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Museo della Civilta Romana
かつて、テヴェレ川の近くに建設した都市、建国の王の名前をとった都市はやがてヨーロッパ各地にその領土を広げていった。その都市の名はローマ。
そこの最高機関である元老院は、このような言葉で幕をあける。
「建国の父たちならびに新しく参加した諸君」
ローマ帝国を歴史上のありとあらゆる国家と一線をかくしたもうことは、あるローマの将軍の言葉に集約される
「ローマ人の伝統は、敗者さえも許容するところにある。ザマで敗れたハンニバルへの対処の仕方が、それを如実に示している。敗者の絶滅は、ローマ人のやり方ではない
武装した敵に対しては武装した心で対するしかないが、武装を解いた敗者に対しては、こちらも武装を解いた心で対するのが、これまでは常にわれわれのやり方であった。ゆえに、今回もそれを踏襲するのが、ローマから軍勢を任された私の任務である。」
更に、
「敗者さえも同化する、それがローマの強大化に寄与した。」
2000年も前に唯一、ヨーロッパに統一国家を造り、その治世方針において、近代国家の植民地政策よりも寛大で、ありとあらゆる身分から最高権力者を出し、その法律は現代国家の我々にも影響を与えている。
領土においては北はイングランドから南は北アフリカの砂漠の手前まで西はイベリア半島から、東は現在のイラクまで、かつてローマ帝国の領土下に入っていた国家は40カ国近くに上る。

イスタンブルの金角湾とエフェソスの遺跡:撮影Alglory

*タイトルの意味は日本語で「ローマ文明博物館」という意味です。この名前の施設はイタリアにあります。

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