みーちゃんとんびさんの アナンダ旅日記

 

7 ミュアーウッズ 太古の森

 

 

 クルマに乗って、またハイウェイを飛ばしました。

 おとうさんは「これゾ アメリカっていう風景だな」といってた一面の牧場や畑を横目に車は走ります。
 また、横をハデな色の車や、大きなトラックが通ります。線路をコンテナっていう荷物を積んだ汽車が通ります。数えてみると100個以上の車両があったみたい。

 わたしはやっぱり寝てました。そんな車の中で、起きると、アナンダでもらったランチを食べました。

 お昼には、トイレ休憩でスーパーマーケットやお店のあるとこに着きました。
 ここでも、わたしはアイスを買いました。おとうさんは、おみやげのお菓子と水を買いました。レジの近くで、安売りしてたカゴの中に、ぬいぐるみのぞうさんがいました。
 おかさんと大樹に、おみやげにしようと言って、これもわたしが選んで買いました。

 

 今晩泊まるサンフランシスコに行くまでに、ミュアーウッズ国定記念物っていうとこに寄るんだって。国定記念物って変な名前だなあ。国立公園とか国定公園なら聞いた事あるのに。
 山の一角だけが霧がかかってるのが遠くから見えました。車の中で、「あそこかな」「でも、なんであそこだけ霧なの。いい天気なのに」って、みんなで言ってました。
 クネクネした山道を登ると、山の観光地のような駐車場がありました。バスが一杯とまってました。車も一杯だった。よく考えると、今日は土曜日だったんだ。アメリカでは土曜日は、みんなお休みらしいです。おとうさんも土曜日は必ずお休みです。わたしが学校に行く日でも、朝寝坊してるもん。いいなあ。


入口。駐車場もいっぱい。


ここで入場券を買います。
横がビジターセンター。


ビジターセンターの中。
本やビデオなんかも売ってます。

 ミュアーウッズ国定記念物(Muir Woods National Monument)について

 ミューアウッズは、1903年にカリフォルニア州選出の下院議員のウィリアム・ケントが、サンフランシスコの裏山のような数百ヘクタールのレッドウッドの土地を、自費で買い上げて、政府に寄付したのがはじまりです。
 政府はこの森を「ケントの森国定記念物」としようとしたんですが、ケントは固辞して尊敬するミューアの名前をとり、「ミューアの森国定記念物」になったという話です。
 レッドウッドの森は、約1億4千万年前は、北半球の大部分を覆っていたそうです。もともとはこのような森が、この付近一帯を覆っていたらしいです。しかし、当時西部開拓の波に乗り、サンフランシスコが開発されてきていて、その住宅用に、近郊の山からたくさんの木材を切り出していました。偶然にも、この付近の森だけがそんな時に残っていました。
 遠くから見た霧も、レッドウッドの森にかかってたんでしょう。

 

 ジョン・ミューアについて

 ミューアは、前にも書いていますが、シェラクラブの創始者、自然保護の父と呼ばれ、アメリカでは「森の生活」を書いたヘンリー・D・ソローなどよりもはるかに知名度は高いです。
 1838年、スコットランド生まれのミューアは、11歳でアメリカに渡り、苦労をしてウィスコンシン大学に入学。勉学に励むが2年半後、「私は第一の大学から第二の大学に移る。ウィスコンシン大学からウイルダネス大学へと・・・」という言葉を残し放浪の旅に出ます。
 植物採集などをしながら旅をして、いくつかの土地を体験して最終的にヨセミテの地に居座り、十数年もの間、カリフォルニアの土地を探検し、様々な文章を発表したりしました。アラスカ探検などもし、結婚したミューアは、40歳を過ぎてから、自然保護活動に力を入れ始めます。
 現在では全米で1、2を争う規模の自然保護団体「シェラクラブ」を200名程度の仲間と1892年に設立しました。サンフランシスコに本部を持つこの団体は、数百人の専従職員を持ち、全米に350以上の事務所を持つ日本では考えられない規模の自然保護団体です。
 1903年には、当時のセオドア・ルーズベルト大統領が、ヨセミテのミューアを訪問し、2人で(実際はレンジャー2名とコック1名が一緒だったそうですが)3泊4日のキャンプをしたのは有名な話です。
 ヘッチヘッチー渓谷のダム論争などで、最後まで自然保護を推進したミューアは、たくさんの著作もあります。
 コーネルさんも、最近ミューアについての本を書いたという話をしていました。

 

 ミューアに関する参考図書

 私がおすすめする本です。
 「森の聖者 自然保護の父 ジョン・ミューア」 加藤則芳・著  山と渓谷社
 「アメリカの環境保護運動」  岡島成行・著  岩波新書
 「はじめてのシェラの夏」  岡島成行・訳  宝島社
    ほかにも、アメリカでは絵本(お土産に買って帰りました)も出ているくらいに有名人です。

 


観光地なので、写真ポイントもあります
 ゲートをくぐって中に入りました。もう2時45分です。4時20分まで自由時間ということなので、その短い間に道を回ったり、お土産を買ったりしないといけません。
 ちょっと行くと、とっても大きな木がいっぱいありました。わたしの小学校の班のみんなが両手で抱えても、全然足りないくらいの太い木もあります。
 中に川が流れてます。おとうさんが、この川をサケが泳いで帰ってくるんだよって教えてくれました。その川に沿って道があって、行きは入って右側を通ります。いろんなコースがあって時間に合わせて45分とか、1時間30分、2時間コースとかがあります。○○トレイルっていうのが、わたしたちが歩いているメインロードから分かれています。海が見えるとか書いてあるみたいです。わたしは探検したいなと思ったけど、迷子になるかもしれないのでやめました。
 とっても暗いんです。

 いろんな形の木がありました。木の中に大きな穴があって(後でそれを「洞 ホラ」っていうんだって教えてもらいました)人が入れるようになってました。おとうさんやみんなは、中に入って記念写真を撮ってましたが、私は「イヤッ」って言いました。だって、中でクマさんがお昼寝してたらどうするの。こわいよ。
 コブのある木や倒れた木から芽が出てたり、とっても不思議な感じがしました。おとうさんは、去年鹿児島に行って、こんな森の中を歩いたんだって言ってたけど、ちょっと違うんだよって言ってました。

 出口に近づいてくると、お話をしているおねえさんがいました。
 20人くらいの人が、一緒について歩いてました。
 おとうさんは「インタープリターって言って、この森を紹介してる人なんだよ」って教えてくれました。何でも専門の人が、1時間ごとに集まった人を連れて森の中を歩くんだそうです。
 わたしたちが入ったときは、ちょうど前の組が出たときで、時間が合わなかったんだそうです。難しいことばかりじゃなく、ミューアのお話なんかもして、楽しく回れて、しかもタダだそうです。今度来るときは、時間を合わせて、絶対聞いてみよう。
 でも英語だからなあ、わかるかなあ?

 そうそう、おとうさんったら、こんなこと言うんだ。「英語をいっぱい勉強するんだ。そしてじゅんこさんみたいにしゃべれるようになって、お父さんが外国に行くときに通訳してよ。」って。自分が勉強したらいいのに・・・


倒木更新や切株更新なんかが
随所に見られます。


数百年の樹齢の木がアチコチに

 出口に近いところに、お土産やさんがありました。
 中に入ると、ファストフードのお店みたいのがあって、たくさんの人がいました。だれかがソフトクリームを買ってました。とってもおいしそうでした。おとうさんに「あれ買って!」って頼んだんだけど、「お土産を買ってから」と言われました。

 プンプンして奥に行くと、日本の観光地みたいに、いっぱいお土産が並んだお店がありました。
 おかあさんに、何か買って帰ろうと思いました。絵葉書やタオル、コップなんか、日本で売ってるおみやげ品がいっぱいありました。いろいろ見たけど、木製で裏面に磁石がついてる動物の形をしたのを買いました。
 あと、おとうさんは「メイドイン どこだ?」ってひっくり返しながら見てます。何をしてるのかな。そして、日本語のパンフレットやTシャツ、帽子を買ってました。そうそう、大樹にかわいい絵の入ったよだれかけを買いました。これしてくれるかな。
 お金を払おうと並んでると、なかなか前に進みません。レジが1つで、とっても遅いんです。おじさんが、いちいち値札を見ながらレジを打ってます。おとうさんが時計を見ています。集合時間に遅れてしまうのかな。わたしも時間がとても気になりました。だって、このままじゃあ、ソフトクリームを買う時間が無くなっちゃうじゃないか! でも、一緒に行ってた人達が、まだ後ろに並んでたんで、ちょっと安心です。
 レジの近くまで進んできました。ふと横を見ると、笛がありました。竹みたいなのでつくられた紫色のペンキが塗られたやつです。わたしが欲しいって言ったら、おとうさんは、こんなん 買うのん?ってあきれて言いました。けど、どうしても欲しかったので、買ってもらいました。

 お金を払って、ソフトクリームを買ってもらいました。おとうさんは、メニューが見えにくかったみたいで、ちょっと緊張してたみたいです。

 外に出て食べてると、一緒に行ってた人達が通りながら、おいしそうだね、って言ってくれました。
 集合時間を過ぎてしまいました。外で集合だったので、みんなのいるところに行きました。10人くらいしか来てません。良かった、最後じゃなかったんだ。わたしは、買ってもらった笛を吹いたり、おばさんたちとお話をしてました。おとうさんは、まだみんな来てなかったので、すぐ横にあるビジターセンターっていうところをのぞきに行きました。

 一緒に行った人の中には、「早くしないと、サンフランシスコに着くのが遅くなっちゃう」ていう人もいましたけど、おとうさんは後で「もうちょっと いたかったなあ」って言ってました。


アイスを食べて ニッコリ


笛を手に・・・

photo by Yasue

 やっと揃って、またハリダスさんたちの車に乗ります。
 ハリダスさんたちは、今から帰ると遅くなっちゃんだそうです。だから寝袋を持ってきていて、今晩はどこかに泊まるんだそうです。カゼをひかなないでねって、みんな心配したと思うよ。

 車は、大きな橋を渡ってサンフランシスコに入りました。霧がだんだん出てきました。
 みんなは、「これが金門橋だよ。ゴールデンゲートブリッジだ。」って騒いでました。
 でも、大きい橋なら、わたしは去年明石海峡大橋を渡って淡路島に行ったんだもん。何が珍しいんだろう。
そういえば、行きがけの飛行機の中から、こんな橋が見えたのを思い出しました。

 車は街の中を走ります。ハリダスさんは、あまり道に詳しくないのか、ローマさんの車が先導します。
 みんなが、ちょっと不安だったのは、みんなの持っているサンフランシスコのガイドマップに、今日泊まるホテルが載ってなかったんです。

 たぶん、このへんだろうというところを走ると、誰かが「あっ あそこだ」って言いました。通りすぎてしまったんです。一方通行が多かったので、ホテルの前に車を止めることができないから、近くの店の前の路肩に車を止めました。

 みんなが、車から降ります。長い間お世話になったハリダスさんローマさんとの別れです。
 みんなが握手したり、抱き合ったりしています。わたしも、握手しました。
 後ろの方で、黄色いタクシーがクラクションを鳴らしています。
 周りには人がいっぱいです。
 でも、なかなか別れが済まないんです。
 「そろそろ、終わりにしないと」って誰かが言いました。
 うるうるした目で、わたしたちは荷物を持って歩道に上がりました。

 そして、ハリダスさんとローマさんは、アナンダ村へ帰って行きました。

 

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