱ぐ。

「な!」
マナブが驚く間もなく、フィーアはその上半身をさらけ出した。

セーターの中には何も着ていない。

形の良い胸に恥じらうように小さな突起が見える。
そして美しい裸身がマナブの前に現れる。

シルエットだけであれば、その姿は女神にも比するほどに完成された美しさだろう。

だが、マナブは見つけてしまう。

 

二つの腕にハッキリと浮き上がる痛々しい赤黒い痕・・・・・
血の気の少ない白い腕に咲いた大輪の華・・・・命を削る悪魔の花。

マナブは思わず目を逸らした。
そうせずにはいられない。

フィーアが美しい故にその惨たらしさは強い印象を持つ。

そんなマナブの胸に、
フィーアは両手を胸の上で合わせて、すっぽりと飛び込んだ。

それは目を逸らさないで欲しいという願い。

 

「妹の…妹の…フィーアなんていらない!!

マナブの中で、マナブの血で生き続ける方が

ずっとずっとずっとずっとずううっと!

フィーアは良い!!」

 

「フィーア…おまえはどうして…そこまで…」
マナブの狼狽した声はフィーアには届かない。
ただ、想いのままに言葉をぶつける。

マナブの手は行き場所が無く、フラフラと宙を舞う。

フィーアを引き離すことも出来ず、かといって抱きしめることも出来ずに。

 

「マナブの結婚式に妹として出るくらいなら、

フィーアはマナブの中で生きていたいよ・・・・」

フィーアは目を伏せて口を閉じる。

いつ死んでも良かった。

マナブの中で生きていけるなら、例えそれでマナブが自分を忘れてしまったとしても。

でも、自分が生きている内にマナブが他人のモノになる姿だけは見たくなかった。

 

この世界でたった一人の、産まれながらにして劣化L−Virusを持つ自分。
そして、それはいつしかフィーアの中で誇りとなった。

マナブを助けることが出来るという自分の存在を嬉しく思った。
例え自分の命を削ろうとも・・・・・フィーアにはなんも関係ない。

フィーアがマナブを愛している自分に気付いたとき。
いや、きっとフィーアは産まれたときからマナブを愛していた。

それを「運命」と呼ぶなら、フィーアはそうなのだとも思う。

マナブのために血を捧げれるなら、フィーアはそれで良い。

それはマナブと一つになることだから。

マナブが自分の前で死ぬことと、
マナブが自分の目の前で誰かと結ばれることの辛さはフィーアには同じ。

マナブが自分を選ばないなら、
自分はマナブの命として生きよう・・・フィーアはそう思う。

今、自分のすべての血液を採って・・・・・

命をかけたフィーアの最期の言葉。

しばしの沈黙が部屋の中で流れる。

マナブの胸に熱いモノが滴り落ちる・・・・
それはいつしか、マナブの中の熱いモノを呼び覚まして行った。

 

社会など関係ない。

すべては二人の心。

他人に決められたモノでは到底計れない想い。

 

マナブはようやく答えを出した。

フィーアがずっとずうっと前に出していた答えを。

 

逸らしていた瞳と瞳が、間近でゆっくりと交わったとき。

 

「今…言っても良いか?」

 

マナブが口を開いて出た言葉。
自分の心をもう止められることが出来ないと言う不安。

「…」
フィーアはコクンと頷く。

不安と期待・・・・いや、期待なんて持っていない。
フィーアはマナブを信じる。
自分の中にいるマナブと言う人間の心を信じる。

 

「好きだ…フィーア。」

 

その言葉にフィーアはマナブの胸に顔を埋める。

すべてを捧げるかのように、笑いながら泣きながら・・・・

フィーアはマナブの心に身体に飛び込んでいく。

「うん!うん!うん!うん!うん!・・・・」
マナブの胸の中でフィーアは何度も頷く。

 

「フィーア。」「マナブ。」
互いに互いに名を呼んだのは同時。

そんな事でさえ嬉しくて、涙が出てくる。

 

瞳から溢れた涙にマナブはそっとキスをすると、
そのまま、頬をなぞって、フィーアの紅い唇に唇を重ねる。

マナブの赤い舌が、フィーアの白い喉を強く吸う。

フィーアはまるで電気が走ったように、身体をピンと仰け反らせた。

フィーアの想いに一片の陰りが無いように、
全身が、細胞全てがマナブの感覚を求めている。

白い乳房にマナブの手が触れると、
フィーアはその感覚に声を上げる。

慌てて離そうとするマナブの手を掴むと、
優しく微笑んで言う。

 

 

「ぜんぶ…マナブのモノ…」

マナブの驚いたような嬉しいような顔を見て、
クスリとフィーアは笑うと、

強くマナブに抱きついて、
嬉しさに感極まった強い囁きを耳元で発した。

 

「フィーア、ぜ〜んぶマナブのモノ!」

 

二人の心は純白で、

互いに互いの相手の色を求めて、

自分を染め上げる。

 

でも、それはあまりに似た色で、

どちらがどちらに染められたのかなんて、分からない。

 

ただ、フィーアの裸身だけ、

慎ましく淡い赤に変わってく・・・・・・・・

 




 

フィーアはぼうっと空を見ていた。

…うん…

フィーアの横で微かな声が漏れる。
それは誰かの目覚めの予兆。

ゆっくりと横に目を向けるフィーアは、
白いベッドの海に眠っているマナブに笑顔を浮かべる。

そーっとマナブの頬についばむようなキスをすると、耳元で朝を告げる。

 

「マナブ。おはよう。」

「う…フィーア…おはよう……」
寝ぼけ眼で怠そうな声でフィーアに言葉を返すマナブ。

だが、フィーアの姿を数秒間見て、目を見開いて一気に起きる。

 

「フィ、フィーア?!」
後ろが甲高いかなり間抜けな声で、顔もそれに負けない位の驚きの顔で、
マナブはフィーアの名前を呼んだ。

「なぁに?」
とっびっきりの甘い顔、幸せが滲み出てくると言うレヴェルではない、
極上の幸福感に包まれた顔でフィーアは舌っ足らずに答える。

世の男なら、この声と顔で一瞬の内に虜になってしまうだろう。

それ以前に、その姿を見ても・・・・・・「魅力」で人を殺せるなら、フィーアは殺人鬼・・・・

マナブは昨日の事をしだいしだいに思い出していく・・・・フィーアから瞳を外せないまま・・・

 

白いシーツにくるまれた身体。

右胸は半分、左胸に至ってはその全てをさらけ出し、
すらりと伸びた白い脚はシーツの隙間から惜しげもなく出されている。

まるで女神のように完成された身体と微笑み。
セミヌードではあったが、それはとてつもなく扇情的で、なおかつ神々しい。

聖と淫が微妙なバランスで、微かに聖に傾いている。

究極の美・・・・・女神と女人の両方を持っているフィーアの美しさ。

 

雪の光りにフィーアは照らされて本当は、この世界の者ではない無いのではないか?
それはマナブに急に不安を抱かせる。

まるで儚い雪のような美しさ。

フィーアを思わず抱きしめる。

それもゆっくりと・・・・触ると溶けてしまうのではないか?
そんな馬鹿げた不安にマナブは包まれながら、

そして、

フィーアがすっぽりと胸に納まると、マナブはとても安心する。

 

「ね、マナブ…もう一度言って欲しい…」
甘えるようにマナブの胸の中で呟くフィーア。

その言葉に最初マナブはキョトンとしていた。

 

「…恥ずかしくて言えるか!」
耳まで紅くして顔を背けるマナブ。
でも、しっかりとフィーアの剥き出しの肩を抱きしめている。

胸の中でくぐもった声でフィーアが何か言う。

「なんだ?」

「…フィーアはねぇ…マナブのこと、大好きだよ…」

フィーアの愛情以外に何の不純物も入っていない言葉に、
マナブも渋々というか・・・・実際はそうではないのだが・・・・

まあ、言いたくなったのだ。

フィーアに答えたくなったのだ。

 

「…俺もだ…フィーア。」

わざとぶっきらぼうに言うのは彼の最期の抵抗。

そんなマナブにフィーアは微笑みを増すと、
その瞳にちょっとだけ不安を宿して言うのだった。

 

「妹として、じゃない…よね?」

 

そんなフィーアにマナブは、
真っ直ぐな瞳で答える。
もう不安にさせることは出来ない、したくない。

「妹としても、

 

女としても……好きだ。」

瞳の色は優しさに満ちている。

 

マナブはフィーアを優しく引き寄せると、そのまま口付けをする。

 

…純白の世界…

…二人っきりの時…

…永遠の一瞬…

…ただ、過ぎていく…

 

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次回予告

平穏という名の甘美な毎日

初々しい恋人達の幸せな時は雪の如く降り積もる


こいつは誰だ!この組織なんだ?と言う疑問がある方は、
「神聖闘機L−seed」設定資料集にどうぞ。

人間関係どうなっているの?と言う疑問をお待ちの方は、
「神聖闘機L−seed」人物相関図にどうぞ。

ご意見、ご感想は掲示板か、このメールで、l-seed@mti.biglobe.ne.jp お願いします。

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