空箱 empty box

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元となった神絵チャログ。「UNSECTION」瀧様画

『(   )に入る値を求めよ。ただしXはYより少ない値とする。』
幾何学的パズルを頭の中でもてあそぶ。数学の宿題を解きながら、大きなあくびを一つする。ああ眠い。昨夜はほとんど眠っていないからな。

昨日も僕はあの人に呼び出された。あの人が僕を呼びつける場所は様々だ。見渡す限りの荒野、照りつける太陽の下でいきなり自分を抱けと言い出すかと思えば、母が聞いたら目を回すような場末の酒場で、欲しくなったと言い出してトイレに押し込まれた事もある。そして今日は西の都で一番の高級ホテルの最上階だ。おそらく我が家の経済力では一生お目にかかる事が無いような。
この不条理かつ不道徳極まりない関係がいつから始まったのかもう思い出せない。唯一覚えているのは、父が亡くなって以来ずっとあの人は僕を求め続けているという事実だけだ。


ホテルマンに鍵付きの専用エレベーターでなければたどり着けないフロアに案内される。足首まで埋まりそうな柔らかな絨毯の上を歩けば、あの人は既に身にまとうものをほとんど床に落として、窓の外をぼんやり眺めながら僕を待っていた。
「遅かったな」
「あ、いや、その…すいません…家族が寝付くのを待っていたので…」
へどもどしながら僕が答えても、あの人は振り返る事無く窓の外を眺めていた。床から高い天井まで一面大きく取られた窓からは、見事な都の夜景が一望できた。赤や緑、青に黄色。無数の色合いで煌めくそれは、暗い夜空を飛びながら眺める星に良く似ている。
「何をしている。さっさと始めろ」
「え、と…あの、ベジータさん、その…シャワーを使わせてもらっても良いですか…」
「後にしろ」
無愛想に言いながら、あの人は僕に目を合わそうとはしない。むき出しの小さな肩が寒そうで、その肩を温めようと抱きよせても、顔は背けられたままだ。その首筋に唇を寄せ、僕の勉強部屋くらいもありそうな大きなベッドに互いの体を静め、清潔な敷布の感触と共にその肌を味わっている間も、あの人は僕に目を合わせなかった。
「……んっ……ふぁ……」
熱い吐息をこぼし僕の首にしがみつきながら、あの人は遂に僕を見ようとはしなかった。足を大きく開き僕の全てを受け入れながら、あの人の目は僕の姿も高い天井もずっとずっと突き抜けて、遠い夜空の果てだけをただひたすらに見つめていた。
「あ、……カ、カ……ぁ……」


『(   )に入る値を求めよ』
…っとと、いけないいけない、集中しなければ。物思いに沈みかけた頭を振って、目の前の問題に意識を向ける。もう一度あくびをしながら宿題の続きを始めた僕の耳に、部屋の外から母と弟の話す声が飛び込んでくる。
「こら悟天、捨てるでねえ」
お菓子の空き箱を捨てようとしていた弟を、母が咎める。
「でもお母さん、これもう空っぽだよ?」
母の言葉に怪訝そうな声をあげる弟に、母は答えた。
「中身は空でもこんなに綺麗な箱だ、捨てるのはもったいねえだ」
「何に使うの?」「何かを入れるのに使うだ」
母の言葉を聞きながら、僕は顔が独りでに赤くなるのを止められなかった。
『(   )に入る値を求めよ』、さて、空箱には何を入れようか?