そうびろ山(538m)、薬師峯(616.2m)、七種山(683m)、七種槍(577.3m)  
福崎町・夢前町・市川町         25000図=「前之庄」「寺前」

七種山山頂(10月22日撮影)

 七種山は、台風23号の風雨によって大きく荒れてしまった。稜線付近の荒れは特に著しく、根こそぎ倒れた樹木が折り重なって、山頂の標柱もその下じきになってしまった。どのくらいの期間で、もとの美しい山に戻るのか想像もつかない。

 この記録は、その台風が通過する以前のものである。




七種山系ぐるっと一周、そうびろ山から七種槍

 七種川の源流を取り囲むように乱立する七種の山々。その多くが自然林におおわれ、林道も谷間にとどまっている。この山域には、昔と変わらず深く豊かな自然が残されている。
 薬師峯、七種山、七種槍の三峰が七種三山と呼ばれているが、今回はこれにそうびろ山を加えて、七種山系をぐるっと一周歩いてみた。

そうびろ山へ

 早朝の青少年野外活動センターの庭先では、いくつかのグループが朝食をとったり登山準備をしたりしていた。初めは、ここから南西にそうびろ山を目ざした。
 そうびろ山は、七種山系の中では最も南に位置している。標高538mと高くはないが、南からはよく目立つ山体である。地元の登山愛好会によって作られた地図には、青少年野外活動センターから尾根沿いに山頂までのルートが描かれている。駐車場の南端に登山口らしきものがすぐに見つかったが、道はすぐに伐採地の中に消えた。
 軍手をつけて、早速のヤブコギが始まった。切り倒されたヒノキの上を越えたり、下をくぐったりしながら、真っ直ぐに斜面を上った。伐採地の上の雑木の中に分け入ってしばらく進むと、木の幹に巻きつけられた赤いビニールテープが目に入った。そこから、雑木の下のコシダの中に、踏み跡が現れた。
 踏み跡をたどって上った。辺りには、サカキ・ソヨゴ・リョウブなどの雑木が密集して生えている。時々、アカマツやコナラに少し太いものがあるが、ほとんどが細い。凝灰岩が風化してできた土壌に薄く覆われた斜面では、これが極相林なのかもしれない。
 ヒサカキは、小さな緑の実をつけ始めている。林内には朝陽が木々を透かして斜めに射し込み、振り返ると木立の間に奥池の湖面が光っていた。
 道は、かぼそいながらも尾根にずっと続いていた。時々、赤いビニールテープやもとはピンクや赤だったと思われるが白く色あせた古いビニールひもが灌木の幹に巻きつけられ、それらが登路を教えてくれた。

 そうびろ山の山頂には、タカノツメの木に山名プレートが1枚かかっていた。木々に囲まれて展望は開けないが、ホウノキの大きな葉の下に薬師峯の山頂が見えた。風にシキミの香が流れてきた。

そうびろ山の山頂から薬師峯を望む

薬師峯へ

 そうびろ山を西へ下った。アカガシの大きな木が立っていた。シキミの実の赤が際立っていた。小さなコブを一つ越えて、薬師峯の主尾根に達した。地面に落ち葉を引っかいた跡が続いていると思ったら、イノシシの大きなヌタ場があった。尾根の伐り開きは最小限で、野趣あふれる道に風が強かった。
 急な坂が長く続いた。休むのに適当な場所も見つからない。保水力の乏しい土は乾燥し、落ち葉もカラカラに縮れたり、細かく砕けていた。

薬師峯山頂の薬師如来

 薬師峯は、山名の由来となった薬師如来の石仏が迎えてくれた。緑色の火山礫凝灰岩でつくられた薬師の像は、石の祠に守れて、コケも生えずに美しい姿をとどめていた。登山者が捧げたのか、祭壇には金平糖とラムネがまつられていた。

 山頂は展望が開けていた。七種槍がすくっと天を突いている。七種山は大きく、この山系の盟主としての風格をもっている。七種川源頭の谷の上の急斜面には、七種神社が山の緑に埋もれるように立っている。七種の滝は、細い水の流れが数本見えるだけで、黒い岩壁のみが目立った。遠くに、笠形山・段ケ峰・暁晴山・雪彦山などの峰々がぼんやりと霞んでいた。

薬師峯から望む七種山 薬師峯から望む七種槍

七種山へ

 薬師峯山頂を後にして、さらに西へ進んだ。前方にときどき、明神山が現れた。谷を隔てて左前方に見える尾根は、切り立った岩壁が連続するすさまじい光景をつくっている。地獄鎌尾根と名づけられた尾根である。
 雑木の樹林帯を進む。ときどき、ミズナラやアカガシの大きな木があった。リョウブの黄葉が始まっていた。地獄鎌尾根と合流し、少し上るとCa.560mの十字峰と呼ばれているピークに達した。
 十字峰から北へは、Ca.580mピーク、Ca.600mとピークが並び、アップダウンがきつかった。右の谷間より、人の声が風に乗って上がってきた。やがて、スギやヒノキの植林地に入り、激登の末、次のCa.600mピークに立った。ここで方向を西へ変えて、町界尾根をそのまま進む。このあたりは地形があいまいで、何度も地形図を広げた。
 細く長く伸びたヒノキの木立のすき間から、右に七種山を見て、ぐるりと回りこむようにして歩くと、七種槍分岐に達した。

 七種山への最後の上りを、地表に表れたスギの根を踏みながら進んだ。傾きはじめた陽は、もうこの北面には当たらない。樹林には湿った空気が漂い、南からのコースとはまた違った趣きがあった。

 三角点を持たない七種山の山頂には、1本の標柱が立っている。笠形山や段ケ峰が、朝、薬師峯から見たときより近かった。雪彦山の岩壁は、斜光を浴びて陰影をより深くしていた。
 山頂を北東に10m程下ったところにつなぎ岩がある。大きな岩が真下にスッパリと割れ、40〜50cmのすき間が開いている。固定されたロープを利用して、岩の上に下りた。この上から、七種槍への稜線が眼下に見えた。

つなぎ岩 つなぎ岩の上より七種槍を見下ろす

七種槍へ、そして山を下る

七種槍稜線より七種山を振り返る

 山頂を北へ下り、七種槍分岐に戻る。ここから、雑木の中を激しい下りが続いた。1本のアカガシが、大量の落ち葉をその周囲に降らせていた。最低コルよりいくつものアップダウンを繰り返しながら、徐々に上っていく。そして最後の激登。岩を越え、雑木の根を踏んで、よじるように上った。カラスの乱舞にうるさく迎えられて、七種槍の山頂に立った。
 この鋭鋒の山頂は、周囲がぐるりと急傾斜で切れ落ち、ここに居るとここだけがぽっかりと浮かんでいるような気がする。三角点を中心とした小さな裸地を、アセビ・ソヨゴ・ネジキなどの灌木が取り囲んでいる。ヒカゲノツツジも混じっている。ヤマウルシの葉は赤く染まっている。それらの木々の上には水色のきれいな秋の空が丸く広がっていた。

 七種槍を南へ下った。続く岩尾根を歩くと、西にはそうびろ山・薬師峯・七種山とここまで歩いてきた山並みが逆光に沈んでいた。反対側の木々の幹には、私の影がとぎれとぎれに映って移動した。

七種薬師の夕暮れ 逆光のそうびろ山

山行日:2004年10月17日
青少年野外活動センター〜そうびろ山(538m)〜448mコル〜薬師峯(616.2m)〜十字峰(Ca.550m)〜Ca.580mピーク〜Ca.600mピーク〜Ca.600mピーク〜七種槍分岐〜七種山〜七種槍分岐〜552mピーク〜430mピーク〜七種槍(577.3m)〜393.4m三角点〜357mピーク〜Ca.340mピーク〜青少年野外活動センター
 青少年野外活動センターの駐車場南端から、山道が西へ上っている。しかし、すぐに伐採地に入りこの道は消える。他に、適当な登山口があるのかもしれない。伐採地を越え、雑木林に分け入ってしばらく進むと、尾根上に踏み跡が現れた。地元の登山愛好会によってつけられた道だろうか。
 この道を上って、そうびろ山の山頂へ。そうびろ山から、さらに西へ進むとCa.490m町界尾根に合流する。
 町界尾根上の道を歩いて薬師峯を越え、さらに七種山をめざす。道は、町界尾根に忠実につけられている。七種山の山頂北の七種槍分岐で町界尾根を離れて七種山へ。
 七種山からこの分岐に戻り、再び町界尾根を進む。七種槍を越えて、送電線鉄塔の次のピークから青少年野外活動センターに下った。全9時間の行程であった(岩石の観察、サンプリングの時間を含む)。
■山頂の岩石■ 白亜紀 七種山層 流紋岩質溶結火山礫凝灰岩

 七種山系には、後期白亜紀の七種山層が広く分布している。この地層は、主にカルデラ内に堆積した火砕流堆積物から成り、67.1±2.3Maの年代値が得られている(5万分の1地質図幅「山崎地域の地質」産総研地質調査総合センター 2002年)。

 そうびろ山の山頂付近の岩石は、流紋岩質溶結火山礫凝灰岩である。褐色で、石英・長石・黒雲母の結晶片を多く含んでいる。軽石が押しつぶされ、火山ガラスが細長く伸びた溶結構造が肉眼でも明瞭に認められる。黒色頁岩などの小さな異質岩片を少量含んでいる。

 薬師峯の山頂付近は、石英・長石の結晶片を多く含んだ流紋岩質溶結火山礫凝灰岩である。山頂の岩石は不均質で、紫色を帯びていたり、赤褐色であったりする。赤褐色の部分では、石英の表面や岩石の割れ目も赤く、鉄の酸化物が付着しているように見える。溶結構造は、明瞭である。

 薬師峯については、こちらも参考にして下さい。
 七種山については、こちらを参考にして下さい。
 七種槍については、こちらを参考にして下さい。

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