播磨国風土記 十四丘伝説の山々 姫路市 25000図=「姫路北部」「姫路南部」 |
その3 船越山・秩父山・神子岡山 |
5、匣丘(くしげおか) 現.船越山(61m) あるいは 鬢櫛山(200.3m) |
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八丈岩山から望む船越山の三峰
左から西山、マンションをはさんで中央に船越山、右に秩父山 |
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秩父山山頂
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船越山山頂から秩父山を望む
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西山山頂付近
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梳匣(くしげ)が落ちたところは、「匣丘」と名づけられた。梳匣とは、古代の女性が櫛(くし)や髪飾りを入れていた箱である。「匣丘」は、下手野の船越山(地形図 舟越山)あるいは、東蒲田の鬢櫛山(びんぐしやま)に比定されている。
国道2号線を東へ進み、夢前川を渡ると、左手に小さな丘が三つ並んでいるのが見える。これらの丘は、西から秩父山、船越山、西山と呼ばれ、三峰を総称して船越山という。
西端の秩父山と中央の船越山は、緑の鞍部でつながっているが、東端の西山は船越山との間のマンションによって断ち切られている。
八丈岩山から見ると、秩父山から船越山への山形が、波間に舳先を上げて浮かぶ小舟のように見える。船越山の名も、この山の古名である岩船山の名も、この山の姿に由来すると考えてもおかしくない。
西から東へ、秩父山、船越山、西山とつないで歩いた。秩父山の南麓には、船越神社のコンクリートの社殿が、削られた凝灰岩の岩盤に張り付くようにして建てられている。船越神社の上のゆるやかな斜面には、金毘羅宮が立ち、その左脇からの小道を上ると、秩父山の山頂に達した。
秩父山の丸い山頂は枯れかかったササに覆われ、コナラ、アベマキ、クスノキがまばらに立っていた。山頂のすぐ下には、小規模な採石跡だろうか岩盤の削り取られた跡があった。
秩父山の北面は、急斜面である。その斜面を東へ下りる小道があった。ヤツデやシュロなどが生えた湿った径から、船越山との間の鞍部に出た。鞍部には東屋があり、そこから船越山の山頂までは真っ直ぐに遊歩道がついている。カナメモチは、まだ赤い実をつけていた。コンクリートの切り株の椅子が埋められた船越山の山頂からは、展望が開けている。蛤山の左奥には書写山が見えた。道は、山頂から細くなって東の住宅街まで続いていた。
西山へは、マンション南の駐車場裏からとりついた。道はない。ヤブをこいで達した山頂もヤブの中だった。そのまま東へ進み、送電線の巡視路に飛び出した。船越三峰の小さな小さな縦走であった。
「匣丘」のもう一つの比定地である鬢櫛山は、船越山の南に国道をはさんで相対している。「十四丘」の他の丘と比べると、ずいぶん大きい山塊である。(「キアゲハ、アオスジアゲハ舞う風土記の丘 鬢櫛山」へ)
「匣丘」は、鬢櫛山なのか、それとも船越山なのか。船越山も、一名「ビングシ山」というと記された出版物もあるが、山名からは鬢櫛山に分がある。しかし、山の位置や大きさを他の丘と調和させて考えると、船越山がふさわしいのかもしれない。
船越三峰をつくる岩石は、流紋岩、凝灰岩、頁岩、チャートなどの岩片を多量に含む流紋岩質凝灰岩である。ふくまれている岩片の量や大きさに、変化が見られる。
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6、箕形丘(みかたおか) 現.秩父山(新在家 約20m) |
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秩父山
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秩父山のチャート
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箕が落ちたところは、「箕形丘」と名づけられた(割注では「箕丘」となっている)。「箕形丘」は、男山と名古山を結んだ線のほぼ中央に位置する新在家の秩父山に比定されている。しかし、出版物によっては、上の船越山三峰の西端の秩父山があてられ、多少混乱している。
新在家の秩父山は、そのほとんどが削り取られて、今は低く小さな高まりが城西小学校の南東にわずかに残るのみである。残された部分も平坦にならされ、家や庭や畑になっている。その中の一軒の家にお願いして、敷地内の岩盤を見せてもらった。二人の小さな男の子が、「こっちの方に崖があるでぇ。」と、案内してくれた。「ぼくなあ、ぼくも石持っとうでぇ。篠山の石や、どっかの火山の石や……。」家族で旅行したときのことなど、いろいろな話をしてくれた。
その子に教えてもらったその小さな崖は、著しい風化によって赤くもろくなっているが、ハンマーで叩いて調べてみるとチャートであった。丹波帯にあたるチャートが、ここでも沖積層の中から飛び出しているのである。
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7、甕丘(みかおか) 現.神子岡山(38m) |
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名古山から神子岡山を望む
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神子岡山のリュウノウギク
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姫路測候所を見上げる |
甕(みか)の落ちたところは、「甕丘」と名づけられた。甕とは瓶(かめ)のことである。「甕丘」は、今宿の神子岡山(みこおかやま)に比定されている。甕丘(みかおか)から、神子岡(みこおか)に転訛したものと考えられるからである。
名古山の南に位置し、山上に測候所が立っている小丘が神子岡山である。山頂は平坦に削り取られ、北西は大型店舗「ザ・モール姫路」に接している。もとは、もう少し大きく高かったのであろう。別名、面白山とも呼ばれている。
山上の姫路測候所および面白山児童センターまでは、車道が通じている。山上まで歩いて上れないかと、南麓を歩いてみたが、崖やネットにはばまれて、適当なとりつき口がなかった。南麓の細い道は、旧山陽道。16.0mの水準点がある。
民家の間から、神子岡山を仰いだ。山の斜面のところどころに、リュウノウギク(おそらくはリュウノウギク、ノジギクかも知れない)が群れ咲いていた。
麓の崖で、風化の著しい頁岩が観察された。
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