<味ばなし −4>

もとは薬の口直し
脇役に徹する「外郎」
西の京やまぐち

  他人のお国自慢ほど、退屈なものはない。かもしれないので、恐縮しながら小声で申せば、私のふるさとは山口県山口市である。
  山口市は人口わずか十数万の小都市だが、室町後期には、戦乱で荒廃した京都をしのぎ、西日本屈指の繁栄を誇っていた。領主の大内氏一族は代々、朱印船貿易の権益でなした富財を、京都を模した町づくりに惜しみなく注いだ。大内時代から今日まで「西の京」を自負するこの町で、脈々と製法を守り続ける茶人好みの侘び菓子が、外郎(ういろう)である。
  小田原発祥として知られる外郎は、本来、頭痛をとり口中爽快にする漢方の「外郎薬」のこと。今でもこれを売る薬屋が小田原に残る。鎌倉初期に中国から渡来した陳宗敬が伝えたもので、陳氏が元の国で「大医院礼部員外郎職」を務めていたため、その名が薬に付けられた。
  この妙薬があまりに苦いため、口直しに米粉・砂糖で作った元国なじみの蒸し菓子を添えて、宮中に献上したらしい。妙薬よりもその口直しの菓子が巷間に広まり、外郎餅になったのだとか。街道づたいに外郎菓子は広まって、小田原、名古屋、山口などで名物になった。あっさりした持ち味の外郎は、京都では春から夏にかけての上菓子に重用される。
  さて、外郎は、菓子遍歴とぼしく山口での幼少を送った私にとって、唯一なじみ深い郷土の和菓子である。ただし、もっぱら土地のみやげとして客人に持たせる菓子だったから、「いただきもの」でしかありつけなかった。子ども心にはあまりパッとしない菓子だったのに、故郷を離れて年月を経てみると、朴とした味わいがやたらと恋しい。
  銘菓なればこそ、山口ではいくつかの店々がこだわりと工夫を競って、外郎を売り比べている。中でも、材料配合・製法とも質実さを貫いている点で、御堀堂(みほりどう)のそれが抜きんでているといえよう。もともと山口外郎の元祖は福田屋だが、とうに廃業してしまった。その伝統を残すのが、昭和2年創業の御堀堂である。というのは、御堀堂の初代は長らく福田屋で修業を積み、その秘伝を受けたからだ。それ以上に、今日ほど多様化する和菓子の世界にあってなお、ただひとすじ外郎のみで商いを続けている姿勢に、御堀堂の誠実さと自信をうかがい知ることができる。
  御堀堂の外郎は黒・白・抹茶の三種類があり、中でも黒外郎の味わいは格別だ。特徴的なアズキの底味を、良質のわらび粉が引き立てている。見た目のツヤ感、持ち上げるとプルンと垂れ、かつ、口に入れるとコシがある絶妙の弾力。これを食べると香りに秀でた茶がほしくなり、茶を呑めばまたこれがほしくなる。お茶が主役で菓子が脇役、と明確に心得ているところに、御堀堂の黒外郎の奥深さがある。
  少々持ち上げすぎか、やはり退屈な国自慢はほどほどにしておこう。                     
●山口市への交通
新幹線小郡駅より電車・バス30分/山口宇部空港よりバス四五分
●御堀堂・本店
山口市駅通り1―5―10/083・922・1248
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