<味ばなし −3>

仏具で菓子づくり?
京菓匠考案のどら焼き
京都・東寺

  お菓子作りは手間ヒマかかる。世の中には、うまい菓子を創出して評判が立ったものの、あまりに手間ヒマかかるので、月に一日だけしか売らないことにした店もある。
  新幹線に乗ると「ああ京都だ」と思わせる五重塔が、京都駅南側にそびえる。平安京遷都の際に創建された教王護国寺、都の人々は親しく「東寺(とうじ)さん」と呼ぶ。八二三年(弘仁一四年)、嵯峨天皇が弘法大師・空海に与えたこの寺は、真言密教の根本道場であり、世界遺産にも登録されている。ここを起点に、四国八十八ヵ所を遍路して高野山に入った弘法大師を慕う大師信仰の大切な巡礼地でもある。また、大師の命日、毎月二十一日の縁日には、骨董・古着・野菜・漢方薬などが境内せましと並ぶ「弘法市」が立って、庶民の熱気でごった返す。
  さて江戸末期のこと。東寺の僧侶が親しい菓子屋・笹屋伊兵衛に、寺の副食となる菓子の考案を依頼。伊兵衛は、寺での調製に心を配り、鉄板に代えて、仏具の銅鑼(どら)を使って焼く菓子を思いついた―――名付けて「どら焼き」。もっとも、その出来映えたるや、ドラえもんもだれもが知るあの「どら焼き」とは、似ても似つかない。ドラえもんの好物は「銅鑼のような形に」焼くので、どら焼きと呼ばれる。だが、伊兵衛考案の菓子は「銅鑼の上で」焼くから、どら焼きなのである。
  熱した銅鑼の上で長方形に伸ばして焼いた薄皮の端に、棒状のこしあんを乗せ、くるくると巻き取り、円筒状に仕立てる。これを竹皮でくるんだ一棹が、伊兵衛のどら焼きである。薄皮の白い生地と銅鑼に当たった焼き色とが、幾重にも巻き込まれて、断面は渦を描く。ちょうど、細巻きのロールケーキか、あんの詰まったバームクーヘンみたいにも見えるが、口当たりはまるで違っている。小麦粉に数種の蜜を加えた薄皮は、十分に寝かせてから焼かれ、かなり甘い。その弾力は、そう、たい焼きの皮を押しつぶしたような、独特のモチモチ感なのである。
  伊兵衛のどら焼きは、僧侶のみならず、たちまち都じゅうの話題をさらった。手間ヒマかかる製法ゆえ、殺到する客をさばけなくなった伊兵衛は、もう一つ妙案を思いついた。東寺の菓子ならば、大師の縁日・毎月二十一日のみ限定発売にしよう、と。
  京菓匠・笹屋伊織iささやいおり)の五代目考案のどら焼きは、今日の十代目まで百三十年、東寺ゆかりの門前みやげとして愛されている。一子相伝の製法は変わらないが、発売が毎月二十〜二十三日の三日間に延びたのは、時の流れだろう。京都に行くならこの三日間、と思わせる素朴な味わいがある。縁日当日の門前の出店のほか、七条大宮の笹屋伊織で売られる。東京でも伊勢丹各店や日本橋三越で入手可能だが、それとて、この三日間の限定品だ。
  京の数ある菓子屋の中でも、ごくかぎられた店にだけ授けられる「京菓匠」。製法と販法の二つを発明したアイデアマン笹屋伊兵衛には、実にふさわしい称号といえよう。

●東寺
京都駅八条口から市バス71系統「東寺東門前」下車
●笹屋伊織
日休/京都市中京区七条大宮西入/075・371・3333
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