鬢櫛山(200.3m)    姫路市    25000図=「姫路北部」「姫路南部」


キアゲハ、アオスジアゲハ舞う風土記の丘

鬢櫛山を南の稜線より振り返る

 姫路市を流れる夢前川の左岸に、南北に伸びる山並みがある。この山並みの最高点(標高200.3m)が、鬢櫛山(びんぐしやま)である。
 鬢櫛山は、「播磨国風土記」の「匣丘(くしげおか)」に比定されている(鬢櫛山の北に相対している船越山を「匣丘」とする説もある)。

 大汝命(おおなむちのみこと)は船を因達の神山につけるとその子、火明命(ほあかりのみこと)に山に湧く清水を汲みにやり、まだ帰ってこない間に船出してしまう。我が子のふるまいが凶暴なのにすっかり手を焼いていたので、この機会に子を捨てたのである。捨てられたと気づいた火明命は怒って嵐を起こし、去っていく父の船を巻き込んでついに難破させてしまった。そのとき、船の積み荷が落ちて十四の丘になった。このとき、船に積んでいた匣(くしげ、櫛箱)の落ちたところが匣丘(くしげおか)である。

 秋の日の午後、この山並みを北から南へ、鬢櫛山、苫編山(標高165.8m)、山崎山(標高86m)と縦走した。

 地形図には、琴丘高校から破線路がついている。校門まで行ったが、ハンマーを腰に下げたこんな格好で校内に入れば、どう見ても不審者だ。
 校門で引き返し、北の小山をぐるっと回り込んで、高岡新町の送電線下の階段から山に入った。送電線の巡視路を利用して尾根に上り、少し進むと凝灰岩の大きな岩の上に出た。
 ここは、姫路の街並みが一望できる絶好の展望所だった。目の前には、かすかに色づきだした186mピークがそびえていた。

秋の空とコナラのドングリ

 尾根の小道には、コナラのドングリがいっぱい落ちていた。186mピークを越え、その先のコルから登り返して、次の小ピークに立つと、鬢櫛山の頂上はもう近かった。

 標高200.3m、真白い花こう岩でできた三角点は、鬢櫛山の山頂にひそかに座っていた。

 周囲はぐるりとコナラの木に囲まれ、これまで見えていた山頂下の送電線鉄塔と反射板は視界から消えた。コナラの下には、ヤマハギがピンクの小さな花を付けていた。
 三角点横の石に腰を落として青い空を仰ぐと、キアゲハとアオスジアゲハが優雅に舞った。ふもとの市街地から絶えず車の音が聞こえてきたが、この山頂には昔から変わらない空間があった。

鬢櫛山頂上

 鬢櫛山から、この山並みの主尾根をさらに南へ進んだ。尾根道には、分岐がいくつもあって、そのたびに地形図で位置を確認した。
 低い山並みであるが、それでも循環器病センター上のコルから見た157mピークは、高くそびえて見えた。
 鉄塔下の157mピークで、進路を大きく西に変えた。ここからしばらくは高原状で、笹の中にススキの穂が揺れていた。

 峠道が交差するコルから急な坂を上り詰めたところが、165.8mのピーク苫編山だった。三角点の標石を探したが、反射板を囲む金網の中にあるのか見つからなかった。
 反射板の横からは、東に広がる姫路平野が一望できた。仁寿山の向こうには、白くかすんだ高御位山が見えた。

 さらに主尾根を南西へ進んだ。81mピークに分岐があり「至富士見ヶ丘登山口700m、至山崎登山口900m」の道標があった。今日唯一の道標だった。鉄塔の立つピークを越し、最後のピーク山崎山(86m)に達した。

 4時間近くの山歩きだった。予想外に疲れたのは、人間ドックで血を抜かれたためか、それとも腹のバリウムが重たかったのかもしれない。

山行日:1999年10月6日
姫路医師会病院駐車場〜高岡新町送電線下階段〜186mピーク〜鬢櫛山(200.8m)〜157mピーク〜苫編山(165.8m)〜81mピーク〜山崎山(86m)〜亀山本徳寺
 人間ドックの午後、姫路医師会病院に車を置いたまま鬢櫛山に向かった。高岡新町の送電線下の階段から山に入った。送電線の巡視路をほぼ南に進むと、標高120mの高さで尾根に出た。
 尾根には、明瞭な道が続いていた。ここから、この山並みの主尾根を南へずっと進んだ。鬢櫛山、苫編山を越えて山崎山(86m)に達した。山崎山から、亀山本徳寺に下った。
 英賀保駅まで歩き、JRで姫路駅へ。姫新線に乗り換え、播磨高岡駅で下車した。そこから、少し歩けば車を止めておいた姫路医師会病院であった。

山頂の岩石 白亜紀  相生層群伊勢累層  流紋岩質溶結凝灰岩
186mピークとその南斜面
 山体全体が相生層群伊勢累層に属する。鬢櫛山の山頂では鉄塔の下に好露頭があり、岩片を多く含んだ溶結凝灰岩が露出していた。
 岩片の種類は砂岩・チャート・黒色泥岩・同質流紋岩で、径数mm〜10cmの大きさである。
 岩石の表面をよく見ると、長さ1〜5cm程度の薄いレンズが観察される。これは押しつぶされた軽石が粘土鉱物に変質したもので、このことから溶結凝灰岩であることが分かる。
 鬢櫛山山頂手前から振り返ると、186mピーク南側斜面の切り立った崖がよく見えた。その下には、崖から落ちた岩石が積もっていた。そこは採石場跡で、姫路城築城時の石材はこの山からも採ったという。


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