「事実と真実が甦る。」

 

       Divine     Arf                          
 神聖闘機 seed 

 

 

 

第二十四話    「キャット・メモリー」

 

 

街の巨大なビジョンに映し出される巨人。

それは細く蒼い体に不釣り合いな滑車を背負う異形のArf。

肩のアンカーはまるで全ての人を粉々に砕くと言う使命を帯びているかのように、
画面狭しと暴れ続けていた。

ただ、その中心にいる蒼いArfだけは、
回りの惨劇からまるで切り離されたかのように、静かに佇んでいる。

**********

「なんだ・・・これは。」
「怖い・・・・」

「綺麗よね〜〜〜。」

「洒落た色のArfじゃない!乗ってみたい〜〜。」
「ば〜か、おまえに乗れるわけないだろ。
でも宝石みたいに綺麗だな・・・えっと何て言ったっけ?」
「サファイア?」
「そう、それそれ!」

街の人間は自身に直接の害が無い限り、あくまでもそれは他人事、
自分の思い思いの言葉をただ口にしていた。

戦場の映像も彼らにとっては、くだらないテレビ番組の一つにしか過ぎない。
彼らの関心などその程度のことなのだ、平和な場所に生きる人間達にとっては。

 

「御覧になられましたでしょうか。
昨日、発生しました。Arfテロの様子をお伝えしました。

最近増加しているArfテロによる死者は既に300名を突破しております。

今回出現しました蒼いArfと
現在確認されている蒼と白のArf、紫のArf、紅いArfとの因果関係は今のところ不明です。」

画面が何の華もない男性アナウンサーに変わった瞬間、
立ち止まって見ていた人たちは歩き始める。

もう何も興味のあることは無いと言った風で。事実、そうなのだし。

 

「今、入ったニュースです。
今から30分程前に第11EPM軍付属「φ」の基地が、所属不明のArfによって壊滅しました。」

ざわ・・・

アナウンサーの幾分上擦った声が彼らの脚を止める。
例え地球の反対側のニュースでも速報は気になるらしい。

「この基地は昨日もテロリストの襲撃を受けていた事も明らかになりました。、
詳細は不明ですが、基地内の施設のほとんどを破壊された模様です。
生存者は絶望視されております。

EPM軍報道官によりますと、襲撃者は昨日、今日共に一体であり、
その色は昨日が黒、そして今日が・・・紫色をしたArfだと言うことです。

両者のパイロットが同一人物であるかどうかはまだ分かっておりません。」

巨大なビジョンからアナウンサーが消えて、基地の惨状が映し出される。

壊し尽くされた基地の映像の中で、異様だったのはArfの残骸等では無い。

このArfを撤去している兵士達の姿である。
この国は今夏の盛りである、にも関わらず分厚い手袋とコートで作業をしているのだ。

それが何かの冗談で無いことは兵士達の真剣な顔からも伺える、
それ故に、その姿は辺りを燦々と照らす太陽と対比されて、ますます異様な光景に映る。

 

「紫色のArfは数ヶ月まえに起きたテロでも確認されており、
現在EPM軍、φがその行方を追っております。」

数ヶ月前の映像が映し出される。

普通そのものの街に立つ、
二本の剣を肩に突き刺し、左胸からはその剣先を出し、
透明な鎧を着た戦争の象徴とも言える機体。

「紫の悪夢」と囁かれた機体である。

平和と戦争と言う、
表裏一体でありながら相容れぬモノを描き出している良い映像だ。

 

光りを撒き散らす「紫の悪夢」。

幾つもの人間と幾つもの建物、物が破壊され、吹き飛び、殺されていくさまが画面に流れる。

 

「ヒデェな・・・・」
背広の男が映像を見て端的に言う。
その言葉が聞こえた回りの人間達も同様の意見を持っていた。

・・・・

人々の安っぽい同情の雰囲気の中で何か音がし始める。

それはこの場ではあまりに違和感があったために、
最初何であるか分からなかった。

・・ち・・

少しばかりのざわめきが起きて、
それが波紋のように広がっていく。

・・ぺち・・

 

それは間違いなく拍手。

さして他人に対して深い同情などを持っていたわけではない人々であるが、
それを頭ごなしに否定されるような行為は彼らに嫌悪感をもたらした。

大人の大きい手が出す「パチパチ」と言う小気味の良い音ではなく。
柔らかいく小さい手がささやかに打ち合わされて出る「ぺちぺち」と言った感じの音。

力を入れているけれども、その割に音は出ていない、子供の手による拍手。

ぺちぺちぺち・・・・

「誰だ?」

このような悲惨な映像を見て拍手するなどと、
皆、躾のなっていない子供を一目見よう、睨み付けてやろうと音のする方向を向いた。

それは悲惨な画面の中の事実を盾にして、
自分の価値観を否定されたことに対する不快感であったとしても、

誰もそれを攻めることはない。

 

ぺちぺちぺち・・・・

音は弱いが、ハッキリと拍手は続いている。

皆が振り返り、ただの一点に集束する。

 

「うわぁ・・・」
誰かが心から出るようなため息を漏らした。

 

太陽の髪、海の瞳、雪の肌

 

黄金の髪は長く縦にくるくるとカールをしながら下がり、
まるで中世の貴婦人のように豪奢で気品の溢れるモノ。

深い深い蒼い瞳は、まるで宝石のように澄んで輝く。

まだ10代の前半も前半の容姿でありながら、
身体のパーツを全てを美しく生かし切ったような美少女。

白い肌は血管すら見えそうなほどに透き通って、
太陽に照らされたら溶けてしまう雪の如き美しさ。

 

これで豪華なドレスでも着ていれば、
彼女がどこかの王女であると言っても誰も異論を挟む者はいないだろう。
童話が人々の頭の中で形造らさせた、小さい王女の姿がそこに現れることであろう。

だが、彼女は違う。

 

その腰には幾重にも巻かれた高級な帯。

後ろで結ばれたそれはまるで蝶の羽のように四つに広がり、
下の部分は地面に着く寸前のところにあった。

その帯に似合うように、もちろん彼女は日本で言う振り袖を着ていた。
但し、帯から下は普通の着物よりも短く、走ることも可能であるように見える。
特注で造られたと思われるそれは、
着物を知らない者が見ても高級な物であることは分かる。

少女はきちんと舞妓が履く「ぽっくり」を履いており、
まさに和洋折衷と言う言葉が似合う妖精が街の片隅に立っていた。

西洋人の日本人形・・・・・・それが少女を指すための言葉に最も相応しいように思える。

 

ぺちぺちぺち・・・・

 

胸の前で両手を軽く叩くその姿は、愛らしく、可愛らしく、いじらしい。

人々は先ほどの仮初めの嫌悪をどこかに置き忘れて、少女を見つめ続けた。

 

和服を着た洋風の美少女。

時折見せる無邪気な笑顔は人々を魅了する。

彼女を中心とした人の輪が出来て、それがまた人を呼び寄せる。

 

人々の視線の中、ひとしきりして拍手を終えると、
少女は辺りを見回して、みんなの視線を浴びていることに気付くと恥じらった。

上目遣いで辺りをうかがう少女。

 

「あ、あのぉ・・・・なぁに?」

 

モジモジと小さな手を遊ばせながら、
小さい鈴の音のような声で少女が回りの人間に尋ねる。

それは抱きしめたくなるほど可愛らしい・・・・・
愛玩動物の、それもその子供時代にあるような・・・・
保護欲、独占欲を刺激する仕草に人々は我すら忘れそうだった。

回りに誰もいなければ、箱に詰めて持ち帰ることを躊躇わないであろうほどに・・・・

 

唐突にニコっと少女が笑顔を浮かべる。

少女にとっては恥ずかしさが頂点に達して、思わず零れた笑顔であったのだろうが、
それはこの年代の子供にしか浮かべることが出来ない、
何の邪気も無い、全く無防備な笑顔。

保護欲、独占欲に加え、嗜虐欲すら刺激するその笑顔はあまりに強烈すぎて、
逆に大人達の心の中に警鐘を鳴らすこととなった。

それは一般的な人間が持っているはずの、
罪を犯しそうなときに現れそれを諫める「良心」と言うモノだ。

 

人々は次々と我に返り、
回りを見回しながら少女よりも恥ずかしそうに足早にそこを去っていった。

自分たちよりも何歳も年下の少女に、見とれていたなどとは思われたくないから。

 

去っていく人々の背中にを見つめて、
少女は不思議そうな顔をしていたが、
トテトテと歩き始める、まるでからくり人形のようにゆっくりと。

歩きながら少女は袖から一枚の紙を出すと、確かめるように言葉に出して読む。

「フィ・ル・ダ・ウ・ス・修道院・・・・・・・・
今度は本物の人かなぁ?楽しみ、楽しみぃ。」

急ごうと少女は駆け出そうとするが直ぐに立ち止まる。

 

そして、一言。
「おねえちゃん、頑張ってね。」

改めて少女は走り始める、
長い袖を上下に振って、走っているのに大人が歩く速度で。

少女の行く道のずっと遠くに十字架が見える。
果たして彼女の捜しモノは見つかるのだろうか?

少女の後ろのビジョンで、蒼い髪と銀の瞳の女性が手を振っている。


ビジョンの中、遠い月の上でその式典は催されていた。

「それでは、これからも我々宇宙に住む者達の為に、
月、各衛星都市の独立のために努力して下さい。」

そう言いながら、その男は手をゆっくりと差し出した。
その顔は紅潮していたが、
幸いなことに回りを囲む記者達にはそれを気付かれることは無かった。

男の指しだした手を、真っ白い手がゆっくりと包んだ。
男はまるで羽毛に包まれるかのような錯覚を持つ。

柔らかい感触が男の手から脳に伝わり、頬の紅潮は記者団に気付かれるまでに至った。

 

「はい。僕を始め、我々の心はいつも宇宙の中にあります。」

バシャ!バシャ!バシャ!・・・・

男と握手をしていた女がそう言うと、フラッシュは一斉にたたかれる。

それに答えてか?
女は握手をしながらゆっくりと記者達に向き直り、ニッコリと微笑んでポーズを取る。

誰もがその笑顔に惚れ、そしてその笑顔にルナの独立を確信するに至る。

 

これが、非テロ月・衛星都市独立支援組織「モーント」が公的な組織として生まれ変わった瞬間だった。

公式独立支援機関「モーント」の発足、
これは「モーント」の発言力が武力を使わずとも、
人々に聞き入れられるほどに強くなったことを示す。

それは詰まるところ、
総帥であるルイータ=カルの発言が公的な意味合いを持つと言うことである。

 

悲劇の衛星都市「カナン」のカル家の兄妹の伝説は、
ルナ達の間に広く浸透しており、それが現実のモノとなったとき、
民衆は凄まじい歓喜をもってルイータを迎え、「モーント」を迎え入れた。

伝説に相応しい、カル家の妹君の姿は、単純な民衆をそれだけで認めさせてしまう。

髪はブルーダイヤのような深い緑の蒼、そして銀色の瞳。
彩られた全てを魅力に変えた美女の出現は、ルナ達をより一層希望に燃えさせる。

 

圧倒的な世論を味方につけた「モーント」は、
EPMの謀ったルイータのDNA検査を逆手にとって、民衆の信頼をますます勝ち得る。

そして、今日、「モーント」よりも古い独立支援組織「ノア」を抜いて、
公的な組織へと進化を遂げることになったのだ。

**********

ワアアアアアアア!!!
ワアアアアアアアア!!!!
ワアアアアアアアアア!!!!!

凄まじい歓声に迎えられてルイータは式典会場から出てくる。

(・・・・・・宇宙の人たちの思い・・・・)

ルイータは漠然とそんな風に思った。

一人一人の顔を見つめることは出来ない。
だが、それら全てが笑顔、期待、希望に溢れるモノであることは分かりすぎるほど分かっていた。

それが全て自分に向けられていることも。

「ルイータ様・・・手をお振り下さい。」
ルイータの耳元で誰かが囁く。

その言葉に一瞬目を閉じるルイータ・・・・いやエメラルド。

(・・・私はこの人たちの思いを導けるの?)
エメラルドがずっと心の中で問い続けていたモノが、再び心の中で浮かび上がる。

フレイヤに言われ、リヴァイに会い、全てを受け入れる覚悟をしたつもりでも、
その心の中は不安と悩みに満ちあふれている。

たった一つの問い。

(私はルイータ=カルで生きて、そしてルイータ=カルとして死ねるのか?)

今、決断の時が来たのだ。

「ご、ごめん・・・・俺・・・」

一瞬、エメラルドは頭を下げる想い人を思い浮かべる。

 

(あの人とずっと一緒にいれたらどんなに良かっただろうか?)

(ルイータ=カルでもない、そしてエメラルド=キッスでもない、エメラルド=ダルクとして・・・・)

だが、それは捨ててきた選択肢。

思考の海で泳ぐエメラルドは、
ゆっくりと振り返った。

 

後ろには男が一人、エメラルドをいやルイータを護るようにして立っている。

蒼い髪を揺らし、その瞳は真っ直ぐルイータの銀の瞳を見つめている。
その瞳はルイータの怯える心を優しく包み込み、そして強く励ます。

「・・・・・」(リヴァイさん)

声にならず、口だけをそう動かす。

するとリヴァイはその言葉が意味するところが分かったのだろうか?
微かだが確かに強く頷いた。

その姿はエメラルドの銀のコンタクトレンズに映り込み、
深い深い安心感を与える。

この時、エメラルドは銀の瞳を外さない決心をする。

 

エメラルドは、ゆっくりと振り返ると民衆ににこやかに手を振った。

その姿はルイータ=カル。

宇宙の人々を強いカリスマと思いで導いていく女性の姿。

 

真の意味で「ルイータ=カル」は誕生したのだ。

 

(マナブ・・・・・ごめんなさい。)

一片の曇りもない笑顔のまま、エメラルドは遠くの想い人に別れを告げる。
それは涙を流す時間も与えられないほどに短い別れ、
だが、その分それは深い想いを秘めていた。

 

ルイータの手を振る姿に応えて、
民衆の歓声が先ほどの比ではないほどに大きくなる・・・・・

何人の人間がルイータの心の中を思い計られただろう?

 

例えリヴァイでもそれは不可能。
だから彼は気付くことは出来なかった。

そして、ルイータも。

 

リヴァイの頷きがルイータに決断を為させた事が、
この後二人をどう導くなどと。

 

ルイータの後ろでそれを見つめるリヴァイの瞳のずっと奥の方で、
寂しさと哀しさが微かに光っていた。

そしてルイータもそうだった・・・・


 

「ルイータ・・本物?!」
薄暗い部屋で、男が呟いた。

部屋の中を明滅しながら照らすのは、小さな小さなテレビだけ。

男はその中で手を振る女を凝視しながら考え事をする。
イスの肘掛けに肘を立てて、右のこめかみ辺りで指を弾く、
淡々と一つの音階の音が部屋に響く。

まるでチェスの次の一手を考えているような風情で・・・・男は長考に陥っている。

「指を弾く」のは考え事をするときの彼の癖なのだろう。

 

彼が何を思い、何を考えているのかは、誰にも分からない。

部屋が薄暗く、彼の表情が見えづらいと言うことも確かにあるだろう。
だが、原因はもっと顕著に示されている。

男の顔には、頭全体を覆う仮面が付けられていた。

目の部分に無造作に二つの穴が空き、
口の部分には牢屋の鉄格子のような三本ほど縦の格子が入っている。

まるで何かの懲罰で付けられたようなそれは、
首もとまで包み込まれて、そう易々とは脱げない仕組みになっている。

薄暗い部屋で、錆びた鉄の色の頭が気味悪く光る。

パチン!パチン!パチン!・・・

男の耳元で小気味の良い音が響く、
それは脳の眠っている細胞一つ一つを起こしているような気がして気持ちが良い。
頭の中がすっきりとして、様々な考えがまとまっていく。

 

テレビの歓声と指の音だけしかしない部屋。

「すばら・・しい・・・・彼女の・・・手伝い・・・をしてやろう。」
口の端を接着剤でくっつけたまま、話しているような聞き取りづらい話し方で、
男はポツリポツリとまとまった考えを言葉に出していく。

 

「ダミー・・・よ・・・せいぜい・・民衆を・・・踊らせろ。」

そう言うと男はルイータのにこやかな笑顔を見て、くぐもった笑い声を上げる。

「クククククククククク・・・・・」

その間も指は鳴らされ続け、
まるで狂った調律で弾いた賛美歌のように奇怪な曲を奏でた。

 

パチン!パチン!パチン!・・・

「・・・辛いぞ・・・クククククククククク・・・・・」

奇怪な曲の終わりはまだ暫く訪れそうにはない。


 

パチン!パチン!パチン!・・・

だらりと下ろした腕の先で音がする。
イスの上で一人の青年が、ボウッと天井を見上げている。

何を思い描くいているのだろうか?
穏やかだが寂しげな顔で、彼は目を開けたまま夢を見ている。

彼の心は遠い遠いもう戻ることが出来ない場所にあったのだ。

 

何を思っていたのだろうか?
不意に彼は我に返る。

瞳に生気が戻り、現実が彼に認識を促す。
そして、彼は自分が指を鳴らしていたことに気付くのだった。

その瞬間、彼の表情は見る見る歪み、憎しみと言う接着剤で凝固される。

 

左手で右手を掴むと、一気に振り上げて、何の躊躇もなく目の前の機器に叩きつけた。

バキーーーーン!!!

金属を叩いたときの高い音がコクピットの中に響く。
様々なレバーやボタンがある装置の上で右手がまるでゴムのようにして跳ねた。

跳ねた右手は力を失って、再びだらりと下げられる。
その姿はもう音を出すことは出来ない楽器に見えた。

 

左手を肘掛けに戻して、青年は何事も無かったように天井を見上げて思いに耽る。

右手の甲から、液体が流れ始めていた。
それは蒼い光りに照らされて紫に見える。

 

ポタン・・・・

床に最初の一滴が落ちる。

そして、いつしか右手は幾筋もの紫の線に彩られ、
床にはその液体の溜まりが出来る。

 

それは間違いなく血液。

そして右手は間違いなく痛んでいるはず。

だが、青年はそれに対して何もリアクションを取ることはない。

 

雑音しか出さず止まらないラジオを破壊したようなすっきりとした顔で、
青年はずっと天井を見上げていた。

痛みなどより、あの音が彼の不快感を煽るのだろう。

 

ならば右手を切れば良い・・・・・・だが、そこまでの勇気と覚悟は青年には無いのだ。

 

青年は、右手から上ってくる鈍く、時節鋭い痛みを感じながら呟いた。

 

「僕は、人間なんだ・・・」

それは意識の無い心の声だったのか?
蒼い髪がパサリと背もたれからこぼれ落ちる。

目を閉じた姿、手から流れる出る血は、まるで自殺。

 

それは彼の理想かも知れない・・・・・・ロボットは死ぬことなど出来ないのだから。



ガラガラガラガラガラガラ・・・・・・・・!!!!

白い廊下を救急用のベッドが通っていく。

 

ベッドに寝かせられている青年は、
両目をカッと見開き、その瞳孔を拡大させている。

それでもなお黒い瞳が徐々に広がりを見せ、
彼の容態がきわめて危険な状態であることを示している。

 

ただ、異様なのはその回りに付き添う者達の姿である。

白い防護服に身を包み、
頭にはまるで宇宙飛行士が被るような外気から身を守るためのヘルメットをしている。

危険な伝染病患者を相手にする者達の姿。

 

ベッドに寝かせられている青年の顔のあちこちに痣が出来て、
掛けられた白い布には既に紅い染みが現れており、
パリパリに乾いてどす黒くなっている。

まるで豪炎にあぶられたような重度の火傷を負った右手の甲が、
だらんとベッドから落ちている。

 

青年の白目の部分は時折、
真っ赤に充血しては、
暫くして再び白く戻っていく。

「Dr.サライ!!L−Virusの発症前兆が見られます!!」
ベッドを押している男、ヨウが左に付き添うサライに焦りを露わにして言う。

「分かっています!この通路の隔離は完全にしている?」
ベッドの先頭を走り先導しているメルにサライは尋ねる。

「はい!大丈夫です。オペレーターのリオさんたちがしています。」
サライの方を見ずにメルが報告をする。

「医務室まで急ぎます。」
その報告を聞き終えると同時に、サライはマナブを見ながら言う。

マナブの瞳と同じく、
時折彼の顔の表面の一部が固化する。

固化と言っても、皮膚が水分を失って皺になって固まる状態ではない。
それは硬化と言った方が正しいのかも知れない。

色が抜けていくように肌が白くなっていく。
それは光を反射し易くなって、
実際はそうではないのだが・・肌がメタリックに見えてしまう。

それが次第にその領域を増やしていく、
ベッドに乗せたときはほんの一点だったのが
今や頬全体が白くなり、鼻に掛かるか掛からないかまで来ている。

 

「肌の硬質化が進行しています!!!」
ヨウが再びサライに言うと、サライは一瞬だけヨウを見て言った。

「L−Virusは完全には発症していないわ。
発症しているなら、進行は一気に進むはず。

安心しなさい。

そして落ち着きなさい。」

サライは静かな声で理路整然とヨウに言う。
その瞳は黒く澄み、ヘルメット越しに見ただけでもヨウの心を落ち着かせる。

「す、すみません。取り乱して・・・」
ヨウはベッドを押す手を休めずに、サライに頭を下げた。

「良いのよ。」
それを見てサライは一言だけ返す。

 

「医務室での準備が整いました。急いで下さい!」
天井のスピーカーから女性の声が告げる。

「リオさん、到着するわ。ドアを開けて!!」
メルが前方に医務室と言う言葉には似合わないほど厳重な扉を認めて言う。

 

「了解しました!」

そうリオの声がしたかと思うと、
扉は音もなく、そして重さも感じさせず二つに分かれて左右に開く。

部屋の中には手術台が二つ、既にそこにはライトが煌々と照らされており、
患者の到着を今や遅しと待っているようだった。

右側のベッドには誰もいないが、
左側のベッドには既に誰かが横たわっている。

 

掛けられた白い布が人の形に盛り上がり、
長い髪は手術台からはみ出して、ライトを反射して星の夜のように輝いていた。

胸の辺りで描く豊かなカーヴ。

布は正しく人の姿を見せる。
そのシルエットは、まるで女神のように完成された美しいモノ。

 


 

「・・・・・」

夜が空を完全に支配して、真上に煌々と月がその光を注いでいた。

真っ暗な部屋で、フクウは目を覚ます。

 

上目遣いに時計を見ると、まだ真夜中であることが分かる。

 

フクウは寝付きが非常に良い、それに加えその眠りは深い。

それはSI2と言う特殊な部門に居たために自然と身につけた習性。

睡眠不足では任務の遂行に障害が生じる、
だからと言って充分な睡眠を取ることなどSI2のメンバーならば、
誰一人として望むことは出来ない。

故に短時間での睡眠は欠かせない技術なのだ。

もちろん何らかの異常を察知したときは、
瞬時にその身体と頭を覚醒することが出来る。

 

現在もフクウのその習性に錆は見えない。

希に現れる見目麗しい月読のメンバーに、
邪な幻想を抱いている侵入者。

フクウが深い眠りの淵から、覚醒するのに5秒はいらない。

彼らは音もなくフクウの手刀で逆に眠らされ、窓の外に投げ出されるのだ。

 

「月読」に入ってからは、
特殊な事情が無い限り睡眠時間を長期に渡って削られることは無い。

その為フクウは、睡眠時間を短くする必要は無くなってしまったのだが、
身に付いた悲しい習性なのだろう。

彼女は月読一寝付きが良く、月読一早起きである。

 

ちなみに最も朝が弱いのが意外なことにカイであり、
そして最も寝起きが悪いのが予想通りのホウショウである。

月読の間では「寝起きのホウショウには近づくな」との格言まであるほどだ。

 

「・・・・・」

 

フクウは天井をボウッと見つめていた。

彼女にしても、自分がこんな時間に何故目覚めてしまったのか分からないのだ。

感覚を研ぎ澄ましても部屋内外に何の気配も感じない。
侵入者が訪れそうな気配もない。

 

今日はホウショウとトランプに興じていたために、
いつもよりも遅く眠ったはずである。
寝過ぎと言うことは考えられなかった。

だからと言って起きるには早すぎる時間。

正直、フクウはこの時間を持て余してしまった。

 

無言で枕元のライトを点けると、フクウはノート型のパソコンを手に取った。

ブゥウーーーーン

微かな音がしてディスプレイに光りが灯る。
夜中だからか?その音は部屋に良く響いた。

 

細い指でカーソルを動かすと、フクウは受信メールを確かめる。
その黒い瞳には微かだが確かに期待が見える。

「受信:0件」

パソコンは直ぐにつまらない答えを出して、フクウを落胆させる。

「ふぅ・・・」
軽くため息をつくとフクウはパソコンを閉じて、机に置いた。

そしてライトを消すと、再びフクウは横になった。

 

だが、一向に眠気は襲ってこない。
フクウは戸惑いのまま過ごし、明け方ようやく訪れた睡魔に身を任せる。

 

その日、彼女が生まれて初めて朝寝坊を体験して、
鬼の首を取ったかのようなカイにからかわれるのは本当の話。

 


 

「準備は良いわね?」
サライが横たわる者に声を掛けると、彼女は短く答える。

「うん。」

その返事にサライは微かに頷くと、ヨウを見る。

「はい。」
その意味するところを知り、ヨウはメルと共に開いている右側のベッドにマナブを寝せた。

 

マナブは目を開けてはいるが、見えてはいない。

寝かせられたことも、自分が何処にいるかも分からないことだろう。

そして、隣に横たわる者が誰であるかも。

 

「フィーア。分かっている?」
サライは左のベッドに横たわる女神に言う。

その瞳は幾重もの演技で隠されていても分かってしまう感情が見える、

それは哀しみ。

横たわる女神、フィーアはその瞳の意味を理解しているのだろうか?

 

「マナブ。助かるよね?」
サライの問いに答えずにフィーアは瞳を揺らして尋ねる。

その声は微かに震えていたが、
それは自分にこれから起こることを怯えるのではなく、
マナブの安否を気遣うが故に生まれたものだった。

 

「ええ。」
サライは笑顔で答えた。

それはフィーアが初めて見る、サライの透き通った優しい笑顔だった。

 

フィーアはその笑顔を信じた。

サライが浮かべた悲しい笑顔を全て信じた。

サライを攻めたいことはいっぱいあった、たくさんあった、すごくあった。
マナブをこんな目に会わせたことを怒りたい気持ちもあった。

でも、それはマナブが助かってからすれば良いこと。

 

自分が出来なくても、マナブがすれば良いこと。

 

「フィーア、良いよ・・」

サライに答えると、
フィーアはゆっくりと横を見た。

正面を見たままのマナブの横顔が見える。

マナブの顔は白く輝き、
硬質化が最終段階に入ろうとしていた。

「マナブぅ・・・・」

マナブの横顔が不意に歪む。

フィーアの瞳から溢れた涙がベッドを濡らす。

 

哀しくはない、マナブと一つになるだけ。

それはある意味、フィーアが望んだ形。

自分がマナブの「妹」である限り、それは最後の方法なのだ。

 

マナブと寄り添って生きていくことは出来なくとも、
共に歩むことが出来るなら、

フィーアは幸せなのだから。

 

「妹」でなければ・・・・・・別な形もあったのだろう。

けれどもそれは・・・・もうできない。

 

この涙は哀しみではない。

マナブが辛い目にあったことを悲しむ涙なのだから。

 

「マナブぅ・・・・」

押し殺せない想いは、フィーアの口から零れ出る。

ガラスに邪魔をされて拭うことも出来ず、メルは涙を流し続けた。



マナブの心は深淵に落ちていた。

自分も忘れてしまった、いや忘れようとしていた記憶の海に、

マナブの心は存在していた。

 

**********

何故、そこを歩いていたのか?
それは今も俺は知らない。

 

いつも隣に居るはずの父さんが居ない、
俺はキョロキョロと辺りを見回していた。

白いゆったりとした服を着た母さんが俺のその様子に気付く。

そして、優しく教えてくれた。

「先に行っているのよ。」

 

「?」

回りを木々に囲まれた峠の道をてくてくと歩きながら、
俺は母さんを見上げて首を傾げて、道路の先を指さす。

幼い俺には、見上げた母さんの顔は逆光でよく見えない。

「そうですよ。」
ただ、口元が優しくなったのだけは分かる。

「わあ・・・!」
母さんの笑顔と父さんの居所が分かった安心感に、
俺は嬉しくなって、掴んでいた母さんの手をブンブンと振った。

「お父さんに会うの嬉しい?マナブ。」
優しい声が上から聞こえてくる。
それは幼い俺にとって、最も安心できる声。

今は・・・無い声。

「うん!!!」
元気良く頷くと俺は母さんを引っ張るようにして歩き出す。

 

「マナブ、そんなに急がなくても良いのよ。」
フフフと笑いながら母さんは俺に言った。

 

母さんの笑顔は俺の自慢だった・・・・どんな女の人よりも母さんは綺麗で優しかった。

 

「そ・れ・に、お腹の赤ちゃんが驚くでしょう?」

大きくなったお腹をさすって母さんは俺に言った。

俺はとても嬉しかった。

自分の兄妹が出来ることに、まるでいきなり大人の仲間入りをしたように。

 

「・・・・妹なのよ。」

母さんの顔は相変わらず幼い俺には見えないが、
その声だけでとても機嫌が良いことが理解できた。

それに母さんのそれ以外の声なんて、俺はそれまで聞いたことが無かった。

母さんの声が俺の耳をくすぐって、意味もなく俺は笑う。

 

「マナブ、良い?

お兄ちゃんになったら、優しくしてあげるのよ。

どんな事があっても守ってあげてね?」

 

それは母さんと俺の最後の約束だった。

 

「うん!!!」
俺は母さんと約束をしたことが嬉しかった。

母さんとの繋がりがまた一つ出来たみたいで・・・・とても嬉しかったんだ。

 

そんな俺を母さんは笑顔で見つめていてくれていた。

そして母さんは静かに教えてくれた。

俺の妹の名前を、俺が守らなければならない人の名前を・・・・

 

 

「名前はね。

 

・・・ミドリ・・・・・・・

・・・・・・ミドリ=カスガ。」

 

ミドリ・・・・・?

 

そうだ・・・・俺の妹の名前はミドリ。

じゃあ・・・・

 

フィーアは?!

 

**********

深淵にあったマナブの心は、

知ってはいたが、理解していなかった事実を思い出す。

 

ミドリ

この名前を。

 

フィーア

この存在を。

 



 

「・・・準備・・・・・・整いました。」
メルの声が震えながらも部屋に響いた。

その言葉は死刑の宣告にも等しい意味を持つから。

無言で機械の計器チェックをしていたヨウの指が一瞬止まる。

 

「そう・・・・」
サライはその言葉に頷いた。

「フィーア、麻酔をかける?」
サライは静かにフィーアに尋ねる。

残された時間は少ない筈だった、
だがサライはフィーアに聞いておかなければならないと思った。

 

「いらない・・・・。

フィーア、

ずっと、マナブを見ていたいもん。」

 

マナブの横顔を見つめたまま、
フィーアはそう答える。

「分かったわ。」
サライはもうそれ以上フィーアに問いかけることはなかった。

差し出されたフィーアの左腕に注射針を刺す。

何の躊躇もなく。

それは少しでも痛みを感じさせないようにするためのサライの気遣いだったのだろうか?

 

透明な管が真紅の色に染まっていく・・・・・

機械を介してその行く先は・・・・・・・・・・

同じく右腕に注射針を刺してあるマナブの身体・・・・・

 

機械はフィーアの血液を貪欲に吸い取る。

まるで類い希な美女の生き血を啜る吸血鬼のように・・・・さぞかし美味であろう。

フィーアは間違いなく処女(おとめ)であるのだから・・・・・その心も清らかな。

 

流れる真紅の液体

 

フィーアの顔から急速に色が失われて、まるで白い陶器のようになっていく。

そして、それに呼応するようにマナブの肌は次第に色を取り戻していく。

 

血を抜かれる苦しみを知っているだろうか?
自分が空っぽになっていくというおぞましい不快感。
もはや「痛み」は無く、「苦しみ」だけが全身を包み込む。

自分の身体が表面から死んでいく感覚が、次第次第に内側に入り込んでくる。

死ぬかも知れない等という恐怖はない、
むしろこのまま楽にしてくれと言う願いすら浮かんでしまうのだ。

 

そんな中でフィーアは、ただマナブを見つめていた、
自分の血がマナブに入っていく様子をしっかりと瞳を開けて。

 

そこに苦痛は見えないのは何故だろう?

 

フィーアの命がマナブに流れ込んでいく・・・・・

献身とは全てを捧げること。

フィーアは今、ここでマナブに全てを捧げる。

 

「マナブ・・・・待っててね。」

フィーアは動かなくなり始めた身体に力を込めて微笑んだ。

 



フィーアの想いがマナブに注がれ始めた頃、

マナブの心は未だ深淵を彷徨っていた。

**********

「しっかりお兄ちゃんをするのよ?」
強制でも、誘導でも無い言葉で母さんは、俺に言った。

それは俺をとても誇らしい気持ちにさせる。

「・・・」

そんなとき、何処からか?音が聞こえた。
よく耳を澄ますと、それは鳴き声だった。

こんな林に何故いたのか分からないが、
道路の向こう側にまだ生まれて間もない子猫がいた。

「にゃあ。」
親猫と離れてしまったのだろうか?子猫は心細そうに鳴いていた。

 

「あ!」
母さんの手を引っ張って、俺は子猫を指さした。
とても可哀相に思えたからだ・・・・・・母さんがいない子猫を。

 

「あら?こんな所に・・・可愛いわね、マナブ。」
ちょっと驚いたような声を上げて母さんは子猫を見つけた。

「うん!!」
母さんを一度見て頷くと、俺は子猫の方に向かって歩き出した。

「マナブ。」
道路の真ん中辺りで母さんに呼ばれて振り返る。

相変わらず母さんの顔は逆光で見えないけれども、
その声の優しさは俺をいつも安心にさせた。

「優しくね。」

 

「にゃあにゃあ。」
俺が近づくと子猫はちょっと警戒する仕草をした。

俺はそれに構わずに手を出した。

 

母さんは「優しくね。」と言った・・・・・
俺はそれを何で守れなかったのだろう?

微笑みを浮かべて、優しく撫でようとしなかったのは何故だろう?

 

「にゃあ!」
怯えた声を子猫は上げると、俺の股をくぐって母さんの方に走り出した。

「あ!」

 

ガーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!

キィイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!

 

耳をつんざく音に俺は思わず蹲った。

何か怖いお化けのような声だと思った。

俺から全部奪っていく・・・・・とても怖いお化けだと思った。

 

恐る恐る立ち上がり振り返った俺の目に飛び込んできたのは、
道路の真ん中で倒れているモノ。

 

全てが黒と白・・・・

全ての色が黒と白に分けられている・・・

 

倒れている白に・・・・しだいに黒が広がる。
まるで俺の心に染み込むように、刷り込むようにゆっくりとゆっくりと・・・・

 

そして、それは現実となって色を帯び始めた。

白は白へ

黒は赤へ

 

「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
何も声が出ない。

出せない。

ただ駆け寄るだけだった。

 

触れた身体は柔らかく、暖かい・・・・そして、濡れている。

「あ、あああ!ああ!!ああ!!」
何も声にならずただ、母さんを俺は揺さぶった。

俺の手がまるで朱肉で遊んだように真っ赤に染まる。

 

「マナブ・・・だいじょうぶ。」
母さんの声が聞こえたとき、俺は涙が出てきた。

ポロポロと涙が地面に落ちて、母さんの血と混じってそれを薄める。

(大丈夫!母さんは大丈夫!!)

母さんが俺に嘘を言ったことは無かった。
だから、俺はそれを信じた、信じたかった。

俺の幼い耳にも母さんが苦痛の呻きを漏らすのが聞こえていたから・・・・

 

ふと辺りを見回すと100m先に車が停まっていた。

余程のスピードで走っていたのだろう。
不自然に斜めに停まっているそれの足下まで、真っ直ぐ黒い痕が着いていた。

 

俺は走った!走った!!

途中で靴が脱げても、止まることはなかった。

母さんを助けてくれる大人がそこに居ると信じていた。
降りてきて母さんを魔法のように元気にしてくれる人がいると信じていた。

車の横には「太陽の絵の中に浮かぶ蒼い星と黄色い星と幾つかの白い星」の絵が合った。
黒塗りの高級車の扉を血だらけの俺の手は思いっきり叩く。

ドンドンドンドン!!!!

太陽が紅い血で汚れていく・・・・

二、三歳の俺の力はたかが知れている、
だが中の人間には聞こえていた。

 

ガチャ!!

ドアの開く音がして、人が出て来るのを俺は期待を込めて見ていた。
安心感で収まっていた涙が再び流れ出す。

だが黒いズボンが見えたところで、それは止まる。
車の中で話し声がした。

細かいことは分からなかったが、
どうやら後ろの席にいる人と話しているようだった。

「ね!!」
俺がまだ上手くしゃべれない言葉で声を掛けると、唐突にドアが閉まった。

そして、車は一瞬の内にして走り去ってしまう。
おそらく母さんを轢いたときの何倍ものスピードで・・・

 

ただ最後に聞こえた言葉はだけは覚えている。

「一人ぐらいの血で平和は得れん。発車しろ!時間がない。」

俺はその言葉を忘れることが出来ない。

 

呆然と車を見送った俺は、凄まじいほどの哀しみに覆われた。
訳が分からないほど涙が後から後から流れてくる。

俺は一人で母さんの所に戻るしかなかった。

 

「・・あれは人を救うモノではないの・・マナブ、だから泣かないで・・・」
ボロボロと涙を流して戻ってきた俺を母さんは、そう慰めた。

そう言った母さんの顔は笑顔だった。
俺を安心させる笑み・・・・・でも、どこか違った・・・だから、俺は泣き続けた。

泣いている俺を母さんは撫でてくれた。

 

「マナブ・・・この子をお願いね。」
母さんが胸から出したモノは・・・

「・・にゃあ・・・」
先ほどの子猫。

「おかあ・・さん!」
俺はようやくこの単語を言えるようになった。

それを聞いた母さんは、ニッコリと微笑む。

子猫を俺は受け取ると母さんを見た。
母さんは笑顔のままだった・・・

 

「血で汚れるわ・・・
マナブ、お父さんを呼びに行きなさい・・・」

 

「おか・・あさん!・・おかあ・・さん!・・・おか・・あさん!」
ブンブンと首を振って俺はただ母さんを呼び続けた。

そんな俺を母さんは叱るのでもなく、優しく押した。

そしてニッコリと笑うと、道の向こうを指さした。

 

俺は・・・・母さんの心を感じた・・・・・だから、母さんが指さした方向に向かって走りだした。

そこに父さんが居ることを信じて、
母さんが間違ったことは一度もないのだからと、自分を納得させてながら。

例えようのない恐怖と闘いながら、俺は走った、走った、走り続けた。

 

母さんが走り出す前に言った言葉を心で繰り返しながら。

 

「・・・・守って上げてね・・・・マナブ・・・・」

 

「にゃおん・・・」

俺の腕の中で子猫が小さく鳴いた。

**********

マナブの心は次第、次第に浮き上がる。

それは走り、走り、父の元に辿り着いたとき、頂点を見る。



「がハッ!!!」
肺から全ての空気が抜けるような吐息を出して、
マナブの身体はバウンドした。

幸い両手両足はベルトで固定されていたので大事は無かったが、
その勢いは凄まじくベッドが軋んで悲鳴をあげていた。

「LーVirusの発症速度減退してます!急速にゼロに向かっています!!」
多分に喜びを含んだメルの声が医務室に響く。

その声をフィーアはおぼろげな意識のまま聞いていた。

(・・・・良かった。)

L−Virusの発症さえ抑えれば何の問題もない。

身体はほとんど動かない・・・・ただ、真っ青な唇の端に笑みが零れた。

**********

「う・・うん・・・・」
呻きと共に瞳が乾きを覚えて閉じられる。

シパシパと数回瞬きをするとマナブは意識を取り戻す。

「・・・ここは?・・・・またか・・・」
尋ねた質問の答えを自分で出して、マナブは顔をしかめた。

両手両足の拘束ベルトの感触がとても不快に思えた。
右腕にも注射針が入っているのだろう、微かな違和感を感じる。

 

「誰かいるのか?」
乾ききってしまった瞳は、マナブにしばしの盲目を強いた。

「います。大丈夫ですか?マナブ様。」
澄んだ綺麗な声がマナブの上でする。

「サライか?俺は・・・・」
言いかけた言葉を飲み込んでマナブは周囲の雰囲気の違和感に気付く。

前回も、いやいつも必ずこんな時に話しかけてくる者の声がしない。

 

「フィーアはどうした?」

マナブの言葉に周囲の雰囲気が張りつめる。

それを敏感に感じ取ったマナブはイヤな予感を覚えた。

 

「フィーアはいないのか?!!」
回りの景色が次第にぼやけてくる。
声を大きくしても誰からも答えが返ってこない。

焦りと不安と、視力の無さはマナブを興奮状態に持っていこうとする。

 

そんなマナブの耳に、掠れた声が聞こえる。

「マナブ・・・」

「フィーアか?」
マナブはその声に安堵のため息をついた。

「どうした??随分小さい声だな。風邪でも引いたのか?」
いつもの元気は無い掠れた声のフィーアにマナブは違和感を感じながらも、
その存在で安心していた。

だが、次にマナブの耳に届いたのは・・・・・

哀しい告白

 

「フィーアね・・・

今度はマナブの妹じゃなくて・・・・

マナブの恋人に生まれたいな・・・・・

ねぇ?

マナブ・・」

「おい・・何を言っているんだ?」
視界が完全じゃない苛立ちと、
漠然とした不安がマナブの声を上擦らせている。

 

「フィーアそう思って、

 

サヨナラしても良いよね?」

 

「フィーア!何をしている!!どうしたんだ!!!」
声のする右側を見てマナブが呼びかけるが返事は返ってこない。

視覚が急速に回復していく、
マナブの心が体を引っ張ったのだろうか?

 

「!!!!!」

そしてマナブは見える。

血の気の失せた白い肌は、
マナブにフィーアをまるで真っ白い生きた陶磁器に思わせた。

唇は真っ青で、微かな笑みが見え隠れする。

そして、マナブが驚きと共に見入ったのは、
フィーアの左腕から機械を介して自分の右腕に入り込んでいる真紅の液体。

マナブはフィーアの役割を知る。

 

マナブの視力が回復したことも、もうフィーアには分からない。

自分が根こそぎ持ち去られる感覚をフィーアは感じながら、マナブに伝えた。

 

深い海の色の唇から言葉が零れ出る。

 

「マナブ・・・・好きだよ。」

 

閉じたフィーアの瞼から、

最後の涙が溢れ落ち、

シーツを微かに濡らした。

 

マナブにはスローモーションでそれは見えた。

「フィーア?」

恐る恐るマナブはフィーアの名を呼んだ。

 

「おい・・・・おい!!フィーア!!!」
返ってこない返事にマナブは声を荒げた。
その心はイヤなどす黒いモノに覆い尽くされていく。

 

「フィーアぁ!!」
それは叫び。

マナブの呼びかけをフィーアは一度も無視したことは無い。

必ずあの羽のような髪をピョコピョコさせて、太陽のような笑顔と共に返事をするのだ。

 

「なあに?マナブ!!」

 

幾ら呼んでも今日だけは、フィーアは返事をしなかった。

そして、きっと明日も、明後日も・・・・・ずっとずっと先の日も。

フィーアの返事は無いのだろう。

 

「フィーアぁぁぁぁぁぁああ!!」
拘束されたベルト引きちぎる勢いでマナブがフィーアを呼んだ。

けれどもフィーアの瞳が開くことは、ついに無かった・・・


 

「フィーアを死なせたら、俺はおまえらを殺す!!!!!」

 

起きあがったマナブから質問を受ける前にサライが言った言葉を受けて発した、
マナブの第一声はこれだった。

 

「フィーアはあなたのL−Virusを抑える為の抗体血液を持った人間なのよ。
あなたが飲んでいた薬は全てフィーアの血液から造られたモノだったの。

フィーアはマナブ様、あなたの延命装置・・・・・

装置なんて言葉・・使いたくないけれども。」

サライは真っ直ぐにマナブを見てこう言ったのだ。

**********

 

「約束は出来ないわ。でも可能性はあるわ・・・輸血という。」
マナブの激昂を受けてもなお平然とサライは言う。

フィーアは医務室に残され、メルとヨウに造血剤を投与されている。
だがそれも焼け石に水・・・

・・・・フィーアがマナブに注ぎ込んだ想いと血はフィーアを十分死に至らせる量だった。

 

大量の失血によって、
フィーアの生命には重大な危機が訪れている。
だが、その治療法は至極簡単なことなのだ・・・輸血、それだけが彼女を救う手段。

 

「血だったら、俺のを使ってくれ!」
マナブがサライの言葉に直ぐに反応して言うが、
それをサライは頭を振って断る。

「マナブ様の今の血液はL−Virusが微弱ですが活動しています。
フィーアにそれを与えれば、ショック症状が起こり、フィーアに確実な死が訪れます。」

「まだ、L−Virusが、俺の中で・・」
マナブは自分の手を見つめながら呆然と呟いた。

それを見て、サライは平然とマナブの両足を指さして言う。

「マナブ様、脚の具合は如何ですか?
あなたは先ほど複雑骨折を起こしていたのですよ。

普通なら三ヶ月は診て貰わないと治らないほどの・・・」

「え・・・」
マナブが驚きに声も出せず自分の脚を見つめる。

服は着替えているから血が付いていないのはもちろんだが、
自分が立って歩いている今、何の痛みも感じられ無い。

 

「そう言うことです。」
サライはそう言うと、マナブに背を向けて歩き始めた。

「サライ!!」
マナブの叫びがサライの背中にぶつかって廊下に転がる。

 

「マナブ様、安心して下さい。血液はあります・・・」
扉の前で立ち止まり、顔を少しばかりマナブの方へ向けて、
サライは静かに言った。

そこに微笑みは無かったが・・・・・・
・・・頭が冷えてきたマナブにはその言葉を真実と見抜けるだけの理性が戻っていた。

「ミドリだな・・・」

深淵の中で思い出した記憶・・・・マナブはハッキリとその名を口にする。
サライはその名前に眉を一つ動かさなかったが、一瞬だけ瞳孔が拡大した。

マナブはその変化には気付かずに、ただ言葉をサライにぶつけた。
心のままに気持ちを、そして感情をぶつける。

 

「サライ・・・・
フィーアは妹じゃないんだ!

俺にとって大切な人間なんだ!!

だから・・・」

 

マナブの言葉にサライは動きを止めることは無かったが、
後ろで扉が閉まったとき、
その口元には、笑みが零れていた。

それは誰も見たことがない、極上の微笑。

 

**********

「・・・」

「フィーアちゃん?!」
メルの喜色を含んだ叫びにヨウが顔を向ける。

「どうした?」
点滴に薬を注入しながらヨウが尋ねる。

「今、フィーアちゃんが何か言ったような・・・・・・・気のせいね・・・」
変わらないフィーアの様子に落胆するメル。

「そんなこと言ってないで、急いで体温保持をしてくれ。
早くしないと体細胞が死んでしまうぞ。」
ヨウがテキパキと仕事をこなす姿に、
メルも慌てて自分の仕事に戻る。

「ご、ごめんなさい・・・」

そして、二人の注意がそれぞれの仕事に向けられたとき。

 

「・・・」

微かにフィーアの唇が動く。

 

(・・・マナブ・・・)

ほんの微かに。

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次回予告

雪の日に幸せの夢を見る少女

白についた紅の印は痛々しくも神々しい


こいつは誰だ!この組織なんだ?と言う疑問がある方は、
「神聖闘機L−seed」設定資料集にどうぞ。

人間関係どうなっているの?と言う疑問をお待ちの方は、
「神聖闘機L−seed」人物相関図にどうぞ。

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