播磨国風土記 十四丘伝説の山々 姫路市 25000図=「姫路北部」「姫路南部」 |
その4 稲岡山・冑山 |
8、稲牟礼丘(いなむれおか) 現.稲岡山(68.3m) |
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稲岡山 |
稲岡神社 |
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稲岡山の雑木林
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稲岡山山頂
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稲が落ちたところは、「稲牟礼丘」と名づけられた(割注では「稲岡」となっている)。「稲牟礼丘」は、青山の稲岡に比定されている。
稲岡山は、十四丘に比定されている10座のうちもっとも西に位置し、唯一、夢前川の西にある。国道2号線の夢前橋を渡り、播州信金前を北に折れて大きな石の鳥居をくぐると、稲岡神社に出る。正面には、注連縄で飾られた本殿が重厚に鎮座している。左の金比羅神社は、旧本殿が転用されたもので、天井には延宝3年の「神馬図絵馬」、文政13年の「お陰参り絵馬(複製)」などが掛かっている。
金比羅神社の左手から、道が稲岡山に上っていた。ここは、姫路市の自然緑地保護地区に指定され、「稲岡山ハイキングコース」の標柱も立っている。大きな木はないが、多様な樹木が明るい雑木林をつくっていた。クリやアベマキは枯葉を地面に落とし、ヒノキ、アラカシ、ヤブツバキ、カクレミノ、ヤブニッケイ、アオキ、サカキ、カナメモチなどの常緑樹の葉は、冬の穏やかな陽光を透かしていた。地面には、ヒトツバやベニシダが生えている。
標高わずか68mの小山である。すぐに山頂にたどり着く。ゴツゴツした凝灰岩の岩盤でできた山頂には、何のいわれがあるのだろうか「青山八景南海漂船」と彫られた石柱が立っていた。木々に囲まれて露出する岩石、開ける眺望……思いのほか、山頂らしい山頂であった。
夢前川を隔てて、東に姫路の市街地が広がっている。すぐ下には、船越山の舟形が街並みに浮かんでいた。八丈岩山は手前の蛤山に隠れながらも、その右に山頂をのぞかせていた。火明命が残された八丈岩山からは、船の積荷が流れ着いた十四丘のうち比定された10座のすべてが見えるのである。
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9、冑丘(かぶとおか) 現.冑山(36m) |
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冑山
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冑山神社
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冑(かぶと)が落ちたところは、「冑丘」と名づけられた。「冑丘」は、西延末の冑山に比定されている。八丈岩山から冑山は、手柄山に背後から覆われるようにして、三菱電機工場の陰にわずかに小さく見える。
南から冑山に向かった。前には、市街地にわずかに残された田んぼの中を姫新線の電車がのどかに走る。すぐ後を、ときどき新幹線が走り抜ける。麓から、山上の冑山神社まで真っ直ぐに石段が上っている。石段から後を振り返ると、真正面に手柄山が大きく立っていた。
冑山神社は、姫路城主本田忠国によって城の裏鬼門にあたる冑山に建立され、代々城主に尊信されてきた。後から上ってきた若い二人連れが、神社に手を合わせて下りていった。
冑山は、帯褐灰色の頁岩からできている。幅1mm程度の細かい葉理が発達し、それと平行にうすくはがれる。沖積層の中から、古い丹波帯の岩石が丘となって顔をのぞかせているのである。
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