GLN 宗教を読む

宗教を読む / 導入

◆個人と集団
 仏教(以下「仏教」とは、本稿では「日本仏教」のことを云います。)は個人のための、 聖書の宗教は共同体(集団〜国家)のための宗教であると思います。
 その目的を達成するために、人々は達成困難な戒律や律法を守って日夜努力します。 しかし、その道は”狭き門”であるため、 願いを成就することはほとんど不可能であるとさえ云われております。
 〔山上の垂訓(狭き門)の項参照〕
 
 一口に仏教のことを説明しますと、それは”わがままな宗教”である、と云うことでしょう。
 ここで宮沢賢治(1896〜1933、 詩人・童話作家。岩手県生まれ。)の我慢についてご紹介します。
 我慢(がまん)とは、仏教的には、 「七慢の一。実際には存在しない我が自己の中心にあると考え、 それを根拠として行動する思い上がった心。おごり高ぶり。」(goo 辞書)です。
 彼は、父母の庇護の下で生活を営んでいました。 彼は、深く法華経を信仰していたことから、彼自身、自分の我慢を実践するために、 父母を法華経の世界へ導いたとされております。
 〔妙荘厳王本事品普賢菩薩勧発品の項参照〕
 
「押し寄せた波の頭にのって短く辛苦な期間を激しく生きた賢治は、昭和6年、東京で倒れ、遺書を書いた。「この一生の間どこのどんな子供も受けないやうな厚いご恩をいただきながら、いつも我慢でお心に背きたうたうこんなことになりました。今生で万分の一もついにお返しできませんでしたご恩はきっと次の生でご報じいたしたいとそれのみを念願いたします。どうかご信仰といふのではなくてもお題目で私をお呼びだしください。そのお題目で絶えずおわび申しあげお答えいたします。/九月二一日/賢治/父上様/母上様」-----二年後の同じ日、急性肺炎のため彼は死んだ(文学者掃苔録)。」
 これを請けて、父母は代々受け継がれてきた曹洞宗のお寺から、 賢治の信仰した法華経へ宗旨替えをしたと云われております。
 
 さて、仏教を極めるためには、基本的には出家しなくてはなりません。 まず、仏教は出家から始まります。 出家すると云うことは、一切の生産活動 − 自給自足の活動 −  をしないような生活を営むことにあります。
 即ち、布施を得るなどして、自分が生存するための衣食住を確保します。 あとは只管戒律に勤しむだけです。
 釈迦にあっても、生家が釈迦族の長であったために、その後ろ盾で仏教を構築し弘めてゆきました。
 このように仏教は、集団の宗教と云うよりは、個人レベルの宗教であると 定義され得ると思います。

* わがままな宗教
 古代インドでは、人々は、”行”に関して、いろいろな思想哲学論を展開していました。  そのような環境の中で、釈迦は、生老病死の”苦”を克服(逃れる)し、 安心安住の”次元”を求めようとする”悟り”について主張しました。
 
 釈迦は、悟りに至る道筋を説明するために、現実の様相とそれを解決する方法論として、 苦諦 、集諦、滅諦、道諦からなる四諦を説きました。 その中の道諦、 即ち道諦(どうたい、maarga-aaryasatya)とは、「苦滅道諦」で、 苦を滅した涅槃(ねはん)を実現する方法、実践修行を言い、 これが仏道すなわち仏陀の体得した解脱への道である、とされています。 この道諦で説かれているのが八正道(はっしょうどう)です。 即ち八正道は、涅槃に至る修行の基本です。 八正道とは、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念及び正定の、8種の徳のことです。
 なお、ここで云う涅槃とは、「あらゆる煩悩(ぼんのう)が消滅し、苦しみを離れた安らぎの境地。 究極の理想の境地。悟りの世界。寂滅。」(goo 辞書)のことです。
 
 お分かりのように、仏教とは、”己の涅槃を求める行の教え”、 自分だけの願望を成就せんがための”わがままな宗教” と云うことが出来ましょう。 仏教は、集団を堅持すべきことを旨とする聖書の宗教とは、 根本的に趣を異にしています。
 
 さて、”わがままな宗教”を実践するには、現実の社会から離脱する必要があります。 即ち、出家です。 出家することで、前述の四諦・八正道を修めることが出来るのです。 しかし、出家しますと、衣食住のことが問題となりますが、当初は、 釈迦は実家の庇護の下にその実践を遂行していました。 当時インドなどの風習として、先人賢者による教えを受けた対価として、布施(〜喜捨)をすることが 一般的に行われていました。 仏教の修行僧たちも、教えをするかたわら、その布施で生活を支えていました。
 その後わが国へ渡来した仏教は、祖霊崇拝信仰と結びつくなどして、 人々の供養を行うことが、僧の重要な行の一つとして位置づけられました。 つまり人々の祖霊崇拝=供養を、僧自ら(=実践修行者)が代わって行うことで、 人々から布施を得、その布施で生活の足しにする構図です。 出家僧と人々とは、このように僧は供養を代行、人々は布施をすることで、固く結ばれていきました。
 大乗仏教が盛んになってくると、 為政者は、政策として、この僧と人々との結びつきを利用しました。 為政者は、僧を掌握することで、人々(=国民)を管理監督(=治めた)したのです。 ますます僧(寺院)と国民(檀徒)との結びつきは堅固なものになっていき、 現在に至っています。
 
 聖書の宗教は、”ヤハウェ共同体”の誕生の頃から具体化します。
 〔契約祭儀伝承以下の項参照〕
 即ち聖書の宗教は、集団維持を第一義とした宗教として成立し、 現在でもその精神が脈々として受け継がれています。

* 神道
 神道は、個々人であっても、集団(組織体でも、国家でも)であっても、 為政者(国王国主でも)であっても、時処位の構図を有機的に発揮することで、 分け隔てなく適用され得るものと考えます。
 〔<構図>の項参照〕

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