ローマ帝国人物、名迷言集

共和政

 
フラミニヌス(ローマの将軍、ギリシア・マケドニア方面軍司令官)
 
「ローマ人の伝統は、敗者さえも許容するところにある。ザマで敗れたハンニバルへの対処の仕方が、それを如実に示している。
敗者の絶滅は、ローマ人のやり方ではない。武装した敵に対しては武装した心で対するしかないが、武装を解いた敗者に対しては、こちらも武装を解いた心で対するのが、これまでは常にわれわれのやり方であった。ゆえに、今回もそれを踏襲するのが、ローマから軍勢を任された私の任務である。」
 
 
スキピオ・アエミリアヌス(カルタゴを陥落させた、ローマの将軍)
 
カルタゴ陥落に際して
「いずれはトロイも、王プリアモスと彼に続く全ての戦士たちと共に滅びるであろう。」
「ポリビウス、今われわれは、かつては栄華を誇った帝国の滅亡という、偉大なる瞬間に立ち会っている。だが、この今、私の胸を占めているのは勝者の喜びではない。いつかは我がローマも、これと同じときを迎えるであろうという哀愁なのだ。」
 
 
コルネリア・グラックス(スキピオ・アエミリアヌスの娘にしてグラックス兄弟の母)
 
「子は、母の胎内で育つだけではなく、母親のとりしきる食卓の会話でも育つ。」
 
 
スラ(ローマ最初の終身独裁官)
 
スラが生前考えておいたという墓碑の碑文。
「味方にとっては、スラ以上に良きことをした者はなく、敵にとっては、スラ以上に悪しきことした者はなし。」
 
 
ユリウス・カエサル(ローマ史上最高の英雄)
 
「文章は、用いる言葉の選択で決まる。日常使われない言葉や仲間うちでしか通用しない表現は船が暗礁を避けるのと同じで避けなければならない。」
 
「人間なら誰にでも、現実の全てが見えるわけでもない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ない。」
 
「剣を使わずに思慮で勝つのも、総司令官の力量ではないか」

 

帝政

 
アウグストゥス(ローマ帝国初代皇帝)
 
「私はレンガのローマを大理石のローマに変えた」
 
「拍手を送ってくれ,人生という喜劇を演じ終えた私に」
 
 
ティベリウス(ローマ帝国第2代皇帝)
 
「あなた方は羊を殺して肉を食すよりも毛を刈り取る対象として考えるべきである。」
 
 
ウェスパシアヌス(ローマ帝国第9代皇帝)
 
「皇帝は立ったまま死ぬべきである。」
 
 
トラヤヌス帝(ローマ帝国第13代皇帝にして五賢帝の一人)
 
ドミティアヌス帝を評して 
「ドミティアヌスは悪しき人物だったが、立派な友人を持っていた。」
 
晩年の大遠征でペルシア湾まで到達して 
「あぁ、余がもっと若ければ、アレクサンドロス大王のようにインドまで行けるものを。」
 
小プリニウスが出した手紙に対する返答。
・キリスト教信者への対処指針
 「署名のない密告状が提出されたら、いかなる犯罪の追求も一切顧慮すべきではない。密告状の如きものは、最も悪い先例となるし、  しかも我々の時代の精神にそぐわないからである。」
・不敬罪の訴訟についての指針
 「私の名前に対する畏敬の念は、世間の人を怖がらせ脅かし、あるいは不敬罪で告発して得られるものではないというのが私の信念で あることは、そなたが一番よく知っているはずである。」
 
 
タキトゥス(帝政時代のローマ史家)
 
「最高権力者ともなれば、すでに多くの特典を享受しているものだが、ある一つのことだけは死ぬまで追求しつづけねばならない。それは、自分自身の良き思い出を遺すことである。名声を軽蔑するものは、ヴィルトゥス(徳)を軽蔑するものになる。」
 
 
アントニヌス・ピウス帝(ローマ帝国第14代皇帝にして五賢帝の一人)
 
夫アントニヌス・ピウスのケチぶりを妻が攻めたてたときに対しての返答
「愚か者だね、おまえも。帝国の主になった今は、以前に所有していたものの主でさえもなくなったということだ。」
 
「国家の所有に帰すべき資産を必要に迫られているわけでもないのに消費するほど、さもしくも卑しい行為はない。」
 
 
ディオクレティアヌス(後期帝政のローマ皇帝)
 
「もしこのサロナにおいて、私が手作りのキャベツをお目にかけることさえできれば、いくら君でも、もう二度とこの楽しみを棄てて権力をもとめよなどと勧める気にはなるまい。」
 
 
東ローマ帝国
 
ヘラクレイオス(ヘラクレイオス朝の創始者)
 
イスラム帝国のシリア・パレスティナ侵攻に対して衝撃を受け、病倒れた時の言葉
「シリアよさらばなんと素晴しい国を敵に渡すことか」
 
マヌエル2世パレオロゴス(パレオロゴス朝の皇帝)
 
イスラム勢力(トルコ)の小アジア侵攻に対して 
「ムハンマドが新たに何をもたらしたのかを教えてほしい。自らの説く信仰を剣で布教しろという命令など、邪悪で残酷なものしかない」
 
コンスタンティヌス11世パレオログス(最後の東ローマ帝国皇帝)
 
コンスタンティノポリスの攻防戦の中、侵入したオスマン=トルコ軍との乱戦のさなかで最後に叫んだ言葉。
「だれか、私の首をはねるキリスト教徒はおらぬのか」
 
 
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