また近いうちに 冒険と度胸だろうと思ったが何のこともなかった思い出 10月24日(日) 晴れ・暖かい
明洞 **(リムジンバス)** 仁川空港 ^^(大韓航空)^^ 中部国際空港 -(名鉄ミュースカイ)- 金山 - 大曽根
 
たくさん歩いたソウル2日間を終え、帰路につく
朝5時半起床、血圧:H129,L85、やや高め。気をつけねば!
 より安く済ませるため今回はホテル前の空港行きバス停よりリムジンで行くこととした。6時40分にチェックアウトし外に出る。バス停にはすでに欧米系白人の夫婦がバスを待っていた。約10分後バスがやってきた。一般リムジンで両側とも2人掛け。料金は1万ウォンで、料金箱に入れる。高級リムジンより4千ウォン安くお値打ちだ。キャリーケースは座席下収納庫に入れてもらう。チケットはいらない。中程、左側の席についた。ルートはイビス前→乙支路→三一路→退渓路→新世界百貨店・韓國銀行前→南大門路→南大門(今もなお再建工事中)→ソウル駅→漢江北側(大韓生命ビルや国会議事堂が望める)→高速道路{運転手が「안전벨트(アンジョンベルトゥ)…….」(シートベルトをお締めください、と言っているのだろう。早速締めた。)}→空港。所要時間は丁度1時間。日曜の早朝のせいか、一般道も高速道路も渋滞することなく、予定どおりだろう、7時50分頃に到着した。
 しかし空港内は人だらけ。大韓航空のカウンターまで行き、搭乗券自動発券機の「日本語」を選択し、パスポートを挿入、Eチケットの予約番号を入力、しかし何度もやり直してもエ
発券機で苦労して入手した搭乗券
ラー。他にもそうなっている人だらけ。このため係の人にやってもらう。すんなりいく。ところが航空券が出てこない。また係の人を呼ぶと、違う所に券が顔をのぞかせいているではないか。一安心だ。券を取り出す。座席は48A、左側窓席でよかった!今度は土産物が入って重くなったキャリーケース預け。青森行きに搭乗する客で長い列ができていた。もちろん中部空港行きの自分も預けることができる。中部空港と同様に複数の窓口があるため列の流れは早い。自分の順が来、預ける。そのあと、ベンチで待ち、5分経過して何も呼ばれなかったのでOK(ケース内に問題になる物は入っていない)だ。國民銀行(국민은행・クンミヌネン)窓口で再両替。24万ウォンを出し、あと日本円で4百円の要求ががあったのでそれを出し、16000円が戻ってきた。そのあと4階の韓食レストラン・하늘(ハヌル=空)で朝食を摂ることとする。前回と同じ所だ。今日はキムチチゲを注文したが、ないとのこと。仕方がない。そこで前回と同じ「갈비탕(カルビタン)」を注文。カルビタンはある。4ヶ月ぶりに食するカルビはうまい。コネストによれば大根葉入りだという。カリウムが多いので、血圧が高めの時に良いかも。勘定は14300ウォン(約1043円)。空港だから高いのは当然。空港内の他にあるレストランにもっと高い所があるらしい。それに比べれば安い方だろう。出発時刻は12時35分、まだ3時間以上もある。チャングムの誓いの写真が描かれた箱のチョコレート等が売られている土産物店を見て回ったり、地下に降りて空港鉄道”A’REX”の乗り場入口へ行ったり。A’REXは現在、仁川空港・金浦空港間の運転だが今年末にソウル駅まで延伸する予定だ。特急は現在空港を毎時0分出発だが、もっと増えるかも。空港~ソウル中心部のアクセスがますます便利になる。今度ソウルに来たとしたら、ここからソウル駅までそれを利用しようか。タクシーは高いし(但し日本よりはずっと安い。7年前は明洞から高速を通って5万ウォン位≒当時5千円)、バスは乗り場が沢山あってさがすのが面倒。A’REXの駅は1箇所だけだ。
 時刻は10時45分頃、そろそろ出国だ。まずポケットの中身はすべて出し、上着は脱がされ、手荷物検査をする。靴を脱ぐ必要はなかった。また、前回ズボンのベルトでひっかかったのでそれもはずした。このため今回はOKだった。前にいた白人系外国人はひっかかったらしい。再検査をしていた。そして出国手続き、スタンプをポンと押しただけで済んだ。免税店をまわったり、休憩したり。レストランもある。が、さっきカルビタンを食べたばかりだ。今度機会があれば利用しよっと。11時半過ぎに搭乗口へ。12時過ぎに搭乗開始、そして機内へ(ボーイング777-200)。着席。ここも回りは日本人だらけ。言葉、読んでいる新聞でわかる。「えっ、中日負けちゃったの?」なんていう声も。名古屋行きだから中日ファンがいて当然だろう。しかし負けたのはおととい、昨日の日本のスポーツ新聞見たからであった。日本シリーズ進出決定の記事が載っている当日の新聞はない。
 乗り継ぎ客が乗ってくるというので、出発予定の12時35分を過ぎても動き出さない。帰国して早めに大曽根で一杯やりたい、という気持ちでいっぱい、早よ来い!約15分遅れで飛行機が動き出した。その客が乗ったらしい。そして離陸。川が見える。更に進むとソウルの街が見えてきた。川は漢江であることがその時わかった。真下は南山。昌德宮、昌慶宮、宗廟の緑地は地図で見る通りだ。淸凉里はどこにあるか?小さくて確認できない。あと目に入るのは高層団地が多いこと。淸凉里は見える範囲にあったのは確か。尚、写真撮影はできない。もし撮れたらその写真で確認できたというのに。あと忘れてはならないのは北の方を見ることだ。今日は天気がいいので絶好のチャンス。山また山だ。遙か遠くに霞の合間から顔を出している藍色に見える山は軍事境界線より北かもしれない!開城(개성・ケソン、高麗時代の首都、現在は工業団地で有名)は確認できなかった。飛行を続けていると次第に雲が多くなってきた。揺れた。気流によるものだ。海岸線や陸地は雲に覆われて見えなかったが座席前のモニターでどこを飛行しているのかがわかる。東海岸そして日本海(東海・동해・トンヘ)。안녕히 계세요대한민국또 가까운 시일내에 만납시다.(アンニョンギゲセヨ,テーハンミングク.トーカッカウンシイルレエマンナプシダ.=さようなら、大韓民国。また近いうちにお逢いしましょう。)
 日本へは若狭湾上空から入る。前回の松江上空とは異なる。敦賀辺り、琵琶湖東、養老山地、鈴鹿山脈……四日市上空から伊勢湾に出て、セントレアへ向かう予定となっている。また揺れる、揺れる。このため、四日市へ方向を変えることはなく、さらに南へ向かい、津のあたりでやっと東へ向きを変える。伊勢湾が見えてきた。そして海を渡り、セントレア南側より滑走路に入り着陸。時刻は14時40分頃。20分遅れだ。入国審査は簡単に済んだが、今度は荷物受取。なかなか来ないと予想したが、以外にも早くやって来た。おかげで予定していた15時7分発の名鉄特急ミュースカイに駆け込みすることなく乗車することが出来た。大曽根駅下の・かどやでの一杯がうまかった。
ソウルの街の至る所で見かけたG20のパネルと、自動車旧ナンバープレート(緑)、新プレート(白)
 今回の節約法は、タクシーは一切使わなかったこと。帰りのリムジンバスは一般リムジンで空港へ行ったこと。1日目の昼食、夕食、2日目の朝食は6000ウォン位(438円位)で済ませたこと。2日目の夕食は主食焼芋3000ウォン+豚足7000ウォン合計10000ウォン(730円位)。外で酒類は飲まなかったこと。1日目は缶ビール+マッコルリ+チャミスル(多かったか)、2日目は缶ビール+チャミスル。韓国では酒類は安い。ソウル市内移動は徒歩か地下鉄(初乗り1000ウォン≒73円)。但し、贅沢としても鰒の粥15000ウォン(1094円位)と最終日の朝食カルビタン14300ウォン(1043円)。円高の活用として。名鉄ミュースカイは途中から客が乗るとしても神宮前のみで、隣席に来ることがない意味でいたしかたない。1日目のリムジンは高級であったのは時間によるもの。あと、どこの地下鉄の駅だったかは忘れたが、改札機がアーム式から扉式に改まっていた。
 今回韓国で起きた大きな出来事は特になかった。が、以前と異なるナンバープレートを用いた自動車が大半を占めていた。2004年からということだが4ヶ月前は新プレートがあったことに気付かず、ドラマ”アイリス”で見て初めて知った。まだ新旧共存だが2~3年後には旧プレートは消滅していることだろう。
 事件は反日感情によるものが中国で起きていた。そして帰国1ヶ月後に北が砲撃をし兵士や民間人に犠牲者が出た。仁川空港に近い延坪島(・ヨンピョンド)でのことだ。
 この日の夜の血圧:H110,L73、正常!よかった。
 
今回の調査による、街の対応
ソウル 名古屋 東京 備      考
弘大入口(홍대입구・ホンデイック) 大津通り丸の内地区   広い道路中央にバスが走行、ビルが立ち並んでいることから似ているように思える。
新村(신촌・シンチョン) 弘大入口からの道路:八事~塩釜口~植田、新村ロータリー:黒川・浄心・秩父通 新村全体を見て、池袋 大学が多いことから判断。また、ソウル北部の繁華街ということで東京・池袋に相当か。黒川・浄心・秩父通は高速道路のことは考えない。
大學路(대학로・テーハンノ) 名古屋大学付近 (東大がある)本郷 かつてソウル大学があったことから。しかし結論はつけ難い。
江南(강남・カンナム)   丸の内 道がまっすぐに走っている所に増えた高層ビルから判断。
 
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