神河町の石の塔 (神河町) 1.行者山に立つ石の塔 map1 石の塔は人がほとんど足を踏み入れない険しい山の中にありながらも、古くから人々の目を惹いてきました。 「神河町歴史文化基本構想 資料編(2017 神河町教育委員会)」に、次のように記されています。 『安政4年(1775)の絵図に記載のある奇岩。溶結凝灰岩で、神崎郡誌には「粟賀村中村字石塚にあり。高さ1丈5尺、人工を加えずして自ら五重塔の形をなしてゐるので有名になった」と紹介されている。』 2010年に、地元の人たちによって登山道がつくられましたが、2022年に訪れたときにはその道はほぼ消えかかっていました。 石の塔までの道については、「険しいガレ場を経て石の塔から行者山へ」を参考にして下さい。
2.石の塔はどのようにしてできたか 標高485m、石の塔は両側が切れ落ちた絶壁の上に立っています。 四角く割れた岩が縦に重なっていて、まるでだるま落としのようです。小さめの岩が3つ4つ重なって地面に根を下ろし、その上に大きな岩が3つ乗っています。 一番下の大きな岩が一方に飛び出していますが、絶妙のバランスを保って立っているのです。 この岩の造形は、どのようにしてできたのでしょうか。
岩は、白亜紀後期の溶結(火山礫)凝灰岩でできています。溶結凝灰岩とは、火砕流で流れてきた火山灰や軽石などが、堆積したあとに熱によって融け、自重で圧縮されてできた岩石です。 熱かった岩石が冷えるときには、体積が減るために節理(割れ目)が生じます。このようにしてできる節理を冷却節理と言います。 溶結凝灰岩の冷却節理は、冷えるときの条件によって柱状節理になったり板状節理となったりします。たとえば、同じく神河町の障子岩は柱状節理、丹波市石戸山の丹波鉄平石は板状節理です。 これ以外に、節理が縦に2方向、横に1方向生じると、岩石が四角く割れます。このような節理を方丈節理といいます。方丈節理は、花崗岩などによくできる節理ですが、溶結凝灰岩にもできることがあります。 石の塔に見られる節理は、この方丈節理です。 岩石は節理に沿って風化が進み、そこから割れ落ちていきます。石の塔は、周囲の岩石が割れ落ちてそこだけが塔のように残ったと考えられます。 石の塔は、周囲より節理が荒かったり、岩石の強度が大きかったのかもしれません。さらに、一つひとつの岩石が絶妙のバランスで縦に並んでいたのです。
3.石の塔をつくる岩石 石の塔をつくっている岩石を観察しました。 岩の表面に、細長い穴がほぼ同じ方向を向いて並んでいるところがあります。溶結凝灰岩では、火砕流にふくまれていた軽石が、熱と重さによって押しつぶされてレンズ状に伸びています。この細長い穴は、レンズ状になった軽石が風化によって抜け落ちた跡です。 石の塔の周辺には、割れ落ちた岩石がいくつも転がっているので、その中の一つをハンマーでたたき、新鮮な面を出しました。薄い褐色の、とても硬い岩石です。 岩石の中には、無色透明でガラスのように光っている石英の結晶が目立ちます。白い長石(斜長石とカリ長石)の結晶も多く入っています。また、黒雲母と普通角閃石の結晶や、流紋岩や頁岩などの岩石片もふくまれています。
■岩石地質■ 白亜紀後期 笠形山層 溶結火山礫凝灰岩 |