わしは、世の中で何か論争になりそうなことが起きると、新聞各紙を読む(最近はネットでだが)。目的は、各紙読み比べて、朝日新聞のアホさ加減を嘲笑って楽しむためである。今回のネタは「成人式」。大朝日、期待に違わぬ「人権派」ぶりを見せてくれた。
讀賣ジャイアンツ新聞は、論評らしきものをしてたが、何言いたいのかわからんかった。まあ、ここはスポーツ・芸能紙だから関係ないか。
毎日は社説で、産経は「産経抄」で当然の激怒。特に産経抄は、天声人語の翌日に、まさに朝日への当てつけのような主張。
その大朝日の「天声人語」は、なんと「新旧の成人が、成人式の必要性について話し合うところから始めなければ」
とおおぼけの主張。「聞く気がないなら会場に来るな」という意見には「三分程度の理」しかないそうである。おまけに読者投稿欄で「成人のニーズに合っていない成人式が問題では」との主張を載せる念の入れよう(若者を断罪する投稿はもちろん載っていない)。強制でもないのに出席した式で、酒飲んで暴れて「帰れコール」などするのに、ニーズがどうこう言うとは恐れ入る。
期待以上の一人負け。さすが朝日新聞! 週刊朝日はおもしろいのになぁ。
ちなみに、デビュー戦の後、わしが朝日新聞に載ったのを知っている人はどのくらいいるのだろうか? 「編集者はキックボクサー」とかいう恥ずかしい記事でしたが。。。石毛クンは今だに切り抜きを持っているらしい。
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朝日新聞「天声人語」1月10日
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「出て行け」としかる知事。「お前が出て行け」と言い返す若者。各地で催された成人式は、ところにより場面によって、旧成人と新成人のいがみ合いのようになってしまった。
この費用も税金とは、と慨嘆する向きも少なくあるまい。私語ばかり、ケイタイだらけに始まる「荒れた」傾向は、最近とくに激しくなった。では、どうすればいいか。きのうの新聞、テレビなどで、新旧成人たちの言い分がいろいろ紹介されていた。
「人の話は黙って聞くのが礼儀じゃないか。しつけがなっとらん」「聞きたくもない祝辞を聞かされるほどつまらないことはないよ」「聞く気がないなら、会場に来るな」「若者の気持ちをつなぎとめる話ができる人もいる。プロレスラーの大仁田厚さんなんか人気があった」
「友だちに会えるから行くんだ」「同級会なら自分たちで開け。役所の世話になんかなるな」「式を妨害した者は警察に突きだせ。責任をとるのが大人というものだ」「成人していない大人だって多いぞ」。それぞれ三分程度の理はある。ますます始末に負えぬ。
役所の側も手をこまぬいているわけではない。希望者のみ招待する。賞品を出す。式典とアトラクションを分離する。来賓祝辞をやめる。果ては、成人式をしないところも出てきた。一方で、中止を検討したが市民アンケートでは継続希望が多く、続けることにした自治体もある。
子どもが勝手に歩き回って授業にならない小学校。私語がまん延する大学。成人式はその延長線上、あるいは同心円の中にある。人は急には変われない。成人式だけを問題にしても、解決策はなかなか見いだせまい。
成人式は必要か。必要とすれば、どんな形がいいだろう。新旧の成人がそれを話し合うことから始めなければ、らちが明かないのではないだろうか。旧成人の説教だが。
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産経新聞「産経抄」1月11日
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成人式で壇上の市長にクラッカーを投げつけ、報道関係者に殴りかかった“新成人”を高松市は威力業務妨害の罪で告訴した。それは当然だろう。成人式の騒動は高知、京都、埼玉などでも起きていた。
▼彼らが成人式に出席した目的ははっきりしている。騒ぎを引き起こしたのは、式の祝辞に飽きたり、進行を批判したりするためではない。はじめから式を混乱させ、妨害することが目的で、それを面白がってやったのである。
▼いってみれば街の暴走族と同じ行為に過ぎない。式のはじまる前から酒を飲んで酔い、クラッカーを鳴らし、大声でわめくという無法の暴力行為だった。そうであるならこれをきちんと取り締まるのは当然の社会のルールだ。警察の手にゆだねるのはごく普通のことだろう。
▼そういった無法を、若者の「自己表現」とか「パフォーマンス」といって認めてしまうから、彼らはつけ上がるのである。高松の“事件”で市長に向けてクラッカーをぶつける彼らの映像に、モザイクをかけたテレビ局の報道があった。
▼彼らはすでに成人、つまりれっきとした社会人であるのに、このモザイクは何のためなのか。モザイクといえば仙台の「北陵クリニック」事件でも、容疑者の連行で腰のあたりにモザイクをかけたテレビがあった。容疑者は頭からすっぽりコートをかぶっていたが、すでに顔の写真はテレビに映っている。
▼つまりこういう無意味な人権配慮のポーズが時代をだめにしているのである。少年法改正反対の動きでもそうだったが、成人式の騒動の背景には社会の甘やかしがある。クラッカー騒ぎを醸成したのは、戦後教育と進歩派マスコミと人権派たちなのだ。
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