決行1(決行前〜登頂・下山まで)
今年(2002年)の夏も暑かった。
今回の予定は,決行の数日前に決まったため,前日,および当日の出発直前
まで携行品等の準備に追われる羽目になった。
ベストコンディション作りのために行なった行為としては,可能な限り
「酢を飲む」こと位しかなかったが,これ以外に気分を高揚させる手段として,
8/4(日)【出発当日】にTV放映された「富士登山駅伝」の様子を,出発寸前に見せた。
ご覧になったことがある方ならお分かりかと思うが,この「富士登山駅伝」..
正直な感想として,出場選手の行為は「正気の沙汰ではない」の一言に
尽きる。特に,一度でも富士登山を経験した者にとっては...
この「富士登山駅伝」が開催されたコースが,息子が一昨年にそのホンの
さわりを体験した,御殿場口登山道であったことからも,これを見た息子を
大きく勇気付けることになったらしい。(本人に確認済みなので間違いなし)
今回は,登頂しか頭になかったので,予定通り,
2002年8月4日(日)18:00 東京某所を車で出発。
今回は,昨年のような致命的なおおボケをかますこともなく,すこぶる順調に
中央高速/スバルラインを経由し,五合目・河口湖口に到着した。(21:27)
さて,この時点で,雨も降っておらず,霧や寒さもさほどひどくない状況ではあったが,
もっと上空と思われる厚めの雲と,音は少ないものの激しく光り輝く雷光に,
かすかな不安はあったものの,いつもの楽天気分で,とりあえず寝ることにした。
その甲斐あってか,その後の未明(8/5 01:30頃)に目覚めた時には,雲も消え去り,
満天の星空が堪能できた。(早速,新デジカメで撮影テストを実施...寝ればよいものを..)
その後,04:30には息子をたたき起こし,若干の準備のあと,05:00 に
予定通り五合目を出発,恒例となった「小御嶽神社」にお参りし,一路,六合目を目指して
泉瀧方面に針路を取る。
出発して間もなく,五合目〜六合目連絡道で朝日を拝む。標高は低いが,これも
立派な「富士山の御来迎」だということで,前途の安全を祈願した。
← 5合目付近から見た御来迎
この後の行程自体は,昨年とほとんど変わらないので,要所での
到着時刻のみを記載しておくと,
05:00 5五合目出発
05:40 6合目着
06:54 花小屋着(七合目の始まり)
07:40 富士一館着
08:12 東洋館着
09:54 白雲荘(8.5合目?)
このすぐ先の「元祖室」で,昨年の最高到達高度に追いついた。

その後も,ぼちぼちと高度を重ね,
11:11 富士山ホテル着。
11:50 御来迎館着
と,だんだん体にダメージを感じながらも,牛歩戦術で責め,
13:50 富士山頂着

↑ 山頂の鳥居 ↑ 山頂銀座横奥の火口

↑ ついでに,ドームが撤去された,「富士山測候所」の近況です。
(上の火口の写真の息子の頭の真上の矢印の,火口の対岸部分)
写真真中ちょい左にあったドームが無くなっています。(太矢印部分)
登頂後も,息子の体調は特に悪くはなく,山頂小屋で食べたカレーライス(1,200円)
も,ぺロっとたいらげてしまい,頭痛など高山病の傾向も見られなかったのには,
正直驚いたと同時に,嬉しい誤算だった。
一昨年/昨年を思うと,想像以上の体力(気力)の向上に,
父親としても,非常に頼もしく,また大変うれしく思いました。
今回のこの経験が,本人のかけがえのない自信につながる
と信じています。
この日の山頂は,晴天に恵まれ,気温も10℃近くあったのではないかと思われ,
初心者にとっては,最高の条件だったともいえるだろう。
この後,山頂で日付入りの記念品(山頂限定品)と,神社でお守りを買い,
この日からOPENしたという最新のバイオトイレで用を足してから下山にかかった。
ここで,事件ぼっ発。
今回も金剛杖(焼印を押してもらうための,名物の杖)を使わず,3年来のストック
を使用したため,一昨年の富士宮口山頂小屋で見かけた「富士山頂シール」を
買いそれをストックに張ろうと心に決めていたのだが,すっかり忘れていたことに気づいた
のは,下山道を50mほど下ったあたりだった。
息子に「欲しい」と言われて気が動転した私は,ついつい山頂まで駆け戻ってしまった
のである。ものすごい急坂に薄い空気.....それまでまったく感じなかった高度を
身にしみて感じたのだった。(はっきり言って,肺が張り裂けそうな気分だった)
ただし,そんな姿を哀れに思った神様が助けてくれたのかどうかは知らないが,
すでに売っていないはずのシールを,山頂の小屋のお兄さんに,1枚だけだが
タダでいただけたのである。(その店に現存する最後の1枚の可能性もあるのに,
気前よく分けていただき,ありがとうございました。)
ただ,できればもう一枚欲しかったのだが,無いものはしかたないので,息子の
ストックに張られたのは言うまでもない。
← これが噂の幻のシール
さてさて,今度こそ下山である。
昨年は,八合目のエスケープルート以下の高度での下山道しか通っていないので
噂にきく,須走/河口湖の分岐点も通るとあって,間違ってはならないとちょっぴり
緊張しながらの下山だった。
ただし,心配は無用で,立派な看板が立っていたので,分岐点があるという
知識さえあれば,まず間違うことはなさそうである。(外人さんは???)
← 立派な看板。河口湖口へは左に進む。
(右に進むと,須走口方面)
このあと,昨年降りたと同じルートに入り(参照),つづら折れをひたすら降りていくのだが,
はっきり言って,頂上からこの分岐点までの下山道で,下山に残したチカラをほとんど
使い果たしたと言っても過言ではない。
それほど,急な坂道で,おまけに中途半端な砂走りみたいな感じなので,分岐点に着いた
ころには,足全体が痺れてしまい,ここぞという時の踏ん張りに悪影響を及ぼし始めていた
のである。
六合目につく頃には,最近ネックになりつつある右足親指付け根を守りながら歩いた
ツケがきて,右膝外側の痛みも発生しするなど,かなりの苦痛を背負ってのゴールとなった。
本当に,怖い下りであるが,夕立/雷雨などの悪天候に見舞われなかっただけでも
喜ばねばならないのだろう。
とにかく,息子よ,よくがんばった!!
それに,一緒に山頂に立つという願いをかなえて
くれてありがとう!!
なお,上記で,はしょった登山途中のエピソードをご紹介しておくと,
7合目を過ぎたあたり(岩場に取り付いたあたり)から,休憩毎に前後して
顔を合わせる親子連れが数組居たが,ほとんどの親子が脱落していた。
見たところ,脱落組はすべて複数のお子さんと登っており,片方はかなり元気
なのだが,もう一人の方が,かなりへばる/高山病にかかる 状態になっており,
8合目あたりからエスケープルートへ抜けたと思われる。
その中で,唯一,登頂に成功していたご家族は,父親+娘の二人連れで,
父親のきめ細かいサポートと,娘さんのがんばり(キリっとして,賢そうな,
頑張りやさんの顔をされていました)が勝因だったようです。
我が家でも,妹の方が,来年から富士山アタック隊への参加を表明しており
今回拝見したような行動を(他山の石として)参考にしたいと考えている。
(もちろん,まずは5合目ハイキング → 8合目エスケープ と手順を踏む予定)
考えるに,末恐ろしい話ではある...
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