緑の目の怪物 green-eyed monster

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緑の目の怪物 green-eyed monster



自分の中に残る古い記憶。廃墟となった惑星に立ってぼんやりと沈む夕日を眺めていた。地表に吸い込まれる直前の、重力に引かれてやや楕円にゆがんだ太陽がやけに赤く見えた事を覚えている。

極度の興奮と殺戮に酔いしれた兵士達がさらに略奪と凌辱にも倦み飽きた頃、ようやくこの星の惨禍は終わりを迎え、夕刻になっていた。先ほどまで勝利の余韻を味わい互いの戦利品を自慢しあっていたフリーザ軍の同胞たちが意気揚々と引き上げていき、惑星上で命のあるものは自分ただ一人になった。
足元には銃を握ったままの腕や、頭髪の残った生き物の頭、踏みつけられた死体がぼろきれのように転がっている。火焔と怒号にかき曇っていた空がようやく晴れ、崩れ落ちる建物からくすぶる黒煙がわずかに細くたなびいている。惑星は不気味なほどの沈黙に覆われ、ただ時々熱でゆがんだ金属の欠片が風に吹かれてゆらゆらと瞬いていた。この星の生き物は死に絶えた。自分の故郷、惑星ベジータと同じように。
「…だがそれがどうした」
か細い風の音を聞きながら、誰に聞かせるわけでもなく呟いてみせる。

滅多に無い事だが、母星の消滅を知らされてからどれくらいになるだろうかとふと考える事がある。血潮めいて赤い夕日を見ながら、ベジータは珍しく滅びた自分の母星の事を思い出していた。
自分の父親を始め家臣、多くの同族は星の爆発とともに消滅した。わずかに生き残った同族はナッパにラディッツ、二人だけだ。どちらもサイヤ人の戦士としては有能な部類に入るが、あまねく宇宙の隅々から天才的戦士ばかりが集められたフリーザ軍ではいずれも見劣りする存在だ。おそらく遠くないうちに命を落とすに違いない。噂ではもう一人、惑星ベジータの消滅直前に辺境の星に送られた同族もいるというが、所詮はクズ故の辺境送りだ、今頃星の土着民に返り討ちにあって野垂れ死んでいるかもしれない。
「…………」
そして自分は、この世にただ一人きりになるのだと淡々と考える最中、目の前で一つ、幽霊のような建物の残骸が崩れ落ちた。吹き付ける埃を頬に受けながら、塵になった同胞の無念をふと考える。ばらばらになった彼らの肉体と魂魄は、ガスに交じって今も宇宙のどこかを漂っているんだろうか。

『…寂しいのか』
その時不意に声が聞こえた気がして、直後に頭を振って否定する。自分以外の兵士達は皆帰還したはずだ。死の星となったこの場所で、誰かに話しかけられるはずは無い。



「寂しいのか」
ぎょっとして目を見開く。気のせいだと思っていた声が再びはっきりと耳に届いた。
「……!何だ、まだ死にぞこないがいやがったか?!」
誰もいないと思っていたこの場所に自分以外の存在がいた事に驚きながらも、すぐさま臨戦態勢に入った。いつ飛びかかられても良いよう身構えながら、何者をも見逃さない集中力で辺りを見回す。しかし目に映るものの中で動くものと言えば風にたなびく煙とほこりばかりだ。スカウターは何の生体反応も示してはいない。
「…………」
ふう、と一つため息を吐きながら体の力を抜く。どうやら自分は自分が思っている以上に疲労しているらしい。そろそろ惑星フリーザに戻った方がよさそうだ。メディカルマシーンに入ってからゆっくりと休息を取らなければ。
「随分お疲れのようだな」
再び息を飲む。今度こそ否定しようも無く、その声ははっきりと耳に届いた。しかも自分のすぐ背後からだ。
「誰だ、どこにいやがる、ぶっ殺してやるからさっさと姿を現せ!」
「ここにいるぞ」
廃墟と瓦礫の山を見回し大声で呼ばわると、声は再び自分のすぐ横で聞こえた。


「お前の後ろだ」
「どこだ、出てきやがれ!!」
すぐ近くから聞こえる声に向き直って辺りを見回すが、相変わらず目に映るものは何もない。スカウターの反応が示すのはこの星にただ一人立つ自分の存在だけで、動くものは風にたなびく黒煙、そして夕日に長く伸びる自分の影だけだ。
「ここだ」
三度声が聞こえて、勢いをつけて振り返る。夕日を背にした自分の影が長く地面に伸びている。闇を凝らせたような自分の影の頭部を見た瞬間、ベジータは自分の目を疑った。影がぱちり、と目を開いたのだ。
「さっきからずっとここにいる。いや、ずっとお前の後ろにいたと言うべきか?」
地面の上で見開かれた緑の目は、きょろきょろとあたりを伺ったのち、自らと足を重ねていたベジータの姿を見留めた。
「寂しいのか」
見開いた目のすぐ下で影に切れ目が生じ、口になった。地面の上でぱかりと開いた口が再び問いかけてくる。『影』がしゃべった。この異常さにベジータは頭がくらくらするような感覚を覚えた。どうやら自分は相当にまいっているらしい。もしかすると戦いの最中に神経性のガスでも吸い込んだのかもしれない、天才的戦士と言われる自分が随分迂闊な事だ、早く帰還して治療にあたらねば。


「心配するな、お前の頭は正常だ。そして俺は幻覚でも何でもない」
混乱する彼をよそに影はまるでベジータの頭の中を読んだように再び喋りかけ、苔むした老木から樹皮が剥がれるように地面からめくれ上がった。
「俺はお前の味方だ。たった一人の、な」
「…………――――っ!!」
幻覚としか思えない光景を目にして息を飲むベジータの目の前で、めくれ上がった影の肌はみるみるうちに白くなり、雪白になった。風にたなびく頭髪は燃え盛る燈火のような黄金色になった。こちらを見据える瞳は燐光を放つ緑色になり、顔立ちと肢体は、ベジータそっくりになった。
「随分驚いているようだな。まあ無理もないか」
「……何者だキサマは」
ゆったりと笑う世にも気高く美しい姿は、夕日が落ちて陰り始めた世界で一層輝き、また侵しがたい威厳を纏って重々しい。まるで色つきの鏡を覗きこんでいるような存在が突然目の前に現れた事に、ベジータは混乱して今にもその場に崩れ落ちそうになる。



「俺はお前の味方だ。そしてお前自身でもある」
よろめきながら後ずさるベジータの体を、伸ばされた影の腕が支える。その腕は完璧とも言える形状と強さを持っていた。片腕でベジータの体を抱き込み、ベジータとそっくりの顔で愛しげに相手の顔を見つめながら、緑の瞳を煌めかせる。
「安心しろ、お前は独りじゃない。これからは俺がお前を守ってやる」
もう一人のベジータになった影は、抱き寄せた亡国の王子の丸く滑らかな頬に指を這わせ、小さな唇を愛撫する。
「お前は俺のものだ、ベジータ。そして俺はお前のものだ。俺たちの命が尽きるまでずっと」


自分とそっくりの顔がこちらを覗きこんでくる。どこかで風の鳴る音がする。風にゆらめく金属片に、自分の頬を愛しげに撫でる影の姿がちらりと映る。金の髪、緑の目。赤い唇がにいっと淫蕩に笑う。
「ずっとお前だけを見てきた。お前は俺のものだ」
混乱の最中にある王子は、自分の影に包み込まれて戸惑い身もがき、時折きつく相手を睨みながら何かを告げようと薄く口を開きかける。その唇に、影が紅く濡れた己のそれを重ね合わせる。
「俺のものだ……」
一旦唇を離して呟いた後、影は一層深く相手の唇をむさぼった。黒い瞳が戸惑いに潤み、甘やかな吐息をわれ知らずこぼすのを楽しみながら。