<味ばなし −2>

今に伝わる
みたらしだんご源流の味わい
京都・下鴨神社

 私にとって串にささっただんごを食べた最初の記憶があるのは、十七歳のときである。3兄弟ブーム以前とはいえ、これはかなりオクテのだんごデビューといわざるをえないだろう。今から十五年も前のことで、高校の修学旅行で訪れた飛騨高山の町はずれの露店屋台のだんご。香ばしい朴葉味噌と並ぶ飛騨高山名物といえば、みたらしだんごである。
 飛騨高山は、歴史の落ち着きを感じさせる古い町並みの静かな観光地である。が、同じく西日本の小さな観光都市から来た高校生たちの興味が、そこへ向かうはずはない。仲間と入ったゲーセンがつまらなくて、「この町はショボい」などとぼやいたものである。そんなわれわれを唯一そそったのが、町のあちこちにはためく「みたらしだんご」のノボリとそれを焼く香ばしい匂いだった。腹が減って仕方のない年ごろのこと。「露骨に観光客目当ての店のだんごはうまくない」とだれかが言ったので、町の中心から外れてようやく一軒の古びた屋台を探し当てた。
 手ぬぐいをかぶり、モンペをはいたおばさんが、笑みを浮かべて注文を聞く。手に五本くらい束ねてだんごを持つやいなや、エイヤとばかりに炭火を起こしたコンロに転がす。裏表こんがり焦がし米の匂いが立ち始めたかと思うと、しょうゆにくぐらせて、またそれを焼く、それを二〜三回繰り返しただろうか。アツアツとしょうゆの香ばしさもさることながら、あのおばさんの手さばきこそ、みたらしだんごが高山名物たるゆえんではないかと思ったものである。
 ところで、高山のみたらしだんごは、ただしょうゆをくぐらせただけの素朴な味わいだった。みたらしだんごの発祥は、京都・下鴨神社の御手洗の池とされている。前号にも書いたが、発祥地では、葛を使った甘いタレでみたらしだんごを味わえる。下鴨名物として広まったのはこの甘いタレのおかげなのだが、それは大正時代の「亀屋粟義」の画期的な創意工夫によるものである。それ以前、下鴨神社の氏子たちの家庭では、しょうゆで焼いただけのだんごを食べていたという。
 有名な高山祭は、古い町並みを趣き豊かに練り歩く山車(だし)が見ものだが、これは京都の祇園祭を模したものである。長らく、高山の人々は京都に憧れ、都の文化を随所に採り入れたに違いない。そうして高山に持ちこまれた一つが、下鴨神社界隈のみたらしだんごだったと思われる。その証拠に、飛騨高山のみたらしだんごは、下鴨名物に同じ、5つ玉である。高山に伝わったのは、「亀屋粟義」が甘いタレを発明した大正よりはるか以前であるから、下鴨神社の氏子の家庭に伝わるしょうゆ味だったに違いない。
 発祥の地は京都下鴨、発祥の味は高山に今に伝わる。どこで食べても、みたらしだんごはやっぱりうまい。
山長味ごよみ・菜の花号(2000-03-01)に戻る
山長味ごよみインデックスに戻る
随筆集/山長味ばなしページに戻る

© YAMACHO 2000 JAPAN