薬 師 ノ 峯    (616m)            夢前町・福崎町     25000図=「前之庄」
峻険の岩稜を越えて、薬師ノ峯へ
 
薬師ノ峯を帰路から振り返る
 急斜面は杉の植林地から雑木林に変わった。かすかな踏み跡を辿り、さらに登っていくと稜線に達した。稜線上の踏み跡も左右から灌木の枝が張り出し、足下のウラジロは、やがて背丈ぐらいに大きくなって視界をさえぎった。ウラジロや灌木の枝葉をかき分け、あえぎながら進んでいった。蒸し暑い気候のせいか、それとも朝食をしっかり食べてこなかったせいか、早くも今日は息が切れてしまった。

 そのとき、突然視界が大きく開けた。雑木林を抜けだし、その先の岩盤の上に出たのである。目の前には、薬師ノ峯南面がどっしりと大きく立ちはだかっている。スカイラインを区切る町界尾根は、緩やかに起伏を繰り返している。中央稜は、初めは緩やかに伸び、やがて角度を増してせり上がり、そのまま山頂に達している。山頂に向かって収斂していく幾筋かの稜線とその間の深い谷……。偉大でしかも峻険な薬師ノ峯の姿を前にして、汗が入って痛む目をこすりながら、私はしばらく立ちすくんでいた。晴れてはいるが、水蒸気でほとんど飽和した空気は、山の緑に淡く白いベールをかぶせている。空気が止まっているのか、白いベールのかすかな濃淡は、なかなか動こうとはしなかった。
 七種三山のひとつに数えられている薬師ノ峯は、七種山塊の南に位置している。このため、播州平野からはよく目立ち、両肩をもつ山の字形の山頂の姿が印象的な山である。播州に雪が降るときは、この山の頂き付近から白くなり始める。山頂の祠に薬師如来の石像が祀られていることから、多田繁次氏はその著書で「七種薬師」と仮に呼んだ。その後、この名前が一般的になったが、島田一志氏は薬師如来は前之庄村が祀ったものであること(七種は福崎側の地名)や、明治26年の『播磨名所図絵』に「明王寺薬師ノ峯」と書かれていることから、山名として「薬師ノ峯」がふさわしいとした(『山であそぼっ』)。

薬師ノ峯への岩稜
 初めの岩稜を過ぎ、やせ尾根の灌木の中の切り開きを進むと、急傾斜で立ちはだかる大きな岩盤の下に出た。この岩盤は、いくつかの方向に多くの割れ目が走り、岩石が板状に割れている。ハンマーで叩くとカンカンと鋭い音のする硬い岩石である。基質は褐色、その中に変質した斜長石の白い結晶と黒い黒雲母や角閃石、それにわずかな石英の結晶が入っている。そして溶結構造を示す薄く引き延ばされた軽石(火山ガラス)のレンズが無数に入っている。これは、今から7000万年前〜8000万年前の火山活動によって生じた火山灰を主とする火砕流堆積物が冷え固まってできた溶結凝灰岩である。岩体に無数に走る割れ目は、火砕流堆積物が冷え固まるときの収縮によってできた節理である。節理に沿って岩石は細かく割れ、その凹凸のおかげで、急傾斜にもかかわらず容易に登ることができた。ここからが地形図のがけの記号で表された岩稜が始まる。岩は絶壁となって、多田繁次氏が「薬師のカール」と呼んだ中央稜との間の谷に、まっすぐ落ちている。地元で「赤岩」と呼ばれているこの崖の左には灌木の中の踏み跡があった。

山頂の薬師如来
 この絶壁の稜線を越え、その先の十字峰を過ぎ、東に頂上をめざした。そこが頂上かと思って踏み跡を登ると、その先に、まだ高みがある。そんなことを数回繰り返しながら、ようやく山頂に辿り着いた。ソヨゴ、ミズナラ、ウラジロノキ、モチツツジなどの雑木の下のわずかな裸地に三角点が埋まっている。この山を象徴する薬師如来の石像は、山頂のすぐ下の簡素な石の祠の中に座っていた。私は、途中で手折ってきたシキミの小枝をこの石像の前のコップにさした。水を差すことができたらよかったが、自分が飲むお茶さえもう一滴もない。柔和な表情で微笑んで佇む薬師如来像を前に、この山といにしえの人々とのつながりに思いを馳せた。

山行日:2001年7月1日

山 歩 き の 記 録
行き:三枝草「宝積院」〜明王寺川上流のため池〜377mピーク〜550m+十字峰〜薬師ノ峯山頂
帰り:薬師ノ峯山頂〜448mコル〜436mピーク〜397.3m三角点〜板坂峠〜三枝草「宝積院」
 夢前町三枝草(さえぐさ)の宝積院の下に車を止め、明王寺川の流れる谷を北へ歩く。鶏舎、牛舎の並ぶ中を進んでいくが、きつい臭いに覚悟が必要。126mの三叉路を左に折れ、牛達の静かな目に見送られて歩くと、堰堤にせき止められた池に出る。池の西岸をそのまま進むと、池の奥で雑木林がスギの植林地に変わる。下草がほとんどないこの植林地の斜面を東へ登っていった。尾根の近くで、植林地は自然林に変わる。ブッシュの中を、踏み跡らしきものを探しながら、やや北へ方向を変えながら登ると尾根に出た。地形図370m+の岩の記号の地点で、初めて視界が開ける。377mピークを越すと、「赤岩(地形図がけ記号)」の取り付きの急崖の前に出る。この崖は、節理に沿った割れ目による凹凸が多数あるので容易に登ることができる。赤岩は東の谷にほぼ垂直に落ちているが、崖のすこし左の灌木の中に踏み跡があり、ここを登っていく。
 尾根が十字に交わる550m+ピークのやや手前に、「十字峰 七種薬師南東へ至る」とマジックで書かれた赤い三角形のプレートが掛かっていた。判然としない踏み跡を、コンパスを頼りに下っていくと、はっきりとした尾根となった。小さなコルとピークをいくつか越えて町界尾根を上っていくと、薬師ノ峯の山頂に達した。
 下山は、町界尾根を南へ下り板坂峠をめざす。町界の切り開きは、明らかであったり、あいまいで消えかかっていたりしている。落ち葉の径に残る足跡は、イノシシのものらしい。途中、何ヶ所かイノシシのヌタ場があった。ついさっきまでいたかのような、生々しさだ。このルートは、数カ所、尾根が広がったり分岐したりしているので、コンパスで方向を確かめながら進まなくてはならない。雑木に阻まれ、見通しはほとんどきかない。397.3mの三角点の少し先で、道を誤った。灌木とコシダを強引に漕いで、町界の尾根に戻った。300m+コルから、進路を南に変えて斜面を下っていくと、数体の石仏が待つ板坂峠に降り着いた。
   ■山頂の岩石     白亜紀 生野層群下部累層 流紋岩質溶結凝灰岩

溶結凝灰岩に発達する板状節理
(赤岩の取り付きの岩盤)
 七種の山々から明神山、雪彦山にかけて、白亜紀の生野層群下部累層が広く分布している。薬師ノ峯も、この生野層群下部累層の主岩相である流紋岩質溶結凝灰岩でできている。
 赤岩の岩石は、褐色の基質に1mm程度の白く変質した斜長石、黒色の黒雲母、角閃石の結晶が含まれている。ここでは、石英の結晶は小さくて少ない。これに、長さ1cm、厚さ1mm程度の溶結構造を示す黒色のレンズが多数入っている。これは、火山ガラスより成る軽石がレンズ状に押しつぶされたものである。また、節理が非常に発達し、写真のように板状に割れている。節理の方向は、いくつかあって、お互いに斜交している。溶結構造の方向と節理の方向も、大きく斜交している。
 薬師ノ峯の山頂の岩石は、上とはやや岩相が異なる。石英の結晶片を多く含み、溶結構造を示すレンズは長さ5cm厚さ1cm程度と大きい。

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